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川本耕次

川本 耕次(かわもと こうじ、1953年昭和28年〉5月3日[4] - 2022年令和4年〉12月26日[5][6])は、元みのり書房アリス出版群雄社出版漫画編集者官能小説家カメラマンライター。批評集団『迷宮』メンバー。伝説的自販機本少女アリス』2代目編集長三流SF漫画誌Peke編集長。『ロリコンHOUSE』監修者。後に実業家ブロガーアダルトメディア研究家に転身。WEBサイトネットゲリラ』管理人[7]三流劇画ブームロリコンブームの仕掛け人といわれる[8][9]

川本 耕次
(かわもと こうじ)
ペンネーム 野次馬
ネットゲリラ
カリスマ厨房
やまだひろなが
でぶりんこひーちゃん
(全国三流劇画共斗会ギ)
誕生 山田 博良
(やまだ ひろなが)
(1953-05-03) 1953年5月3日
日本 静岡県三島市
死没 (2022-12-26) 2022年12月26日(69歳没)[1]
職業 編集者
文筆家
写真家
実業家
ブロガー
言語 日本語
最終学歴 明治大学文学部仏文科中退[2]
大東文化大学日本文学科卒業[3]
活動期間 1976年 - 2022年
ジャンル ロリータ
官能小説
漫画評論
自販機本
三流劇画
代表作 雑誌
『(官能劇画)』
月刊Peke
『(三流劇画の世界)』
『(ガール&ガール)』
少女アリス
『ロリコン大全集』
ロリコンHOUSE
単行本
『思春期症候群』
『エロティック・トラウマ』
『ナイロン100%スクール水着』
『ポルノ雑誌の昭和史』
デビュー作 『ぶかどん・A5判の夢―貸本漫画小論!』
所属 迷宮みのり書房アリス出版群雄社出版フリー→川本耕次写真事務所→Office A_C_P→フリー
公式サイト
ネットゲリラ
(ウィキポータル 文学)
(テンプレートを表示)

座右の銘は「ネットゲリラは潜水艦戦である。潜水艦戦に前線はない。自分に有利な時と場所で戦闘を開始する」。

来歴

同人誌『迷宮』で三流劇画ブームを起こす

静岡県三島市出身。大学在学中から貸本劇画を研究していた縁で米沢嘉博やらと出会い、コミックマーケットの母体となった漫画批評集団迷宮』の集会に出入りする[3][10]。この頃、迷宮の『漫画新批評大系』に「」と題した記事を「(全国三流劇画共斗会ギ)」名義で寄稿し、これが三流劇画ブームの直接的なきっかけとなった[11][12][13]

後に川本は三流劇画ブームを次のように述懐・総括している。

たった一人で「全国三流劇画共斗会議」を名乗るなんて人騒がせにもほどがあるという意見もあるだろうが、そのありもしない「全三共」の幻影にみんなが踊らされて論争がまきおこったんだから、トラブルメーカーを自認する僕としては満足だ[14]
三流劇画ブームというのが何かというと、1977年〜78年頃なんだが『漫画大快楽』『漫画エロジェニカ』『劇画アリス』といった、漫画劇画の世界でも最底辺だった雑誌をおいらが持ちあげて騒いで、最初は個人誌でやってたんだが、それが『漫画新批評大系』という、当時でもかなりの大部数が出ていたコミケ系の漫画評論同人誌につながり、そこから関西で出ていた『プレイガイドジャーナル』という情報誌で座談会が開かれるに至り、しまいには『別冊新評』という商業総合誌で特集までやったわけだ。まぁ、三流劇画ブームなんてぇのは実際には中身はあまりなくて、全共闘崩れみたいなアジテーションばかりが賑やかだったんだが、今にして思うと、あの時代を象徴するようなムーブメントではあったわけです[15]

みのり書房でニューウェーブ漫画誌『Peke』創刊

その後、三流劇画の取材で訪問したみのり書房に入社して1977年10月から『(官能劇画)』の編集者となる[3]。1978年8月には『月刊OUT』で初の吾妻ひでお特集である「吾妻ひでおのメロウな世界」を担当し[16]、翌9月から『(月刊コミックアゲイン)』の前身となる、先駆的なニューウェーブ漫画誌Peke』を創刊する[17]。同誌では吾妻にSFパロディ『(どーでもいんなーすぺーす)』(吾妻の代表作『ななこSOS』の原型となった)を描かせたほか、みのり書房の編集部に出入りしていた無名時代の内山亜紀(ロリコン漫画を初めて描かせる)とさべあのまをデビューさせ[9]、大学時代からの知人であった(怪奇漫画家)の日野日出志を復活させる[18][19]

