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ファン・パブロ・モントーヤ

ファン・パブロ・モントーヤ・ロルダンJuan Pablo Montoya Roldán, 1975年9月20日 - )は、コロンビア出身のレーシングドライバー

ファン・パブロ・モントーヤ
基本情報
フルネーム ファン・パブロ・モントーヤ・ロルダン
国籍  コロンビア
出身地 同・ボゴタ
生年月日 (1975-09-20) 1975年9月20日(47歳)
F1での経歴
活動時期 2001-2006
所属チーム '01-'04 ウィリアムズ
'05-'06 マクラーレン
出走回数 96
タイトル 0
優勝回数 7
表彰台(3位以内)回数 29
通算獲得ポイント 307
ポールポジション 12
ファステストラップ 12
初勝利 2001年イタリアGP
最終勝利 2005年ブラジルGP
最終戦 2006年アメリカGP
(テンプレートを表示)

CARTの1999年度シリーズチャンピオン。2001年から2006年シーズン途中までF1に参戦、コロンビア人としてはロベルト・ゲレーロに次ぐ2人目のF1ドライバーとなった。2006年シーズン中盤よりNASCARに参戦している。

日本ではJ・P・モントーヤと、またアメリカ合衆国ではCART参戦時の登録名から、ファン・モントーヤ (Juan Montoya) と略されることが多い。フジテレビF1中継でのニックネームは「コロンビアの暴れん坊」。

プロフィール

カートからF3

コロンビアの首都ボゴタ出身。幼少よりカートレースで成功を収め、F1を目指し1995年(当時19歳)渡欧しヨーロッパでのレース活動を始める。(フォーミュラ・ボクソール)、イギリスF3を経て、1997年よりF3000に参戦し、才能に注目したウィリアムズF1チームとテストドライバー契約を結ぶ。

F3000とCART

1998年の国際F3000選手権ニック・ハイドフェルドとのチャンピオン争いを制しシリーズチャンピオンを獲得し、1999年のウィリアムズF1レギュラー昇格が噂されたが、CART王者となったアレックス・ザナルディがウィリアムズでF1復帰することになり、モントーヤのF1デビューはこの時は実現しなかった。しかし、ザナルディとシートを交換する形でCARTのトップチーム、チップ・ガナッシと契約しCARTシートを獲得。ヨーロッパから北米へ渡った。

1999年、モントーヤはルーキーながら難なくCARTスタイルに順応し、速さでセンセーションを巻き起こす。ダリオ・フランキッティと熾烈なタイトル争いを繰り広げ、最終戦終了時に同得点で並び、勝利数の差(モントーヤ7勝、フランキッティ3勝)でデビューシーズンのチャンピオンを獲得(デビュー年での獲得は1993年のナイジェル・マンセル以来)。CART史上最年少でのチャンピオンとなった。

翌年はチームの体制変更によりタイトル防衛は成らなかったが、(トヨタ)エンジンのCART初勝利を含む3勝を挙げ、伝統のインディ500でも優勝。この活躍により、2001年のウィリアムズF1チームのレギュラーシート獲得が決定した。

F1

F1においてもモントーヤは最初から大胆さを発揮し、2001年シーズンの第3戦ブラジルGPでは王者ミハエル・シューマッハを追い抜き、あわやデビュー3戦目で初優勝かと思われたが、周回遅れのヨス・フェルスタッペンに追突され、リタイアに終わる。フェラーリの総合力には及ばぬものの、モントーヤはウィリアムズ・FW23の強力なBMWエンジンを利して、ドイツGPで初ポールポジションを記録。敵地イタリアGPではポール・トゥ・ウィンでF1初勝利を達成した。

2002年は優勝こそ無かったが、フェラーリがシーズンを席巻する中で、M.シューマッハと並ぶ7回のポールポジションを獲得し速さを見せた。

2003年には同僚ラルフ・シューマッハと共に快走し、2勝を挙げてシリーズランキング2位で終盤戦を迎えたが、アメリカGPでの雨とペナルティの影響でチャンピオンを逃した。

2004年には、開幕直前にもかかわらず翌年のマクラーレン移籍を発表。この年は、ウィリアムズ・FW26の新型フロントウィングが失敗し、シーズン中盤に旧型に戻すなど苦戦を強いられ、優勝は最終戦ブラジルのみに留まった。

2005年、マクラーレン・メルセデスに移籍。MP4-20で3勝を挙げ、イタリアGPでは予選でF1史上最速記録となる372.6 km/hも記録したものの、脚光はタイトル争いを繰り広げたチームメイト、キミ・ライコネンに集中した。シーズン序盤には骨折(プライベイトでのテニス中に負ったと報道されている)で2戦を欠場。シーズン後半はセカンドドライバー的な立場を強いられた。

