概要
統計
第二次世界大戦後の日本では、死刑が確定した女性死刑囚は、2023年(令和5年)1月15日時点で17人である。このうち2023年(令和5年)1月15日時点で5人が既に死刑を執行された一方、5人(うち1人は確定後、恩赦で(無期懲役)に減刑)は死刑を執行されぬまま病死し、残る7人が収監中である(後述)。なお、昭和に入って戦前までの間では、死刑を執行された女性死刑囚は3人とされる[注 1][1]。
戦後、1987年(昭和62年)末までに第一審で死刑判決を宣告された被告人の総人数は全893人(うち、死刑確定は628人)であり、そのうち女性の被告人は10人(893人中1.12%)で、死刑が確定した者は3人(後述の表1 - 3番)[注 2]だった[2]。最高裁やアムネスティ・インターナショナル日本支部の調査によると、現行の刑事訴訟法が施行された1949年(昭和24年)以降、2002年(平成14年)12月12日までに死刑判決を言い渡された男性は計702人であり[3][4]、女性は14人ないし15人であった[注 3]。
なお、戦後日本の女性死刑囚はいずれも、犯行当時成人であり、女性の少年死刑囚(犯行当時に未成年だった死刑囚)は2022年時点で存在しない。
分析
女性の死刑囚が少ない理由として、佐々木光明ら (1990) は、平成元年版『犯罪白書』のデータを引用し、「女性の犯罪者は、男性に比べてはるかに少なく、まして、死刑相当犯罪のような凶悪な犯罪を犯す女性は、ごく少数だからである。」[注 4]と指摘している[5]。
女性死刑囚の特徴について、深笛義也 (2013)[注 5]は、「死刑に値するまでの罪を犯す女性は、男性と比べると著しく少ない。己が内に抱える攻撃性を抑えきれずに罪を犯したという例は、女性死刑囚には見られない。男性に稀に見られる、殺人そのものを快楽とする、という例も皆無だ。」と述べた[8]。その上で、林眞須美(和歌山毒物カレー事件の死刑囚)とK(埼玉愛犬家連続殺人事件の死刑囚)については公判資料を精読した上で、それぞれ無実である旨を主張している[9]。
村野薫 (2006) は、戦後日本で死刑判決を受けた女性(2006年までに全15人)の罪状[注 6]を考察し、「保険金殺人が6件、夫殺し(女性共犯者の夫も含む)が5件、薬物使用が5件を占め、共犯者(男性)も死刑に問われた事件が6件ある」と指摘している[10]。
妊婦に対する死刑執行
市民的及び政治的権利に関する国際規約第6条では、妊婦に対する死刑執行を禁じることが規定されている[5]。
日本では、刑事訴訟法第479条2項において、「死刑の言渡を受けた女子が懐胎しているときは、法務大臣の命令によって執行を停止する。」と規定されている[11]。ただし、戦後、実際にこの条文が適用された事例はない。確実な記録が存在する限りでは日本の歴史上、最後に死罪が確定した妊婦は、明治時代初頭の原田きぬだが、彼女は出産まで執行が猶予された後に斬首に処され、3日間梟首に処せられたという[12]。
大多数の国では、犯行時または裁判時に妊娠または乳幼児を養育している者に対し、特別な処遇を定めている[11]。そのような処遇を定めている国の中では、妊婦に死刑判決を言い渡さない国が最も多く、エチオピア・キューバ・ケニア・ザンビア・ジャマイカ・赤道ギニア・中国などが該当する[11]。また、その対象を妊婦だけでなく、3歳未満の乳幼児を養育している女性にも適用した国として、ルーマニア(1989年末に死刑を廃止)があった[13]。
日本と同様に、出産まで死刑の執行を猶予する国(例:アラブ首長国連邦・韓国・台湾・トルコなど)のほか、出産後一定期間まで死刑執行を猶予する国(例:イラク・インドネシア・サウジアラビア・リビアなど)、妊婦や乳幼児を養育している女性には一定期間死刑執行を猶予する国(例:アルジェリア・ソマリア・ベトナムなど)、妊婦には死刑執行を猶予するか減刑する国(インド・バングラデシュ・ミャンマーなど)、妊婦に死刑判決は言い渡すが減刑する国(例:クウェート)、すべての女性が死刑を免除される国(モンゴル・グアテマラ)などの例もある。なお、タイでは死刑を宣告された囚人は、国王に刑の軽減を請願することが認められているが、同国内務省は女性の囚人による請願を受理するように勧告しているという[5]。
一方で、妊産婦に対する特別な処遇を規定していない国(カリブ海沿岸の英語圏諸国の一部)や、妊婦が処刑されたという情報がある国(イラン)もある[14]。またアムネスティ・インターナショナルによれば、拘禁中の女性が拷問・虐待を受けて流産した事例が数多く報告されている[14]。
