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織戸学

織戸 学(おりど まなぶ、1968年12月3日[2] - )は、千葉県船橋市出身[2]神奈川県在住[3]レーシングドライバーMAX ORIDOとしても知られる。愛称は「オリダー」「モン吉」。A型[2]

織戸 学
おりど まなぶ
2019年東京オートサロンRS★Rブースにて。左から(塚田香澄)、五十川ちほ日比野哲也、織戸学。
生誕 (1968-12-03) 1968年12月3日(54歳)
日本千葉県
職業レーシングドライバー
配偶者あり[1]
公式サイトMAX織戸公式ウェブサイト
補足
1997年全日本GT選手権GT300チャンピオン
2009年スーパーGTGT300チャンピオン
織戸 学
YouTube
チャンネル
  • MAX ORIDO
活動期間 2016年-
ジャンル モータースポーツ
登録者数 9.36万人
総再生回数 12,896,391回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2023年3月31日時点。
(テンプレートを表示)

プロフィール

デビュー

自動車整備の専門学校を卒業した後、自動車雑誌「CARBOY」主催のドリフトコンテストで頭角を現し、初代グランドチャンプとなった[3]後に坂東正明率いる坂東商会に入社し、21歳の1991年より富士フレッシュマンレースのNA1600クラス[2]でレーシングドライバーとしてデビューした[4]。マシンはAE86レビンのN2仕様で、周囲はベテランドライバーばかりだったため、よく目の敵にされたとビデオオプション[要文献特定詳細情報]で語っている。翌1992年にはシリーズチャンピオンを獲得[3]

1993年にはフレッシュマントロフィーレースinSUZUKAのN2-1600クラスにAE92レビンのN2仕様で参戦[5]。スポット参戦ながらシリーズ3位を獲得[3]

1994年からはスーパーシルビアN2レースに参戦[2]。1995年と翌1996年に連続してシリーズチャンピオンを獲得[6]

デビュー当初は土屋圭市を継ぐ「ポストドリキン」とも呼ばれ[要出典][7]横浜ゴムの開発ドライバーを務めていた土屋がブリヂストンに移籍した際は、その後継ドライバーとして織戸が抜擢される。

全日本GT選手権・SUPER GT

 
JLOCのランボルギーニ・ガヤルド(2015年)

全日本GT選手権(JGTC、現 SUPER GT)には1996年より参戦し、最初はGT300クラスで日産・シルビアを駆り、翌1997年にはシリーズチャンピオンに輝いた[要検証]

その後、2000年には土屋エンジニアリングよりGT500クラスに参戦[8][9]。2002年サードに移籍し、2003年は第7戦にてGT500初優勝を飾った[8][10]。2004年に再び土屋エンジニアリングに復帰し、2005年には開幕戦で優勝を飾った[8][10]。2006年は、土屋エンジニアリングを立ち上げた土屋春雄の息子である土屋武士とコンビを組んだ。

2008年より、再びRACING PROJECT BANDOHからGT300クラスに参戦し、第5戦菅生で、自身初のポールポジションを獲得。第7戦もてぎでは予選での車両規定違反で最後尾スタートを強いられたが、そこから怒涛の追い上げを見せ、最後尾25位スタートからの大逆転優勝を飾った。この最後尾スタートからの優勝は、JGTC時代も含め初の快挙であった。2009年は開幕戦で優勝を飾ると、その後も安定した成績を収め、12年ぶりのシリーズチャンピオンに輝いた。第8戦でGT参戦通算100戦目を迎えた。[8][11]。 2011年にJLOCに移籍[8]し、ほぼ毎シーズン優勝を含む表彰台を獲得し安定した速さを見せた。しかしタイトル争いに絡むことはできず、2018年3月、所属していたJLOCから離脱したことを自らのFacebookで明らかにした[12]。同月19日、GT500クラスに「LEXUS TEAM WedsSport BANDOH」として参戦するRACING PROJECT BANDOHのエグゼクティブアドバイザーに就任することが発表された[13]。また横浜タイヤを知り尽くしていることを買われ、同年第5戦富士500マイルにてaprの第3ドライバーとしてトヨタ・プリウスをドライブした。

スーパー耐久

JGTCにデビューした1996年からN1耐久(現 スーパー耐久)にも参戦し、2005年にはSTクラス1のシリーズチャンピオンに輝いている(TEAM ADVAN DENAG #25 ADVAN DENAG GT3/ポルシェ・911GT3)[3]

