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クーパー・カー・カンパニー

クーパー・カー・カンパニーCooper Car Company )は、かつて存在したイギリスレーシングカーコンストラクター。F1の1959年、1960年度コンストラクターズチャンピオン。F2F3などの下部カテゴリーでも好成績を収めた。

クーパー
参戦年度 1950, 1952 - 1969
出走回数 128
コンストラクターズ
タイトル
2 (1959, 1960)
ドライバーズタイトル 2
優勝回数 16
通算獲得ポイント 342
表彰台(3位以内)回数 58
ポールポジション 11
ファステストラップ 12
F1デビュー戦 1950年モナコGP
初勝利 1958年アルゼンチンGP
最終勝利 1967年南アフリカGP
最終戦 1969年モナコGP
(テンプレートを表示)

歴史

創業

創業者のチャールズ・ニュートン・クーパーCharles Newton Cooper )は1893年10月14日に産まれた。父のチャールズ・レナード・クーパーは舞台俳優で、フランス語読みの「シャルル・レナール」を芸名とし「スイス・エクスプレス」一座の座長を務めていた。母も同じ一座の女優であった。

父親は跡を継がせようと考えていたが、本人は自動車に興味を持ち、名門ネイピア・アンド・サンで徒弟修行に入った。第一次世界大戦に志願兵として参加、戦争終結とともにサリーのサービトン、ユーエルロードに店「クーパーズ・ガレージ」を構え、軍から放出されたモーターサイクルの修理を手がけた。その後花形レーシングドライバーだったケイ・ドンと知遇を得て、1934年までそのレーサーの整備を請け負った。

ジョン・ニュートン・クーパーチャールズ・ニュートン・クーパーの長男として1923年7月17日に産まれた。ガレージを遊び場とし、運転免許を取るはるか前からバイクを乗り回し、自然に自動車好きになっていた。ホーカーの系列会社で徒弟修行をし、父親とは別にホービトンにて工作機器の店を開いた。第二次世界大戦中は海軍工廠で徴用時代を経て空軍勤務に回されたが転属2ヶ月で終戦を迎えた。

1946年、チャールズ・ニュートン・クーパージョン・ニュートン・クーパーは事業を統一し、ボクスホールとフォードのディーラーの共同経営に乗り出した。そこでジョンの親友であったエリック・ブランドンの示唆を受け、500ccレーシングカーの製作を始めた。

クーパー500

チャールズ・ニュートン・クーパーにはすでに手製小型スペシャルの製造経験があり、1946年6月下旬に作り始めて5週間で第1号車が完成した。

1946年7月28日に最初のレースとなるプレスコット・ヒルクライムに参加し惨めな結果に終わったが、初期トラブルが解消するに連れてコースにより当時の2Lクラスに比肩する驚異的なタイムをマークするようになった。この性能に対する反響は大きく、爆発的な売り上げを見せた。

この注文に応じるため1947年10月に「クーパー・カーズ」を設立、同時に第1期市販車であるクーパー500Mk-II、12台ロットの設計製作に入った。

1948年5月9日、当時18歳であったスターリング・モスが彼にとって最初のレースとなったプレスコット・ヒルクライムにクーパー500Mk-IIで出場、クラス優勝した。この他クーパー500愛好者の中からはピーター・コリンズ、アイヴァ・ビュエブ、スチュワート・ルイス・エヴァンズ、ハリー・シェル、ニニアン・サンダーソンなど数々の第一級ドライバーが巣立った。

1950年にはF3マシンとしてFIAに承認されたが、あまりにもクーパー独占レースが多いためF3は1958年に廃止されてしまった。例えば1958年は全18レースで優勝し、12レースで表彰台を独占している。

当時特定のグランプリでは台数確保のため混走が許されており、このマシンはプライベーターの手によりF1初年度のモナコGPに参戦している。

F1における活躍

 
1959年のF1チャンピオンマシン、T51

クーパー・500に次いでブリストルBSエンジン搭載のF2マシンも人気を博し、F2規定下で行われた1952年、1953年のF1では多くのプライベーターに供給された。

