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アメリカグランプリ

アメリカグランプリ(アメリカGP, : United States Grand Prix)は、アメリカ合衆国1959年から断続的に行われているF1世界選手権レースのひとつ。その他、アメリカ国内で開催された、アメリカグランプリ以外のF1選手権レースについても本項目で記述する。

United States Grand Prix
サーキット・オブ・ジ・アメリカズ
レース情報
周回 56[1]
コース長 5.513[1] km (3.426 mi)
レース長 308.405[1] km (191.634 mi)
開催回数 43[2][注 1]
初回 (1908年)
最多勝利
(ドライバー)
ルイス・ハミルトン (6)[3][注 1]
最多勝利
(コンストラクター)
ロータス (10)[4][注 1]
最新開催(2022年):
ポールポジション カルロス・サインツ
フェラーリ
1:34.356
決勝順位 1. マックス・フェルスタッペン
レッドブル-RBPT
1:42:11.687
2. ルイス・ハミルトン
メルセデス
+5.023s
3. シャルル・ルクレール
フェラーリ
+7.501s
ファステストラップ ジョージ・ラッセル
メルセデス
1:38.788

歴史

前史

 
1912年のアメリカン・グランド・プライズ

19世紀末の自動車の発明以来、アメリカでは草競馬場のコースを利用したオーバルレースが人気となり、インディ5001908年-)を含む全米選手権の発足に至る。その一方、ヨーロッパタイプの公道サーキットでレースを行おうとする者も現れ、1904年には欧米交流戦のヴァンダービルト杯が始まり、1908年には欧州のグランプリ規定に則ったアメリカン・グランド・プライズ (American Grand Prize) が創設された。アメリカン・グランド・プライズはジョージア州サバンナウィスコンシン州ミルウォーキーカリフォルニア州サンタモニカ、カリフォルニア州サンフランシスコといった場所で1916年までに7回開催された(1911年以降はヴァンダービルト杯との同時開催)。1914年の大会を制したマーサー (Mercer) を除けば、いずれも優勝したのは欧州車であった。第一次世界大戦によりヨーロッパのレース界との交流が絶たれると、この種のイベントは開催されなくなった。

1950年にF1世界選手権が創設されると、インディ500も選手権の1戦に組み込まれたが、ヨーロッパからの参戦者も少なかったため、1960年限りでF1のカレンダーから姿を消した。

アメリカグランプリの成功と衰退(1958年-1991年)

1958年にカリフォルニア州リバーサイド・インターナショナル・レースウェイにて開催されたUSACスポーツカー選手権 (USAC Road Racing Championship) の1戦に「アメリカグランプリ (United States Grand Prix) 」の名が冠せられた。そして翌1959年に、フロリダ州の飛行場跡地に出来たサーキット、セブリング・インターナショナル・レースウェイでF1世界選手権のアメリカGPが初開催された。1960年にリバーサイドで開催されたあと、翌1961年から1980年まではニューヨーク州ワトキンズグレン・インターナショナル・レースウェイで行われた。「グレン」ことワトキンズグレンでは紅葉の美しい季節に開催され、シーズン終盤の名物レースとなった。

当地では徐々にF1が浸透し、商業的観点からモータースポーツが重視されるようになっていくと、1976年から1984年までは年2回開催されるようになった(1982年は年3回)。この期間はアメリカGPの他に「アメリカ西グランプリ」「アメリカ東グランプリ」「ラスベガスGP」といった名称も使用された(詳細は後述のアメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レースを参照)。

しかし、サーキットは市街地の仮設コースばかりで、レースが行われる際の安全性確保や興行的問題、さらにCART(後のチャンプカー)人気上昇等の問題から、開催数は次第に減少していった。そして1991年にアリゾナ州フェニックス市街地コースで行われたアメリカGPを最後に、一旦は米国内でF1が開催されなくなる。

インディアナポリスでの復活(2000年-2007年)

 
インディアナポリスのコースレイアウト。F1ではオーバルトラックを逆走し、インフィールドのロードコースも使用する。

F1は「世界選手権」の名を掲げているが、アメリカ国内においてはNASCARインディカーなどの人気が高く、F1は人気が定着しきれないでいた。こうした事態を打破するため、インディ500ブリックヤード400が行われているアメリカンモータースポーツ界の聖地、インディアナポリス・モーター・スピードウェイを舞台にして、2000年よりアメリカGPが復活することとなった。初開催の決勝日には巨大なスタンドを埋める20万人もの観客を集め、当地における潜在的なF1人気を実証することになった。