その他

 
全日本ラリー選手権に参戦する織戸の86(2019年飛騨高山)

2004年にはル・マン24時間レースチョロQレーシングよりポルシェ・911黒澤治樹・西沢和之と参戦、総合12位/GTクラス2位に入った。

2005年にそれまでの審査員から選手としてD1グランプリにスープラで参戦した[14]。一度休止し2008年から復帰し2015年まで活躍した[15]

2013年2月には、横浜市都筑区にプロ用ドライビングシミュレーターを備えたレーシングドライバー向けトレーニング施設として「130R YOKOHAMA」をオープンした。また富士スピードウェイなどでレーシングドライバー向けのトレーニングを開催している。

86/BRZレースにも開催初年度の2013年から漫画クローズ×WORSTとのコラボレーションであるTOMMY‘SRACING withクローズエクスプロードから参戦。未経験者ばかりのチームであったが、初年度から優勝を果たした。さらに男性音楽グループONE☆DRAFT(徳間ジャパン)とのコラボを実現し『ONE WAY』をチーム応援オフィシャルソングとして迎えるという企画も実現している。2015年からはタイヤ販売店の(K-one)のチームであるK-one Racingに移籍し、2021年現在も参戦を継続している。

2015年、2019年、2021年には全日本ラリー選手権にK-one Racingより参戦している[16][17]

レース戦歴

  • 1992年 - 富士フレッシュマンレース NA1600クラスシリーズチャンピオン[3]
  • 1993年 - フレッシュマントロフィーレースinSUZUKA N2-1600クラス(第3戦より、3回優勝、シリーズ3位)[3]
  • 1995年 - スーパーシルビアN2シリーズチャンピオン[18]
  • 1996年
    • スーパーシルビアN2シリーズチャンピオン[19]
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(Rd.4)(TEAM-JUN/JUNートラスト スカイライン)[3] / GT300クラス(Rd.5,6)(TEAM TAISAN Jr./つちやMR2)[3]
    • N1耐久選手権 クラス2[3]
  • 1997年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(RS-Rレーシングwith BANDOH/RS☆Rシルビア)(シリーズチャンピオン・2勝)[3]
  • 1998年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(Rd.4〜7)(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ)(ランキング2位)[3]
  • 1999年
    • 全日本GT選手権・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ)(シリーズ3位・1勝)[3]
    • NASCARウィンストンカップウェストシリーズ(スポット参戦)[3]
  • 2000年
  • 2001年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(土屋エンジニアリング/FK/マッシモADVAN スープラ)(シリーズ19位)[3]
    • マカオ・ギアレース(TEAM DD #10 トヨタ・アルテッツア、2位)[3]
  • 2002年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)(シリーズ14位)[3]
    • スーパー耐久 グループNプラス(ADVAN ALTEZZA)シリーズチャンピオン[20]
  • 2003年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)(シリーズ6位・1勝)[3]
    • スーパー耐久 クラス1(ポルシェGT3)[3]
  • 2004年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM ADVAN・ツチヤ/ECLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ12位)[3]
    • ル・マン24時間レース GTクラス(チョロQレーシング #77 ポルシェ911GT3 RSR、総合12位・クラス2位)[3]
  • 2005年
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM ADVAN・ツチヤ/CLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ13位・1勝)[3]
    • D1グランプリ(スープラ)(シリーズ12位)[3]
    • スーパー耐久(STクラス1(TEAM ADVAN DENAG #25 ADVAN DENAG GT3/ポルシェ911GT3、シリーズチャンピオン)[3]
  • 2006年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TSUCHIYA/ECLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ19位)[3]
  • 2007年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TSUCHIYA/ECLIPSE ADVAN SC430)(シリーズ17位)[3]
  • 2008年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ・ウェッズスポーツIS350)(シリーズ12位・1勝)[3]
    • D1グランプリ(IS350)[3]
  • 2009年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350)(シリーズチャンピオン・1勝)[3]
    • D1グランプリ(BANDOH with NATS/アリスト)(シリーズ15位)[3]
  • 2010年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350)(シリーズ8位)[3]
    • D1グランプリ(RIRE, M7 YOKOHAMA NATS With MAX/ADVAN MAXスープラ)(シリーズ8位)[3]
  • 2011年
  • 2012年
  • 2013年

