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東急東横線

東横線(とうよこせん)は、東京都渋谷区渋谷駅神奈川県横浜市西区横浜駅を結ぶ東急電鉄鉄道路線である。路線図駅ナンバリングで使用される路線カラーは赤色、路線記号はTY

東横線
東横線で運用される(5050系)
(菊名駅 - 妙蓮寺駅間 2019年8月)
基本情報
日本
所在地 東京都神奈川県
起点 渋谷駅
終点 横浜駅
駅数 21駅
路線記号 TY
路線色 赤色
開業 1926年2月14日 (97年前) (1926-02-14)
所有者 東急電鉄
運営者 東急電鉄
車両基地 元住吉検車区(自社・横浜高速鉄道車)
和光検車区(東京メトロ車)
森林公園検修区(東武車)
小手指車両基地(西武車)
かしわ台車両センター(相鉄車)
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 24.2 km
軌間 1,067 mm
線路数 複々線(田園調布 - 日吉間)[注釈 1]複線(左記以外)
電化方式 直流1,500 V
架空電車線方式
閉塞方式 車内信号式
保安装置 (ATC-P)
最高速度 110 km/h
路線図
(テンプレートを表示)
東急東横線路線図
(凡例)

西武:池袋線
↑東京地下鉄:副都心線
玉川線 渋谷停留所
田園都市線 東京地下鉄:半蔵門線
0.0
TY01 渋谷駅
都電:(青山線)[1]
東京地下鉄:銀座線
(旧)0.0
渋谷駅
-2013 渋谷駅前停留所[1]-1969
都電:青山線[1]
(旧)0.6
並木橋駅
-1946 並木橋停留所
(天現寺橋線)(→都電:(天現寺橋線))
旧線-2013
1.5
TY02 代官山駅
(渋谷トンネル)
東京地下鉄:日比谷線
(中目黒線)(→都電:(中目黒線)
2.2
TY03 中目黒駅
中目黒停留所
3.2
TY04 祐天寺駅
4.2
TY05 学芸大学駅
東京都道:環状七号線
5.6
TY06 都立大学駅
7.0
TY07 自由が丘駅
東京都道:環状八号線
8.2
TY08 田園調布駅
9.0
TY09 多摩川駅
10.3
TY10 新丸子駅
JR東:南武線
10.8
TY11 武蔵小杉駅
JR東:武蔵野線(貨物線)
11.1
工業都市駅
-1953
12.1
TY12 元住吉駅
元住吉検車区
13.6
TY13 日吉駅
15.6
TY14 綱島駅
鶴見川:(鶴見川橋梁)
旧線-1940頃[2]
17.5
TY15 大倉山駅
JR東海:東海道新幹線
(横浜市道):環状2号線
18.8
TY16 菊名駅
JR東:横浜線
20.2
TY17 妙蓮寺駅
21.4
TY18 白楽駅
22.1
TY19 東白楽駅
市電:東白楽停留所
旧線-2004
22.7
新太田町駅
1946
23.2
TY20 反町駅
市電:反町停留所
JR東:
横須賀線,湘南新宿ライン,
東海道線,京浜東北線
23.8
神奈川駅
-1950
市電:青木橋停留所
市電:横浜駅西口停留所
東横線
24.1
TY21 横浜駅
市電:横浜駅前停留所
JR東:東海道線,横須賀線
京急:本線
JR東:根岸線
24.9
高島町駅
-2004
←↓横浜市電:高島町停留所
JR貨:東海道本線貨物線(高島線
26.2
桜木町駅
-2004 市電:桜木駅前停留所
市営:ブルーライン

概要

田園都市線と並ぶ東急電鉄の基幹路線であり、東急電鉄の前身の一つである東京横浜電鉄が開業させた[注釈 2]通勤路線であると同時に、東京横浜という2つの都市を結ぶ都市間鉄道路線(インターアーバン)でもある点が特筆される。沿線には渋谷代官山町中目黒自由が丘田園調布武蔵小杉といった街を抱える。 途中経路はやや異なるものの、渋谷駅 - 武蔵小杉駅 - 横浜駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)の湘南新宿ラインと競合関係にある。2001年平成13年)開業の湘南新宿ラインに対抗するために、前年の2000年(平成12年)から特別料金不要の特急東横特急)を運行しており、速達化を図っている。

もともとは横浜駅から先の桜木町駅が終点であったが、2004年(平成16年)に横浜高速鉄道みなとみらい線(横浜駅 - 元町・中華街駅間)が開業して当路線との直通運転開始に伴い、横浜駅 - 桜木町駅間は途中駅の高島町駅とともに廃止された[4]

