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東京府

東京府(とうきょうふ)は、かつて存在した日本。府庁所在地は東京市麹町区有楽町

とうきょうふ
東京府
東京府章
1931年(昭和6年)制定
廃止日 1943年昭和18年)7月1日
廃止理由 東京都制施行
東京府東京市
東京都
現在の都道府県 東京都
廃止時点のデータ
日本
地方 関東地方
都道府県コード 廃止時点で制度なし
面積 2,193.96km2.
総人口 7,354,971
国勢調査1940年〈昭和15年〉)
隣接都道府県 埼玉県
千葉県
神奈川県
山梨県
静岡県
東京府庁
所在地 東京府東京市麹町区有楽町2丁目

東京府庁
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1868年明治元年)に武蔵国江戸に江戸府が設置され、ほどなくして東京府に改称されたが、1871年(明治4年)の廃藩置県に伴って、いったん廃止され、周辺地域を含める形で、改めて東京府が設置された。

1880年(明治13年)に伊豆諸島小笠原諸島が編入され、1889年(明治22年)に15区から成る東京市が設置された。さらに、1893年(明治26年)には神奈川県から三多摩郡が移管された。1932年昭和7年)に周辺町村の合併で東京市は35区になった[1]

1943年(昭和18年)に東京都制が施行されて東京府と東京市は統合され、東京都へ改組された[2][1]

歴史

府制施行

1868年(慶応4年)、江戸は東征軍の軍政下に置かれた。同年4月2日に江戸開府事務が始まる[3]。軍は同年5月12日江戸府を、5月19日に「江戸鎮台」を設置する[3]とともに北町奉行所、南町奉行所を廃し町奉行管轄地を管掌する市政裁判所を旧南町奉行所に設けた。

そして同年7月17日江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書により、江戸府は東京府に、江戸鎮台は「鎮将府」に改称された[4]。改称当時の読みは「とうきょう」ではなく「とうけい」で、字画は「東亰」であった[5]

8月17日に、大和郡山藩上屋敷を接収して東京府庁が開庁し、同年9月2日に、東京府職制が公布され[3]、市政裁判所から府へ事務が移された。なお、9月8日に元号が明治に改元されている。

1869年(明治2年)3月16日に、朱引内町地の人口1万人を1区として区分けしたうえ区を「番組」と名づけ、既市街地約90km2に50番組を置いた[3]

3月10日に、名主227名全員罷免[3]。代替として翌日に「中年寄」および「添年寄」を、同年5月8日に、朱引外の群政方支配所村町であった荒廃地および農村部190町89村を地方5番組に統括し各区に中年寄および「大年寄」を置き、同年6月22日「町年寄」を新設[3]し、東京府の準官吏として任命。名主業務を新設の各「町用取扱所」に移管させた。

同年に、府民550人を函館根室および宗谷へ移植し、翌1870年(明治3年)6月12日に、失業対策として北海道花咲郡(後の色丹郡を除く)、根室郡野付郡を領有(北海道の分領支配)したが、これは10月9日に解消した[6]

廃藩置県と地域再編

1871年(明治4年)4月、4ないし5か旧町または7ないし8か旧村をして1区と改めて再び区分けを為して番組を廃す。年寄職を戸長、副戸長に改める。同年7月14日廃藩置県が実施され、東京府は京都府大阪府とともに三府の一つとされた。三府は、首都あるいはその代替地とされていた。

同年12月25日[7]、東京府のほか現在の関東地方に存在していた各県が廃止され、武蔵国荏原郡豊島郡、および多摩郡足立郡葛飾郡のそれぞれ一部を管轄区域とする東京府が改めて設置されることとなった[8]

ただし多摩郡は横浜に居留する外国人の遊歩区域に一部含まれるとの神奈川県知事・陸奥宗光の上申により、1872年(明治5年)11月23日に全域が神奈川県の管轄とすることに変更された[9]

旧来の東京府の区域については、1月8日に6の大区の下に97の小区を置き「大区小区制」が敷かれた。廃止各県からの行政の移管は3ヶ月ほどかけて順次行われ、1月14日に旧品川県[10]、1月24日に旧浦和県[11]、3月3日に長浜県(世田谷飛地[12]、3月16日に旧小菅県[13]から各町村が編入された。この際、多摩郡の一部は品川県・長浜県から一旦東京府に編入されたが、3月1日に神奈川県に移管され[14]、次いで10月12日に現在の中野区、杉並区の区域が東京府の管轄に戻る[15]。これら編入された区域は旧県時代の区割りのまま呼ばれていたが、1873年3月18日に5の大区を設けて総計11大区103小区となった。