日本初の少女愛専門誌『少女アリス』編集長として―ロリコンブーム到来

同誌廃刊後は米沢嘉博の仲介[20]で1979年春からアリス出版に移籍、合併アリスでは第五編集部編集長に就任する[2][21][22]。入社当初はレズ雑誌『(ガール&ガール)』を編集していたが[23]、同年初冬にはロリコンブームの火付け役[3]となった伝説的自販機本少女アリス』(アリス出版)の2代目編集長となり[24]、同誌ではビニ本界の伝説的アイドルであった(寺山久美)(寺山修司主宰のアングラ劇団天井桟敷」出身の文学少女)をモデルに新潟県上越市で写真撮影を敢行したほか[25]、コミケットで日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』を発表していた吾妻ひでおに美少女漫画を依頼して「純文学シリーズ」を描かせる(後に奇想天外社から『(陽射し)』としてB5判ハードカバーで単行本化された)[8]。この連作は叙情的に描かれた美少女のエロティシズムを明確にテーマにした全8編の作品群で、後のロリコン漫画(美少女コミック)に直結する最重要作品群とみなされている[26]。なお吾妻は川本について「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と『失踪日記』で語っていたほか[27]、川本自身も「毎回通って、時には徹夜にもつきあって、原稿をいただいた時の感激は忘れません。時代を変える作品だと、あの頃から確信していました」と述懐している[28]

ちなみに第2次ロリコンブームの中心人物であった(斉田石也)は、川本が編集を手がけた『少女アリス』について次のように評価している[29]

厳密に言えば、本物の少女は登場していないものの、当時、娘の制服を借りて来たのか、と張り倒したくなるようなババアがセーラー服姿でニカッと笑っているのが普通でさえあった自販機本業界にあって、おそらく本物の十代の少女が登場する数少ない総合グラフ誌だった。この『少女アリス』の編集の中心的人物こそ誰あろう川本耕次氏なのだ。当時は編集者カメラマンライター等々、一人で何役もこなしていたと聞いている。当時の『少女アリス』に掲載された女子高生の告白物語などは、全てノンフィクションだと信じていた。ところが、当時、その文章の大半を川本氏と青葉伊賀丸氏は捏造していたと聞き、かなりのショックを受けた。もちろん信じていたのにィという恨み節もあるが、それ以上に、あれだけのサイクルであれだけの量の文章を、しかも、専任ライターではなく様々な仕事をこなしながら書き綴っていたことがショックだったのだ。そして『少女アリス』を30号近くまで継続させた川本氏のパワーが、後にロリコンブームの布石になったことは、いまさら説明を必要としないだろう。『少女アリス』から『ありす』そして『アリス倶楽部』さらに『ロリコンハウス〜ロリくらぶ』を経て『アリスクラブ』まで、常に専門誌に少なからず影響を与えている氏の存在こそ、当時のパワーの延長と言える。

群雄社を経て『ロリコンHOUSE』監修

その後、アリス出版から派生した群雄社出版官能小説家エディターカメラマンとして活動し、同社では4冊のロリータ官能小説を上梓したほか『ロリコン大全集』『街には女の子たちがいっぱい』『ありす』『アリス倶楽部』などロリコンムックの編集にも携わる[30]。群雄社倒産後は読み物中心のロリータ総合誌『ロリコンHOUSE』(三和出版)を創刊号から監修し「(処女太り)」という女子中高生が女性ホルモンの関係で思春期の一時的に太っている状態を指す造語を提唱する[31][32]。またこの頃、ロリータアイドルの山添みづきを世に送り出し[33]、一方でアンティーク少女・少年写真のコレクターとしてポストカードコレクション写真集『セピア色の少女たち』(シティ出版)の監修を手がけるなど叙情的な美意識も垣間見せた[34]

晩年

1989年の『ロリくらぶ』廃刊後も『アリス・クラブ』(白夜書房コアマガジン)などに官能小説を連載していたが[35]、ほどなくエロ本業界の第一線から退いて東南アジアを放浪し[36]、この時の経験を活かしてエスニック雑貨屋「えすの屋」を1993年に開店する(伊豆高原駅ビルなどにも数店をかまえた)。この時期は「やまだひろなが」名義で『アジア雑貨屋さんの仕入れ術』(情報センター出版局)、『面白いほどよくわかるタイ裏ワザの旅』((海竜社))、『史上最強のタイみやげ』(旅行人)などの関連書籍を出版している。

晩年は伊豆半島中北端の衛生業界最大手企業(静岡県三島市および伊豆の国市で環境浄化や水道設備などを手掛ける)を父母から継承し、会社は部下に任せて趣味に明け暮れる悠々自適の生活を送っていた[37]

2022年12月26日昼頃、心不全で死去[5][6][38]。妻で銅版画家の(林由紀子)によると、川本はここ十年ほど腎臓を患っており、人工透析が欠かせない体質になっていたという。そうした中、2022年暮に新型コロナウィルスの診断を受け、しばらく自宅待機していたが、体調悪化により25日に緊急搬送され、26日に容体が急変したという[5][6][38]。2023年1月11日、白馬社の広報担当より、川本の死去が正式に公表された[1]。享年69。戒名は玄徳院法音日博居士[39]