2006年はエンジンレギュレーション変更でV10エンジンが禁止され2400ccV8となり、マクラーレン・MP4-21に搭載されるメルセデスも長く使用してきたV10からV8へと変更され、空力的にも大きくアレンジされたマシンであったが、上位にはつけるが優勝を争うことができず、未勝利が続くなか第10戦アメリカGPではスタート直後にライコネンと同士討ちを演じる。その直後、チームとドライバーが合意の下で契約を解除することが発表され、マクラーレンを離脱。シーズン中盤であったがF1を離れ、古巣チップ・ガナッシの仲介で活動の場をNASCARに移すこととなった。

NASCAR

NASCARではブッシュシリーズにアトランタから参戦を果たす。2007年よりチップ・ガナッシ・レーシングからNASCARネクステルカップ(現スプリントカップ・シリーズ)に参戦。

インディカー

2014年、チーム・ペンスキーからインディカー・シリーズに復帰、ポコノ・レースウェイでの第11戦で復帰後初勝利を飾るなど、ランキング4位の活躍を見せる。

2015年、この年のインディ500において、序盤に一度リードラップ最後尾まで落ちたものの、そこから追い上げて中盤以降は終始トップ争いに絡み、15年ぶり自身2度目の優勝を飾る。この優勝は、A.J.フォイトの10年を抜き、最も長い間隔を空けてのインディ500複数優勝であった。

記録

四輪レース界で世界3大レースといわれる3つのうち、モントーヤはインディ500(2000年、2015年)とモナコGP(2003年)を制覇している。

また、2007年1月にデイトナ・インターナショナル・スピードウェイで行われたRolexデイトナ24時間レースにおいて、スコット・プルーエットと共に出場し、初出場ながら優勝した(翌年も連覇)。

レース戦績

 
2005年アメリカGP予選にてMP4-20をドライブするモントーヤ
  • 1995年
    • イギリス・(フォーミュラ・ボクスホール)に(ポール・スチュワート・レーシング)より参戦。3勝、3PPを記録しシリーズ3位。
  • 1996年
  • 1997年
    • 国際F3000にRSM Marko(ローラT96/50・ザイテック)から参戦。3勝、2PP、3FLを記録しシリーズ2位。
    • ウィリアムズのテストドライバーに抜擢される。
  • 1998年
    • 国際F3000にスーパーノヴァ(ローラT96/50・ザイテック)より参戦。4勝、7PP、5FLを記録しチャンピオンを獲得。
    • 引き続きウィリアムズのテストドライバーを務める。
  • 1999年
  • 2000年
    • CARTシリーズにチップ・ガナッシ(ローラB2K/00・トヨタ)から参戦。3勝、7PPを記録しシリーズ 7位。
    • インディ500に同チーム(Gフォースオーロラ)より参戦。LLを記録してデビュー戦で優勝。
  • 2001年
  • 2002年
    • F1世界選手権にウィリアムズ(ウィリアムズFW24・BMW)より参戦。入賞12回(最高位 2位)、7PP(5連続を含む)を記録しシリーズ3位。
  • 2003年
    • F1世界選手権にウィリアムズ(ウィリアムズFW25・BMW)より参戦。2勝(モナコGPを含む)、1PP、3FLを記録しシリーズ3位。
  • 2004年
    • F1世界選手権にウィリアムズ(ウィリアムズFW26・BMW)より参戦。1勝、2FLを記録しシリーズ 5位 。
  • 2005年
  • 2006年
    • F1世界選手権にマクラーレン(マクラーレンMP4-21・メルセデス)より参戦し、シリーズ8位。第10戦アメリカGPを最後にチームを離脱し、残りレースのシートをペドロ・デ・ラ・ロサに譲った。
    • アメリカに戻ってストックカーに転向することを発表。デビュー戦のARCAフードワールド250シリーズで予選2位、決勝3位を記録。
  • 2007年
  • 2008年
  • 2009年
    • NASCARスプリントカップ・シリーズにチップ・ガナッシから参戦。(チェイス・フォー・ザ・スプリントカップ)(プレーオフ)にアメリカ人以外で初めての進出を決める。
  • 2010年
    • NASCARスプリントカップ・シリーズにチップ・ガナッシから参戦し、シリーズランキング17位。第22戦ワトキンスグレン(ロードコース)で優勝。
  • 2014年
    • NASCARを離れインディカー・シリーズに復帰、チップ・ガナッシのライバルチームであるペンスキーから参戦、第11戦ポコノで優勝。シリーズランキングは4位だったが、オーバルコースでの獲得ポイントに限れば1位であった。
  • 2015年
    • 前年に引き続きペンスキーから参戦。開幕戦セントピーターズバーグで勝利し、インディ500において15年ぶり、自身2度目の優勝。シーズン2勝を含む表彰台4回の成績を残し、開幕から一度もランキングトップを譲ることはなかったが、最終戦で同点に追いつかれ、優勝回数の差でシリーズチャンピオンを逃す。
  • 2016年
  • 2017年

