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J-POP

J-POP(ジェイ-ポップ、: Japanese Popの略で、和製英語である)は、日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉であり、1989年頃にその語と概念が誕生した後、1993年頃から青年歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識されるようになった。つまりJ-POP以前と以後の違いは、BPMの速さや洋楽の影響を受けたメロディコード進行リズムにある。特に、昭和歌謡の時代の邦楽と比較して、歌詞の構造が解体された代わりにグルーヴが洗練された作品は増加した。なお、一般的な音楽ジャンルとは異なり、先に「J-POP」という言葉を定義し、それに既存の楽曲を当てはめる所から入っていったもので、発生した音楽ジャンルではない。

J-POP
様式的起源
文化的起源 1980年代 - 1990年代初頭
日本
サブジャンル
融合ジャンル
地域的なスタイル
関連項目
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歴史

前史

歌謡曲、演歌、和製ポップス、フォークソング、グループ・サウンズ時代

1960年代、1970年代は歌謡曲演歌和製ポップスフォークソンググループ・サウンズ(GS)といった音楽ジャンルが日本国内のポップス音楽の主流であった。また1970年代にははっぴいえんどサディスティック・ミカ・バンド等のバンドも活動し日本のロック音楽も流行り始める。1980年代・1990年代初頭は昭和のフォークソングや浜田省吾長渕剛などのフォークロックがヒットしていた。

アイドル歌謡曲、歌謡ロック

1970年代・1980年代には歌謡曲に当時流行していたロック音楽の一種AOR要素が加わったアイドル歌謡曲が大流行する。また、後に歌謡ロックとも呼ばれる1979年クリスタルキング大都会」、1983年安全地帯ワインレッドの心」、1984年アン・ルイス六本木心中」等もヒットする。

ニューミュージック

1970年代・1980年代には歌謡曲や、アイドル歌謡曲やフォークソングに加えニューミュージックと呼ばれる音楽のヒットがあった。1973年井上陽水夢の中へ」、1975年中島みゆき時代」、1978年杏里オリビアを聴きながら」、1979年チューリップ虹とスニーカーの頃」、1979年オフコースさよなら」、1982年あみん待つわ」等である。

1980年代後半には1986年渡辺美里My Revolution」、1987年岡村孝子夢をあきらめないで」、1988年松任谷由実リフレインが叫んでる」等J-POPの源流となるポップスが発表される。

テクノポップ

1978年イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が1stアルバムを発表。詳細はテクノポップ項目を参照。

シティ・ポップ

1980年代には前述のニューミュージックとロック音楽の一種AORにルーツがあるとされる後にシティ・ポップと呼ばれる楽曲群が発表された。

バンドブーム

1980年代には浜田麻里小比類巻かほるレベッカなどのロック歌手が増え、ロック・バンドが次々結成される。

1980年代終盤から1990年代前半にはバンドブームと呼ばれるロックバンドの大流行が起き、後にJ-ROCKデジタルロックビートロックヴィジュアル系等と呼ばれるジャンルを形成しチャートを賑わす事になる。詳細は日本のロック及びバンドブームの記事を参照。

ユーロビートの流行

1980年代後半、ヨーロッパ発のユーロビートの流行があり、その影響は日本にも及んでいた。日本では東京都港区六本木等のディスコのダンス用の曲として流行し、ポップス音楽のアイドルではWink荻野目洋子等がユーロビートのカバー曲や和製ユーロビート曲を発表していた。

躍動感や音の密度を上げるため、BPM130を超える作品も現れた。1980年代末TM NETWORKSelf Control」を筆頭に16ビートの「早口な歌」が現れた。

J-POP誕生

 
1986年に、アルバム『J.BOY』を発表した浜田省吾

1988年10月に開局したばかりの東京FMラジオJ-WAVEが「J-POP」の発祥となった。J-WAVEは「多文化的」「スタイリッシュ」な街・六本木に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった[1]。しかし1988年の年の暮れ[2]、同社常務・斎藤日出夫(2012年より社長)がレコード会社の邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうという企画が発足する。レコード会社側も「洋楽しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたコンピレーション・アルバムを出す」などと言った目論見もあったという[3]

この際に「日本ポップス」をどう呼称するのかが検討され(斎藤日出夫によれば、いつまでも和製○○などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないという点があった[4])、ジャパニーズ・ポップス、ジャパン・ポップス、シティ・ポップス、タウン・ポップスなどが検討されたが、「ジャパニーズ・ポップスにせよ、ジャパン・ポップスにせよ、頭文字Jだ。そしてここは、J-WAVEだ」という意見が出され、Jの文字を用いることとされた。ジャーナリスト烏賀陽弘道によれば、当時1985年に日本専売公社が民営化され日本たばこ産業=JTになった時代であり、1986年に浜田省吾アルバムJ.BOY』を発表、1987年に日本国有鉄道が分割民営化されJRに、日本を表す「J」という文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている[5]。いずれにせよこれが「J-POP」という語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった[6]。関係者の証言により異なるが、1988年末か1989年初頭頃のことである[6][7]

このジャンルは、マスメディア側が先導する形で音楽カテゴリーのひとつとして誕生し、それにふさわしい音楽を売り手側が分類しているという点において、グラムロックパンク・ロックグランジオルタナティヴ・ロックヒップホップなどといった他の音楽ジャンルと異なる、大きな特徴といえる[8]。斎藤日出夫によれば当初の部類は多分に感覚的であり、演歌クラシック音楽はだめ、サザンオールスターズ松任谷由実はOK、アリスCHAGE and ASKAは違う、などとされていたが、明確な根拠などはなかった。しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽、洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたという[9]。そして1989年秋には、J-WAVEで「J-POP・クラシックス」のオンエアが開始される[9]

1990年代

CDとデジタル音楽制作技術の導入

 
1980年代末、デジタル技術の進歩に伴い、実用的な音色を満載し、普及価格帯のPCM音源のトレンドを決定付けたKORG M1

1990年代は邦楽が大変革を遂げた年代である。機材のコモディティ化が進み、PCM音源やサンプラーが安価になったことで、制作者が多彩な音色を扱えるようになった。また、打ち込みが当たり前に使われるようになったことで、音の厚みとBPMが急速に増加し、楽曲の展開も複雑になった。打ち込みの普及は楽曲の量産やボーカルの加工に繋がり、商業音楽の工業生産が可能となった。ソフトロック・テクノ・ハウス・トランス・R&B等、世界的に評価された洋楽の表現手法が大々的に導入され始め、「まるで洋楽のよう」な新時代の邦楽として高く評価されるようになった。従って、機材の進化による音質向上は当然のことながら、邦楽全体としても、洋楽を邦楽に翻訳したような感覚の音楽が主流となり、表現はよりポピュラーになって、コード進行、リズム、テンポ自体もJ-POP化された音楽が次々に登場した。

1982年に登場したコンパクトディスク (CD)およびその再生装置の爆発的な普及により音楽市場が一気に拡大し、CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした。これまでテープの切り貼りなどアナログ的な技術で行っていた編集作業はデジタル技術によるものへと移行し、音楽制作に要する人・時間・予算の大幅な削減を可能にし、またいくらコピーしても劣化がなくなり、やり直しも簡単に行えるようになった[10]。またシンセサイザーミュージックシーケンサーMIDI楽器の普及により、一部については楽器の演奏を行う必要すらなくなった[11]MIDI音源として低価格で高性能な製品が発売され、DTMブームも起きた。

そしてコストダウンと作業の迅速化により、工業製品の如く楽曲の量産が可能となった[12]。この結果レコード会社側も、売れるか売れないかもわからないミュージシャンについて気軽にCDを作成することができるようになったようで[13]、日本レコード協会の『日本のレコード産業』によれば、1991年の1年間で実に510組のバンド・歌手がデビューしている[13][14]。またCDの普及は聞き手側の負担をも削減した。従来、レコードを再生するステレオは良い物で25万円、普及品でも10数万円し、取り扱いも煩雑であったものが、CDプレイヤーはポータブル型であれば1万円を切る価格で購入できたのである[15]。実際に1984年から2004年にかけての20年間で3737万台のCDプレイヤーが出荷されているが、従来のレコードプレイヤーは42年かけて2341万台しか出荷されていない。さらにCDプレイヤーとは別に、「CDラジカセ」が1986年から2004年にかけて、5225万台も生産されている[16]。CDミニコンポは1990年から2004年までに3028万台が出荷[17]。累計すると2004年までに1億1990万台、うち92%にあたる1億1032万台がミニコンポ・CDラジカセ・携帯型と言った安価なものである[18]。ちなみに1985年に発売された最初のCDミニコンポの価格は25万円程度であったが、1987年には10万円を切る価格となっている[17]。1985年春、オーディオメーカー・パイオニア常務は朝日新聞紙上で「この1年間で大型のシステムコンポはほぼ無くなり、10万円程度のミニコンポにとって変わった。需要の95%はミニコンポである」と語っている[19]。音楽再生装置は大衆化を成し、一家に一台から一人一台の時代へ足を踏み入れる[20]。オーディオは高級な趣味ではなくなり大衆化し、十代の若者や女性も音楽業界の顧客となった[21]。その結果女性向けの「ガールズ・ポップ」などといったジャンルも誕生していく[22]

しかし、制作環境のデジタル化に伴いそれまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオ・ミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれた[23]。こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作は確かにミリオンヒットが出現する確率は高まるが、没個性化・質の低下が進み、音楽が消耗品として見られるようになるなど、批判の声もある[24]ソニー・ミュージックエンタテインメント(当時)の坂本通夫は、1991年を音楽業界の転換点として「音楽が作品から商品に移り変わった時」と語っている[25]

またパソコン通信を経てインターネットが普及し、CDに頼らずとも作品を提供する事が可能になっていく。当時は回線速度が低いため在野のミュージシャンによるMIDIが中心であったが、こうして後にインディーズ音楽家が登場する土壌が生まれた。

バブル景気とデステクノ

1986年12月から1991年2月までの51か月間続いたバブル景気により新宿、原宿、六本木、青山などでは空前のディスコブームが起きていた。1984年麻布十番マハラジャが開店。1991年3月から1993年10月にバブル崩壊と呼ばれる急激な信用収縮、不動産相場の急落が起きるが、ディスコブームの流行は冷めやらず、芝浦ジュリアナ東京などではイタロ・ハウスや更に過激に進化したハードコアテクノと呼ばれる激しいダンス・ミュージックが流された。ジョン・ロビンソンの「TOKYO GO!」等が有名である。この頃のダンス音楽流行は日本のポップス市場にも影響し、1993年にデビューしたTRFは1994年から1995年にかけて発売したシングル5作連続でミリオンセラーを記録。しかし、バブル崩壊と警察の取り締まり強化等により急速に熱狂は終息し、六本木ヴェルファーレや渋谷のユーロビートパラパラ流行に移っていく事になる。

