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ロリータ・コンプレックス

ロリータ・コンプレックス(Lolita Complex)とは、幼女少女への恋愛感情。また、その恋愛感情を持つ者である。Lolita(ロリータ)とComplex(コンプレックス)から成る和製英語であり[1]ロリコンと略されて使われることが多い。ロリータはウラジーミル・ナボコフ小説ロリータ』に由来し、登場人物である中年男性が愛する年の離れた少女の愛称である。

(アリス・デー)などで少女愛運動の象徴とされるアリス・リデル(不思議の国のアリスのモデル)

由来

日本でロリータ・コンプレックスという言葉がいつどのようなきっかけで使われるようになったか、明確には判明していない。言葉自体は1969年に出版された『ロリータ・コンプレックス』(ラッセル・トレーナー)の邦訳が日本での初出とされているが、それは「少女が中年男性に関心を抱く」という意味で用いられているものであり、ここで説明している概念とは正反対のものである[2]1974年和田慎二が『キャベツ畑でつまずいて』のなかでロリータ・コンプレックスという言葉をすでに用いており、これが初出とは判明していないが、ここで説明している概念を表すものとしては初期の用例とされている[2]。尚、1973年萩尾望都ポーの一族メリーベルと銀のばら』に同じ言葉が見られる。また1972年澁澤龍彦は『少女コレクション序説』でロリコン現象を少女視点ではなく男性視点で捉えるべきではという意見を述べていて、これを現在の用法の発祥とする見解もある[2]

「ロリコン」という略称の発祥もはっきりしておらず、おそらくはマザーコンプレックス同様の過程で作られた略称であることと、1970年代後半頃から用いられ始め、1980年頃から急速に広まったということが判明しているのみである[2]。一説には、アンダーグラウンドなロリコン雑誌で用いられたことを発祥元とする見解もあるが、定かでない[2]。欧米で言うロリータ・シンドロームとは別の概念であり、以前は主に日本で使われ、英語圏ではあまり使われていなかったが、近年は日本語での「ロリコン」を英語化した「lolicon」の語で海外でも使われるようになってきている。

ロリコンは俗称であり明確な定義はなされていないが、一般に侮蔑語差別語として使用されている傾向がある[3]。また実年齢による定義もないため(警察による声かけ事案の対象年齢はあるが都道府県によって異なる)、身体的に成熟しているかは主観的な判断をともない、ロリコンの対象と見なされる年齢は、新生児から成人以上にまで及ぶ可能性がある。例えば、日本ユニセフ協会は、インターネット・ホットラインセンターに寄せられた児童ポルノ関連の通報は「現行法の定義では『児童ポルノ』とされないものがその殆どと伺っております」と報告している[4]

ロリコンと社会

思春期前・思春期早期の幼女・少女への性的嗜好をもつ人間は、精神医学上も小児性愛という定義がなされている[注釈 1]。対して性的に成熟した思春期後期・成人女性への性愛は概ね、精神医学では性嗜好障害とされていない。むしろ(異性愛者の)男性が性的に成熟した女性の中から若い個体をセックスの相手として好むことは普遍的傾向である[5]。女性の卵子は生後新たに作られないため、年齢とともに卵子が老化し、妊娠しにくくなっていくことが原因と考えられている[6]。また、高齢出産に比べて先天的な障害がおきにくい(ただし体が成熟しきっていない10代前半の出産は、難産のリスクが高い)。厚生労働省人口動態統計2015年調査結果によると出生と死産を合わせ妊娠分娩及び産褥による死因は全年齢階級で0.01%を下回り、1950年から5年毎の調査で母の年齢階級14歳以下の出生数が平均約31人程度の中で自然死産(妊娠中絶)の割合は2015年では5%を下回る。出生と死産を合わせた中の人工死産(人工妊娠中絶)は年齢階級14歳以下で約60%、15歳以上19歳以下で約13%、死産の中で人工死産(人工妊娠中絶)の割合は年齢階級14歳以下と15歳以上19歳以下では90%を越える[7][8]