ジェンダーバイアス
ニューメキシコ大学教授の E. Rapaport の研究によると、死刑が家庭内の殺人よりも経済的その他の略奪的な殺人に重きを置いている一方で、女性は家庭内の殺人で死刑となるケースが多いことから、女性に不利なジェンダー差別が存在すると指摘している[15]。
サンフランシスコ大学教授の S. Shatz らの研究によると、死刑制度の適用にはジェンダーバイアスが存在し続けており、このバイアスの根源には歴史的な騎士道精神の概念があることが示唆されているという[16]。著者らは、2003年から2005年にかけてカリフォルニア州で起きた1,300件の殺人事件を調査した結果、女性に死刑が科せられる頻度は比較的低いと報告した。前述の E. Rapaport によると、女性死刑囚が少ないのは、死刑に値するほどの重大犯罪を犯す頻度が女性は少ないためだという。
アムネスティ・インターナショナルは、スーダンやイランで死刑判決を宣告された女性が、10代で結婚させられ、夫やその兄弟から暴力を受けていた事例を挙げ、「死刑判決を言い渡された女性は多くの場合、夫から虐待や性的暴力を受け続けやむにやまれず夫を殺めて罪に問われ、情状酌量の余地なく死刑を宣告されてきた。」「女性に死刑判決を下した裁判は、多くの場合、正式な手続きがとられなかったり、長年にわたり受けてきた虐待や性的暴力が減刑要素として考慮されなかったりと、ずさんで不公正なものだった。」と評している[17]。
アメリカのNPO法人である Death Penalty Information Center (死刑情報センター)の Robert Dunham は、女性への死刑適用が男性に比して少ない理由について、女性が犯す暴力犯罪のほとんどは家庭内殺人であり、それらはしばしば極度の精神的ストレスや精神疾患などに影響された行為とみなされるため、死刑の対象になりにくい、という旨の考察を述べている[18]。
海外
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国でも、女性死刑囚の数は男性に比してかなり少ない[5]。 EspyFile (アメリカや、かつてのアメリカの植民地での死刑執行の記録を保管しているデータベース)によれば、1632年以降、アメリカでは15,000人超の死刑執行があったが、そのうち女性への死刑執行記録は575人分だった[18]。1980年代初めには、全米の殺人事件のうち14%が女性によって犯されていた一方、女性の死刑囚は1%未満という報告もあったことを踏まえ、佐々木光明らは「死刑相当犯罪で有罪となった場合、男性の方が女性よりも多く死刑を宣告されているようである。」と指摘している[5]。
1998年1月1日時点で、全米には3,365人の死刑囚がいたが、そのうち女性はわずか47人だった[19]。同年2月3日にカーラ・タッカー (Karla Faye Tucker) 死刑囚の刑が執行されたが、女性死刑囚の執行は当時、テキサス州では135年ぶりで、全米では1976年に最高裁が死刑復活を認めてから2人目だった[19]。その後、2000年(3,593人)をピークに死刑囚の人数が減少し、2022年4月1日時点で2,414人おり、その内女性は1998年1月1日時点の人数とあまり変わらず、わずか50人である[20][21]。
更に、50人の内、22人の女性がカルフォニア州のカリフォルニア州中央州立女性刑務所に収監されているが、息子の嫁を殺人依頼して殺害させた罪で1962年8月8日にガス室で死刑執行されたエリザベス・ダンカンを最後にカリフォルニア州で死刑執行された女性はおらず(エリザベス・ダンカン自体、アメリカ合衆国内で、1972年の死刑執行一時停止前に執行された最後の女性である。)[22][23]、カリフォルニア州自体、2019年3月13日に死刑執行が一時停止されている[21][24]。
また、アメリカ連邦政府は2021年1月13日未明、2004年にミズーリ州で妊婦を殺害して腹部を切開し、胎児を取り出して連れ去ったリサ・モンゴメリー (Lisa Montgomery) の死刑を執行したが[25]、連邦政府による女性への死刑執行は、1953年に2人が処刑されて[26]以来[注 7]、68年ぶりのことで[29]、1927年以降では3人目だった[26]。なお、連邦政府は、リサ・モンゴメリーの死刑から、約半年後の2021年7月1日において、メリック・ガーランド司法長官より、連邦政政府による死刑執行を一時停止することを発表している[30][31][32]。
