かいたちょう 海田町 | |
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国 | 日本 |
地方 | 中国地方、山陽地方 中国・四国地方 |
都道府県 | 広島県 |
郡 | 安芸郡 |
市町村コード | 34304-8 |
法人番号 | 9000020343048 |
面積 | 13.79km2 |
総人口 | 30,033人 ([編集]) (推計人口、2023年4月1日) |
人口密度 | 2,178人/km2 |
隣接自治体 | 広島市、安芸郡熊野町、坂町 |
町の木 | クスノキ |
町の花 | ヒマワリ |
海田町役場 | |
町長 | 西田祐三 |
所在地 | 〒736-8601 広島県安芸郡海田町上市14番18号 北緯34度22分20秒 東経132度32分10秒 / 北緯34.37217度 東経132.53603度座標: 北緯34度22分20秒 東経132度32分10秒 / 北緯34.37217度 東経132.53603度 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
■ ― 政令指定都市 / ■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |
特記事項 | なし |
ウィキプロジェクト |
概要
広島県の南西部、広島湾の東側に位置している[1]。広島県の23市町の中で2番目に面積が小さい自治体である[1]。しかし、広島市、呉市、東広島市の間にあり交通の結節点になっている[1]。
町内には陸上自衛隊第13旅団司令部や多くのマツダ関連工場などがある。
この地域に人々が住みはじめたのは、約1万年前のこととされ、海岸線は現在よりも内陸部にあった[1]。「かいた」の地名が初めて記録に出るのは平安時代の終わりごろで、「開田荘」と呼ばれる皇室領系の荘園でがあり、この荘園は南北朝時代に「海田荘」となった[1]。
中世には商業の中心地は瀬野川の日下橋付近にあり、「二日市」と呼ばれ市場や港の機能をもつ戦略上重要な拠点でもあった[1]。
近世に入ると瀬野川の土砂で陸地化が進み、商業の中心地は二日市よりも河口に近い「海田市」に移った[1][2]。海田市は広島藩の蔵入り地(直轄地)で西国街道の宿駅の一つとして整備された[1][2]。
江戸時代には海田村と奥海田村があったが、1889年(明治22年)に海田村は町制をしいて海田市町となった[1]。村制のままだった奥海田村も1952年(昭和27年)に町制をしいて東海田町となった[1]。
1956年(昭和31年)に海田町が誕生した当時は、人口が約11,000人であった[1]。しかし、広島市のベッドタウンとして開発が進んだことで人口が急増し、昭和40年代前半には20,000人を突破し、1981年(昭和56年)には30,000人を突破した。
その後は、1996年(平成8年)に30,000人を割り込んだものの、1998年(平成10年)に30,000人を回復。2003年(平成15年)4月に30,000人を割り込んでからは28,000 - 29,000人台で推移していた[3]が、2022年(令和4年)12月に30,000人に再び回復。ただし、住民基本台帳人口は、2018年(平成30年)11月・12月および2019年(令和元年)6月以降は30,000人台を維持している[4]。
広島県では、同じ安芸郡の府中町に次いで人口の多い町である。また、竹原、大竹、安芸高田、江田島の各市よりも人口が多い。
一方で、面積は広島県の市区町村で府中町に次いで小さく、総面積は13.79km2[5]、可住地面積は僅か7.35km2[6]である。人口密度は約2,100人と高く、県都の広島市(約1,300人)よりも高い。なお、実質の人口密度は約4,000人である。
地理
町の南西部には洞所山(どうところやま)、城山(じょうやま)、金ケ燈籠山(かながどうろうやま)など標高500~600m前後の山が連なり、北西方向に向かって尾根や丘陵地が広がっている[1]。北側の広島市との境界付近には日浦山を中心とした山々がある[1]。その間を瀬野川が流れており、支流の唐谷川や三迫川沿いも含めて平坦地や緩傾斜地になっている[1]。
町の地形は旧・海田市町と旧・東海田町で大きく異なる。旧海田市町は瀬野川の河口にあり平地が多いのに対し、旧東海田町は瀬野方面へと続く山地の中にあり、平地は瀬野川沿いのみである。
- 河川:瀬野川、花都川、尾崎川、三迫川、唐谷川、畑賀川
- トンネル:山陽新幹線府中トンネル、山陽新幹線安芸トンネル
