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東京優駿

東京優駿(とうきょうゆうしゅん、英:Tōkyō Yūshun)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。副称の日本ダービー(にっぽんダービー、英:Japanese Derby)の名称でも知られる。競馬の祭典とされている[5]

東京優駿 (日本ダービー)
Tokyo Yushun (Japanese Derby)[1]
2022年 東京優駿
(優勝馬 ドウデュース、鞍上 武豊
開催国 日本
主催者 日本中央競馬会
競馬場 東京競馬場
創設 1932年(昭和7年)4月24日[2]
2023年の情報
距離 芝2400m
格付け GI
賞金 1着賞金3億円
出走条件 サラ系3歳牡馬牝馬 (国際) (指定)
負担重量 定量 (牡57kg、牝55kg)
出典 [3][4]
(テンプレートを表示)
2019年東京優駿(優勝馬:ロジャーバローズ、鞍上:浜中俊

正賞は内閣総理大臣賞日本馬主協会連合会会長賞・東京馬主協会賞、朝日新聞社賞 (騎手賞)[3][4]

概要

1932年(昭和7年)にイギリスの「ダービーステークス」を範として、4歳 (現3歳)馬の競走として目黒競馬場にて創設[6]。後に創設された皐月賞菊花賞とともに「三冠競走」を構成する。4歳 (現3歳)牝馬による桜花賞優駿牝馬(オークス)を含めて「クラシック競走」とも総称される。第3回より施行場を現・東京競馬場(府中)に変更したほかは、開催地・距離ともに変更されておらず[6]、三冠競走の一冠目にあたる皐月賞が中山競馬場での開催に定着後も東京競馬場で代替開催された例が数例あるのに対し、二冠目にあたる同競走は2022年現在、代替開催等により開催地が変更された事は一度もない[注 1]。本競走を優勝することは、日本の競馬に関わるすべての関係者(ホースマン)が憧れる、最高の栄誉の1つである[6]。距離は第1回から2400mである。

一般的には副称の「日本ダービー」が知られている。この「ダービー (Derby)」は1780年にイギリスでダービーステークスを創設した第12代ダービー卿のエドワード・スミス・スタンレーに由来[6]し、現在は「競馬の祭典」として競馬ファン以外にも広く知れ渡っている[6]

1973年(昭和48年)までは日本国内の最高賞金競走だった[注 2]。その後はジャパンカップ有馬記念に次ぐ賞金額となった[7][8][9]

詳細

名称

1950年より「(日本ダービー)」の副称が付けられている[6][注 3]

東京日日新聞毎日新聞の前身)や読売新聞では1932年(昭和7年)の第1回から日本ダービーの名称が使われている[10]。1932年(昭和7年)4月25日の東京日日新聞3面では記事見出しで『日本ダービー 晴れの駿馬十九頭』と書き、読売新聞では1932年以降の記事見出しで日本ダービーの呼称を多く使っている。一方、朝日新聞では1949年までは記事見出しには日本ダービーの呼称は使っていない[11]

JRAが配布するレーシングプログラム競馬新聞などでは1950年(昭和25年)以降、重賞回次を示す場合は副称に冠して「東京優駿(第〜回日本ダービー)」の形で、また重賞回次なしの場合は「東京優駿(日本ダービー)」と表記している[12]

位置付け

皐月賞は「最も速い馬が勝つ」、菊花賞は「最も強い馬が勝つ」といわれるのに対し、本競走は「最も運のある馬が勝つ」といわれている[注 4][6]。1780年にこのレースを開催し始めた第12代ダービー卿、エドワード・スミス・スタンレーの名にちなんで名づけられた[13]

最も運がある馬が勝つとはいわれているが、元号令和に変わる直前10年間(平成21年-30年)では単勝3番人気までの馬が8勝を占め、1番人気の馬が1991年(平成3年)-1995年(平成7年)に5連勝、2001年(平成13年)-2006年(平成18年)に6連勝するなど人気馬が強い傾向があり[14]1966年(昭和41年)のテイトオー以来、2019年(令和元年)にロジャーバローズが12番人気で制するまでの50年以上、単勝二桁人気での勝利はなかった[14]