ワークス・チームとしては、1955年のイギリスGPプロトタイプレーシングカー改造マシンでスポット参戦(ドライバーはメカニック出身のジャック・ブラバム)。1957年より2,000ccのコヴェントリー・クライマックスエンジンを搭載したミッドシップマシンで本格参戦を始める。翌1958年の開幕戦アルゼンチンGPで、ロブ・ウォーカー・レーシングチームのモスがコンストラクターとしての初勝利を達成。これはF1史上、(プライベーター・チーム)が記録した最初の勝利でもあった。1959年にはエンジンを2,500ccまでボアアップし、ワークス、プライベーター両チーム合わせて9戦中5勝を記録。コンストラクターズ選手権を初制覇し、ワークスチームのブラバムがドライバーズチャンピオンに輝いた。翌1960年もブラバムの5連勝を含む10戦中6勝を挙げ、両タイトルを連覇した。

クーパーの快進撃に衝撃を受けた他チームはこぞってミッドシップマシンを開発。チーム・ロータスらの台頭により、徐々にクーパーの優位は失われていく。ブラバムの独立後、ブルース・マクラーレンが新エースとなるも成績は下降。チャーリー・クーパーが死去し、息子ジョンも交通事故で負傷した後、1965年に会社はチップステッド・モーターグループへ売却される。クーパー名義での参戦は続き、1966年にマセラティエンジンを搭載してジョン・サーティースヨッヘン・リントらが好走。しかし再び戦力を落とし、1969年末にF1からの撤退を決めた。

ミニ・クーパーの活躍

ミニ・クーパーの詳細についてはミニ (BMC)またはミニ (BMW)を参照。

クーパーは小型乗用車ミニの性能に目をつけ、BMCにスポーツモデルの販売を提案。チューンナップを手がけたミニ・クーパー、ミニ・クーパーSは1960年代のレース界を席巻した。伝統のラリー・モンテカルロでは、ランチアポルシェら強豪を退け1964、1965、1967年の総合優勝を果たした。1966年の優勝が認められれば4連覇だったが、この時はライトの規定違反を問われ失格処分となった。

ミニの製造メーカーが合併・買収などで変化しても、ミニ・クーパーはスポーツモデルとして継承されている。 ジョン・クーパーはチューンナップガレージを経営する傍ら、これらの開発アドバイザーも務めていた。クーパーワークスのシンボルであるブリティッシュグリーンに白いストライプのカラーリング(画像参照)は、市販モデルでも人気カラーのひとつになっている。

クーパーの功績

ミッドシップ革命

1930年代のアウトウニオンPワーゲンがミッドシップ方式で成功した例があるものの、フォーミュラカーのエンジンレイアウトは1950年代も依然フロントエンジン・リヤドライブ(FR)方式が主流を占めていた。しかしF1におけるクーパーの活躍により、地殻変動のごとくミッドシップ化が進行することになる。クーパーのマシンは小型でエンジンも非力だったが、ミッドシップ特有の軽快なコーナリング性能を発揮し、フェラーリらのFRマシンを時代遅れなものにした。クーパーは1951年のインディ500にも挑戦し、大排気量車を相手に9位と健闘。その後ロータスの優勝もあり、アメリカのオープンホイールカーレースでもミッドシップ化が進むことになる。

ただし、最初にクーパー・500でミッドシップ方式を採ったのは「オートバイエンジンのチェーン駆動に適している」という現実的な理由であった。クーパーの設計思想はむしろ保守的・職人的であり、モノコックシャシーなど革新的な技術を打ちだすロータスに対しては、安全性を考慮し直ちに追随しなかった。

コンストラクターのモデル

従来のF1参戦マシンは、フェラーリやメルセデス・ベンツなどの自動車メーカーがシャーシとエンジンをセットで開発するのが一般的であった。これに対し、非メーカー系チームのクーパーはシャーシのみを設計し、量販エンジンを搭載するというコンストラクター(車体製造者)の立場で頂点を極めた。下町の小さなガレージの裏庭でマシンを組み立てるため「バックヤードビルダー」と呼ばれたこのスタイルを手本に、1960年代から1970年代にかけて続々と英国系コンストラクターが誕生し、F1に参戦することになる。

人材輩出

クーパーは1960年代末に消滅したが、所属ドライバーが独立して創設したブラバムマクラーレンは、後に名門チームへと成長する。ドライバー以外でも、クーパーのF2チームを指揮し、一時期F1チームの監督代行も務めていたケン・ティレルが独立してティレルを興した。マクラーレンの総帥ロン・デニスも、もとはクーパーのメカニックとしてレース界に入った人物である。

