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JUST A HERO (BOØWYのアルバム)

BOØWY > BOØWYの作品 > JUST A HERO (BOØWYのアルバム)

JUST A HERO』(ジャスト・ア・ヒーロー)は、日本ロックバンドであるBOØWYの4枚目のオリジナル・アルバム

JUST A HERO
BOØWYスタジオ・アルバム
リリース
録音
ジャンル
時間
レーベル 東芝EMI/イーストワールド
プロデュース 布袋寅泰
チャート最高順位
BOØWY アルバム 年表
BOØWY
1985年
JUST A HERO
1986年
“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986
(1986年)
EANコード
『JUST A HERO』収録のシングル
  1. わがままジュリエット
    リリース: 1986年2月1日
(テンプレートを表示)

1986年3月1日東芝EMIのイーストワールドレーベルからリリースされた。前作『BOØWY』(1985年)よりおよそ9か月振りにリリースされた作品であり、作詞は氷室京介および松井恒松、ポール・ジャンセンが担当、作曲は氷室および布袋寅泰、プロデュースは布袋が全面的に担当し、初のバンドメンバーによるセルフプロデュースとなった。

レコーディングは全国ツアー「BOØWY'S BE AMBITIOUS TOUR」の合間を縫うように日本国内の各地にて行われ、同バンドとしては最も長期間且つ多岐に亘る箇所でのレコーディング作業となった。エンジニアとして前作を手掛けたマイケル・ツィマリングが参加しており、ベルリン滞在による影響を受けた氷室による歌詞とニュー・ウェイヴのサウンドを昇華させた布袋によるアレンジを特徴としている。

先行シングルとして「わがままジュリエット」がリリースされたほか、本作収録曲の「Justy」がフジテレビ系バラエティ番組いきなり!フライデーナイト』(1986年)のオープニングテーマとして使用され、BOØWYとして初のタイアップとなった。オリコンチャートでは初登場5位となり、売り上げ枚数は累計で約81万枚を記録した[2]。また、ローリング・ストーン日本版の「Rolling Stoneが選んだ日本のロック名盤100選」において第75位を獲得した。

背景

1985年、ユイ音楽工房と契約を交わし、レコード会社を東芝EMIへと移籍する形で新たなスタートを切ったBOØWYであったが、初の日本国外でのレコーディングおよびライブを経験し、3枚目のアルバム『BOØWY』(1985年)リリースから4日後の6月25日には初の大ホール公演となる渋谷公会堂でのライブを敢行し超満員の結果となった[3]。コンサート告知は『ぴあ』に1回載せただけであり、ライブ休止中に口コミにてBOØWYの事が広まっており、地方からも聴衆が集まった[4]

6月からは小規模なツアーとして「BEAT TO PLATON」を6都市全8公演で開催、イベント参加としては7月20日に小樽第2埠頭にて行われた「ボートフェス」、8月3日には日比谷野外音楽堂にて行われた「アトミック・カフェ・フェスティバル」に参加した[5]8月22日には12インチシングルとして「BAD FEELING」のリミックスバージョンをリリースし、9月より初の本格的な全国ツアーとなる「BOØWY’S BE AMBITIOUS TOUR」を敢行、その後10月よりライブツアーの合間を縫う形でレコーディングは進められていた。また、ツアー最終日である12月24日渋谷公会堂の公演では、メンバーの布袋寅泰と歌手である山下久美子の結婚が報告された[6](後1997年に離婚[7])。

10月末からは山中湖のミュージックインスタジオにて本作のレコーディングが開始され、氷室と布袋により30曲におよぶ楽曲が用意された[8]。12月には全てのレコーディング作業が終了し、トラックダウンを行うためにベルリンハンザ・スタジオへとメンバーは再び足を運んでいた。12月31日の大晦日にはNHK総合音楽番組『ミュージック・ウェーブ85』にて放送された日本青年館でのライブ映像が反響を呼び[9]1986年1月24日に中野サンプラザで行われた追加公演はチケットが即日完売となった[10][9]1月27日には布袋は山下久美子との結婚式を行った[11]

録音

 
トラックダウンが行われたハンザ・スタジオ

1985年10月24日より本作のレコーディングは開始され、28日まではミュージックインスタジオ、翌29日から31日までは河口湖スタジオ、11月15日から20日までは伊豆キティスタジオ、11月27日28日12月1日2日はKRSスタジオ、12月7日にはマグネットスタジオ、12月8日には東芝EMIスタジオと合計20日、6カ所のスタジオを使用して完成した。トラックダウンは同年12月29日から1986年1月6日にかけてベルリンハンザ・スタジオにて行われた。

前作では初の日本国外レコーディングが行われたが、本作のレコーディングはライブツアー「BOØWY’S BE AMBITIOUS TOUR」の合間を縫うようにして行われたため、トラックダウンのみベルリンで実施されたが日本国外レコーディングは行われていない。しかしメンバーからの要望によりレコーディング・エンジニアには前作を手掛けたマイケル・ツィマリングが参加している[12]。本作はBOØWYとしてはレコーディングが最も長期間におよんでおり、レコーディングスタジオも多岐に渡っている作品となった。山中湖および河口湖伊豆などリゾート・スタジオと呼ばれる場所を使用した合宿レコーディングであり、伊豆での食事の豪華さにメンバーおよびスタッフ一同は感嘆の声を挙げていたという[13]

