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たてかべ和也

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たてかべ かずや
たてかべ 和也
1962年
プロフィール
本名 立壁 和也
(たてかべ かずや)[1][2]
愛称 カベさん[3]
性別 男性
出身地 日本北海道虻田郡喜茂別町[3][注 1]東京都世田谷区下北沢[2][4]
死没地 日本東京都[5]
生年月日 (1934-07-25) 1934年7月25日
没年月日 (2015-06-18) 2015年6月18日(80歳没)
血液型 A型[6]
職業 俳優声優芸能マネージャー
事務所 ケンユウオフィス
(永劫所属)[6]
配偶者 なし
公式サイト たてかべ和也:Tatekabe Kazuya 株式会社ケンユウオフィス
公称サイズ(時期不明)[7]
身長 / 体重 168 cm / 64 kg
声優活動
ジャンル アニメゲーム吹き替えナレーション
俳優活動
活動期間 1954年 - 2015年
ジャンル テレビドラマ舞台
声優:(テンプレート) | プロジェクト | (カテゴリ)

たてかべ 和也(たてかべ かずや、1934年昭和9年〉7月25日[3][8] - 2015年平成27年〉6月18日[5])は、日本俳優声優マネージャー。設立時より死去するまでケンユウオフィス取締役を務めていた[注 2][6]北海道虻田郡喜茂別町出身[3][注 1]東京都世田谷区下北沢育ち[2][4]

1970年代までは本名の立壁 和也(読みは同じ)で活動。

経歴

俳優・声優になるまで

北海道虻田郡喜茂別町で誕生[3][注 1]。先祖は除虫菊の栽培をしていたという[4]。父は胆振縦貫鉄道に勤めていたが、身体が弱く仕事を続けられないこともあり、小学2年生の時に東京都世田谷区下北沢に転居[2][4]

戦時中の小学4年生の時は長野県松本市北東部にある浅間温泉に疎開していたが、その後、長野県塩尻市洗馬に疎開先を移った[2]。その頃、夜ごと寝小便をするようになり、終戦の前後6ヵ月間続いていた[2]

疎開先から実家に帰った途端、寝小便は止まって、毎日、東京都世田谷区立代沢国民学校(現・世田谷区立代沢小学校[4]から帰ると野球に熱中[2]。第1期生として東京教育大学附属駒場中学校(現・筑波大学附属駒場中学校)へ入学後も野球に熱中していた[2]。同高等学校時代に「人手が足りないから出てくれないか」と頼まれて演劇部の公演『アルト・ハイデルベルク』に参加[2][4]。しかし何事にも縛られることが嫌いだったことから演劇部に入っていなかった[4]。芝居に興味があったわけではなく一人っ子のため、将来、両親の面倒を見るためにとあまり勉強は好きではなく演劇学科だったらなんとなく遊べるような印象があったため日本大学芸術学部演劇学科[3]に進学[9]。大学時代の同級生に小林清志がいる[10]

同大学卒業後、テレビプロデューサーを目指して、北海道から九州まで、数々の放送会社の就職試験に落ちて日本テレビの大道具係をしていた[2][9]。勤務のかたわら、大学時代の同級生だった田中康郎と組んで、劇団演劇座を結成し、『毒薬と老嬢』を北海道札幌市まで公演をしていた[2]。その時に大学時代の同級生の小林から「俺たちの劇団に来ないか」と言われて[4]、劇団泉座[6]に入団[9]

キャリア

テレビ放送開始後、洋画の吹き替えに出演して声優としての活動を始める[9]。テレビドラマのデビューは『ダイヤル110番[4]。演劇集団未踏[7]東京俳優生活協同組合[11]河の会[11]江崎プロダクション[12]に所属していた。

その後オフィス央という事務所を興し、社長職と声優を兼務していたが、1984年ぷろだくしょんバオバブに吸収合併される[13]堀内賢雄を見出したのはこのオフィス央時代である[3]。堀内がバオバブから独立し、ケンユウオフィスを立ち上げてからは、たてかべも同事務所に移籍し取締役も兼務していた[3]

受賞歴

2005年、第14回日本映画批評家大賞で、『ドラえもん』のレギュラー陣(大山のぶ代小原乃梨子野村道子肝付兼太の4人)とともに田山力哉賞を受賞[14]。さらに2006年11月、第11回アニメーション神戸で、同じくオリジナルレギュラー陣4人とともに特別賞を受賞。2007年3月には東京国際アニメフェア2007で、同じくオリジナルレギュラー陣4人と共に第3回功労賞を受賞[15]