イギリス・フォーミュラ3選手権

チーム エンジン クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
(1996年) (フォーテック・モータースポーツ) HKS-三菱 A SIL1
2
SIL2
12
THR
4
DON
1
BRH1
12
BRH2
2
OUL
9
DON
13
SIL
7
THR
1
SNE1
3
SNE2
C
(PEM1)
4
(PEM2)
6
ZAN1
4
ZAN2
Ret
SIL
5
5位 137

国際ツーリングカー選手権

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 順位 ポイント
1996年 ヴァルシュタイナー メルセデス-AMG メルセデス・ベンツ・Cクラス V6 HOC
1
HOC
2
NÜR
1
NÜR
2
EST
1
EST
2
(HEL
1
)
(HEL
2
)
NOR
1
NOR
2
DIE
1
DIE
2
SIL
1

Ret
SIL
2

Ret
NÜR
1
NÜR
2
MAG
1
MAG
2
MUG
1
MUG
2
HOC
1
HOC
2
SAO
1
SAO
2
SUZ
1
SUZ
2
NC 0

((key))

国際F3000選手権

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1997年 RSMマルコ ローラ・T96/50 ザイテック SIL
Ret
(HEL)
1
PAU
Ret
NÜR
4
PER
11
HOC
5
A1R
1
SPA
DSQ
MUG
3
JER
1
2位 37.5
1998年 スーパーノヴァ・レーシング OSC
Ret
IMO
15
CAT
1
SIL
1
MON
6
PAU
1
A1R
2
HOC
3
HUN
3
SPA
2
PER
1
NÜR
3
1位 65

F1世界選手権

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 順位 ポイント
2001年 ウィリアムズ FW23 BMW P81 3.0L V10 AUS
Ret
MAL
Ret
BRA
Ret
SMR
Ret
ESP
2
AUT
Ret
MON
Ret
(CAN)
Ret
(EUR)
2
(FRA)
Ret
(GBR)
4
GER
Ret
(HUN)
8
(BEL)
Ret
ITA
1
USA
Ret
JPN
2
6位 31
2002年 FW24 BMW P82 3.0L V10 AUS
2
MAL
2
BRA
5
(SMR)
4
ESP
2
AUT
3
MON
Ret
CAN
Ret
EUR
Ret
(GBR)
3
FRA
4
GER
2
HUN
11
(BEL)
3
ITA
Ret
USA
4
JPN
4
3位 50
2003年 FW25 BMW P83 3.0L V10 AUS
2
MAL
12
BRA
Ret
(SMR)
7
ESP
4
(AUT)
Ret
MON
1
CAN
3
EUR
2
FRA
2
GBR
2
GER
1
HUN
3
ITA
2
(USA)
6
JPN
Ret
3位 82
2004年 FW26 BMW P84 3.0L V10 AUS
5
MAL
2
BHR
13
SMR
3
ESP
Ret
MON
4
EUR
8
CAN
DSQ
USA
DSQ
FRA
8
GBR
5
GER
5
HUN
4
BEL
Ret
ITA
5
CHN
5
JPN
7
BRA
1
5位 58
2005年 マクラーレン MP4-20 メルセデス FO 110R 3.0 V10 AUS
6
MAL
4
BHR SMR ESP
7
MON
5
EUR
7
CAN
DSQ
USA
DNS
FRA
Ret
GBR
1
GER
2
HUN
Ret
TUR
3
ITA
1
BEL
14
BRA
1
JPN
Ret
CHN
Ret
4位 60
2006年 MP4-21 メルセデス FO 108S 2.4 V8 BHR
5
MAL
4
AUS
Ret
SMR
3
EUR
Ret
ESP
Ret
MON
2
GBR
6
CAN
Ret
USA
Ret
FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 8位 26