2003年まではシーズン終盤のレースとして9月末に開催されてきたが、2004年以降は参戦チームの遠征費用効率化を目的とし、6月にカナダGPとの連戦で開催されるようになった。

2005年はミシュランタイヤのトラブルに端を発し、ミシュランタイヤ装着全7チーム14台がフォーメーションラップのみで自主リタイア。ブリヂストンタイヤを装着する3チーム6台のみでレースが行われるという異常事態が発生した(詳細は2005年アメリカGPを参照)。この事件はミシュランと国際自動車連盟 (FIA) の間に大きな亀裂を生む事となり、2006年のミシュランF1撤退に少なからぬ影響を及ぼした。加えて退屈なレースに観客からの不満が爆発し、主催者はチケットの返金などの対応に追われる事になった。

こうした経緯から主催者とFIAの関係も悪化の一途を辿り、2008年のF1アメリカグランプリ開催を断念する共同声明を発表するに至った。

オースティンでの開催(2012年-)

F1に参戦するチーム・自動車メーカー・スポンサーからは「大消費地であるアメリカでF1が開催されないことは、宣伝媒体としてのF1の価値を低下させる」としてアメリカでの開催を復活させるよう根強い要望があった。F1の興行権を持つフォーミュラ・ワン・マネジメント(FOM)が米国内の様々なサーキットと交渉を行った結果、2012年より新たにテキサス州オースティンにサーキットを建設してアメリカグランプリを復活させることが決定した[5]

2010年9月にはヘルマン・ティルケ率いるティルケデザインの設計による新サーキットのコースレイアウトが公表された[6]。サーキットの建設は同年12月に開始され、建設費用は約2億ドル[7]。サーキット建設に当たっては、NFLミネソタ・バイキングスNBAサンアントニオ・スパーズなどのオーナーを務めたこともある投資家の(レッド・マコームズ)、元ロードレース世界選手権(WGP)・GP500クラスチャンピオンのケビン・シュワンツなどの支援を受けている[8]。後にこのサーキットはサーキット・オブ・ジ・アメリカズと名づけられた。

メディアの中にはサーキットの建設費用などの調達ができず開催が流れる危険性を憂慮するものもあり[9]、実際プロモーター側でも、場合によっては同地でのグランプリ初開催が1年延期され2013年にずれ込む可能性を認めていたが[10]、予定通り2012年11月にレースが開催された。

2022年2月、オースティンとの開催契約が2026年まで延長された[11]