- 主な橋梁:西明神橋、海田新橋、明神橋、ひまわり大橋、九十九橋、中店橋、上市橋、日下橋、石原橋、畝橋、国信橋、山陽新幹線瀬野川橋梁
隣接している自治体・行政区
- 広島県
歴史
- 1871年(明治4年)12月20日 - 郵便取扱所ができて郵便事務を開始する[7]。
- 1873年(明治6年)
- 1877年(明治10年)3月10日 - 広島警察署(大区内を管轄)が発足。海田市に分署を置く[8]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により安芸郡に海田市町と(奥海田村)(後に東海田町)が成立。
- 1891年(明治24年)
- 1901年(明治34年) - 安芸貯蓄銀行が海田市支店を開業。1916年に破綻するが、1907年に完成した店舗(建物)は残された。
- 1893年(明治26年)10月17日 - 安芸郡内で水害。海田市にも大きな被害。
- 1894年(明治27年)4月17日 - 海田市町で大火。下古川床より出火して258戸が焼失[10]。
- 1903年(明治36年)12月27日 - 呉線開通式、海田市駅 - 広島駅間の山陽鉄道複線化工事が完成[11]。
- 1905年(明治38年)
- 1907年(明治40年)7月15日 - 安芸郡全域に大水害。奥海田村に甚大な被害。
- 1908年(明治41年)11月8日 - 芸陽銀行設立。
- 1918年(大正7年)8月14日 - 米騒動が海田市に波及。不穏な状況となる[12]。
- 1923年(大正12年)7月11日 - 安芸郡で水害。海田市、坂、矢野で甚大な被害[13]。
- 1924年(大正13年)10月15日 - 秋祭りが暴動に発展(頂戴事件)。
- 1926年(昭和元年)7月7日 - 県下で大水害。海田市では下市橋、奥海田では市頭橋などが流失。海田市から矢野にかけた大新開約60町歩が泥海と化す。大水害は同年9月11日にも発生。
- 1936年(昭和11年) - 陸軍が海田市の耕地15万坪、海面(8万坪)を買収[14]。
- 1939年(昭和14年)8月29日 - 奥海田で山火事が発生。40町歩が焼失。
- 1944年(昭和19年)9月 - 水害のため海田市に大きな被害。
- 1945年(昭和20年)10月6日 - 終戦に伴いアメリカ軍第6軍第10軍団第41師団のうち3500人が海田市へ進駐。1946年2月からはアメリカ軍に代りイギリス軍が進駐[15]。
- 1950年(昭和25年)
- 1955年(昭和30年)8月25日 - 海田市の旧軍用地が完全に日本へ返還。後に岩手缶詰、広島ガス、宇部興産、西日本高圧ガス、広島鋳物工業、徳島ハムなどが進出。
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 海田市町と東海田町が合併し、海田町が発足。
行政
町長
町役場移転
町役場移転のため、1998年(平成10年)5月に庁舎建替準備会が設置された[18]。町役場のすぐ南側を隣接してJR西日本山陽本線が走っているが、広島県とJRの間でこの周辺の区間の「広島市東部地区連続立体交差事業及び関連街路事業」が進められ、海田町役場本庁舎が移転対象建築物とされたためである[18][19]。
当初は、2012年度末までの移転が計画されていたが、移転先を決める作業が難航。財政難を理由に2013年8月には事業の中止が決定したが、2015年になって再度高架化と町役場移転先の論議が始まった。
移転候補地としては、
の4案が出されていた。移転に掛かる費用は、1案が15億4000万円程度、2案が19億1000万円程度、3案が18億5000万円程度と概算された。
当初町議会議員の多くが3案を支持し、無作為の町民アンケートでも過半数には届かなかった(43.3%)ものの、3案の中では最多の支持を集めた。その後町議会は3案から支持を乗り換え、4案での移転を求める決議を採択したが、山岡寬次・前町長は否定的であった。
2015年11月に投開票が行われた町長選挙で、合同庁舎跡地への移転を推進する元町議の西田祐三が、4選を目指した山岡寬次を下し初当選を決めた。そして2018年3月、町議会で旧広島県海田庁舎跡地に新庁舎を移転する決議案を可決した[20]。なお、新庁舎整備基本計画における新庁舎建設の概算事業費は、約35.4億円~約39.7億円の間としている[21]。
海田町役場新庁舎の利用開始は2023年(令和5年)9月19日に決定している[22]。
議会
海田町議会
広島県議会
候補者名 | 当落 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
