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メルセデスAMG F1

メルセデスベンツ・グランプリ・リミテッド(Mercedes-Benz Grand Prix Limited)は、モータースポーツ世界選手権「フォーミュラ1」で活動しているドイツのコンストラクター。チーム名称は「メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラワン・チーム」(2022年時点)。旧名「メルセデスGP」。母体は自動車メーカーのメルセデス・ベンツ

メルセデス
Mercedes
エントリー名 メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラワン・チーム
チーム国籍 ドイツ
チーム本拠地 イギリス
イングランド
チーム代表者 トト・ヴォルフ
(ヘッドオブモータースポーツ)
ハイウェル・トーマス
(マネージングディレクター)
マイク・エリオット
(CTO)
テクニカルディレクター ジェイムズ・アリソン
2023年のF1世界選手権
ドライバー 63. ジョージ・ラッセル
44. ルイス・ハミルトン
テストドライバー ミック・シューマッハ
シャーシ メルセデス・F1 W14 E Performance
エンジン メルセデス M14 E Performance
タイヤ ピレリ
F1世界選手権におけるチーム履歴
参戦年度 1954-1955
2010-
出走回数 271
コンストラクターズ
タイトル
8(2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021
ドライバーズ
タイトル
9(1954, 1955, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019,2020
優勝回数 125
通算獲得ポイント 6813.5 (6942.64)[1]
表彰台(3位以内)回数 281
ポールポジション 136
ファステストラップ 100
F1デビュー戦 1954年フランスGP
初勝利 1954年フランスGP
2022年順位 3位(515ポイント)
(記録は2022年最終戦アブダビGP終了時)
(テンプレートを表示)

(※本項では、ダイムラーのブランドであるメルセデス・ベンツ(以下メルセデス。ダイムラーについて言及するときも同様)によるレーシングコンストラクターについて説明する。近年のチーム名称は、その年々のタイトルスポンサーを冠するのが標準となっている。各SNSなどでは「Mercedes-AMG F1」という呼称を公式に使っており、本項タイトルもそれに準ずる)

歴史

メルセデスは1930年代にグランプリレースに参戦し、1954年から2シーズンに渡ってF1世界選手権に参戦した。メルセデスは2009年11月16日にリリースを出してロス・ブラウンが所有するブラウンGPを買収してメルセデスGPとすることを発表し、株式をメルセデスが45.1%、アブダビ企業のアーバー・インベストメンツが30%取得したことを明らかにした[2]。メルセデスのグランプリへの復活は1955年以来54年ぶりである。本項ではメルセデスベンツのすべてのレース参戦記録について述べる。

メルセデスAMG(GP)以前のメルセデスのグランプリでの活動はいくつかの時代に分けられる。最初の活動は1935年から1939年までの活動である。次が1954年と1955年のF1参戦。そして1993年以降の2009年に至るまでのエンジンサプライヤーとしての活動である。

1930年代

メルセデス・ベンツの車両は第二次世界大戦前からモータースポーツに盛んに登場していた。

1935年から1939年の第二次世界大戦勃発まで、メルセデス・ベンツとアウトウニオンのドイツ勢は、ヨーロッパのモータースポーツ界を完全に席巻し、F1世界選手権の前身である[3]AIACRヨーロッパ選手権のタイトルをメルセデスとアウトウニオンが独占した。

メルセデス・ベンツチームはレース監督アルフレート・ノイバウアー((サインボード)の発明者である)により、まさに軍隊的規律の元でレースに臨み、結果を出し続けた。

戦前のグランプリ・レース用主要マシンはW25(1934年 - 1936年)、W125(1937年)、W154(1938年・1939年)、W165(1939年)で、いずれもフロントエンジンながら、時代の最先端を行く性能を有していた。当時の主要ドライバーは、ルドルフ・カラツィオラ(1935年、1937年、1938年ヨーロッパチャンピオン)、マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ(Manfred von Brauchitsch)、ヘルマン・ラング(Hermann Lang)(1939年ヨーロッパチャンピオン)、ディック・シーマン(Dick Seaman)。シーマンのみ、英国出身で、他は皆ドイツ人である。

1937年に登場したマシンW125に到っては600馬力を超えるエンジンを持ち、最高速度は現代のF1と遜色ない340km/h以上に達し、そのためW125はターボ・マシン登場以前の1970年代後半になるまで史上最強・最速のレーシング・カーであるとの伝説を保ち続けていた。

同年のアーヴス・レンネン(アーヴスレース;フリー・フォーミュラ=制限なしで行われた)では、ヘルマン・ラングが特製された流線型ボディのW25に乗り、260.7km/hという現代でも驚かされるような平均速度で優勝しているが、クローズド・サーキットの記録としてはその後20年以上及ぶものはなく、オーバルを使用するインディ500において優勝者の平均速度がこの記録を上回るのは1972年のマーク・ダナヒュー(マクラーレン・オッフィー)の平均261.08km/hを待たねばならないほどである。メルセデスとアウトウニオンは、同年のアーヴス・レンネンの直線では、実に380km/hを出していたと言われている。

1939年のトリポリグランプリ(イタリア領リビアのメラハサーキットで開催。メラハサーキットは一周13kmの高速コースで、当時『モータースポーツのアスコット』と呼ばれていた)は、レース開催の8か月前になって、強すぎるドイツ勢を締め出すべく、当時の国際フォーミュラである3リッター・マシンではなく、イタリア国内ルールである1.5リッター・マシンで実施されることとなった。イタリア側としては短期間での新型メルセデス、新型アウトウニオンの製造は不可能と考えたためであるが、メルセデス・ベンツチームはその当時の3リッター・マシン、W154のミニチュアともいうべきW165を短期間で完成させ、同グランプリにおいてもメルセデス以外の全車を周回遅れとして1-2フィニッシュ(ラング、カラツィオラ)を飾ることとなる。ラングの平均速度は197.8km/hを記録している。なお、W165の実戦はこの年のトリポリグランプリのみであった。

また、ルドルフ・カラツィオラはモータースポーツのみならず、速度記録にも挑戦し、メルセデス・ベンツのレーシングカーを改造したレコードブレーカーに乗り、数々の速度記録を打ち立てている。1938年には、フランクフルト:ダルムシュタット間のアウトバーンにおいて、フライング・キロメーターで432.7km/hを記録している。

1935年から再開されたヨーロッパ・ドライバーズ選手権において、メルセデスのシルバー・アローとアウトウニオンのシルバー・フィッシュは激しく争った。この選手権は1939年8月20日スイスグランプリまで続いたが翌月の第二次世界大戦の勃発によって消え去った。