もっとも生物学的には10代後半は肉体も成熟し、子供を産むに適した時期であるといっても、高度化し未成年への人権が守られる現代社会においては18歳未満の少女は精神的に未熟で、結婚し子供を産むという人生の岐路に立つには早すぎるとみなされている。精神的に未熟な少女の子育ては困難が大きく、育児放棄児童虐待につながりやすいともされる。特に先進国では高等教育を受けないと経済的な基盤が不安定であるため、学業を中断することになる早婚が好ましいとはされない傾向がある。また、女性の経済的自立や新生児、乳幼児死亡率の低下も少子化・晩婚化に影響があるとされる。

なお、異性に特別な関心をもつ初恋の経験は生殖可能な年齢より前に訪れる傾向があるとされる[注釈 2][9][10]が、社会的に結婚、出産とは結びつかないものとされているのでこの項では割愛する。

日本における歴史上の扱い

近代以前は日本人の平均寿命が50歳に満たなかったこともあり、数え年で10代半ばのうちに成人(元服)するのが常識で、特に女性に関しては結婚をもって大人の仲間入りとみなしていた。

戦国時代後期から江戸時代にかけての女性は14~15歳までに多くが結婚、また武家公家の娘の場合はそれ以前の段階で他の武将ないしは皇族などの側室後宮に入るのも当たり前で、少女時代というものがあまりなかったのだという[11]。実際に徳川家康の孫の東福門院は13歳の時に後水尾天皇女御となり、16歳で最初の出産を経験している。後水尾天皇の父後陽成天皇の女御だった中和門院は11歳で入内し15歳の時に初産、大典侍局は12歳の時に覚深入道親王を産んだと言われる。

一般庶民の間でも、深刻な人口減少に陥った18世紀東北地方では10代前半の少女婚はごく当たり前に行われていた。しかしその一方で、18世紀後半には中部地方以西では宗門人別改帳等による人口の調査研究によると女子初婚年齢が20歳を越えていたと推測される例が多い。これは江戸時代にはすでに人口増加が原因で自発的な産児抑制が起こり、晩婚化が始まっていた[12]からである。

明治に入ると、旧民法で結婚可能な最低年齢が男子17歳、女子15歳と定められる。実際に童謡赤とんぼ』の3番で「十五で姐(ねえ)やは嫁にゆき」と謡われるなど、成人年齢(20歳)に達する前に結婚する女子は少なくなかった。

日本国外における扱い

上記のように近代以前まではごく当たり前に扱われてきており、日本のみならず諸外国でも同様の文化は見られた。 欧米でも、日本やイスラム世界同様、以前は平均寿命の低さや女性未成年に対しての人権意識の低さなどから十代の少女を恋愛対象や結婚対象にすることは容認されていた。しかし現代では再解釈された道徳に従い、先進国では児童性愛を女児に対する人権問題として捉えるようになった。一概にはいえないが、児童ポルノ問題を経て、幼い少女を成人が欲情の対象とすることに対し対策へ向かった社会も目立つ。

イスラム教は性愛に対する戒律が厳しいが、(少女婚)に関しては例外的に寛容である。その理由は人生の規範とされる教祖ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが6歳の少女と結婚し、9歳の頃に性交にいたったという故事があるからである。現代でもイスラムなどの一部の国では早婚が奨励されることがある[13]

法的にはEUの一部のように法規制が緩やかな国もあれば、イギリスアメリカ合衆国カナダなどの英語圏では小児や未成年への性愛や性犯罪の態度(クリントン署名による法定強姦罪厳密適用令などで、かなりの州で18歳未満の児童との性交を強姦とみなすなど)は非常に厳しいことで知られる。

ただし、禁忌の度合いと法規制は必ずしも直接的な関係にあるわけではない。これは、違法性において法益侵害と規範逸脱のいずれを重視するかが国により異なること、すなわち法体系の相違に起因する。例えば、日本では法益侵害を重視する学説が優勢であり、社会通念上重大なタブーである近親姦もこれ自体を犯罪として取り締まる法律はなく、近親婚を不許可とするのみである。それに対しコモン・ローを法基盤とする英米では社会規範からの逸脱を重く見る傾向がある。

現代日本における扱い

日本では1970年代から1980年代前半にかけてロリコンが社会現象となりブームとなったが、日本国外での流れを汲み次第に規制へと世論が傾きはじめた。1984年、国会で少女誌『ギャルズライフ』を取り上げ、少女向け性情報へ警戒を強めた。1985年から初期のPCゲームの性表現が批判され、ロリコン漫画も折に触れて批判を向けられた。