主な出来事

過去の結果と開催サーキット

F1世界選手権として開催された1959年以降の結果について記載する。

決勝日 ラウンド サーキット 優勝者 コンストラクター
(括弧内はノンワークスチーム)
結果
1959 12月12日 9 セブリング   ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 詳細
1960 11月20日 10 リバーサイド   スターリング・モス ロータス-クライマックス
ロブ・ウォーカー
詳細
1961 10月08日 8 ワトキンズ・グレン   (イネス・アイルランド) ロータス-クライマックス 詳細
1962 10月07日 8 ワトキンズ・グレン   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 詳細
1963 10月06日 8 ワトキンズ・グレン   グラハム・ヒル BRM 詳細
1964 10月04日 9 ワトキンズ・グレン   グラハム・ヒル BRM 詳細
1965 10月03日 9 ワトキンズ・グレン   グラハム・ヒル BRM 詳細
1966 10月02日 8 ワトキンズ・グレン   ジム・クラーク ロータス-BRM 詳細
1967 10月01日 10 ワトキンズ・グレン   ジム・クラーク ロータス-フォード 詳細
1968 10月06日 11 ワトキンズ・グレン   ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード
マトラ・インターナショナル
詳細
1969 10月05日 10 ワトキンズ・グレン   ヨッヘン・リント ロータス-フォード 詳細
1970 10月04日 12 ワトキンズ・グレン   エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 詳細
1971 10月03日 11 ワトキンズ・グレン   フランソワ・セベール ティレル-フォード 詳細
1972 10月08日 12 ワトキンズ・グレン   ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 詳細
1973 10月07日 15 ワトキンズ・グレン   ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 詳細
1974 10月06日 15 ワトキンズ・グレン   カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード (詳細)
1975 10月05日 14 ワトキンズ・グレン   ニキ・ラウダ フェラーリ (詳細)
1976
-
1983
1976年-1980年にワトキンズ・グレン、1982年-1984年にデトロイトで開催されたレースはアメリカ東グランプリ
1976年-1983年にロングビーチで開催されたレースはアメリカ西グランプリ
1981年-1982年にシーザーズ・パレスで開催されたレースはラスベガスグランプリの各節を参照。
1984 07月08日 9 ダラス   ケケ・ロズベルグ ウィリアムズ-ホンダ 詳細
1985 06月23日 6 デトロイト   ケケ・ロズベルグ ウィリアムズ-ホンダ 詳細
1986 06月22日 7 デトロイト   アイルトン・セナ ロータス-ルノー 詳細
1987 06月21日 6 デトロイト   アイルトン・セナ ロータス-ホンダ 詳細
1988 06月19日 6 デトロイト   アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 詳細
1989 06月04日 5 フェニックス   アラン・プロスト マクラーレン-ホンダ 詳細
1990 03月11日 1 フェニックス   アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 詳細
1991 03月10日 1 フェニックス   アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 詳細
1992
-
1999
開催されず
2000 09月24日 15 インディアナポリス   ミハエル・シューマッハ フェラーリ (詳細)
2001 09月30日 16 インディアナポリス   ミカ・ハッキネン マクラーレン-メルセデス 詳細
2002 09月29日 16 インディアナポリス   ルーベンス・バリチェロ フェラーリ 詳細
2003 09月28日 15 インディアナポリス   ミハエル・シューマッハ フェラーリ (詳細)
2004 06月20日 9 インディアナポリス   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2005 06月19日 9 インディアナポリス   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2006 07月02日 10 インディアナポリス   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2007 06月17日 7 インディアナポリス   ルイス・ハミルトン マクラーレン-メルセデス 詳細
2008
-
2011
開催されず
2012 11月18日 19 オースティン   ルイス・ハミルトン マクラーレン-メルセデス 詳細
2013 11月17日 18 オースティン   セバスチャン・ベッテル レッドブル-ルノー (詳細)
2014 11月02日 17 オースティン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2015 10月25日 16 オースティン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2016 10月23日 18 オースティン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2017 10月22日 17 オースティン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2018 10月21日 18 オースティン   キミ・ライコネン フェラーリ 詳細
2019 11月03日 19 オースティン   バルテリ・ボッタス メルセデス 詳細
2020 新型コロナウイルス感染症の世界的流行により中止
2021 10月24日 17 オースティン   マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ 詳細
2022 10月23日 19 オースティン   マックス・フェルスタッペン レッドブル-RBPT 詳細
2023 10月22日 19 オースティン 詳細
出典: [15]

優勝回数(ドライバー)

F1世界選手権として開催されたレースを対象とする。

(2勝以上)

優勝回数(コンストラクター)

F1世界選手権として開催されたレースを対象とする。

(2勝以上)

回数 コンストラクター 優勝年
10   ロータス 1960, 1961, 1962, 1966, 1967, 1969, 1970, 1973, 1986, 1987
8   フェラーリ (1975), (2000), 2002, (2003), 2004, 2005, 2006, 2018
7   マクラーレン 1988, 1989, 1990, 1991, 2001, 2007, 2012
5   メルセデス[注 3] 2014, 2015, 2016, 2017, 2019
3   BRM 1963, 1964, 1965
  レッドブル (2013), 2021, 2022
2   ティレル 1971, 1972
  ウィリアムズ 1984, 1985
出典: [4]

優勝回数(エンジン)

F1世界選手権として開催されたレースを対象とする。

(2勝以上)

回数 メーカー 優勝年
8   フォード * 1967, 1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, (1974)
  フェラーリ (1975), (2000), 2002, (2003), 2004, 2005, 2006, 2018
  メルセデス[注 3] ** 2001, 2007, 2012, 2014, 2015, 2016, 2017, 2019
  ホンダ 1984, 1985, 1987, 1988, 1989, 1990, 1991, 2021
4   クライマックス 1959, 1960, 1961, 1962
  BRM 1963, 1964, 1965, 1966
2   ルノー 1986, (2013)
出典: [16]