シルバー・アローという呼称

1934年にニュルブルクリンクで開催されたアイフェルレンネンで、新型のメルセデスW25が750kgの規定重量を1kgオーバーしてしまい、軽量化するために当時のドイツのナショナルカラーであった白の塗装を一晩をかけて剥がしアルミむき出しのボディーで出場したという逸話がある。この出来事がシルバー・アローという呼称のはじまりであるする説はメルセデス・ベンツが日本公式ウェブサイトで紹介しているほど一般的になっている。[4] この逸話はノイバウアーが自伝を出版した1958年に初めて世に出たもので、このエピソードを裏付ける当時の他の資料は見つかっていない。一方で、1932年には既にフォン・ブラウヒッシュが銀色のメルセデスSSKLでアヴスのレースに出走しており、当時のラジオ放送でその車両がシルバー・アローと呼ばれていた。加えてアイフェルレンネンより以前に開催された1934年のアーヴス・レンネンにメルセデスとアウトウニオンはともに銀色のレースカーを出走させており、また1934年のアイフェルレンネンは出走台数を確保するため1934年導入の新フォーミュラ(最大重量750kg)ではなく以前のフォーミュラ・リブレ(最大重量規定無し)のレギュレーションで開催されたため、1934年のフォーミュラに合わせて設計されたW25の重量が問題になるはずは無かった[5]

1954年・1955年

第二次世界大戦によってメルセデスは大打撃を受けた。生産施設は破壊され、加えて戦前・戦中にナチスに協力したと見られてその補償も義務付けられた。メルセデスにとってグランプリへの復帰は悲願であったが、当分のレース活動は市販のメルセデス・ベンツ・300SLを用いたル・マン24時間レースなどに限定された。

1954年に満を持して再びノイバウアーを監督としてメルセデスはF1世界選手権への参戦を決定した。ドライバーには1951年チャンピオンのファン・マヌエル・ファンジオを迎えた。マシンはメルセデス・ベンツ・W196という革新的なクルマであった。このクルマが7月にランス・グーに現れたとき、それはオープンホイールですらなかった。このマシンでファンジオはポールトゥーウィンを飾り戦前のメルセデスの強さは健在であることを見せ付けた。ただしこのマシンはサーキットによってはボディーが大きすぎることがわかったので、オープン・ホイールのタイプも作られた。

ファンジオやスターリング・モスの活躍により出走した12レースで9勝(詳細は以下に記載する)を挙げた。両年ともにファンジオがワールドチャンピオンを獲得した。

しかし、1955年のル・マン24時間レースピエール・ルヴェーの運転するメルセデス300SLRがクラッシュし、分解したマシンのエンジンとサスペンションが200km/hを超える速度のまま観客席に飛び込み、200名以上の観客を死傷させる大惨事となった。死者に哀悼の意を表し、メルセデスは事故の数時間後に自チームの全車両を自主リタイアさせ、レースから撤退した。[6][7]この事故を受け、スイスではサーキットを使用するモータースポーツ自体が禁止される事態となった[6]。また、メルセデスは1955年末で全てのモータースポーツ活動から撤退し、その後1980年代になるまでレース活動に復帰することはなかった[6]

シャーシ エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 ポイント ランキング
1954 W196 メルセデス M196
2.5L L8
C ARG (500) BEL FRA GBR GER SUI ITA ESP -* -*
  ファン・マヌエル・ファンジオ 1 4 1 1 1 3
  カール・クリンク 2 7 4 Ret Ret 5
  ハンス・ヘルマン Ret Ret 3 4 Ret
  (ヘルマン・ランゲ) Ret
1955 W196 メルセデス M196
2.5L L8
C ARG MON (500) BEL NED GBR ITA -* -*
  ファン・マヌエル・ファンジオ 1 Ret 1 1 2 1
  カール・クリンク 4 Ret Ret 3 Ret
  ハンス・ヘルマン 4 PO
  スターリング・モス 4 9 2 2 1 Ret
  (アンドレ・シモン) Ret
  ピエロ・タルッフィ 4 2
  • 太字ポールポジション斜字ファステストラップ。((key))
  • † - この3人は1台のマシンを3人でドライブした。当時長時間にわたるレースではしばしばこういうケースが存在した。
  • * - コンストラクターズタイトルは1958年から設定された。このためコンストラクターとしてのポイントやランキングは存在しない。

モータースポーツへの復帰

1980年代に入ってようやくメルセデスはモータースポーツへの復帰を表明し、スポーツカーレースへの参加を始めた。ザウバーと共同でWSPC(世界プロトタイプカー選手権)に出場するなど、徐々にモータースポーツとの関係を取り戻し始めた。1989年のドイツF3選手権でのランキング上位3名であるミハエル・シューマッハハインツ=ハラルド・フレンツェンカール・ヴェンドリンガーの3人の若手ドイツ系ドライバー[8]の育成プログラムを開始し、本格的なレースへの復帰を模索し始めた。ル・マン24時間レースに復帰し、1989年に総合優勝を遂げるが、1999年の予選、フリー走行、決勝レースでメルセデス・ベンツ・CLRが宙を飛ぶ事故を三度も起こし、犠牲者は出なかったが、やはりこのときも直後に全車をリタイアさせている。その後のル・マンには参戦していない(復帰初年度の1985年ザウバー・C8がミュルサンヌで宙を舞うアクシデントを起こしている。)。

1993年-2009年 F1エンジンサプライヤー

1990年代序盤にはフォーミュラカー用エンジンビルダーであるイルモアに資本参加し、インディカーおよびF1へ復帰。1993年にイルモアエンジンをConcept by Mercedes-Benzとしてこの年から同じくF1へ参加したスポーツカーレースでのパートナー、ザウバーに提供した。翌1994年から正式にF1への復帰を宣言し、ザウバーにメルセデス・ベンツのバッジを付けたエンジンを供給した。この間、1991年からF1に参戦し、翌1992年にF1初勝利を挙げていたシューマッハは1994年にドイツ人初のドライバーズタイトルを獲得。また、1993年からヴェンドリンガー、1994年からフレンツェンが共にザウバーのシートを得て、ここにドライバー育成プログラムは一定の結果を生み出す事になった。

1995年からはザウバーからマクラーレンに供給先を変えた。マクラーレンは1997年からスポンサーをマールボロからウエストに変更し、同社のタバコパッケージをもじってマシンのカラーリングをシルバーに変更した。以降メルセデスエンジンを搭載したマクラーレンが「シルバー・アロー」と呼ばれることになった。1998年にはミカ・ハッキネンがドライバーズタイトルを獲得し、コンストラクターのタイトルも獲得した。1999年にはコンストラクターのタイトルは逃したものの、ハッキネンは選手権2連覇を果たした。2008年にはルイス・ハミルトンがドライバーズタイトルを獲得した。

