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般若心経

般若波羅蜜多心経』(はんにゃはらみったしんぎょう、: Prajñā-pāramitā-hṛdayaプラジュニャーパーラミター・フリダヤ)は 空の理法をさとることが根本思想とされる大乗仏教の教理が、短いこの一巻の中にすべて納まっているといわれてきたである。空の理法とは追究すれば限りがなく、『大般若経』六百巻のような大部の経が成立したが、この短い『般若心経』一巻にすべて納まる大乗仏教の精髄を示すものとして重要視され、常に読誦されてきた[1]。 仏教の全経典の中でも最も短いもののひとつで、日本では「色即是空・空即是色」の名句で親しまれ、古くは聖武天皇の時代から現代まで、複数の宗派における 読誦経典の一つとして広く用いられている[2]

般若心経

呼称

日本で広く流布している玄奘三蔵訳の正式な経題名は『般若波羅蜜多心経[3]であるが、一般的には『般若心経』と略称で呼ばれている。これをさらに省略して『心経』(しんぎょう)と呼ぶ場合もある。なお、漢訳の題名には「経」が付されているが、サンスクリット典籍の題名は「Prajñā(般若)-pāramitā(波羅蜜多)-hṛdaya(心)」であり、「経」に相当する「sūtra(スートラ)」の字句はない。

日本の仏教の宗派によっては、単に「般若心経」「般若波羅蜜多心経」と呼ぶのではなく、冒頭に「仏説」(仏(釈迦)の説いた教え)や「摩訶」(偉大な)の接頭辞をつけて、『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)や『摩訶般若波羅蜜多心経』(まかはんにゃはらみったしんぎょう)と表記することもある。なお、現存する最古の漢訳文とされる弘福寺(長安)の『集王聖教序碑』に彫られたものにおいては、冒頭(経題部分)は『般若波羅蜜多心経』と記載されているが、末尾(結びに再度題名を記す部分)では『般若多心経』(はんにゃたしんぎょう)と略されている[4]

概要

名称については前項のように説明されてきたが、大乗仏教においては、さとりに至るための徳行を6つ挙げて、6つの波羅蜜(波羅蜜多)=六波羅蜜と呼ぶが、このうち「般若波羅蜜」(智慧の波羅蜜)が最も重要とされている。そのため、「般若波羅蜜多心経」との題名は、「六波羅蜜の中で、最も重要な『智慧の波羅蜜』について説く教えの心髄と説明されてきた。 般若心経は大品系般若経を含む一大叢書大般若経の要約であり、題名の「心」も膨大な般若経の核心を集めたものという意味であるとか、般若心経も思想を主題とする般若経典の一篇である以上、その核心部は「色即是空・空即是色」等を説く散文部にあるという説が古くから常識とされてきた。この立場は、現代でも廃ったわけではなく、立川武蔵は2001年の著作『般若心経の新しい読み方』でこの伝統的な空思想でのみ捉える従来の視点を依然として遵守している[5][6]

一方、真言の威力と功徳を説くことが般若心経の核心であるという主張もある。空性を短い文章で説きながら、末尾に真言(マントラMantra)[7]を説いて終わるという構成になっているが、これを散文部分への付記と見るのではなく、空観を説く前半部分は後半部分への伏線、前提になっていると見なすべきであるということである。

佐保田鶴治はインド哲学・マントラ実践者としての体験から自説を展開しており[8]福井文雅は、般若心経の核心部は心呪の効能を説く後半部と真言自体であるとし[9]、般若心経ほどの短い経文の中に空観を前提として般若波羅蜜多(咒)の功徳を併せ説き、それを唱えれば「能く一切の苦を除く」と強調している経典は他に無く、それを般若心経が後世にまで人々を引きつけた理由だと主張している[10]。また 宮坂宥洪も般若心経は心の在りようを説いたものではなく具体的なマントラ実践の教説であると論を展開している[11]

末尾の真言(マントラ、漢訳は、サンスクリットの原語を音写)については、その位置づけや意味について、仏教学者渡辺照宏説、中村元説、宮坂宥洪説など、様々な解釈が示されてきたが、竹中智泰は、『般若心経』の陀羅尼に関する文献学的解釈は下記の4つにつきるのではないかと述べている[12]