過去の開催サーキット

 
アメリカ国内におけるグランプリ開催地

アメリカグランプリ以外の名称で行われたF1レース

米国内で実施されながら、複数回の開催のためにアメリカグランプリ以外の名前で行われたレースがある。1982年及び2023年以降(予定)は米国内で実に3回ものグランプリが開催された。また、インディ500もF1選手権に組み込まれていた。

アメリカ東グランプリ

  United States Grand Prix East
デトロイト市街地コース
(1983-1984)
 
レース情報
周回 63
コース長 4.023 km (2.500 mi)
レース長 253.449 km (157.500 mi)
開催回数 8[17]
初回 (1976年)
最終開催 1984年
最多勝利
(ドライバー)
  ジェームス・ハント (2)[18]
最多勝利
(コンストラクター)
  マクラーレン (3)[19]
最新開催(1984年):
ポールポジション   ネルソン・ピケ
ブラバム-BMW
1:40.980
決勝順位 1.   ネルソン・ピケ
ブラバム-BMW
1:55:41.842
2.   エリオ・デ・アンジェリス
ロータス-ルノー
+32.638s
3.   テオ・ファビ
ブラバム-BMW
+86.528s
ファステストラップ   デレック・ワーウィック
ルノー
1:46.221

1961年よりワトキンズグレンで「アメリカグランプリ」が開催されていたが、1976年からロングビーチ市街地コースでもF1レースが開催されることになり、アメリカでは2戦が行われることになった。ロングビーチは「アメリカ西グランプリ」と呼ばれ、ワトキンズグレンはこの年から「アメリカ東グランプリ」と呼ばれるようになった。

1980年限りでワトキンズグレンのレースは終了したが、1982年からはデトロイトで「アメリカ東グランプリ」(正式名称は「デトロイトグランプリ」)が開催された。1983年限りでロングビーチの「アメリカ西グランプリ」は終了したが、1984年にはダラスがF1を開催し、このレースが「アメリカグランプリ」と呼ばれ、デトロイトのレースは「アメリカ東グランプリ」の名を維持した。1985年にはアメリカでの開催がデトロイトのみとなり、デトロイトのレースが「アメリカグランプリ」と呼ばれるようになった。以後、断続的ではあったが、2022年にアメリカでのF1レース複数開催が復活するまで「アメリカグランプリ」のみが開催された。

アメリカ東GPの主な出来事

アメリカ東GPの結果

決勝日 ラウンド サーキット 優勝者 コンストラクター 結果
1976 10月10日 15 ワトキンズ・グレン   ジェームス・ハント マクラーレン-フォード (詳細)
1977 10月02日 15 ワトキンズ・グレン   ジェームス・ハント マクラーレン-フォード (詳細)
1978 10月01日 15 ワトキンズ・グレン   カルロス・ロイテマン フェラーリ (詳細)
1979 10月07日 15 ワトキンズ・グレン   ジル・ヴィルヌーヴ フェラーリ 詳細
1980 10月05日 14 ワトキンズ・グレン   アラン・ジョーンズ ウィリアムズ-フォード 詳細
1981 開催されず
1982 06月06日 7 デトロイト   ジョン・ワトソン マクラーレン-フォード 詳細
1983 06月05日 7 デトロイト   ミケーレ・アルボレート ティレル-フォード 詳細
1984 06月24日 8 デトロイト   ネルソン・ピケ ブラバム-BMW 詳細
出典: [20]

アメリカ東GPの開催サーキット

アメリカ西グランプリ

  United States Grand Prix West
ロングビーチ市街地コース
(1983)
 
レース情報
周回 75
コース長 3.275 km (2.035 mi)
レース長 245.625 km (152.620 mi)
開催回数 8[21]
初回 (1976年)
最終開催 1983年
最多勝利
(ドライバー)
複数回優勝者なし[22]
最多勝利
(コンストラクター)
  フェラーリ (3)[23]
最新開催(1983年):
ポールポジション   パトリック・タンベイ
フェラーリ
1:26.117
決勝順位 1.   ジョン・ワトソン
マクラーレン-フォード
1:53:34.889
2.   ニキ・ラウダ
マクラーレン-フォード
+27.993s
3.   ルネ・アルヌー
フェラーリ
+73.638s
ファステストラップ   ニキ・ラウダ
マクラーレン-フォード
1:28.330

