高橋 お伝(たかはし おでん、本名:でん、嘉永3年(1850年) - 明治12年(1879年)1月31日)は、日本の殺人犯、女性死刑囚。仮名垣魯文の「高橋阿伝夜刃譚」のモデルとなり、「明治の毒婦」と呼ばれたが、実際は毒婦ではなく、殺人行為は相手に非があったとされている(後述を参照)。
略歴
嘉永3年7月(1850年8月)[注釈 1]、上野国利根郡下牧村(現:群馬県利根郡みなかみ町)に生まれ、生後すぐに養子に出される[2]。
慶応2年12月(1867年1月)[注釈 2]、同郷の高橋浪之助と結婚し横浜へと移る[3]。明治5年(1872年) 9月17日、浪之助が癩病を発病して死去[注釈 3]。その後、妾や街娼になり、逮捕まで同棲するやくざ者の小川市太郎と恋仲になる。
明治9年(1876年)8月、市太郎との生活で借財が重なり、古物商の後藤吉蔵に借金の相談をしたところ、「愛人になるなら金を貸す」と言われる。8月26日、お伝は吉蔵の申し出を受け入れ、偽名を使って偽装夫婦となり、東京・浅草蔵前片町の旅籠屋「丸竹」で同衾した。しかし、翌日になって吉蔵が突然「金は貸せない」と言い出したことで、これに怒ったお伝は、剃刀で喉を切って吉蔵を殺害。翌日の午後まで寝床から出ず、食事を済ませた後、夕方に「用を足しに行く」と言い残し、財布の中にあった金を奪って逃走した。翌朝、不審に思った宿の者により事件が発覚。現場には「姉の敵討ち」と称した「書置」が残っていた。その後の捜査で、吉蔵、お伝ともに身元が割れた[5]。
9月9日、お伝は強盗殺人容疑で逮捕される。逮捕後は「姉の敵」と称しなかなか白状せず、「吉蔵は血迷って自分で自らの喉を切った」と主張したが、診断書と関係者の証言により、犯行が裏付けられたことで遂に自供。明治11年(1878年)10月23日、取り調べが終わり、市太郎との面会が許された[6]。
明治12年(1879年)1月31日、東京裁判所で死刑判決。市ヶ谷監獄で死刑執行。八代目山田浅右衛門の弟吉亮により、斬首刑に処された[7][8]。遺体は警視庁第五病院で軍医の小山内建(小山内薫の父親)により解剖され、その一部(性器)の標本が衛生試験場に保存された。その後、東京大学医学部、戦時中には東京陸軍病院に渡ったとされるも、詳細は不明である[9]。最終的に小塚原回向院に埋葬された。墓は片岡直次郎・鼠小僧次郎吉・腕の喜三郎の墓に隣接して置かれている。
その他
高橋お伝は、「日本で最後に打ち首となった女囚」とされることが多いが、誤りである。明治15年(1882年)1月1日に新律綱領・改定律例に代わって旧刑法が施行されるまで、斬首刑に処された女性が、明治13年(1880年)は8人、明治14年(1881年)は7人いる。さらに、お伝が死刑執行された年は彼女を含めて14人の女性が斬首刑に処せられた[10][11][12]。したがって、高橋お伝は「最後に斬首された女囚」ではなく、正確には「最後に斬首された女囚から数えて16番目から29番目の間に斬首された女囚」ということになる。なお、最後に斬首刑に処された女性が明治14年(1881年)に処せられた7人のうち誰なのかは不明である[注釈 4]。ちなみに、男性をふくめれば、最後に斬首刑に処せられたのは明治14年(1881年)12月30日に鳥取県で斬首刑の判決が下された(徳田徹夫)(罪状:徳田含めた6人組で武装し、強盗殺人[殺害人数:1人])である[14]。また、判決では除族も付加されている。
没後の動向
処刑の翌日から「仮名読新聞」「有喜世新聞」などの小新聞が一斉にお伝の記事を「仏説にいふ因果応報母が密夫の罪(「仮名読」)」、「四方の民うるほひまさる徳川(「有喜世新聞」)」といった戯作調の書き出しで掲載した[15]。読売の自演により、口説き歌として流行した。これが後の「毒婦物」の契機となる。
明治14年(1881年)4月、お伝三回忌のおりに仮名垣魯文の世話で、谷中霊園にもお伝の墓が建立された[注釈 5]。歌舞伎役者の十二代目守田勘彌、五代目尾上菊五郎、初代市川左團次、噺家の三遊亭圓朝、三代目三遊亭圓生らがお伝の芝居を打って当たったので、その礼として寄付し建てたという。
お伝を描いた作品
- 新聞雑報
- 『毒婦お伝のはなし』東京絵入新聞[注釈 6]1879年2月1日-21日
- 歌舞伎
- 小説
- 評伝
- 歌謡曲
- お伝地獄の唄 藤田まさと作詞、大村能章作曲、新橋喜代三唄、ポリドール・レコード 昭和11年4月
- 浪曲
- 『高橋お伝』玉川太郎(後の(小金井太郎))演
- 映画
- 『高橋お伝』(1912年 福宝堂)
- 『お伝地獄』前中後編(1925年、監督:野村芳亭、高橋お伝:柳さく子 松竹下加茂撮影所)
- 『高橋お伝』前後篇(1926年、監督:(山上紀夫)、高橋お伝:五月信子 (中央映画社))
- 『高橋お伝』(1929年、監督:(丘虹二)、高橋お伝:鈴木澄子 河合映画製作社)
- 『お伝地獄』(1935年、監督:石田民三、高橋お伝:鈴木澄子 新興キネマ京都撮影所)