田園調布駅 - 日吉駅間は複々線であり、うち2線の線路を使用して東横線のバイパス機能を果たしている目黒線目黒駅 - 日吉駅間)が並走する。日吉駅 - 新横浜駅は目黒線からの直通列車と共通の線路を使用して、東急新横浜線となり、一部が相鉄線へ直通運転を行う。

渋谷駅からは東京地下鉄(東京メトロ)副都心線を介して埼玉県東武東上線小川町駅及び西武池袋線飯能駅まで、また、横浜駅からは横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅まで相互直通運転を行っている。さらに土休日に運行される有料座席指定列車S-TRAINは西武池袋線・副都心線および当路線を経由して西武秩父線西武秩父駅 - みなとみらい線元町・中華街駅間で直通運転を行っている。また、小川町駅 - 元町・中華街駅(東武線系統)および飯能駅 - 元町・中華街駅(西武線系統)のそれぞれについて、日中の時間帯に各線内を特別料金不要で最速達で運行される列車(東横線内は特急運転)については「Fライナー」の愛称がつく。

2013年(平成25年)3月15日までは中目黒駅から東京メトロ日比谷線北千住駅まで直通運転を行っていたが、副都心線直通開始とともに取りやめになった。詳しくは「直通運転」の節を参照。

路線データ

沿線風景・地理

渋谷 - 中目黒

明治通り都道305号)の直下、渋谷スクランブルスクエア渋谷ヒカリエの間の地下5階に設けられた2面4線の渋谷を出発すると、しばらくは明治通りの直下を南下し、渋谷川の真下をくぐって、渋谷清掃工場付近で南西方向にカーブし、山手線埼京線湘南新宿ライン山手貨物線)などのJR線群をくぐりながら地上に向かって最大35 の急(勾配)を上る[5]。しばらくすると相対式ホーム2面2線の地上駅代官山に到着する。1986年昭和61年)3月までホームが渋谷2号踏切とトンネル(渋谷隧道)に挟まれていた関係で有効長が18 m車6両分しかなかったため、20 m車6両編成では中目黒寄り1両、18 m車8両編成と20 m車7両編成では中目黒寄り2両のドアカットを行っていた。その後渋谷2号踏切を閉鎖し、ホームの半分をトンネル内まで延ばすことでドアカットを解消した。

なお、渋谷駅は2013年(平成25年)3月15日の副都心線との相互直通運転開始までは山手線渋谷駅と明治通りに挟まれた位置にあった頭端式ホーム4面4線の高架駅で、渋谷川の右岸を高架で進んでいた(跡地は渋谷スクランブルスクエア渋谷ストリーム、(渋谷リバーストリート)、渋谷ブリッジLOG ROAD DAIKANYAMAになっている)。途中では南に東京都交通局渋谷営業所バス群を見下しながらJR線群を跨ぎ、渋谷1号踏切を越えて代官山駅に進入していた。

渋谷隧道を抜けると目黒区に入り、上下線間に日比谷線が顔を出す。高架線で目黒川を渡ると間もなく島式ホーム2面4線の高架駅中目黒である。ホーム下には山手通り(都道317号)が通る。当駅の祐天寺寄りには日比谷線用の3本の引き上げ線があり、日比谷線の列車はすべてここで折り返す。2013年(平成25年)3月15日までは日比谷線との相互直通運転が行われており、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)から日比谷線への直通、および日比谷線内のみの運用列車がここで折り返し、日比谷線直通列車が当駅で相互に乗り入れていた。また、伊勢崎線における日比谷線直通専用車両である東武2000系東武20000系列も東横線には乗り入れることができなかったため、東横線には直通せず、必ずここで折り返していた。なお、東横線における日比谷線直通専用車両であった東急1000系には、東横線には乗り入れない北千住駅方面発の中目黒駅行の運用があったため、その際はここで折り返していた。中目黒駅の配線構造や車両規格の違いなどにより、東横線の列車はここで折り返すことは不可能である。

中目黒 - 自由が丘

中目黒を出ると、目黒区を縦断する形で南南西へ進む。次の特急停車駅・自由が丘までは直線区間が続く。この辺りは特急がスピードを最も上げる区間でもある。

中央に通過線を有する2面3線の高架駅祐天寺の由来となった祐天寺は、駅から徒歩約5分である。

次の学芸大学都立大学と大学名を取った駅名が2つ続くが、東京学芸大学1964年小金井市に、東京都立大学1991年多摩ニュータウン八王子市)に移転した。付属高校も現存しているのは学芸大附属高のみであり、都立大附属高2011年都立桜修館中等教育学校に改組した。移転後に両駅の駅名変更の是非を問う住民投票が行われ、「駅名変更を可とする方」に学芸大学駅は37%、都立大学駅は過半数となる59%の票を集めたが、東急側は両駅とも、可とする方の比率が3分の2に達しなかったため駅名変更は行わないとして、現在もそのままになっている。