F1における全成績

ワークス

((key)) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 順位
1953年 T20
T23
(T21)
ブリストル BS1 2.0 L6
アルタ GP 2.5 L4
D ARG (500) NED BEL FRA GBR GER SUI ITA -* -*
  (アラン・ブラウン) 9
  (ジョン・バーバー) 8
  (アドルフォ・シュウェルム・クルス) Ret
  スターリング・モス 9 Ret 6 13
1955年 T40 ブリストル BS1 2.0 L6 D ARG MON (500) BEL NED GBR ITA -* -*
  ジャック・ブラバム Ret
1957年 T43 クライマックス FPF 2.0 L4
クライマックス FPF 1.5 L4
A

D

ARG MON 500 FRA GBR GER PES ITA -* -*
  ジャック・ブラバム 6 7† / Ret
  (レス・レストン) DNQ
  (マイク・マクドウェル) 7†
  (ロイ・サルヴァドーリ) 5 Ret Ret
1958年 (T45)
(T44)
クライマックス FPF 2.0 L4
クライマックス FPF 1.5 L4
D ARG MON NED 500 BEL FRA GBR GER POR ITA MOR 31 3rd
  ジャック・ブラバム 4 8 Ret 6 6 Ret 7 Ret 11
  (ロイ・サルヴァドーリ) Ret 4 8 11 3 2 9 5 7
  (イアン・バージェス) Ret
  (ジャック・フェアーマン) 8
  ブルース・マクラーレン 5 13
1959年 (T51) クライマックス FPF 2.5 L4 D MON 500 NED FRA GBR GER POR ITA USA 40
(53)
1st
  ブルース・マクラーレン 5 5 3 Ret Ret Ret 1
  ジャック・ブラバム 1 2 3 1 Ret Ret 3 4
  (マステン・グレゴリー) Ret 3 Ret 7 Ret 2
  (ジョルジオ・スカルラッティ) 12
1960年 (T51)
T53
クライマックス FPF 2.5 L4 D ARG MON 500 NED BEL FRA GBR POR ITA USA 48
(58)
1st
  ブルース・マクラーレン 1 2 Ret 2 3 4 2 3
  ジャック・ブラバム Ret DSQ 1 1 1 1 1 4
  (チャック・デイ) Ret
  (ロン・フロックハート) Ret
1961年 (T55)
T58
クライマックス FPF 1.5 L4
クライマックス FWMV 1.5 V8
D MON NED BEL FRA GBR GER ITA USA 14
(18)
4th
  ブルース・マクラーレン 6 12 Ret 5 8 6 3 4
  ジャック・ブラバム Ret 6 Ret Ret 4 NC Ret Ret
1962年 (T60)
(T55)
クライマックス FWMV 1.5 V8
クライマックス FPF 1.5 L4
D NED MON BEL FRA GBR GER ITA USA RSA 29
(37)
3rd
  ブルース・マクラーレン Ret 1 Ret 4 3 5 3 3 2
  (トニー・マグス) 5 Ret Ret 2 6 9 7 7 3
  (ティミー・メイヤー) Ret
1963年 (T66) クライマックス FWMV 1.5 V8 D MON BEL NED FRA GBR GER ITA USA MEX RSA 25
(26)
5th
  ブルース・マクラーレン 3 2 Ret 12 Ret Ret 3 11 Ret 4
  (トニー・マグス) 5 7 Ret 2 9 Ret 6 Ret Ret 7
1964年 (T73)
(T66)
クライマックス FWMV 1.5 V8 D MON NED BEL FRA GBR GER AUT ITA USA MEX 16 5th
  フィル・ヒル 9 8 Ret 7 6 Ret Ret Ret 9
  ブルース・マクラーレン Ret 7 2 6 Ret Ret Ret 2 Ret 7
1965年 T77
(T73)
クライマックス FWMV 1.5 V8 D RSA MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX 14 5th
  ブルース・マクラーレン 5 5 3 Ret 10 Ret Ret 5 Ret Ret
  ヨッヘン・リント Ret DNQ 11 Ret 14 Ret 4 8 6 Ret
1966年 T81 マセラティ 9/F1 3.0 V12 D MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX 30
(35)
3rd
  リッチー・ギンサー Ret 5
  ヨッヘン・リント Ret 2 4 5 Ret 3 4 2 Ret
  ジョン・サーティース Ret Ret Ret 2 Ret 3 1
  クリス・エイモン 8
  (モイセス・ソラーナ) Ret
1967年 T81
T81B
T86
マセラティ 9/F1 3.0 V12
マセラティ 10/F1 3.0 V12
F RSA MON NED BEL FRA GBR GER CAN ITA USA MEX 28 3rd
  ヨッヘン・リント Ret Ret Ret 4 Ret Ret Ret Ret 4 Ret
  ペドロ・ロドリゲス 1 5 Ret 9 6 5 8 6
  アラン・リース 9
  リチャード・アトウッド 10
  ジャッキー・イクス 6 Ret
1968年 T81B
T86
T86B
T86C
マセラティ 10/F1 3.0 V12
BRM P142 3.0 V12
アルファロメオ T33 3.0 V8
F