2009年にはフォース・インディアブラウンGPにも供給した。ブラウンGPに所属するジェンソン・バトンがドライバーズタイトルを獲得し、同チームもコンストラクターズタイトルを獲得した。

マクラーレン・グループの株式をダイムラーが40%を取得していたことから、マクラーレンを完全買収してメルセデス・ベンツ単独でのF1参加を画策しているという噂は根強かったが、2009年11月16日にブラウンGPの株式をアブダビ政府系の投資会社(アーバーインベストメント)と共に75.1%をダイムラーが取得し2010年のF1世界選手権からメルセデスGPとして参戦するとしている。また同時に2011年までにマクラーレン・グループ株式を全てマクラーレン・グループに売却をしエンジン供給については2015年まで延長する発表を行った[9]が、マクラーレンは1年早い2014年をもって20年に渡るメルセデスとの協力関係を終了した。

メルセデスAMG(GP)

2009年11月16日ダイムラーブラウンGPの株式の75.1%をアブダビ政府系の投資会社(アーバーインベストメント)と共に取得した[10]。ブラウンGPは「メルセデスGP」と改称され、2010年からF1に参戦することとなった[11]。タイトルスポンサーには2009年までBMWザウバーのスポンサーであったペトロナスが就任した[12]。 チーム代表としてロス・ブラウンが続投する。ニック・フライCEOとしてチームに留まるが、こちらは取締役から退任し、実質オブザーバーへ転向している。なお、前身のブラウンGPはティレルの系譜にあるチームであり、1950年代のメルセデス・チームとの連続性はないが、コンストラクターの記録としてはこの2年の記録を含めているため、「55年ぶりの参戦復活」という扱いとなる。

ドライバー面では、2009年11月23日にニコ・ロズベルグの起用が発表されたが[13]、もう一人のレースドライバーについては発表されなかった[14]。この発表前後から、2010年のレースドライバーに2006年いっぱいで引退したミハエル・シューマッハが復帰するとの噂が流れた[14]

12月23日、メルセデスGPがミハエル・シューマッハをレースドライバーとして起用することが正式発表された[15]。シューマッハにとっては2006年最終戦ブラジルGP以来のF1参戦となる。長年所属したフェラーリを離脱して他チームに移籍したことを受け、一部のフェラーリファンはシューマッハを「裏切り者」と呼んだが[16]、一方で彼はメルセデスの若手育成プロジェクト出身のドライバーであり、メルセデスのモータースポーツ責任者ノルベルト・ハウグは「19年前の研修生が帰ってくる」とコメントした[17]

シューマッハとチーム代表ロス・ブラウンとのコンビは2000年代のフェラーリを彷彿とさせ、世界中の期待を集めた。当時のF1最高経営責任者バーニー・エクレストンは、シューマッハが復帰後すぐにドライバーズタイトルを争うと主張した[18]

2010年 - 2013年

2010年
 
2010年マレーシアGPニコ・ロズベルグが1955年以来の表彰台を獲得

前年のダブルタイトルチームを買収して生まれただけに、シーズン開始前から優勝候補と目された。事実、ロズベルグが開幕戦バーレーンGPから予選と決勝で5位に入り、第3戦マレーシアGP、第4戦中国GPで連続3位表彰台を得た。だが、W01は昨年のような優位性や速さを見せることもなく、常にレッドブルマクラーレン、フェラーリのいわゆる「3強」を脅かす存在とは言えず、むしろ後塵を拝す展開が続き、逆にランキング上では下位に当たる中段チームのルノーウィリアムズフォース・インディアザウバーらに先行される展開も目立った。

また、シューマッハは開幕4戦の予選、決勝でチームメイトの後塵を拝し、「復帰は誤りであった」との意見がメディアや論客から飛び出す始末となった。シューマッハのペース不足の原因としてマシンMGP W01アンダーステア傾向[19][信頼性要検証]シャシー自体の損傷[20][信頼性要検証]があるとされる。実際、シューマッハはオーバーステアを好むタイプであり[21]、チームが第4戦終了後のアップデートに際し、ホイールベースを延長した結果(アンダーステアを軽減した結果)、一時的にシューマッハのペースは向上し、反対にロズベルグの成績は落ちている。

しかし、ロズベルグがシューマッハを従える展開は変わらず、シューマッハは予選・決勝ともにほぼ4戦に1戦しかチームメイトを上回れなかった。また、最終的にロズベルグはシューマッハの約2倍のポイントを獲得し、3位表彰台を3回記録し個人では気を吐いたが、シューマッハは表彰台にも上がることもなく、チームとしても下位チームより速いチームという位置づけにとどまってしまい、開幕前の人々の予想がことごとく裏切られる結果となった。 なおテストドライバー兼リザーブドライバーとしてニック・ハイドフェルドが起用されていたが、彼は2011年からF1のタイヤサプライヤーとなるピレリのテストドライバーに指名され、これに専念するため、8月にチームを離れた[22][信頼性要検証]。以後、シーズン終了までこの役職は空席のままだった。 また、エンジン供給関連で言えば、前述の通り、マクラーレンへの供給はワークス待遇からカスタマー契約へ変更されている。

2011年

コンストラクターズ部門の成績に限れば4位を記録したものの、表彰台回数はゼロであり、上位3チームとの差は前年よりも広がった。個人成績もほぼ横ばいとなり、シューマッハは前年はシーズンを通してロズベルグの後塵を拝していたが、今シーズンはランキングでは負けたものの、ロズベルグとの差を縮めることができた。ただ、ロズベルグは獲得ポイントを減らしており、シューマッハ側の成績もポイントを大幅に増やしたわけではなく、相対的に差が縮まった面もあった。

2012年

この年よりチーム名をメルセデスGPから「メルセデスAMG・ペトロナス・F1チーム」に変更した[23][信頼性要検証]

 
非常勤会長に就いたニキ・ラウダ

革新的なWダクトを搭載したF1 W03はシーズン前のテストから好調さが噂され、実際に開幕戦と第2戦ではシューマッハがそれぞれ予選4番手と3番手につけた。シューマッハが予選TOP3に入るのは2006年日本GP以来となる。しかし決勝になるとレースペースの悪さが露呈して、ポイント獲得がやっとという状況になってしまった。チームは燃料の重い状態でのペースの悪さとタイヤマネージメントに問題があると認めている[24]。しかし第3戦中国GPでは予選でロズベルグが自身、チーム共に初となるポール・ポジションを獲得。決勝でも独走態勢を築き、危なげなくポール・トゥ・ウィンを達成し、同じく自身とチーム共に初優勝を果たした。ワークスチームとしてのメルセデスがF1で勝利を挙げるのは実に57年ぶり、1955年のイタリアGPでのファンジオの優勝以来であった。復帰後精彩を欠いていたシューマッハも第6戦モナコGP予選で復帰後自身初の予選トップタイム(ポール・ポジション)を記録(前戦でのペナルティの影響で決勝レースは6番手スタートとなった)。第8戦ヨーロッパGPでは混乱したレースを攻略し、復帰後自身初の3位表彰台を獲得するなど、光る走りを見せた。その一方で第15戦日本GPでシューマッハが二度目の引退を発表。メルセデスチームでは彼は未勝利に終わった。9月に3度のワールドチャンピオンであるニキ・ラウダが非常勤会長に就任した。