日本の主な女性死刑囚
戦前
- 原田きぬ - 死刑判決を受けた当時は妊娠中で、出産後の明治5年2月20日(1872年3月28日)に小塚原刑場で死刑執行(斬首刑)。
- (稲イシ) - 1878年(明治11年)10月14日に死刑執行(梟首<獄門>)
- 高橋お伝 - 1879年(明治12年)1月31日に市ヶ谷監獄で死刑執行(斬首刑)。
- (小山内スミ)(「青森の亭主殺し」事件) - 1886年(明治19年)12月に死刑執行(斬首刑)。
- 管野スガ(幸徳事件) - 1911年(明治44年)1月25日に市ヶ谷刑務所で死刑執行(29歳没)。
- 金子文子(朴烈事件) - 死刑判決を受けるが、後に恩赦で無期懲役に減刑。その後、1926年(大正15年)7月23日に栃木刑務所で獄死(23歳没)。
- (ST)(桐生夫毒殺事件) - 1939年(昭和14年)2月9日に大審院に上告棄却され死刑が確定する。戦前最後に死刑が確定された女性である[33][34][35]。
戦後日本の女性死刑囚一覧
1番(菅野村強盗殺人・放火事件の山本宏子)から8番(高知連続保険金殺人事件のS)は、村野薫 (2006) に基づく[36]。9番(宮崎2女性殺害事件のI)から14番(大牟田4人殺害事件のK)は、深笛義也 (2013) に基づく。それ以降は『年報・死刑廃止』 (2020) に基づく。
事件名および氏名が太字になっている場合は、存命者(および、その存命者による事件)を表す。正確な死刑確定日が判明している場合は、その日付を斜字で表記している。※は第一審が裁判員裁判で審理された事件およびその死刑囚。
確定順位 | 氏名[注 8] | 事件名 | 事件発生日 | 判決確定日[注 9] | 備考(執行日など) |
---|---|---|---|---|---|
1[36] | [37][38] | 山本宏子菅野村強盗殺人・放火事件 | 1949年 | 6月10日1951年[39][37] | 7月10日(上告棄却判決)戦後、女性への死刑宣告[40]・確定は初めて(戦前から数えても1939年以来)[38]。1915年(大正4年)5月30日生まれ[39]。 死刑確定後に精神異常を来たし[37]、1969年 9月 2日、恩赦のため(無期懲役)に減刑された(当時54歳)[41]。その後、八王子医療刑務所・和歌山刑務所で服役した[41]。 1978年 3月 4日、奈良県大和郡山市の国立療養所[注 10]で病死(62歳没)[41]。 戦後、恩赦で無期懲役に減刑された女性死刑囚は彼女が唯一である[40]。 |
2[42] | [42][43] | 杉村サダメ女性連続毒殺魔事件 | 1960年11月 - 12月 | 1963年[注 11](訂正申立棄却)[45] | 4月戦後2人目[43][42](山本以来)[43]。1911年(明治44年)10月27日生まれ[46]。 確定から7年後の1970年 9月19日に福岡拘置支所[注 12]で死刑執行[注 13][37](58歳没)[49]。 戦後、女性死刑囚への刑執行は2例目[42]。 |
3[42] | [42][50] | 小林カウホテル日本閣殺人事件 | 1961年 | 2月19日1966年[注 14](訂正申立棄却)[52] | 8月戦後3人目[50][42]。1908年(明治41年)10月2日生まれ[53]。 確定から3年後の1970年 6月11日に小菅刑務所(現:東京拘置所)で死刑執行(61歳没)[注 15][54]。 女性死刑囚への死刑執行は、戦後日本では初[54][42]。 |
4[42] | [42] | HN夕張保険金殺人事件 | 1984年 | 5月 5日1988年10月(8日ないし11日)[56][57] (控訴取り下げにより確定[注 16]) | 戦後4人目[42]。1947年(昭和22年)生まれ[58]。 確定から8年後の1997年 8月 1日、共犯者(夫)とともに札幌刑務所[注 17]で死刑執行(51歳没)[59]。 戦後、女性死刑囚への刑執行は3例目[60]。 |