闘病・死去

2009年に、胃癌を患いを全摘出した[3][16]。この際の治療でこだわったのは、レギュラーだった『ヤッターマン』のトンズラー役をやりきることだった。この癌までは大病が無く、一度も入院した経験もなかったため、「その手の事務仕事が苦手で、ストレスになってたかもしれない」と語っていたが、マネージャーが全てやってくれたという[3]

2015年6月18日午後1時49分、(急性呼吸不全)のため、東京都で死去、80歳没[5]。たてかべは生涯独身で、親族と事務所関係者が最後を看取ったといわれる。2009年の胃の全摘出後は、癌の再発はなかったものの、晩年まで体調が優れず、老衰のような形で亡くなったという[16]。レギュラーを務めていた『ベン10』のマックス・テニスン役がたてかべの最後の仕事であった。2015年6月19日放送の『ドラえもん』の冒頭にて追悼テロップが流れ故人を偲んだ[17]

たてかべの訃報に際して遺族やファン、テレビ朝日[18] や元相方の堀内の他、木村昴[19]水田わさび[20]神谷明[21]千葉繁井上和彦などがツイッターやブログ、ウェブサイトなどでその死を悼み[22]藤子・F・不二雄ミュージアムの公式ブログでも追悼コメントが掲載された[23]

たてかべの通夜6月23日青山葬儀所で営まれ、木村や水田のほかに小原乃梨子野村道子肝付兼太よこざわけい子野沢雅子かないみか山寺宏一戸田恵子喜多村英梨山口勝平ら約900人が参列。多数の声優や関係者からの供花が贈られた。前ドラえもん役の大山のぶ代は当時患っていた認知症の悪化もあり参列できなかった。その代わりにメッセージカードを寄せたが、封を開けずにに入れられたため内容は明らかにされていない。また、かないも自身のTwitterで母親の田上和枝も一緒に参列したことを語っている[24]。通夜においては、葬儀委員長の堀内により挨拶が行われ、肝付が弔辞を寄せた[25][26][27]

たてかべの長年の盟友であった肝付は阪神タイガースファンだったたてかべに「阪神は優勝圏内にいますよ。優勝するといいですね」とV祈願をし、最後はスネ夫の声で「ジャイアーン、ジャイアンのくせになぜ先に逝っちゃうんだよ」と悲痛な声を挙げた[25]。告別式は翌6月24日に同じ青山葬儀所にて営まれ、声優仲間など約600人が参列した。通夜に引き続いて肝付が弔辞を読み、「ドラえもんの26年は本当に楽しかったです。かべさんのおかげです」と感謝の言葉を述べ、スネ夫の声で「ジャイアーン!」と叫んで締めくくった[28]。肝付もたてかべの死から1年4か月後の2016年10月20日に死去。奇しくもたてかべと同じく誕生日の1か月前であり、共に80歳であった。 また、葬儀委員長の堀内も挨拶に立ち、公式サイトで「あなたの教えを忘れずに最後まで涙を見せずに見送らせていただきます。」と表明し、当初は涙をこらえていたが、最後にはたてかべの遺影に向かって「かべさーん、かべさーん」と声を震わせて叫び、「日本一の師匠でした」と涙ながらに感謝の言葉を述べた[29]。遺体には愛用の帽子とジャイアンのトレードマークであるオレンジ色のTシャツが着せられ、出棺の際には事務所の意向で白い鳥を模した風船80個が飛ばされた。その後、遺体は品川区桐ヶ谷斎場にて荼毘に付された。

この告別式は、最終所属先であったケンユウオフィスが葬儀主催を務めた[26]。なお、たてかべは先述の癌治療を受けていたときの酒の席で「葬儀は内輪でやってくれればいいから」「偲ぶ会はどうだ?」と堀内に軽い口調で言ったが、「葬儀は盛大にやるから」と言われ「俺たちって何て楽観的なんだ」と大笑いしたと、存命時のインタビューで語っていた[3]