カラオケとトレンディドラマ主題歌、CMソングの流行

90年代の日本の音楽史を語る上で重要なキーワードとしてKDDというものがある[26]カラオケ(K)・ドラマ(D)・大幸システム(D・後述)の頭文字を取ったもので、ヒット曲を生み出すための要素とされた。この頃の都会に生きる男女の恋愛やトレンドを描いた現代テレビドラマが「トレンディドラマ」と呼ばれており、1991年、小田和正・「ラブ・ストーリーは突然に」、CHAGE and ASKASAY YES」、1995年DREAMS COME TRUELOVE LOVE LOVE」等がある。

この時期のスキーブームを受けて、1988年にJR東海「ホームタウン・エクスプレス X'mas編(現・クリスマス・エクスプレス)」CMに使用された山下達郎クリスマス・イブ」、1987年公開の映画『私をスキーに連れてって』で使用された松任谷由実恋人がサンタクロース」等と並ぶ冬の定番曲が多く生まれた。JR東日本のスキー旅行キャンペーンJR SKISKICMソングのZOOChoo Choo TRAIN」、アルペンCMソング広瀬香美ロマンスの神様」などである。他にもCMソングで、日本航空夏の沖縄旅行キャンペーンの米米CLUB浪漫飛行」が1990年に大ヒットしている。

不況と応援ソング

バブル崩壊で社会に停滞感が漂うようになると応援ソングが流行していった[27][28]。また、歌詞に「夜」「夢」「心」「今」等のワードが増えた[29]

バブル期のサラリーマンソングであったKAN愛は勝つ」、槇原敬之どんなときも。」、大事MANブラザーズバンドそれが大事」、ZARD負けないで」、岡本真夜TOMORROW」等、ミリオンセラーが次々に誕生。「愛は勝つ」など、1990年代初頭のヒット曲の多くは「カノン進行」「がんばろう系カノン」と呼ばれるコード進行を用いていると指摘される[30]

ビーイングブーム

B'zZARDをデビューさせたビーイングによって高速な打ち込みハードロックの融合[31]が行われるようになった。特に長戸大幸の考え出した広告会社や企業と直接提携し作品を制作するシステムは市場において圧倒的な強さを誇り、1993年には長戸の会社ビーイング所属歌手が売上1位・2位・4位・5位を占めた[注 1]ビーイングブーム)。

ミリオンセラーの続発

そして1992年ごろから「ミリオンセラー」という現象が続発するという事象が発生しはじめる。1991年のミリオンセラーは9作品(シングル・アルバムの合算数。以下同様)、1992年は22作品、1994年にはその数は32作品を記録した[32]。なおミリオンセラーが続出するようになった1992年ごろは大手コンビニ各社が店頭で音楽CDを売り始めた時期であり、音楽評論家の能地祐子は、この頃からレコード店に縁のなかった層がCDを買い始めたことで音楽の変質が始まったと推測している[33]。また、トップ10のアーティストだけで年間売上シェアの4割を占めるなど、先の楽曲の大量生産と相まって一握りの成功者と、その他という図式が出来上がるようになった。

渋谷系

雑誌『ELLE』1993年11月21日号では「ジャパニーズポップ」と呼ばれる言葉でコーネリアスピチカート・ファイヴといった、いわゆる渋谷系と呼ばれるバンドの紹介を行っている[34]

ダンスミュージック、黒人系音楽の流行

 
宇多田ヒカル1998年にデビュー)

1991年ZOOの「Choo Choo TRAIN」がヒットする。ブラック・コンテンポラリーR&Bジャンルが日本にも浸透し始める。TRFの「EZ DO DANCE」、電気グルーヴの「」、安室奈美恵の「TRY ME 〜私を信じて〜」と言ったエレクトロニック・ダンス・ミュージック系統のJ-POPが本格化した。1994年、EAST END×YURIの「DA.YO.NE」など、ヒップホップも本格的に流行しはじめる。詳細は日本のヒップホップを参照。

1991年CHARA「Heaven」、1996年UA情熱」・久保田利伸withナオミ・キャンベルLA・LA・LA LOVE SONG」、1998年MISIAつつみ込むように…」、1999年bird「SOULS」等、和製R&Bと呼ばれる曲調も流行し、1999年3月に、宇多田ヒカルが1stアルバム『First Love』を発売、日本で860万枚以上、日本国外を含めると990万枚以上を出荷、日本のアルバム歴代チャート1位に輝く。

1990年代前半はハードロックやハードコアテクノやユーロダンス、1990年代後半はR&Bやレゲエの流行に移り変わり、その後は趣味嗜好の多様化により画一的な構図では音楽の流行を説明できなくなった。

小室ブームと音楽プロデューサー業

小室哲哉TM NETWORKの活動休止期間であった1992年に音楽プロデューサーとしての活動を本格化する。数々のミリオンセラー、ヒット曲を打ち立て、「小室サウンド」等と呼ばれる流行を創り出した。

小室哲哉のプロデュースを受けた安室奈美恵は、ミリオンヒット作を次々と世に送り出し、1997年に10代の歌手として日本の音楽史上初となるシングル・アルバム総売上2000万枚突破を記録した[35]

1990年代中後半は大不況の中でも音楽業界は好調な売上が持続し、テレビCMやテレビ番組等、テレビを中心としてキャッチーなヒットソングが生まれた。CMソングでは奥田民生プロデュースPUFFYアジアの純真」や、日本テレビウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれた中西圭三小西貴雄作曲によるブラックビスケッツTiming」等である。この頃のJ-POPは香港や台湾などアジア各地でもヒットした。

小室と並んでシンセサイザー等の技術にいち早く注目したつんく♂[36]テレビ東京ASAYAN』発のモーニング娘。をプロデュース。1990年代後半から2000年代初頭を席巻した。

映画主題歌を主に手掛けたプロデューサーでは岩井俊二監督映画『スワロウテイル』(1996年公開)・『リリイ・シュシュのすべて』(2001年公開)のサウンドトラックを担当、自身もMy Little Loverの一員であった小林武史が挙げられる。

J-POPの定着

J-POPという言葉は1990年代から一般の雑誌などでも見かけるようになり、1993年7月には『ザ・テレビジョン』でロックバンド「J★POP」が紹介された[37]オリコンチャートや、TV音楽番組等での人気ランキング発表を「J-POPヒットチャート」等と呼ぶようになり、「J-POP」という単語は、そういった意味の楽曲の人気順位を視覚的に表示したヒットチャートを指す場合にはジャンル名では無く、日本のポップス音楽の流行の傾向を指すようになる。

一般に使用されるようになるまでにはしばらくの歳月を要し、定着したのは1993年から1995年頃とされる(例外的にタワーレコード心斎橋店で、1990年にJ-POPコーナーが設置されている)[38]。雑誌『マルコポーロ』は1994年7月号において「パクりが多い」、「ヒット曲のほとんどが盗作」、という見出しを用い、「洋楽を無節操に真似た音楽」という定義として「Jポップス」という言葉を使用している[34]

1993年は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が始まった年であり、これの存在もJ-POPという語の普及にとって無視できない要素である[39]。「Jリーグ」は同年の「新語・流行語大賞」に選ばれている。Jリーグの開幕もあり、おおよそ1995年までにはJ-POPという言葉は定着したとみられる[34]。1995年春には「J-ROCKマガジン」が創刊され、雑誌と連動したテレビ番組「J-ROCK ARTIST COUNT DOWN 50」が人気となり、マスメディアでポップスロックを区別する形でも使われるようになった。

呼称の定着までに時間がかかった一因としては、「J-POP」という名称がライバル局から生まれたものとして他局が使用に積極的では無かったこともあげられる。一例としてJFN系キー局であるエフエム東京や、その傘下の出版社では1990年代中頃までは極力使わず、本来の「ジャパニーズ・ポップス」の略称である「J-POPS」という名称を多用した。音楽番組「デイブレイク J-POPS」や「アフタヌーン・ブリーズ」のジャパニーズ・ポップス・リフレインなどがそうである。

なお烏賀陽によれば、J-POPは従来あった歌謡曲フォーク・ロック・ニューミュージックなどのジャンル・サブジャンルを全て殺し、それに成り代わってしまったという。すなわちJ-POPの普及後はそれぞれが、烏賀陽の言葉を借りれば、従来のジャンルはJ-POPというマンションに入居し、歌謡曲系J-POP、フォーク系J-POP、ロック系J-POP、などといった構造に再構築され収まっているという[40]

CD売上は右肩上がりを続けて1991年に初の4000億円台を記録すると、1998年の6074億9400万円まで史上最高を更新し続けた[41]。生産量も1991年に3億枚を突破、1993年に4億枚を突破する[42]など成長を続ける中で、個人としても1977年阿久悠作詞家として記録した1172万9000枚の作家別の年間売上記録を、1993年に「負けないで」の作曲などで知られる織田哲郎作曲家として1240万5000枚を記録し16年ぶりに更新した(1976年以後の記録)[43]

なお1998年に日本のレコード(CD)生産金額は過去最高を記録する[44]。1988年に3429億4700万円だった生産金額は、98年には6074億9400万円と、ほぼ倍増している[44]

2000年代

トランスの流行

2000年代前半には、1998年から続いていた日本国内におけるR&Bや2ステップのブームが終焉を迎える。

海外のクラブ・ミュージックではトランスが流行していたが、日本でもその曲調を取り入れた浜崎あゆみが人気となる。2001年初冬、宇多田ヒカルが2ndアルバム『Distance』のリリース予定を3月28日に公表した後に、浜崎あゆみのベスト・アルバム『A BEST』が同じ発売日に設定したことから、テレビのワイドショースポーツ新聞などから「歌姫対決」と煽られる。最終的に双方とも売上400万枚を超えるヒットとなった。

季節ソング、桜ソングの流行

音楽ジャンルの融合が進み、ヒップホップ、三木道三湘南乃風に代表されるジャパニーズレゲエミクスチャー・ロックスカコア青春パンクなども人気となる一方で2000年代は季節を歌う曲もヒットし、特に春、桜の季節には、森山直太朗さくら」、ケツメイシさくら」などがヒットし、「桜ソング」と呼ばれ人気となった。

桜ソングに並行して、歌謡曲、フォークソング時代から引き続き、春夏秋冬、季節を歌詞に織り込んだ曲が人気となった。

ミリオンセラーの減少

2000年代に入るとシングルの売上が減少を始め、2003年3月5日に発売されたSMAP世界に一つだけの花」を最後に日本レコード協会の認定で200万枚を超える売上(出荷)を記録したシングル盤が2012年まで現れなくなった[45][46]。2000年代後半に入るとミリオンセラーのCD自体が減少するようになった(日本レコード協会の認定で2008年と2009年の2年連続、オリコンの集計で2008年から3年連続でミリオンセラー・シングルが存在しない[47][48])。

テクノポップ再興

2000代後半、海外では欧州等でフィルターハウスの流行がありその流れを取り入れた中田ヤスタカによる数々の音楽プロジェクトの成功により、2007年から日本国内で2回目のテクノポップ・ムーブメントが起きたことで、アコースティック感を持たない、極めて抽象的なシンセサイザー音(「ピコピコ」音)が主体の音楽が多数作られるようになって行った。