伊藤真由美 | 当 | 55 | 自由民主党 | 現 | 11,901票 | |
高田稔 | 当 | 57 | 無所属 | 新 | 10,371票 | |
平本徹 | 当 | 53 | 自由民主党 | 現 | 7,264票 | 2022年3月15日に辞職[23] |
樽谷昌年 | 落 | 67 | 無所属 | 新 | 1,525票 |
衆議院
合併問題
昭和
1939年(昭和14年)、1月、6月にかけて船越町との合併話が浮上するも破談する[24]。
1953年(昭和28年)、安芸地方事務所が安芸郡の町村合併計画を発表し、翌年以降、安芸郡九か町村合併協議会が設置され、開催される。1955年には瀬野町、熊野町も参画するが、当年度中に合併協議会はいったん解消される。1956年、瀬野川流域の合併話が浮上すると海田市も参加。同年8月26日に合併の賛否を問う住民投票が行われて賛成が多数を占めるも、直後に流域合併の話が破談して分裂。最終的に海田市と東海田との合併が進められ、同年9月30日に両町の合併が行われた[25]。
平成
広島市との合併話が出たが、二転三転して合併問題は膠着した。
一時は、広島市と2003年(平成15年)に合併の調印を行ったが、その後、反対意見の強まりにより、2004年(平成16年)8月22日に住民投票が行われ、合併は白紙になった[26]。
そもそも町内には、中国地方を管轄する陸上自衛隊第13旅団司令部や、多くのマツダ関連企業の工場が立地していることから、基地交付金や法人市民税・固定資産税等の収入で町財政は安定しており、合併に否定的な意見が多いとされている。同じ安芸郡の府中町にもマツダ本社があり、かつて麒麟麦酒広島工場からの巨額な法人市民税・固定資産税が入っていたために、広島市との合併を拒否してきたという似通った事情がある。
また、当町の上水道は、主に町内を流れる瀬野川からの取水と、山陽新幹線のトンネルを掘削した際に掘り当てた湧き水を、町内の2箇所の浄水場で浄水し、給水する自主水道でほぼ全町域使用分を賄っているが、広島市との合併に当たっては、この自主水道を廃止して、広島市や府中町同様、太田川の水を浄水した水の給水を受けることも条件の一つとして上がっており、その結果として、他の市町並みの水道料金の高騰化が懸念されたことも、合併拒否の理由とされている(海田町水道局の水道管は海田町内にしか流れていないので、維持管理費が安く、水道料金は近隣市町と比較して安価であると言われている。合併論議の際に町民に配布された比較データとしては、一般家庭で同じ水量を使用した場合、約1.7倍の水道料金になると試算されていた[27])[注釈 1]。
もっとも2014年に広島市は総務省から「新たな広域連携モデル構築事業」に選定され、翌年にこれは連携中枢都市圏として法律上の裏付けのある制度となった。これに基づき広島市は、海田町をはじめとする周辺の市町と相次いで「連携中枢都市圏形成に係る連携協約」を締結、2022年4月現在で12市15町が参加する広域連携となっていて[33]、行政上の様々な分野で広島市との連携は進んでいる。
官公庁
国の機関
- 国税庁広島国税局海田税務署 - 現参議院議員(前衆議院議員・元財務省官僚)の片山さつきは、西日本の税務署では初となる女性の署長である。参議院選挙時には、ポスターに「広島にご縁のある片山さつき」の文字が躍っていた。
- 国土交通省中国地方整備局広島国道事務所広島維持出張所
- 防衛省陸上自衛隊海田市駐屯地
県の機関
- 広島県海田警察署…海田町の他、安芸郡坂町、安芸郡熊野町、広島市安芸区全域を管轄する。
- 広島県海田庁舎(旧呉・賀茂教育事務所) - 2011年11月に呉市西中央1丁目の県呉庁舎へ移転した。これに伴い広島県海田庁舎に入居する県機関がなくなり、無人の建物と化している。2015年11月に初当選した町長が選挙戦で役場の移転候補として推進。
消防機関
- 広島市安芸消防署 - 2007年(平成19年)4月1日に広島市消防局に移管された。それ以前は海田町の他、安芸郡坂町、安芸郡熊野町、広島市安芸区全域を管轄する海田地区消防組合消防本部の本部・本署であった。
町の施設
- 海田公民館
- 海田東公民館(旧東海田町役場跡に建設)
- 海田町福祉センター
- 海田町立図書館 - 安芸郡では最初に開設された町立図書館
- 海田町立児童館
- ふるさと館
- ひまわりプラザ
- 海田町民センター・海田東児童館
産業
2002年(平成14年)の農業産出額は7000万円、年間商品販売額は563億円、製造品出荷額等は1085億円である。