ケンユウオフィスは、たてかべの死後も「永劫所属」という扱いで、たてかべのプロフィールを残している。

人物・特色

声優としての代表作に、『ど根性ガエル』(第1作)の五利良イモ太郎〈ゴリライモ〉役、『はじめ人間ギャートルズ』のドテチン役、『ヤッターマン』のトンズラー役などのタイムボカンシリーズ、『ドラえもん』(テレビ朝日版第1期)の剛田武〈ジャイアン〉役などがあった[30]

(声種)はバリトン[11]

趣味は野球観戦、読書[6]プロ野球では大の阪神タイガースファンである。『ヤットデタマン』の主役ロボの名前が「大巨人」になった際に激怒し、降板を示唆したことがあった。そのため、たてかべを引き留めるためにあえなく「大巨神」に名前を変えた、という逸話が残っている。

座右の銘は「元気、勇気、人気、時々呑気」[9]

マネージャー業

ぷろだくしょんバオバブに所属していた頃は、マネージャー業も務め[31]、さらに常務取締役として矢島晶子[32]水谷優子[32]折笠愛[33]、2005年以降ドラえもんの声を担当している水田わさび[34]らを見出し、スカウト力にも長けていた。

特に矢島には、デビュー作から主演の『アイドル伝説えり子』を斡旋し、『クレヨンしんちゃん』も「園児の1人くらいは受かるかもしれない」とオーディションを斡旋した[32]。矢島は「人材発掘して育てるのが好きだったようだ」と語っており、当時劇団青年座にいた水谷に至っては事務所が違うにもかかわらず薦めていたという[32]。また、高木渉も一回だけの予定で見学に行った『ミスター味っ子』の収録現場で、たてかべから「来週は来ないのか?」「1日だけの見学で何がわかる。やる気があるなら最後まで来なさい」と言われ毎週見学に行くようになり、それが1年半の見学通いとなった。そこから高木はガヤを演らせてもらえるようになり[35]、脇役でのデビューに繋がったという[36]

ジャイアン役

ドラえもん』ではジャイアンこと剛田武役を1979年から2005年まで26年間担当した。降板に際したインタビューでは、喜怒哀楽が激しく自分勝手なジャイアンを演じるためにエネルギーがいるため、1日20本の煙草を吸い、週6で酒を飲んで役に挑んでいたという。また、最後の収録を3か月後に控えて「最後の録音日に足掛け26年を振りどんな気持ちになるのか。もしかしたら、泣いてしまうかもしれません」と語り、次のジャイアン役には「ジャイアンと同じ性格では、生々しくなり彼の優しさや悲しさ嬉しさを表現できないので、気持ちが優しい人ならいいと思う」との希望を述べていた[37]

また、「ジャイアン役を継いでくれる人と酒を飲みたい」と考えていたが、後任となった木村昴が当時中学生であることを知ってがっかりしたものの、「あと5年は長生きして一緒に飲みたい」と語っていた。たてかべの念願が叶ったのは木村が20歳の誕生日を迎えてしばらくしてからであった[38]。その間、木村が通っていた高校が偶然たてかべ宅と近かったこともあり、文化祭など学校でイベントが開催されるたびに足を運んでいたという。

『ドラえもん』映画シリーズの監督やチーフディレクターをつとめた芝山努によると、「声優陣はキャラクターを深く理解しているからこちらからは何も言わない。」と前置きしたうえでたてかべを例に出し、たてかべは「汚い言葉を使わないように」と意識していたらしく「バカヤロー!」や「クソッ」などの台詞をシナリオに入れると「ジャイアンはこんなこと言わない」とクレームが入ったとのこと[39]。また、ジャイアンが空き地でたびたび歌っていた「おれはジャイアンさまだ!」の作詞も担当している。

後任

たてかべの降板および死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。ただし、『ドラえもん』など、たてかべに限らず、他の声優陣も大幅に一新している作品はこの趣旨に反するため、除外する。

後任 役名 概要作品 後任の初担当作品
若本規夫 穴子 サザエさん 交代時期不明
石井康嗣 ビッグ・ハンド 怪物くん』第2作 『CR怪物くん デーモンの剣』
辻親八 マックス・テニスン ベン10 『ベン:10』
三宅健太 三悪の怪力男 タイムボカンシリーズ CRヤッターマン
龍田直樹 ドラチビ チキチキマシン猛レース チキチキマシン猛レース!