1976年から1983年までロングビーチ市街地コースを使用して開催された。カリフォルニア州ロングビーチ市街をサーキットとして使用した。1周3.251kmを初め多彩なレイアウトがある。

アメリカ西GPの主な出来事

アメリカ西GPの結果

決勝日 ラウンド サーキット 優勝者 コンストラクター 結果
1976 3月28日 3 ロングビーチ   クレイ・レガツォーニ フェラーリ (詳細)
1977 4月03日 4 ロングビーチ   マリオ・アンドレッティ ロータス-フォード (詳細)
1978 4月02日 4 ロングビーチ   カルロス・ロイテマン フェラーリ (詳細)
1979 4月08日 4 ロングビーチ   ジル・ヴィルヌーヴ フェラーリ 詳細
1980 3月30日 4 ロングビーチ   ネルソン・ピケ ブラバム-フォード 詳細
1981 3月15日 1 ロングビーチ   アラン・ジョーンズ ウィリアムズ-フォード 詳細
1982 4月04日 3 ロングビーチ   ニキ・ラウダ マクラーレン-フォード 詳細
1983 3月27日 2 ロングビーチ   ジョン・ワトソン マクラーレン-フォード 詳細
出典: [24]

アメリカ西GPの開催サーキット

ラスベガスグランプリ

  Las Vegas Grand Prix
ラスベガス・ストリート・サーキット
(2023-)
 
レース情報
周回 50
コース長 6.116 km (3.800 mi)
レース長 305.775 km (190.000 mi)
開催回数 2[注 1]
初回 1981年
最終開催 1982年
最新開催(1982年):
ポールポジション   アラン・プロスト
ルノー
1:16.356
決勝順位 1.   ミケーレ・アルボレート
ティレル-フォード
1:41:56.888
2.   ジョン・ワトソン
マクラーレン-フォード
+27.290s
3.   エディ・チーバー
リジェ-マトラ
+56.450s
ファステストラップ   ミケーレ・アルボレート
ティレル-フォード
1:19.639

1981年1982年ラスベガスのホテル、シーザーズ・パレスの巨大駐車場にコンクリートウォールを設置、1周3.650kmのシーザーズ・パレス・グランプリサーキットを急造して開催された。正式名称は「シーザーズ・パレスグランプリ」。1981年はウィリアムズアラン・ジョーンズが、1982年はティレルミケーレ・アルボレートがそれぞれ勝利したが、2年で打ち切りとなった。

2021年よりF1の関係者がラスベガスを訪問し、2023年の初開催を前提に交渉。2022年3月31日、2023年からの開催決定がアナウンスされた。コースはラスベガスのカジノ街を貫く「ストリップ」を含む公道コースラスベガス・ストリート・サーキットを使用して開催される予定。決勝レースは土曜日の22時スタートという極めて異例の形態となる。これにより、オースティン(アメリカGP)とマイアミ(マイアミGP)に続き、アメリカ国内で3レースが開催されることになった[25]

ラスベガスGPの主な出来事

  • 1981年 - ブラバムネルソン・ピケが5位フィニッシュして自身初のチャンピオンを獲得。ピケは酷暑のレースで体力を消耗し、コクピット内で失神寸前だった。

ラスベガスGPの結果

決勝日 ラウンド サーキット 優勝者 コンストラクター 結果
1981 10月17日 15 シーザーズ・パレス   アラン・ジョーンズ ウィリアムズ-フォード 詳細
1982 09月25日 16 シーザーズ・パレス   ミケーレ・アルボレート ティレル-フォード 詳細
1983
-
2022
開催されず
2023 11月18日 22 ラスベガス・ストリート・サーキット 詳細
出典: [26]

ラスベガスGPの開催サーキット

マイアミグランプリ

  Miami Grand Prix
マイアミ・インターナショナル・オートドローム
 
レース情報
周回 57[27]
コース長 5.412[27] km (3.363 mi)
レース長 308.326[27] km (191.585 mi)
開催回数 2
初回 2022年
最多勝利
(ドライバー)
  マックス・フェルスタッペン (2)
最多勝利
(コンストラクター)
  レッドブル (2)
最新開催(2023年):
ポールポジション   セルジオ・ペレス
レッドブル-ホンダ・RBPT
1:26.841
決勝順位 1.   マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダ・RBPT
1:27:38.241
2.   セルジオ・ペレス
レッドブル-ホンダ・RBPT
+5.384s
3.   フェルナンド・アロンソ
アストンマーティン・アラムコ-メルセデス
+26.305s
ファステストラップ   マックス・フェルスタッペン
レッドブル-ホンダ・RBPT
1:29.708