2013年

シューマッハの後釜に、2008年の年間王者でマクラーレンの生え抜きであったルイス・ハミルトンが移籍。ロズベルグがモナコイギリスで優勝し、ハミルトンもハンガリーで優勝した。このシーズンはレッドブルセバスチャン・ベッテルの記録的な圧勝劇であったものの、コンストラクターズランキングにおいてフェラーリと激しい2位争いを展開したメルセデスは僅差で2位となり、2010年以降で最高の成績を収めた。ドライバーズランキングではハミルトンが4位、ロズベルグが自己最高の6位に入った。シーズン終了直後、ブラウンがチームを離れることを発表した[25][信頼性要検証]

2014年 - 2019年

2014年
 
初タイトルをもたらしたマシン・W05 Hybrid

ドライバーはそのまま続投。また、今年度からウィリアムズへのカスタマー供給の契約を結んだため、エンジン供給という点では4チーム分の供給体制となる。

パワーユニット(以下PUと省略)(ターボエンジン復活)導入など、全参戦チーム中、PUおよびシャシーのレギュレーションの大幅改訂に最も上手く対応し、19戦中優勝16回、うちワンツーフィニッシュ11回と、前年までのレッドブル勢の勢いをそのまま奪ったかのごとくシーズンを通じて圧倒的な信頼性とパフォーマンスを発揮。全レースでどちらかのドライバーかが必ず表彰台に上っており、第16戦ロシアGPでコンストラクターズタイトルを獲得した。ハミルトンとロズベルグでドライバーズタイトルを最後まで争ったが、最終戦のアブダビGPではF1では唯一のダブルポイントレースとして、ハミルトンが6年振りにドライバーズタイトルを獲得した。ちなみにポールポジションは19戦中18回と予選での圧倒的な速さを見せ、この年メルセデスがポールポジションを逃したのはオーストリアGPの1回のみだが、その時のドライバーがウィリアムズのフェリペ・マッサであり、ウィリアムズは今年度からメルセデスPUの供給契約を結んでいたため、結果的に全戦メルセデスPUが獲得することとなった。

その一方で、かつてのカート時代の仲間で友情もあったとされるロズベルグとハミルトンだったが、(前年のマレーシアGPの一件)のように同じチームになってからは気まずさが目立ち、2013年はどちらかが譲る形で矛を収めていた。だが、今季は序盤から火種が燻る形となり、お互い勝利を渇望するレース展開が目立った。そして、第6戦モナコGP一件[26]を通じてそれがついに爆発。以降両者は公の場でも緊張関係があることを隠すことはなく、チームはドライバー管理に苦心することとなった[27]

2015年

ドライバーはそのまま続投。PUの供給先は前述の通り、2014年を以てマクラーレンはメルセデスとの契約を終了したものの、ロータスF1チームへの供給を行ったため、自チームを含め、4チームの供給という体制は継続している。

2014年と相変わらずの強さを見せるが中盤戦でややつまずく。イギリスGPではスタートで出遅れセカンドローにいたウィリアムズ2台に先行を許したり(最終的には逆転して1-2フィニッシュ)、ハンガリーGPでは、イギリスGPと同じようなスタートの出遅れでフェラーリ勢の先行を許すとその後も終始精彩を欠き、V6ターボエンジンになってはじめて2人とも表彰台に上がることができなかった。またシンガポールGPでは予選から精彩を欠き5位,6位、決勝でも終始フェラーリ,レッドブル勢の後塵を拝し、ハミルトンがマシントラブルでシーズン初リタイア。ロズベルグも4位が精一杯であった。それでもこれらを除いたレースは2人とも安定した成績、完走率を誇っており第15戦ロシアGPでコンストラクターズチャンピオンを早々に決定。続くアメリカGPでハミルトンがドライバーズタイトルを決定させた。ロズベルグも終盤に3連勝を達成するなど強さを見せた。

結果的には19戦中16勝、うち12回がワンツーフィニッシュで、ワンツーフィニッシュの回数は前年を上回る結果となった。予選の圧倒的な速さは相変わらずで、この年もメルセデスがポールポジションを逃したのはフェラーリのセバスチャン・ベッテルにポールポジションを許したシンガポールGPの1回のみであった。

2016年

ドライバーはそのまま続投。PUの供給先の変化があり、ロータスF1チームを買収してルノーがワークス参戦することに伴い、同チームへの供給は終了したものの、マノー・レーシングへの供給を行ったため、結果的に4チームの供給という体制は継続している。

ロズベルグが開幕4連勝を飾る一方、ハミルトンは2戦連続で予選で問題が発生し下位スタートになったり、決勝ではリタイアするまでではないものの(ロズベルグにも)パワーユニットに問題が発生するなど信頼性に悩まされることが増えた。ロシアGPの後には陰謀説まで浮上し、チームが公式サイトで陰謀説を否定する事態にまで陥っている[28][信頼性要検証]。第5戦スペインGPではハミルトンがポールポジションを獲得したが、決勝ではオープニングラップでメルセデス同士で同士討ちを喫し、2011年オーストラリアGP以来のダブルリタイアを喫した。さらにカナダGPのオープニングラップで2人がかすかに接触しロズベルグが順位を落としたり、オーストリアGPでは首位を争っていた2人がファイナルラップに接触しハミルトンが優勝したもののロズベルグは4位に終わった。最悪の場合、ダブルリタイアも考えられた事態だったこともありレース後にはチーム代表のトト・ヴォルフが「チームオーダーを発動させる可能性がある」と警告する事態に発展。ハミルトンはイギリスGPハンガリーGPでも勝ち3連勝し、ドライバーズポイントでロズベルグを抜きトップに立った。

後半戦からはロズベルグが勢いを取り戻し、第13戦ベルギーGPから第15戦シンガポールGPまで3連勝でハミルトンを再逆転、第16戦マレーシアGPではトップを独走していたハミルトンがエンジンブローでリタイアし(ロズベルグは3位)、両者の差がさらに広がった。第17戦日本GPでロズベルグが優勝し、3年連続のコンストラクターズチャンピオンが決定した。アメリカGPからアブダビGPでハミルトンが4連勝したが、この4レースで全てハミルトンに続く2位となったロズベルグが最終的に5ポイント差で逃げ切り、初のドライバーズチャンピオンを獲得した。