  1. 「ガテー(gate)」を女性名詞「ガター(gatā)」の単数・呼格と理解し、「ボーディ(bodhi)」もそれと同格に単数・呼格とする解釈。中村元紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』1960年 岩波文庫 (ISBN 978-4003330319) p.36-37 。
  2. 「ガテー」を「ガム」の過去分詞「ガタ」の男性・単数・処格に理解し、「ボーディ」を単数・主格とする解釈。中村元・紀野一義訳 註『般若心経・金剛般若経』p.37 。
  3. 「ガテー」を「ガム」の過去分詞「ガタ」の男性・単数・主格に理解し、「ボーディ」を対格とする解釈。渡辺照宏『般若心経真言の正解(下)』中外日報1975年12月3日、神崎照恵『般若心経講話』1971年 成田山新勝寺p.167
  4. 「ガテー」を「道」を意味する女性名詞「ガティ(gati)」の単数・呼格と理解し、「ボーディ」を1と同じく俗語形に基づく女性・単数・呼格とする解釈。田久保周誉『般若心経解説』1973年 山喜房仏書林 p51,p90-91

近代の研究者により種々の試解が公表されてきたが始源的な意味の解明には程遠いと見られている[13]

沿革

 
 
最古の梵字写本『梵本心経および尊勝陀羅尼』(法隆寺貝葉心経) 第一葉(上)から第二葉(下)の1行目までに般若心経が書写されている。
 
『梵本心経および尊勝陀羅尼』の書き起こし

サンスクリット写本

現存する最古のサンスクリット本(梵本)は東京国立博物館所蔵(法隆寺献納宝物)の貝葉本(東京国立博物館によれば後グプタ時代・7~8世紀の写本[14])であり、これを法隆寺本(もしくは法隆寺貝葉心経)と称する。(右図)漢訳よりも古い時代の写本は発見されていない。オーストリアのインド学者、ゲオルク・ビューラー(1837-1898) は、「伝承では577年に没したヤシという僧侶の所持した写本で609年請来とする。またインド人の書写による6世紀初半以前のものである」と鑑定していた[15]。古いもののため損傷による不明箇所が多く、江戸時代の浄厳以来、学界でも多数の判読案が提出されている。この他、日本には東寺所蔵の澄仁本[注 1]などの複数の梵本があり、敦煌文書の中にも梵本般若心経が存在している。[16]またチベットネパール等に伝わる写本もあるが、それらはかなり後世のものである。[17]

漢訳

 
玄奘三蔵訳。ふりがなは宗派によって若干の違いがある。

一般的には、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明咒經』が現存中最古の漢訳とされていた[18]。最古の経典目録(経録東晋釈道安撰『綜理衆経目録』(の僧祐撰『出三蔵記集』にほぼ収む)には、『摩訶般若波羅蜜神咒一巻』及び『般若波羅蜜神咒一巻 異本』とあり、経としての般若心経成立以前から、呪文による儀礼が先に成立していたという説もある。これらは、後世の文献では前者は3世紀中央アジア出身の支謙、後者は鳩摩羅什の訳とされているが、『綜理衆経目録』には訳者不明(失訳)とされており、この二人に帰することは信憑性にとぼしい。前者は現存せず、後者は大蔵経収録の羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明咒經』ともされているが、鳩摩羅什の訳経開始が402年であるため、釈道安の没年385年には未訳出である。またそのテキストの主要部は宋・元・明版大蔵経の鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』のテキストと一致するが、宋版大蔵経の刊行は12世紀後半であるため、このテキストが鳩摩羅什訳であるということも疑われている[19]

西域から645年正月に帰国した玄奘もまた『般若心経』を 終南山翠微宮で649年に翻訳したとされている[20]。 しかし古来テキストの主要部分の一部が玄奘訳『大般若波羅蜜多経』の該当部分ではなく、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経)からの抽出文そのものであるため、玄奘訳『般若心経』の成立に関し様々な説が出されている[21]。 また、古くから著名な玄奘訳のテキストとされるものは、672年に建てられた弘福寺(興福寺)の集王聖教序碑中の『(雁塔聖教序)』の後に付加されているテキストである。赤木隆幸[22]は、玄奘訳『般若心経』は『集王聖教序』の石碑に付刻されたことにより、玄奘の訳出経典を象徴するものとして位置づけられた等と述べている [23]