5[42] | [42] | MA[42] | 自殺偽装夫殺害事件1974年 | 8月 8日1991年[注 18][62] | 3月 2日(正式確定)戦後5人目[61][42]。1932年(昭和7年)3月10日生まれ[63]。 殺人、死体遺棄の罪に問われた[64] 死刑確定後の1991年8月30日、夫殺害事件に関する鑑定書[注 19]を新証拠として、東京地裁に再審請求したが[65]、再審開始は認められなかった[66]。 2007年 7月17日に東京拘置所で病死(75歳没)[63]。 |
6[67] | 永田洋子[67][68] | 連合赤軍事件 | 1971年 - 1972年 | 2月1993年[注 20][62] | 3月10日(正式確定)戦後6人目[67]。1945年(昭和20年)2月8日生まれ[68]。 共犯者のうち、坂口弘は永田とともに死刑が確定[68]、坂東國男は逮捕後に超法規的措置で釈放され逃亡中。 2011年 2月 5日に東京拘置所で病死(65歳没)[68]。 |
7[67][72] | [67][73] | MT富山・長野連続女性誘拐殺人事件 | 1980年 | 2月 - 3月1998年10月[注 21][77][78][79] (確定から24年7か月と14日経過) | 9日(正式確定)戦後7人目[67][72]。1946年(昭和21年)2月14日生まれ[80]。 2020年(令和2年)9月27日時点で[81]、名古屋拘置所に収監中[73](現在77歳)。 警察庁広域重要指定111号事件[82]。共犯として愛人の男性が逮捕[72]・起訴され、Mは死刑を、男性は無期懲役をそれぞれ求刑された[83]が、刑事裁判では「事件はMの単独犯」と認定され[84][85]、男性は1992年に無罪が確定[86]。 |
8[67] | [67][87] | SH高知連続保険金殺人事件 | 1987年 - 1月17日1992年 8月19日 | 2004年12月14日(正式確定)[注 22][90] | 戦後8人目(21世紀では初)の女性死刑囚[67]。1927年(昭和2年)6月21日生まれ[87]。 殺人、死体遺棄、詐欺、詐欺未遂の罪に問われた[89]。1966年以降、70歳以上にして上告審で死刑判決を言い渡された初の事例[88]。 2011年 1月27日に大阪医療刑務所で病死(83歳没)[87]。 |
9[91] | [92] | IK宮崎2女性殺害事件 | 1996年 - 8月29日1997年 6月13日 | 2006年10月[注 23][94][95] (確定から16年7か月と15日経過) | 8日(正式確定)1958年(昭和33年)5月23日生まれ[92]。 2020年9月27日時点で[81]、福岡拘置所[注 12]に収監中[92](現在65歳)。 |
10[96] | [97] | ES福島悪魔払い殺人事件 | 1994年12月 - 1995年 | 6月2008年10月[注 24][100] 5日(正式確定) | 1947年(昭和22年)8月21日生まれ[97]。 確定から3年後の2012年 9月27日に宮城刑務所[注 17]で死刑執行(65歳没)[102]。 女性死刑囚への刑執行は、夕張保険金殺人事件のH(1997年に死刑執行)以来で、戦後4人目[103][104]。当時、責任能力か殺意の有無の観点で同年末までに再審請求することを検討していた[105]。 |
11[106][107] | [注 25][109] | 林眞須美和歌山毒物カレー事件 | 1998年 | 7月25日2009年[注 26][113] (確定から14年と4日経過) | 5月19日(正式確定)戦後11人目[107][114]。1961年(昭和36年)7月22日生まれ[109]。 2020年9月27日時点で[81]、大阪拘置所に収監中[109](現在61歳)。 |
12[115] | [109] | KH埼玉愛犬家連続殺人事件 | 1993年 | 4月20日 - 8月26日2009年[注 27][117] (訂正申立棄却から13年11か月と1日経過) | 6月22日 - 23日1957年(昭和32年)2月19日生まれ[109]。 2020年9月27日時点で[81]、東京拘置所に収監中[109](現在66歳)。 共犯の元夫Sは2017年3月27日に東京拘置所で病死[109]。 |
13[118] | [119] | YJ久留米看護師連続保険金殺人事件 | 1998年 - 1月24日1999年 3月27日 | 2010年[注 28][122] | 4月1959年(昭和34年)7月10日生まれ[109]。 確定から5年後の2016年 3月25日に福岡拘置所[注 12]で死刑執行[122](56歳没)。 戦後、女性死刑囚への刑執行は5人目[123]。 |