前作『BOØWY』のプロデューサーである佐久間正英は「サウンド・アドバイザー」の肩書で参加しているが、スタジオ作業も佐久間が仕切っていた前作とは違い布袋寅泰が主導権を握り、実質布袋1人で全てのアレンジを仕上げたため初のセルフ・プロデュースと呼べる作品となった[14]。制作に関する段取りは全て布袋に一任され、氷室は作詞に専念するなど完全な分担作業となった[15]高橋まことは自著『スネア』にてそれまでライブバンドとして活動してきたBOØWYが、初めて「音源を残す」作業に意識的になった作品であると述べている[16]。また、初めて氷室が自らの演奏によるデモテープを作成した[14]他、本アルバム制作において収録曲候補として氷室、布袋によって約30曲が作られ、その中から11曲を選曲している[15]松井恒松は自著『記憶』にて布袋による曲はBOØWYとしてのステージを意識した曲が多く、氷室による曲はバンドとしてよりも個人的な印象の強い曲が多いため、選曲に当たっては布袋の曲が採用される事が多くなり、氷室から「自分としてはいい曲だと思うけど、松井はなぜ気に入ってくれないんだ」、「どういう曲を作ったらおまえは喜んでくれるんだ」と問われた事があったと述べている[17]

作詞面では前作では氷室京介松井五郎の合作による作品が収録されていたが、この作品では氷室が単独で作詞を担当している(11曲中9曲)。氷室は作詞に関して、前作まではスタジオ内で2週間程度で熟慮せずに行っていたが、本作では集中するために郷里に帰省して自宅に籠って行っており、本作の詞は「深く読めない人にもラヴ・ソングにきこえて、しかし、本当にわかっちゃう人には、すごくわかっちゃうっていう詞を書きたかったんだ」と述べている[15]。また、氷室からの要請により本作にて松井恒松が初めて「LIKE A CHILD」にて作詞を手掛ける事となり、歌詞中の「クリスチャーネ」という名前は氷室が提案したものであった[18]。当時のインタビューにおいて歌唱法が優しくなっていると問われた氷室は、それまではシャウトする事で周囲から喜ばれると理解した上であえて行っていたが、毎回同じパターンでは誤解される恐れを感じた事から「今回は、一作詞家として、一ヴォーカリストとして、自分を表現したかった」と述べている[15]

6曲目「1994 -LABEL OF COMPLEX-」にはゲストボーカルとして吉川晃司が参加している[13]。当時はフィーチャリングという概念が一般的ではなく、所属レコード会社の枠を超えて別アーティストの作品に参加する事は非常に困難であったが、布袋の妻である山下久美子と吉川が同じ事務所であったために実現した[13]。また、吉川と布袋は曲タイトルに含まれている言葉を使用した「COMPLEX」というユニットを後に結成している[13]

音楽性

誰でもヒーローになれる時代だけど、たかがヒーローじゃないかってかんじの、でも、落ち込んでてもヒーローになる可能性はあるんだゼって。
氷室京介,
ARENA37℃ 1986年3月号[15]
バンドを続けている軌跡でレコードをボンボン出すんじゃなくて、一枚一枚、その時点の俺達を、表現していく質感を出したかった。
布袋寅泰,
ARENA37℃ 1986年3月号[15]

松井は自著『記憶』にて本作は氷室と布袋の両名が実験的なアプローチをしたアルバムであると述べ、ビートルズで例えるなら『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(1967年)のような作品であると位置付けている[19]。高橋は自著『スネア』にて本作は氷室の色が強く出ていると述べ、次作である『BEAT EMOTION』(1986年)は布袋の色が強く出ていると述べている[20]。タイトル曲である「JUST A HERO」に関して、氷室は若者へのメッセージソングであると述べ、松井は同曲のテーマは「勇気」であると述べている[15]。本作のタイトルは当初『ROUGE OF GRAY』が有力候補となっていたが、事務所プロデューサーであった糟谷銑司の強い意向により『JUST A HERO』に決定した[13]。また「ROUGE OF GRAY」はシングルカットの候補曲として、最後まで「わがままジュリエット」と競った曲であった[13]

音楽誌『別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にて文芸評論家町口哲生はポップな楽曲として3曲を挙げ、「わがままジュリエット」は間奏のギターソロや歌詞の面白さが魅力、「JUSTY」はアップテンポなリズムでスパニッシュギターからエレクトリック・ギターに移行するアレンジやサビがキャッチーである事、「ミス・ミステリー・レディ」はイントロに「禁じられた遊び」(1952年)の逆再生が使用され電磁ノイズのようなギターソロが重ねられている事などが特徴であると指摘した[14]。さらにメッセージ色の強い楽曲として2曲を挙げ、「1994 -LABEL OF COMPLEX-」の着想がデヴィッド・ボウイのアルバム『ダイアモンドの犬』(1974年)に収録された楽曲「1984年」であると推測し1994年のメトロポリスを舞台に逆説的なメッセージが盛り込まれていると指摘、「BLUE VACATION」は「<レジスタンス~>といった歌詞がアルバム自体を撹乱するかのごとく挿入されている」と述べ、それぞれの曲に登場する「プロレタリア=市民社会の外部に見放された下層ブルジョア」もしくは「レジスタンス=抵抗、反抗、妨害」という言葉により「アイロニカルな意味で矛盾するように構想された楽曲」であると指摘した[21]。その他にも、「DANCING IN THE PLEASURE LAND」は、「イントロから引き込まれるダンサブルな楽曲」、「ROUGE OF GRAY」は打ち込み音が主体である事を指摘した上でデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」(1983年)のような楽曲であると指摘、「PLASTIC OCEAN」は「英詩によるストレートなロックンロールである楽曲」と触れた上で、本作の音楽性が「BOØWYのバックボーンとなる音楽が1枚にパッケージ化され、彼らならではのニュー・ウェイブ=「ノー・ウェイブ」が発揮された」と述べている[14]

