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深溝松平家

深溝松平家(ふこうず(ふこうぞ)まつだいらけ)は、松平氏庶流にあたる武家華族だった家。松平忠定を祖とし、江戸時代には譜代大名(肥前島原藩主家)、維新後には華族の子爵家に列した[1]

深溝松平家
重ね扇かさねおうぎ
本姓 称・清和源氏
家祖 松平忠定
種別 武家
華族子爵
出身地 三河国額田郡深溝
主な根拠地 三河国額田郡深溝
東京府東京市渋谷区
(凡例) / (Category:日本の氏族)
深溝松平家の菩提寺である本光寺愛知県額田郡幸田町深溝

歴史

戦国時代から安土桃山時代

大永4年(1524年)、五井松平家2代・松平元心松平宗家当主・松平長親の命により額田郡深溝城主・(大場次郎左衛門)を討ち獲るが、元心の戦功を譲られた弟・松平忠定によって深溝松平家は発足されたという。

一方で、島原市の本光寺の記録によると、岩津家の松平親長の娘と婚姻してその所領を譲受し発祥させたというが、真偽のほどはわからない。

その後も深溝城主であり続けた。2代・松平好景、3代・松平伊忠徳川家康岡崎城での独立期から善明堤の戦いなどで働きを示し続けた。4代・松平家忠((家忠日記の著者))は酒井忠次の指揮下に組み込まれるが、「(長篠の戦い)」などで功を挙げた。

天正8年(1590年)の徳川家の関東移封で、家忠は武蔵に1万石を与えられている。しかし慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦であった「伏見城の戦い」において、守将・鳥居元忠の副将格として伏見城で籠城玉砕している。

3代・伊忠以来、主殿助(4代・家忠からは主殿頭)の通称を用いていたため、松平主殿家とも言われる。

江戸時代

関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)に家忠の子・松平忠利は、旧領の三河国深溝藩1万石の大名となったが[2]、慶長17年(1612年)には3万石に加増された上で同吉田藩へ移封となった[2]

松平忠房の代に三河国刈谷藩丹波国福知山藩と転封を続け寛文9年(1669年)6万5,000石で肥前国島原藩に入った[2]寛延2年(1747年)、戸田忠盈と入れ替わりで下野国宇都宮藩へ移封[3]安永3年(1774年)再び島原藩へ転封[4]。これ以後定着して廃藩置県まで島原藩主家として続いた[5]

明治以降

最後の藩主忠和は、明治2年(1869年)6月19日版籍奉還により島原藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県まで藩知事を務めた[5]

明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家大名家が統合されて華族制度が誕生すると深溝松平家も大名家として華族に列した[6][7]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同月8日に旧小藩知事[注釈 1]として忠和が子爵に列せられた[1]

(忠貞)の代に深溝松平子爵家の邸宅は東京市渋谷区穏田にあった[9]

現当主の(忠承)は大蔵省(現在の財務省)に入省。現在は国際通貨基金 (IMF) に勤務している。

系図

脚注

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注釈

  1. ^ 旧島原藩は現米4万5120石(表高6万5900石)で現米5万石未満の旧小藩に該当[8]

出典

  1. ^ a b 小田部雄次 2006, p. 337.
  2. ^ a b c 新田完三 1984, p. 405.
  3. ^ 新田完三 1984, p. 406.
  4. ^ 新田完三 1984, p. 407.
  5. ^ a b 新田完三 1984, p. 408.
  6. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  7. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  8. ^ 浅見雅男 1994, p. 151.
  9. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 418.
  10. ^ (戸田正吉)次男
  11. ^ 旗本・(松平次章)の子。
  12. ^ 旗本・松平次章四男。
  13. ^ 小笠原常春次男
  14. ^ 宇和島藩主・伊達宗紀四男。
  15. ^ 水戸藩主・徳川斉昭十六男。

参考文献

  • 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。 
  • 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN (978-4121018366)。 
  • 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN (978-4820540342)。 
  • (新田完三)『内閣文庫蔵諸侯年表』東京堂出版、1984年(昭和59年)。 
  • 木村充伸、伊東龍一、後藤久太郎、斎藤英俊、吉田純一、松井みき子、山口俊浩「深溝松平藩の屋敷地の変遷と屋敷指図 -深溝松平藩建築指図の復原的検討に基づく作図・表現技法に関する研究(1)-」『日本建築学会計画系論文集』第73巻第629号、日本建築学会、2008年、1601-1610頁、doi:10.3130/aija.73.1601。 

関連項目

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