直接の規制を被ったのは、まず一般紙のグラビアに載るほどメジャーになっていた写真分野(少女ヌード)であり、1985年には警視庁によって『ロリコンランド8』(白夜書房)が猥褻図画頒布の容疑で摘発され、同誌の発禁を契機とする無修正写真の禁止、1987年(昭和62年)の『プチトマト42』発禁事件、児童福祉法の強化による摘発で弱体化していった。

1985年頃から『週刊女性』など女性週刊誌、また一般誌ではロリコン表現に対して「少女がロリコンの欲望の餌食に」といったバッシング記事が載るようになっている。1980年代には「新人類」という言葉に象徴される世代間文化の断絶、自らの嗜好やファンタジーを突き詰めて「内閉的」とみえる文化を作り上げた特定の若者層への、一般社会からの漠然たる不安があった。

1989年以降、漫画・ゲームとも沙織事件のような実際の摘発事件も含めて、規制圧力と自主規制に公然と晒されるようになった。批判に対抗するため漫画表現を守るための団体も作られ、長く論議が続くことになる。

写真分野は決定的な打撃を受け、1989年以降日本国内での生産が困難になり東南アジアロシアに撮影の場所を移したが、1999年児童買春・児童ポルノ禁止法で壊滅状態となり、以降はジュニアアイドル産業に場を譲った。しかし、小中学生に小さなTバックの水着や肌着を着用させローアングルから撮影したDVDが児童ポルノと認定され、摘発を受け逮捕された事件もあった。実店舗からは撤去されたが、インターネットで流通が続いている。それが機ともなり、法的整備の機運が高まり、実在する未成年へのロリコン表現に対する法的規制が整備されつつある。

一方、そういった社会的認識と動きに対して、統計的観点からロリコン表現が出現する以前の方が性犯罪被害児童の数はずっと多かった事を理由に、表現への過度の規制が批判されることもある[14][注釈 3]

日本の法制度

都道府県によって青少年保護条例(淫行条例)が定められ、既婚者若しくは保護者の同意を得た交際や結婚を前提としている真剣交際以外は18歳未満の青少年との淫行が禁じられている場合が多い。

同法について、福岡県青少年保護育成条例違反被告事件[15]において、谷口正孝判事(当時)が「青少年の中でもたとえば16歳以上である年長者(民法で女子は16歳以上で婚姻が認められている)について両者の自由意思に基づく性的行為の一切を罰則を以て禁止することは、公権力を以てこれらの者の性的自由に対し不当な干渉を加えるものであって、とうてい適正な規定とはいえない」としている。

また17歳の女子高生と性的関係を持った事で愛知県青少年保護育成条例(淫行の禁止)違反の罪に問われていた会社員男性(32)に対して2007年5月23日に名古屋簡裁にて下された判決では、山本正名裁判長は「一定期間に映画を見に行くなどのデートを重ねたこと、女子高生も男性に対して好意を抱いており、合意や心的交流があったうえでのセックスだったことなどから、「淫行」に相当するというには相当な疑問が残る」と述べ、「結婚を前提にしないというだけでは刑事罰との対象とはならない」「『社会通念』を基準にして判断すべき」として無罪判決を言い渡している[16]

ロリコン・ブーム

日本では1970年代から1980年代前半にかけて、性的に未熟な幼女・少女を描写した写真やビデオやマンガが大量に出版され、俗にロリコン・ブームといわれる社会現象となった[17]。それらの消費者は主に思春期から青年前期の男性とされ、心理的な発達の未熟さから同年代の女性ではなく空想上の幼い少女に憧れるという解釈や、当時は性的に成熟した女性の性器やヘアの描写は法的に規制されていたが、性的に未熟な少女については対象外であったためポルノグラフィとして流行したともされる[17]