同時に、PC上のデジタル・オーディオ・ワークステーション(DAW)による打ち込みが主流となり、音楽表現が劇的に高度化・複雑化した。PC上のDAWによる打ち込み主体の音楽に移行した原因としては、顧客の趣味嗜好の細分化によりCD不況とも呼ばれる状況に移行したことで制作費用が掛けられなくなり、スタジオ・ミュージシャンの起用などが難しくなったことも影響している。更に、PCやインターネットへの常時接続環境の普及により、個人が容易に情報発信を行えるようになり、アマチュアが自主的に音楽配信を開始したことで、ネットを中心とした音楽シーンなども形成されるようになって行った。

音楽配信が開始

その一方で、音楽配信(デジタル・ダウンロード)の売上が増加するという事象が発生する。日本レコード協会の発表によると、同協会が集計の公表を開始した2005年から2008年まで有料音楽配信の売上金額は上昇を続け[49]2006年にはシングルCDの生産実績を上回った[50]。ただし、2009年の売上は前年とほぼ横ばいで[51]2010年には前年を割っている[52]。音楽配信による代表的なヒット曲として、青山テルマ feat. SoulJaの「そばにいるね」やGReeeeNの「キセキ」がある。「そばにいるね」は、2008年に「日本で最も売れたダウンロード・シングル」としてギネス世界記録に認定されたが、翌年の2009年に「キセキ」が記録を更新した[53]。累計400万ダウンロード以上の売上を記録しており、レコチョクが2019年に発表した「平成で最もダウンロードされた楽曲」にも選ばれている[54][55]

2000年代における音楽ソフト(パッケージ)売上の減少は、「CD」や「レコード」という「音源記録媒体」を購入する時代から「音源そのもの」だけを購入するダウンロード販売が主体の時代へと移行したことを示しており、音楽産業に限らないコンテンツ産業全体におけるデジタル化と高技術化が生んだ現象である。日本レコード協会の発表によると、パッケージと有料音楽配信を合計した売上金額で2005年から2007年まで3年連続で前年を上回っていた[56]が、2008年には前年をやや下回った[49]。インターネットが個人で利用しやすくなったことにより、ファイル共有ソフト (P2P等)やウェブサイト上での不正アップロードが横行するのも要因であるが、こちらは有料音楽配信の影響も受けていると考えられる[57]

動画共有サービスの普及、ボカロブーム

インターネットを介した情報交換が国家を跨いで活発に行われた結果として、音楽ジャンルの融合が加速し、音楽表現そのものが飛躍的な高度化を見せた。2000年代も末になると、ネット発の音楽家が多数表舞台に立つようになった。

2000年代後半、YouTubeニコニコ動画といった動画共有サービスや、VOCALOIDソング等の発表が流行し、後に前山田健一をはじめとしてネット発の音楽家も多数登場することになる。ニコニコ動画においては、J-POPの典型コード進行として王道進行の存在が発見された。

その他

2010年代

アイドル流行とアイドル戦国時代

 

2005年より東京・秋葉原を拠点に活動していたAKB48のブームに続けと2010年代には各種グループアイドルが乱立、「地下アイドル」と呼ばれるライブ活動を中心に活動するアイドルが多数現れた。過当競争は「アイドル戦国時代」と呼ばれる状況を生み出した[58]

CD不況

2010年代になるとシングル盤だけでなくアルバム盤もミリオンセラーとなる作品が少なくなり、「CD不況」と呼ばれる状況となった(2010年発売のアルバム盤で年度内にミリオンを突破したのは2作のみ[59])。さらに、2010年のオリコン年間シングルランキングはAKB48の2組のみでTOP10を独占するなど特にシングル盤においてアイドルグループとその他アーティストとの売上の格差が大幅に拡大した。

一方で、日本レコード協会が発表した2010年の着うたフル年間チャート[60]では、AKB48の楽曲は「ヘビーローテーション」の12位が最高であり、着うたフルを配信していない嵐はチャート対象外である。着うたフルを配信しなかったジャニーズ作品(SMAP、嵐、関ジャニ∞KAT-TUNHey! Say! JUMP等)が2010年のオリコン年間シングルランキングトップ100のうち23曲を占めたほか、桑田佳祐Mr.ChildrenBUMP OF CHICKENなど、着うたフルを配信していないアーティストのCD盤のセールスが顕著に伸びる傾向が一段と強くなった。一般にAKB商法K-POP商法と呼ばれる、メンバーとの握手券などの特典を付けることにより、熱心なファンが同じ商品を複数枚買うようなセールス方法が常態化したことも挙げられる。岡崎体育のJ-POPあるある、タニザワトモフミの「くたばれJ-POP」などJ-POPの陳腐化も指摘された[61][62]

2013年のJOYSOUND年間カラオケランキングの上位3曲は「女々しくて」、「残酷な天使のテーゼ」、「千本桜」であり、アニメソングボーカロイド曲など、セールスでは測れない人気曲の多様化が顕著となった[63]

音楽配信サービスの多様化、違法ダウンロード問題

Appleはメジャーレコード会社と提携し2005年に日本国内でiTunes Storeを開始しており、日本の音楽配信サービスである着うたフルと競合するようになった。CD売上の減少とともに着うた配信、ダウンロードによる音楽配信が主流になりつつも、日本の音楽市場全体でみるとCD市場の減少分をカバーするには至らなかった。アイドルの特典商法の隆盛により2012年にはCD市場が一時的に盛り返したものの、それ以降は減少傾向にある[64][65]

YouTube違法ダウンロードの蔓延が売上減少の最大の原因だとして、2012年9月10日 日本レコード協会(RIAJ)、日本音楽事業者協会(音事協=JAME)、日本音楽制作者連盟(音制連=FMPJ)など音楽芸術関係7団体は、「私的違法ダウンロードの罰則化」に関する啓発活動を目的に「STOP!違法ダウンロード広報委員会」を設立した[66]

ストリーミング市場の拡大

 
あいみょんは、日本のアーティストで初めてストリーミングからブレイクした[67]

2015年頃からSpotifyApple Musicをはじめとしたサブスクリプション型のストリーミングによる売上が増加をたどり、2018年にはダウンロードによる売上を越え、2019年時点でストリーミング単体では465億円の売上となった[68]。ストリーミングはアーティストへの収益分配が十分でないという批判が大きく、当初は大物アーティストの提供取りやめが相次いだ。しかしながらストリーミングの占める売上が年々高まるにつれ多くのアーティストが提供するようになってきている[69]

音楽は所有するものからアクセスするものとなりつつあり、音楽の聴かれ方が変化する中、2010年代終盤から2020年代にかけてボカロにゆかりのある米津玄師、ブラックミュージックをベースとした星野源、フォークソングをベースにしたあいみょん、オルタナティヴ・ロックを基軸としたKing Gnu、ピアノロック系のOfficial髭男dismなどが人気を集めている。あいみょんの「マリーゴールド」、King Gnuの「白日」、菅田将暉の「まちがいさがし」、Official髭男dismの「Pretender」などがいずれも1億回以上のストリーミング回数を記録しており、「売れた枚数」から「聴かれた回数」へと、楽曲のヒット基準が変化している[70][71]

2010年代末ではYouTubeTikTokを中心に流行した楽曲が、のちにテレビなどを通じて広まることも起きている。YouTuberとして活動する音楽家も一般的となった。

一方、欧米や韓国の音楽が世界を席巻する中で、日本の音楽の世界進出が未だに進んでいないことが課題となっている。ネットメディアの活用が遅れていることや、著作権使用料の支払い処理が複雑であることが主な要因とされる[72]

2010年代はCDセールス、着うたフル、iTunes等による配信ダウンロードとそれぞれにチャートが存在したため、ヒットした楽曲を客観的に判定することが難しい側面もあった。オリコンは長らくCDセールスを重視してきたが、2017年に「デジタルシングル(単曲)ランキング」、2018年に「ストリーミングランキング」とCD、デジタル・ダウンロード、ストリーミングを合算した「合算ランキング」の発表を開始した[73]

シティ・ポップの海外でのヒットとネオ・シティ・ポップ流行

2010年代後半頃、日本の約40年前の過去の流行音楽であるシティ・ポップが海外で注目され始めた。2020年10月には海外YouTuberがカバー曲の歌唱動画を発表した事が切掛で松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」(1979年)がSpotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録、Apple MusicのJ-POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなった[74][75][76]。その流れを受け日本でシティポップの新曲が発表された。また、日本の若手のアーティスト達の間ではネオ・シティ・ポップと呼ばれる流行が静かに起きている[77]

2020年代

新型コロナウイルスパンデミックの影響

 
日本の音楽ライブ市場推移

日本における2020年初冬以降の新型コロナウイルス感染拡大の影響によりソーシャルディスタンスを確保する必要が生じると、2000年代以降成長を続けてきた音楽ライブの市場規模は大幅な減少となった。ぴあ総研によると、2020年のオンラインライブを除いた音楽ライブ市場は2019年の4237億円から対前年比86.1%減の589億円、音楽フェス市場は2019年の330億円から対前年比98%減の6.9億円に激減した[78][79]。多くの音楽家にとって、楽曲の公開で作品の配信やオンラインライブ以外の方法が取りにくくなった。

そのような状況の中、ボカロに縁がありYouTube動画で楽曲を発表していた、ずっと真夜中でいいのに。YOASOBIヨルシカの3組のバンドは「夜好性」と呼ばれ人気となった[80]。一般人女性のひらめが制作してTikTokに投稿した「ポケットからきゅんです!」がバズを引き起こすなど、数多くのインディーズミュージシャンの楽曲がTikTokを起点として拡散する傾向が高まった。

過去には芸能プロダクション、音楽事務所が売り出す方法に頼らざるを得なかったが、TuneCoreなどの音楽配信委託サービスを通して、誰でも世界中に自分の楽曲を配信することが可能となったことで、瑛人yamaなどSNS経由でのインディーズミュージシャンのブレイクが増加している[81]

2020年には、CD未リリースながらストリーミングやYouTubeの動画再生回数で好成績を収めたYOASOBIの「夜に駆ける」が音楽チャート「Billboard Japan Hot 100」の年間1位を獲得しNHK紅白歌合戦に出場、2021年はBillboard Japan各指標ダウンロード、ストリーミング、カラオケの三冠で年間1位の優里ドライフラワー」など、フィジカルセールスからストリーミングへの流れがさらに拡大している。

新型コロナ禍でのロックフェスの再開

2022年に入り、新型コロナのパンデミックは未だ終息は見えないものの、マスク着用、ソーシャルディスタンス、声援禁止等の感染防止対策ガイドラインの規制を維持した上で日本各地でロック・フェスティバルの開催が再開された[82]。それぞれ約3年ぶりの開催とあって待ち望んでいたファンの盛況となった。5月開催のMETROCK2022のヘッドライナーを務め楽曲「新宝島」を演奏したサカナクション山口一郎はNHKのインタビューで「不安な時代を音楽で“乗りこなす”」意義を強調した[83]。また7月開催の京都大作戦2022主催ロックバンド10-FEETは楽曲「その向こうへ」「RIVER (10-FEETの曲)」等を演奏、開催出来た感謝の言葉を述べた[84]。茨城県での「LuckyFM Green Festival」、WANIMA主催「1CHANCE FESTIVAL」の様に新規のフェスも開催された[85]