G

RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER ITA CAN USA MEX 14 7th
  ブライアン・レッドマン Ret 3 Ret
  ルドヴィコ・スカルフィオッティ Ret 4 4
  ルシアン・ビアンキ 3 6 Ret Ret NC Ret Ret
  (ビック・エルフォード) 4 Ret Ret Ret 5 Ret 8
  ジョニー・セルボ=ギャバン Ret
  (ロビン・ウィドウズ) Ret
  • *コンストラクタータイトルは1958年から設定された。このためコンストラクターとしてのポイントやランキングは存在しない。
  • 印は同じ車両を使用したドライバーに順位とポイントが配分された。

ノンワークス

前述した通り、クーパーのマシンは多数のプライベーターに使用された。ロブ・ウォーカー・レーシングチームは1958年から1959年にかけて4勝(スターリング・モス3勝、モーリス・トランティニアン1勝)を記録している。

((key)) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12
1950年 GBR MON 500 SUI BEL FRA ITA
(ホーシェル・レーシング・コーポレーション) (T12) (JAP) 1.1 L2 D   (ハリー・シェル) Ret
1952年 SUI 500 BEL FRA GBR GER NED ITA
(L.D. ホーソーン) T20 ブリストル BS1 2.0 L6 D   マイク・ホーソーン 4 3 4 Ret
(AHM ブライド) Ret
  (レグ・パーネル) 7
(エキュリー・リッチモンド)   (アラン・ブラウン) 8 9 20 13
  (エリック・ブランドン) 5 6 22 15
(エキュリー・エコッセ)   (デヴィッド・マレー) Ret
1953年 ARG (500) NED BEL FRA GBR GER SUI ITA
(R.J. チェース) T23 ブリストル BS1 2.0 L6 D   アラン・ブラウン Ret
(エキップ・アングレーズ) Ret 12
  (ヘルムート・グロックラー) DNS
ケン・ウォートン   ケン・ウォートン Ret Ret 8 7 NC
(ボブ・ジェラード)   (ボブ・ジェラード) 11 Ret
(ロドニー・ナッキー)   (ロドニー・ナッキー) 11
エキュリー・エコッセ T20   (ジミー・スチュワート) Ret
(トニー・クルック)   (トニー・クルック) Ret
(アトランティック・ステーブル) (T24) アルタ GP 2.5 L4   (ピーター・ホワイトヘッド) 9
1954年 ARG (500) BEL FRA GBR GER SUI ITA ESP
ボブ・ジェラード T23 ブリストル BS1 2.0 L6 D   ボブ・ジェラード 10
(グールズ・ガレージ)   (ホレース・グールド) 15
エキュリー・リッチモンド   エリック・ブランドン Ret
  ロドニー・ナッキー DNS
R.J. チェース   アラン・ブラウン DNS
(ピーター・ホワイトヘッド) T24 アルタ GP 2.5 L4   ピーター・ホワイトヘッド Ret
1956年 ARG MON 500 BEL FRA GBR GER ITA
ボブ・ジェラード T23 ブリストル BS1 2.0 L6 D   ボブ・ジェラード 11
1957年 ARG MON 500 FRA GBR GER PES ITA
R.R.C. ウォーカー・レーシング・チーム T43 クライマックス FPF 2.0 L4 D   ジャック・ブラバム Ret 7
クライマックス FPF 1.5 L4 Ret
J.B. ネイラー T43   ブライアン・ネイラー 13
(リッジウェイ・マネージメンツ) (T41)
T43
  (トニー・マーシュ) 15
  (ポール・イングランド) Ret
(ディック・ギブソン) T43   (ディック・ギブソン) Ret
ボブ・ジェラード (T44) ブリストル BS2 2.2 L6   ボブ・ジェラード 6
1958年 ARG MON NED 500 BEL FRA GBR GER POR ITA MOR
ロブ・ウォーカー・レーシングチーム T43
(T45)
クライマックス FPF 2.0 L4 C