ハンガリーGPを前にロズベルグは2018年まで契約を延長していたが[29]、チャンピオンを決めた5日後の12月2日に突如引退を発表[30][信頼性要検証]。3シーズンに渡るチームメイト同士の戦いに終止符が打たれた。

この年はレッドブルの復調もありワン・ツー・フィニッシュは8回に減ったが、21戦中19勝と年間最多優勝記録を更新し、総獲得ポイントで最多記録を樹立。ポールポジションを逃したのはモナコGPダニエル・リカルド)の1回のみとメルセデスの優勢は変わらなかった。

2017年
 
新加入ボッタスの駆るW08

この年からチーム名称を「メルセデスAMG・ペトロナス・モータースポーツ」に変更。ハミルトンが残留した一方、引退したロズベルグに代わるドライバーは既に殆どのシートが決まっていたため難航したが、2016年までウィリアムズで参戦し、チーム代表のヴォルフがマネージメントを行っているバルテリ・ボッタスを迎えることとなった[31][信頼性要検証]。1月10日、エグゼクティブディレクターのパディ・ロウがチームを離脱した[32][信頼性要検証]。前年7月にフェラーリを離脱したジェイムズ・アリソンがテクニカルディレクターとして3月1日に加入[33][信頼性要検証]。PUの供給先の変化があり、マノー・レーシングが2016年を以て消滅したため、同チームへの供給がなくなり、今年度から3チーム分の供給という体制となった。

エースのハミルトンは、開幕戦オーストラリアGPでフェラーリのベッテルに逆転され優勝を逃したが、第2戦中国GPグランドスラム[34]を達成した。第3戦バーレーンGPではボッタスが初のポールポジションを獲得したが、再びベッテルに逆転勝利を許した。第4戦ロシアGPは予選でフェラーリ勢にフロントロー独占を許したが、決勝ではボッタスが逆転して初勝利を飾った。第7戦カナダGPでハミルトンがシーズン2度目のグランドスラムを達成し、シーズン初のワン・ツー・フィニッシュとなった。これ以降は安定して勝利を積み重ねていき、秋以降はフェラーリのマシントラブルなどによる失速にも助けられ、第17戦アメリカGPでコンストラクターズタイトル4連覇、第18戦メキシコGPでハミルトンが2年ぶりのドライバーズチャンピオンを獲得した。最終戦アブダビGPでボッタスがポール・トゥ・ウィンを達成したがベッテルのポイントに届かず、4年連続ドライバーズランキング1-2独占とはならなかった。

この年は20戦中優勝12回、ポールポジション15回、ワン・ツー・フィニッシュ4回といずれも前年を下回ったが、ハミルトンは全戦入賞、ボッタスもリタイア1回のみという高い信頼性を誇った。

2018年

ドライバーはハミルトンとボッタスの両者とも残留。開幕戦オーストラリアGPはハミルトンがポールポジションを獲得したが、この年もベッテルに逆転勝利を許した。第2戦バーレーンGPではフリー走行からフェラーリ勢に完敗し、続く中国GPも予選でフェラーリ勢に完敗し、決勝はボッタスがフェラーリ勢を逆転し首位を走行したがリカルドに逆転勝利を許した。開幕から3戦未勝利は2014年のレギュレーション変更以来初めてのことだった。ハミルトンは第4戦アゼルバイジャンGPと第5戦スペインGPで連勝を飾り、第8戦フランスGPで3勝目を挙げる。しかし第9戦オーストリアGPでシーズン初(2016年スペインGP以来)のダブルリタイアを喫し、ハミルトンの母国グランプリ5連勝がかかった第10戦イギリスGPはベッテルに逆転優勝を許し、前年までとは打って変わってフェラーリ陣営、次いでレッドブル陣営と拮抗した戦況となった。

2014年のパワーユニット導入(ターボエンジン復活)後圧倒的な強さを見せて来たメルセデスチームだったが、このあたりの不振の理由として、以前から「タイヤとの相性の問題」が課題[35]となっており、これまでタイヤ戦略のミスも含めてそれでカバーしていた[36]のだが、その優位性が薄れて来たことが苦戦の原因と各関係者は語っている[37][38][39][40]

 
フェラーリの躍進を振り切りコンストラクターズを5連覇

第11戦ドイツGPでベッテルが後半の雨で自滅、1938年以来80年ぶり(F1では初)となるホームグランプリでのワン・ツー・フィニッシュを果たしてから徐々にベッテル及びフェラーリを引き離していき、続く第12戦ハンガリーGPもハミルトンが連勝。サマーブレイク後の第13戦ベルギーGPはベッテルに敗れたが、第14戦イタリアGPでベッテルがハミルトンとの接触でまたしても自滅、タイヤ戦略でポールポジションのライコネンを抜き去ってハミルトンが制し、そこから続く3戦でもフェラーリ勢に完勝して一気に流れを引き寄せ、メキシコGPでハミルトンのドライバーズタイトル連覇が決定した。そして続くブラジルGPでのハミルトンの勝利でコンストラクターズタイトルも(2014年のターボ復活から続く)5連覇を果たした。

この年はシーズン前半の苦戦や2016年以来のダブルリタイアが1回あったが、21戦中優勝11回、ポールポジション13回、ワン・ツー・フィニッシュ4回と前年に近い数字を記録し、チームとしての強さを改めて見せつけたが、ベッテル=フェラーリ陣営の失策に助けられたレースも幾つかあり[41]、シーズン中に第三者がコメント[42]したように2014年のパワーユニット導入後において苦戦したシーズンの1つでもあった。

2019年

ドライバーはそのまま続投。開幕戦オーストラリアGPではハミルトンがポールポジションを獲得も、決勝ではフロントローのボッタスが好スタートを決めてマシンのフロアに損傷を抱えたハミルトンはペースを上げられず、そのままボッタスが2年ぶりの勝利を収めた。第2戦バーレーンGPではフェラーリ勢にフロントロー独占を許すも、ハミルトンはベッテルの攻略に成功し、トップを快走していたシャルル・ルクレールがPUのトラブルで無線で放送禁止用語を言い放つと共にスローダウンして、ハミルトンが逆転勝利を収める。第3戦中国GPではハミルトン、第4戦アゼルバイジャンGPではボッタスが、それぞれ今季2勝目を挙げ、F1史上初の開幕から4戦連続ワンツーフィニッシュを成し遂げた。第5戦スペインGPのアップデートで他チームとの差をさらに広げて圧勝。ハミルトンが3勝目を挙げて連続ワンツー記録を5に伸ばした。第6戦モナコGPでもメルセデスのフロントローを獲得。決勝はタイヤに苦しみながらもハミルトンが優勝、ボッタスがピットロードでフェルスタッペンと接触しパンク・翌周緊急ピットの影響で3位に落ちたため、開幕からの連続ワンツーフィニッシュは5でストップとなった。