ただし、当時の少女写真の愛好家は、ロリコン・ブーム以後に登場した猥褻なビデオや漫画などと、旧来からある少女写真は別物だと考えていた(少なくとも、少女写真評論家はそのように公に論じていた)。例えば、1980年代から1990年代にかけて少女写真評論家として重きをなした飯沢耕太郎は、「少女」とは「性交不可能な年齢」[18]と定義して性的なイメージを排除し、1989年の東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件後のロリコンバッシングの時代において、(少女の写真と髪の毛を一緒にコレクションしていた)ペーター・アルテンベルクのような少女写真愛好家には「M君(編注:連続幼女誘拐殺人事件の犯人)のような密室の陰湿さはない」とし、少女写真コレクターと「少女ヴィデオとかロリコン漫画」「セックスしちゃう方」を愛好するM君のような人間が混同されることを拒絶した[19]。もっとも、「ロリコン漫画」が2000年代以後も出版が許可されているのに対し、当時の飯沢が擁護した実在少女の裸体写真は1998年の児ポ法施行以降、飯沢の『少女古写真館』(2001年)や『少女アリス』(2003年復刊)などごくわずかの例外を除いて出版が禁止された。

1970年代
1970年代から『(12歳の神話)』((剣持加津夫))や『少女アリス』(沢渡朔)など少しずつ現れた少女ヌード写真集が一般書店の店頭に並べられ、1979年の『プティ・フェ』(石川洋司)や『Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち』((山木隆夫))のような話題作が発表されるようになる。
1980年代
 
「謎の黒本」と呼ばれた日本初のロリコン漫画同人誌『シベール
 
黎明期のロリコン同人誌『愛栗鼠』『シベール』『幼女嗜好』創刊者の蛭児神建変質者コスプレ同人誌即売会に出没していたことから当時のコミケの風物詩となった。
こうして1980年頃から幼少女への性愛を扱った表現が人気を集め、ロリコンという言葉は急速に一般化した。日活が「にっかつロマンポルノ」作品として1983年に『ロリコンハウス おしめりジュンコ』(青木琴美主演)を製作したことがある。漫画では内山亜紀の『ロリコン・ラブ』、あるいは吾妻ひでお蛭児神建が関わっていたことでも知られる日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』の発行もこの頃である[20]。吾妻ひでおは内山亜紀と並んでしばしばロリコン漫画の旗手として称され、大塚英志もロリコン漫画の「テンプレート」をつくりあげた彼の功績を強調している[21]
この1980年頃から1984年頃までは「ロリコン・ブーム」と呼ばれ、多くの写真集・雑誌・特集本などが出版された。少女愛を大っぴらにすることはそれまでタブーとされていたが、このロリコン・ブームによってそれが「解禁」された。また吾妻や米澤嘉博は『月刊OUT』(みのり書房)1982年3月号の対談で漫画ファンの間ではロリコンという言葉がたびたび用いられていたと証言している[22]。劇画が主流となり可愛らしい少女キャラクターやラブコメにページが割かれることの少なかった時代にあって、ロリコンというテーマのもとでかつての正統的な少年漫画が「復権」した、と米澤はいう[22][23][24]。その一方で、それまで半ばタブー視されていたロリコンという言葉(あるいは概念)が表舞台に登場し、「金バッジのように」堂々と自分がロリコンであると宣言する人間まで現れるようになった[22]。ロリコンという概念が、今日でいう「萌え」に非常に近い、少女を精神的に愛しむ感覚のことを指していたのである[25]。例えば『アニメージュ』1982年4月号の付録は「ロリコン・トランプ」だった。ナボコフやキャロルといった文学を引き合いに出すことも可能なロリコンという言葉は、ある意味で「トレンディ」なものだったのである[26]
また、米澤によればこの言葉がアニメファンの間で流行したのは、宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』のヒロインであるクラリスの人気が非常に高まったことによるものであり[27]、具体的には1980年に発行されたファンジン(同人誌)『クラリスマガジン』(さえぐさじゅん)がその発端であるという説もある[27]
ロリコン漫画雑誌
 