D

  スターリング・モス 1
  モーリス・トランティニアン 1 9 8 3 8 Ret Ret
  (ロン・フロックハート) DNQ
T43 クライマックス FPF 1.5 L4 D   (フランソワ・ピカール) Ret
(ハイ・エフィシエンシー・モータース) T43   イアン・バージェス 7
(トニー・マーシュ) T45   トニー・マーシュ 8
(ロベール・ラ・カズ) T45   (ロベール・ラ・カズ) 14
(アンドレ・ゲルフィ) T45   (アンドレ・ゲルフィ) 15
ディック・ギブソン T43   ディック・ギブソン Ret
エキュリー・エペロン・ドール T43   (クリスチャン・ゲータルズ) Ret
J.B. ネイラー T45   ブライアン・ネイラー Ret
(スクーデリア・セントロ・スッド) T43   (ウォルフガング・ザイデル) Ret
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ T45   (トム・ブリッジャー) Ret
1959年 MON 500 NED FRA GBR GER POR ITA USA
ロブ・ウォーカー・レーシングチーム (T51) クライマックス FPF 2.5 L4 D   モーリス・トランティニアン 3 8 11 5 4 4 9 2
  スターリング・モス Ret Ret Ret 1 1 Ret
(R.H.H. パーネル) T45
T51
クライマックス FPF 1.5 L4   (ヘンリー・テイラー) 11
  (ティム・パーネル) DNQ
(アラン・ブラウン・エキップ) T45 クライマックス FPF 1.5 L4   (ピーター・アシュダウン) 12
  (マイク・テイラー) Ret
(ハイ・エフィシエンシー・モータース) T45 クライマックス FPF 2.5 L4   (ジャック・フェアーマン) Ret
(エキュリー・ブルー) T51 クライマックス FPF 2.5 L4   ハリー・シェル Ret
(テイラー-クロウリー・レーシング・チーム) T51 クライマックス FPF 2.5 L4   (ジョージ・コンスタンチン) Ret
(エキップ・ナツィオナーレ・ベルゲ) T51 クライマックス FPF 1.5 L4   (アラン・ド・シャニュイ) DNQ
  ルシアン・ビアンキ DNQ
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ T51 クライマックス FPF 1.5 L4   (アイヴァー・ビューブ) DNQ
(ジャン・ルシアンボネ) T45 クライマックス FPF 1.5 L4   (ジャン・ルシアンボネ) DNQ
(エース・ガレージ-ロザラム) T51 クライマックス FPF 1.5 L4   (トレバー・テイラー) DNQ
(ギルビー・エンジニアリング) T45 クライマックス FPF 1.5 L4   (キース・グリーン) DNQ
(ユナイテッド・レーシング・ステーブル) T51 クライマックス FPF 2.5 L4   (ビル・モス) DNQ
スクーデリア・セントロ・スッド T51 マセラティ 250S 2.5 L6   (イアン・バージェス) Ret Ret 6 14
  (マリオ・カブラル) 10
  (コリン・デイヴィス) Ret 11
  ハンス・ヘルマン Ret
ハイ・エフィシエンシー・モータース T45   (ロイ・サルヴァドーリ) 6 Ret Ret
  ジャック・フェアーマン Ret Ret
ブリティッシュ・レーシング・パートナーシップ T51 ボルクヴァルト 1500 RS 1.5 L6   クリス・ブリストウ 10
  アイヴァー・ビューブ 13
オスカ・オートモビリ T43 オスカ 2.0 L6   (アレッサンドロ・デ・トマソ) Ret
1960年 ARG MON 500 NED BEL FRA GBR POR ITA USA
(ヨーマン・クレジット・レーシング・チーム) T51 クライマックス FPF 2.5 L4 D   オリヴィエ・ジャンドビアン 3 2 9 7 12
  トニー・ブルックス 4 Ret Ret 5 5 Ret
  ヘンリー・テイラー 7 4 8 14
  フィル・ヒル 6
  クリス・ブリストウ Ret Ret Ret
  (ブルース・ハルフォード) 8
(フレッド・トラック・カーズ) T51 DNQ
  ルシアン・ビアンキ Ret Ret
エキップ・ナツィオナーレ・ベルゲ T45 6
ロブ・ウォーカー・レーシングチーム T51   モーリス・トランティニアン 3†
  スターリング・モス Ret/3†
  (ランス・リヴェントロウ) PO
ハイ・エフィシエンシー・モータース T51   ロイ・サルヴァドーリ Ret 8
(エキュリー・マールスベルゲン) T51 クライマックス FPF 1.5 L4   カレル・ゴダン・ド・ボーフォール 8
(スクーデリア・コロニア) T43 クライマックス FPF 1.5 L4   (ピエロ・ドロゴ) 8
(ヴォルフガング・ザイデル) T45 クライマックス FPF 1.5 L4   ヴォルフガング・ザイデル 9
エキュリー・ブルー T51 クライマックス FPF 2.2 L4   ハリー・シェル Ret
(C.T. アトキンス) T51 クライマックス FPF 2.5 L4   ジャック・フェアーマン Ret
(アーサー・オーウェン) T45 クライマックス FPF 2.2 L4   (アーサー・オーウェン) Ret