アメリカン・オープンホイール

CART

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
1999年 チップ・ガナッシ・レーシング レイナード・99i ホンダ HMS
10
MOT
13
LBH
1
NZR
1
RIO
1
GTW
11
MIL
10
(POR)
2
CLE
1
ROA
Ret
TOR
Ret
MIS
2
DET
Ret
MDO
1
CHI
1
(VAN)
1
LGA
8
(HOU)
Ret
SRF
Ret
FON
4
1位 212
2000年 ローラ・B2K/00 トヨタ HMS
Ret
LBH
Ret
RIO
Ret
MOT
7
NZR
4
MIL
1
DET
Ret
(POR)
Ret
CLE
6
TOR
Ret
MIS
1
CHI
Ret
MDO
Ret
ROA
Ret
(VAN)
Ret
LGA
6
GTW
1
(HOU)
2
SRF
Ret
FON
Ret
9位 126

インディカー・シリーズ

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 順位 ポイント
2000年 チップ・ガナッシ・レーシング Gフォース オールズモビル・オーロラ WDW PHX LSV INDY
1
TXS PPIR ATL KTY TXS 25位 54
2014年 チーム・ペンスキー ダラーラ・DW12 シボレー STP
15
LBH
4
ALA
21
IMS
16
INDY
5
DET1
12
DET2
13
TXS
3
(HOU1)
2
(HOU2)
7
POC
1
IOW
16
TOR1
18
TOR2
19
MDO
11
MIL
2
SNM
5
FON
4
4位 586
2015年 STP
1
(NLA)
5
LBH
3
ALA
14
IMS
3
INDY
1
DET1
10
DET2
10
TXS
4
TOR
7
FON
4
MIL
4
IOW
24
MDO
11
POC
3
SNM
6
2位 556
2016年 STP
1
PHX
9
LBH
4
ALA
5
IMS
8
INDY
33
DET1
3
DET2
20
ROA
7
IOW
20
TOR
20
MDO
11
POC
8
TXS
9
WGL
13
SNM
3
8位 433
2017年 STP LBH ALA PHX IMS
10
INDY
6
DET1 DET2 TXS ROA IOW TOR MDO POC GTW WGL SNM 24位 93
2021年 アロー・マクラーレンSP ALA STP TXS TXS IMS
21
INDY
9
DET1 DET2 ROA MDO (NSH) IMS GTW (POR) LGA LBH 31位 53
2022年 (STP) (TXS) LBH (ALA) (IMS)
24
INDY
11
(DET)
(ROA)
(MDO)
(TOR)
(IOW)
(IOW)
(IMS)
(NSH)
GTW (POR) LGA 31位* 44*

インディ500

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
(2000年) Gフォース オールズモビル 2 1 チップ・ガナッシ・レーシング
(2014年) ダラーラ シボレー 10 5 チーム・ペンスキー
(2015年) 15 1
(2016年) 17 33
2017年 18 6
(2021年) 24 9 アロー・マクラーレンSP

NASCAR

((key)) (Bold – Pole position awarded by qualifying time. Italics – Pole position earned by points standings or practice time. * – Most laps led.)