14[124] | [125] | KM大牟田4人殺害事件 | 2004年 9月16日 - 9月17日 | 2011年10月 3日(上告棄却判決)[125] (上告審判決から11年7か月と20日経過) | 1959年(昭和34年)4月26日生まれ[126]。 2020年9月27日時点で[81]、福岡拘置所[注 12]に収監中[125](現在64歳)。 共犯である夫と2人の息子(長男・次男)も死刑判決を受け、一家のうち犯行に関与した4人全員の死刑が確定することになった[127]。 |
15 | 木嶋佳苗[注 29][130] | ※首都圏連続不審死事件 | 2008年 | 9月 - 2009年 9月2017年[注 30] (訂正申立棄却から6年と14日経過) | 5月1974年(昭和49年)11月27日生まれ[130]。 2020年9月27日時点で[81]、東京拘置所に収監中[130](現在48歳)。 裁判員裁判で審理された被告人の死刑確定は15人目で、女性としては初[129]。 |
16 | [130] | UM鳥取連続不審死事件 | ※2004年 | 5月 - 2009年10月2017年[注 31][133] | 8月1973年(昭和48年)12月21日生まれ[130]。 2023年1月14日に収監先の広島拘置所内で食べ物を喉に詰まらせ、窒息死した[134](49歳没)。 |
17 | KC | 関西青酸連続死事件 | ※2007年12月 - 2013年12月 | 2021年 7月17日(正式確定)[注 32][138][139] (確定から1年10か月と6日経過) | 1946年(昭和21年)11月28日生まれ[140]。 2021年6月28日時点で[141]、大阪拘置所に収監中[141](現在76歳)。 |
脚注
注釈
- ^ 1932年(昭和7年)、1935年(昭和10年)、1939年(昭和14年) - 1940年(昭和15年)にそれぞれ1人ずつ死刑を執行されている[1]。
- ^ この「10人」の中には、1987年までに死刑が確定した女性死刑囚3人のほか、夕張保険金殺人事件のH、自殺偽装夫殺害事件のM、連合赤軍事件の永田洋子の3人(表4 - 6番、いずれも1988年2月当時は上級審で審理中)が含まれている[2]。
- ^ 1949年 - 2002年12月12日までに死刑判決を受けた女性被告人の人数について、『東京新聞』は(最高裁やアムネスティ日本支部の調査結果より)「15人」と[3]、『産経新聞』は(最高裁の調査結果より、第一審で死刑判決を受けた人数を)「14人」と報じている[4]。
- ^ 1988年(昭和63年)の刑法犯検挙人員(交通関係業務上過失を除く)は男性が31万5,568人、女性が8万2,640人となっており、人口比(有責人口1,000人に対する検挙人員の比率)は男子が6.4であった一方、女子は1.6であった[5]。また、同年の女子刑法犯の罪名別検挙人員(交通関係業務上過失を除く)のうち、殺人(279人)は全体の0.3%にとどまっている[5]。
- ^ なお、深笛は2011年にムック版『女性死刑囚』を発刊したが、翌2012年(平成24年)6月19日には同書で取り扱った林眞須美から「自身は再審請求中で、『女性死刑囚』という題名の本に記載される理由がない。一度も取材を受けるなどの事実確認なく、一方的に不正確で虚偽な文を記載され、肉体的精神的に大きな苦痛を受けた」として、1,000万円の損害賠償訴訟(係属:神戸地裁尼崎支部)を提起された[6]。これに対し、被告(深笛)は「原告(林)が確定死刑囚であることは事実である。また、書籍の内容も、彼女の夫や支援者団体などにも取材した上で、彼女の無実を確信した上で事実を書いたものだ」として、請求棄却を求めたが、結局は原告である林自身が第1回口頭弁論に出廷せず、2013年6月に訴訟は打ち切られた[7]。
- ^ この人数(15人)の中には、長崎・佐賀連続保険金殺人事件や北九州監禁殺人事件で起訴され、第一審で共犯の男とともに死刑を言い渡された女の被告人(控訴審でいずれも無期懲役に減軽)も含まれている[10]。