エキップ・プリドー/(ディック・ギブソン) T43 クライマックス FPF 1.5 L4   (ヴィク・ウィルソン) Ret
スクーデリア・セントロ・スッド T51 マセラティ 250S 2.5 L6   (カルロス・メンディテギー) 4
  (マステン・グレゴリー) DNQ DNS 9 14 Ret
  ヴォルフガング・フォン・トリップス 9
  イアン・バージェス DNQ Ret 10 Ret
  (ロベルト・ボノーミ) 11
  モーリス・トランティニアン Ret Ret Ret 15
  マリオ・カブラル Ret
  (アルフォンソ・シール) Ret
ギルビー・エンジニアリング T45   キース・グリーン Ret
スクーデリア・エウジェニオ・カステロッティ T51 カステロッティ 2.5 L4   (ジュリオ・ガビアンカ) 4
  (ジーノ・ムナロン) Ret 15 Ret
  (ジョルジオ・スカルラッティ) DNQ Ret
(フレッド・アームブラスター) T45 フェラーリ 107 2.5 L4   (ピート・ラヴリー) 11
1961年 MON NED BEL FRA GBR GER ITA USA
ヨーマン・クレジット・レーシング・チーム T53 クライマックス FPF 1.5 L4 D   ジョン・サーティース 11 7 5 Ret Ret 5 Ret Ret
  ロイ・サルヴァドーリ 8 6 10 6 Ret
(H&L モータース) T53   (ジャッキー・ルイス) 9 Ret Ret 9 4
(ジョン・M・ワイアット三世) T53   ロジャー・ペンスキー 8
カモラーディ・インターナショナル T53   マステン・グレゴリー DNQ DNS 10 12 11
  イアン・バージェス 12
(ハップ・シャープ) T53   (ハップ・シャープ) 10
(ベルナール・コローム) T53   (ベルナール・コローム) Ret NC
フレッド・トラック・カーズ T45   ジャック・フェアーマン Ret
(モモ・コーポレーション) T53   (ウォルター・ハンセン) Ret
(スクーデリア・セレニッシマ) T51 マセラティ 6-1500 1.5 L4   モーリス・トランティニアン 7 Ret 13 Ret 9
スクーデリア・セントロ・スッド T51
T53
  ロレンツォ・バンディーニ Ret 12 Ret 8
  (マッシモ・ナティリ) Ret DNS
(ペスカーラ・レーシング・チーム) T45   (レナート・ピロッキー) 12
1962年 NED MON BEL FRA GBR GER ITA USA RSA
(エキュリー・ギャロワーズ) T53 クライマックス FPF 1.5 L4 D   ジャッキー・ルイス 8 DNQ Ret 10 Ret
(ジョン・ラヴ) (T55)   (ジョン・ラヴ) 8
(アングロ=アメリカン・エキップ) (T59)   イアン・バージェス 12 11 DNQ
ハップ・シャープ T53   ハップ・シャープ 11
ベルナール・コローム T53   ベルナール・コローム Ret
(マイク・ハリス) T53 アルファロメオ ジュリエッタ 1.5 L4   (マイク・ハリス) Ret
1963年 MON BEL NED FRA GBR GER ITA USA MEX RSA
R.R.C. ウォーカー・レーシング・チーム (T60) クライマックス FWMV 1.5 V8 D   ヨアキム・ボニエ 7 5 11 NC Ret 6 7 8 5 6
ジョン・ラヴ T55 クライマックス FPF 1.5 L4   ジョン・ラヴ 9
スクーデリア・セントロ・スッド T60 クライマックス FWMV 1.5 V8   マリオ・カブラル Ret DNQ
(フランク・ダッチナル) T51 クライマックス FPF 1.5 L4   (フランク・ダッチナル) DNQ
(スクーデリア・ルッピーニ) T51 マセラティ 6-1500 1.5 L4   (トレヴァー・ブロクダイク) 12
スクーデリア・セントロ・スッド T53   エルネスト・ブランビラ DNQ
1964年 (MON) (NED) (BEL) (FRA) (GBR) (GER) (AUT) (ITA) (USA) (MEX)
R.R.C. ウォーカー・レーシング・チーム (T66) クライマックス FWMV 1.5 V8 D   ヨアキム・ボニエ 5
  (エドガー・バース) Ret
(ファーブル・ユルバン) T60   (ジャン=クロード・ルーダス) DNS
ボブ・ジェラード・レーシング (T73) フォード 109E 1.5 L4   ジョン・テイラー 14
1965年 RSA MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX
ジョン・ラヴ T55 クライマックス FPF 1.5 L4 D   ジョン・ラヴ Ret
ボブ・ジェラード・レーシング T60 クライマックス FWMV 1.5 V8   (ジョン・ローズ) Ret
(トレヴァー・ブロクダイク) T59 フォード 109E 1.5 L4   トレヴァー・ブロクダイク DNQ
ボブ・ジェラード・レーシング T73   (アラン・ローリンソン) DNQ
1966年 MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX
R.R.C. ウォーカー・レーシング・チーム T81 マセラティ 9/F1 3.0 V12 D   ジョー・シフェール Ret Ret NC Ret Ret 4 Ret
ヨアキム・ボニエ・レーシング・チーム T81 D