アニメ/漫画の「ロリコン美学」は、未成年の少女(通常は6〜14歳)を性的に描写することがよくある。
日本初のロリコン漫画雑誌は1981年12月創刊の『レモンピープル』(あまとりあ社)だとされている[28]。当時の主力作家はやはり内山亜紀と吾妻ひでおであった。米澤が注目するのは同誌の1982年9月号である。この号では、読者による誌上討論という形で「ロリコンにエロは必要か」というテーマの是非が争われていたのだ。ただし、ここでの「エロ」とはそれまで主流であった劇画調のエロティシズム描写のことである[29]。大塚英志はロリコン漫画とエロ劇画との最大の違いを「犯す主体」の喪失だとしている[30]
『レモンピープル』とともにそのようなロリコン誌として知られた『漫画ブリッコ』(白夜書房)が1983年、それまで毎号掲載してきた少女ヌードの写真グラビアを読者からの不評によって廃止した。さらにはリアルな写実劇画からも決別して、より記号的な漫画をメインとする創作誌となっている。
漫画やアニメの幼女・少女キャラクターを自由に物語化して表現することも同人誌活動の間で普及していく。こうした現象は評論家の注目を集めるようになる。1983年、中森明夫は後に有名になる『おたくの研究』(『漫画ブリッコ』連載)において、これらの趣味をロリコンと評しそのなかでも生身のアイドル少女に執着するものと、漫画やアニメの創作キャラクターなどに執着するグループに分けている。しかし中森の研究論に対し、読者からはおたく差別的だとして批判され、のちに編集長の大塚英志によって連載は打ち切られる事となった。

関連年表

ロリコンブーム前史


ロリコンブーム

  • 1979年1月 - ロリコンブームの実質的な火付け役といわれる(山木隆夫)撮影『(Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち)』(ミリオン出版)発売[40]。1982年3月までに20万部を売る[54][55]
  • 1979年3月 - 『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)3月5日号から同年4月2日号まで吾妻ひでおの『シャン・キャット』が連載される。これが吾妻にとって『週刊少年チャンピオン』最後の連載作品となった。
  • 1979年4月7日 - テレビアニメ『機動戦士ガンダム』(名古屋テレビ)放送開始(〜1980年1月26日)。後に全52話の予定が43話に短縮される形で打ち切りとなる。
  • 1979年4月8日 - 日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ)創刊[56]手塚治虫的な漫画キャラクターによる性的表現の嚆矢。まんが画廊に出入りしていた沖由佳雄蛭児神建孤ノ間和歩計奈恵、(豊島ゆーさく)、森野うさぎらが参画[57]。1981年4月まで全7号が発行される。
  • 1979年4月8日 - 蛭児神建編集『愛栗鼠』の後継誌『ロリータ』(アリスマニア集団・キャロルハウス出版部)創刊。同年7月の2号で休刊。
  • 1979年5月 - 同年2月に休刊した『Peke』の後継誌『月刊COMIC AGAIN』(みのり書房)創刊。
  • 1979年5月 - 元祖おたく族のSFファンから絶大な支持を集めた『不条理日記』(吾妻ひでお)が『劇画アリス』17号から連載開始[56]
  • 1979年6月頃 - 伝説的自販機本少女アリス』(アリス出版)創刊。美少女(ロリコン)をテーマにした商業誌の記念すべき第1号。2代目編集長は川本耕次
  • 1979年6月10日 - 吾妻ひでお『パラレル狂室』(奇想天外社)発売。
  • 1979年11月 - 石川洋司撮影『(les Petite Fees ヨーロッパの小さな妖精たち)』(岩波企画)発売。公称60万部[31]。これは無名のカメラマンが無名の外国人モデルを起用したロリータ写真集で、とくに宣伝もなかったが、国内における写真集の売上記録を塗り替える大ヒットを記録した[58]
  • 1979年11月20日 - 写真集『少女アリス』の続編『ALICE FROM THE SEA 海からきた少女』(河出書房新社)出版[31]
  • 1979年12月 - 『漫画エロジェニカ』1979年12月号に中島史雄が先駆的な(ロリコン劇画)『幼女と少女がもんちっち』を発表、ロリコンブームの走りとなる[59]。これは所謂「おねロリ」をテーマにした成人向け漫画の第1号であり、作中に登場する幼女のヒロコは当時のロリコンファンのアイドル的存在であったヒロコ・グレースがモデルとなっている[60]。ちなみに本作品の影響から中島はロリコン劇画のパイオニアとみなされているが、当の中島本人は「(ロリコン劇画を描いたのは)実は内山亜紀さんのほうが1ヶ月早い」「彼が描いた少女のヘアスタイルがとても良かったんです」「内山さんに聞いたら『あなたの方が早い』と言うんだけど、本人が言うんだから間違いない(笑)」と語っている[61]
  • 1979年12月 - 『機動戦士ガンダム』のエロパロ同人誌『AMA』(東京アニメニア・アーミー)創刊。1981年7月まで全4号が発行される。
  • 1979年冬 - この頃までに沖由佳雄蛭児神建との関係が悪化[57]。以後、蛭児神は『シベール』を離れて同人サークル「アリスマニア集団・キャロルハウス出版部」を解消すると共に、後継サークルの「変質社」を発足させる。
  • 1979年12月15日 - 宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』(東宝東京ムービー新社)公開。当時のアニメファンから好意的に迎えられるが興行的には赤字に終わる[62]。ちなみに本作は「ロリコン」という言葉の最も早い用例としても知られ、アニメファンに「ロリコン」を広めるきっかけになったほか、ヒロインのクラリスは美少女アニメキャラ人気(=二次元コンプレックス)の端緒になったといわれる[63]
  • 1979年12月25日 - 吾妻ひでお不条理日記』(奇想天外社)発売。
  • 1979年12月31日 - 米沢嘉博編集の同人誌『吾妻ひでおに花束を』((虎馬書房)/大日本吾妻漫画振興会)発行。
  • 1970年代後半 - アンダーグラウンドなロリコン雑誌『キャンディ』(1983年11月にJOY企画から創刊された同名雑誌とは無関係)の編集長が4文字略語の「ロリコン」という言葉を使い始める[64]
  • 1970年代末 - 高田馬場に実写派のロリコンショップ「(ぺぺ)」が開店[65]
  • 1979年頃 - ビニ本ブームを反映したロリコン物が流通するようになる[37]