全日本GT選手権/SUPER GT

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1996年 (TEAM-JUN) 日産・スカイラインGT-R GT500 SUZ FSW SEN FSW
13
NC 0
TEAM TAISAN Jr. トヨタ・MR2 GT300 SUG
4
MIN 19位 10
1997年 (RS-Rレーシング) with BANDOH 日産・シルビア GT300 SUZ
1
FSW
2
SEN
2
FSW
3
MIN
1
SUG
5
1位 90
1998年 RACING PROJECT BANDOH トヨタ・セリカ GT300 SUZ FSW SEN FSW
7
TRM
2
MIN
2
SUG
3
2位 46
1999年 GT300 SUZ
1
FSW
2
SUG
Ret
MIN
3
FSW
Ret
TAI
5
TRM
2
3位 70
2000年 ENDLESS+土屋エンジニアリング トヨタ・スープラ GT500 TRM
13
FSW
10
SUG
14
FSW
8
TAI
8
MIN
7
SUZ
13
18位 11
2001年 土屋エンジニアリング GT500 TAI
9
FSW
11
SUG
11
FSW
PO
TRM
7
SUZ
7
MIN
10
19位 11
2002年 TOYOTA TEAM SARD GT500 TAI
3
FSW
Ret
SUG
12
SEP
Ret
FSW
15
TRM
5
MIN
7
SUZ
5
14位 33
2003年 GT500 TAI
14
FSW
3
SUG
14
FSW
3
FSW
7
TRM
7
AUT
1
SUZ
9
6位 57
2004年 TEAM ADVAN・ツチヤ GT500 TAI
14
SUG
2
SEP
Ret
TOK
13
TRM
12
AUT
3
SUZ
10
12位 31
2005年 GT500 OKA
1
FSW
14
SEP
15
SUG
9
TRM
15
FSW
Ret
AUT
Ret
SUZ
14
13位 26
2006年 TOYOTA TEAM TSUCHIYA GT500 SUZ
8
OKA
9
FSW
6
SEP
10
SUG
12
SUZ
Ret
TRM
12
AUT
15
FSW
9
19位 18
2007年 レクサス・SC430 GT500 SUZ
9
OKA
6
FSW
Ret
SEP
5
SUG
8
SUZ
Ret
TRM
8
AUT
10
FSW
12
17位 20
2008年 RACING PROJECT BANDOH トヨタ・セリカ GT300 SUZ
7
OKA
Ret
12位 40
レクサス・IS350 FSW
9
SEP
Ret
SUG
15
SUZ
19
TRM
1
AUT
10
FSW
5
2009年 GT300 OKA
1
SUZ
8
FSW
5
SEP
2
SUG
5
SUZ
6
FSW
4
AUT
3
TRM
3
1位 85
2010年 GT300 SUZ
3
OKA
14
FSW
4
SEP
9
SUG
Ret
SUZ
4
FSW
C
TRM
7
8位 33
2011年 JLOC ランボルギーニ・ガヤルド RG-3 GT300 OKA
3
FSW
14
SEP
7
SUG
16
SUZ
3
FSW
19
AUT
16
TRM
16
11位 26
2012年 ランボルギーニ・ガヤルド LP600+ GT3 GT300 OKA
17
FSW
Ret
SEP
Ret
SUG
3
SUZ
3
FSW
Ret
AUT
7
TRM
3
8位 39
2013年 ランボルギーニ・ガヤルド GT3 FL2 GT300 OKA
Ret
FSW
12
SEP
5
SUG
18
SUZ
4
FSW
Ret
AUT
12
TRM
5
14位 22
2014年 GT300 OKA
11
FSW
Ret
AUT
11
SUG
1
FSW
21
SUZ
13
CHA
18
TRM
11
16位 20
2015年 GT300 OKA
Ret
FSW
Ret
CHA
17
FSW
7
SUZ
4
SUG
4
AUT
Ret
TRM
7
15位 26
2016年 ランボルギーニ・ウラカンGT3 GT300 OKA
9
FSW
25
SUG
6
FSW
4
SUZ
9
CHA
10
TRM
3
TRM
Ret
11位 30
2017年 GT300 OKA
19
FSW
25
AUT
16
SUG
Ret
FSW
7
SUZ
2
CHA
5
TRM
Ret
10位 28
2018年 apr トヨタ・プリウス GT300 OKA FSW SUZ CHA FSW
Ret
SUG
16
AUT
26
TRM
21
NC 0
2019年 GT300 OKA
Ret
FSW
21
SUZ
21
CHA
22
FSW
25
AUT
Ret
SUG
25
TRM
21
NC 0
2020年 GT300 FSW
21
FSW
17
SUZ
Ret
TRM
24
FSW
20
SUZ
20
TRM
10
FSW
13
29位 1
2021年 GT300 OKA
Ret
FSW
18
SUZ
6
TRM
8
SUG
20
AUT
23
TRM
16
FSW
16
21位 8
2022年 トヨタ・GR86 GT300 OKA
13
FSW
18
SUZ
8
FSW
15
SUZ
3
SUG
20
AUT
17
MOT
Ret
19位 28