F

  ヨアキム・ボニエ NC Ret 7 Ret Ret NC 6
ギ・リジェ T81 D   ギ・リジェ NC NC NC 10 9 DNS
(J.A. ピアース・エンジニアリング・リミテッド) T73 フェラーリ 218 3.0 V12 D   (クリス・ローレンス)(英語版) 11 Ret
1967年 RSA MON NED BEL FRA GBR GER CAN ITA USA MEX
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシング・チーム T81 マセラティ 9/F1 3.0 V12 F   ジョー・シフェール Ret Ret 10 7 4 Ret Ret DNS Ret 4 12
ヨアキム・ボニエ・レーシング・チーム T81   ヨアキム・ボニエ Ret Ret Ret 6 8 Ret 6 10
ギ・リジェ T81 D

F

  ギ・リジェ 10 NC
ジョン・ラヴ (T79) クライマックス FPF 2.8 L4 F   ジョン・ラヴ 2
(トム・ジョーンズ) (T82) クライマックス FWMV 2.0 V8 -   (トム・ジョーンズ) DNQ
(シャルル・ホーゲル・レーシング) T77 ATS 2.7 V8 D   シルビオ・モーザー Ret
1968年 RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER ITA CAN USA MEX
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシング・チーム T81 マセラティ 9/F1 3.0 V12 F   ジョー・シフェール 7
ヨアキム・ボニエ・レーシング・チーム T81 G   ヨアキム・ボニエ Ret
ジョン・ラヴ T79 クライマックス 2.8 L4 F   (ベイシル・ヴァン・ルーエン) Ret
1969年 RSA SPA MON NED FRA GBR GER ITA CAN USA MEX
(アンティーク・オートモビルズ) T86B マセラティ 10/F1 3.0 V12 G   (ビック・エルフォード) 7
  • 印は同じ車両を使用したドライバーに順位とポイントが配分された。
  • 印はF2のマシンで出場した。

参照

参考文献

  • 神田重巳『世界の自動車-15 クーパー ローラ エルヴァ』二玄社

関連項目


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