アニメソング、ゲームミュージックの世界的人気

アニメソングは海外で最も聴かれた日本のポップス音楽ジャンルに成長し、日本を代表するポップス音楽ジャンルとなっていたのだが、そのことは国内であまり認識されていなかった[86]。日本で「おたく文化」と見なされてきた諸分野は、国内では一般の大衆文化よりもさらに劣るとみなされてきたが、日本が本場となり、海外へ輸出し得ている数少ない現代文化であった[87]

2020年にLiSAの「」が第62回日本レコード大賞大賞を受賞した[88]。LiSAの「紅蓮華」は、2020年12月4日発表のSpotify・「海外で最も再生された国内アーティストの楽曲」の1位[89]であり、2021年8月8日『東京五輪閉会式』に用いられた。この他、ゲームミュージックも海外に知られた日本発の音楽となっており、2021年7月23日『東京五輪開会式』での選手入場行進曲に用いられた[90]

Spotify・海外で最も再生された日本のアーティストの楽曲(2021年)[91]
1位 Eve「廻廻奇譚」
2位 LiSA「紅蓮華」
3位 YOASOBI「夜に駆ける」
4位 TK from 凛として時雨「unravel」
5位 Linked Horizon「心臓を捧げよ!」
6位 TERIYAKI BOYZ「Tokyo Drift」
7位 ビッケブランカ「Black Catcher」
8位 KANA-BOON「シルエット」
9位 いきものがかり「ブルーバード」
10位 YOASOBI「怪物」
太字の楽曲はアニメ主題歌。

2022年に入ってもアニメソングは人気であり上半期はAimer残響散歌」がBillboard JAPAN HOT100上半期1位[92]SiMThe Rumbling」がアメリカ・Billboard HOT HARD ROCK SONG CHART100で1位獲得[93]、中田ヤスタカがプロデュースのシンセウェイヴエレクトロ・ポップ要素等のあるAdo新時代」は日本楽曲初、世界で最も再生された曲のデイリーチャートApple Musicトップ100:グローバルチャートで1位となった。その他フランス、ギリシャ等[94]他国Spotify・カラオケ等、国内外のヒットチャートで1位を獲得、85冠(9月7日時点)[95]・70冠(8月12日時点)達成[96]。アメリカビルボードのGlobal Excl. U.S.チャートでも8位に浮上、関連7曲が同時ランクインした[97]

ボカロ人気再燃

2020年頃からYouTubeでボカロが人気になっている。2007年8月31日、VOCALOID・初音ミクが発売された際の一次流行から時を経て、人間が歌唱して人気が再燃している[98]。前述のSpotify・海外で最も再生された日本のアーティストの楽曲(2021年)の1位EveボカロPである。詳細はボカロ参照。

J-POPリバイバル

2022年3月3日第14回CDショップ大賞2022は、大賞・赤にOfficial髭男dism『Editorial』、大賞・青にWurtS『ワンス・アポン・ア・リバイバル』が選ばれた[99]音楽プロデューサーTOMCは、Official髭男dismのアルバムについて「1990年代のASKA槇原敬之〜『幻想の摩天楼』の頃のスティーリー・ダンを思わせる渦巻くようなコード展開+重厚なアレンジ。それでいて一切音楽マニア向けでない現行の青春賛歌。"足し算型"の歌モノでこれに敵うものはそう無い気がする」とコメントした[100]。他、シンガーソングライターのにしな等が1990年代J-POPに似た雰囲気を持った曲を発表している。

同義語

J-ROCK(ジェイロック)という表記が登場するきっかけとなっている。「日本の」という意味でJ-RAP、J-SOULなどにも「J-」を付ける使い方も一時期流行した。これらの言葉はJ-ROCKを除くと現在はあまり使われておらず、「J-POP」がこれらのジャンルの楽曲も内包する言葉であるともいえる。なお、海外で日本音楽を内包する言葉としては、Japanese Music(J-music)が一般的である。

方言としてZ-POP(ズィー・ポップ)がある。JFL系列のラジオ局ZIP-FM(愛知)とJFN系列のエフエム熊本(FMK)が用いる言葉で、日本を表す"Zipangu"(ジパング)の頭文字であること、局限定であること(ZIP-FMは放送エリアである名古屋周辺を「ZIP CITY」と呼ぶ)、局による選曲方針の違いなどがあるものの、J-POPとほぼ同意義である。

参考文献

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  • 中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』(岩波新書、1999年9月)
  • 横沢千秋・他『日本流行歌史(1960-1994)』(社会思想社、1995年5月)

関連項目

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ それぞれ前述のZARD,やWANDS, B'z, T-BOLAN