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
(2004年)   チョロQレーシング   黒澤治樹
  西澤和之
ポルシェ・911 GT3RS GT 322 12位 2位

D1グランプリ

D1グランプリでは、2001年 - 2004年までは、土屋圭市・鈴木学と並んで審査員として活躍していたが、2005年初頭に開かれた「東京オートサロン2005」のD1表彰式にて「今年から選手としてD1の舞台に参加する」と発言し、この年から参戦を開始した。

ベース車両は、トヨタ・スープラ (JZA80) だが、このクルマの元々の姿は水没車であり、解体屋行き寸前のところで彼が拾い上げベース車両として再利用した。そこから土屋エンジニアリングでロールバーを入れ、オートプロデュースBOSSで手がけられたエンジンを積んでいる[15]

アメリカカリフォルニア州(アーヴィンデール・スピードウェイ)で行われた開幕戦は本来乗るはずのマシンがまだ完成しておらず、暫定的なマシンであったため単走1回戦敗退だったが、シーズン通して単走進出率100%と安定感を見せた。

東京お台場特設ステージで行われた第2戦では、2003年のシリーズチャンピオンであり、2004年第5戦から連続決勝戦進出記録を更新し続けるアペックスワークスのマツダ・RX-7 (FD3S) を駆る今村陽一を序盤のベスト16で下す波乱を起こし注目を集めたが、続くAE86に乗る植尾勝浩との対戦において、その今村との追走1本目で起きたデフブローが原因でリタイヤしてしまった。

宮城県スポーツランドSUGO本コースで行われた第3戦では、予選・1回戦を突破したが、続くベスト16でRE雨宮ワークスのRX-7 (FD3S) を操る末永正雄と対戦したときに、2本目でスピンを喫し敗退した。

第4戦の大分県オートポリスを欠場した後に迎えた第5戦エビスでは、HKSボアアップキットで3,400 cc化した(2JZ-GTE)と、ボアアップ化による低速域でのレスポンス低下を防ぐために(ホリンジャー)製の(シーケンシャルミッション)を新たに搭載すると、土曜日の予選を乗り慣れていない中で何とか通過し、日曜日の本選で1回戦を100点で通過した。その勢いのまま追走でも活躍を続けた。

まずベスト16で、2004年のシリーズチャンピオンであり、ORCワークスの日産・フェアレディZ (Z33) を駆る三木竜二を下すと、「レーシングドライバー対決」となったベスト8でHKSワークスのトヨタ・アルテッツァ (SXE10) に乗る谷口信輝と対戦し、彼の大きなミスにより自身初のベスト4進出を決めた。ベスト4ではBee☆R日産・スカイライン(BNR32・車両名B324R:R32GT-RにR34の顔をスワップし、アテーサE-TSをキャンセルしたうえでフロントのドライブシャフトを撤去した完全FR仕様)に乗る手塚強と当たる。1本目は6:4で、織戸がアドバンテージを取ったが、2本目で両者が接触した事が原因で手塚がテールを激しくウォールにヒットするクラッシュを負った。一時は織戸の反則負けという判定が下されたが、スローでのビデオ判定の結果、織戸がオーバーテイクを決めたと判断され、判定が覆り、決勝戦進出が決まった。これにより自身の持つ最高位記録を塗り替える結果となった。その決勝戦では、今シーズン既に3勝を挙げ、土屋圭市の個人事務所「圭オフィス」に所属する、日産・シルビア (S15) を操る風間靖幸との顔合わせとなった。両者とも全開で繋げようとしたが、後から振り出した織戸の方がウォールに右リアを激しくヒットし、コントロール不能となったスープラは審査席前のスポンジバリアを突き破り土手にクラッシュし、オイルクーラーがパンクしてしまった。それでもルーキーながら準優勝を勝ち取った。ちなみに決勝戦に入る前、準決勝でのクラッシュが元で既にパワステが故障しており、普通であれば決勝をリタイアするようなダメージを受けていたが、それでも出走を続けた。