- ^ モンゴメリー以前に連邦政府によって死刑を執行された最後の女性は、1953年にミズーリ州のガス室で死刑を執行されたボニー・ヘディ (Bonnie Heady) である[27]。彼女は1953年9月、共犯者のカール・ホール (Carl Hall) と共謀し、カンザスシティの裕福な自動車ディーラーの息子だったボビー・グリーンリース(Bobby Greenlease、当時6歳)を誘拐して殺害し、ボビーの家族に身代金60万ドルを要求したとして、同年10月30日に死刑判決を受けた[28]。また同年には、ローゼンバーグ事件に関与したエセル・ローゼンバーグ (Ethel Rosenberg) も死刑を執行されている[26]。
- ^ 本人名義の著書があったり、本人の記事がある人物、あるいは事件発生から50年以上が経過した人物(かつ、死刑囚本人が既に死亡している場合)のみ記載。
- ^ 最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定する場合は判決訂正期間があり、正確には判決宣告日より若干タイムラグがある。
- ^ 現:国立病院機構やまと精神医療センター。
- ^ 上告審判決宣告は1963年3月28日(第一小法廷)[44]。同年4月24日付の同小法廷決定で、判決訂正申立が棄却されている[45]。
- ^ a b c d 福岡拘置所はかつて、福岡刑務所の下部機関[47](福岡刑務所福岡拘置支所)だった[48]が、1996年5月11日に福岡拘置支所から昇格し、独立機関の福岡拘置所になった[47]。同時に、それまでの小倉拘置所は福岡拘置所の下部機関(小倉拘置支所)へ降格した[48]。
- ^ 処刑直前、刑場の仏間で拘置所の所員や教誨師たちに対し、「私を真人間に生まれ変わらせてくださった」と感謝の言葉を述べている[49]。
- ^ 上告審判決宣告は1966年7月14日(第一小法廷)[51]。同年8月29日付の同小法廷決定で、判決訂正申立が棄却されている[52]。
- ^ 同日、小林とともに死刑が確定した男(大貫光吉)も死刑を執行されている(41歳没)[54]。Kは前日に拘置所長から翌日の死刑執行を通告され、最後の晩餐として希望通り寿司を食べた[55]。
- ^ 1987年3月9日に札幌地裁(鈴木勝利裁判長)で死刑判決を受け、恩赦を期待して控訴を取り下げた[58]が、実際には恩赦はされなかった。『読売新聞』によればHNは10月11日付、共犯である夫HYは13日付で、それぞれ控訴取り下げを行った[57]一方、福田康夫 (2007) によれば、2人の控訴取り下げはそれぞれ10月8日と13日になっている[56]。
- ^ a b 札幌・仙台各矯正管区管内の裁判所で死刑判決を受け確定した死刑囚の収監先は、それぞれ札幌拘置支所・仙台拘置支所だが、刑場(死刑執行設備)はそれぞれ隣接する札幌刑務所・宮城刑務所に設置されている[101]。
- ^ 上告審判決宣告(第一小法廷:四ツ谷巖裁判長)は1991年1月31日[61]。同年3月2日付で死刑が確定[42]。
- ^ 血中一酸化炭素ヘモグロビン濃度などから、ガスを引き込んで外出したとされる時間から夫の死亡推定時刻までが長すぎ、自殺だったとする内容[65]。
- ^ 上告審判決宣告(第三小法廷:坂上壽夫裁判長)は1993年2月19日[69]。同年3月9日付の決定で、判決への訂正申立を棄却され[70]、坂口とともに死刑が確定している[71](同月10日付)[62]。
- ^ 上告審判決宣告(第二小法廷:河合伸一裁判長)は1998年9月4日[74]。同判決の訂正を申し立てた[75]が、その申立も同年10月7日付の第二小法廷決定[判決訂正申立棄却決定 事件番号:平成10年(み)第4号・平成10年(み)第5号]によって棄却され[76]、決定がMの下に送達された時点[75](1998年10月9日付)で正式に死刑が確定した[77][78][79]。
- ^ 上告審判決宣告(第二小法廷:津野修裁判長)は2004年11月19日[88][89]。同年12月14日付で死刑が確定[90]。
- ^ 上告審判決宣告(第二小法廷:甲斐中辰夫裁判長)は2006年9月21日[93]。同年10月8日付で死刑が確定[94][95]。
- ^ 上告審判決宣告(第三小法廷:藤田宙靖裁判長)は2008年9月16日で、同月22日付で判決の訂正を申し立てたが[98]、10月3日付の決定で棄却され[99]、同月5日付で死刑が確定[100]。
- ^ 2014年釜ヶ崎地域合同労働組合委員長・稲垣浩と養子縁組したが[108]、2020年9月27日時点では[81]「林眞須美」として記載されている[109]。本人名義の著書『死刑判決は「シルエット・ロマンス」を聴きながら』『和歌山カレー事件 獄中からの手記』(共著)がある[109]。 3月に支援者である