スプリントカップ・シリーズ

NASCAR スプリントカップ・シリーズ 結果
チーム No. Make 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 NSCC Pts
(2006年) チップ・ガナッシ・レーシング 30 ダッジ (DAY) (CAL) (LVS) (ATL) (BRI) (MAR) (TEX) (PHO) (TAL) (RCH) (DAR) (CLT) (DOV) (POC) (MCH) (SON) (DAY) (CHI) (NHA) (POC) (IND) (GLN) (MCH) (BRI) (CAL) (RCH) (NHA) (DOV) (KAN) (TAL) (CLT) (MAR) (ATL) (TEX) (PHO) (HOM)
34
69位 61
(2007年) 42 (DAY)
19
(CAL)
26
(LVS)
22
(ATL)
5
(BRI)
32
(MAR)
16
(TEX)
8
(PHO)
33
(TAL)
31
(RCH)
26
(DAR)
23
(CLT)
28
(DOV)
31
(POC)
20
(MCH)
43
(SON)
1
(NHA)
19
(DAY)
32
(CHI)
15
(IND)
2
(POC)
16
(GLN)
39
(MCH)
26
(BRI)
17
(CAL)
33
(RCH)
41
(NHA)
23
(DOV)
10
(KAN)
28
(TAL)
15
(CLT)
37
(MAR)
8
(ATL)
34
(TEX)
25
(PHO)
17
(HOM)
15
20位 3487
(2008年) (DAY)
32
(CAL)
20
(LVS)
19
(ATL)
16
(BRI)
15
(MAR)
13
(TEX)
19
(PHO)
16
(TAL)
2
(RCH)
32
(DAR)
23
(CLT)
30
(DOV)
12
(POC)
38
(MCH)
38
(SON)
6
(NHA)
32
(DAY)
38
(CHI)
18
(IND)
38
(POC)
40
(GLN)
4
(MCH)
25
(BRI)
19
(CAL)
20
(RCH)
31
(NHA)
17
(DOV)
39
(KAN)
20
(TAL)
25
(CLT)
34
(MAR)
14
(ATL)
40
(TEX)
43
(PHO)
17
(HOM)
17
25位 3329
(2009年) アーンハート・ガナッシ・レーシング シボレー (DAY)
14
(CAL)
11
(LVS)
31
(ATL)
27
(BRI)
9
(MAR)
12
(TEX)
7
(PHO)
24
(TAL)
20
(RCH)
10
(DAR)
20
(CLT)
8
(DOV)
30
(POC)
8
(MCH)
6
(SON)
6
(NHA)
12
(DAY)
9
(CHI)
10
(IND)
11
(POC)
2
(GLN)
6
(MCH)
19
(BRI)
25
(ATL)
3
(RCH)
19
(NHA)
3
(DOV)
4
(KAN)
4
(CAL)
3
(CLT)
35
(MAR)
3
(TAL)
19
(TEX)
37
(PHO)
8
(HOM)
38
8位 6252
(2010年) (DAY)
10
(CAL)
37
(LVS)
37
(ATL)
3
(BRI)
26
(MAR)
36
(PHO)
5
(TEX)
34
(TAL)
3
(RCH)
6
(DAR)
5
(DOV)
35
(CLT)
38
(POC)
8
(MCH)
13
(SON)
10
(NHA)
34
(DAY)
27
(CHI)
16
(IND)
32
(POC)
16
(GLN)
1
(MCH)
7
(BRI)
7
(ATL)
9
(RCH)
7
(NHA)
16
(DOV)
14
(KAN)
29
(CAL)
14
(CLT)
11
(MAR)
19
(TAL)
3
(TEX)
28
(PHO)
16
(HOM)
35
17位 4118
(2011年) (DAY)
6
(PHO)
19
(LVS)
3
(BRI)
24
(CAL)
10
(MAR)
4
(TEX)
13
(TAL)
30
(RCH)
29
(DAR)
23
(DOV)
32
(CLT)
12
(KAN)
17
(POC)
7
(MCH)
30
(SON)
22
(DAY)
9
(KEN)
15
(NHA)
30
(IND)
28
(POC)
32
(GLN)
7
(MCH)
25
(BRI)
19
(ATL)
15
(RCH)
15
(CHI)
14
(NHA)
9
(DOV)
22
(KAN)
23
(CLT)
14
(TAL)
23
(MAR)
22
(TEX)
18
(PHO)
15
(HOM)
31
21位 932
(2012年) (DAY)
36
(PHO)
11
(LVS)
25
(BRI)
8
(CAL)
17
(MAR)
21
(TEX)
16
(KAN)
12
(RCH)
12
(TAL)
32
(DAR)
24
(CLT)
20
(DOV)
28
(POC)
17
(MCH)
8
(SON)
34
(KEN)
14
(DAY)
28
(NHA)
25
(IND)
21
(POC)
20
(GLN)
33
(MCH)
26
(BRI)
13
(ATL)
21
(RCH)
20
(CHI)
23
(NHA)
22
(DOV)
26
(TAL)
38
(CLT)
19
(KAN)
16
(MAR)
20
(TEX)
34
(PHO)
12
(HOM)
28
22位 810
(2013年) (DAY)
39
(PHO)
12
(LVS)
19
(BRI)
30
(CAL)
38
(MAR)
26
(TEX)
20
(KAN)
27
(RCH)
4
(TAL)
25
(DAR)
8
(CLT)
18
(DOV)
2
(POC)
14
(MCH)
20
(SON)
34
(KEN)
16
(DAY)
39
(NHA)
24
(IND)
9
(POC)
28
(GLN)
5
(MCH)
11
(BRI)
3
(ATL)
7
(RCH)
16
(CHI)
32
(NHA)
19
(DOV)
23
(KAN)
18
(CLT)
12
(TAL)
41
(MAR)
13
(TEX)
20
(PHO)
6
(HOM)
18
21位 894
(2014年) チーム・ペンスキー 12 フォード (DAY) (PHO) (LVS) (BRI) (CAL) (MAR) (TEX) (DAR) (RCH) (TAL) (KAN) (CLT) (DOV) (POC) (MCH)
18
(SON) (KEN) (DAY) (NHA) (IND)
23
(POC) (GLN) (MCH) (BRI) (ATL) (RCH) (CHI) (NHA) (DOV) (KAN) (CLT) (TAL) (MAR) (TEX) (PHO) (HOM) 48位 47
デイトナ500
チーム マニュファクチャラー スタート フィニッシュ
(2007年) チップ・ガナッシ・レーシング ダッジ 36 19
(2008年) 15 32
(2009年) アーンハート・ガナッシ・レーシング シボレー 8 14
(2010年) 8 10
(2011年) 13 6
(2012年) 35 36
(2013年) 7 39