出演

太字はメインキャラクター。

テレビアニメ

1964年
1966年
1967年
1968年
  • 怪物くん(ドクター・イエス)
  • 佐武と市捕物控(まむし、八五郎、源次、銀次、権次、六助、瓦版売り、伝八親分、番太、浪人、大五郎、菅六、おやじ、越前屋、番頭、先達、弥助、竜達、源太、伍助、房造、家老、喜助 他)
  • ファイトだ!!ピュー太(ドロネコ、予想屋、医者)
1969年
1970年
1971年
1972年
1973年
1974年
1975年
1976年
1977年
1978年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1986年
1988年
1990年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2008年
2009年
2011年
2012年
2015年

劇場アニメ

1966年
1971年
1979年
1980年
1981年
1982年
1983年
1984年
1985年
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2009年
  • (劇場版 ヤッターマン 新ヤッターメカ大集合! オモチャの国で大決戦だコロン!)(トンズラー
2010年
  • (劇場版デュエル・マスターズ 炎のキズナXX!!)(殲滅の覚醒者ディアボロスZ

OVA

ゲーム

1992年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
  • (スロッターUPコア3 愉打!ドロンジョにおまかせ)(トンズラー
  • 鋼の錬金術師2 赤きエリクシルの悪魔老アーレンアーレン・グロースター〉)
  • ガンバード1&2(バルナス、クロード、バルピロ、ブレード)
2005年
2008年
2011年
2012年
2019年
2021年

吹き替え

洋画

海外ドラマ

  • 宇宙大作戦「新種クアドトリティケール」(シラノ・ジョーンズ)※DVD版の追加収録部分も担当
  • 刑事コロンボシリーズ
    • 指輪の爪あと(ウィルコクス探偵)※完全版追加収録部分
    • 二枚のドガの絵(植木屋)
    • もう一つの鍵(チャールズ)
    • 死の方程式(ファーガソン整備士)
    • 悪の温室(金属探知機を使う刑事)※NHK版
    • ロンドンの傘(記者)
    • 偶像のレクイエム(守衛)
    • 二つの顔(カジノのディーラー)
    • 別れのワイン(酔客、ソムリエ)
    • 白鳥の歌(ジェフ飛行機整備士)
    • 殺しの序曲(バーク刑事、クライン刑事)
  • 地上最強の美女バイオニック・ジェミー
    • シーズン3 #5 「ジェミー!ロデオ大会で大奮闘」 (ティーク〈ドン・ジェントリー〉)
  • 爆発!デューク(クーター・ダヴェンポート【(ベン・ジョーンズ)】)
  • HEY!レイモンド(フランク【ピーター・ボイル】)
  • (ベン10 時との戦い)(マックス・テニスン【リー・メジャース】)
  • ミステリーゾーン2
    • #20 「ノイズに憑かれた男」(ラジオの声)
  • ミステリーゾーン4
    • #4 「暗闇の男」
    • #8 「人形の家で」
  • ミステリーゾーン5 #25 「生きている仮面」 (ウィルフレッド・ハーパー・ジュニア〈アラン・スーズ〉)
  • ロックフォードの事件メモ