参考文献

  • 澁澤龍彦『少女コレクション序説』中央公論新社〈中公文庫〉、1985年。ISBN (978-4122012004)。 [注釈 5]
  • 大塚英志『「おたく」の精神史 1980年代論』講談社〈講談社現代新書〉、2004年。ISBN (978-4061497030)。 
  • 大塚英志『「おたく」の精神史 1980年代論』星海社〈星海社新書〉、2016年。ISBN (978-4061385795)。 
  • ヨコタ村上孝之『マンガは欲望する』筑摩書房東京、2006年7月15日。ISBN (978-4480873514)。 
  • 高月靖『ロリコン - 日本の少女嗜好者たちとその世界』バジリコ、2009年。ISBN (978-4-86238-151-4)。 
  • 米沢嘉博戦後エロマンガ史青林工藝舎、2010年4月。ISBN (978-4883792580)。 
  • 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』筑摩書房〈ちくま新書〉、2011年。ISBN (978-4480066312)。 
  • 永山薫『増補 エロマンガ・スタディーズ - 「快楽装置」としての漫画入門』筑摩書房〈ちくま文庫〉、2014年4月10日。 
  • 藤脇邦夫『出版アナザーサイド ある始まりの終わり 1982-2015』本の雑誌社東京、2015年12月30日。ISBN (978-4-86011-280-6)。 
  • (宮本直毅)『エロゲー文化研究概論 増補改訂版』総合科学出版、2017年5月。ISBN (978-4881818596)。 
  • ラポートふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」
    • 原丸太「ロリコンファンジンとは何か──その過去・現在・未来 ロリコン同人誌界分布図の試み」
  • 吾妻ひでおインタビュー『月刊OUT』3月号、みのり書房、1982年
  • アニメージュ増刊『アップル・パイ 美少女まんが大全集徳間書店 1982年3月
    • 原丸太+志水一夫「ロリコン同人誌レビュー 幻の『シベール』伝説にはじまるロリコン同人誌の覚醒期を経て今日のブーム到来までをロリコン雑誌研究家・原丸太がドキュメント」『アニメージュ増刊 アップル・パイ 美少女まんが大全集』、徳間書店、1982年3月。 
  • 岩田薫「大学生をおおうロリコン症候群」『潮』1982年9月号、潮出版社
  • 創出版』1982年12月号
    • 高取英「若者を覆う“ロリコンブーム”の仕掛人」『創』1982年12月号、創出版、140 - 147頁。 
  • 別冊宝島『おたくの本』(104)、1989年
  • 白夜書房アリス・クラブ』1992年7月増刊号『ミルク・クラブ/アリス大全年鑑1992』
  • 辰巳出版『同人漫画大百科』1992年10月
    • 米沢嘉博、森野うさぎ「同人漫画家インタビュー 森野うさぎ」『同人漫画大百科』、114 - 117頁。 
  • 宝島30編集部+東京公司『(宝島30)』1994年9月号、宝島社、1994年9月8日、特集「ロリータの時代」[注釈 6]
    • 青山正明志水一夫、斉田石也「受験と女権とロリータ文化」『宝島30』1994年9月号、138 - 145頁。 
    • 青山正明「ロリータをめぐる冒険」『宝島30』1994年9月号、164 - 168頁。 
  • 大塚英志、吾妻ひでお「吾妻ひでおインタビュー 今度出て行くときは『出て行きます!』って言ってからにします──無頼派の作家が書いた小説、放浪の詩人が編んだ詩集、破滅派のまんが家が描いたまんがそのものを、本当に生きてしまった人、吾妻ひでお。本人が語る、誰のものでもない人生。」『Comic新現実』第3巻、角川書店、2005年2月、10 - 22頁。 
  • - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
  • - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
  • (黒沢哲也) (2013年1月). “手塚マンガあの日あの時 第26回:手塚萌えの異色作『プライムローズ』の時代!!”. 『虫ん坊』2013年1月号(手塚プロダクションWeb事業部). 2021年5月24日閲覧。
  • 吉田正高 (2008年1月20日). “コミケ73カタログ出張版「戦後コンテンツ文化の発展にみるコミックマーケットの意義―その1」”. AIDE新聞(共信印刷Web事業部). 2020年6月20日閲覧。
  • ばるぼら (2008年10月19日). “ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第29回 ロリコンにおける青山正明(1)”. WEBスナイパー(大洋図書Web事業部). 2020年4月27日閲覧。
  • 鳥山仁 (2008年3月20日). “児童ポルノQ&A(2)どうして、日本では実写よりも漫画・アニメ作品の影響力が強かったのでしょうか?”. 王様を欲しがったカエル. 2020年2月6日閲覧。
  • - ウェイバックマシン(2013年6月12日アーカイブ分)
  • 永山薫 (2010年8月21日). “80年代初期ロリコン漫画誌の時代−SFと美少女からエロ漫画への変遷を辿って”. WEBスナイパー(大洋図書Web事業部). 2020年5月27日閲覧。
  • SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表) 明治大学米沢嘉博記念図書館
  • Matteo Watzky (2021年4月17日). “ロリコンから萌えへ:美少女の冒険” (英語). Full Frontal. 2021年6月20日閲覧。
  • 一ノ瀬健太 『クラリス・クライシス ―なぜ日本でロリコン文化が花開いたのか―』、修士論文(東京藝術大学)、2015年[注釈 7]
  • 降間『ロリコンブームの後を追って』暗黒拠点月 2020年8月初版 / 2021年6月増補改訂