出典

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外部リンク

  • 一般社団法人 日本レコード協会
  • JaME World

J-POP
この項目では, 日本のポピュラー音楽の総称について説明しています, その他の用法については, 曖昧さ回避, をご覧ください, ジェイ, ポップ, japanese, の略で, 和製英語である, 日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉であり, 1989年頃にその語と概念が誕生した後, 1993年頃から青年が歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識されるようになった, つまり以前と以後の違いは, bpmの速さや洋楽の影響を受けたメロディ, コード進行, リズムにある, 特に, 昭和歌謡の時代の邦楽と比較して, 歌詞の. この項目では 日本のポピュラー音楽の総称について説明しています その他の用法については J POP 曖昧さ回避 をご覧ください J POP ジェイ ポップ 英 Japanese Pop の略で 和製英語である は 日本で制作されたポピュラー音楽を指す言葉であり 1989年頃にその語と概念が誕生した後 1993年頃から青年が歌唱する曲のジャンルの一つとして広く認識されるようになった つまりJ POP以前と以後の違いは BPMの速さや洋楽の影響を受けたメロディ コード進行 リズムにある 特に 昭和歌謡の時代の邦楽と比較して 歌詞の構造が解体された代わりにグルーヴが洗練された作品は増加した なお 一般的な音楽ジャンルとは異なり 先に J POP という言葉を定義し それに既存の楽曲を当てはめる所から入っていったもので 発生した音楽ジャンルではない J POP様式的起源ポップ ミュージックグループ サウンズニューミュージッククロスオーバーロックユーロビート文化的起源1980年代 1990年代初頭 日本サブジャンルシティ ポップ渋谷系テクノポップJ EUROネオ シティ ポップ融合ジャンル日本のヒップホップカワイイメタルジャパニーズレゲエ地域的なスタイルシティ ポップ渋谷系アキバ系関連項目民謡流行歌演歌歌謡曲フォークソング和製ポップスニューミュージックパラパラSUPER EUROBEAT和製R amp Bバラード日本のロックアイドル歌謡曲ニューエイジアイドル地下アイドルご当地アイドルアニメソングボカロゲームミュージックテンプレートを表示 目次 1 歴史 1 1 前史 1 1 1 歌謡曲 演歌 和製ポップス フォークソング グループ サウンズ時代 1 1 2 アイドル歌謡曲 歌謡ロック 1 1 3 ニューミュージック 1 1 4 テクノポップ 1 1 5 シティ ポップ 1 1 6 バンドブーム 1 1 7 ユーロビートの流行 1 1 8 J POP誕生 1 2 1990年代 1 2 1 CDとデジタル音楽制作技術の導入 1 2 2 バブル景気とデステクノ 1 2 3 カラオケとトレンディドラマ主題歌 CMソングの流行 1 2 4 不況と応援ソング 1 2 5 ビーイングブーム 1 2 6 ミリオンセラーの続発 1 2 7 渋谷系 1 2 8 ダンスミュージック 黒人系音楽の流行 1 2 9 小室ブームと音楽プロデューサー業 1 2 10 J POPの定着 1 3 2000年代 1 3 1 トランスの流行 1 3 2 季節ソング 桜ソングの流行 1 3 3 ミリオンセラーの減少 1 3 4 テクノポップ再興 1 3 5 音楽配信が開始 1 3 6 動画共有サービスの普及 ボカロブーム 1 3 7 その他 1 4 2010年代 1 4 1 アイドル流行とアイドル戦国時代 1 4 2 CD不況 1 4 3 音楽配信サービスの多様化 違法ダウンロード問題 1 4 4 ストリーミング市場の拡大 1 4 5 シティ ポップの海外でのヒットとネオ シティ ポップ流行 1 5 2020年代 1 5 1 新型コロナウイルスパンデミックの影響 1 5 2 新型コロナ禍でのロックフェスの再開 1 5 3 アニメソング ゲームミュージックの世界的人気 1 5 4 ボカロ人気再燃 1 5 5 J POPリバイバル 2 同義語 3 参考文献 4 関連項目 5 脚注 5 1 注釈 5 2 出典 6 外部リンク歴史 編集前史 編集 歌謡曲 演歌 和製ポップス フォークソング グループ サウンズ時代 編集 1960年代 1970年代は歌謡曲 演歌 和製ポップス フォークソング グループ サウンズ GS といった音楽ジャンルが日本国内のポップス音楽の主流であった また1970年代にははっぴいえんど サディスティック ミカ バンド等のバンドも活動し日本のロック音楽も流行り始める 1980年代 1990年代初頭は昭和のフォークソングや浜田省吾 長渕剛などのフォークロックがヒットしていた アイドル歌謡曲 歌謡ロック 編集 1970年代 1980年代には歌謡曲に当時流行していたロック音楽の一種AOR要素が加わったアイドル歌謡曲が大流行する また 後に歌謡ロックとも呼ばれる1979年クリスタルキング 大都会 1983年安全地帯 ワインレッドの心 1984年アン ルイス 六本木心中 等もヒットする ニューミュージック 編集 1970年代 1980年代には歌謡曲や アイドル歌謡曲やフォークソングに加えニューミュージックと呼ばれる音楽のヒットがあった 1973年井上陽水 夢の中へ 1975年中島みゆき 時代 1978年杏里 オリビアを聴きながら 1979年チューリップ 虹とスニーカーの頃 1979年オフコース さよなら 1982年あみん 待つわ 等である 1980年代後半には1986年渡辺美里 My Revolution 1987年岡村孝子 夢をあきらめないで 1988年松任谷由実 リフレインが叫んでる 等J POPの源流となるポップスが発表される テクノポップ 編集 1978年イエロー マジック オーケストラ YMO が1stアルバムを発表 詳細はテクノポップ項目を参照 シティ ポップ 編集 1980年代には前述のニューミュージックとロック音楽の一種AORにルーツがあるとされる後にシティ ポップと呼ばれる楽曲群が発表された バンドブーム 編集 1980年代には浜田麻里 小比類巻かほる レベッカなどのロック歌手が増え ロック バンドが次々結成される 1980年代終盤から1990年代前半にはバンドブームと呼ばれるロックバンドの大流行が起き 後にJ ROCK デジタルロック ビートロック ヴィジュアル系等と呼ばれるジャンルを形成しチャートを賑わす事になる 詳細は日本のロック及びバンドブームの記事を参照 ユーロビートの流行 編集 1980年代後半 ヨーロッパ発のユーロビートの流行があり その影響は日本にも及んでいた 日本では東京都港区六本木等のディスコのダンス用の曲として流行し ポップス音楽のアイドルではWink 荻野目洋子等がユーロビートのカバー曲や和製ユーロビート曲を発表していた 躍動感や音の密度を上げるため BPM130を超える作品も現れた 1980年代末にTM NETWORK Self Control を筆頭に16ビートの 早口な歌 が現れた J POP誕生 編集 1986年に アルバム J BOY を発表した浜田省吾 1988年 10月に開局したばかりの東京のFMラジオ局 J WAVEが J POP の発祥となった J WAVEは 多文化的 スタイリッシュ な街 六本木に存在しており 当初は邦楽を全く放送していなかった 1 しかし1988年の年の暮れ 2 同社常務 斎藤日出夫 2012年より社長 がレコード会社の邦楽担当者らと共に J WAVEで邦楽を流そうという企画が発足する レコード会社側も 洋楽しか流さないJ WAVEが流した邦楽には希少性があり それを集めたコンピレーション アルバムを出す などと言った目論見もあったという 3 この際に 日本のポップス をどう呼称するのかが検討され 斎藤日出夫によれば いつまでも和製 などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないという点があった 4 ジャパニーズ ポップス ジャパン ポップス シティ ポップス タウン ポップスなどが検討されたが ジャパニーズ ポップスにせよ ジャパン ポップスにせよ 頭文字はJだ そしてここは J WAVEだ という意見が出され Jの文字を用いることとされた ジャーナリストの烏賀陽弘道によれば 当時1985年に日本専売公社が民営化され日本たばこ産業 JTになった時代であり 1986年に浜田省吾がアルバム J BOY を発表 1987年に日本国有鉄道が分割民営化されJRに 日本を表す J という文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている 5 いずれにせよこれが J POP という語の誕生の瞬間であり この時点ではあくまでJ WAVE内部のみでの呼称であった 6 関係者の証言により異なるが 1988年末か1989年初頭頃のことである 6 7 このジャンルは マスメディア側が先導する形で音楽カテゴリーのひとつとして誕生し それにふさわしい音楽を売り手側が分類しているという点において グラムロック パンク ロック グランジ オルタナティヴ ロック ヒップホップなどといった他の音楽ジャンルと異なる 大きな特徴といえる 8 斎藤日出夫によれば当初の部類は多分に感覚的であり 演歌やクラシック音楽はだめ サザンオールスターズや松任谷由実はOK アリスやCHAGE and ASKAは違う などとされていたが 明確な根拠などはなかった しかし洋楽の何かに影響を受けたとわかる音楽 洋楽と肩を並べられる音楽が選ばれたという 9 そして1989年秋には J WAVEで J POP クラシックス のオンエアが開始される 9 1990年代 編集 CDとデジタル音楽制作技術の導入 編集 1980年代末 デジタル技術の進歩に伴い 実用的な音色を満載し 普及価格帯のPCM音源のトレンドを決定付けたKORG M1 1990年代は邦楽が大変革を遂げた年代である 機材のコモディティ化が進み PCM音源やサンプラーが安価になったことで 制作者が多彩な音色を扱えるようになった また 打ち込みが当たり前に使われるようになったことで 音の厚みとBPMが急速に増加し 楽曲の展開も複雑になった 打ち込みの普及は楽曲の量産やボーカルの加工に繋がり 商業音楽の工業生産が可能となった ソフトロック テクノ ハウス トランス R amp B等 世界的に評価された洋楽の表現手法が大々的に導入され始め まるで洋楽のよう な新時代の邦楽として高く評価されるようになった 従って 機材の進化による音質向上は当然のことながら 邦楽全体としても 洋楽を邦楽に翻訳したような感覚の音楽が主流となり 表現はよりポピュラーになって コード進行 リズム テンポ自体もJ POP化された音楽が次々に登場した 1982年に登場したコンパクトディスク CD およびその再生装置の爆発的な普及により音楽市場が一気に拡大し CDをはじめとしたデジタル技術は音楽制作現場においても革変をもたらした これまでテープの切り貼りなどアナログ的な技術で行っていた編集作業はデジタル技術によるものへと移行し 音楽制作に要する人 時間 予算の大幅な削減を可能にし またいくらコピーしても劣化がなくなり やり直しも簡単に行えるようになった 10 またシンセサイザーやミュージックシーケンサー MIDI楽器の普及により 一部については楽器の演奏を行う必要すらなくなった 11 MIDI音源として低価格で高性能な製品が発売され DTMブームも起きた そしてコストダウンと作業の迅速化により 工業製品の如く楽曲の量産が可能となった 12 この結果レコード会社側も 売れるか売れないかもわからないミュージシャンについて気軽にCDを作成することができるようになったようで 13 日本レコード協会の 日本のレコード産業 によれば 1991年の1年間で実に510組のバンド 歌手がデビューしている 13 14 またCDの普及は聞き手側の負担をも削減した 従来 レコードを再生するステレオは良い物で25万円 普及品でも10数万円し 取り扱いも煩雑であったものが CDプレイヤーはポータブル型であれば1万円を切る価格で購入できたのである 15 実際に1984年から2004年にかけての20年間で3737万台のCDプレイヤーが出荷されているが 従来のレコードプレイヤーは42年かけて2341万台しか出荷されていない さらにCDプレイヤーとは別に CDラジカセ が1986年から2004年にかけて 5225万台も生産されている 16 CDミニコンポは1990年から2004年までに3028万台が出荷 17 累計すると2004年までに1億1990万台 うち92 にあたる1億1032万台がミニコンポ CDラジカセ 携帯型と言った安価なものである 18 ちなみに1985年に発売された最初のCDミニコンポの価格は25万円程度であったが 1987年には10万円を切る価格となっている 17 1985年春 オーディオメーカー パイオニアの常務は朝日新聞紙上で この1年間で大型のシステムコンポはほぼ無くなり 10万円程度のミニコンポにとって変わった 需要の95 はミニコンポである と語っている 19 音楽再生装置は大衆化を成し 