都立大学を過ぎると、高架線から地上に降りるため、踏切が点在する。自由通りの踏切を過ぎると、島式ホーム2面4線の高架駅自由が丘である。大井町線との接続駅であり、周辺は沿線有数の商業地で、大手進学塾も多い。また、東横線の中枢を担う駅の一つであり、ほぼ終日(緩急接続)が行われる。

自由が丘 - 武蔵小杉

自由が丘を過ぎると、すぐ電車は世田谷区に入るが、世田谷区内には駅はない。

環状八号線(都道311号)を潜るとすぐ大田区に入って地下線へと下り、目黒線と合流して島式ホーム2面4線の地下駅田園調布に到着する。周辺には、東急の始祖にあたる田園都市株式会社が開発した高級住宅街が広がっている[6]。ここから南は複々線区間となり、方向別2面4線方式のホームが目黒線の終点である日吉駅まで6駅連続している(ただし元住吉駅は東横線の通過線を含めて2面6線)。田園調布の次、多摩川では東急多摩川線と接続。元々は目黒 - 蒲田間で1路線(目蒲線)であったが、2000年8月6日に路線が目黒線と東急多摩川線の2つに分割された。

多摩川を渡ると川崎市中原区に入り、新丸子を過ぎると間もなく南武線横須賀線との接続駅武蔵小杉である。武蔵小杉は再開発され、50階を超える高層マンションが林立している。新丸子 - 武蔵小杉間が、東横線で一番駅間距離が短い区間である(約500m)。

武蔵小杉は、目黒線開業時から長らく始発・終着駅として機能していたが、2008年6月22日に同線が2つ先の日吉まで延伸開業した。現在でも、元住吉車庫への出入庫を兼ねた東横線・目黒線ともに当駅止まりおよび当駅始発の運用が存在する。

武蔵小杉 - 菊名

武蔵小杉を出ると、東横線はそのまま高架線を進み、目黒線はその直下の地上線を進む。用地の問題などからそのまま高架複々線化させるのが難しかったため、元住吉駅手前までの区間はこのような上下2段構造である。かつて、この目黒線の線路は東横線の本線だったが、現在は前述した通り目黒線のほかにも元住吉検車区の出入庫列車が走行している。

元住吉2006年9月にリニューアルされ、島式ホーム2面4線の地上駅から、東横線では唯一の通過線2本を持つ島式ホーム2面6線の高架駅となった(後述)。

元住吉を過ぎ、矢上川を渡ると横浜市港北区に入り、地下駅の日吉に到着する。周辺には慶應義塾大学日吉・矢上両キャンパス[注釈 3]のほか、日本大学中学校・高等学校もある文教地区である。また、港北ニュータウン経由で横浜線中山駅とを結ぶ横浜市営地下鉄グリーンライン2008年3月30日に開業した。ここで複々線区間(目黒線との並走)は終了である。

日吉を出ると、高架線を次の綱島までほぼ直線で進む。東横線で一番駅間距離が長い区間である(約2.2km)。東横線の中で最も表定速度の速い区間の一つで、各駅停車でも時折110km/hほどのスピードが出ることがある。

かつて「東京の奥座敷」と呼ばれた綱島温泉郷を有する温泉街だった綱島だが、現在は港北ニュータウンや鶴見地区方面からの路線バスが発着するバスターミナルを持つハブ駅となっている。そのため、乗り換え駅では無いが綱島を利用する客は多い。

綱島を出ると、すぐに鶴見川を渡る。次の大倉山を過ぎると、東海道新幹線環状2号線を潜り、島式ホーム2面4線の地上駅菊名に到着する。JR横浜線との接続駅であり、東海道新幹線の新横浜駅までは横浜線で1駅。自由が丘と同様ほぼ終日にわたり緩急接続が行われており、副都心線の直通運転が始まるまでは、日比谷線(からの)直通電車が折り返していた。周辺には古くからの閑静な住宅地が広がっている。

菊名 - 横浜

この区間は、横浜市北部の住宅地の間を縫うように線路が続いている。

相対式ホーム2面2線の妙蓮寺は、かつて改札口が上りホームにしか無く、下りホームへは地下通路を通るという東横線内の駅としては珍しいタイプの駅だったが、2000年代に入ると下りホームにも改札口が新設され、その後さらに待合室とトイレ(上りホームのみ)も設置された。