1872年(明治5年)、東京府は「戸籍法」の定めるところにより新府域に繰り込まれながらも地名の判然としなかった旧耕地に「有楽町」「霞ヶ関」「三田」など新町名を冠し、地券を交付した。 1878年(明治11年)1月11日、静岡県から伊豆諸島を編入[16]

さらに同年11月、大区小区制を廃し「郡区町村編制法」により旧府域に15区を置く。同時に、旧葛飾郡域を「南葛飾郡」、旧足立郡域を「南足立郡」、旧多摩郡域を「東多摩郡」にそれぞれ改称させ、なおかつ旧豊島郡を南豊島郡北豊島郡の南北2郡に分かち旧荏原郡を復活させて都合6郡を設けた。このうち東多摩郡と南豊島郡は1896年に合併されて豊多摩郡となった。

同年12月、第一回府会議員選挙が行われ49名が当選。第一回東京府会が開かれた。

1880年(明治13年)10月8日、内務省から小笠原諸島を引継ぎ[17]、同年10月28日に出張所を設置する。

多摩地域移管

1892年(明治25年)、内海忠勝神奈川県知事と富田鐵之助東京府知事は、当時は神奈川県に属していた西多摩郡南多摩郡北多摩郡の東京府への移管を井上馨内務卿に建言した。これらの地域は現在の多摩地域世田谷区の一部にあたる。前述の通り多摩地域は当初東京府・入間県に分属していたほか、東京府への移管の議論は以前からあったもので、理由は玉川上水水利権の管理および奥多摩地域の水源確保のためとされていたが、自由民権運動が盛んだった多摩地域と現神奈川県地域とを分断するためという噂も立った。このため、神奈川県会では移管反対派乱入事件が発生した。

1893年(明治26年)2月、「s:東京府及神奈川県境域変更ニ関スル法律案」が可決した。多摩3郡の各首長は反対の意志を表して県知事に辞表を提出したが、同年3月6日に同法は公布され、同年4月1日、多摩地域は神奈川県から東京府へ編入され、現在の町田市等を除き、ほぼ現在の東京都の境域が確定した。

東京市制施行

この間、1889年(明治22年)5月1日に東京府内15区を東京府から分立して市制を施行し東京市としたが市制特例により東京市長は府知事が兼ねた(府知事の市長兼務は1898年10月1日に廃止)。

1896年(明治29年)、東京市を「都」に改めて官選都長を置く「東京都制案」、府郡部を県とする「武蔵県設置法案」ともに帝国議会不成立。

1897年(明治30年)、市長を公選とする「東京市制案」、府郡部を県とする「千代田県設置法案」ともに帝国議会不成立。

1898年(明治31年)、市制特例が廃止。東京市役所が開設され、松田秀雄が初代東京市長となる。

関東大震災

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災発生により、東京市を中心に甚大な被害を受ける。9月8日、報知新聞が「大阪遷都論沸く」と報じる。こうした中、9月12日に大正天皇詔書を布告し、その中では次のように述べられ[18]、大阪への遷都(又は奠都)を明確に否定した。

抑モ東京ハ帝國ノ首都ニシテ政治經濟ノ樞軸トナリ國民文化ノ源泉トナリ一朝不慮ノ災害ニ罹リテ今ヤ其ノ舊形ヲ留メスト雖依然トシテ我國都タルノ地位ヲ失ハス

(そもそも東京は帝国の首都にして、政治経済の枢軸となり、国民文化の源泉となり、一朝不慮の災害に罹りて、今やその旧形を留めずといえども、依然として我国の都たるの地位を失わず)

※引用註:()内は新字・現代仮名遣いに改め、句読点を補ったもの — 大正天皇、官報号外第12号(大正12年9月12日)[18]

都制施行

日本が日中戦争に突入すると戦時体制構築のため、政府は東京府地域の政治・経済の統制強化を要求するようになった。1938年(昭和5年)6月、内務省は「東京都制案要綱」を発表したが東京市35区は内務省案反対を決議した[要出典]。しかし1943年1月、政府が帝国議会に提出した「東京都制案」が可決され同年7月1日、東京都制によって東京府・東京市が廃止されて「東京都」が設置された。旧東京市域は東京都35区となった。一方、東京府下で市制を施行していた東京府八王子市と東京府立川市はそれぞれ東京都八王子市と東京都立川市となった。