一家に一台から一人一台の時代へ足を踏み入れる 20 オーディオは高級な趣味ではなくなり大衆化し 十代の若者や女性も音楽業界の顧客となった 21 その結果女性向けの ガールズ ポップ などといったジャンルも誕生していく 22 しかし 制作環境のデジタル化に伴いそれまで製作現場で実際に楽器を演奏していたスタジオ ミュージシャンの仕事が激減するなどの弊害も生まれた 23 こうした制作環境の変化に伴う大量生産による音楽制作は確かにミリオンヒットが出現する確率は高まるが 没個性化 質の低下が進み 音楽が消耗品として見られるようになるなど 批判の声もある 24 ソニー ミュージックエンタテインメント 当時 の坂本通夫は 1991年を音楽業界の転換点として 音楽が作品から商品に移り変わった時 と語っている 25 またパソコン通信を経てインターネットが普及し CDに頼らずとも作品を提供する事が可能になっていく 当時は回線速度が低いため在野のミュージシャンによるMIDIが中心であったが こうして後にインディーズ音楽家が登場する土壌が生まれた バブル景気とデステクノ 編集 1986年12月から1991年2月までの51か月間続いたバブル景気により新宿 原宿 六本木 青山などでは空前のディスコブームが起きていた 1984年麻布十番にマハラジャが開店 1991年3月から1993年10月にバブル崩壊と呼ばれる急激な信用収縮 不動産相場の急落が起きるが ディスコブームの流行は冷めやらず 芝浦のジュリアナ東京などではイタロ ハウスや更に過激に進化したハードコアテクノと呼ばれる激しいダンス ミュージックが流された ジョン ロビンソンの TOKYO GO 等が有名である この頃のダンス音楽流行は日本のポップス市場にも影響し 1993年にデビューしたTRFは1994年から1995年にかけて発売したシングル5作連続でミリオンセラーを記録 しかし バブル崩壊と警察の取り締まり強化等により急速に熱狂は終息し 六本木ヴェルファーレや渋谷のユーロビートパラパラ流行に移っていく事になる カラオケとトレンディドラマ主題歌 CMソングの流行 編集 90年代の日本の音楽史を語る上で重要なキーワードとしてKDDというものがある 26 カラオケ K ドラマ D 大幸システム D 後述 の頭文字を取ったもので ヒット曲を生み出すための要素とされた この頃の都会に生きる男女の恋愛やトレンドを描いた現代テレビドラマが トレンディドラマ と呼ばれており 1991年 小田和正 ラブ ストーリーは突然に CHAGE and ASKA SAY YES 1995年DREAMS COME TRUE LOVE LOVE LOVE 等がある この時期のスキーブームを受けて 1988年にJR東海 ホームタウン エクスプレス X mas編 現 クリスマス エクスプレス CMに使用された山下達郎 クリスマス イブ 1987年公開の映画 私をスキーに連れてって で使用された松任谷由実 恋人がサンタクロース 等と並ぶ冬の定番曲が多く生まれた JR東日本のスキー旅行キャンペーンJR SKISKICMソングのZOO Choo Choo TRAIN アルペンCMソング広瀬香美 ロマンスの神様 などである 他にもCMソングで 日本航空夏の沖縄旅行キャンペーンの米米CLUB 浪漫飛行 が1990年に大ヒットしている 不況と応援ソング 編集 バブル崩壊で社会に停滞感が漂うようになると応援ソングが流行していった 27 28 また 歌詞に 夜 夢 心 今 等のワードが増えた 29 バブル期のサラリーマンソングであったKAN 愛は勝つ 槇原敬之 どんなときも 大事MANブラザーズバンド それが大事 ZARD 負けないで 岡本真夜 TOMORROW 等 ミリオンセラーが次々に誕生 愛は勝つ など 1990年代初頭のヒット曲の多くは カノン進行 がんばろう系カノン と呼ばれるコード進行を用いていると指摘される 30 ビーイングブーム 編集 B zやZARDをデビューさせたビーイングによって高速な打ち込みとハードロックの融合 31 が行われるようになった 特に長戸大幸の考え出した広告会社や企業と直接提携し作品を制作するシステムは市場において圧倒的な強さを誇り 1993年には長戸の会社ビーイング所属歌手が売上1位 2位 4位 5位を占めた 注 1 ビーイングブーム ミリオンセラーの続発 編集 そして1992年ごろから ミリオンセラー という現象が続発するという事象が発生しはじめる 1991年のミリオンセラーは9作品 シングル アルバムの合算数 以下同様 1992年は22作品 1994年にはその数は32作品を記録した 32 なおミリオンセラーが続出するようになった1992年ごろは大手コンビニ各社が店頭で音楽CDを売り始めた時期であり 音楽評論家の能地祐子は この頃からレコード店に縁のなかった層がCDを買い始めたことで音楽の変質が始まったと推測している 33 また トップ10のアーティストだけで年間売上シェアの4割を占めるなど 先の楽曲の大量生産と相まって一握りの成功者と その他という図式が出来上がるようになった 渋谷系 編集 雑誌 ELLE 1993年11月21日号では ジャパニーズポップ と呼ばれる言葉でコーネリアスやピチカート ファイヴといった いわゆる渋谷系と呼ばれるバンドの紹介を行っている 34 ダンスミュージック 黒人系音楽の流行 編集 宇多田ヒカル 1998年にデビュー 1991年ZOOの Choo Choo TRAIN がヒットする ブラック コンテンポラリーやR amp Bジャンルが日本にも浸透し始める TRFの EZ DO DANCE 電気グルーヴの 虹 安室奈美恵の TRY ME 私を信じて と言ったエレクトロニック ダンス ミュージック系統のJ POPが本格化した 1994年 EAST END YURIの DA YO NE など ヒップホップも本格的に流行しはじめる 詳細は日本のヒップホップを参照 1991年 CHARA Heaven 1996年 UA 情熱 久保田利伸withナオミ キャンベル LA LA LA LOVE SONG 1998年 MISIA つつみ込むように 1999年bird SOULS 等 和製R amp Bと呼ばれる曲調も流行し 1999年3月に 宇多田ヒカルが1stアルバム First Love を発売 日本で860万枚以上 日本国外を含めると990万枚以上を出荷 日本のアルバム歴代チャート1位に輝く 1990年代前半はハードロックやハードコアテクノやユーロダンス 1990年代後半はR amp Bやレゲエの流行に移り変わり その後は趣味嗜好の多様化により画一的な構図では音楽の流行を説明できなくなった 小室ブームと音楽プロデューサー業 編集 小室哲哉 小室哲哉はTM NETWORKの活動休止期間であった1992年に音楽プロデューサーとしての活動を本格化する 数々のミリオンセラー ヒット曲を打ち立て 小室サウンド 等と呼ばれる流行を創り出した 小室哲哉のプロデュースを受けた安室奈美恵は ミリオンヒット作を次々と世に送り出し 1997年に10代の歌手として日本の音楽史上初となるシングル アルバム総売上2000万枚突破を記録した 35 1990年代中後半は大不況の中でも音楽業界は好調な売上が持続し テレビCMやテレビ番組等 テレビを中心としてキャッチーなヒットソングが生まれた CMソングでは奥田民生プロデュースPUFFY アジアの純真 や 日本テレビ ウッチャンナンチャンのウリナリ から生まれた中西圭三 小西貴雄作曲によるブラックビスケッツ Timing 等である この頃のJ POPは香港や台湾などアジア各地でもヒットした 小室と並んでシンセサイザー等の技術にいち早く注目したつんく は 36 テレビ東京 ASAYAN 発のモーニング娘 をプロデュース 1990年代後半から2000年代初頭を席巻した 映画主題歌を主に手掛けたプロデューサーでは岩井俊二監督映画 スワロウテイル 1996年公開 リリイ シュシュのすべて 2001年公開 のサウンドトラックを担当 自身もMy Little Loverの一員であった小林武史が挙げられる J POPの定着 編集 J POPという言葉は1990年代から一般の雑誌などでも見かけるようになり 1993年7月には ザ テレビジョン でロックバンド J POP が紹介された 37 オリコンチャートや TV音楽番組等での人気ランキング発表を J POPヒットチャート 等と呼ぶようになり J POP という単語は そういった意味の楽曲の人気順位を視覚的に表示したヒットチャートを指す場合にはジャンル名では無く 日本のポップス音楽の流行の傾向を指すようになる 一般に使用されるようになるまでにはしばらくの歳月を要し 定着したのは1993年から1995年頃とされる 例外的にタワーレコード心斎橋店で 1990年にJ POPコーナーが設置されている 38 雑誌 マルコポーロ は1994年7月号において パクりが多い ヒット曲のほとんどが盗作 という見出しを用い 洋楽を無節操に真似た音楽 という定義として Jポップス という言葉を使用している 34 1993年は日本プロサッカーリーグ Jリーグ が始まった年であり これの存在もJ POPという語の普及にとって無視できない要素である 39 Jリーグ は同年の 新語 流行語大賞 に選ばれている Jリーグの開幕もあり おおよそ1995年までにはJ POPという言葉は定着したとみられる 34 1995年春には J ROCKマガジン が創刊され 雑誌と連動したテレビ番組 J ROCK ARTIST COUNT DOWN 50 が人気となり マスメディアでポップスとロックを区別する形でも使われるようになった 呼称の定着までに時間がかかった一因としては J POP という名称がライバル局から生まれたものとして他局が使用に積極的では無かったこともあげられる 一例としてJFN系キー局であるエフエム東京や その傘下の出版社では1990年代中頃までは極力使わず 本来の ジャパニーズ ポップス の略称である J POPS という名称を多用した 音楽番組 デイブレイク J POPS や アフタヌーン ブリーズ のジャパニーズ ポップス リフレインなどがそうである なお烏賀陽によれば J POPは従来あった歌謡曲 フォーク ロック ニューミュージックなどのジャンル サブジャンルを全て殺し それに成り代わってしまったという すなわちJ POPの普及後はそれぞれが 烏賀陽の言葉を借りれば 従来のジャンルはJ POPというマンションに入居し 歌謡曲系J POP フォーク系J POP ロック系J POP などといった構造に再構築され収まっているという 40 CD売上は右肩上がりを続けて1991年に初の4000億円台を記録すると 1998年の6074億9400万円まで史上最高を更新し続けた 41 生産量も1991年に3億枚を突破 1993年に4億枚を突破する 42 など成長を続ける中で 個人としても1977年に阿久悠が作詞家として記録した1172万9000枚の作家別の年間売上記録を 1993年に 負けないで の作曲などで知られる織田哲郎が作曲家として1240万5000枚を記録し16年ぶりに更新した 1976年以後の記録 43 なお1998年に日本のレコード CD 生産金額は過去最高を記録する 44 1988年に3429億4700万円だった生産金額は 98年には6074億9400万円と ほぼ倍増している 44 2000年代 編集 トランスの流行 編集 浜崎あゆみ 2000年代前半には 1998年から続いていた日本国内におけるR amp Bや2ステップのブームが終焉を迎える 海外のクラブ ミュージックではトランスが流行していたが 日本でもその曲調を取り入れた浜崎あゆみが人気となる 2001年初冬 宇多田ヒカルが2ndアルバム Distance のリリース予定を3月28日に公表した後に 浜崎あゆみのベスト アルバム A BEST が同じ発売日に設定したことから テレビのワイドショーやスポーツ新聞などから 歌姫対決 と煽られる 最終的に双方とも売上400万枚を超えるヒットとなった 季節ソング 桜ソングの流行 編集 音楽ジャンルの融合が進み ヒップホップ 三木道三や湘南乃風に代表されるジャパニーズレゲエ ミクスチャー ロック スカコア 青春パンクなども人気となる一方で2000年代は季節を歌う曲もヒットし 特に春 桜の季節には 森山直太朗 さくら ケツメイシ さくら などがヒットし 桜ソング と呼ばれ人気となった 詳細は Category 桜を題材とした楽曲 を参照 桜ソングに並行して 歌謡曲 フォークソング時代から引き続き 春夏秋冬 季節を歌詞に織り込んだ曲が人気となった 全季節を歌う曲 Steady amp Co 春夏秋冬 Hilcrhyme 春夏秋冬 等 春 SCANDAL SAKURAグッバイ いきものがかり 花は桜 君は美し 等 前述の桜ソング参照 夏 ZONE secret base 君がくれたもの ORANGE RANGE ロコローション ケツメイシ 夏の思い出 DAOKO 米津玄師 打上花火 等 秋 スピッツ 楓 絢香 三日月 フジファブリック 赤黄色の金木犀 等 冬 レミオロメン 粉雪 中島美嘉 雪の華 等ミリオンセラーの減少 編集 2000年代に入るとシングルの売上が減少を始め 2003年3月5日に発売されたSMAP 世界に一つだけの花 を最後に日本レコード協会の認定で200万枚を超える売上 出荷 