音楽情報サイト『OKMusic』にて音楽ライターの帆苅竜太郎は、耳に残る印象的なメロディーによってアルバム全編が構成されているが、「全体を通してくどくも脂っぽくもなっていないのは確かなアレンジ力によるところだろう」と指摘、さらに本作の音楽性がバラエティーに富んでおりロキシー・ミュージックフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなどの影響下にありながらも「影響下にあったことを忘れてしまうような構成になっていることが心憎い」と述べている[22]。また本作のサウンドメイキングはニュー・ウェイヴの影響下にあり、当時日本国外のニュー・ウェイヴバンドが上手くサウンドとして昇華できていなかった事例が少なくなかった中、BOØWYはそのエッセンスを自らの音楽性として導入する事に成功した稀有な例であるとした他、「派手さだけでなく、地味ながらしっかりとした構築力も聴き逃せない」とも述べている[22]

リリース、アートワーク

1986年3月1日東芝EMIのイーストワールドレーベルより、LPCDCTの3形態でリリースされた。LP初回生産分のみピンナップポスター(LPサイズ)が付属。なお、「PLASTIC OCEAN」はCD、CTにのみ収録されており、LPには未収録。これは、当時まだ普及していなかったCDの売上を伸ばすために、各レコード会社がCDのみ楽曲追加収録する[注釈 1]という戦略がとられていたことから、本作でも採用されたもの[13]。アルバム用の写真撮影は写真家の加藤正憲によって行われた。加藤は本作で初めてBOØWYを担当し、解散後も氷室や布袋の作品を手掛けるなどメンバーとは長い関係が続くこととなった。

後にボックス・セットである『BOØWY COMPLETE』に収録される形で1991年12月24日1993年3月3日2002年3月29日の計3回リリースされ、2002年版では初めて20ビット・デジタルリマスター版が収録された[23]。さらに2005年2月16日には24ビット・デジタルリマスター版が単体でリリース、解散宣言から20年となる2007年12月24日には紙ジャケット仕様でリリース[24]、デビューから30周年となる2012年12月24日にはブルースペックCD2でリリースされた[25][26]

その後も35周年を記念して2017年6月28日に2007年リリースの紙ジャケット盤が限定復刻[27]、同年7月26日には180gの重量盤としてロサンゼルスのマスタリングスタジオであるバーニー・グランドマン・マスタリングにてカッティングが行われたLP盤として再リリース[27]、さらに2018年3月28日にはハイレゾリューションオーディオ化された音源がFLACとして再リリースされた[28][29][30]

プロモーション

本作リリース後、メンバーは全国各地のライブハウスやイベントホールにて「BOØWY FILM EVENT - JUST A HERO SPECIAL」と題されたフィルムコンサートを実施、BOØWYの歴史を1本の映像作品としてまとめ、自らがゲストとなりファンとの交流を図るイベントとして行った[10]

また、本作リリース前後よりテレビ番組出演の回数も増えていき[注釈 2]2月3日放送のテレビ神奈川音楽バラエティ番組『ファンキートマト』(1978年 - 1993年)、2月21日放送のテレビ東京音楽番組『NEW AGE MUSIC』などの地方局の番組出演の他、全国ネット番組としてフジテレビ系深夜番組オールナイトフジ』(1983年 - 1991年)に数回出演した他、本作リリースから4日後にはフジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』(1985年 - 1989年)に初出演し、「わがままジュリエット」を演奏している[11]。その際に氷室の初恋の人物が登場するシーンが放送されたが、番組側からこの企画を打診された氷室は快諾したものの後に後悔し、氷室による「テレビに出るのが大好きです」との発言は「完全に皮肉だった」と高橋は述べている[31]

その後も3月28日および4月4日放送の毎日放送音楽番組『TV音楽館』や4月26日放送の中京テレビ放送バラエティ番組5時SATマガジン』(1981年 - 1993年)において「ロックスターボウリング大会」と題した企画に出演してメンバー全員がボウリングを行い、5月3日にも同番組に出演、5月30日放送のフジテレビ系バラエティ番組『いきなり!フライデーナイト』(1986年 - 1989年)に出演する[11]などテレビ番組への露出が格段に増していった[32]。また、収録曲である「JUSTY」がメンバー自身も出演した『いきなり!フライデーナイト』のオープニングテーマとして使用され、BOØWYとして初のタイアップとなった。