政治

行政

 
東京府庁(東京市役所との合同庁舎)

東京府の府庁舎は、1868年(慶応4年)の開庁時には江戸城幸橋門内(現在の千代田区内幸町1丁目)の大和郡山藩上屋敷を接収して使用した。1894年(明治27年)、麹町区有楽町に新庁舎が完成したため移転した。第二次世界大戦(太平洋戦争)後、新庁舎は東京都庁丸の内庁舎として引き継がれたが、旧建物は戦災で焼失している。

東京府知事

東京府会

選挙

議員

産業

農事試験場と種畜場は東京都農林総合研究センターの、東京商工奨励館と染織試験場は東京都立産業技術研究センターの前身に当たる。

  • 東京府立農事試験場
    • 江戸川分場
  • 東京府立種畜場
    • 浅川分場
    • 戸倉分場
    • 三宅分場
  • 府立東京商工奨励館
  • 東京府立染織試験場

教育

学校

高等学校・専門学校

以下の高等学校専門学校は、都制施行と学制改革を経て、1949年に発足した新制東京都立大学へ包括された[注釈 1]

師範学校等

以下の師範学校等は、第二次師範教育令による官立移管と学制改革などを経て、1949年に新制東京学芸大学へ移行した。

中学校・高等女学校

実業学校

図書館・博物館

参考文献

  • 川崎房五郎『明治東京史話』桃源社、1976年。 
  • 東京百年史編集委員会編 編『東京百年史』東京都、1972年-1979年。 

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 東京都立大学の前身校は以下の5校に加え、都制施行後に設置された都立機械工業専門学校も含まれる。また、府立高等学校尋常科は新制東京都立大学附属高等学校を経て、2006年より東京都立桜修館中等教育学校へ改組した。

出典

  1. ^ a b デジタル大辞泉「東京」(コトバンク)
  2. ^ 東京都公文書館 東京府組織の変遷 明治元年~明治18年:1868-1885
  3. ^ a b c d e f 東京都公文書館編『東京都職制沿革』5ページ、東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1986年
  4. ^ 昭和四十三年版犯罪白書第三編第二章一 - 法務省
  5. ^ TBSラジオ話題のアンテナ 日本全国8時です』2007年7月17日放送分より
  6. ^ 東京都公文書館編『東京都職制沿革』6ページ、東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1986年
  7. ^ 11月14日 (旧暦)
  8. ^ 明治4年太政官布告第594号(明治4年法令全書、(内閣官報局))((NDLJP):1450847/219)
  9. ^ 東京府入間県管地ノ内ヲ神奈川県ニ分属 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
  10. ^ 『東京市史稿』 市街編52、東京都、1962年、316-331頁。 NCID BN05041066。 
  11. ^ 『東京市史稿』市街編52、pp.395-411
  12. ^ 『東京市史稿』市街編52、pp.331-335
  13. ^ 『東京市史稿』市街編52、pp.411-422
  14. ^ 中野区民生活史編集委員会 編『中野区民生活史』 1巻、中野区、1982年、79頁。(全国書誌番号):(83003326)。 
  15. ^ 『東京市史稿』 市街編53、東京都、1963年、308-315頁。 NCID BN05041066。 
  16. ^ 明治11年太政官布告第1号(明治11年法令全書、内閣官報局)((NDLJP):787958/33)
  17. ^ 明治13年太政官布告第44号(明治13年法令全書、内閣官報局)((NDLJP):787960/155)
  18. ^ a b 官報号外第12号(大正12年9月12日)((NDLJP):2955461)

関連項目

外部リンク

  • 『東京府勢概要(東京府総務部調査課編、昭和14年)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 土木建築工事画報 東京府施行都市計画道路工事 (PDF) - 土木学会土木デジタルアーカイブス、1939年頃の東京都市計画道路図
先代
江戸町奉行(町方)
浦和県品川県小菅県の各一部
(現在の東京都区部内)
静岡県の一部(伊豆諸島
神奈川県の一部(武蔵国多摩郡
行政区の変遷
1868年 - 1943年 (市政裁判所→江戸府→東京府)
次代
東京都
先代
平安京
日本の首都
1868年 - 現在 (東京府としては1868年 - 1943年)
次代
東京都
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