工場
- 自動車関連工場
マツダ関連の工場が数多く立地。東洋シート、ヨシワ工業、ワイテック、黒石鉄工、(キーレックス)が本社を構える。南米系の外国人(日系人)や中国人労働者も多数働いている。
- その他工場
金融機関
商業施設
- ショッピングセンター
- ショッピングモール
- スーパーマーケット
- 大型電気店
- 大型書店
- ホームセンター
- DCM海田店(ディック海田店として広島県内1号店として開店後、改称)。
- ドラッグストア
- 家具・インテリア
- ニトリ海田店
- 子供用品
- 西松屋海田店
- 自動車教習所
- (海田自動車学校)
- 葬祭場
- (平安祭典) 安芸会館((ユウベルグループ))
- JA安芸海田セレモ館
- 宿泊施設
特産品
かつてはブドウが特産品で、「海田ぶどう」というブランド名もあったが、現在は特産品は無い。
牡蠣が特産品とされることがあるが、海田町の出荷業者は1件を数えるのみで、ほとんどは瀬野川を挟んだ対岸の広島市安芸区船越地区からの出荷である。
2005年(平成17年)、社団法人 海田町シルバー人材センターが、「ひまわり煎餅」、「海田おこし」、「海田名所煎餅」の販売を開始した。主に、町内のイベントなどで販売されている。詳細は、『広報かいた』(平成17年12月号5ページ)参照。
地域
人口
海田町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 海田町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |
■紫色 ― 海田町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |
海田町(に相当する地域)の人口の推移 | ||
総務省統計局 国勢調査より |
教育
保育園・保育所
- 海田町立つくも保育所
- 小さくら保育所
- 明光保育園
- 龍洞保育園
- 海田保育園(海田幼稚園併設)
- さいわい保育園
- みどりのなぁーさりぃ
幼稚園
- 海田幼稚園(海田保育園併設)
- 東海田幼稚園
- 海田みどり幼稚園
認定こども園
- こうわ認定こども園海田
- みどりのもりこどもえん
- こうわ認定こども園海田第二
小学校
- (海田町立海田小学校)
- (海田町立海田東小学校)
- (海田町立海田西小学校)
- (海田町立海田南小学校)
中学校
高等学校
専門学校
- 中川学園広島福祉専門学校(東京福祉大学との提携・単位互換制度あり)
- 中川学園広島生活福祉専門学校
交通
広島都市圏東部地域の交通の要衝となっている。国道2号線と国道31号線、県道164号線が交差する大正交差点が有名で、毎日のラッシュ時は1 - 2kmに及ぶ渋滞が起きるところでもある。
東広島バイパス・新広島バイパス・広島南道路に接しており、近隣には広島熊野道路・広島呉道路・広島高速道路があるため周辺自治体へのアクセスが良い。
鉄道路線
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
山陽本線では、東隣の安芸中野駅との中間にある畝地区に新駅の構想があるが、進展していない。
山陽新幹線が町内を通るが、町内の通過区域のほとんどがトンネル(安芸トンネル・(府中トンネル))であり、駅はない。
バス路線
芸陽バス・広電バス・海田町じゅんかんバスの路線がある。
2003年3月末までは中国JRバスも運行されていた。
道路
町内に高速道路は設けられていない。
一般国道
その他道路
- 広島県道84号東海田広島線
- 広島県道85号下瀬野海田線
- 広島県道151号府中海田線
- 広島県道164号広島海田線 - 中国駅伝のコースであった。
- 広島県道197号海田市停車場線
- 広島県道274号瀬野船越線 - 安芸山陽道と呼ばれる。
- 広島県道276号矢野海田線
- 西国街道(山陽道)
- 串掛林道 - 海田町と隣町の熊野町を結ぶ林道。
観光・祭事
名所・旧跡
- 千葉家書院・庭園
- 西国街道海田市宿の街並み
廃線跡
戦前、海田市駅から陸軍被服支廠海田市倉庫(現在の自衛隊)へ延びる引き込み線があった。海田市駅南口から分岐し、鉄橋(現在はひまわり大橋に架け替え)で瀬野川を渡り、南大正町交差点で国道2号と交差し、海田西小学校を通り、自衛隊へと続いていた。海田市駅南口が出来る前は、瀬野川手前まで軌道が残っていたが、今は道路となっている。尾崎川に斜めに架かる小さな橋が唯一の遺構である。
観光スポット
- 海田総合公園
- 町営キャンプ場
- ふるさと館