川本耕次名義の著書に『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)がある。同書の帯コピーは「エロ本屋は、永遠に勝てない闘いを続けるゲリラである」。

作品

現在すべて絶版につき入手困難。これについてメイザーズぬまきちは次のように語っている。

川本耕次の著作は、もう殆どが手に入らない。若い頃の小説は掲載誌が児童ポルノに指定されていて売買も閲覧もかなわない。群雄社以降の官能小説は電子書籍自体も取り下げてしまったため、こちらも読めない。古書でわずかに流通する本も、状態の良いものは既にプレミア本。永田守弘の本に収められた短編『ナイロン100%スクール水着』なんて元値の5倍近い。残る本は『ポルノ雑誌の昭和史』だけ。悲鳴をあげたくなる[40]

著書

  • 世紀末エロ写真館(青弓社 1996年12月) - 下川耿史、(斉田石也)、岡村多佳夫との共著
  • アジア雑貨屋さんの仕入れ術(情報センター出版局 1998年5月) - やまだひろなが名義
  • 面白いほどよくわかるタイ裏ワザの旅((海竜社) 2001年4月) - やまだひろなが名義
  • 史上最強のタイみやげ(旅行人 2002年3月) - やまだひろなが名義
  • ポルノ雑誌の昭和史(ちくま新書 2011年10月) - 元エロ本編集者から見た非メジャー出版史と極私的回想録。電子版のみ入手可能。

監修・編集

個人的なことにもなるが、迷宮として漫画批評誌『漫画新批評大系』を出していた七七年の時点において少女漫画エロ劇画は、新たな可能性を持つ漫画ジャンルとして取り組みを始めることにもなっていった。七七年十二月に出た『漫画新批評大系』(第2期/VOL.1/迷宮77)において、ぼくは「戦後少女マンガの流れ」の連載を開始し、同時に川本耕次と共に「三流劇画ミニマップ」を“三流劇画共闘会議”名で掲載した。(中略)たぶん、ここから三流劇画ブームはスタートしていったはずなのである。(中略)迷宮の中で三流劇画、エロ劇画に積極的に関わっていたのは川本耕次、青葉伊賀丸、そしてぼくだ。川本はこの年の六月頃には『別冊官能劇画』の編集者となり、業界につながりが出来、迷宮と深い関わりのあった村上知彦が編集に携わる『プレイガイドジャーナル』に企画を立ち上げるなどの動きが重なっていく。亀和田武の人脈による『本の雑誌』でのマンガ評の三流劇画の扱いも含め、サブというよりカウンター的意識を持っていたミニメディアとの結びつきが力を与えていくことになる。『別冊新評 SF新鋭7人集』で同人誌の世界にページを割いてくれたS編集長に「三流劇画」の世界を作らせてくれと言ったのはぼくだが、時期尚早ということで、石井隆を出した後ならという確約をとれたのは秋頃だったという記憶がある。
──米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月 221-223頁

  • みのり書房『(官能劇画)』1977年〜1978年
  • みのり書房『Peke』1978年9月創刊号〜1979年2月休刊号(全6号)※大徳哲雄との共同編集[42]
  • みのり書房『月刊OUT』1978年8月号特集「吾妻ひでおのメロウな世界」
  • みのり書房『月刊COMIC AGAIN』1979年5月創刊号ほか[22]

おいらが作ったのは『Peke』という漫画誌なんだが、SFとか鬼太郎とかCOMとか、まぁ、そんな感じです(笑)。この時期、おいらが同人誌で煽った三流劇画というのがメディアに注目されるようになり、大阪で出ていた情報誌『プレイガイドジャーナル』の1978年8月号で座談会が行われるんだが、そこではおいらの肩書きは「新創刊誌の準備中」となってますね。おいらも特にSFやニューウェーブ系漫画をやりたかったわけじゃなく、エロ劇画でも良かったんだが、たまたま会社がアニメで当てたので、その連続性の企画を宛てがわれたわけですね。まぁ『Peke』というのは、あまり売れなくて半年で潰れるんだが、おいらへそ曲がりなので、最後の号の表紙にデカデカと「廃刊号」と入れ、編集後記で大見得切ったわけだ。アジテーションは得意だから(笑)。で、あまり売れないと言ってもそれなりには売れていたわけで「止めないで」という葉書が5000通ほど届いたらしい。経営者が葉書の山に仰天して、でも、おいら、もう会社辞めちゃってるし、廃刊しちゃったしで、後の祭り(笑)。そこで後釜として作られたのが『月刊COMIC AGAIN』です。コレは『COM』の編集をやっていたというオジサンをどっかから連れてきて、創刊号がCOM特集Part2(Part1は『Peke』の廃刊号)というのだから、実質的な復刊ですね。実はおいら、立上げ当時の『月刊COMIC AGAIN』の記事ページの編集まかされて手伝っていたんだが、他にも、別冊新評という出版社で企画していた「三流劇画の世界」という本にかかわるわけだ。
── - ウェイバックマシン(2011年11月16日アーカイブ分)