般若心経偽経説

1992年アメリカのジャン・ナティエ(Jan Nattier、当時インディアナ大学准教授)により、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』などに基づき、玄奘が『般若心経』をまとめ、それを更にサンスクリット訳したという偽経説が提起された[24]。この説は話題になり、1995年に工藤順之によって紹介され[25]、またキリスト教の牧師である大和昌平によって1996年に紹介されている[26]。 これに対し福井文雅[27]、原田和宗[28]らにより詳細な反論がなされている。

論文の日本語訳が工藤順之・吹田隆道により発表されたのは2006年になってからである[29]

その後、石井公成はナティエ論文の影響が継続していることに対し、異なった面から批判を発表した[30]

2016年に最古の玄奘訳の版とされる661年に刻まれた石経が北京で発見されたという報道があった。[31]。記事によれば「玄奘は漢文の心経を翻訳したか」という世界の学術界で長年に渡り議論されてきた問題[注 2]に、新たな参考情報をもたらしたとのことである[注 3]

代表的なテキスト

現在までに漢訳、サンスクリットともに大本、小本の2系統のテキストが残存している。大本は小本の前後に序と結びの部分を加筆したもの[32]ともいわれている。現在最も流布しているのは玄奘三蔵訳とされる小本系の漢訳であり、『般若心経』といえばこれを指すことが多い。

以下は、代表的な流布テキストである。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩深般若波羅蜜多時照見五蘊度一切苦厄舎利子不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法眼界乃至無意識界無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切[注 4]顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経

注:原文テキストは”小林正盛[注 5] 編『真言宗聖典』, 森江書店, 大正15, p.114”。旧字体を新字体に改める。呪と咒の表記揺れはすべて呪に統一した。また、適宜、句読点を修正した。

なお、羅什訳・玄奘訳とも、「般若波羅蜜(多)」「阿耨多羅三藐三菩提」「菩薩(菩提薩埵)」及び最後の「(しゅ)」の部分だけは漢訳せず、サンスクリットをそのまま音写している。

また、玄奘訳とされるテキストには版本によって、例えば下記の箇所のように、字句の異同が十数箇所存在する。

  • 空即是色受想行識亦復如是(大正蔵
  • 空即是色受想行識亦復如是(法隆寺本等法相宗系)


日本における般若心経

各宗派

日本では仏教各派、特に法相宗天台宗真言宗禅宗が般若心経を使用し、その宗派独特の解釈を行っている。

  • 法相宗は玄奘からの正統宗派であるが、『般若波羅蜜多心経幽賛』にある「経日、照見五蘊等皆空」[33]の伝統を引いて今日でも「照見五蘊等皆空」に作る版を毎朝読誦している[34]
  • 真言宗では、読誦・観誦の対象としている。日用経典(日々の勤行等通常行事用の経典)であり重要な法会でも用いる(空海の般若心経秘鍵を参照)。繰り返し読誦する場合は、一巻目は、冒頭の「仏説」から読み始めるが、二巻目以降の読誦では「仏説」を読まず、「摩訶」から読む慣わしとなっている。開祖空海が般若心経を重視したことで、注釈・解釈を著す僧侶・仏教学者が多く、昭和では高神覚昇(1894 - 1948)『般若心経講義』(角川文庫で再刊)、平成の現在では宮坂宥洪『真釈般若心経』、加藤精一『空海「般若心経秘鍵」』(各角川ソフィア文庫)松長有慶『空海 般若心経の秘密を読み解く』(春秋社)などの著作が版を重ねている。高神の解釈書は、戦前にNHKラジオ放送で行われ、経典解釈として非常に評価が高く多数重版し、異なる宗派の僧侶や仏教学者からも評価されている。
  • 天台宗では、最澄作とされる般若心経の注釈がある。また中国天台宗の明曠作とされる注釈書も存在する。
  • 浄土宗も、根本経典は浄土真宗と同様に『浄土三部経』だが、祈願の時と食作法(食事の時の作法)にのみ唱える。
  • 時宗では、神社参拝及び本山での朝の勤行後に、熊野大社の御霊を祀る神棚に向かい三唱することが必須となっている。日用に用いる場合もある。
  • 臨済宗では、日用経典の一つ。名僧で名高い一休宗純盤珪白隠が解釈を行っている。般若心経とは自分の心の本来の姿を現した経典であるという説が強い。
  • 曹洞宗では、日用経典の一つ。開祖道元正法眼蔵の中で解釈し、かつて異端の僧とされた天桂伝尊(1648 - 1736年)の「観自在菩薩とは汝自身である」という解釈が著名である。また良寛種田山頭火など般若心経の実践に取り組んだ僧侶も多い。良寛は般若心経の大量の写経を残しており、種田は般若心経を俳句に読み込んでいる。
  • 修験道では、修験者(山伏などの行者)が「行」を行う際に唱える。
  • 神道でも唱えるところがある。神社(神前)で読誦の際は、冒頭の「仏説」を読まずに、「摩訶」から読む。また、前もって「般若心経は仏教の全経典の中から選りすぐられた経典であり、それを謹んで捧げます」というような内容の「心経奉讃文(しんぎょうほうさんもん)」を読み上げる場合もある。
  • 一方で浄土真宗は『浄土三部経』を、日蓮宗法華宗は『法華経(妙法蓮華経)』を根本経典とするため、般若心経を唱えない。これは該当宗派の教義上、所依経典以外は用いる必要がなく、唱えることも推奨されない。しかし教養的な観点から学ぶことは問題視されておらず、例えば浄土真宗西本願寺門主であった大谷光瑞は、般若心経の講話録を出版している[35]