- 中国自然歩道 絵下山・茶臼山ルート
祭事
- 熊野神社夏越祭
- 熊野神社秋季例大祭
- かいた七夕さん
- 海田市駐屯地夏祭り
出身有名人
その他
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “第5次海田町総合計画”. 海田町. 2023年5月12日閲覧。
- ^ a b “西国街道・海田市めぐり”. 広島市. 2023年5月12日閲覧。
- ^ 「広島県人口移動統計調査」 市区町別推計人口の推移
- ^ “住民課(戸籍・住民係) 町別人口・世帯数”. 広島県安芸郡海田町. 2019年10月12日閲覧。
- ^ “平成30年全国都道府県市区町村別面積調(平成30年10月1日時点)”. 国土地理院 (2019年1月31日). 2019年2月4日閲覧。
- ^ “統計でみる市区町村のすがた2018”. e-Stat 政府統計の総合窓口 (2018年6月22日). 2019年2月4日閲覧。
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p835
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p836
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p838
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p839
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p840
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p841
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p843
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p846
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p847
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p848
- ^ 『全国市町村要覧 令和01年版』(第一法規) p.338
- ^ a b “海田町新庁舎整備基本構想”. 海田町. 2023年5月12日閲覧。
- ^ 渋滞解消、高架に懸ける 広島都市圏東部連続立体交差『中国新聞』2021年(令和3年)1月7日、16版、20面
- ^ “海田町役場移転、旧県庁舎で可決”. 共同通信 (2018年3月7日). 2018年7月9日閲覧。
- ^ 海田町新庁舎基本計画
- ^ “海田町役場新庁舎、9月19日利用開始 広島”. 中国新聞. 2023年5月12日閲覧。
- ^ “【速報】「被買収」4県議の辞職許可 河井夫妻事件で広島県議会”. 中国新聞. (2022年3月15日)2022年3月15日閲覧。
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p835、海田町編集、昭和61年9月10日、(全国書誌番号):(87013317)
- ^ 海田史年表『海田町史 通史編』p849-850
- ^ “海田町との最近の経緯一覧”. 広島市. 2016年2月29日閲覧。
- ^ “第5回広島市・海田町合併研究協議会(平成14年12月25日)資料 「議題10 水道事業の取扱い」” (PDF). 広島市. pp. 28-32. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “グラフで見るデータ(給水原価と供給単価)”. 海田町. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “一般用水道料金” (PDF). 海田町上下水道課. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “一般家庭用下水道使用料” (PDF). 海田町上下水道課. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “メーター使用料” (PDF). 海田町上下水道課. 2015年6月25日閲覧。
- ^ “水道料金等の計算方法(2ヶ月料金)”. 広島市水道局. 2015年6月25日閲覧。
- ^ 広島広域都市圏における連携中枢都市圏の形成