ツアー

 
ツアー最終日の会場となった日本武道館

本作をリリース後に行ったフィルムイベントを受ける形で、1986年3月24日の青山スパイラルホールを皮切りに、「JUST A HERO TOUR」と題して全国25都市37公演が行われた[33]。チケットは発売と同時にほとんどの会場で即完売、ステージセットは映画『ブレードランナー』(1982年)を意識したものとなっていた[10]5月1日の高崎市文化会館公演はビデオ撮影が行われ、後にBOØWYとして初の公式ライブビデオとなる『BOØWY VIDEO』(1986年)に収録された。

ツアー最終日である7月2日には初の日本武道館単独公演が行われ、後にその模様がライブアルバム『“GIGS” JUST A HERO TOUR 1986』(1986年)としてリリースされた。当日はザ・ビートルズ日本公演から20年後にあたり、氷室による「ライブハウス武道館へようこそ!」というMCが当時話題となった[10][34]。高橋は当時ライバル視していたARBルースターズよりも先に日本武道館公演が達成できた事を誇らしく思うとともに、ビートルズ公演と同じステージに立てた事に感無量であったと述べている[35]。動員数は1万人となり、演奏曲は全17曲で本作収録曲以外にも「ホンキー・トンキー・クレイジー」や「IMAGE DOWN」、「GIVE IT TO ME」など幅広く選曲された[36]。アンコールでは「DANCING IN THE PLEASURE LAND」と「NO. NEW YORK」が演奏され、午後8時30分に至らずに終幕となった[36]

批評

専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
Player
1986年3月号
肯定的[2]
ミュージック・マガジン
1986年4月号
6/10点[37]
別冊宝島653
音楽誌が書かないJポップ批評18
サウンド: 肯定的[38]
歌詞: 否定的[38]
別冊宝島1322
音楽誌が書かないJポップ批評43
肯定的[39]
CDジャーナル肯定的[40][41]
OKMusic肯定的[22]

本作に対する批評家たちのサウンド面に関する評価は概ね肯定的な意見となっており、音楽誌『Player』1986年3月号では、本作が前作『BOØWY』を土台としてその上に積み上げられた作品であると位置付けた上で、「彼らの新しい側面、強靭なファンク・ビートから浮遊感漂うエスニック・サウンドまで、1コマごとに明度と輝度を変え、めくるめく音の洪水を浴びせてくれる」と称賛[2]、音楽誌『別冊宝島653 音楽誌が書かないJポップ批評18 BOØWYと「日本のロック」』にてライターの根本桃GO!は、「音の面では意外とハード。聴きようによっては紛れもないロックといっていい部分が多々ある。リズムとビートは強固で全体にうねりのようなものが出てきた。曲自体の完成度も高い」と称賛[38]、音楽誌『別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にて文芸評論家町口哲生は、「全体的にリズムを強調したタイトなサウンドに、氷室のあの独特な歌い回しと、布袋の電磁ノイズのようでいて計算され尽くしたギターが一体となり、しかもポップなメロディで聴きやすい」として「文句なしの一押しのアルバム」と評価した他、「日本の現代文化の『複合性』や『馴化』といった問題を考える上でも、本アルバムは『自己適応化』と『自己外来化』がうまくマッチした稀有な一枚」と絶賛[39]、音楽情報サイト『CDジャーナル』では「リズムを強調したタイトなサウンドと氷室京介のノリの良いシブめのヴォーカルが一体となり、自信に満ちたアルバムに仕上がっている」と評した[40]他、「親しみやすさと彼らのオリジナルなスタイルの確立が両立」した作品であるとして、メンバーおよびファンからの評価が最も高く「金字塔的な作品のひとつ」であるとして絶賛[41]、音楽情報サイト『OKMusic』にて音楽ライターの帆苅竜太郎は、評価ポイントとして全曲が良質なメロディーを持ちキャッチーである事や歌に絡みつくギターが同様に全編通してキャッチーである事を絶賛し、また両者が相殺し合っていない事を指摘した上で「どちらがリードするわけでもなく、互いに絡み合って昇華していくさまは、今聴いてもスリリングで素晴らしい」と絶賛した[22]

一方で歌詞に関しては一部で否定的な意見が挙げられ、音楽誌『ミュージック・マガジン』では、歌詞が聴き取れず、歌詞カードを見ても理解できなかったと述べた他、歌謡曲のようであるとして否定的に評価したものの、布袋のギターに関しては「今回はバッキングに徹していて無理がない。歌謡ロックって太っ腹なのだ」と一部肯定的に評価し、10点満点中6点の採点となった[37]。また音楽誌『別冊宝島653 音楽誌が書かないJポップ批評18 BOØWYと「日本のロック」』にて根本は歌詞が「バブリーな記号に満ち溢れ、なんだか分からないオシャレなアーバンライフ風のイメージで埋め尽くされている」とした上で洋楽志向のリスナーから本作が忌避された原因ではないかと主張した[38]

その他、ローリング・ストーン日本版の「Rolling Stoneが選んだ日本のロック名盤100選」において第75位を獲得した[要出典]