関連書籍

  • 高神覚昇『仏教聖典般若心経講義』1934年 第一書房。1952年 角川文庫、2000年角川ソフィア文庫、2006年『般若心経講義』:新字新仮名 - 青空文庫
  • 中村元紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』1960年岩波文庫 (ISBN 978-4003330319)
  • 金岡秀友 『般若心経』 講談社文庫、1973年 講談社学術文庫 2001年 (ISBN 978-4-06-159479-1)
  • 福井文雅 『般若心経の歴史的研究』1987年 春秋社 (ISBN 4-393-11128-1)
  • 福井文雅 『般若心経の総合的研究:歴史・社会・資料』2000年 春秋社ISBN 4-393-11204-0
  • 福井文雅 『ヨーロッパの東方学と般若心経研究の歴史』 2008年 五曜書房 (ISBN 978-4-89619-744-0)
  • 立川武蔵 『般若心経の新しい読み方』2001年 春秋社 (ISBN 4393135032)
  • 涌井和 『般若心経を梵語原典で読んでみる -サンスクリット入門-』2002年 明日香出版社 (ISBN 4-7569-0618-4)
  • 山中元 『サンスクリット文法入門 -般若心経、観音経、真言を梵字で読む-』2004年 国際語学社 (ISBN 4-87731-217-X)
  • 宮坂宥洪 『真釈般若心経』 角川ソフィア文庫 2004年 (ISBN 978-4043760015)
  • 原田和宗 『「般若心経」の成立史論 大乗仏教と密教の交差路』2010年 大蔵出版 (ISBN 9784804305776)
  • 割田剛雄『般若心経』 2011年 パイインターナショナル (ISBN 978-4756240859)、わかりやすい経文の自在訳。
  • 佐々木閑『NHK「100分de名著」ブックス 般若心経』 2014年 NHK出版 ISBN 978-
  • 賀銘・続小玉、王夢楠(編)、2017、「早期<心経>的版本」、房山石経博物館(編)、房山石経與雲居寺文化研究中心『石経研究 第一輯』1、北京燕山出版所(中国語) ISBN (9787540243944) pp. 12-28

