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ロキシー・ミュージック

ロキシー・ミュージック (Roxy Music)は、1971年にデビューしたイギリスロック・グループ。ブライアン・フェリーの個性的なボーカルを中心に、芸術志向のグラム・ロックなどを発表した。 バンド名の「ロキシー」は、1950年代のイギリスで事業展開していた映画館チェーン「ロキシー」に因む[8]

ロキシー・ミュージック
マッセイ・ホール公演にて(1974年)
基本情報
出身地 イングランド ロンドン
ジャンル
活動期間
レーベル
公式サイト Roxy Music
メンバー
旧メンバー 後述を参照
ロキシー・ミュージックのステージ(ロンドン・ エクセル展覧会センター 2006年7月)

来歴

キャリア:1972年 - 1976年

ブライアン・フェリーは労働者階級(父は農業労働者)に生まれ、ザ・ガス・ボードなどのバンドで音楽活動をおこなった。彼は女子校の美術講師をしながら陶芸の創作活動していたが、1971年に、ロバート・フリップ率いるキング・クリムゾンの新しいボーカリストに応募した。オーディションを受けたのは、フェリー、ボズ・バレル、クリムゾンのマネージャーらで、採用されたのはバレルであった[9]。しかしフリップともう一人の中心メンバーのピート・シンフィールドの二人は、フェリーはクリムゾンのイメージには合わないが良いセンスを持っていると感じたので、自分達の所属事務所であったEGに彼を紹介した。これをきっかけに、彼の運が開かれることになる。

ロキシー・ミュージックはこの時期に既に存在していたようで、メンバーにはフェリー(ボーカル、キーボード)、彼の大学時代からの友人のグラハム・シンプソン(ベース)、(ロジャー・バン)(ギター)、デヴィッド・オリスト(ギター、元ナイス)、デクスター・ロイド(ドラム)らがいたことが知られている。その後、キーボーディスト募集の雑誌広告を見て管楽器プレーヤーとして応募してきたアンディ・マッケイ(サックス、オーボエ)と、彼が連れてきた友人ブライアン・イーノ[注釈 1](シンセサイザー)が加入した。またフィル・マンザネラがサウンドミキサーの肩書きでイーノの助手のような役割で参加し、さらにロイドの脱退に伴ったドラマー募集の雑誌広告を見て応募してきたポール・トンプソンが加入した。そしてオリストの脱退を機にマンザネラがギターを担当。かくしてメジャー・デビューの時のラインナップが1971年末までに揃った。いわゆるデビュー前の「ハコ回り」の類がないというのは異例である。

ロキシー・ミュージックは1971年12月24日のファースト・ライブでEG関係者を納得させ、翌1972年の2月14日にマネジメント契約を勝ち取る。6月には1stアルバム『ロキシー・ミュージック[注釈 2]、7月には1stシングル『バージニア・プレイン』を発表。彼らのメジャー・デビューはデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』が発売された直後のグラム・ロック・シーン全盛期のロンドンにおいてであり、彼らはグラム・ロック一派と見なされた[注釈 3]。この年のNMEによる各部門賞で新人賞を受賞した[注釈 4]

その後、彼らはボウイの「ジギー・スターダスト」英国ツアーのサポート・アクトの傍ら精力的にレコーディングなどを行い、1973年3月には早くも2ndアルバム『フォー・ユア・プレジャー』を発表[注釈 5]。「男装の麗人」アマンダ・レアが登場したジャケットが話題となるとともに、グラム・ノワール(Gram noir)と形容されたサウンドが注目を集め、英チャート上位に食い込む成功を収める。しかし、フェリーとともにバンドの創設時からのメンバーだったシンプソンは既に脱退[注釈 6]しており、このアルバムでは後にスミスを手がけるジョン・ポーターがベースを担当した[注釈 7]。そしてアルバムが発表された後、フェリーと並んで注目を集めていたイーノが脱退した。

イーノの脱退はロキシーの音楽の大きな転機と言えた。バンドは元カーヴド・エアのキーボーディスト兼ヴァイオリ二ストのエディ・ジョブソンを迎えて、1973年11月に3rdアルバム『ストランデッド』を発表。前2作の喧騒にあふれた未来派的なサウンドを薄める代わりに、「ヨーロッパ浪漫主義的方向」を目指しはじめる。「ノンプレイヤーのバンド」であったロキシーにあって確かな演奏技術を持つジョブソンの存在は大きな意味を持ち、この時期のロキシーはファンの根強い人気を誇った。フェリーはグループ活動と並行して、1973年10月にソロ・アルバムを発表。ボブ・ディランプラターズザ・ビーチ・ボーイズらをカバーし、好評を得た。