日本の競馬における本競走の位置づけは特別で、創設期には国内に比肩のない大競走であり、その後競走体系の整備が進むにつれて「二大競走」「五大競走」「八大競走」等と称されてきたが、常にその中核をなし国内での最高賞金競走となっていた。後に創設されたジャパンカップに国内最高賞金は譲ったが、2017年 (平成29年)現在は日本ではジャパンカップ、有馬記念に次いで3番目の高額賞金競走である[注 5]。競走の格付も1984年(昭和59年)のグレード制導入当初から最高の「GI」に格付けされたが、専ら外国の馬[注 6]に対する出走制限を理由に国際統一規格に基づく格付から外れ、格付表記も国内ローカル扱いの「JpnI」と改められた[注 7]。その後、2010年(平成22年)から外国調教馬も出走可能な国際競走となったことで正式に国際格付が認められ、格付表記も「GI」に戻された。

そのため「ダービーに始まりダービーで終わる」とも言われており、当競走が終了した6月第1週からはさっそく2歳馬による新馬戦(メイクデビュー)が開催される[注 8]

国際的評価

世界の競馬開催国は国際セリ名簿基準委員会 (ICSC)によってパートIからパートIVまでランク分けされており、2016年時点で日本は平地競走が最上位のパートI、障害競走はパートIVにランク付けされている[15]

また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着している(SMILE区分)によると、東京優駿 (日本ダービー)は「Long (2101m - 2700m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟 (IFHA)が毎年公表している年間レースレーティング[注 9]に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、東京優駿 (日本ダービー)は2016年に皐月賞と並んで3歳限定競走カテゴリーにおける世界1位(全体24位)[16][1]に、2019年にはコモンウェルスカップと並んで同カテゴリーにおける世界1位(全体32位)[17][18]に位置付けられている。

開催時期

戦前の第1-6回は4月下旬に開催されていたが、第7回以後は概ね、当レースのモデルとなったイギリスのダービーに倣い5月下旬か6月初めに行われており、1957年から1995年2000年以後は原則として5月の最終日曜日、1996年から1999年、並びに2000年以後でも6月1日がかかる場合には6月の第1日曜日に行われている。

但し、第34回(1967年)と第35回(1968年)は東京競馬場の改修工事の実施に伴い、1967年は5月14日に繰り上げ、1968年は7月7日に繰り下げ、また第38回(1971年)は4月に起きた厩務員ストライキによる休催があった関係で6月13日に、第39回(1972年)は馬インフルエンザによる東日本地区の長期休催の関係もあり7月9日[注 10]にそれぞれ繰り下げて開催されており、これらの場合でも東京競馬場で一貫して行われている[注 1]

競走条件

以下の内容は、2022年現在[3]のもの。

出走資格:サラ系3歳牡馬・牝馬(出走可能頭数:最大18頭)

  • JRA所属馬
  • 地方競馬所属馬(後述)
  • 外国調教馬(優先出走)

負担重量:定量(牡馬57kg、牝馬55kg)

  • 第1回は別定重量。第2 - 8回は牡55kg、牝53kg。第9 - 13回は牡57kg、牝55.5kg[2]

未出走馬および未勝利馬(『競馬番組一般事項 I 定義 4.出走条件(5)未勝利競走』に該当する収得賞金が算出できない馬[19][注 11])は出走できない[注 12]

出馬投票を行った馬のうち優先出走権のある馬から優先して割り当て、その他の馬は通算収得賞金が多い順に出走できる。なお、出馬投票の結果同順位の馬が多数おり出走可能頭数を超過した場合は、抽選で出走馬を決める[25]

優先出走権

出馬投票を行った外国馬は、優先出走できる[25]

JRA所属馬は同年に行われる下表の競走で所定の成績を収めた馬に、優先出走権が与えられる[25]