次の白楽の手前で横浜市神奈川区に入る。神奈川大学横浜キャンパスまでの間には六角橋商店街があり、大学生で溢れ返っている。白楽は相対式ホーム2面2線の橋上駅であり、ホームの真上のみに改札口があったが、2002年になると上りホーム側に西口改札が新設された。

横浜上麻生道路の上にある相対式ホーム2面2線の高架駅東白楽を過ぎると、電車は地下に入り、次の反町に滑り込む。地下駅化以前は東白楽駅から続いていた高架線が国道1号を跨ぎ終わった直後の箇所に相対式2面2線方式のホームがあり、横浜駅寄りに高島山トンネルが存在していた。

反町を過ぎ、横浜の手前で横浜市西区に入る。横浜は島式ホーム1面2線の地下駅であり、ここからは直通運転先の横浜高速鉄道みなとみらい線に入る。

高架駅時代は横浜を出ると、東海道線などを跨いだあと根岸線の高架と並行し、高島町を経て桜木町に至っていたが、みなとみらい線の開業に伴い2004年にこの区間は廃止された。

歴史

 
かつての桜木町駅(2004年1月)
  • 1926年大正15年)2月14日 (旧)東京横浜電鉄が丸子多摩川駅(現・多摩川駅) - 神奈川駅間を開業。目蒲線と相互乗り入れし、目黒駅 - 神奈川駅間直通運転開始。
  • 1927年昭和2年)8月28日 渋谷駅 - 丸子多摩川駅間が開業。渋谷駅 - 神奈川駅間直通運転開始。路線名を「東横線」とする。
  • 1928年(昭和3年)5月18日 神奈川駅 - 高島駅(後の高島町駅)間が開業。
  • 1932年(昭和7年)3月31日 高島町駅 - 桜木町駅間が開業(全通)。府立高等前駅を府立高等駅に、太尾駅を大倉山駅に改称。
  • 1935年(昭和10年)2月1日 急行運転開始。
  • 1936年(昭和11年)4月1日 碑文谷駅を青山師範駅に改称。
  • 1939年(昭和14年)
  • 1941年(昭和16年)8月4日 急行運転廃止。
  • 1942年(昭和17年)5月1日 小田急電鉄と京浜電気鉄道(現・京浜急行電鉄)を合併、東京急行電鉄に社名変更。
  • 1943年(昭和18年)12月1日 青山師範駅を第一師範駅に、府立高等駅を都立高校駅に改称。
  • 1944年(昭和19年)10月20日 綱島温泉駅を綱島駅に改称。
  • 1945年(昭和20年)
  • 1950年(昭和25年)
    • 4月8日 神奈川駅を廃止。
    • 8月1日 急行運転復活。
  • 1952年(昭和27年)
    • 4月1日 急行運転休止。
    • 7月1日 第一師範駅を学芸大学駅に、都立高校駅を都立大学駅に改称。
    • 10月1日 架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧[7]
  • 1953年(昭和28年)4月1日 工業都市駅を廃止し武蔵小杉駅に統合。
  • 1954年(昭和29年)10月16日 5000系(初代)営業運転開始[8]
  • 1955年(昭和30年)4月1日 急行運転再開。
  • 1956年(昭和31年)10月1日 横浜駅 - 桜木町駅間複線化。
  • 1957年(昭和32年)12月1日 保安度向上のため、ATSの前身となる車内警報装置を導入[9]
  • 1958年(昭和33年)12月1日 5200系営業運転開始[10]
  • 1959年(昭和34年)6月 5両編成の運行を開始。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 6000系(初代)営業運転開始[11]
  • 1962年(昭和37年)1月27日 7000系(初代)営業運転開始[12]
  • 1964年(昭和39年)8月29日 北千住駅 - 中目黒駅 - 日吉駅間で営団地下鉄(現・東京地下鉄)日比谷線との相互直通運転を開始。
  • 1968年(昭和43年)4月1日 ATS使用開始[9][13]
  • 1969年(昭和44年)11月30日 8000系営業運転開始[14]
  • 1970年(昭和45年)
    • 2月27日 中目黒駅 - 都立大学駅間が高架化[15]
    • 5月下旬 8両編成の運行を開始。
  • 1971年(昭和46年)5月19日 8000系(8019F・5両編成)を使用した冷房車両を使用開始[16]
  • 1972年(昭和47年)8月30日 旧性能車、初代3000系デハ3450形4両 + クハ3770形1両による5両編成)が東横線から引退(休車を除く)[17]
  • 1977年(昭和52年)12月16日 多摩川園前駅を多摩川園駅に改称。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月下旬 26年にわたって活躍してきた初代5000系・5200系(22年活躍)が東横線から引退[18]
    • 12月27日 8090系営業運転開始。
  • 1981年(昭和56年)11月30日 中目黒駅 - 田園調布駅間の荷物輸送を廃止[19]
  • 1986年(昭和61年)
  • 1988年(昭和63年)
    • 3月 東横線複々線化工事および目蒲線改良工事の最初の工事として「日吉駅改良工事」に着手[21]
    • 7月1日 営団03系(現・東京メトロ03系)の営業運転を開始。