1974年11月、4thアルバム『カントリー・ライフ』発表。更に耽美・叙情性を増した音楽性もさることながら、シースルーの下着を着けた女性2人というジャケットが物議を醸す。カナダでは女性2人が消され、ドイツでは1人の顔だけをアップにし、アメリカでは袋入りで発売される等、国ごとに様々な措置が取られた。右側の黒い下着の女性は、もとは男性である[12]

1975年10月、5thアルバム『サイレン』発表。ジャケットに写っている女性モデル、ジェリー・ホールは、当時フェリーの恋人だった[注釈 8]。本作からの先行シングル『恋はドラッグ(Love Is the Drug)』は、全英2位・全米30位のヒットを記録し、一躍ロキシー・ミュージックの名を広めた。しかし、ツアー[注釈 9]終了後にロキシー・ミュージックは解散。1976年発表のライブ盤『VIVA!ロキシー・ミュージック』が最後のアルバムとなった。フェリーは1976年から1977年にかけてソロ・アルバムで「レッツ・スティック・トゥゲザー」「東京ジョー」などの代表曲を発表し、1977年にはマンザネラとトンプソンをバックに従えて来日した[注釈 10]

キャリア:1977年 - 1983年

ソロ活動をしていたフェリー、801やフェリーのバンドで活動したマンザネラ、TV番組『ロック・フォリーズ』の音楽監督などを務めたマッケイ、フェリーのバンドで活動したトンプソンの4人は、1978年にロキシー・ミュージックを再結成。キーボードとベースは正式メンバーではなくセッション・メンバーで補うことにした。そして、1979年に復活作『(マニフェスト)』を発表。以前よりもポップな音作りに変化したが、退廃的な美学は不変であった。同年4月にロキシー・ミュージックの初来日公演。しかし、1980年4月にトンプソンが指を骨折して脱退、アンディ・ニューマークが準メンバーとして加わる。

1980年にアルバム『(フレッシュ・アンド・ブラッド)』を発表。本作からのシングル曲「Same Old Scene」は、映画『タイムズ・スクエア』で使われる。そして、1980年12月8日に凶弾に倒れたジョン・レノンを追悼するため、1981年にレノンのカバー曲「ジェラス・ガイ」をシングルとして発表。全英1位となった。

1982年、復活第3弾アルバム『アヴァロン』発表し、全英1位を獲得。ロキシー・ミュージックのアルバムの中で最も評価が高く[14]、また最も人気がある[11]。先行シングル『More Than This』は全英6位のヒットを記録した。その後、大規模なワールド・ツアーを行う。ヨーロッパではキング・クリムゾンを前座に従え、1983年2月には2度目の来日公演が実現。その後、ライブ・ミニ・アルバム『ザ・ハイ・ロード』を最後に、ロキシー・ミュージックは再び眠りについた[注釈 11]

再結成:2001年 - 2011年、2019年、2022年

2001年、再結成。ワールド・ツアー[15]。3度目の来日公演。

2010年、フジロックフェスティバル '10(7月31日)[16]。にて4度目の来日。同年にはサマーフェスティバルツアー(6月17日 - 9月11日)を敢行[17]

2011年、「For Your Pleasure」バンド結成40周年記念ツアー:英国アリーナツアー(1月25日 - 2月7日)・オーストラリア - ニュージーランド・ツアー(2月 - 3月)[18]

2019年、ロキシー・ミュージックとして、ブライアン・フェリー、ブライアン・イーノ、フィル・マンザネラ、ジョン・ガスタフソン、エディ・ジョブソン、アンディ・マッケイ、グラハム・シンプソン、ポール・トンプソンが、ロックの殿堂入りを果たした[19]

2022年、デビューアルバム『ロキシー・ミュージック』の発売50周年を記念し、11年ぶりにリユニオン・ツアーを行なうことを発表[20]

エピソード

ロキシー・ファッション
1972年の夏にフジテレビの若者向け番組『リブ・ヤング!』においてロンドンで注目されているファッションが取り上げられ、「ロキシー・ファッション 出演者募集」という企画があった。ジョニー大倉がこの企画に応募し、同年10月8日キャロルが出演した。当時のブライアン・フェリーの衣裳や髪型は、1950年代ロックンロール・ファッションをリメイクしたデザイン、という印象を与えるものであった[8]