第7戦カナダGPではベッテルに先行されたものの、彼のレース中のタイムペナルティによりハミルトンが逆転勝利を飾り、第8戦フランスGPもメルセデス勢のフロントロー独占からのハミルトンが6勝目を挙げる結果となった。第8戦までの間、最大のライバルのフェラーリの苦戦も手伝い、フロントロー独占およびワンツーフィニッシュを6回記録。開幕からの連勝記録も8回となるなど、無類の強さを発揮した。

そんななか、第9戦オーストリアGPではオーバーヒートに苦しみ[43]、優勝を逃し開幕からの連勝記録が8でストップ。だが、その症状が出なかった第10戦イギリスGPでは再びメルセデス勢が圧倒。そのため、苦戦するレースもあるが基本的にライバル不在という見方や、前半戦終了時点で2019年のタイトルは事実上ハミルトンが獲得していると言い切る識者も多い[44]

夏休み明けのベルギーGPからフェラーリが復調し、特にルクレールの好調が際立ちポールポジションこそ獲得できていないが、ロシアGPではベッテルのリタイアによるバーチャルセーフティーカーのタイミングの幸運もあり、ワンツーフィニッシュを達成した。続く日本GPは予選こそフェラーリのフロントロー独占を許したものの、スタートでリードを奪ったボッタスが逆転勝利を飾り、ハミルトンが3位とファステストラップを獲得し、コンストラクターズタイトルを獲得[45]。最終的には第19戦アメリカGPでハミルトンが3年連続通算6度目のワールドチャンピオン獲得し、チームとしてもダブルタイトル6連覇を達成した。

2020年 -

2020年
 
2020年シーズン開幕前のプレシーズンテスト(2020年2月)でのW11(ドライバーはルイス・ハミルトン
 
第9戦トスカーナGP(2020年9月)でのW11

この年はチーム名称を「 メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラワン・チーム」に変更。ドライバーも含め、チームの体制面では大きな変化はないが、細かく言えばスポンサーの関係で部分的にカラーリングに赤が加わったこと[46]やマシンの名称が若干変わった点がある[47]。また、カラーリングはプレシーズンテストの段階ではシルバーを基調とした車体と白のレーシングスーツという組み合わせであり[46]、スポンサーの赤色の使用を除けば、カラーリングの変更はなかったが、2020年5月にアメリカで起きた黒人男性を白人警官が死に至らしめた事件に端を発する世界的に広がった抗議運動を受け、ハミルトンがこの運動を支持したこと[48]をきっかけにチームも追従し、マシンとドライバーのレーシングスーツを黒を基調としたカラーリングへ変更して参戦することを表明[49]。シーズン自体はそのカラーリングで出走した。

2019新型コロナウイルスの世界的流行の影響により休止状態となったが、シーズン全体で見れば、17戦中優勝13回、ポールポジション15回とこの年もシーズンを席巻。タイトルに関しては第13戦エミリア・ロマーニャGP時点でコンストラクターズタイトル史上初の7連覇を達成[50]し、ドライバーズチャンピオンシップもハミルトンが第3戦の優勝でポイントリーダーに立ってからは、事実上彼が独走し、第14戦トルコGPミハエル・シューマッハに並ぶ7冠を達成[51]。同時に史上初のダブルタイトル7連覇を記録した。

12月、ダイムラーがチーム株式の大部分を売却し、ダイムラー、トト・ヴォルフ、スポンサーのINEOS(イギリスの大手化学メーカー)が1/3ずつ株式を保有する形となった[52]

2021年

前年と同じ体制で参戦。ただし、PUの供給先の変化があり、2019年9月[53]に締結された契約通り、今年度からマクラーレンへのPU供給[54]を行うため、PU供給は4チーム体制となる。

この年のメルセデスは、プレシーズンテストの段階でマシントラブルの影響[55]もあるが、今季のレギュレーションの対応に出遅れていることを自他ともに認めていた[56][57][58]。 それでも、開幕戦はマックス・フェルスタッペンにポールポジション(PP)[59]を取られながらも、決勝では2番手スタートのハミルトンがレース戦略[60]も駆使して優勝を飾った。そこから、第2戦での新パーツ投入の効果もあり[61]、チームとして第2戦から3連続PP獲得となり、第2戦こそフェルスタッペンに勝利されるも[62]、第3戦[63]と第4戦[64]をハミルトンが勝利する結果となった。

だが、第5戦をハミルトンの7位入賞のみで終わったことにより[65]、両ポイントリーダーの座から陥落。さらに第6戦からチームの失点やレットブル側の速さが勝っていたこともあり、その間もポイントを積み重ねるが、レットブルに第5戦から5連勝を許してしまい、第9戦オーストリアGPを終了した時点で両ポイントの差は30ポイント以上の差がつけられていた。しかし、第10戦イギリスGP第11戦ハンガリーGPにて、前者は決勝での主導権争いの結果、後者はスタート直後の多重クラッシュによってレットブル側がポイントを逃す結果となり、第10戦に関しては物議を醸す事態となったが、結果だけ見れば、ハミルトンおよびメルセデスが両ポイントリーダーの座を奪還する形で前半戦を終えた。

サマーブレイク後のポイントリーダーの座だが、コンストラクターズの方はメルセデスが堅守し続けるも、ドライバーズタイトルは一進一退の争いとなり、第16戦の結果によりフェルスタッペンにポイントリーダーの座が移った[66]。その後、第18戦終了時点では、フェルスタッペンとハミルトンの差は19ポイントとなった[67]。だが、第19戦サンパウロGPでハミルトンは追加のICE交換ペナルティを受け、決勝は10番手スタートながらも優勝。その後の2戦も優勝し今季初の3連勝を達成するが、フェルスタッペンも連続2位で食らいつき両者同点のまま最終戦決戦となった。最終戦は、予選はフェルスタッペンがPPを獲得するも、決勝はハミルトンがスタートダッシュを決めて首位を独走。2位に落ちたフェルスタッペンに猛追されるものの[68]、ハミルトンは一つの隙も無いレースを見せ、フェルスタッペンを完封している状況であった[69]。しかし、レース終盤にセーフティカーが導入され、最終ラップ直前にレース再開となる。フェルスタッペンはタイヤ交換を実施したのに対し、ハミルトンはステイアウト選択せねばならず、ハミルトンは不利な状況ながらも抵抗を見せたが、最後にフェルスタッペンに逆転されドライバーズタイトルを逃すこととなった。ただし、コンストラクターズの方は、第20戦終了時には両チーム5ポイント差となったが、第21戦でのペレスのリタイアによるノーポイントが響き[70]、メルセデスが接戦を制してコンストラクターズタイトルを死守。F1史上初となるコンストラクターズ8連覇を達成する結果となった。