競走名 競馬場 距離 必要な着順
皐月賞 GI  中山競馬場 芝2000m 5着以内
青葉賞
(ダービートライアル)
GII  東京競馬場 芝2400m 2着以内
プリンシパルステークス
(ダービートライアル)
L  東京競馬場 芝2000m 1着馬

前述の未出走馬および未勝利馬の場合、上記の表中の青葉賞で2着以内となった場合と、プリンシパルステークスで1着となった場合は、出走が認められる[25][注 13]。地方競馬所属馬は上記のトライアル競走で所定の成績を収めた馬、および京都新聞杯の2着以内馬に優先出走権が与えられ[6][25][27]NHKマイルカップの2着以内馬、またはJRAで行われる芝の3歳重賞競走優勝馬も出走申し込みが可能となっている[27]

賞金

2022年の1着賞金は2億円で、以下2着8000万円、3着5000万円、4着3000万円、5着2000万円[4]

1着賞金の2億円は、ジャパンカップ有馬記念の4億円に次いで、日本の競馬では3番目の高額賞金競走である[9][注 14]。優勝騎手 (JRA所属騎手に限る)には2015年に新設されたワールドオールスタージョッキーズ[注 15]への優先出場権が与えられる[30][31][32]

歴史

 
1932年の第1回東京優駿大競走 (右・ワカタカ 左・オオツカヤマ)

大正時代中期より産馬業者から東京競馬倶楽部会長の安田伊左衛門に対し「イギリスクラシック競走であるダービーステークスのような高額賞金の大競走を設けて馬産の奨励をしてほしい」という意見があり、予てからの自身の構想と合致すると考えた安田は[注 16]馬産の衰退を食い止める手段としてイギリスのエプソム競馬場のダービーステークスを範し、

  1. 4歳(現3歳)牡馬・牝馬の最高の能力試験であること。
  2. 競走距離が2400m、又は2400mに限り無く近いこと。
  3. (開催国で催される競馬の)最高の賞金額を設定すること。
  4. 2歳(現1歳)秋から4回の出走登録を出走資格の条件とすること。
  5. 負担重量は馬齢重量とすること。
  6. 施行時期は原則的に春季とすること。
  7. 以上1から6を満たす競走は国内において本競走のみとすること。

という7つの原則のもと、4歳(現3歳)牡馬・牝馬限定の「東京優駿大競走」を創設することを1930年(昭和5年)4月24日に発表[33]、初回登録は同年10月に行われ、牡92頭・牝76頭の計168頭が登録。第1回は1932年(昭和7年)4月24日に目黒競馬場 (東京競馬場の前身)の芝2400mで施行された。第1回の競走の模様は発走前の下見所の様子から本馬場入場、表彰式に至るまで全国へラジオ中継された[34]

優勝馬の賞金は1万円、副賞として1500円相当の金杯のほか付加賞13530円が与えられ合計で2万5000円ほどとなった[34]。従来の国内最高の賞金が連合二哩の6000円であったから賞金の額も飛び抜けて破格であり、折からの好景気も相まって幼駒の取引価格が跳ね上がった。

また、それまで日本国内では競走馬の年齢を出走資格に定めた競走の開催は限定的[注 17]であり2歳 (現1歳)からの定期的な登録を要件とする本競走の創設によって国内における競走馬の生産、育成、競走と種馬 (牡牝とも)選抜のサイクルに初めて明確な指針が与えられた。