日本の現代社会における受容

般若心経は、サブカルチャーも含めた現代文化でもモチーフとしてよく使われる。

 
般若心経をプリントしたTシャツ
  • 1970年代のSF漫画『ザ・ムーン』では、少年たちが般若心経をとなえることで巨大ロボットを動かした。
  • 漫画家の桑田二郎は、少年漫画から転向、多くの般若心経に関する本を著した。
  • 2002年放送開始のテレビ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』のトリビアNo.258「カラオケボックスで『般若心経』が歌える」で、タイトー通信カラオケ機器に入っている「般若心経」のカラオケビデオにあわせて、曹洞宗桃源院の僧侶6名が読誦するビデオが放送された。
  • 2006年10月27日放送の『タモリ倶楽部』にて、みうらじゅんが提唱する『アウトドア般若心経』完読会を実施。みうらは『般若心経』278文字を、家を出て(これを「出家」と称す)、経文の文字のある市街の看板等の文字を写真に撮り(これを「写経」と称す)、経文の完成を目指すことを『アウトドア般若心経』と定義した。2007年10月には書籍化もされた。
  • 2010年9月には、J-POP風の伴奏を付けボーカロイド初音ミクに読誦させた動画『般若心経ポップ』がニコニコ動画に投稿され[36]、約2日で10万再生、約2週間後には60万再生に達し人気を博した[37]。その後、派生動画として伴奏がバラード風のものなどが投稿され、それらを集約したコンピレーション・アルバムも発売された。また派生動画のひとつ『般若心経ロック』には、視聴者のコメントと言う形で般若心経の現代日本語訳が投稿されている[38]
  • 2010年10月、松島龍戒が般若心経とシンセサイザー演奏をクロスオーバーさせた楽曲をYouTube に投稿。2013年1月には般若心経などのお経を音楽でアレンジしたCDを発表。
  • 2017年、 群馬県太田市の郷土料理店「新田乃庄」の般若心経を書いた「ほうとう」が「食べる般若心経」として話題に[39]
  • 2018年、キッサコ(薬師寺寛邦の僧侶ボーカルプロジェクト)がアルバム「般若心経」をリリース。
  • 2019年の米国の映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」の楽曲Ghidorah Theme (キングギドラのテーマ。Bear McCreary・作)で、般若心経の読誦の音源を断片化し、再編集して使用。
  • 2019年5月、椎名林檎がアルバム『三毒史』に収録の「鶏と蛇と豚」の冒頭で般若心経の読経を使用。
  • 2020年、禅僧・赤坂陽月がYouTubeに「般若心経ビートボックスRemix」を投稿。
  • タトゥーとして般若心経を自分の体に彫り込む人もいる(ロックミュージシャンの雅-MIYAVI-など)。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 最澄円仁が唐から持ち帰ったものとされるが原本は残存しない。
  2. ^ ナティエ論文への言及かは定かでない。
  3. ^ 新規に石経が発見されたということではなく、以前から保管されていた石経を鑑定した結果らしいが、後報、詳報は未見である。
  4. ^ 大蔵経所収の玄奘譯 般若波羅蜜多心經には『一切』の二字がない。(T0251_.08.0848c04 - c23)
  5. ^ こばやし しょうせい (1876 - 1937年)茨城県古川市出身。明治~昭和前期の真言宗僧侶。