2022年

ボッタスに代わってラッセルが加入。シャシーのカラーリングが3シーズンぶりにシルバーに戻った。

今シーズンのメルセデスのマシン「W13」は、「ゼロポッド」とも評される革新的なサイドポッド処理を導入するも[71]、40年ぶりに解禁されたグラウンド・エフェクト・カー特有のポーポイズ現象に過度に苦しめられており[72]、昨年の「W12」と比較するとライバルとのパフォーマンスの差が相対的に縮まってしまう状況に陥った[73]。この問題の解消を優先したマシン開発の影響でタイトル争いでは後れを取るどころか、第3戦の時点で今季のタイトル獲得は絶望的と評された[74]。シーズン後半にはポーポイズ現象を一応解決し、速さではレッドブルに及ばないもののフェラーリ等には伍して戦えるレベルとなり、終盤のブラジルGPではラッセルがF1での初勝利を挙げたが、チームとしては不満の残る結果となった。

2023年

ドライバーはハミルトンとラッセルのコンビを継続。2023年型の「(W14)」は、前年に引き続きゼロポッドを継続する一方で、マシンの軽量化を主な目的として、カラーリングはカーボン地が剥き出しのブラック基調のデザインに戻った。

戦績

エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン ドライバー ランキング ポイント 優勝数
2010年 メルセデスGP・ペトロナス・フォーミュラ1チーム MGP W01 B メルセデスFO108X
(2.4L V8)
  ミハエル・シューマッハ
  ニコ・ロズベルグ
4位 214 0
2011年 メルセデスGP・ペトロナス・フォーミュラ1チーム MGP W02 P メルセデスFO108Y
(2.4L V8)
  ミハエル・シューマッハ
  ニコ・ロズベルグ
4位 165 0
2012年 メルセデスAMG・ペトロナス・F1チーム F1 W03 P メルセデスFO108Z
(2.4L V8)
  ミハエル・シューマッハ
  ニコ・ロズベルグ
5位 142 1
2013年 メルセデスAMG・ペトロナス・F1チーム F1 W04 P メルセデスFO108F
(2.4L V8)
  ニコ・ロズベルグ
  ルイス・ハミルトン
2位 360 3
2014年 メルセデスAMG・ペトロナス・F1チーム F1 W05 Hybrid P メルセデスPU106A Hybrid
(1.6L V6t)
  ルイス・ハミルトン
  ニコ・ロズベルグ
1位 701 16
2015年 メルセデスAMG・ペトロナス・F1チーム F1 W06 Hybrid P メルセデスPU106B Hybrid
(1.6L V6t)
  ルイス・ハミルトン
  ニコ・ロズベルグ
1位 703 16
2016年 メルセデスAMG・ペトロナス・F1チーム F1 W07 Hybrid P メルセデスPU106C Hybrid
(1.6L V6t)
  ルイス・ハミルトン
  ニコ・ロズベルグ
1位 765 19
2017年 メルセデスAMG・ペトロナス・モータースポーツ P メルセデスM08 EQ Power+
(1.6L V6t)
  ルイス・ハミルトン
  バルテリ・ボッタス
1位 668 12
2018年 メルセデスAMG・ペトロナス・モータースポーツ P メルセデスM09 EQ Power+
(1.6L V6t)
  ルイス・ハミルトン
  バルテリ・ボッタス
1位 655 11
2019年 メルセデスAMG・ペトロナス・モータースポーツ P メルセデスM10 EQ Power+
(1.6L V6t)
  ルイス・ハミルトン
  バルテリ・ボッタス
1位 739 15
2020年 メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラワン・チーム F1 W11 EQ Performance P メルセデスM11 EQ Performance
(1.6L V6t)
  ルイス・ハミルトン
  バルテリ・ボッタス
  ジョージ・ラッセル
1位 573 13
2021年 メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラワン・チーム F1 W12 E Performance P メルセデスM12 E Performance
(1.6L V6t)
  ルイス・ハミルトン
  バルテリ・ボッタス
1位 613.5 9
2022年 メルセデスAMG・ペトロナス・フォーミュラワン・チーム F1 W13 E Performance P メルセデスM13 E Performance
(1.6L V6t)
  ジョージ・ラッセル
  ルイス・ハミルトン
3位 515
  • 太字はドライバーズタイトル獲得者及びその年の最多記録
  • 赤太字はF1における歴代最多
  • 斜体になっているドライバーはスポット参戦など

エンジン(パワーユニット)供給

メルセデスエンジン(パワーユニット)使用チーム

チーム 使用年度 WCC 優勝回数 初勝利 最終勝利 備考
  ザウバー 1994年 - 0 - - 開発はイルモア
  マクラーレン 1995年 - 2014年
2021年 -
1(1998年) 79 1997年オーストラリアGP 2021年イタリアGP 1995年から2005年までの開発はイルモア
  ブラウン 2009年 1(2009年) 8 2009年オーストラリアGP 2009年イタリアGP
 /  フォース・インディア 2009年 - 2018年 - 0 - -
  ウィリアムズ 2014年 - - 0 - -
  ロータス 2015年 - 0 - -
  マノー 2016年 - 0 - -
  レーシング・ポイント 2019年 - 2020年 - 1 2020年サヒールGP 2020年サヒールGP バッジネームBWTメルセデス
  アストンマーティン 2021年 - - 0 - -
合計 1994年 - 2021年 2 88 1997年オーストラリアGP 2021年イタリアGP
  • 太字2022年に使用するチーム

そのほかの参戦レース

1997年にはFIA GT選手権に投入すべくメルセデス・ベンツ・CLK-GTRを短期間のうちに開発、マクラーレン・F1の牙城を崩すことに成功し、同時に「ロードカー」をごく少数AMGが生産した。翌年のル・マン24時間レースにはメルセデス・ベンツ・CLK-LMを投入し(市販車は存在しない)ルマンでは二時間で全車リタイアの憂き目に遭うものの、その後のFIA-GT選手権では圧倒的な強さを見せ、ドライバーズタイトルとメーカーズタイトルの二冠を獲得している。

カミオンがヨーロッパで開催されている「トラックレース」に参戦している他、パリ・ダカールラリーなどのラリーレイド競技において競技車輌やサポートカミオンとして使用されている。特にサポートカミオンとしてはイヴェコMANボルボと共に、多数のチームが使用している。

ギャラリー

  • ワークス #1(1954年 - 1955年)
  • ワークス #2(2010年 - )