ネイションワイド・シリーズ

NASCAR ネイションワイド・シリーズ 結果
チーム No. Make 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 NNSC Pts
(2006年) チップ・ガナッシ・レーシング 42 ダッジ (DAY) (CAL) (MXC) (LVS) (ATL) (BRI) (TEX) (NSH) (PHO) (TAL) (RCH) (DAR) (CLT) (DOV) (NSH) (KEN) (MLW) (DAY) (CHI) (NHA) (MAR) (GTY) (IRP) (GLN)
14
(MCH) (BRI) (CAL) (RCH) (DOV) (KAN) (CLT) (MEM)
11
(TEX)
28
(PHO)
20
(HOM)
14
68位 438
(2007年) (DAY)
40
(CAL)
39
(MXC)
1
(LVS)
20
(ATL)
8
(BRI)
14
(NAS) (TEX)
30
(PHO)
21
(TAL)
7
(RCH)
11
(DAR)
15
(CLT)
40
(DOV)
14
(NSH) (KEN) (MLW) (NHA)
34
(DAY)
30
(CHI)
21
(GTY) (IRP) (CGV) (GLN)
33
(MCH) (BRI) (CAL) (RCH) (DOV) (KAN) (CLT) (MEM) (TEX) (PHO) (HOM) 36位 1689
(2008年) 40 (DAY) (CAL) (LVS) (ATL) (BRI) (NSH) (TEX) (PHO) (MXC) (TAL) (RCH) (DAR) (CLT) (DOV) (NSH) (KEN) (MLW) (NHA) (DAY) (CHI) (GTY) (IRP) (CGV) (GLN) (MCH) (BRI) (CAL) (RCH) (DOV) (KAN) (CLT) (MEM) (TEX)
15
(PHO) 86位 230
42 (HOM)
17

スポーツカー

ユナイテッド・スポーツカー選手権

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 順位 ポイント
2017年 チーム・ペンスキー オレカ・07 P DAY SEB LBH CTA DET WGL MOS ELK LGA PET
3
30位 30
(2018年) アキュラ・チーム・ペンスキー アキュラ・ARX-05 P DAY
10
SEB
14
LBH
5
MDO
2
DET
3
WGL
3
MOS
10
ELK
5
LGA
3
PET
13
5位 251
(2019年) DPi DAY
6
SEB
9
LBH
3
MDO
1
DET
1
WGL
3
MOS
3
ELK
2
LGA
1
PET
4
1位 302
(2020年) DPi DAY
4
DAY
4
SEB
6
ELK
8
ATL
6
MDO
7
PET
3
LGA
2
SEB
2
6位 247
2021年 (メイヤー・シャンク・レーシング)
(カーブ・アガジャニアン)
DPi DAY
4
SEB
3
MDO DET WGL MOS ELK LGA LBH PET
6
14位 912

FIA 世界耐久選手権

チーム 車両 クラス 1 2 3 4 5 6 順位 ポイント
2021年 (ドラゴンスピード USA) オレカ・07 LMP2 SPA
7
POR
8
MNZ
6
LMN
10
BHR
11
BHR
10
11位 42.5

((key))