今だから言えるが、ペンネームは6人分だが書いたのは3人。ぼくと川本と青葉である。構成も手伝っている。そんなこともあって「編集後記」では「この特集で筆者の数の不足は否めないが、すぐれた劇画論、作家論を生むためにはもう少し時間が必要かもしれない。この本がそういった意味で今後の資料になればよいが」と編集長にグチられている。これ以前、エロ劇画に触れたものはごくわずかしかない。69年の『(えろちか)』と74年の『宝島』の特集がそれであり、陽の当たらないジャンルマンガ誌をここまで徹底して取り扱ったのはこの特集雑誌が初めてであり、そうして最後でもあった。この本では75年の創刊ラッシュから、77〜78年の最盛期の状況まで、概要を見渡すことができる。
──米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月 225頁

コミケット周辺に集まっていた人間がみんな社会人になり、あるいは編集者に、あるいは作家に、それぞれ連動しながら動いていたのだが、同人誌時代にやった「三流劇画ミニマップ」の余波が、その頃になっていろいろと出て来る。まず、大阪で出ていた情報誌『プレイガイドジャーナル』の1978年8月号で三流劇画をテーマとした座談会があり、翌年には『別冊新評』という雑誌で「三流劇画の世界」という特集が出る。三流劇画の世界は、米澤氏と私でずいぶんたくさんの原稿書いてます。他にほとんど書き手がいなかったので仕方ない。またTVでも人気番組『11PM』で特集が組まれたりと、マスコミ挙げていろいろと騒々しい事になるんだが、その本が出る頃には当人たちはとっくに、次のネタに取り掛かっていたりするわけです。
──川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』筑摩書房ちくま新書〉2011年 38頁

1979年の4月の日付で出た『別冊新評・三流劇画の世界』には座談会が載っていて、そこには失業中の私も出席しているのだが、そこでは「ロリコン系のエロ劇画誌を作ってみたい」と発言しているわけです。また、その直前、みのり書房で私が作っていた『Peke』の最終号編集後記では『(Little Pretenders 小さなおすまし屋さんたち)』(ミリオン出版/1979年1月)という写真集について触れている。次に来るのはロリコンだとそう考えていたのだ。
──川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』筑摩書房〈ちくま新書〉2011年 178-179頁

私は『東京おとなクラブ』のエンドウ編集長のバイクのケツに乗って、82年の東京を突っ走った。新宿御苑前にあるマンションを訪れると、そこはコミック評論誌『ぱふ』の編集部だ。怪しげな男たちが車座になっている。中心であぐらをかくヒゲ面の男が「がっはっはっ」と豪傑笑いした。「いまやロリコンの時代だからよ〜、その決定版を出そうってのよ。『ロリコン大全集』だ!!」。なんでも川本耕次サンというエロ雑誌界の重鎮だそうな。正座して真面目に話を聞いてるのは慶應大学の学生たちだという。その一人が「よろしくお願いしますっ!」と頭を下げて、サッと名刺を差し出した。へえ、学生が名刺を持ってるのか? と驚いたが、そこには〈『突然変異』編集長〉の肩書が。あっ! と思った。『突然変異』を変態ミニコミ雑誌だと椎名誠朝日新聞の雑誌評で叩き切って、同誌の学生編集者らが『週刊プレイボーイ』で猛反論、椎名に決闘状を叩きつけるという事件があったのだ。さぞコワモテの輩かと思えば、目の前の青白くひょろっとした青年は柔和な笑みを浮かべている。「青山正明」という名前だった。
川本サンは神田にある群雄社という出版社でエロ本を作っていた。当時はビニ本自販機本の全盛時だ。ビニ本とはビニールで包まれたヌード写真集で、自販機本自動販売機で売られていたエロ雑誌のこと。自販機のガラス面にマジックミラーが貼られていて、児童が前を通る昼間は鏡だが、夜になるとあら不思議、光のマジックで中が見える!? 煽情的な表紙のエロ雑誌は適当なヌードグラビアと活版ページで構成されている。ザラ紙のその埋め草記事を書く仕事を任されて、私は群雄社に出入りするようになった。「明日までに8ページ、よろしく!」といきなり言われ、〈夏場のアウトドアSEX必勝マニュアル〉みたいないい加減な記事をたったひと晩で書き飛ばすのだ。
──中森明夫新人類&おたく誕生前夜──急カーブを曲がろうとしていた──“(80年安保)”が存在したのではないか? 政治闘争ではない。それは、文化、いやカルチャーにおける叛乱=氾濫だった」新潮社新潮45』2012年5月号「特集/30年前と30年後」34頁