を記録したシングル盤が2012年まで現れなくなった 45 46 2000年代後半に入るとミリオンセラーのCD自体が減少するようになった 日本レコード協会の認定で2008年と2009年の2年連続 オリコンの集計で2008年から3年連続でミリオンセラー シングルが存在しない 47 48 テクノポップ再興 編集 2000代後半 海外では欧州等でフィルターハウスの流行がありその流れを取り入れた中田ヤスタカによる数々の音楽プロジェクトの成功により 2007年から日本国内で2回目のテクノポップ ムーブメントが起きたことで アコースティック感を持たない 極めて抽象的なシンセサイザー音 ピコピコ 音 が主体の音楽が多数作られるようになって行った 同時に PC上のデジタル オーディオ ワークステーション DAW による打ち込みが主流となり 音楽表現が劇的に高度化 複雑化した PC上のDAWによる打ち込み主体の音楽に移行した原因としては 顧客の趣味嗜好の細分化によりCD不況とも呼ばれる状況に移行したことで制作費用が掛けられなくなり スタジオ ミュージシャンの起用などが難しくなったことも影響している 更に PCやインターネットへの常時接続環境の普及により 個人が容易に情報発信を行えるようになり アマチュアが自主的に音楽配信を開始したことで ネットを中心とした音楽シーンなども形成されるようになって行った 音楽配信が開始 編集 その一方で 音楽配信 デジタル ダウンロード の売上が増加するという事象が発生する 日本レコード協会の発表によると 同協会が集計の公表を開始した2005年から2008年まで有料音楽配信の売上金額は上昇を続け 49 2006年にはシングルCDの生産実績を上回った 50 ただし 2009年の売上は前年とほぼ横ばいで 51 2010年には前年を割っている 52 音楽配信による代表的なヒット曲として 青山テルマ feat SoulJaの そばにいるね やGReeeeNの キセキ がある そばにいるね は 2008年に 日本で最も売れたダウンロード シングル としてギネス世界記録に認定されたが 翌年の2009年に キセキ が記録を更新した 53 累計400万ダウンロード以上の売上を記録しており レコチョクが2019年に発表した 平成で最もダウンロードされた楽曲 にも選ばれている 54 55 2000年代における音楽ソフト パッケージ 売上の減少は CD や レコード という 音源記録媒体 を購入する時代から 音源そのもの だけを購入するダウンロード販売が主体の時代へと移行したことを示しており 音楽産業に限らないコンテンツ産業全体におけるデジタル化と高技術化が生んだ現象である 日本レコード協会の発表によると パッケージと有料音楽配信を合計した売上金額で2005年から2007年まで3年連続で前年を上回っていた 56 が 2008年には前年をやや下回った 49 インターネットが個人で利用しやすくなったことにより ファイル共有ソフト P2P等 やウェブサイト上での不正アップロードが横行するのも要因であるが こちらは有料音楽配信の影響も受けていると考えられる 57 動画共有サービスの普及 ボカロブーム 編集 インターネットを介した情報交換が国家を跨いで活発に行われた結果として 音楽ジャンルの融合が加速し 音楽表現そのものが飛躍的な高度化を見せた 2000年代も末になると ネット発の音楽家が多数表舞台に立つようになった 2000年代後半 YouTubeやニコニコ動画といった動画共有サービスや VOCALOIDソング等の発表が流行し 後に前山田健一をはじめとしてネット発の音楽家も多数登場することになる ニコニコ動画においては J POPの典型コード進行として王道進行の存在が発見された その他 編集 2000年代 鬼束ちひろ 月光 の様にバラード曲もヒットした CHEMISTRYやゴスペラーズ等 歌声を重視するアカペラ流行があった ゆず等のフォークソング人気も復活した 大塚愛 さくらんぼ やmihimaru GT 気分上々 の様にロックやヒップホップを更にポップにした明るいポップス音楽もヒットした 2001年 喜多郎がグラミー賞ベスト ニュー エイジ アルバム賞を受賞 環境音楽 癒やしの音楽も人気となった 2010年代 編集 アイドル流行とアイドル戦国時代 編集 AKB48 嵐 2005年より東京 秋葉原を拠点に活動していたAKB48のブームに続けと2010年代には各種グループアイドルが乱立 地下アイドル と呼ばれるライブ活動を中心に活動するアイドルが多数現れた 過当競争は アイドル戦国時代 と呼ばれる状況を生み出した 58 CD不況 編集 2010年代になるとシングル盤だけでなくアルバム盤もミリオンセラーとなる作品が少なくなり CD不況 と呼ばれる状況となった 2010年発売のアルバム盤で年度内にミリオンを突破したのは2作のみ 59 さらに 2010年のオリコン年間シングルランキングはAKB48と嵐の2組のみでTOP10を独占するなど特にシングル盤においてアイドルグループとその他アーティストとの売上の格差が大幅に拡大した 一方で 日本レコード協会が発表した2010年の着うたフル年間チャート 60 では AKB48の楽曲は ヘビーローテーション の12位が最高であり 着うたフルを配信していない嵐はチャート対象外である 着うたフルを配信しなかったジャニーズ作品 SMAP 嵐 関ジャニ KAT TUN Hey Say JUMP等 が2010年のオリコン年間シングルランキングトップ100のうち23曲を占めたほか 桑田佳祐 Mr Children BUMP OF CHICKENなど 着うたフルを配信していないアーティストのCD盤のセールスが顕著に伸びる傾向が一段と強くなった 一般にAKB商法やK POP商法と呼ばれる メンバーとの握手券などの特典を付けることにより 熱心なファンが同じ商品を複数枚買うようなセールス方法が常態化したことも挙げられる 岡崎体育のJ POPあるある タニザワトモフミの くたばれJ POP などJ POPの陳腐化も指摘された 61 62 2013年のJOYSOUND年間カラオケランキングの上位3曲は 女々しくて 残酷な天使のテーゼ 千本桜 であり アニメソングやボーカロイド曲など セールスでは測れない人気曲の多様化が顕著となった 63 音楽配信サービスの多様化 違法ダウンロード問題 編集 Appleはメジャーレコード会社と提携し2005年に日本国内でiTunes Storeを開始しており 日本の音楽配信サービスである着うたフルと競合するようになった CD売上の減少とともに着うた配信 ダウンロードによる音楽配信が主流になりつつも 日本の音楽市場全体でみるとCD市場の減少分をカバーするには至らなかった アイドルの特典商法の隆盛により2012年にはCD市場が一時的に盛り返したものの それ以降は減少傾向にある 64 65 YouTubeや違法ダウンロードの蔓延が売上減少の最大の原因だとして 2012年9月10日 日本レコード協会 RIAJ 日本音楽事業者協会 音事協 JAME 日本音楽制作者連盟 音制連 FMPJ など音楽芸術関係7団体は 私的違法ダウンロードの罰則化 に関する啓発活動を目的に STOP 違法ダウンロード広報委員会 を設立した 66 ストリーミング市場の拡大 編集 あいみょんは 日本のアーティストで初めてストリーミングからブレイクした 67 2015年頃からSpotify Apple Musicをはじめとしたサブスクリプション型のストリーミングによる売上が増加をたどり 2018年にはダウンロードによる売上を越え 2019年時点でストリーミング単体では465億円の売上となった 68 ストリーミングはアーティストへの収益分配が十分でないという批判が大きく 当初は大物アーティストの提供取りやめが相次いだ しかしながらストリーミングの占める売上が年々高まるにつれ多くのアーティストが提供するようになってきている 69 音楽は所有するものからアクセスするものとなりつつあり 音楽の聴かれ方が変化する中 2010年代終盤から2020年代にかけてボカロにゆかりのある米津玄師 ブラックミュージックをベースとした星野源 フォークソングをベースにしたあいみょん オルタナティヴ ロックを基軸としたKing Gnu ピアノロック系のOfficial髭男dismなどが人気を集めている あいみょんの マリーゴールド King Gnuの 白日 菅田将暉の まちがいさがし Official髭男dismの Pretender などがいずれも1億回以上のストリーミング回数を記録しており 売れた枚数 から 聴かれた回数 へと 楽曲のヒット基準が変化している 70 71 2010年代末ではYouTubeやTikTokを中心に流行した楽曲が のちにテレビなどを通じて広まることも起きている YouTuberとして活動する音楽家も一般的となった 一方 欧米や韓国の音楽が世界を席巻する中で 日本の音楽の世界進出が未だに進んでいないことが課題となっている ネットメディアの活用が遅れていることや 著作権使用料の支払い処理が複雑であることが主な要因とされる 72 2010年代はCDセールス 着うたフル iTunes等による配信ダウンロードとそれぞれにチャートが存在したため ヒットした楽曲を客観的に判定することが難しい側面もあった オリコンは長らくCDセールスを重視してきたが 2017年に デジタルシングル 単曲 ランキング 2018年に ストリーミングランキング とCD デジタル ダウンロード ストリーミングを合算した 合算ランキング の発表を開始した 73 シティ ポップの海外でのヒットとネオ シティ ポップ流行 編集 2010年代後半頃 日本の約40年前の過去の流行音楽であるシティ ポップが海外で注目され始めた 2020年10月には海外YouTuberがカバー曲の歌唱動画を発表した事が切掛で松原みきの 真夜中のドア Stay With Me 1979年 がSpotifyグローバルバイラルチャート15日連続世界1位を記録 Apple MusicのJ POPランキングでは12か国で1位を獲得するヒットとなった 74 75 76 その流れを受け日本でシティポップの新曲が発表された また 日本の若手のアーティスト達の間ではネオ シティ ポップと呼ばれる流行が静かに起きている 77 2020年代 編集 新型コロナウイルスパンデミックの影響 編集 日本の音楽ライブ市場推移 日本における2020年初冬以降の新型コロナウイルス感染拡大の影響によりソーシャルディスタンスを確保する必要が生じると 2000年代以降成長を続けてきた音楽ライブの市場規模は大幅な減少となった ぴあ総研によると 2020年のオンラインライブを除いた音楽ライブ市場は2019年の4237億円から対前年比86 1 減の589億円 音楽フェス市場は2019年の330億円から対前年比98 減の6 9億円に激減した 78 79 多くの音楽家にとって 楽曲の公開で作品の配信やオンラインライブ以外の方法が取りにくくなった そのような状況の中 ボカロに縁がありYouTube動画で楽曲を発表していた ずっと真夜中でいいのに YOASOBI ヨルシカの3組のバンドは 夜好性 と呼ばれ人気となった 80 一般人女性のひらめが制作してTikTokに投稿した ポケットからきゅんです がバズを引き起こすなど 数多くのインディーズミュージシャンの楽曲がTikTokを起点として拡散する傾向が高まった 過去には芸能プロダクション 音楽事務所が売り出す方法に頼らざるを得なかったが TuneCoreなどの音楽配信委託サービスを通して 誰でも世界中に自分の楽曲を配信することが可能となったことで 瑛人 yamaなどSNS経由でのインディーズミュージシャンのブレイクが増加している 81 2020年には CD未リリースながらストリーミングやYouTubeの動画再生回数で好成績を収めたYOASOBIの 夜に駆ける が音楽チャート Billboard Japan Hot 100 の年間1位を獲得しNHK紅白歌合戦に出場 2021年はBillboard Japan各指標ダウンロード ストリーミング カラオケの三冠で年間1位の優里 ドライフラワー など フィジカルセールスからストリーミングへの流れがさらに拡大している 新型コロナ禍でのロックフェスの再開 編集 2022年に入り 新型コロナのパンデミックは未だ終息は見えないものの マスク着用 ソーシャルディスタンス 声援禁止等の感染防止対策ガイドラインの規制を維持した上で日本各地でロック フェスティバルの開催が再開された 82 それぞれ約3年ぶりの開催とあって待ち望んでいたファンの盛況となった 5月開催のMETROCK2022のヘッドライナーを務め楽曲 新宝島 を演奏したサカナクションの山口一郎はNHKのインタビューで 不安な時代を音楽で 乗りこなす 意義を強調した 83 また7月開催の京都大作戦2022主催ロックバンド10 FEETは楽曲 その向こうへ RIVER 10 FEETの曲 等を演奏 開催出来た感謝の言葉を述べた 84 茨城県での LuckyFM Green Festival WANIMA主催 1CHANCE FESTIVAL の様に新規のフェスも開催された 85 アニメソング ゲームミュージックの世界的人気 編集 アニメソングは海外で最も聴かれた日本のポップス音楽ジャンルに成長し 日本を代表するポップス音楽ジャンルとなっていたのだが そのことは国内であまり認識されていなかった 