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常磐線

常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区日暮里駅[1][2]から千葉県北西部、茨城県福島県太平洋側(浜通り)を経由して宮城県岩沼市岩沼駅[1][2]までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)である。「本線」を名乗らないJR線の中では、最も長い路線である。

常磐線
常磐線の主力車両E531系
(2019年3月 松戸駅 - 金町駅間)
基本情報
通称
日本
所在地 東京都千葉県茨城県福島県宮城県
種類 普通鉄道在来線幹線
起点 日暮里駅[1][2]
終点 岩沼駅
駅数 80駅
電報略号 シハセ[3]
路線記号 (日暮里駅[注 4] - 取手駅間の急行線)
(綾瀬駅 - 取手駅間の緩行線)
開業 1889年1月16日 (134年前) (1889-01-16)
所有者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
運営者
  • 東日本旅客鉄道(全線)
  • 日本貨物鉄道(日暮里駅 - 三河島駅間を除く全線)
使用車両 運行車両を参照
路線諸元
路線距離
  • 343.7 km(日暮里駅 - 岩沼駅間)[1]
  • 5.7 km(三河島駅 - 隅田川駅 - 南千住駅間)[1]
  • 1.6 km(三河島駅 - 田端駅間)[1]
軌間 1,067 mm
線路数 複々線(綾瀬駅 - 取手駅間)、複線(日暮里駅 - 綾瀬駅間、取手駅 - 四ツ倉間、広野駅 - 木戸駅間)、単線(前記以外)
電化区間 全線
電化方式
閉塞方式
  • (自動閉塞式)(下記以外)
  • 車内信号閉塞式(綾瀬駅 - 取手駅間の緩行線)
  • (特殊自動閉塞式(軌道回路検知式))(夜ノ森駅 - 浪江駅間、新地駅 - 山下駅間)
最高速度 130 km/h
路線図
(テンプレートを表示)

列車運行上の常磐線は、東北本線上野駅 - 日暮里駅間及び岩沼駅 - 仙台駅間を含めた、東京都台東区の上野駅から宮城県仙台市青葉区の仙台駅まで (363.5 km) であるが、「上野東京ライン」として運行される品川駅 - 上野駅間を含めた「品川駅 - 仙台駅」を常磐線として表記している例もある[注 5]

本記事では品川駅 - 東京駅間について、常磐線内の方向に合わせて品川行きを「上り」、品川発を「下り」と記述する。

また、通常運転系統上の「常磐線」は、中距離列車(中距離電車)や特急列車などの列車系統のみを指し、取手駅以南の複々線区間を運転する電車系統常磐快速線常磐緩行線とは区別される。本記事での運転系統としての記述は主に前者について取り上げる。

概要

東京から仙台までを、千葉県の松戸我孫子、茨城県の取手土浦水戸を経て、福島県のいわき相馬など浜通り太平洋沿岸)地域を経由して結ぶ路線である。首都圏と沿線各都市を結ぶ特急列車や、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている。また首都圏側の取手駅以南では東京への通勤輸送の役割も担う。綾瀬駅 - 取手駅間は急行線(快速線)と緩行線線路別複々線となっており、緩急分離運転を実施している(運転行態については後述)。

全線が電化されているが、区間により電化方式が異なっている。上野駅から取手駅までは直流電化だが、藤代駅より北は沿線の茨城県石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所の観測に直流電化方式が悪影響を及ぼすという事情から交流電化が採用され、取手駅と藤代駅の間にデッドセクションが設けられている[4]

2011年に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)による被害と、それに起因した福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域(事故発生当初は警戒区域)設定のため、一部区間が不通となり、列車代行バスが運行されていた時期があった[5]詳細後述)。

名称の由来

名称については、令制国常陸(ひたち)と磐城(いわき)の頭文字を合わせたものである[注 6]。なお、磐城国は明治令制国(戊辰戦争後の令制国)である。

この経緯に由来して、茨城県と福島県浜通りの県境に当たる勿来近辺(北茨城市からいわき市南半分)は「常磐地区」と呼ばれることもあり、1954年から1966年のいわき市成立までは、湯本温泉周辺を中心とする常磐市(じょうばんし)が存在していた。また、水戸市では常磐町常磐大学常磐神社といった、同じ字で「ときわ」と読む地名や施設なども存在する。「ときわ」は、常磐線でもかつて急行列車の愛称として使用され、特急「ひたち」への統一後も茨城県北部から福島県浜通りの沿線の観光キャンペーンや茨城県内に有効なフリーきっぷの名称として「ときわ路」が使用されている。なお、列車愛称の「ときわ」は2015年3月14日のダイヤ改正で特急列車として復活したが、大半は以前の急行同様茨城県内発着の列車となる。