第6戦の静岡県富士スピードウェイでは自身初のシード権を獲得して乗り込んだが、「走りが地味」という厳しい評価を受けて1回戦落ちを喫してしまった。既に最終戦は不出場が確定してしまっているため、ここで彼のルーキーイヤーは幕を閉じた。また、D1で乗っていたスープラもマシントラブルが多発し、最後は第6戦後に移送中、大型トラックに追突されてしまい廃車となってしまった。

2006年5月に(モータースポーツコム)のイベントでカラーリング・スペックがほぼ同じ2号機を復活させたが、D1には参戦していない。

2008年3月頃から復活の噂が囁かれ始め、第1戦エビス南のブリーフィングに谷口信輝と共に参加し、参戦を表明する。チームはSUPER GTと同じRACING PROJECT BANDOHからの参戦。マシンもGTと同じレクサス・IS350をベースとした車両で挑んだ。この年は第5戦のオートポリスにスポット参戦のみとなった。その第5戦では出来上がったばかりのマシンのためマシントラブルが発生し、修復は難しくリタイアという結果となった。

2009年は、GTでのドリフトデモランやDtoDなどで使用していたアリストをD1のレギュレーションに合わせ参戦した。

2010年には、マシンを再びスープラに戻し参戦を続けている。

2011年もスープラで参戦。第3戦オートポリス[注釈 1]ではD1初優勝を飾った[注釈 2]

2012年はスープラからトヨタ・86に変えて参戦。エンジンをノーマルのFA20からレクサス・IS Fに搭載されている(2UR-GSE)をチューニングしたものに換装されている。開幕戦こそ完成したばかりの状態ということもありエンジントラブルが出たものの、徐々にマシンの熟成が進みコンスタントにポイントを獲得した。

2013年はマシンはそのままであるが、エンジンをシボレー・コルベット用のV8エンジンへと変更した事で更なるパワーアップを行っており、第4戦では2位となった。

2015年 Rd.4エビスにて追走を走り切ってシーズン初優勝を飾った。10月15日、自身のブログにてD1グランプリ引退を表明。最終戦では86がエンジンブローで走れなくなりリタイアしたものの、翌日開催されたワールドチャンピオンズのフィナーレとして、86に代わり持ち込まれたRS★Rスープラ(2005年度に使用していたマシン)で「メモリアル追走」を披露した。

逸話

  • 初めてマレーシアセパンサーキットでのレースに出場する際に、「暑さ対策に岩塩をなめておくと良い」と聞いた織戸は、当時は岩塩というものが何か分からなかったため、レース前に茶碗一杯分の塩を採ってしまった。全身にピリピリとした感覚を覚えた後、猛暑のはずなのに強烈な寒さに襲われたという。その後、ヘリコプタークアラルンプールの病院に搬送され、一時は死亡確率4割という危険な状態に陥った。
  • 漫画『頭文字D』の大ファンでもあり、「頭文字D Battle stage」では雑談会で土屋圭市、今村陽一と共に出演している。また86/BRZレースや全日本ラリーでは頭文字Dのラッピングをマシンに貼って参戦していたことがある。
  • 雑誌Optionの企画にて、飯田章と「水戸納豆レーシング」というAE86のチームを結成し、公道やサーキットを暴走していた事がある。本人曰く、一番嫌な企画だったとの事。
  • 愛車の一つである(A80型スープラ)を購入したきっかけは、企画にてパワーハウスアミューズがチューニングしたスープラを乗った際にあまりの出来の良さに感激したためである[22]
  • 株式会社元気制作のレースゲームにライバルキャラクターとして度々出演している。「首都高バトル01」や「レーシングバトル -C1 GRAND PRIX-」において、実際の織戸の愛車である「RIDOX SUPRA」と共に登場する。「街道バトルシリーズ」には織戸本人は登場しないものの、愛車である「RIDOX SUPRA」は収録されている。
  • 2001年のマカオ・ギアレースではチェッカーを受けた後、リスボアコーナーで谷口信輝と共に二台のトヨタ・アルテッツァで華麗なドーナッツターンを披露して、マカオの観客を沸かせた[23]
  • プロレスラーの蝶野正洋とは、自宅が非常に近い(1軒挟んで隣同士)ことから交友がある(2022年時点で「12年来の仲」だという)[24]
  • 家族は妻と2女。次女の(織戸茉彩)はレーシングドライバーの道に進んでおり、インタープロトシリーズ併催の「KYOJO CUP」やヤリスカップなどに参戦しているほか[25]横浜ゴムの公式TikTokチャンネルなどでMCを務めている[26]