海外アニメ

人形劇

特撮

ドラマCD

CM

ジャイアンの声で出演

その他の声の出演

テレビドラマ

映画

  • ヤッターマン(実写映画版)(どくろ鮨の客)※アニメ版監督の笹川、ドロンジョ役の小原と共に顔出し出演

テレビ番組

舞台

  • 爆笑活劇 パタリロ西遊記2007年(釈迦

その他コンテンツ

ディスコグラフィ

キャラクターソング

発売日 商品名 楽曲 備考
1977年2月 タイムボカンシリーズ ヤッターマン 山本まさゆき、ドロンジョ(小原乃梨子)、ボヤッキー(八奈見乗児)、トンズラー(たてかべ和也 「ドクロベエさまに捧げる歌」 テレビアニメ『ヤッターマン』挿入歌
1979年10月 みんなのアイドルゼンダマン ムージョ(小原乃梨子)、トボッケー(八奈見乗児)、ドンジューロー(立壁和也)、ナレーション(富山敬 「ムージョ様のために」 テレビアニメ『ゼンダマン』関連曲
ムージョ(小原乃梨子)、トボッケー(八奈見乗児)、ドンジューロー(立壁和也)、鈴木雪夫 「サイバンマシーンとアクダマン」
1980年6月 タイムボカンシリーズ「タイムパトロール隊オタスケマン」主題歌 オリジナル・ドラマ集 山本まさゆき、アターシャ(小原乃梨子)、セコビッチ(八奈見乗児)、ドワルスキー(立壁和也 「アーウー・オジャママン」
「ディスコ・キラキラスター」
テレビアニメ『タイムパトロール隊オタスケマン』関連曲
山本まさゆき、アターシャ(小原乃梨子)、セコビッチ(八奈見乗児)、ドワルスキー(立壁和也)、少年少女合唱団みずうみ 「オタスケマンかぞえ唄」
1981年7月 ドラえもん バラエティ★ジョッキー4 ジャイアン(たてかべ和也 おれはジャイアンさまだ! テレビアニメ『ドラえもん』関連曲
のび太(小原乃梨子)、スネ夫(肝付兼太)、ジャイアン(たてかべ和也 「ワンパク三人組」
1993年12月16日 タイムボカン王道復古 特訓万感全席 小原乃梨子、八奈見乗児、たてかべ和也 「-さんあく18年-君を離さないチュッ☆」 OVA『タイムボカン王道復古』エンディングテーマ
2000年6月21日 タイムボカン2000 怪盗きらめきマン きらめき劇中大音盤 ルージュ(小原乃梨子)、ヒエール(八奈見乗児)、オンドレー(たてかべ和也 「壊盗ドロンボー」 テレビアニメ『タイムボカン2000 怪盗きらめきマン』関連曲
2004年7月22日 pop'n music 11 AC CS pop'n music 9 ジャイアン(たてかべ和也 「おれはジャイアンさまだ!(新録)」 ゲーム『ポップンミュージック11』関連曲
2013年6月19日 逆ギレ・アウチ!! RED SPIDER / 台詞 - ジャイアン(たてかべ和也 「INTERLUDE 〜心の友〜」

作詞

著書

  • 『一流の声優になる マニュアルのない職業就活ガイドシリーズ2』(ゴマブックス、2009年)ISBN (978-4-77-711254-8)

たてかべを演じた人物

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b c 北海道虻田郡倶知安町と書かれた資料もある[2]
  2. ^ 現在も「永劫所属」の形で公式サイトにプロフィールが掲載されている。
  3. ^ エンドクレジットでは「たてかべ和哉」と誤表記。