  • 群雄新社『ありす』1982年11月創刊号〜1983年7月休刊号(全3号)
  • 群雄社出版『アリス倶楽部―少女愛を探求する世紀末アンソロジィ』1983年10月創刊号(群雄社倒産のため続刊されず)
    • 不純文学短編小説「天国にちょっとだけ近い場所」掲載。編集人=川本耕次/発行人=明石賢生
  • 三和出版ロリコンHOUSE』→『ロリくらぶ』(1984年12月創刊号から1989年8月終刊号まで監修)
  • セピア色の少女たち―アンティーク・ポストカード・コレクション(シティ出版 1986年4月)
  • 米澤嘉博に花束を((虎馬書房) 2008年) - 米澤英子らとの共著。エッセイ「劇画アリス少女アリスの日々」を執筆。

官能小説

  • 思春期症候群(群雄社出版 シガレットロマンス 1983年2月)
    • 1988年2月に『美少女の秘密』の題で大陸書房ピラミッド社より再刊。
  • エロティック・トラウマ 教師と十二歳の少女の恋物語(群雄社出版 シガレットロマンス 1983年5月)
    • 1989年8月に『教え娘・蜜の匂い』の題で(二見書房マドンナメイト)より再刊。群雄社版の解説はコミケット主催者の米沢嘉博

考えてみると、前作『思春期症候群』から奥付でも三か月しか違わない。会社でも通勤の電車の中でも喫茶店でも書いていた。鉛筆を握りしめて寝た。この長編書き下ろしの二作はその甲斐あってか、まだ世に出てない隠れロリコンの諸氏に多大な影響を与えるとともに、川本耕次イコール美少女小説家というイメージを定着させることとなる。それまでのエロ小説ではロリータが正面きってテーマとなることは少なかったし、それを専門にする作家もいなかったのだ。
── - ウェイバックマシン(2002年2月3日アーカイブ分)

  • 美少女博物館 欲望のチーズケーキ(群雄社出版 シガレットロマンス 1983年6月)
  • 処女喪失 はじめて、男のヒトのがグリグリって入ってきた時、感じちゃった私…(群雄新社 薔薇叢書14 発売日不明)
    • 自販機本少女アリス』に掲載された川本耕次と青葉伊賀丸執筆の捏造告白が収録された無署名の官能短編小説集。
  • ナイロン100%スクール水着(群雄社出版 シガレットスペシャル 1983年9月)
    • 1995年12月に『美少女学園 初体験授業』の題で青樹社(夜想舎ナイトロマン文庫)より再刊。青樹社版収録作品は「ナイロン100%スクール水着」「水に映った紺青」「少女売春」「天国にちょっとだけ近い場所」「従妹」「亜里沙」「上海物語」「魔都物語」の8篇。

群雄社版はカバー印刷にシルバーブルーの特色、本文はなんと活版の二色刷り(通常オフセット印刷)しかも旧字旧カナ遣いもアリという凝りまくった造りの短編集。オートライティング・マシーンとしての書き飛ばし原稿ではなく、ロリコン小説という存在を世の中に認めさせようという意欲にあふれていた時代の作品。ワタシの本の中でどれか一冊、というならコレにトドメをさすんじゃなかろうか。短編ばかりだが、いずれもその後の長編小説の元ネタとなった作品ばかり。粒ぞろいなのだ。イラストは吉田光彦、解説は劇団主催者の小松杏里という下北沢コンビ。出版に賭ける意気込みだけは盛んだったが、群雄社の経営はおもわしくなく、ほどなくしてツブれることとなる。
── - ウェイバックマシン(2002年2月3日アーカイブ分)

  • 美処女喪失((二見書房マドンナメイト) 1986年9月)
  • トワイライトタイム 茉莉子冬物語(富士見書房 1987年12月)
  • 思春期そーしつ休暇(二見書房マドンナメイト 1988年3月)
  • 美少女の体験(大陸書房ピラミッド社 1988年4月)
  • 花芯伝説 セーラー服も女教師も人妻も(二見書房マドンナメイト 1988年10月)
  • 早熟の部屋 長編官能小説(有楽出版社/実業之日本社 1990年1月)
  • 淫らな相姦日記妹の下着調べ(二見書房マドンナメイト 1990年7月)
  • 早熟の三姉妹 長編官能小説(有楽出版社/実業之日本社 1990年9月)
  • 義妹桃肉いじめ(二見書房マドンナメイト 1991年7月)
  • セーラー服変態図鑑(二見書房マドンナメイト 1992年5月)
  • 美処女欲情(青樹社/夜想舎ナイトロマン文庫 1995年6月)
  • 美少女学園超エッチ遊び(蒼竜社 1996年5月)