- ^ 上告審判決(第三小法廷:那須弘平裁判長)は2009年4月21日[110]。同年4月30日付で判決訂正を申し立てたが[111]、5月18日付の決定で棄却され[112]、5月19日付で死刑が確定[113]。同年6月3日から死刑確定者処遇となっている[113]。
- ^ 上告審判決宣告(第二小法廷:古田佑紀裁判長)は2009年6月5日[116]。同月22日の決定で同判決への訂正申立が棄却され、元夫Sとともに死刑が確定[117]。
- ^ 上告審判決宣告(第一小法廷:金築誠志裁判長)は2010年3月18日[120][121]。同年4月に死刑確定[122]。
- ^ 実名でブログ「木嶋佳苗の拘置所日記」を更新している[128]。上告中に養子縁組し、上告審判決(2017年4月14日)時点では「D」姓に改姓していた[129]。その後、2020年9月27日時点では[81]「I」姓になっている[130]。
- ^ 上告審判決宣告(第二小法廷:小貫芳信裁判長)は2017年4月14日[129]。同年5月9日付の決定で、同判決に対する訂正申立が棄却された[131]。
- ^ 上告審判決宣告(第一小法廷:小池裕裁判長)は2017年7月27日[132]。同年8月23日付の決定で、同判決に対する訂正申立が棄却された[133]。
- ^ 上告審判決宣告(第三小法廷:宮崎裕子裁判長)は2021年6月29日[135]。同年7月2日付で、弁護人が同判決の訂正を申し立てた[136]が、その申立も同月16日付で最高裁第三小法廷(宇賀克也裁判長)が出した決定によって棄却されたため[137]、17日付で死刑が確定した[138]。
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- 決定主文:本件各申立てを棄却する。
- 最高裁判所裁判官:坂上壽夫(裁判長)・貞家克己・園部逸夫・佐藤庄市郎・可部恒雄
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- 裁判官:田中聖浩(裁判長)・奥山雅哉・吉岡恵
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- ^ 千葉雄高「」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2017年7月27日。2021年6月12日閲覧。オリジナルの2021年6月12日時点におけるアーカイブ。
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- ^ “鳥取連続不審死事件 広島拘置所に収容のU死刑囚(49)が14日に死亡 窒息死 法務省が発表(TBS NEWS DIG Powered by JNN)”. Yahoo!ニュース. 2023年1月15日閲覧。
- ^ 近松仁太郎「」『毎日新聞』毎日新聞社、2021年6月29日。2021年6月29日閲覧。オリジナルの2021年6月29日時点におけるアーカイブ。
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- ^ 安倍龍太郎『K 60回の告白 ルポ・連続青酸不審死事件』朝日新聞出版、2018年7月20日、11頁。ISBN (978-4022515520) 。
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参考文献
女性死刑囚を題材とした文献
- 村野薫『死刑はこうして執行される』 む-27-1(第1刷発行)、講談社〈講談社文庫〉、2006年1月15日、120-124頁。ISBN (978-4062753043)。 NCID BA75304430。(国立国会図書館書誌ID):(000008051816)。
- 深笛義也『増補新版 女性死刑囚 十四人の黒い履歴書』(初版第1刷)鹿砦社、2013年12月16日。ISBN (978-4846309794)。 NCID BB15913176。(国立国会図書館書誌ID):(025046549)。 - 一覧表1番(菅野村強盗殺人・放火事件の山本宏子)から14番(大牟田4人殺害事件の死刑囚K)の女性死刑囚14人を取り扱った書籍。戦後日本の女性死刑囚(同書発行時点で14人)を死刑確定順に収録している。