- 『毒婦高橋お伝』(1958年、監督:中川信夫、高橋お伝:若杉嘉津子 新東宝)
- 『(お伝地獄)』(1960年、監督:木村恵吾、高橋お伝:京マチ子 大映東京撮影所)
- 『明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史』(1969年、監督:石井輝男、高橋お伝:(由美てる子) 東映京都撮影所)
- 『毒婦お伝と首斬り浅』(1977年、監督:牧口雄二、高橋お伝:東てる美 東映京都撮影所)
- 『(紅夜夢)』(1983年、監督:西村昭五郎、高橋お伝:親王塚貴子 にっかつ=アマチフィルム)
- 漫画
トリビア
- 「お伝の墓に参ると三味線が上達する」という評判があり、三味線を習う者の墓参が伝逝去後の現在もかなりあるといわれる[要出典]。
脚注
注釈
- ^ 生年月日については月夜野町役場の戸籍では嘉永元年7月29日(1848年8月27日)となっている他、実家・養家の経歴書では同年8月13日(1848年9月10日)、他には嘉永4年(1851年)とする説がある[1]。
- ^ 慶応3年11月(1867年12月)とする説もある[要出典]。
- ^ 毒殺などと言われるが実際は逆で、お伝は厚い看病をしていたという[4]。
- ^ 事実かどうかは定かではないものの、旧刑法施行後の1886年(明治19年)12月に(「青森の亭主殺し」事件の加害者である小山内スミと小野長之助)の公開斬首刑が青森県弘前市の青森監獄前で行われた。この時2人の斬首刑に兼平巡査が斬首刑の執行人として、死刑執行者付添役に森矯(東奥義塾教師)がそれぞれの任を果したといわている。もし、これが事実である場合、この死刑執行は事実上の斬首刑の最後であるとともに、官憲による日本国内における一般刑法犯に対する最後の非合法[当時の旧刑法では、非公開絞首刑のみ。]の死刑執行かつ公開処刑であるといわざるを得なくなると同時に、高橋お伝は17番目から30番目の間に斬首された女囚であり、本当に斬首刑にされた最後の女囚は小山内スミということになる[13]。
- ^ 遺骨は納められていない。
- ^ 錦絵新聞の一。明治23年(1890年)に廃刊した。
出典
- ^ 橋本勝三郎『江戸の百女事典』新潮選書、1997年、pp.130-132
- ^ 楠戸義昭『維新の女』毎日新聞社、1992年、pp.200-201
- ^ 楠戸義昭『維新の女』毎日新聞社、1992年、p.201
- ^ 中嶋繁雄 『明治の事件史』 青春出版社〈青春文庫〉、2004年、p.82
- ^ 中嶋繁雄 『明治の事件史』 青春出版社〈青春文庫〉、2004年、pp.77-79
- ^ 中嶋繁雄 『明治の事件史』 青春出版社〈青春文庫〉、2004年、pp.79-81
- ^ 重松一義『日本刑罰史年表:増補改訂版』柏書房、2007年
- ^ 重松一義『大江戸暗黒街:八百八町の犯罪と刑罰』柏書房、2005年
- ^ 朝倉喬司 「高橋お伝」『毒婦伝:高橋お伝、花井お梅、阿部定』中公文庫、2013年
- ^ 司法省 (1879年). “司法省第五刑事統計年報 第一號 常事犯者ノ罪名及び處斷(コマ番号57)”. 2020年10月24日閲覧。
- ^ 司法省 (1880年). “司法省第六刑事統計年報 第一部第一號 常事犯者ノ罪状及處斷(コマ番号60)”. 2020年10月24日閲覧。
- ^ 司法省 (1881年). “司法省第七刑事統計年報 第一部第一號 常事犯者ノ罪状及處斷(コマ番号57)”. 2020年10月24日閲覧。
- ^ 手塚 豊 (1960-04), 刑罰と国家権力 国家的刑罰権と非国家的刑罰権――明治前期の場合に関する一未定稿, 法制史学会, pp. 182-185, doi:10.11501/2527269, NCID BN0366777X
- ^ 鳥取県 (1881) (JPEG,PDF). 鳥取県史(鳥取県歴史) 政治部(明治14年)(27-32コマ) (Report). 国立公文書館 2021年10月17日閲覧。.
- ^ 眞有 澄香『〈毒婦〉という教育』日本ペンクラブ 電子文藝館
参考文献
- 重松一義『日本刑罰史年表』雄山閣出版、1972年。
- 重松一義『日本刑罰史年表』増補改訂版、柏書房、2007年。(ISBN 9784760131655)
- 楠戸義昭『維新の女』毎日新聞社、1992年。(ISBN 9784620308975)
- 橋本勝三郎『江戸の百女事典』新潮社〈新潮選書〉、1997年。(ISBN 4106005166)
- 朝倉喬司『毒婦伝』平凡社、1999年。(ISBN 4582829333)
- 中嶋繁雄 『明治の事件史:日本人の本当の姿が見えてくる!』青春出版社〈青春文庫〉、2004年。(ISBN 4413092899)
- 重松一義『大江戸暗黒街:八百八町の犯罪と刑罰』柏書房、2005年。(ISBN 4760128085)
関連文献
関連項目
外部リンク
- 高橋お伝『明治大正犯罪実話集』春江堂編輯部 編 (春江堂, 1929)