写真集

  • 川島めぐみ ときめきのむこうがわ(笠倉出版社/(少女文庫) 1982年6月)
  • 橋本純子 胸いっぱいの初恋(笠倉出版社/少女文庫 1982年6月)
  • 山添みづき13歳 ロリータ・アイドル まだ愛はしらない(三和出版 1984年4月) - 撮影者は近藤昌良。川本耕次が全面プロデュースした[46]
  • 処女香 一ノ瀬悠写真集(Office A_C_P 2004年2月)
  • 天然生娘 阿立未来写真集(office A_C_P 2004年4月)
  • 伝説の美少女 西村理香(三和出版 2004年5月) - 適法範囲である着衣写真のみで構成。撮影者は力武靖。川本耕次は部分的に関与[47][48]
  • さくら姫 浜ひとみ写真集(office_A_C_P 2004年7月)
  • 雛乙女 藍沢ゆうな写真集(office A_C_P 2004年8月)
  • 現代に甦る「ビニ本」NUDE(別冊GON! 2004年9月号)
  • 喪失日記 小倉杏写真集(office A_C_P 2004年10月)

座談会

三流劇画ブーム

ロリコンブーム

評価

  • 稀見理都 - 川本さんは、三流劇画の研究者、評論家でもあり、自販機本を制作、ロリコンブームの兆しをいち早く捉えメディアに紹介、煽り、『ロリコン大全集』などを発行、自らロリコン小説も執筆した。また、ニューウェーブコミック誌なども立ち上げた人物。オタク文化の黎明期を多く築いた[49]
  • ばるぼら - 川本さんは「貸本漫画」が漫画史においてどんなムーヴメントだったのかを研究した最初期の人であり、「三流劇画」ブームの立役者であり、『Peke』~『アゲイン』を創刊して「ニューウェーブ」を打ち出した人であり、『少女アリス』で吾妻ひでおを起用し「ロリコン」ブームを仕掛けた重要人物です[50]
  • 吾妻ひでお - 川本さんて、なんか怪しくて、こんな風にサングラスをかけていた[51]。最初はみのり書房に就職して『OUT』の「徹底大解剖!! 吾妻ひでおのメロウな世界」や『Peke』の「(どーでもいんなーすぺーす)」を担当した後、アリス出版に転職して「純文学シリーズ」とか、わりと俺の転機になる作品を描く時に、立ち会ってくれる人だった。一度「今月は同人誌があるので『少女アリス』は休みます」と言ったら、非常に怒っていた[52]
  • 米沢嘉博 - コミケットを中心に、アニメ、少女マンガ、ロック、絵画、SF等に影響を受けた新しい感性の描き手達も登場していた。そして、それをすくいあげようという若い編集者も出てきていた。マルイの頃[53]から集会に参加していた佐川氏、板橋あたりからスタッフとなっていた川本耕次氏。佐川氏は、半年かかって社長をくどきおとし、新雑誌創刊にこぎつける。なにしろ、毎朝毎朝、社長の机の上に新しい同人誌を置いての攻勢だったらしい。新雑誌は、美少年をテーマにした『JUN』。やがてタイトルは『JUNE』に変更となる。川本氏は、三流劇画特集の取材時のコネを生かしてみのり書房に入社し、どういう甘言をろうしたのか、マンガ雑誌をまもなく創刊させることになる。三流SFマンガ誌『Peke』がそれだ。共に78年の夏のことだ。同時期には『プリティプリティ』『はーい』が創刊されており『奇想天外』の“SFマンガ特集号”も出ていた。時代がそういった波にのりつつあったのかもしれない。つまり、メディアのニューウェーブだ。この二誌は半年ほどで休刊となり、いわゆる“ぼくらのマンガ”は敗退することになるのだが、それから数年後『JUNE』は復活し、『Peke』も『コミックアゲイン』と名を変え再生、ニューウェーブ・ブームを巻き起していく[54]
  • (斉田石也) - そう言えば「(処女太り)」という言葉も、今ではマニア雑誌で当たり前のように使われているが、確か川本氏の新造語だったはず。群雄社発行の『ロリコン大全集』や『ありす』のカコミ記事などを細かく読んでいくと、同じような少女の特徴を捉えた川本氏の新造語、ないしは、彼が引用したことでマニアの間で一般化した表現が散見できる。これなど、おそらく氏の飽くことなき少女観察の賜物と言えるだろう[31]
  • (野崎靖仁) - 川本さんは人気サイト「ネットゲリラ」の管理人。「2ちゃんねる」のスレッドを編集し、冒頭にコメントを付けた記事が大半ですが、カメラや料理といった趣味の話も織り交ぜられており、読ませるワザは、さすが編集者です。「編集者官能小説家写真家」としてネット上に作り上げた個人雑誌の趣があります。そんな作業は「昔取った杵柄」なんでしょうね[55]
  • 昼間たかし - 川本は、近著に昨年発行された『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)がある、伝説的なエロ本の編集者だ。けれど、近年では、毒づき方が特徴の人気サイト「ネットゲリラ」の中の人と説明したほうがわかりやすいだろう。かつてはエロ本の名編集者として知られて、昭和史に名を刻んだ川本だが、現在は静岡県で企業人として活躍中だ。筆者も、名刺交換した時に「なんかの社長っぽい人だな」と思ったら、ホントに社長だった。エロ本畑を歩いた挙げ句に、これほど華麗に異業種に転身できた人は寡聞にして聞かない[56]
  • 竹熊健太郎 - 川本耕次さんからは、1980年前後のエロ雑誌業界のアナーキー丸出しの面白がり精神を感じる。命懸けの遊び心だ。川本さんから数年遅れでその業界に入った俺は、30年前のエロ業界の、この世の物とも思えない毒気に当てられて未だ後遺症が消えていない[57]
  • 小形克宏 - 山田(川本)さんは路頭に迷っていた22歳の私をエロ本屋に誘った、編集者の師匠に当たる人。晩年はネット掲示板の管理人として有名だったようだけど、それは彼の本質のごく一部。多才で賑やか、でも寂しがり屋だった[58]
  • (秋嶋亮) - 山田博良(川本耕次)さんの傑出性は、ブルジョアジーとプロレタリアートという二極の視点から、人間・社会を考察できる稀有な能力にあったと僕は分析しています。これはポルノ雑誌編集者から企業の総帥まで務めた、起伏ある濃厚な職業人生の賜であり、我々はこのような懐が深く、猥雑で、碩学で、時に露悪的な、聖と俗を往還する破天荒な言説にしびれたのです。しかし我々が最も共感したのは、弱者に対する優しい眼差しであり、圧制者に対する激しい怒りであり、森羅万象を慈しむ繊細な感性であり、多情多恨な不良少年のごとき一面であり、生きることを愉しみ尽くす豪快な人間的魅力だったのだと思います[59]