86 日本で おたく文化 と見なされてきた諸分野は 国内では一般の大衆文化よりもさらに劣るとみなされてきたが 日本が本場となり 海外へ輸出し得ている数少ない現代文化であった 87 2020年にLiSAの 炎 が第62回日本レコード大賞大賞を受賞した 88 LiSAの 紅蓮華 は 2020年12月4日発表のSpotify 海外で最も再生された国内アーティストの楽曲 の1位 89 であり 2021年8月8日 東京五輪閉会式 に用いられた この他 ゲームミュージックも海外に知られた日本発の音楽となっており 2021年7月23日 東京五輪開会式 での選手入場行進曲に用いられた 90 Spotify 海外で最も再生された日本のアーティストの楽曲 2021年 91 1位 Eve 廻廻奇譚 2位 LiSA 紅蓮華 3位 YOASOBI 夜に駆ける 4位 TK from 凛として時雨 unravel 5位 Linked Horizon 心臓を捧げよ 6位 TERIYAKI BOYZ Tokyo Drift 7位 ビッケブランカ Black Catcher 8位 KANA BOON シルエット 9位 いきものがかり ブルーバード 10位 YOASOBI 怪物 太字の楽曲はアニメ主題歌 2022年に入ってもアニメソングは人気であり上半期はAimer 残響散歌 がBillboard JAPAN HOT100上半期1位 92 SiM The Rumbling がアメリカ Billboard HOT HARD ROCK SONG CHART100で1位獲得 93 中田ヤスタカがプロデュースのシンセウェイヴ エレクトロ ポップ要素等のあるAdo 新時代 は日本楽曲初 世界で最も再生された曲のデイリーチャートApple Musicトップ100 グローバルチャートで1位となった その他フランス ギリシャ等 94 他国Spotify カラオケ等 国内外のヒットチャートで1位を獲得 85冠 9月7日時点 95 70冠 8月12日時点 達成 96 アメリカビルボードのGlobal Excl U S チャートでも8位に浮上 関連7曲が同時ランクインした 97 ボカロ人気再燃 編集 2020年頃からYouTubeでボカロが人気になっている 2007年8月31日 VOCALOID 初音ミクが発売された際の一次流行から時を経て 人間が歌唱して人気が再燃している 98 前述のSpotify 海外で最も再生された日本のアーティストの楽曲 2021年 の1位EveはボカロPである 詳細はボカロ参照 J POPリバイバル 編集 2022年3月3日第14回CDショップ大賞2022は 大賞 赤にOfficial髭男dism Editorial 大賞 青にWurtS ワンス アポン ア リバイバル が選ばれた 99 音楽プロデューサーのTOMCは Official髭男dismのアルバムについて 1990年代のASKAや槇原敬之 幻想の摩天楼 の頃のスティーリー ダンを思わせる渦巻くようなコード展開 重厚なアレンジ それでいて一切音楽マニア向けでない現行の青春賛歌 足し算型 の歌モノでこれに敵うものはそう無い気がする とコメントした 100 他 シンガーソングライターのにしな等が1990年代J POPに似た雰囲気を持った曲を発表している 同義語 編集J ROCK ジェイロック という表記が登場するきっかけとなっている 日本の という意味でJ RAP J SOULなどにも J を付ける使い方も一時期流行した これらの言葉はJ ROCKを除くと現在はあまり使われておらず J POP がこれらのジャンルの楽曲も内包する言葉であるともいえる なお 海外で日本音楽を内包する言葉としては Japanese Music J music が一般的である 方言としてZ POP ズィー ポップ がある JFL系列のラジオ局ZIP FM 愛知 とJFN系列のエフエム熊本 FMK が用いる言葉で 日本を表す Zipangu ジパング の頭文字であること 局限定であること ZIP FMは放送エリアである名古屋周辺を ZIP CITY と呼ぶ 局による選曲方針の違いなどがあるものの J POPとほぼ同意義である 参考文献 編集出典は列挙するだけでなく 脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします 2014年11月 烏賀陽弘道 Jポップの心象風景 文春新書 2005年3月 烏賀陽 弘道 2005 Jポップとは何か 岩波新書 田家秀樹 読むJ POP 1945 2004 朝日新聞社 2004年11月 田家秀樹 ジャパニーズポップスの巨人たち 21世紀に語り始めた22人の音楽スピリット TOKYO FM出版 2002年8月 田家秀樹 J pops CDで聴く名盤 名曲716 日本文芸社 1995年3月 中村とうよう ポピュラー音楽の世紀 岩波新書 1999年9月 横沢千秋 他 日本流行歌史 1960 1994 社会思想社 1995年5月 関連項目 編集邦楽 サビ Aメロ J POPの曲における構成要素 和風音階 ダウンビート ニューミュージック 歌謡曲 音楽のジャンル一覧 吉田拓郎 日経エンタテインメント は 2000年2月号の特集 J POPの歴史をつくった100人 の中で J POPの開祖 と論じている 101 ブリット ポップ イギリスのポップス フレンチ ポップス フランス語圏のポップス アジアン ポップス K POP 韓国のポップス C POP 中華圏のポップス T POP 台湾のポップス 脚注 編集 脚注の使い方 注釈 編集 それぞれ前述のZARD やWANDS B z T BOLAN 出典 編集 烏賀陽 2005 p 5 6 烏賀陽 2005 p 3 烏賀陽 2005 p 6 烏賀陽 2005 p 15 烏賀陽 2005 p 19 a b 烏賀陽 2005 p 7 東京新聞 J WAVE開局20周年 若年層の圧倒的な支持を受けるラジオ局のこれから 2008年9月30日 烏賀陽 2005 p 15 16 a b 烏賀陽 2005 p 8 烏賀陽 2005 p 46 51 烏賀陽 2005 p 51 烏賀陽 2005 p 57 59 a b 烏賀陽 2005 p 59 デビュー歌手数 日本レコード協会 烏賀陽 2005 p 37 38 烏賀陽 2005 p 38 a b 烏賀陽 2005 p 39 烏賀陽 2005 p 41 烏賀陽 2005 p 39 40 烏賀陽 2005 p 41 43 烏賀陽 2005 p 44 45 烏賀陽 2005 p 45 烏賀陽 2005 p 55 Jポップとは何か P 60より 烏賀陽 2005 p 61 日本流行歌史 社会思想社 p 91より クレタパブリッシング 昭和40年男 2014年2月号 pp 36 39 それが大事 大ヒットから30年 人生経験を経て導き出した 負けてもいい 投げ出してもいい こと ORICON NEWS ヒットソング 70年分の歌詞 分析 恋 愛 夢 失う まるで日本 KAN 愛は勝つ を 大勝利 させた要因は何か カノン進行 は大仰な感じ 壮大な感じを醸し出すコード進行です フライデイ 2020年9月27日 揺れる想いに遺るZARDが時代を超えて愛される理由 okmusic 2017年5月24日 2021年7月7日 閲覧 ミリオンセラー作品数の推移 日本レコード協会 音楽の売れ筋 みんなが聞くから メガヒットの憂い 上 朝日新聞 2000年4月3日付大阪夕刊 7頁 a b c 烏賀陽 2005 p 22 安室奈美恵がJ POPシーンに与えた影響は デビュー以降の音楽的変遷を辿る リアルサウンド 2017年9月24日 2017年11月25日 閲覧 烏賀陽 2005 p 54 烏賀陽 2005 p 21 22 烏賀陽 2005 p 21 烏賀陽 2005 p 23 烏賀陽 2005 p 20 21 音楽ソフト種類別生産金額の推移 日本レコード協会 音楽ソフト種類別生産数量の推移 日本レコード協会 オリコン年鑑 1994年版 オリコン 1994年 13頁 a b 烏賀陽 2005 p 26 レコ協 5月ミリオン等認定作品発表 AKBが9年ぶり2ミリオンに Musicman NET 2012年6月8日 AKB新曲 真夏のSounds good 200万枚突破 スポーツ報知 2012年6月9日 6 00 AKB48最新シングル ミリオン認定 デイリースポーツ 2010年11月11日 AKB48 デビュー5年目で初ミリオン シングルでは3年5か月ぶり快挙 オリコン 2011年1月25日4時0分 a b 2008年の国内有料音楽配信売上は905億円 前年比20 増 Impress Watch 2009年2月25日 06年の有料音楽配信売り上げ CDシングル抜く ITmedia 2007年2月23日 国内の有料音楽配信 2009年の売上は909億8200万円で横ばい Impress Watch 2010年2月22日 国内の有料音楽配信 2010年売上は859億9000万円 前年下回る Impress Watch 2011年2月28日 Inc Natasha GReeeeN キセキ ギネス記録認定で佐藤隆太も感激 日本語 音楽ナタリー 2021年2月9日 閲覧 Inc Natasha 青山テルマ SoulJa そばにいるね がギネス認定 日本語 音楽ナタリー 2021年2月9日 閲覧 レコチョク 平成で最もダウンロードされた楽曲は GReeeeN キセキ Musicman 日本語 音楽業界総合情報サイト Musicman 2021年2月9日 閲覧 音楽配信とパッケージの売上合計が3年連続前年越え RIAJが 2007年年間有料音楽配信売上実績を発表 Impress Watch 2008年2月21日 統計データ CDV NET 2011 08 02閲覧 グループアイドル進化論 pp93 100 年度別ミリオンセラー一覧 2010年 日本レコード協会 2011 08 03閲覧 2010年 日本レコード協会にミリオンセラーに認定されたアルバム盤は3作あるが 1作は2005年発売の作品である 2010年 年間1位は西野カナ 会いたくて 会いたくて 着うたフル R 有料音楽配信年間チャート発表 日本レコード協会 2010年12月20日 高増明 2015 日本のポピュラー音楽の危機と経済停滞 関西大学社会学部紀要 関西大学社会学部 47 1 1 20 ISSN 02876817 http hdl handle net 10112 9455 2022年10月23日 閲覧 岡崎体育 がブレイクした理由は 現代人はJ Popにウンザリしてる アーリーテックス JOYSOUND平成カラオケ年表 10年代 平成22年 30年 日本語 JOYSOUND com 2021年6月29日 閲覧 生産実績 過去10年間 オーディオレコード全体 www riaj or jp 一般社団法人 日本レコード協会 2021年6月18日 閲覧 日本のレコード産業 www riaj or jp 一般社団法人 日本レコード協会 2021年6月18日 閲覧 STOP 違法ダウンロード広報委員会 開設サイト あいみょん ストリーミングからブレイクした初のアーティストが音楽シーンに示した存在感 ORICON NEWS 2022年8月29日 閲覧 TechCrunch 20190226 サザンや中島みゆきもついに解禁 サブスク 日経BP 2020 01 22 日本レコード協会プレスリリース 2020年6月 日本で国民的ヒット曲を生み出すための 最も有効な仕掛け とは 柴 那典 gendai biz 現代ビジネス 2021年2月9日 閲覧 日本経済新聞社 日経BP社 めざせ韓国 BTS 日本の歌手がネット配信で海外へ MONO TRENDY NIKKEI STYLE 日本語 NIKKEI STYLE 2021年6月18日 閲覧 オリコン 合算ランキングおよびストリーミングランキングを12月より開始 ORICON NEWS リリースから40年の快挙 Spotify15日連続世界1位の松原みき 真夜中のドア Stay With Me 復刻盤商品化決定 PONYCANYON NEWS 2020年12月25日 https news ponycanyon co jp 2020 12 45682 2020年12月30日 閲覧 森村潘 2020年12月27日 大人のエンタメ 松原みきの名盤が復刻へ 真夜中のドア と1STアルバム zakzak https www zakzak co jp ent news 201227 enn2012270001 n1 html 2020年12月30日 閲覧 松永良平 2020年12月10日 松原みき 真夜中のドア stay with me なぜ今話題に 世界のシティ ポップ ファンに愛されたアンセム コラム Billboard JAPAN http www billboard japan com d news detail 95073 2 2020年12月30日 閲覧 次世代シティポップ バンド ムーブメント Nulbarich Suchmosら 次世代シティポップ シーンの変遷 新風吹き込むRAMMELLSへの期待 RealSound 2018年7月12日 https realsound jp 2018 07 post 219976 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