メンバーと担当楽器

在籍中のメンバー
名前 担当楽器 在籍期間
ブライアン・フェリー
Bryan Ferry
ボーカル
キーボード
ピアノ
リズムギター
1970年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -
アンディ・マッケイ
Andy Mackay
サクソフォーン
オーボエ
キーボード
バッキング・ボーカル
1970年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -
ポール・トンプソン
Paul Thompson
ドラムス 1971年 - 1980年
2001年 - 2011年
2022年 -
フィル・マンザネラ
Phil Manzanera
リードギター
バッキング・ボーカル
1972年 - 1983年
2001年 - 2011年
2019年
2022年 -
旧メンバー
名前 担当楽器 在籍期間
ブライアン・イーノ
Brian Eno
シンセサイザー
キーボード
テープ
1970年 - 1973年
(グラハム・シンプソン)
Graham Simpson
ベース 1970年 - 1972年
※2012年没
デヴィッド・オリスト
David O'List
ギター 1970年 - 1972年
ロジャー・バン
Roger Bunn
ギター 1971年
デクスター・ロイド
Dexter Lloyd
ドラムス 1971年
リック・ケントン
Rik Kenton
ベース 1972年
(ジョン・ポーター)
John Porter
ベース 1972年 - 1973年
(ジョン・ガスタフソン)
John Gustafson
ベース 1973年 - 1975年
※2014年没
エディ・ジョブソン
Eddie Jobson
キーボード
シンセサイザー
エレクトリック・ヴァイオリン
1973年 - 1976年
2019年
サル・メイダ
Sal Maida
ベース 1973年 - 1974年
(ライブのみ参加)
ジョン・ウェットン
John Wetton
ベース 1974年 - 1975年
※2017年没
リック・ウィルス
Rick Wills
ベース 1975年 - 1976年
(ライブのみ参加)
(ゲイリー・ティブス)
Gary Tibbs
ベース
バッキング・ボーカル
1979年 - 1980年
デイヴ・スキナー
Gary Tibbs
キーボード
バッキング・ボーカル
1979年 - 1983年
ポール・キャラック
Paul Carrack
キーボード
バッキング・ボーカル
1979年 - 1982年
(アラン・スペナー)
Aran Spenner
ベース 1979年 - 1983年
※1991年没
(ニール・ハバート)
Neil Hubbard
ギター 1980年 - 1983年
アンディ・ニューマーク
Andy Newmark
ドラムス 1980年 - 1983年
(スティーヴ・グールディング)
Steve Goulding
ドラムス 1982年

タイムライン

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

  • VIVA!ロキシー・ミュージック』 - Viva! (1976年 第6期)
  • 『ザ・ハイ・ロード』 - The High Road (1983年 第9期) ※EP。4曲収録
  • 『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』 - Heart Still Beating (1990年 第8期-2)
  • 『ベスト・ライヴ』 - Concert Classics (1998年 第7期) ※タイトル違いの再発盤多数。日本盤は『ライヴ・イン・アメリカ 1979』としても再発
  • Valentine (2000年)
  • Vintage (2001年) ※1972年-1975年ドイツ録音
  • 『リフレクション』 - Reflection (2001年) ※上記アルバムの増補盤
  • 『ライヴ』 - Roxy Music Live (2003年 第10期)
  • 『マンチェスター・マニフェスト』 - Manchester Manifesto (2011年 第7期)

コンピレーション

  • 『グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1977年)
  • The First Seven Albums (1981年)
  • 『アトランティック・イヤーズ』 - The Atlantic Years 1973–1980 (1983年)
  • 『ストリート・ライフ (20グレート・ヒッツ)』 - Street Life: 20 Great Hits (1986年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • 『ジ・アルティメイト・コレクション』 - The Ultimate Collection (1988年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • The Early Years (1989年)
  • The Later Years (1989年)
  • 『ロキシー・ミュージック BOX 1972 - 1982』 - Thrill Of It All 72-82 (1997年)
  • 『ザ・ベスト・オブ・ブライアン・フェリー・アンド・ロキシー・ミュージック』 - More than This (1995年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • 『TOKYO JOE-ザ・ベスト・オブ・ブライアン・フェリー / ロキシー・ミュージック』 - Tokyo Joe - The Best Of Bryan Ferry & Roxy Music (1997年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • 『ザ・グレイテスト』 - The Greatest (1998年)
  • 『ベスト・オブ・ロキシー・ミュージック』 - The Best of Roxy Music (2001年)
  • The Platinum Collection (2004年) ※ブライアン・フェリーのソロ曲も収録
  • 『コンプリート・スタジオ・レコーディングス 1972-1982』 - The Complete Studio Recordings 1972–1982 (2012年)