チャート成績

オリコンチャートでは、LPは最高位第5位の登場週数37回で売り上げ枚数は10.2万枚[1]、CTは最高位第11位の登場週数26回で売り上げ枚数は3.7万枚、CDは最高位第18位の登場週数31回で売り上げ枚数は3.7万枚となり、総合の売り上げ枚数は17.6万枚となった。その後も売り上げを伸ばしていき、最終的な累計では売り上げ枚数は約81万枚となった[2]。BOØWYのアルバムとしては初のベスト10入りを果たしたが、世間一般では認知度が低かったために何故この作品がランクインしているのか理解できないメディアが数多く見受けられ、また「ギタリストが山下久美子の旦那のバンド」という程度の認知度であった[42]。その他に本作がヒットした事で、事務所からメンバー全員に100万円の臨時ボーナスが与えられた[43]。2012年12月24日にリリースされた再発版では最高位第81位の登場回数2回となり、売り上げ枚数は0.2万枚となった。

オリジナル版はBOØWYのアルバム売上ランキングにおいて第12位となったほか[44]、2012年版は第37位[45]、2017年版は第44位となっている[46]2021年に実施されたねとらぼ調査隊によるBOØWYのアルバム人気ランキングでは第1位となった[47]

収録曲

全編曲: 布袋寅泰

LP版

A面
#タイトル作詞作曲時間
1.DANCING IN THE PLEASURE LAND(ダンシング・イン・ザ・プレジャー・ランド)氷室京介布袋寅泰
2.ROUGE OF GRAY(ルージュ・オブ・グレイ)氷室京介布袋寅泰
3.わがままジュリエット氷室京介氷室京介
4.JUSTY(ジャスティー)氷室京介布袋寅泰
5.JUST A HERO(ジャスト・ア・ヒーロー)氷室京介布袋寅泰
合計時間:
B面
#タイトル作詞作曲時間
6.1994 -LABEL OF COMPLEX-(1994 レーベル・オブ・コンプレックス)氷室京介布袋寅泰
7.ミス・ミステリー・レディ (Visual Vision)(ミス・ミステリー・レディ(ヴィジュアル・ヴィジョン))氷室京介氷室京介
8.BLUE VACATION(ブルー・ヴァケーション)氷室京介布袋寅泰
9.LIKE A CHILD(ライク・ア・チャイルド)松井恒松布袋寅泰
10.WELCOME TO THE TWILIGHT(ウェルカム・トゥ・ザ・トワイライト)氷室京介布袋寅泰
合計時間:

CT・CD版

A面
#タイトル作詞作曲時間
1.DANCING IN THE PLEASURE LAND(ダンシング・イン・ザ・プレジャー・ランド)氷室京介布袋寅泰
2.ROUGE OF GRAY(ルージュ・オブ・グレイ)氷室京介布袋寅泰
3.わがままジュリエット氷室京介氷室京介
4.PLASTIC OCEAN(プラスティック・オーシャン)ポール・ジャンセン氷室京介
5.JUSTY(ジャスティー)氷室京介布袋寅泰
6.JUST A HERO(ジャスト・ア・ヒーロー)氷室京介布袋寅泰
合計時間:
B面
#タイトル作詞作曲時間
7.1994 -LABEL OF COMPLEX-(1994 レーベル・オブ・コンプレックス)氷室京介布袋寅泰
8.ミス・ミステリー・レディ (Visual Vision)(ミス・ミステリー・レディ(ヴィジュアル・ヴィジョン))氷室京介氷室京介
9.BLUE VACATION(ブルー・ヴァケーション)氷室京介布袋寅泰
10.LIKE A CHILD(ライク・ア・チャイルド)松井恒松布袋寅泰
11.WELCOME TO THE TWILIGHT(ウェルカム・トゥ・ザ・トワイライト)氷室京介布袋寅泰
合計時間:

曲解説

  1. DANCING IN THE PLEASURE LAND
    仮タイトル「Dancing in the darkness」と言われるデモ制作の時点では「ダンシング・イン・ザ・ストレンジャー・ランド (Dancing In The Stranger Land)」という仮の歌詞で歌われている。ディレクターの子安はデモテープの段階で1曲目になると予感できた曲であると述べた他、「これ以降のバンドの大成功を暗示するかのようなスケールの大きさ、独特な個性、神秘性、時代性などを感じさせる楽曲」とも述べている[13]。『音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にて文芸評論家町口哲生は、「エレクトロニクスとファンクを上手くブレンドしたダンサブルなナンバー」、「BOØWYの目指したニューウェイブが如何なく発揮された名曲」と述べている[48]
  2. ROUGE OF GRAY
    制作時の仮タイトルは「Scritti station」であり、「Scritti PolittiPOWER STATIONの合体」がアレンジコンセプトだったと思われる。イントロの電子ドラムの連打は当時布袋がレコーディングに参加した吉川晃司の楽曲「RAIN-DANCEがきこえる」(1985年)からのオマージュ。元々は先行シングルとなる予定であった曲であり、またアルバムタイトル候補ともなった本作の中心的な作品[13]。子安は「イントロのシンセによる音がとても効果的に使われている」と述べている[13]。『音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にてライターの安部薫は、本曲がアルバムが示すサウンドの斬新さが表れた曲であると述べ、ドラムの状態がパワー・ステーションを彷彿させるとし、本曲がシングルカットされていた場合はアルバム『JUST A HERO』は一部のファンにのみ受け入れられ後のBOØWYの存在も変化していたかもしれないと予測した[49]
  3. わがままジュリエット
    3枚目のシングル。詳細は「わがままジュリエット」の項を参照。
  4. PLASTIC OCEAN
    ロックンロールおよびロカビリー調の曲[49]。英語詞の曲で、カセットテープ盤と、当時普及し始めであったCDに収録され、アナログレコード盤には収録されていない。「OH!MY JULLY Part1」、「DOWN TOWN SHUFFLE」と並び、アレンジにデフスクールの影響が強く見受けられる曲である。作詞担当のポール・ジャンセンとは2名による共作のペンネームであるが、人物の正体は明かされていない[13]
  5. JUSTY
    バラエティ番組いきなり!フライデーナイト』(1986年、フジテレビ系列)のオープニングに使用された。本作リリース当時にスバル・ジャスティが発売されテレビCMが頻繁に放送されていた事から、CM曲として「JUSTY」を売り込んだが拒否されたというエピソードがある[13]。また本来「JUSTY」は他アーティストへの提供曲として制作されたが没となったためBOØWYの曲として使用される事となった[13]。子安は「メロディー、リズムパターン、言葉の乗り方、作品の展開のどれをとっても見事な出来」と述べている[13]。リリース当時のテレビ出演では頻繁に演奏された[50]。『音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にてライターの齋藤奈緒子は、イントロのギターリフが印象的でありその後タイトな8ビートと王道のメロディーによるロックンロールナンバーへと展開する曲であると述べた他、スパニッシュギターからギターソロへ移行する点などを踏まえ「外し技が施され、単なるポップナンバーに留まらないハードルの高さを設定している」と指摘した他、デザートを意味するフランス語「デセール」やジャマイカのラム酒である「ボナンザグラム」などが使用された氷室による歌詞にも着目している[51]トリビュート・アルバムBOØWY Tribute』(2003年)において、藤木直人によるカバーが収録されている[52]
  6. JUST A HERO
    BOØWYの曲としては珍しく5分を超える大作となっている[13]。タイトルの由来はデヴィッド・ボウイのアルバム『ヒーローズ』(1977年)と、ボウイの主演映画である『ジャスト・ア・ジゴロ』(1978年)を足したものと思われる。また、曲間に入るコーラス部分の英詞は、デヴィッド・ボウイの楽曲「チェンジス」(1972年)の一節を引用。子安は「BOØWYが持っていた"アンチテーゼ"と"ポピュラリティー"という二面性にも通じる素晴らしいタイトル」であると述べている[13]。『音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にてライターの宮城正樹は、イギリスのニュー・ウェイブを導入していた時期の代表的な曲であると述べている[51]
  7. 1994 -LABEL OF COMPLEX-
    着想はジョージ・オーウェルの小説『1984年』(1949年)からの影響でデヴィッド・ボウイが制作し、アルバム『ダイアモンドの犬』(1974年)に収録された楽曲「1984年」であると思われる[21]。また、レコード会社契約上の問題でクレジットに一切記載はないが、布袋との親交が深かったミュージシャン吉川晃司が、氷室とのツインボーカルの形でゲスト参加している[13][53]。『音楽誌が書かないJポップ批評18 BOØWYと「日本のロック」』では、「詞の意味より語感を重視する傾向は特にこの曲で顕著」と記している[50]。『音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にて齋藤は、氷室による歌詞が散文的あるいは断片的なイメージであると指摘し、ニュー・ウェイブやファンク、スパニッシュギターなどが盛り込まれたトリッキーなアレンジであり『JUST A HERO』を象徴する攻撃的な曲であると述べている[54]
  8. ミス・ミステリー・レディ (Visual Vision)
    イントロの部分は「禁じられた遊び」を逆回転したもの[50]。また、デモ制作の時点ではサビの部分は当初「ヴィジュアル・ヴィジョン」という単語が充てられていたが、語感の悪さから「ミス・ミステリー・レディ」という単語に差し替えられた。「ヴィジュアル・ヴィジョン」は、そのままサブタイトルとして残っている。BOØWYの楽曲は積極的にタイアップの交渉は行われなかったが、本曲は化粧品のCMに合っているとの声が多数寄せられたと子安は述べている[55]。氷室のベスト・アルバム『L'EPILOGUE』(2016年)において、氷室自身によるカバーが収録されている[56][57]
  9. BLUE VACATION
    歌詞がセクシュアルな内容で、「JUST A HERO TOUR」以降のライヴでは頻繁に演奏された。子安は布袋のコーラス・ワークが後のソロ作品に向けての試みである可能性を示唆した他、「氷室のキワドイ歌詞に絡みつくように構築されているコーラスが、とても印象的である」と述べている[55]。とあるライブにおいて氷室がこの曲の演奏終了後にバック転をした事がある[50]。『音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にて町口は、イントロとエンディングが変化に富んだガムランのようなリズム構造の曲であると述べた他、歌詞に関しては「退廃的で、気だるい雰囲気が独特で妖しい美しさを醸し出している」と述べている[48]
  10. LIKE A CHILD
    当初は氷室が作詞を行う予定であったが、曲にあった詞が書けなかったため松井恒松が依頼する事となった。歌詞の中の「クリスチャーネ」など氷室が途中まで書いていた歌詞にあったものを引き継いでいる部分もある。「JUST A HERO TOUR」では松井がシンセベースを演奏している[注釈 3]。子安は「80年代前半に世界に吹き荒れたニューウェイブの香りを強く感じる楽曲である」と述べている[55]。『音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』にてライターの永井純一は、「布袋の手クセ全開のイントロからはじまり、シンセを導入したリズム隊のシャッフル感が心地よいポップ・ナンバー」であると述べている[51]。松井はソロ活動においても本曲を弾き語りで演奏している[50]
  11. WELCOME TO THE TWILIGHT
    布袋制作によるデモの時点では、「Tell me」と聴き取れる歌詞部分から「Tell me」という通称で呼ばれ、その後の最終段階的なプレレコーディングデモにおいてクリスマスソング(サビ部分の歌詞部分から通称「MERRY BLUE X'MAS」)として制作されていたが、アルバムの発売日が大幅にずれ込んだため、歌詞が一部変更されたのではないかと考えられている。子安は制作段階で大きく歌詞が変更された曲であると述べ、BOØWYの中で季節を限定した曲はほぼ見当たらないが本作がクリスマスソングとして制作されていれば唯一季節感のある曲となった可能性がある事を示唆した[55]。また、歌詞中にある「アレスクラ」とはドイツ語で「IT'S OK(分かったよ)」の意味であり、子安はツィマリングから教わった言葉であると述べている[13]。また、子安は「エンディングのゴージャスな感じも鳥肌ものである」と述べている[13]