関連文献

  • ラッセル・トレイナー 『ロリータ・コンプレックス』飯田隆昭訳、太陽社、1969年、ISBN (4884680081)
  • ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号 特集「ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」[注釈 8]
  • 『ロリコン白書 by ふゅーじょんぷろだくと』エンドレス企画 1982年
  • 内山亜紀『ロリコンABC』久保書店〈Worldコミックス〉 1983年
  • 内山亜紀『ロリコン・ラブ』久保書店〈Worldコミックス〉 1983年
  • 『ロリコン大全集』改訂版 群雄社出版 1983年
  • 『体験告白・僕のロリコン=ラブ』 日本ダイパック 1983年
  • 『アリス・クラブ』1992年7月号増刊『ミルク・クラブ』白夜書房[注釈 9]
  • 宮台真司ほか『サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の30年とコミュニケーションの現在』PARCO出版 1993年 (ISBN 4891943602)
  • 木下信一『日本のサブカルチャーにおける《ルイス・キャロル=ロリータ・コンプレックス》像の定着史』日本ルイス・キャロル協会編『Mischmasch』Vol.7, pp.74-95, 2004年
  • 宮島鏡『少女愛』作品社、2005年5月、ISBN (9784861820311)
  • 蛭児神建『出家日記 - ある「おたく」の生涯』角川書店、2005年、ISBN (978-4048839327)