シングル

  • 「ヴァージニア・プレイン」 - "Virginia Plain" / "The Numberer" (1972年 第5期 ベース:リック・ケントン) ※日本盤は「パジャマラマ」とのカップリング
  • "Pyjamarama" / "The Pride And The Pain" (1973年 第5期 ベース:ジョン・ポーター)
  • 「ロキシー・ストランド」 - "Do The Strand" / "Editions Of You" (1973年 第6期)
  • 「ストリート・ライフ」 - "Street Life" / "Hula Kula" (1973年 第6期)
  • 「オール・アイ・ウォント」 - "All I Want Is You" / "Your Application's Failed" (1974年 第6期)
  • 「恋はドラッグ」 - "Love Is The Drug" / "Sultanesque" (1975年 第6期)
  • 「ボス・エンズ・バーニング」 - "Both Ends Burning" / "For Your Pleasure (Live)" (1975年 第6期)
  • "Trash" / "Trash 2" (1979年 第7期)
  • 「ダンス・アウェイ」 - "Dance Away" / "Cry Cry Cry" (1979年 第7期)
  • 「エンジェル・アイズ」 - "Angel Eyes" / "My Little Girl" (1980年 第7期)
  • 「オーヴァー・ユー」 - "Over You" / "Manifesto" (1979年 第8期-1(A面)、第7期(B面))
  • 「オー・イエ」 - "Oh Yeah (On The Radio)" / "South Downs" (1980年 第8期-1)
  • 「セイム・オールド・シーン」 - "The Same Old Scene" / "Lover" (1980年 第8期-1)
  • ジェラス・ガイ」 - "Jealous Guy" / "To Turn You On" (1981年 第8期-1 ベース:ゲイリー・ティブス(A面)、第8期-2(B面))
  • 「夜に抱かれて」 - "More Than This" / "India" (1982年 第8期-2)
  • 「アヴァロン」 - "Avalon" / "Always Unknowing" (1982年 第8期-2)
  • "Take A Chance With Me" / "The Main Thing" (1982年 第8期-2)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 当時は単に『イーノ』(”Eno”)。
  2. ^ プロデューサーは前年の暮れにキング・クリムゾンを去ったピート・シンフィールドが務めた[10]
  3. ^ この分類は、50年後の現在でも採用されている。
  4. ^ 翌1973年のNME誌の「Most Promising New British Name」部門でロキシーは1位、「Best UK single」で「バージニア・プレイン」が2位、「Best UK Male singer」部門ではフェリーが17位にランク。初期のロキシーは美術学校関係者が複数いて、楽器の演奏能力は不十分だったが、音楽的センスは優れていた
  5. ^ フェリー自身はこのアルバムが最も気に入っている[11]
  6. ^ 1stアルバムの録音の段階で脱退していたという説もある。「バージニア・プレイン」のベースはリック・ケントンが担当した。
  7. ^ この後、ロキシーは解散までレギュラーのベーシストを加入させておらず、ジョン・ガスタフソン(1973年-1975年)、ジョン・ウェットン(1975年頃)、リック・ウィルス(1975年ツアー)、サル・メイダ(1975年ツアー)、ゲイリー・ティッブス(1978年-1980年)、アラン・スペナー(1979年-1983年)、ニール・ジェイソン(1980年-1983年)らが客演した。
  8. ^ 1990年ミック・ジャガーと結婚したが、後年離婚した。
  9. ^ 1976年1月27日のストックホルム公演をSR International – Radio Swedenが収録して放映した約45分の番組が、同年12月30日にNHK総合テレビの『ヤング・ミュージック・ショー』で放映された。リック・ウィルスがベース・ギター担当。曲目はThe Thrill Of It All, Mother Of Pearl, Nightingale, Out Of The Blue, Street Life, Diamond Head, Wild Weekend, The 'In' Crowd, Virginia Plain, A Hard Rain's A-Gonna Fall[13]
  10. ^ 1977年6月5日と9日中野サンプラザ、6月6日大阪厚生年金会館。メンバーはフェリー(Vo, Key, Harmonica)、マンザネラ(G)、トンプソン(Dr)、クリス・スペディング(G)、ジョン・ウェットン(B, Vo)、アン・オデール(Key, Vo)、メル・コリンズ(Sax)、マーチン・ドローヴァー(Trumpet)、クリス・マーサー(Sax)。また6月9日には、中野サンプラザ公演に加えて、渋谷のNHK放送センターの101スタジオで総合テレビの『ヤング・ミュージック・ショー』の公開録画を行い Let's Stick Together、 Shame Shame Shame, In Your Mind, Casanova, Love Me Madly Again, Love Is The Drug, Tokyo Joe, This Is Tomorrow, A Hard Rain's A-Gonna Fall, The Price Of Loveの10曲を演奏。放送日は同年9月10日。
  11. ^ 解散後に、『アヴァロン』発表後のツアーの発掘ライブ盤『ハート・スティル・ビーティング(ライヴ・イン・フランス1982)』が発表された。