スタッフ・クレジット

BOØWY

参加ミュージシャン

スタッフ

  • 糟谷銑司(ユイ・ロック・プロジェクト) - プロダクション・プロデューサー
  • 子安次郎(東芝EMI) - レコーディング・ディレクター
  • 土屋浩(ユイ音楽工房) - プロダクション・マネージャー
  • 中西真澄 - アシスタント・エンジニア
  • 剣持芳明 - アシスタント・エンジニア
  • 家守久雄 - アシスタント・エンジニア
  • 渡辺省二郎 - アシスタント・エンジニア
  • 清水野征也 - アシスタント・エンジニア
  • 岡崎ヨシオ - マスタリング・エンジニア
  • カッツ三宅(パイナップルスタジオ) - アート・ディレクション、デザイン
  • 加藤正憲 - 写真撮影
  • 島津由行 - 衣装
  • なかむらけんじ - ヘアー & メイク

リリース履歴

No. リリース日 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1986年3月1日 東芝EMI/イーストワールド LP
CD
CT
WTP-90389
CA32-1226
ZH28-1648
5位 LP初回生産分のみピンナップポスター(LPサイズ)付属
2 1991年12月24日 CD TOCT-6393 2位 CD-BOXBOØWY COMPLETE LIMITED EDITION』収録
3 1993年3月3日 CD TOCT-6393 3位 CD-BOX『BOØWY COMPLETE REQUIRED EDITION』収録
4 2002年3月29日 CD TOCT-24793 14位 CD-BOX『BOØWY COMPLETE 21st CENTURY 20th ANNIVERSARY EDITION』収録
20ビット・デジタルリマスター
5 2005年2月16日 CD TOCT-25611 - 24ビット・デジタルリマスター盤
6 2007年12月24日 EMIミュージック・ジャパン/イーストワールド CD TOCT-26494 - 24ビット・デジタルリマスター盤 、紙ジャケット仕様、LP盤のレーベルを再現
7 2012年12月24日 Blu-spec CD2 TOCT-98002 81位
8 2017年6月28日 ユニバーサルミュージックジャパン CD UPCY-9683 - 2007年発売された紙ジャケット仕様(旧品番TOCT-26494)の限定復刻
9 2017年7月26日 LP UPJY-9068 - オリジナルアルバムのLPを完全限定復刻
180g重量盤、LAバーニー・グランドマン・マスタリングにてカッティング
10 2018年3月28日 FLAC - - オリジナルマスターから96kHz/24bitのハイレゾリューションオーディオ化[注釈 4]
リマスタリング担当はオノ・セイゲン

脚注

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注釈

  1. ^ おおよそレコードより1曲から3曲追加が一般的であった。
  2. ^ それまでは地元群馬を中心としたローカル番組のテレビ出演が主であった。
  3. ^ その模様は、ライブ・ビデオ『BOØWY VIDEO』でも確認する事ができる[55]
  4. ^ 「PLASTIC OCEAN」のみ44.1kHz/16bitのデジタルデータからのアップコンバート。