デイトナ24時間レース

デイトナ24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
(2007年)   テルメックス・チップ・ガナッシ・レーシング
  (フェリックス・サバテス)
  スコット・プルーエット
  (サルバドール・デュラン)
ライリー・Mk. XI-レクサス DP 668 1位 1位
2008年   テルメックス・チップ・ガナッシ・レーシング   スコット・プルーエット
  メモ・ロハス
  ダリオ・フランキッティ
DP 695 1位 1位
2009年   チップ・ガナッシ・レーシング
  (フェリックス・サバテス)
  スコット・プルーエット
  メモ・ロハス
DP 735 2位 2位
2010年   スコット・ディクソン
  ダリオ・フランキッティ
  ジェイミー・マクマレー
ライリー・Mk. XX-BMW DP 249 DNF DNF
2011年   スコット・ディクソン
  ダリオ・フランキッティ
  ジェイミー・マクマレー
DP 721 2位 2位
(2012年)   スコット・ディクソン
  ダリオ・フランキッティ
  ジェイミー・マクマレー
ライリー・Mk. XXVI-BMW DP 760 4位 4位
(2013年)   チャーリー・キンボール
  スコット・プルーエット
  メモ・ロハス
DP 709 1位 1位
(2018年)   アキュラ・チーム・ペンスキー   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
アキュラ・ARX-05 P 793 10位 10位
(2019年)   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
DPi 576 8位 6位
(2020年)   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
DPi 828 4位 4位
(2021年)   (メイヤー・シャンク・レーシング)
  (カーブ・アガジャニアン)
  デイン・キャメロン
  オリヴィエ・プラ
  A.J.アルメンディンガー
DPi 807 4位 4位

ル・マン24時間レース

ル・マン24時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
(2018年)   ユナイテッド・オートスポーツ   (ウーゴ・ドゥ・サデレール)
  (ウィル・オーウェン)
リジェ・JS P217-ギブソン LMP2 365 7位 3位
(2020年)   (ドラゴンスピード)   (ティモシェ・ビュレ)
  メモ・ロハス
オレカ・07-ギブソン LMP2 192 DNF DNF
(2021年)   (ヘンリック・ヘドマン)
  (ベン・ハンリー)
LMP2 356 15位 10位

セブリング12時間レース

セブリング12時間レース 結果
チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
(2018年)   アキュラ・チーム・ペンスキー   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
アキュラ・ARX-05 P 203 DNF DNF
(2019年)   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
DPi 339 9位 9位
(2020年)   デイン・キャメロン
  サイモン・パジェノ
DPi 348 2位 2位
(2021年)   (メイヤー・シャンク・レーシング)
  (カーブ・アガジャニアン)
  デイン・キャメロン
  オリヴィエ・プラ
DPi 349 3位 3位
(2022年)   (ドラゴンスピード・10スター)   (ヘンリック・ヘドマン)
  (セバスチャン・モントーヤ)
オレカ・07-ギブソン DPi 83 DNF DNF

逸話

  • 1999年はCARTにデビューし、驚異的な速さを見せつけるものの荒削りな走行も目立った。ツインリンクもてぎラウンドでは、練習走行にもかかわらずCART界の顔であるマイケル・アンドレッティに無意味な幅寄せ・追い抜きを仕掛けた挙句に衝突し、両者ともウォールに激突した。2人とも怪我はなかったがマシンは大破。当然の事ながらマイケルは激怒し、チームオーナーがモントーヤのガレージに怒鳴り込んで乱闘騒ぎになった。一方のモントーヤ本人は涼しい顔でニヤニヤしながらインタビューに応じていた。
  • ジャック・ヴィルヌーヴとは1998年の初対面の時から仲が悪かった。20年後のインタビュー取材ではモントーヤも「あれ(ジャックとの不仲)はちょっとした若気の至り」だったと認めているが、2001年の(カナダGP)の決勝朝のドライバーミーティングで、金曜プラクティス走行でのモントーヤのドライビング(ブレーキテスト)を巡って両者が口論となり、モントーヤが「お前はオーストラリアでマーシャルを殺したな!」と暴言を吐いたため、ビルヌーブが掴みかかった(注:2001年オーストラリアGPでジャックが当時モントーヤのチームメイトだったラルフ・シューマッハに追突し、マシンが宙を舞う大クラッシュをした際、コースマーシャルのグラハム氏が巻き添えとなり死去した)。ドライバー同士の口論は珍しくはないものの、この発言内容はチームオーナーのフランク・ウィリアムズも問題視し「また同じ事を言ったらクビにするぞ」と厳しく叱責した。ちなみに、原因となった金曜日のフリー走行での出来事は、モントーヤがブレーキテスト(故意に速度を落として挑発する行為)を行い、ビルヌーブも敢えて避ける動作をせずに突っ込んだもので、FIAは両者に非があったとし「レース中に接触を起こしたら両者とも出場停止処分にする」と警告した。その後の関係は改善しており、2019年のドイツGPでは、パドックでヴィルヌーヴと談笑している様子をメディアに捉えられている[1]。モントーヤ曰く「2007年のNASCARで久しぶりに会って話す機会があって、それからはよく話をしている」という[1]
  • 2002年ベルギーGPの予選、ホットラップ中にバスストップ・シケインのブレーキングでキミ・ライコネンにラインを塞がれてしまう。その直後、チームラジオで「fuck Raikkonen, what a fuckin' idiot!」と罵った。
  • 2004年サンマリノGPのオープニングラップでミハエル・シューマッハフェラーリ)に押し出されたモントーヤはレース後のウィニングランでシューマッハの車に近づき、ファックサイン。レース後の記者会見でもシューマッハが「外側から誰かが来ているとは知らなかったし見えていなかった」と発言したのを聞いて、「俺は確かにお前の前でブレーキを踏んだ。あれが見えないのはバカか盲目だ!」と怒鳴りつけた。
  • チーム関係者の送別会でのこと。皆でメッセージカードに寄せ書きを書いていたところ、モントーヤがやってきてそこに「fuck off!」(出て行け)と書いた。
  • ウィリアムズでのチームメイト、ラルフ・シューマッハとの険悪な関係が知られている。その緊張した関係がピークに達した2005年のモナコGP練習走行中に、後ろを走るラルフに「ブレーキテスト」を仕掛け、それが発端となり4台が絡む接触事故を起こしたとされモントーヤに決勝グリッド降格処分が下された。ただし、2人とも移籍でウィリアムズを離れた後では話をして笑い転げたりする仲にもなった。
  • 2005年にレース外で負った肩甲骨の骨折を、ウィリアムズの公式リリースでは「体力トレーニングのテニス練習中、ボールに乗って足を滑らせたため」と発表したが、本当は「オートバイで遊んでいて転倒」だったという説も流れた。
  • 息子のセバスチャン・モントーヤもレーシングカートの道に進み、2017年からはヨーロッパでカートを戦っている。2019年現在は(トニーカート)のワークスドライバーとして、フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)のサポートを受けた[1]