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 139.14点はコンストラクターズタイトル制定前の1954-1955年に記録された。
  2. ^ “ブラウンGP 「メルセデスGP」に”. Gp Update. (2009年11月16日). http://f1.gpupdate.net/ja/news/2009/11/16/223724/ 2009年11月16日閲覧。 
  3. ^ スティーブンに聞く! - 2011年7月17日 ESPN F1 (2011年7月21日) 2016年11月10日閲覧。
  4. ^ いかにしてシルバー・アロー伝説は生まれたか メルセデス・ベンツ日本公式サイト 2016年11月10日閲覧。
  5. ^ [1], and 2016年11月10日閲覧。
  6. ^ a b c “1955: Le Mans disaster claims 77 lives”. BBC. 2018年11月25日閲覧。
  7. ^ “50 years ago, the day that tragedy struck Le Mans”. The Independent (2005年6月11日). 2018年11月25日閲覧。
  8. ^ ヴェンドリンガーはオーストリア人である
  9. ^ Daimler AG and McLaren Group change form of their cooperation
  10. ^ Straw, Edd (2009年11月16日). “Mercedes takes over Brawn”. Autosport.com (Haymarket Media). http://www.autosport.com/news/report.php/id/80174 2018年11月25日閲覧。 
  11. ^ “Mercedes takes over Brawn F1 team”. BBC News. (2009年11月16日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/motorsport/formula_one/8362295.stm 2018年11月25日閲覧。 
  12. ^ . Formula1.com ((Formula One Administration)). (2009年12月21日). オリジナルの2009年12月24日時点におけるアーカイブ。. 2018年11月25日閲覧。 
  13. ^ “メルセデスGP:ニコ・ロズベルグ加入のプレスリリース”. AUTOSPORT Web. (2009年11月23日). http://www.as-web.jp/past/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9gp%EF%BC%9A%E4%BA%8C%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%B0%E5%8A%A0%E5%85%A5%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%AA?all 2018年11月25日閲覧。 
  14. ^ a b “メルセデス、ふたり目のドライバーはクリスマス前に発表の見込み”. AUTOSPORT Web. (2009年11月26日). http://www.as-web.jp/past/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9%E3%80%81%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%82%8A%E7%9B%AE%E3%81%AE%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AF%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9?all 2018年11月25日閲覧。 
  15. ^ “メルセデスGP、ミハエル・シューマッハーと正式契約!”. AUTOSPORT Web. (2009年12月23日). http://www.as-web.jp/past/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%87%E3%82%B9gp%E3%80%81%E3%83%9F%E3%83%8F%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%81%A8%E6%AD%A3%E5%BC%8F%E5%A5%91?all 2018年11月25日閲覧。 
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  17. ^ “ハウグ、シューマッハーの“帰還”に歓喜「19年前の研修生が帰ってくるのを温かく迎えたい」”. AUTOSPORT Web. (2009年12月23日). http://www.as-web.jp/past/%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%80%81%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%81%AE%E5%B8%B0%E9%82%84%E3%81%AB%E6%AD%93%E5%96%9C%E3%80%8C19%E5%B9%B4%E5%89%8D?all 2018年11月25日閲覧。 
  18. ^ “Bernie Ecclestone hails return of 'comeback kid' Michael Schumacher”. The Telegraph. (2010年12月24日). https://www.telegraph.co.uk/sport/motorsport/formulaone/f1news/6879625/Bernie-Ecclestone-hails-return-of-comeback-kid-Michael-Schumacher.html 2018年11月25日閲覧。 
  19. ^ “メルセデスGP、シューマッハ好みのマシンに取り組む”. F1-Gate.com. (2010年3月24日). http://f1-gate.com/mercedes-benz/f1_6918.html 2010年6月1日閲覧。 
  20. ^ “メルセデスGP、シューマッハのシャシー交換を認める”. F1-Gate.com. (2010年4月27日). http://f1-gate.com/mercedes-benz/f1_7281.html 2010年6月1日閲覧。 
  21. ^ フェラーリ時代の話ではあるが、ブリヂストン浜島裕英が「前がかなり食いついていないとダメなドライバー」と述べ、「他のドライバーがシューマッハのセッティングで走ると、みんなオーバーステアで乗れないと思う」と語っている。
  22. ^ ニック・ハイドフェルド、ピレリの公式テストドライバーに就任 - F1-Gate.com・2010年8月17日
  23. ^ “メルセデス、2012年から「メルセデスAMGペトロナスF1チーム」に変更”. F1-Gate.com. (2011年12月5日). http://f1-gate.com/mercedes-benz/f1_13807.html 
  24. ^ メルセデス、レースペースに集中 - ESPN F1 2012年4月13日
  25. ^ “メルセデス、ロス・ブラウンの離脱を正式発表”. (2013年11月29日). http://f1-gate.com/mercedes-benz/f1_21853.html 2013年12月1日閲覧。 
  26. ^ かつて親友だったふたり……ロズベルグとハミルトンの友情が崩壊した日:2014年モナコGPjp.motorsport.com(2020年5月30日)2020年5月31日閲覧
  27. ^ 「王者決定まで緊張は緩まず」『』espnf1.com、2014年7月29日。2020年5月31日閲覧。
  28. ^ “メルセデス、ファンへの手紙でチーム内で陰謀説を否定”. (2016年5月5日). http://f1-gate.com/mercedes-benz/f1_30921.html 2016年5月17日閲覧。 
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  30. ^ “ニコ・ロズベルグ、F1引退を発表”. F1-Gate.com (2016年12月2日). 2016年12月2日閲覧。
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  32. ^ “メルセデス、パディ・ロウの離脱を正式発表”. F1-Gate.com. (2016年1月11日). http://f1-gate.com/mercedes-benz/f1_34455.html 2016年1月11日閲覧。 
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  34. ^ ポールポジション、優勝、ファステストラップ、全周回トップ
  35. ^ “パット・シモンズがメルセデスF1苦戦の理由を分析。「チームは長年に渡ってタイヤの問題を抱えてきた」”. オートスポーツweb (2018年4月27日). 2018年6月20日閲覧。
  36. ^ “F1 Topic:新PU投入で絶対王者メルセデスを脅かす存在となったフェラーリ”. オートスポーツweb (2018年6月14日). 2018年7月9日閲覧。
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  38. ^ “F1合同テストで総合トップのハミルトン、最終日は「全体的にポジティブな感触」”. オートスポーツweb (2018年3月2日). 2018年6月20日閲覧。
  39. ^ “ハミルトン、F1アゼルバイジャンGPで優勝もマシンは前年型よりも「運転が難しい」と困惑”. オートスポーツweb (2018年5月3日). 2018年6月20日閲覧。
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関連項目

外部リンク

  • 公式ウェブサイト
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