脚注

  1. ^ a b t2PrW6hArJWQR5Sの2023年1月11日のツイート、2023年1月11日閲覧。
  2. ^ a b 川本耕次「劇画アリスと少女アリスの日々」(米澤英子)ほか『米澤嘉博に花束を』虎馬書房 2007年8月 58-59頁
  3. ^ a b c d e 川本耕次「1976-79年『A5判の夢』〜『シングル・ピジョン』」『20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』赤田祐一ばるぼら誠文堂新光社刊 2014年4月発行 162-164頁
  4. ^ 野次馬 (2015年5月3日). “マクドナルド潰れても何も困らない”. ネットゲリラ. 2020年3月10日閲覧。
  5. ^ a b c (林由紀子) [@PsycheYukiko] (2023年1月16日). "ネットゲリラこと川本耕次こと山田博良は令和4年12月26日昼頃、心不全で亡くなりました。人工透析10年超えで腎機能0、心機能28%のわりには陽気な病人でしたがコロナで容体急変してから一昼夜と保ちませんでした。長くは苦しまなかったでしょう。" (ツイート). Twitterより2023年1月16日閲覧
  6. ^ a b c 小形克宏 [@ogwata] (2023年1月15日). "…逝去の日は12月25日と位牌にありました。以上。" (ツイート). Twitterより2023年1月15日閲覧
  7. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 204頁
  8. ^ a b 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 112頁
  9. ^ a b 吾妻ひでお谷口敬野口正之蛭児神建早坂未紀+川本耕次「ロリコン座談会 ロリコンの道は深くて険しいのだ」『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号「特集 ロリータあるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」ラポート pp.86-87
  10. ^ - ウェイバックマシン(2011年11月20日アーカイブ分)
  11. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 38頁
  12. ^
  13. ^ 高取英「米澤嘉博氏の思い出」米澤英子ほか『米澤嘉博に花束を』(虎馬書房) 2007年8月 78-79頁
  14. ^ 川本耕次「“三流劇画共斗”ってナーニ?──正体不明、不毛のエロ劇画論争」『別冊新評 三流劇画の世界』新評社 1979年4月 162-164頁
  15. ^ - ウェイバックマシン(2011年11月16日アーカイブ分)
  16. ^ a b 川本耕次(&竹熊健太郎)トークイベント(2011年05月21日) 倉田わたるの廃墟通信
  17. ^ SFと美少女の季節(吾妻ひでおと川本耕次の関連年表) 明治大学米沢嘉博記念図書館
  18. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 37頁
  19. ^ 野次馬 (2016年8月14日). “戦後怪奇マンガ史”. ネットゲリラ. 2020年3月9日閲覧。
  20. ^ - ウェイバックマシン(2010年9月24日アーカイブ分)
  21. ^ 安田 & 但馬 1997, p. 180.
  22. ^ a b 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 104頁
  23. ^ - ウェイバックマシン(2010年7月13日アーカイブ分)
  24. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 111頁
  25. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 169-172頁
  26. ^ 大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社講談社現代新書〉2001年、(ISBN 978-4061495531)。
  27. ^ 吾妻ひでお失踪日記イースト・プレス 2005年3月 142頁
  28. ^ 川本耕次のツイート 2018年10月26日
  29. ^ 斉田 1994, p. 87.
  30. ^ この頃、編集助手として後に『漫画ブリッコ』編集者となる緒方源次郎(現・小形克宏)が川本の仕事を手伝っている
  31. ^ a b 斉田 1994, p. 89.
  32. ^ 『危ない1号』編集長の青山正明が創刊した伝説のSM雑誌『サバト』の思い出 - Togetter 2018年11月16日
  33. ^
  34. ^
  35. ^ - ウェイバックマシン(2001年4月18日アーカイブ分)
  36. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 201頁
  37. ^ いしかわじゅん [@ishikawajun] (2023年1月13日). "山田は、しばらく姿を見ないと思っていたら、静岡の実家に帰って家業を継ぎ、実業家として後半生を送りつつ、ネットの危ない噂を集めたり、コーヒー豆の焙煎をしたり陶芸をやったりと、かなり好き勝手に暮らしていたようだ。" (ツイート). Twitterより2023年1月15日閲覧