F1での記録に関して

  • レース結果で見ると、相性の良いサーキットはイギリスGP。6年全て完走しており、1位〜6位までの順位が1回ずつという珍しい記録を残している。一方、カナダGPは相性が悪く、2003年の3位表彰台以外は2年連続の失格を含めて全てリタイアである。母国に近いアメリカGPの完走率も40%(2005年は含めず)と低く表彰台も無いため、レース結果としての相性は良くない。

ドライビングテクニック

F1では不遇であったが、CART時代は特に1999年のルーキーイヤーはロード、ストリート、オーバル共に抜群のドライビングテクニックを持っていた。2006年から参戦しているNASCARでも、同僚のジェフ・ゴードンなどのドライバーからドライビングテクニックは高く評価されている。福山英朗はモントーヤが参戦して間もない頃のの解説で、F1などよりNASCARやCARTの方があっていると評しており、単純なサラリーもさることながら様々な収入でF1より多くなるとも述べている。オーバルでは2000年に初参戦したインディ500で、他を寄せ付けない圧倒的な速さで優勝し、2009年の春のタラテガでポールポジションをとるなどしている。これを見てもモントーヤのあらゆるコースの順応性の高さを示す物である。

2001年にF1に移籍したその年のインディアナポリスモータースピードウェイで行われたアメリカGPにおいて、解説の鈴木亜久里は「モントーヤはバンクの使い方が上手いね」とコメントをしていた。モントーヤはそれまでCARTで同コースやミシガン等のオーバルコースで優勝していることもあり、この日のレースでも巧みなバンクのコース取りからこの年の王者であるミハエルを豪快に抜き去っている。

2007年より参戦しているNASCARでも2トン近くあり、ハイテクを一切禁止された操縦しにくいストックカーを器用に運転できるテクニックも持ち合わせており、事実NASCAR・ネクステルカップシリーズでの初勝利は『32番グリッドから優勝』し、インフィニオン・レースウェイでの最も後方からのスタートでの優勝、加えて燃料補給のタイミングからガス欠不安を抱えていた状態からの優勝であった。

カーナンバー

CART
  • 4(1999年)
  • 1(2000年)
IRL/IndyCar
  • 9(2000年)
  • 2(2014年~2016年)
  • 22 (2017年第5〜6戦)
F1
  • 6(2001年.2002年)
  • 3(2003年.2004年)
  • 10(2005年第1, 2, 5~16戦)
  • 4(2006年第1~10戦)
NASCAR
  • 42(2007年~2013年)

脚注

  1. ^ a b c 【あなたは何しに?】ヨーロッパに足を運んだモントーヤ。犬猿の仲から一転、あのドライバーと談笑 - オートスポーツ・2019年8月15日

外部リンク

  • ファン・パブロ・モントーヤ公式ウェブサイト
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。