出典

  1. ^ a b オリコンチャートブックLP編 1990, p. 266.
  2. ^ a b c d B to Y 2004, p. 133- 「HISTORY」より
  3. ^ 布袋寅泰 2006, p. 147- 「第三楽章 BOØWY」より
  4. ^ B to Y 2004, p. 129- 「HISTORY」より
  5. ^ B to Y 2004, p. 130- 「HISTORY」より
  6. ^ 布袋寅泰 2006, p. 158- 「第三楽章 BOØWY」より
  7. ^ 布袋寅泰 2006, p. 243- 「第五楽章 別れ、そして家族」より
  8. ^ 高橋まこと 2017, p. 167- 「3章 酒とバラの日々(1982年~1993年)」より
  9. ^ a b 別冊宝島 2002, p. 137- 高篠友一「LONGER THAN FOREVER! BOØWYカルト年表」より
  10. ^ a b c d RENDEZ-VOUS 1989, p. 180- 「ALL OF ALL」より
  11. ^ a b c 別冊宝島 2002, p. 138- 高篠友一「LONGER THAN FOREVER! BOØWYカルト年表」より
  12. ^ 松井常松 2009, p. 97- 「第4章 解散へのカウントダウン - 1986年~1987年」より
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s B to Y 2004, p. 76- 「WORKS」より
  14. ^ a b c d 別冊宝島 2006, p. 98- 町口哲生「アルバム・レヴュー 4th Album『JUST A HERO』(1986)」より
  15. ^ a b c d e f g ARENA37℃ 2001, p. 35- 星野京子「1986年3月号 アルバム『JUST A HERO』」より
  16. ^ 高橋まこと 2017, p. 168- 「3章 酒とバラの日々(1982年~1993年)」より
  17. ^ 松井常松 2009, pp. 95–96- 「第4章 解散へのカウントダウン - 1986年~1987年」より
  18. ^ 松井常松 2009, p. 99- 「第4章 解散へのカウントダウン - 1986年~1987年」より
  19. ^ 松井常松 2009, p. 100- 「第4章 解散へのカウントダウン - 1986年~1987年」より
  20. ^ 高橋まこと 2017, p. 178- 「3章 酒とバラの日々(1982年~1993年)」より
  21. ^ a b 別冊宝島 2006, p. 99- 町口哲生「アルバム・レヴュー 4th Album『JUST A HERO』(1986)」より
  22. ^ a b c d 帆苅竜太郎 (2014年8月13日). “邦楽ロック史の特異点、BOØWY。『JUST A HERO』の充実っぷりは半端ない!”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク. 2019年2月2日閲覧。
  23. ^ “BOOWY CD10枚組ボックスセットをリマスター再発”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2002年2月18日). 2021年5月5日閲覧。
  24. ^ “BOΦWY、12月24日の「解散宣言」日に貴重なアイテム発売”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2007年10月12日). 2021年5月5日閲覧。
  25. ^ “デビュー30周年!BOOWY未発表映像&音源含むリリース企画”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2012年10月4日). 2021年5月5日閲覧。
  26. ^ “BOΦWY、未発表映像収録したBD BOX発売”. TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2012年10月26日). 2021年5月5日閲覧。
  27. ^ a b “BOOWYデビュー35周年記念し過去7作品を紙ジャケ復刻”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2017年4月10日). 2021年5月8日閲覧。
  28. ^ “BOOWY、名盤3作のハイレゾ音源配信がスタート”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2018年3月28日). 2021年5月15日閲覧。
  29. ^ “BOØWY、「JUST A HERO」ほか名盤3枚のハイレゾ音源を配信”. Musicman-net. エフ・ビー・コミュニケーションズ (2018年3月28日). 2021年5月15日閲覧。
  30. ^ 中林暁 (2018年3月28日). “BOØWY名盤3作品がハイレゾ配信。「JUST A HERO」、「BEAT EMOTION」、「PSYCHOPATH」”. AV Watch. インプレス. 2021年5月15日閲覧。
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  33. ^ RENDEZ-VOUS 1989, pp. 180–184- 「ALL OF ALL」より
  34. ^ 高橋まこと 2017, p. 169- 「3章 酒とバラの日々(1982年~1993年)」より
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  47. ^ “「BOØWY」人気アルバムランキングTOP6! 2位の「BEAT EMOTION」を僅差で上回った1位は?”. ねとらぼ調査隊. アイティメディア (2021年10月7日). 2022年3月6日閲覧。
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参考文献

  • ミュージックマガジン』1986年4月号、ミュージックマガジン、1986年4月。 
  • 『BOØWY写真集 RENDEZ-VOUS』CBSソニー出版、1989年7月31日、180 - 184頁。ISBN (9784789704663)。 
  • 『オリコンチャートブックLP編 昭和45年-平成1年<20年>』オリコン、1990年5月10日、266頁。ISBN (9784871310253)。 
  • 「ARENA37℃ SPECIAL vol.3 BOØWY」『ARENA37℃』2001年12月号増刊、音楽専科社、2001年12月4日、35 - 45頁、ISBN (9784872791686)、雑誌01594-12。 
  • 「音楽誌が書かないJポップ批評18 BOØWYと「日本のロック」」『別冊宝島』第653号、宝島社、2002年6月7日、111 - 114頁、ISBN (9784796627245)。 
  • 『BOØWY B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS.宝島社、2004年9月20日、76 - 133頁。ISBN (9784796642408)。 
  • 布袋寅泰『秘密』幻冬舎、2006年2月10日、147 - 160頁。ISBN (9784344011083)。 
  • 「音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説」『別冊宝島』第1322号、宝島社、2006年7月27日、98 - 118頁、ISBN (9784796653497)。 
  • 松井常松『記憶』徳間書店、2009年11月30日、95 - 100頁。ISBN (9784198628260)。 
  • 高橋まこと『スネア(立東舎文庫)』(書籍『スネア』((ISBN 9784123901550)) 文庫版)立東舎、2017年8月21日(原著2007年4月4日)、167 - 175頁。ISBN (9784845630424)。 
  • 吉川晃司『別冊カドカワの本 愚 日本一心』角川マガジンズ、2012年1月27日、223頁。ISBN (9784047311206)。 

外部リンク

  • Just A Hero - Discogs (発売一覧)
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