出典

  1. ^ 中村元紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』1960年岩波文庫 (ISBN 978-4003330319) 、p.162 『般若心経』解題
  2. ^ 渡辺章悟六国史に見る般若心経の受容と展開』東洋思想文化 2 21 – 36 2015-03pdf、p.23 。
  3. ^ 大正新脩大蔵経データベース(T0251_.08.0848c04 - c23)
  4. ^ 唐代の 7 世紀後半頃から広く用いられた名称。荒見泰史(1965年 東京生、広島大学大学院教授) 『心経』と「心」「経」 アジア社会文化研究 19号 p.1-18 2018-03-31 pdf
  5. ^ 原田和宗「梵文『小本・般若心経』和訳」 密教文化 2002 (209), L17-L62 pdf L18-L18
  6. ^ 原田は、この解釈は「法相宗『般若波羅蜜多心経幽賛』に端を発し、華厳宗澄観の手で定着化されたようだ」と見ている。同L61 。
  7. ^ この真言は『般若大心陀羅尼』と同じ真言である。(大正新脩大藏經 佛説陀羅尼集經卷第三 大唐天竺三藏阿地瞿多譯 般若波羅蜜多大心經(印有十三呪有九) 般若大心陀羅尼第十六 ( T0901_.18.0807b19 - 21 )。この経は654年訳出となっているが、玄奘の心経訳出(649年)より後である。
  8. ^ 『般若心経の真実』1982年 人文書院 (ISBN 978-4409410073)
  9. ^ 福井文雅 『般若心経の核心』早稲田大学東洋哲学会『東洋の思想と宗教』pdf 4号 1987年 PP.20-28 p.24 – 25
  10. ^ 同、p.28上段。
  11. ^ 『般若心経の新世界:インド仏教実践論の基調』1994年 人文書院(ISBN 978-4409410578) 、この基調は2004年出版の一般向け書籍『真釈般若心経』ISBN 978-4043760015にも一貫している。
  12. ^ 竹中智泰(たけなかちたい、1945年生)『般若心経の陀羅尼』「臨済宗の陪羅尼」1982年 東方出版 所収 p.137-146、(初出 1977年7月「臨済会報」108号)p.143-146
  13. ^ 阿理生(ほとりりしょう)『Prajñāpāramitāhṛdaya(『般若心経』)の問題点』印度學佛教學研究 56 (2), 875-870, 2008 pdf p.873-874 。自身は「このマントラを純粋なサンスクリットとして解読を試みる方法には結果的に賛成できない。ヴェーダというマントラの集成も作成当時は聞いてわかる民衆語であったであろう。民衆の祈りと重なっている『心経』のマントラもプラークリットに由来すると見る方が自然である。」と述べている。ちなみに同論文では、「ガテー」の解釈を6通り挙げている。
  14. ^ 梵本心経および尊勝陀羅尼 - 梵本心経および尊勝陀羅尼 e国宝
  15. ^ 金岡秀友『般若心経』p.138
  16. ^ 金岡秀友『般若心経』p.141-147
  17. ^ 金岡秀友『般若心経』 p.151-152 p.155-156
  18. ^ 金岡秀友『般若心経』p.158
  19. ^ 渡辺章悟『経録からみた『摩訶般若波羅蜜神呪経』と『摩訶般若波羅蜜大明呪経』』印度學佛教學研究 39 (1), 54-58, 1990 pdf
  20. ^ 開元釈教録 卷第八に「般若波羅蜜多心經一卷見内典録第二出與摩訶般若大明呪經等同本貞觀二十三年五月二十四日於終南山翠微宮譯沙門知仁筆受」とある。(T2154_.55.0555c03-04)
  21. ^ 原田和宗「梵文『小本・般若心経』和訳」L17-L18
  22. ^ あかぎたかゆき 1970年生 日本高麗浪漫学会理事
  23. ^ 『玄奘訳「般若心経」の伝来と流布』史觀 172 1-21, 2015 pdf p.7上段
  24. ^ "The Heart Sutra: A Chinese Apocryphal Text?", Journal of the International Association of Buddhist Studies, vol. 15, no. 2 (1992),153-223
  25. ^ 工藤は、ナティエの論旨に与するものではないとは述べているが、福井文雅がこの年7月に実施された仏教思想学会10周年記念全国大会で反論を発表した(産経新聞平成6年7月6日)ことに対し、(福井が)一方的に荒唐無稽な妄説として無視するのは公平な態度とは思えないとして骨子の紹介をしている。「『般若心経』研究の新展開」『東方雑華』第7集,1995, pp. 20–40 pdf p.6【資料紹介】]
  26. ^ 大和昌平「『般若心経』偽典説」共立研究 VOLⅡ No.1 pdf p.6
  27. ^ 福井文雅『般若心経の研究史―現今の問題点』仏教学 36号 1994年12月 p.81、
  28. ^ 原田和宗(はらだわそう)「梵文『小本・般若心経』和訳]」『密教文化』2002巻 209号 p.L17-L62, doi:10.11168/jeb1947.2002.209_L17
  29. ^ 工藤順之・吹田隆道訳 「」『財団法人三康文化研究所年報』第37号、2006年/o。
  30. ^ 石井公成「『般若心経』をめぐる諸問題 -ジャン・ナティエ氏の玄奘創作説を疑う-」『印度學佛教學研究』 2015年 64巻 1号 p.499-492 doi:10.4259/ibk.64.1_499
  31. ^ 「房山石経『心経』、現存する最古の版に」「中国網日本語版(チャイナネット)」2016年9月26日
  32. ^ 金岡1973 p.149
  33. ^ T33-535b
  34. ^ 石井公正『『般若心経』をめぐる諸問題』p.495
  35. ^ 『大谷光瑞猊下述 般若波羅密多心經講話』 1922年 大乗社 影印 。
  36. ^ http://www.nicovideo.jp/watch/sm11982230
  37. ^ - ウェイバックマシン(2010年10月6日アーカイブ分)
  38. ^ http://otakei.otakuma.net/archives/2014021803.html
  39. ^ 「食べる般若心経!? 群馬「新田乃庄」のほうとうが謎すぎてネット騒然! 2017年11月28日 更新」2021年1月4日閲覧

関連項目

外部リンク

  • 「般若心経『現代語訳』」、「『阿含経』で生きる人、『般若心経』で生きる人」 - 般若心経に関する仏教学者の解説動画
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