常磐線の旧国名と駅の関係は次の通りである。

  • 常陸:茨城県・龍ケ崎市駅 - 同・大津港駅 (133.2 km)
  • 磐城:福島県・勿来駅 - 宮城県・逢隈駅 (154.6 km)
※参考
武蔵:東京都・日暮里駅 - 同・綾瀬駅 (7.7 km)
下総:東京都・亀有駅 - 茨城県・藤代駅 (33.5 km)
陸前:宮城県・岩沼駅 (- km)

路線データ

  • 路線距離(営業キロ):全長351.0km
  • 軌間:1,067mm [1]
  • 駅数:80(本線の起終点駅と偕楽園駅・隅田川駅を含む。支線の終点は除外)
    • 常磐線所属駅に限定した場合、日暮里駅と岩沼駅(ともに東北本線所属[6])が除外され、78駅となる。
  • 複線区間
  • 電化区間:全線
    • 日暮里駅 - 取手駅間(藤代駅の直近まで)、三河島駅 - 隅田川駅 - 南千住駅間、三河島駅 - 田端駅間:直流1,500V
    • 藤代駅 - 岩沼駅間:交流20,000V・50Hz
    • デッドセクション:取手駅 - 藤代駅間、車上切替式
  • 閉塞方式
    • 日暮里駅 - 夜ノ森駅間、浪江駅 - 新地駅間、山下駅 - 岩沼駅間:自動閉塞式
    • 夜ノ森駅 - 浪江駅間、新地駅 - 山下駅間:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
    • 綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):車内信号閉塞式
  • 最高速度(電車または気動車)
    • (品川駅 - )日立駅間:130km/h[注 7]
    • 日立駅 - いわき駅間:120km/h
    • いわき駅 - 岩沼駅間:100km/h
    • 綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):90km/h
    • 田端信号場駅 - 隅田川駅間(田端貨物線):95km/h
    • 南千住駅 - 隅田川駅間(隅田川貨物線):95km/h
  • 運転指令所
    • 上野駅 - 羽鳥駅間:東京総合指令室
    • 羽鳥駅 - 岩沼駅間:水戸総合指令室
    • 綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):東京総合指令室
  • 列車運行管理システム
  • 旅客運賃・乗車券関連
    • 旅客運賃体系:電車特定区間を除いて(幹線)運賃
    • (東京近郊区間)(旅客営業規則による):(品川駅 - )日暮里駅 - 浪江駅間
    • (仙台近郊区間)(旅客営業規則による):小高駅 - 岩沼駅( - 仙台駅)間
    • 電車特定区間:(品川駅 - )日暮里駅 - 取手駅間
    • IC乗車カード対応区間:
      • Suica首都圏エリア:東京近郊区間と同じ
      • Suica仙台エリア:仙台近郊区間と同じ

なお、JR東日本の各支社の管轄は以下の通り。

沿線概況

品川 - 日暮里

日暮里 - 取手

品川駅から日暮里駅までは山手線など多くの路線と併走し、日暮里から東北本線と分かれる。北千住駅付近まで、日光街道沿いの下町の中を走り、荒川を渡る手前で地下鉄千代田線と合流し、綾瀬駅まで並行する。綾瀬駅から取手駅までは複々線区間となり、千代田線から直通する各駅停車は小田急線直通急行・準急も含め、綾瀬駅を出ると亀有駅金町駅の順に各駅に停車するが、品川・上野方面からの快速電車は松戸駅柏駅我孫子駅といった市の中心駅しか停まらない。

江戸川を渡り、東京都葛飾区から千葉県松戸市へ入ると、矢切の田園地帯にて緩行線と快速線が交差した後、線路は地上へ降りる。松戸駅では新京成電鉄新京成線、柏駅では東武鉄道野田線と連絡し、我孫子駅では成田線が分岐する。天王台駅を過ぎると千葉県茨城県の境である利根川利根川橋梁を渡って茨城県に入り、電車特定区間の終点である取手駅へ至る。

取手 - いわき

 
取手駅 - 藤代駅間の交流→直流の接続部分(デッドセクション

取手駅と藤代駅の間にデッドセクションがあり、以北は交流電化されているため、直流電車は通れない。取手駅から先は交直流電車のみが走る区間となる。旧型車両ではデッドセクション区間で非常用電源に切りかわり、車内が消灯していた。

茨城県の取手市から龍ケ崎市牛久市土浦市石岡市小美玉市笠間市水戸市ひたちなか市那珂郡東海村日立市高萩市北茨城市を経由し、茨城県と福島県浜通りの境に当たる勿来関を越えて、福島県いわき市に入ると、浜通り地方で最初の駅、勿来駅に至る。そのまま福島県内を北上し、浜通り南部の中心地いわき駅に至る。

いわき - 岩沼

いわき駅を出て、四ツ倉駅を過ぎると単線になる。この区間は電化時に古いトンネルを放棄しているため廃トンネルが多数みられる。竜田駅を出発すると常磐線最長の金山トンネルを通過し、富岡駅に到着する。