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 東日本大震災の影響で第1戦、第2戦のお台場が延期となったためオートポリスでの第3戦が実質上の開幕戦となる
  2. ^ ただし追走1回戦の途中、悪天候により追走は打ち切り。単走での順位を総合順位として採用されたためハーフポイントとなった。

出典

  1. ^ 塚本 2019, p. 79.
  2. ^ a b c d e “織戸学 ドライバーズコラム 第1回 プロドライバーとしての半生(前編)”. GAZOO.com (2015年12月1日). 2021年10月30日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am “プロフィール”. 2021年10月30日閲覧。
  4. ^ 塚本 2019, pp. 20–22.
  5. ^ 塚本 2019, p. 24.
  6. ^ 塚本 2019, pp. 26–27.
  7. ^ “トピックス - ”MAX ORIDO”こと織戸学選手の愛車がリボルト熊本に!”. 熊本で車・バイクのガラスコーティングならリボルト熊本. 2022年11月7日閲覧。
  8. ^ a b c d e “織戸学 ドライバーズコラム 第2回 プロドライバーとしての半生(後編)”. GAZOO.com (2015年12月8日). 2021年10月30日閲覧。
  9. ^ 塚本 2019, pp. 36–37.
  10. ^ a b 塚本 2019, p. 37.
  11. ^ 塚本 2019, pp. 42–43.
  12. ^ “織戸&細川がJLOCから離脱。今年のスーパーGTは著名ドライバーが続々不在に”. AUTOSPORT WEB. (2018年3月5日). https://www.as-web.jp/supergt/344867 2018年3月19日閲覧。 
  13. ^ “LEXUS TEAM WedsSport BANDOHが織戸学をエグゼクティブアドバイザーに起用”. AUTOSPORT WEB. (2018年3月19日). https://www.as-web.jp/supergt/350480 2018年3月19日閲覧。 
  14. ^ 塚本 2019, pp. 40–41.
  15. ^ a b 塚本 2019, p. 41.
  16. ^ 塚本 2019, p. 94-95.
  17. ^ “K-oneレーシング、織戸学を起用し全日本ラリー第6戦に参戦。パチスロ頭文字Dカラーの86投入”. AUTOSPORT WEB. (2021年6月11日). https://www.as-web.jp/rally/707560?all 2021年10月30日閲覧。 
  18. ^ 塚本 2019, p. 50.
  19. ^ 塚本 2019, p. 51.
  20. ^ 塚本 2019, p. 52.
  21. ^ a b 塚本 2019, p. 53.
  22. ^ “追悼 Amuse 田名邊秀樹 あれから10年【Best MOTORing】2008 - YouTube”. www.youtube.com. 2020年11月23日閲覧。
  23. ^ “谷口信輝 ドライバーズコラム 第11回 プロのレーシングドライバー”. 2017年12月15日閲覧。
  24. ^ 【動画】あの“黒のカリスマ”蝶野正洋が織戸学と対談。意外な接点とエピソードが満載 - オートスポーツ・2022年5月19日
  25. ^ 織戸 茉彩 - DRIVING ATHLETE
  26. ^ 「織戸学の愛娘がドリフト本格デビュー!?」ヨコハマタイヤの動きが相変わらず怪しい・・・ - WebOption・2023年4月20日

参考文献

  • 塚本剛哲 編『織戸学ドライビングストーリー』三栄〈サンエイムック〉、2019年。(ASIN) B07RNZCR5T。ISBN (9784779639401)。 

外部リンク

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