出典

  1. ^ 『声優事典 第二版』キネマ旬報社、1996年、176頁。ISBN (4-87376-160-3)。 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 勝田久『昭和声優列伝 テレビ草創期を声でささえた名優たち』(駒草出版)、2017年2月22日、257-264頁。ISBN (978-4-905447-77-1)。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k スキルス胃がんの手術後も声優業を精力的に続ける声優界のベテラン、 たてかべ和也さん 「人ありてこそ、我あり」の姿勢が、がんを追い払う強運をもたらした | がんサポート 2017年2月22日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i 大地丙太郎「特集 ジャイアン・スピークス! たてかべ和也インタビュー」『フリースタイル27』フリースタイル、2014年10月6日、49-69頁。ISBN (978-4-939138-74-4)。 
  5. ^ a b c 初代ジャイアン役、たてかべ和也さん死去,日刊スポーツ,2015年6月19日
  6. ^ a b c d e “たてかべ和也:Tatekabe Kazuya 株式会社ケンユウオフィス”. 2020年4月28日閲覧。
  7. ^ a b 『アニメーション大百科』東京三世社、1981年、206頁。 
  8. ^ 日本タレント名鑑 2012』株式会社VIPタイムズ社、2012年、231頁。ISBN (978-4-904674-03-1)。 
  9. ^ a b c d e 「極 声魂/たてかべ和也」『声優アニメディア』2008年11月号、学研ホールディングス、2008年11月、102-103頁。 
  10. ^ 【アメリア】みんなで作るインタビュー6・小林清志さん紹介編 2017年2月22日閲覧
  11. ^ a b c 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、90頁。 
  12. ^ 『出演者名簿(1978年版)』著作権資料協会、1977年、286頁。 
  13. ^ ぷろだくしょんバオバブ 会社概要 2017年2月22日閲覧
  14. ^ “過去の受賞作品”. 日本映画批評家大賞. 2017年2月22日閲覧。
  15. ^ “東京国際アニメフェアで功労賞発表 (3/24)”. アニメ!アニメ! (2007年3月24日). 2017年2月22日閲覧。
  16. ^ a b “”. スポーツ報知 (2015年6月20日). 2015年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月20日閲覧。
  17. ^ “”. gooニュース (2015年6月19日). 2015年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月19日閲覧。
  18. ^ たてかべ和也さん逝去について 2015年6月23日, at the Wayback Machine.テレビ朝日 2015年6月19日
  19. ^ 現ジャイアン木村昴「俺さまに任せてください」 日刊スポーツ 2015年6月20日
  20. ^ 水田わさび、たてかべさんに感謝 朝日新聞デジタル 2015年6月21日
  21. ^ 神谷明、たてかべ和也さん悼む…「兄弟のように接していただいた」 スポニチアネックス 2015年6月19日
  22. ^ さようなら、ジャイアン たてかべ和也さん死去に大物声優から悲しみの声続々 J-CASTニュース 2015年6月19日
  23. ^ たてかべさんのご冥福を心からお祈りいたします。 藤子・F・不二雄ミュージアム公式ブログ 2015年6月19日
  24. ^ かないみかTwitterより
  25. ^ a b “ジャイアン”通夜に仲間が続々参列 デイリースポーツ 2015年6月23日
  26. ^ a b たてかべ和也さん通夜は「楽しく送ってあげたい」と献杯に…日本代表する声優らが供花 News Lounge 2015年6月23日
  27. ^ 堀内賢雄 たてかべ和也さんは「私にとって日本一の師匠でした!」【通夜あいさつ全文】 News Lounge 2015年6月23日
  28. ^ たてかべさん葬儀 スネ夫が絶叫弔辞 デイリースポーツ 2015年6月24日
  29. ^ スネ夫が「ジャイアーン!」たてかべ和也さん葬儀 日刊スポーツ 2015年6月24日
  30. ^ “”. 2013年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月28日閲覧。
  31. ^ 声優になる!マガジン こおろぎさとみインタヴューvol.3 2017年2月22日閲覧
  32. ^ a b c d 吹替の帝王 -日本語吹替版専門映画サイト-| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント『ホーム・アローン』矢島晶子インタビュー 2017年2月22日閲覧
  33. ^ 吹替の帝王 -日本語吹替版専門映画サイト-| 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント『ホーム・アローン』折笠愛インタビュー 2017年2月22日閲覧
  34. ^ 2021年3月16日閲覧
  35. ^ 声優になる!マガジン高木渉インタビューVol.2 2017年2月26日閲覧
  36. ^ 高木渉の声優道 1| 先輩から学ぼう! | 声優グランプリweb 2017年2月26日閲覧
  37. ^ ジャイアンを担当して四半世紀、たてかべ和也に聞く。 | Narinari.com 2017年2月26日閲覧
  38. ^ 「ジャイアン」の声優・木村昴とたてかべ和也「涙を流しながら、何度も何度も乾杯した」,J-CASTテレビウォッチ,2014年8月11日
  39. ^ INTRO | 芝山努監督インタビュー:「ドラえもん映画祭」開催によせて 2017年2月26日閲覧
  40. ^ “海賊王子”. 東映アニメーション. 2016年6月16日閲覧。
  41. ^ “作品データベース 新造人間キャシャーン”. タツノコプロ. 2022年12月24日閲覧。
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  43. ^ “作品データベース タイムボカン”. タツノコプロ. 2022年11月13日閲覧。
  44. ^ “みつばちマーヤの冒険”. 日本アニメーション. 2023年4月10日閲覧。
  45. ^ “超電磁ロボ コン・バトラーV”. メディア芸術データベース. 2023年4月9日閲覧。
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  47. ^ “とびだせ!マシーン飛竜”. メディア芸術データベース. 2023年1月9日閲覧。
  48. ^ “作品データベース ヤッターマン”. タツノコプロ. 2022年5月21日閲覧。
  49. ^ “作品データベース ゼンダマン”. タツノコプロ. 2022年5月21日閲覧。
  50. ^ “作品データベース オタスケマン”. タツノコプロ. 2022年5月21日閲覧。
  51. ^ “作品データベース ゴールドライタン”. タツノコプロ. 2022年11月7日閲覧。
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外部リンク

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