出典

  1. ^ a b c d e Erlewine, Stephen Thomas. “Roxy Music Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. RhythmOne. 2022年7月24日閲覧。
  2. ^ Ray, Michael, ed (2012). Disco, punk, new wave, heavy metal, and more: Music in the 1970s and 1980s. Rosen Education Service. p. 107. ISBN (978-1615309085) 
  3. ^ Boyd, Brian (2014年5月23日). “And on the seventh day, Eno released a not-very-good album. Hallelujah!”. 2022年7月24日閲覧。
  4. ^ Lester, Paul (2015年6月11日). “Franz and Sparks: this town is big enough for both of us”. The Guardian (Guardian News & Media). https://www.theguardian.com/music/2015/jun/11/franz-and-sparks-this-town-is-big-enough-for-both-of-us 2022年7月24日閲覧。 
  5. ^ Reynolds, Simon (2012年9月2日). “Roxy Music: the band that broke the sound barrier”. The Guardian (Guardian News & Media). https://www.theguardian.com/music/2012/sep/02/roxy-music-40-years 2022年7月24日閲覧。 
  6. ^ DiBlasi, Loren (2018年5月25日). “Let These Vintage Roxy Music Tracks From This Day in 1983 Start Your Long Weekend”. Paste. Paste Media Group. 2022年7月24日閲覧。
  7. ^ LaMoury, Adrian (2018年2月23日). “Roxy Music’s For Your Pleasure”. Felix Online. Imperial College Union. 2022年7月24日閲覧。
  8. ^ a b 和久井光司「新しい時代を告げたロキシーの「リ・メイク/リ・モデル」」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p35中段)より。
  9. ^ http://ultimateclassicrock.com/king-crimson-in-the-wake-of-poseidon/
  10. ^ ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p27上段)より。
  11. ^ a b 池田聡子「ブライアン・フェリー(インタビュー)」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p32下段)より。
  12. ^ 「ロキシー・ミュージック & ブライアン・フェリー・アルバム・ガイド」『ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p9上段)より。
  13. ^ “ヤング・ミュージック・ショー ―ロキシー・ミュージック&フリートウッド・マック― | NHKクロニクル | NHKアーカイブス”. 日本放送協会. 2022年7月24日閲覧。
  14. ^ ストレンジ・デイズ』(2007年11月号、p29上段)より。
  15. ^ Roxy Music World Tour 2001』より。
  16. ^ フジロックフェスティバル '10【ラインナップ】」より。
  17. ^ ROXY MUSIC 公式サイト > TOUR DATES
  18. ^ “Bryan Ferry and Roxy Music Tour Dates – Live Concerts and Gigs”. Roxyrama.com. 2011年7月20日閲覧。
  19. ^ “ロキシー、ゾンビーズ、ジャネット、ロックの殿堂入りに喜びのコメント”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2018年12月14日). 2019年2月2日閲覧。
  20. ^ “ロキシー・ミュージック、11年ぶりのリユニオン・ツアー発表”. MUSIC LIFE CLUB. シンコーミュージック・エンタテインメント (2022年4月4日). 2022年7月24日閲覧。

参考文献

ウェブサイト

出版物

  • 「特集 ロキシー・ミュージック」『ストレンジ・デイズ』No.98  2007年11月号、(ストレンジ・デイズ)、p7 - p41。 
  • Bracewell, Michael (April 2008), Re-make/Re-model: Becoming Roxy Music, USA: Da Capo Press, ISBN (978-0306814006) 
  • 城山隆『僕らの「ヤング・ミュージック・ショー」』情報センター出版局、2005年。ISBN (978-4795843622)。 

外部リンク

  • ロキシー・ミュージック - ユニバーサルミュージック・ジャパン
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