脚注

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注釈

  1. ^ 但し、DSM-5でのぺドフィリアの定義は「著しい機能的障害がある」などの条件がある。(ぺドフィリア#現在の精神医学での概念)も参照のこと
  2. ^ 第一次性徴生殖器が発生し分化していく発達段階が在胎週数7週頃からはじまり4-6週間続く、オーガズムを感じるようになりオナニーが始まるのが超音波検査による胎児に対する観察で在胎週数28週頃の胎児で既に確認されている、不安定ながら性同一性を持ち始めるのは3歳頃、性愛に基づく初恋の発現する年齢についての有意差は学齢で幼稚園・保育所の年長児であり年齢は5歳~6歳頃である。第二次性徴精通の平均年齢は12.84±1.11歳、月経の平均年齢は12.24±0.93歳であり学齢では小学校6年生~中学校1年生。第二次性徴の始まる12歳から35歳以上である高齢出産までの期間は23年間、50歳以上である超高齢出産までの期間は38年間となる。
  3. ^ 警察庁「犯罪統計書」によれば、戦前のピーク時と比べて1990年前後には10分の1以下へと激減傾向であったが、表現の法的規制の強まりに合わせて2005年まで微増傾向に転換していた。
  4. ^ 「(剣持加津夫)が撮影した少女のヌード写真集(モデル梅原多恵)を主にスチル動画実写合成した幻想映画」山口且訓・渡辺泰『日本アニメーション映画史』プラネット編 有文社刊 1977年 302頁
  5. ^ なお、この書籍の元原稿は「ファンム・アンファンの楽園」(『GQ』第3号所収、ジイキュウ出版、1972年)、芸術生活に投稿されたエッセイであり、初出は1972年9月に遡る。
  6. ^ ロリコンライターの草分け的存在である青山正明によるブームの歴史や解説が掲載されているほか、芸能・映画・音楽・コミックなど多ジャンルにおけるロリコンの存在を横断的に紹介している。
  7. ^ 生物学、統計学、文化人類学など学際的観点から総覧的にロリコンを考察している。
  8. ^ 吾妻ひでお蛭児神建、内山亜紀、早坂未紀川本耕次谷口敬らロリコンブームを築き上げた作家陣による座談会が掲載されている。
  9. ^ 1992年時点までのあらゆるロリコングッズを網羅しており、ブームの全貌が一望できる。

出典

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  4. ^ 日本ユニセフ協会 お問い合わせ「本キャンペーンが規制を求めている『子どもポルノ』の具体的な定義について」 を参照。
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  11. ^ 江戸時代、若くはもつと以前の日本人の生活では、14、15歳にして、もうすでに多くは結婚をしたらしく思はれる。その頃の人には「少女時代」というものがほとんど無かつたと云つてもいい。生田春月「少女美」(『草上静思』交蘭社、1926)114-115頁より引用
  12. ^ ジャレド・ダイアモンド著『文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの(下)』 草思社発行 (ISBN 4-7942-1465-0) 第九章 日本についての記述要約
  13. ^ イラン大統領が早婚奨励 「女性は16歳がベスト」(産経新聞2010.11.21配信)[]
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  19. ^ 飯沢耕太郎『少女古写真館』ちくま学芸文庫、2001年、p.200。
  20. ^ ただし「シベール」はすぐに廃刊となり、追随するファンジンは多く現れたものの、主流は「美少女もの」や「アニパロ」ジャンルになっていく 「おたくの本」別冊宝島(104)、1989年 p.105
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関連項目

性愛

文化

少女ヌード専門誌

漫画雑誌

関連人物

ロリコンと社会

その他

外部リンク

  • 日本のサブカルチャーにおける《ルイス・キャロル=ロリータ・コンプレックス》像の定着史
  • “ある編集者の遺した仕事とその光跡/天災編集者!青山正明の世界”. ばるぼら. S&Mスナイパー (2008年10月19日). 2017年6月17日閲覧。(1980年代のロリコンブームについて詳述あり)
  • “80年代初期ロリコン漫画誌の時代─SFと美少女からエロ漫画への変遷を辿って”. 永山薫. S&Mスナイパー (2010年8月21日). 2017年12月9日閲覧。(1980年代のロリコンブームについて詳述あり)
  • “特集「セックス表現の現在形2012」ロリコン漫画の不在形”. さやわか. S&Mスナイパー (2012年5月5日). 2017年12月9日閲覧。
  • 鳥山仁 (2008年3月20日). “児童ポルノQ&A(2)どうして、日本では実写よりも漫画・アニメ作品の影響力が強かったのでしょうか?”. 王様を欲しがったカエル. 2020年4月18日閲覧。
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。