2019年よりフロリダ州マイアミでアメリカにて2つ目のグランプリを開催する計画がマイアミ市から承認されたが[28]、地元住民は道路閉鎖や騒音を理由に反対しており[29]、20年間の開催契約をまとめることにも難航したため[30]、2019年の開催を断念し2020年からの開催を目指すことになった[31]。その後、開催地を従来の(ビスケーン湾)(英語版)周辺からNFLマイアミ・ドルフィンズの本拠地ハードロック・スタジアム周辺に変更し、同チームのオーナーを務める(スティーブン・ロス)(英語版)が率いるコンソーシアムリバティメディアとの交渉が進み、政治的支援やマイアミ市議会の承認が必要ではあるが、2021年からの開催に原則合意した[32]。ところが、新型コロナウイルス感染症の世界的流行によってこの計画の破棄はされていないもの、感染症の解決のめどが立つまで計画は凍結することが決定した[33]

2021年4月18日、2022年シーズンからマイアミグランプリを開催すると正式発表した[34]。これにより、1984年以来38年ぶりにアメリカ国内での複数レース開催が復活することになった。契約期間は2031年までの10年間[35]

マイアミGPの結果

決勝日 ラウンド サーキット 優勝者 コンストラクター 結果
2022 5月8日 5 マイアミ   マックス・フェルスタッペン レッドブル-RBPT 詳細
2023 5月7日 5 マイアミ   マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ・RBPT 詳細

インディ500

F1世界選手権初年度の1950年から選手権レースの一戦に組み込まれたが、「世界選手権」を名乗るためにはヨーロッパ以外のレースを入れたいというFIAの思惑があったためであり、形式的なものに過ぎなかった。当時のインディ500のエンジン排気量は最大4.5LとF1の自然吸気エンジンと同じ[注 4]で、選手権ポイントも他のGP同様与えられたが、インディ500と他のF1GPに参戦するドライバーはほとんどなく[注 5]1959年からアメリカGPが選手権レースの一戦となったことから、1960年をもって選手権レースから除外された[36][37]

ニュージャージーグランプリ(開催構想)

2012年からオースティンでアメリカGPが再開された一方、2013年からはニュージャージー州でもう1つのグランプリが開催される予定とされ、2011年10月25日に同州知事が開催を発表した。ハドソン川を挟んでニューヨークマンハッタンの対岸に位置するウィーホーケンとウェストニューヨークにまたがる市街地を使用する[38]としていたが、サーキット建設の認可手続きが間に合わず、実際の開催は2016年からにずれ込む見込みとされていた[39]ものの、2016年度はまたしても開催が見送られた。名称はニュージャージーグランプリとなる予定らしいが、2015年度のアメリカグランプリの開催料金の延滞が報道されるなど、ポート・インペリアル市街地コースへの移転は遅々として進んでいない[注 6]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b c d F1世界選手権として開催されたレースのみ対象。
  2. ^ これより前に同年のイタリアGPに参加したが、両国の時差を用いてアメリカのレースを掛け持ちしていたため、イタリアGPの主催者が「世界選手権イベントの決勝前24時間以内に他のレースに出場してはならない」というルールに抵触したことから、決勝に出走できなかった。このため厳密には2戦目の参加となるが、初めてレースをスタートしたのはこのアメリカGPとなる。
  3. ^ a b アメリカン・グランド・プライズ時代の1910年を除く。
  4. ^ F1の自然吸気エンジンの最大排気量が4.5Lだったのは1951年までだった。
  5. ^ 当時の数少ない例として、1952年にアルベルト・アスカリスイスGPを欠場してインディ500に参加したことがある。F1ドライバーがインディ500に参加する機会が増えるのは、1960年代に入ってからである。
  6. ^ リバティメディアがF1を買収する2017年までは一国一開催が原則だったので、ポート・インペリアル市街地コースが採用された場合はサーキット・オブ・ジ・アメリカズが撤収しなければならなかった。

出典

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  39. ^ ニュージャージーGP、来季開催はキャンセルか - オートスポーツ・2012年10月18日

関連項目

外部リンク

  • United States Grand Prix (Circuit of the Americas)
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