    • 8月9日 日吉駅改良工事に伴い、一時的に島式1面2線となり、引き上げ線の使用を停止したため同駅発着の列車運用および緩急接続を休止。同駅発着であった日比谷線直通列車の運転区間を菊名駅まで延長。その後、改良工事が完成した1991年には日中の日比谷線直通列車を日吉駅折り返しに戻し、緩急接続や同駅発着列車の運用も再開した。
    • 12月26日 7000系(初代)を置き換える目的で、主に日比谷線直通用車両として1000系が営業運転を開始[22]
  • 1991年平成3年)6月上旬 7000系(初代)の営業運転を終了[23]。東横線の自社車両は全車両が冷房車となる。
  • 1993年(平成5年)2月3日 2000系(2003編成)の営業運転を開始[24]。同年11月1日をもって、9か月間の東横線での営業運転を終了[25]
  • 1994年(平成6年)
    • 6月10日 - 営団地下鉄3000系の東横線への直通運転が終了する[26]。同形式は東横線で運用される最後の非冷房車であった。
  • 1997年(平成9年)
    • 3月20日 渋谷駅 - 菊名駅間で(ATC-P)使用開始[13]
    • 3月25日 ATC化を踏まえたダイヤ改正を実施。(営業最高速度)を110km/hに向上した。
  • 1999年(平成11年)
    • 3月16日 ダイヤ改正を実施。平日夜間の急行の増発と各駅停車の延長を行う。
    • 4月16日 3000系(2代)営業運転を開始。
    • 5月15日 多摩川園駅 - 武蔵小杉駅間の複々線化完成。
  • 2000年(平成12年)
    • 1月15日 3000系(2代)東横線での営業運転を終了。開業間近となる目黒線に転属。
    • 3月30日 武蔵小杉駅 - 日吉駅間の複々線化工事に着手[27]
    • 8月6日 多摩川園駅を多摩川駅に改称、同時に急行停車駅となる[28][29][注釈 5]。目黒線が多摩川駅 - 武蔵小杉駅間の複々線のうち2線を使用開始。
  • 2001年(平成13年)3月28日 ダイヤ改正を実施し、特急の運転を開始[30][31]。同時に主に日中における日比谷線直通列車の本数を毎時4本から2本に削減。
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成15年)
  • 2004年(平成16年)
    • 1月30日 この日の終電で横浜駅 - 高島町駅 - 桜木町駅間(2.1km)の営業を終了(廃止は翌31日付け)[35]
    • 1月31日 東白楽駅 - 横浜駅間を高架線から地下線に切り換え、反町駅と横浜駅が地下ホームとなる[40]。当日は渋谷駅 - 横浜駅間のみ運転の臨時ダイヤ(みなとみらい線内は試運転を兼ねた回送)で運転された。菊名駅 - 横浜駅間でATC-P使用開始。これにより東横線は全区間がATCとなった。
    • 2月1日 横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転を開始[41]。横浜高速鉄道Y500系の営業運転を開始。
    • 4月1日 5050系の営業運転を開始。
  • 2005年(平成17年)
  • 2006年(平成18年)
    • 7月18日 女性専用車の実施時間を平日の始発から10時までの上下列車と、17時以降に渋谷駅を発車する下り列車(元町・中華街方面行)に短縮し、設定車両を8号車から5号車に変更[44]
    • 9月24日 前日(23日)深夜より武蔵小杉駅 - 日吉駅間の高架化切り替え工事を実施し、元住吉駅が高架・橋上駅舎化。
    • 9月25日 元住吉駅付近の高架化に伴うダイヤ改正を実施。元住吉駅発着列車が始発および終電をのぞきすべて武蔵小杉駅発着となる。また、高架化と同時に元住吉検車区から日吉駅まで直接行ける下り出庫線が新設され、元町・中華街方面行の始発列車は日吉駅始発も多数設定されるようになった[注釈 6]
  • 2007年(平成19年)8月23日 目黒線延伸に先立ち、日吉駅2・3番線および引き上げ線を目黒線用に転換する工事のための一時使用中止に伴うダイヤ改正を実施。それまでの日吉駅発着列車は菊名駅または武蔵小杉駅発着となり、日中の乗り入れ区間は日吉駅までであった日比谷線直通列車についても、この日から終日にわたり菊名駅まで延長され、日吉発着列車はほとんど消滅した[注釈 7]。また、日吉駅における緩急接続や通過待ちはすべて「元住吉駅での通過待ち」に変更となった。
  • 2008年(平成20年)
    • 1月13日 東横線における8000系の営業運転を終了、臨時特急「さよなら8000系号」が運転される。
    • 6月14日 現在の渋谷駅(地下駅)が東京メトロ副都心線の駅として開業。開業時より東急が駅管理業務を実施。
    • 6月22日 目黒線が日吉駅まで延伸。これに合わせてダイヤ改正を実施し、同時に開業間もない横浜市営地下鉄グリーンラインとの利便性を向上させるため、平日始発から9時台までと17時台以降の特急をすべて通勤特急に変更した。
  • 2009年(平成21年)6月6日 ダイヤ改正を実施。朝ラッシュ時間帯における日比谷線直通列車2本を各駅停車渋谷行に置き換え、土休日ダイヤにおいて18時台に特急元町・中華街行を1本増発。