  38. ^ a b 小形克宏 [@ogwata] (2023年1月15日). "喉の痛みはコロナウィルスによるものでした。病院で症状があっという間に急変し、亡くなってしまったとのことです。直接の死因は心不全です。" (ツイート). Twitterより2023年1月15日閲覧
  39. ^ 小形克宏 [@ogwata] (2023年1月15日). "葬儀の親族挨拶で、由紀子さんが「本人も死ぬとは思っていなかっただろう」と気丈に言っていたのが印象的でした。良い式でした。戒名は玄徳院法音日博居士。" (ツイート). Twitterより2023年1月15日閲覧
  40. ^ obenkyounumaの2023年1月13日のツイート、2023年1月15日閲覧。
  41. ^ 白峰彩子 [@mtblanc_a] (2023年1月15日). "「ぶかどん」は大学時代のもので、トーク当時に見せていただいており、越後瞽女等民俗学的内容だったというのを思い出しました。いわゆるカタリというか文字として残っていない文学について研究されていたとのことでした。" (ツイート). Twitterより2023年1月15日閲覧
  42. ^ 南原企画『The Lucky Horror Show』35号(1995年5月25日発行)特集「君は覚えているか?『OUT』のあの熱き血潮を!」
  43. ^ 高取 1982, p. 140「今年の五月に発刊された『ロリコン大全集』(群雄社出版・発行/(都市と生活社)・発売)は、ロリコンブームの青少年たちのための集大成ともいえる単行本で、初版二万三千部は完売し、現在、四万部まで版を重ねている」.
  44. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 182-183頁
  45. ^ 岩田薫「大学生をおおうロリコン症候群」(潮出版社『()』1982年9月号)
  46. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 186-187頁
  47. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 178頁
  48. ^ - ウェイバックマシン(2008年2月29日アーカイブ分)
  49. ^ kimiritoの2023年1月12日のツイート、2023年1月15日閲覧。
  50. ^ blogdexjpの2023年1月11日のツイート、2023年1月15日閲覧。
  51. ^ なお、川本をモデルにした編集者キャラクターが「純文学シリーズ」の「不思議ななんきん豆」に登場している。また、そのキャラクターは吾妻ひでお漫画では「美美」「ぶらっとバニー」にも出演し、「スクラップ学園」では先生役でレギュラー出演した(『吾妻ひでお大全集』(奇想天外社)P.193)。
  52. ^ 野次馬 (2018年11月25日). “怪しい編集者”. ネットゲリラ. 2020年2月15日閲覧。
  53. ^ コミックマーケット準備会『コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎 2005年7月,P27
  54. ^ コミックマーケット準備会『コミックマーケット30’sファイル』青林工藝舎 2005年7月,P90
  55. ^ 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』 - 社民党 京都府連合 野崎靖仁 2011年10月22日
  56. ^ 昼間たかし (2012年11月8日). “昼間たかしの100人にしかわからない本千冊 10冊目 ロリコンはやっぱり永遠にロリコンだった……のか?『改訂版 ロリコン大全集』”. 日刊サイゾー(サイゾーWeb事業部). 2020年4月27日閲覧。
  57. ^ 竹熊健太郎のツイート 2012年3月12日
  58. ^ ogwataの2023年1月15日のツイート、2023年1月15日閲覧。
  59. ^ (秋嶋亮) (2023年1月13日). “山田博良さんを追悼する”. note. 2023年1月16日閲覧。

参考文献

  • 新評社『別冊新評 三流劇画の世界』1979年4月
  • 米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月
  • 川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』筑摩書房ちくま新書〉2011年10月
  • (斉田石也)「アリス雑誌の文化論 少女写真の繁栄と衰退 第25回『研究・川本耕次』の巻」『アリス・クラブ』1994年3月号、白夜書房、1994年3月1日、87 - 89頁。 
  • 安田邦也、但馬オサム「天国桟敷の人々─安田邦也インタビュー」『Quick Japan』15号、176 - 184頁。 
  • 赤田祐一ばるぼら『20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』誠文堂新光社 2014年4月 162-164頁
    • 赤田祐一「川本耕次に聞く1976-79年『A5判の夢』〜『シングル・ピジョン』」

関連事項

外部リンク

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