富岡駅から浪江駅までの区間は、2011年(平成23年)3月11日東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の影響で最後まで不通となっていたが、2020年令和2年)3月14日に復旧を終えて運転を再開し、常磐線は9年ぶりに全線で運転を再開した。

富岡駅から夜ノ森駅大野駅と過ぎて、福島第一原子力発電所の煙突を背にしながら、双葉駅に到着する[注 8]。さらに浪江駅、小高駅を経て、「雲雀原」の異名を持つ南相馬市の中心駅・原ノ町駅に到着する。

原ノ町駅では、2007年以降普通列車の系統が分断されており、現在は全ての普通列車において乗り換えが必要である。その後旧鹿島町の中心駅鹿島駅相馬市の中心駅・相馬駅などを経て、駒ケ嶺駅を過ぎると、2016年に完成した津波被害からの復旧区間に入る。

新地駅を過ぎると、浜通りから脱して宮城県へ入り、坂元駅山下駅を過ぎると、浜吉田駅の手前で廃線となった従来線と合流する。その後、亘理駅逢隈駅を過ぎ阿武隈川を渡ると、常磐線としての終点である岩沼駅に到着し、日暮里駅で分かれた東北本線に合流する。

歴史

最初の開業区間は、1889年(明治22年)に水戸鉄道として現在の水戸線とひとつながりで開業した友部(路線開業時は駅無し、1895年設置) - 水戸間である[注 9]

1896年(明治29年)には日本鉄道により田端 - 水戸間が開通する[7]。実質的な常磐線としての建設は、それまで船に頼っていた常磐炭田から産出される石炭の輸送ルート確保を目的としていた[8]。このため、現在の山手線を経由して東海道本線に抜けられるように田端駅が起点とされ、上野駅への乗り入れは後から行われた。この関係で、三河島駅から日暮里駅まで不自然な急カーブを描く線形となっている。効率的な石炭輸送をはかるために、明治時代から複線化工事が開始された[9]。常磐炭田の石炭輸送のほか、日立鉱山日立製作所関連の人員・物資輸送で、常磐線は戦前・戦後を通じて国内経済発展に欠かせない存在となっていった[10]

1898年(明治31年)に岩沼駅まで全通した後は、東北本線のバイパスとして機能した。関東地方と東北地方を結ぶ鉄道路線の中でも海岸沿いを走るため線路が東北本線に比べて平坦である点が蒸気機関車牽引の列車にとって最大の利点であったこと、平駅(現在のいわき駅)までの複線化も早期に行われたこと、さらに、奥羽本線への直通列車設定も必要だった東北本線に比べ、ターゲットを上野と仙台以北との往来に絞れたことから、仙台駅以北に直通する旅客列車が常磐線を経由して走るようになり、1920年(大正9年)に経路特定区間制度が設定された時、日暮里 - 岩沼間が最初の設定区間の一つに指定されている。1958年(昭和33年)に東京以北で初の特急列車として登場した「はつかり」も、当初は常磐線経由で設定された。東北本線の電化・複線化が進むにつれ、まず「はつかり」など昼行の長距離優等列車から東北本線経由への整理統合が進んだが、東北本線が通勤時間帯に混雑することや奥羽本線への直通夜行列車が多数設定されたことから仙台駅以北に直通する夜行寝台列車はなお常磐線経由が主力であった。

石炭輸送を目的とした急行貨物「ひたち号」が1964年(昭和39年)に開始されたが、その後まもなくエネルギー革命によって炭鉱が次々と閉山に追い込まれ、1973年(昭和48年)を最後に常磐線の当初の目的であった石炭輸送の役目は終わりを迎えた[8]。その一方で旅客面では、1969年(昭和44年)10月に上野 - 平間に特急「ひたち」が運転を開始し、1985年(昭和60年)につくば市で開催された科学万博期間中は全国から訪れる観客の輸送を引き受けた[7]。このとき臨時駅(万博中央駅)も設置され、“赤電”のニックネームで親しまれた列車も、白地に青線へ化粧直しされた[7]1987年(昭和62年)4月、当時20兆円の累積赤字を抱えていた国鉄が分割・民営化され、常磐線はJR東日本の一路線として再スタートを切った[7]。しかし、東北新幹線の開業以後は常磐線から仙台駅以北に直通する旅客列車が大幅に減り、東北本線のバイパスとしての存在意義が失われたことから、長らく設定されていた日暮里 - 岩沼間の経路特定区間制度は2001年(平成13年)に廃止された。

年表

水戸鉄道・日本鉄道

国有化後

  • 1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道国有化。那珂川貨物取扱所を那珂川駅に変更。
  • 1909年(明治42年)
    • 3月25日竜田駅が貨物駅 ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。