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日 14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)により、東横線を含めた首都圏のほぼすべての路線が一時マヒ状態となり、終日ダイヤが混乱した。また、この日の運転再開後は主に帰宅困難者を救済する目的で乗り入れ先のみなとみらい線と共に終夜運転を実施した[45]。この地震発生直後から日比谷線との相互直通運転が休止される。
    • 3月14日 福島第一原発事故など震災による発電所の停止を発端とする電力供給逼迫のため、東京電力輪番停電(計画停電)を実施。東横線では主に武蔵小杉駅 - 横浜駅間において日中時間帯の運転を取り止め、運転する時間帯でも終日各駅停車で運転する措置が数日間行われた。その後、優等列車(特急・通勤特急・急行)の運転を再開したものの、ほどなくして全列車各駅停車での運転ならびに通常の8割程度の本数での運転を余儀なくされ、この状態は4月3日終電まで続いた。
    • 4月4日 始発から特急・通勤特急・急行の運転を全時間帯で再開。平日始発から9時頃までと平日16時頃から終電までは、ほぼ通常通りの本数で運転を行い、平日日中時間帯と土休日ダイヤについては“節電ダイヤ”として通常の8割程度の本数での運転となる。なお、日比谷線との相互直通運転は引き続き中止。
    • 4月25日 平日始発から9時頃までと平日16時頃から終電までの時間帯に限り、日比谷線との相互直通運転を再開。
    • 7月1日 多くの企業においてサマータイムを導入していることを考慮し、平日ダイヤにおいて始発電車を4時台への繰り上げ・早朝に列車増発を実施。
    • 9月10日 電力使用制限令解除に伴い、全時間帯でほぼ通常通りの本数での運転を再開。日比谷線との相互直通運転が全面的に再開される。(5050系4000番台)の営業運転を開始。
    • 9月22日 この日をもって始発電車の繰り上げ・早朝の増発列車の運行を終了。これにより震災発生前のダイヤに完全に戻る。
    • 10月28日 乗り入れ先の東京地下鉄におけるダイヤ改正に伴い、東横線・目黒線においても一部列車の発着時刻を変更。
  • 2012年(平成24年)
    • 2月 東横線を含む東急全線で駅ナンバリングを導入。東横線の路線記号は「TY」[46]
    • 7月11日 中目黒駅にホームドアが設置される[47]。以降、各駅に順次整備される。
    • 7月24日 東京メトロ副都心線との相互直通運転開始日が2013年3月16日に決定した[48][49][50][51]
    • 9月7日 東京メトロ副都心線との相互直通運転開始に先立ち、東京メトロ10000系(先行運転は8両編成、副都心線相互直通運転開始後は10両編成)の営業運転を開始[52]
    • 9月28日 東京メトロ副都心線との相互直通運転開始に先立ち、東京メトロ7000系(先行運転は8両編成、副都心線相互直通運転開始後は10両編成)の営業運転を開始。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月15日 渋谷駅 - 代官山駅間で線路地下化切替工事を実施[53]。渋谷駅(高架ホーム)が使用終了する。東横線における9000系、1000系、東京メトロ03系の営業運転を終了。
    • 3月16日 10両編成の運行を開始。渋谷駅 - 代官山駅間を高架線から地下線に切り換え、渋谷駅が地下ホームとなり、東京メトロ副都心線との相互直通運転開始[54]。それに伴うダイヤ改正が実施され、副都心線経由で東武東上線西武有楽町線西武池袋線との相互直通運転を開始する一方で、東京メトロ日比谷線との相互直通運転を終了。東武50070型・9000系・9050系および西武6000系の営業運転を開始。
    • 3月18日 女性専用車の実施時間を平日の始発から9時30分までの上下列車に短縮し、17時以降に渋谷駅を発車する下り列車(元町・中華街方面行)での実施を廃止し、設定車両を5号車から1号車に変更[54]
  • 2014年(平成26年)2月15日 元住吉駅で(列車同士の追突事故)が発生。
  • 2016年(平成28年)3月26日 ダイヤ改正を実施。日中最速達種別列車「Fライナー」の運転を開始[55][56]
  • 2017年(平成29年)3月25日 ダイヤ改正を実施。祐天寺駅通過線を新設。有料座席指定列車S-TRAIN」の運転を開始[57][58]。西武40000系の営業運転を開始。
  • 2020年令和2年)
    • 2月23日 白楽駅でのホームドア使用開始により、全駅での整備が完了[59]
    • 7月31日 西武40000系50番台の営業運転を開始。
  • 2021年(令和3年)
    • 2月24日 東京メトロ17000系(10両編成)の営業運転を開始。
    • 3月8日 東京メトロ7000系(10両編成)の営業運転を終了。
    • 5月2日 東京メトロ17000系(8両編成)の営業運転を開始。
  • 2022年(令和4年)
  • 2023年(令和5年)
    • 2023年度以降 有料座席指定列車「Qシート」の運転を開始(予定)[62]