- 佐々木光明、辻本衣佐、辻本義男 著「死刑を考えるための常識 > 11 女性と死刑 妊産婦には特別な処遇」、成澤壽信 編『死刑の現在』 46巻、日本評論社〈法学セミナー増刊 総合特集シリーズ――46〉、1990年12月20日、255-257頁。doi:10.11501/1388550。ISBN (978-4535403468)。 NCID BN05585235。(NDLJP):1388550/131。
死刑囚・死刑制度そのものに関する文献
- 福田康夫 (2007年11月2日). “” (PDF). 参議院議員松野信夫君提出鳩山邦夫法務大臣の死刑執行に関してなされた発言等に関する質問に対する答弁書. 参議院. 2022年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月22日閲覧。 - 第168回国会における内閣総理大臣・福田康夫の答弁書(HTM版)。死刑執行に関する鳩山邦夫法務大臣の発言などに関して、松野信夫議員が行った質問に対する答弁書である。この答弁書には、1977年(昭和52年)1月1日から2007年(平成19年)9月30日までの30年間に確定した死刑判決の事件名および確定年月日がまとめられている。本記事の#戦後日本の女性死刑囚一覧では、4. (夕張保険金殺人事件) - 9. (宮崎2女性殺害事件)の死刑囚計6人が該当する。
- 坂本敏夫「序章 拘置所と刑務所」『死刑と無期懲役』(第1刷発行)筑摩書房、2010年2月10日、13頁。ISBN (978-4480065339) 。
- 死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90 著、(編集委員:可知亮、国分葉子、高田章子、中井厚、深瀬暢子、安田好弘、深田卓 / 協力=福島みずほ事務所、死刑廃止のための大道寺幸子基金) 編『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』(発行)インパクト出版会、2012年5月23日。ISBN (978-4755402241)。 NCID BB09377869。(国立国会図書館書誌ID):(023615338) 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜) 編『コロナ禍のなかの死刑 年報・死刑廃止2020』(第1刷発行)インパクト出版会、2020年10月10日。ISBN (978-4755403064)。 NCID BC03101691。(国立国会図書館書誌ID):(030661462) 。
- 「死刑事件判決集(昭和41 - 43年度)」『刑事裁判資料』第189号、最高裁判所事務総局、1970年1月。 - 朝日大学図書館分室、富山大学附属図書館に所蔵。
- 「死刑事件判決集(昭和37 - 40年度)」『刑事裁判資料』第193号、最高裁判所事務総局、1971年2月。 - 朝日大学図書館分室、東京大学法学部研究室図書室、富山大学附属図書館、日本大学法学部図書館に所蔵。
個別事件関連の文献
- 「7月10日判決 昭和26年(あ)第237号 判決 本籍並びに住居 兵庫県飾磨郡菅野村菅生澗西荒木番地不詳(当時大阪拘置所在所) 無職 山本 宏子 大正四年五月三〇日生」『最高裁判所裁判集 刑事 昭和26年7月(上)』第49号、最高裁判所、1951年7月、601-611頁、(NDLJP):1363912/309・(国立国会図書館書誌ID):(000001203693)。 - 。
- 601-602頁(コマ番号309-310)は菅野村強盗殺人・放火事件の上告審判決文[1951年7月10日・最高裁第三小法廷:長谷川太一郎(裁判長)・井上登・島保・河村又介]。603 - 604頁(コマ番号310-311)は弁護人・十川寛之助の上告趣意、605-611(コマ番号311-314)は被告人Y本人による上告趣意。
- 佐久間哲「全部やったとは酷い―七人目の女― M(名古屋拘置所収容中)」『死刑に処す―現代死刑囚ファイル―』(第1刷発行)中央制作社、2005年12月5日、133-140頁。ISBN (978-4426752156)。 NCID BA74744857。(国立国会図書館書誌ID):(000008005700)。 - 富山・長野連続女性誘拐殺人事件の死刑囚Mに関する項目。同項目では、表8番(高知連続保険金殺人事件のS)以前の女性死刑囚8人についても記述がある。