みなとみらい線開業関連

2003年1月に東急が発表した報道発表資料においては、2004年1月30日終電をもって高島町駅および桜木町駅の営業を終了・廃止し、終電後から始発前までに東白楽駅 - 反町駅間において地下線に切り替え作業を実施し、翌31日からは乗務員の習熟訓練・営業運転開始に伴う機器調整等を行うため、渋谷駅 - 横浜駅間のみの区間運転を行い、横浜高速鉄道みなとみらい線の開業はその約1週間後を予定するとされていた。

ところが、みなとみらい線開業まで横浜から桜木町駅において代行バスを用意するよう国土交通省からの指示もあったことから、この区間運転期間を最小限に止めるため、同年7月に発表された報道発表資料では2月1日に開業するとされた。

そこで、発表された計画を一部変更し、開業3か月前の2003年11月上旬に横浜高速鉄道所属車両であるY500系1本(Y516編成)、東急からは9000系1本(9008F編成)を、長津田工場から東白楽駅付近に仮設された地下搬入線路までトレーラーで陸上輸送し、みなとみらい線内に搬入し、横浜駅 - 桜木町駅間の廃止前に反町駅 - 元町・中華街駅間での習熟運転を先行して実施した。このことは、一部の報道機関が取材に訪れるなど話題となった。これにより、桜木町駅営業終了から僅か1日置いた2月1日の開業にこぎ付けた。

予定通り1月30日の終電後に東白楽駅近くで線路地下化切り替え工事が行われ、翌1月31日からは反町駅、横浜駅は地下ホームとなった[40]。同日の臨時ダイヤでは、渋谷駅 - 横浜駅間のみの運行とし、横浜駅ですべての乗客を降ろした後、みなとみらい線内は最終訓練を兼ねて回送をするというダイヤが組まれた。

ホームドアの設置計画

2011年(平成23年)1月25日付けで、国土交通省は鉄道事業者に対しホームドアの設置計画の提出を求め、同年2月8日に公表された報道発表資料によると、東横線はすべての駅にホームドアを設置すると記されている[70]。この時公表された整備計画では具体的な設置時期については検討中としていたが、2015年1月9日に東急電鉄は2020年を目標に東横線内全駅の設置を目指すと発表[71]。各駅での設置工事が順次行われ、2020年初頭に全駅でのホームドア整備が完了した[59]

東横線でのホームドア設置にあたり、駅手前および駅構内に、自動的にブレーキを掛けてホームの定位置に列車を停止させるTASC(定位置停止装置)の地上子を設置しており、駅での停車時には、TASCによるブレーキが列車に掛かるようになっている。渋谷駅のホームドアについては2013年3月16日の副都心線への直通運転開始と同時に地下に新設されたホームに設置されている。

  • 2013年(平成25年)度 - 中目黒駅(1番線、4番線)[47]、学芸大学駅に設置[72]
  • 2014年(平成26年)度 - 代官山駅、武蔵小杉駅[73]、横浜駅に設置[71]
  • 2015年(平成27年)度 - 都立大学駅、新丸子駅[71]、元住吉駅、大倉山駅、菊名駅下りホームに設置[74]
  • 2016年(平成28年)度 - 日吉駅、菊名駅上りホームに設置[75]
  • 2017年(平成29年)度 - 自由が丘駅、綱島駅、妙蓮寺駅に設置[76]
  • 2019年(平成31年・令和元年)度 - 多摩川駅、白楽駅、東白楽駅に設置[77]

利用状況

2020年度の朝ラッシュ時の最混雑区間は祐天寺駅中目黒駅間で、ピーク時(7:50 - 8:50)の混雑率123%である[78]

沿線に多くの住宅地を抱える東横線は、かつてはラッシュ時の混雑が激しく、輸送力増強が急務となっていた。1976年度以前は混雑率が230%を越えていたが、1977年度に新玉川線(現在の田園都市線渋谷駅 - 二子玉川駅間)が開業して混雑率が210%を下回った。その後は混雑率が概ね200%前後で推移していたが、1990年度をピークに輸送人員が減少して、1996年度に混雑率が190%を下回った。2000年度に目黒線が営団地下鉄南北線(現在の東京メトロ南北線)・都営地下鉄三田線との直通運転を開始するとバイパス路線としての機能が強化され、2002年度から2019年度までは混雑率が概ね170%前後で推移している。

近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。

年度 最混雑区間(祐天寺 → 中目黒間)輸送実績[79][80] 特記事項
運転本数:本 輸送力:人 輸送量:人 混雑率:%
1955年(昭和30年) 20 7,514 15,724 209 最混雑区間は代官山 → 渋谷間
1964年(昭和39年) 27 17,277 35,397 205 1964年8月29日、営団地下鉄日比谷線全線開業
1965年(昭和40年) 27 17,632 40,540 230
1966年(昭和41年) 27 17,787 43,851 247 最混雑区間を祐天寺 → 中目黒間に変更
1970年(昭和45年) 26 18,120 43,544 240
1975年(昭和50年) 29 25,408 60,233 237
1976年(昭和51年) 29 25,708 61,305 238
1977年(昭和52年) 29 25,264 52,408 207 1977年4月7日、新玉川線開業
1980年(昭和55年) 27 24,648 51,305 208
1985年(昭和60年) 27 27,624 56,480 204
1986年(昭和61年) 27 29,496 57,473 195
1987年(昭和62年) 27 29,496 58,182 197
1988年(昭和63年) 27 29,496 59,324 201
1989年(平成元年) 27 29,776 60,173 202
1990年(平成02年) 27 29,776 60,874 204
1991年(平成03年) 27 29,776 60,824 204
1992年(平成04年) 27 29,776 59,359 199
1993年(平成05年) 27 29,776 58,725 197
1994年(平成06年) 27 29,776 58,526 197
1995年(平成07年) 27 29,776 56,745 191
1996年(平成08年) 27 29,776 55,752 187
1997年(平成09年) 27 29,776 55,899 188
1998年(平成10年) 27 29,776 56,067 188
1999年(平成11年) 27 29,776 55,773 187
2000年(平成12年) 27 29,776 52,929 178 2000年8月6日、目黒線開業(9月26日、営団・都営地下鉄と直通運転開始)
2001年(平成13年) 25 28,506 52,212 183
2002年(平成14年) 26 29,688 51,555 174
2003年(平成15年) 27 30,870 53,389 173
2004年(平成16年) 27 30,870 53,888 175
2005年(平成17年) 27 30,870 53,312 173
2006年(平成18年) 27 30,870 52,252 169 2006年9月25日、目黒線の急行運転開始
2007年(平成19年) 27 30,870 53,254 172 2008年3月30日、横浜市営地下鉄グリーンライン開業
2008年(平成20年) 27 31,044 55,397 178 2008年6月14日、東京メトロ副都心線開業。6月22日、目黒線武蔵小杉 - 日吉間開業
2009年(平成21年) 27 31,218 54,262 174 2009年7月11日、大井町線二子玉川 - 溝の口間開業
2010年(平成22年) 27 31,218 53,293 171
2011年(平成23年) 27 31,218 52,151 168
2012年(平成24年) 27 31,218 52,151 167 2013年3月16日、東京メトロ副都心線直通運転開始。一部の車両を10両編成化
2013年(平成25年) 24 31,344 51,362 164
2014年(平成26年) 24 31,344 52,667 168
2015年(平成27年) 24 31,344 51,235 163
2016年(平成28年) 24 31,344 53,266 170
2017年(平成29年) 24 31,650 53,229 168
2018年(平成30年) 24 31,650 54,376 172
2019年(令和元年) 24 31,650 54,311 172
2020年(令和02年) 24 31,650 38,853 123

編成数の増強と車両の大型化

戦後、東横線の利用者数が増えるにつれて編成数の増加などを行い、1969年の8000系(2008年運転終了)の登場以降、3つドア18m車から、4つドア20m車のみの増備となった[注釈 8]。これに伴い前者は、 ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。