年表

  • 1932年 - 4歳 (現3歳)牡馬・牝馬による「東京優駿大競走」を創設、目黒競馬場の芝2400mで施行[35][6]
  • 1933年 - 負担重量を定量 (牡馬55kg・牝馬53kg)に変更。
  • 1934年 - 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更[6]
  • 1938年 - 名称を「東京優駿競走」に変更[6]
  • 1940年 - 負担重量を牡馬57kg・牝馬55.5kgに変更[36]
  • 1944年 - 能力検定競走として施行 (馬券発売なし)[37]
  • 1945年 - 太平洋戦争の影響により中止。
  • 1947年 - 戦後初の東京優駿競走を再開。牝馬の負担重量を55kgに変更[38]
  • 1948年 - 名称を「優駿競走」に変更[39]
  • 1950年 - 名称を「東京優駿競走」に変更、以降は競走名の後に (日本ダービー)がつく[6][12]
  • 1964年 - 名称を「東京優駿 (日本ダービー)」に変更[6]
  • 1964年 - シンザンがダービーを制覇。その後2頭目の3冠馬となり、翌年には5冠を達成した[40]
  • 1984年 - グレード制導入、GI[注 18]に格付け。
  • 1993年 - 「皇太子殿下御成婚奉祝」の副称をつけて施行[2]
  • 1995年 - 指定交流競走となり、地方競馬所属馬も出走が可能になる[2]
  • 2001年 - 外国産馬が最大2頭まで出走可能となる[41]
  • 2007年 - 格付表記をJpnIに変更[42]皇太子徳仁親王が東京競馬場に来場し、本競走を台覧[43]
  • 2010年
    • 国際競走に指定され、外国調教馬・外国産馬を合わせて最大9頭まで出走可能となる[44]
    • 格付表記をGI (国際格付)に変更[44]
  • 2014年 - 皇太子徳仁親王が東京競馬場に来場し、本競走を台覧[45]
  • 2020年 - 新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) の感染拡大防止のため「(無観客競馬)」として実施[46]

歴代優勝馬

優勝馬の馬齢は、2000年以前も現行表記で揃えている。

コース種別の記載がない距離は、芝コースを表す。

競走名は第6回まで「東京優駿大競走」、第7回 - 第14回は「東京優駿 (第13回のみ能力検定競走として施行)」、第15回・第16回は「優駿競走」、第17回 - 第30回は「東京優駿競走」 (「日本ダービー」の副称を付ける)、第31回より「東京優駿 (日本ダービー)」[6]

回数 開催日 競馬場 距離 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1932年4月24日 目黒 2400m ワカタカ 牡3 2:45 2/5 函館孫作 東原玉造 乾鼎一
第2回 1933年4月23日 目黒 2400m カブトヤマ 牡3 2:41 0/5 大久保房松 前川道平
第3回 1934年4月22日 東京 2400m フレーモア 牡3 2:45 2/5 (大久保亀治) 尾形景造 土田荘助
第4回 1935年4月29日 東京 2400m ガヴアナー 牡3 2:42 1/5 (井川為男) 布施季三 高橋錬逸
第5回 1936年4月29日 東京 2400m トクマサ 牡3 2:42 1/5 (伊藤正四郎) 尾形景造 山中清兵衛
第6回 1937年4月29日 東京 2400m ヒサトモ 牝3 2:33 3/5 (中島時一) 宮崎信太郎
第7回 1938年5月29日 東京 2400m スゲヌマ 牡3 2:33 2/5 中村広 千明賢治
第8回 1939年5月28日 東京 2400m クモハタ 牡3 2:36 1/5 阿部正太郎 田中和一郎 加藤雄策
第9回 1940年6月2日 東京 2400m イエリユウ 牡3 2:34 2/5 (末吉清) 石門虎吉 石田一
第10回 1941年5月18日 東京 2400m セントライト 牡3 2:40 1/5 小西喜蔵 田中和一郎 加藤雄策
第11回 1942年5月24日 東京 2400m ミナミホマレ 牡3 2:33 0/5 (佐藤邦雄) 東原玉造 池得次
第12回 1943年6月6日 東京 2400m クリフジ 牝3 2:31 4/5 前田長吉[注 19] 尾形景造 栗林友二
第13回 1944年6月18日 東京 2400m カイソウ 牡3 2:39 1/5 橋本輝雄 久保田金造 有松鉄三
第14回 1947年6月8日 東京 2400m マツミドリ 牡3 2:35 0/5 田中康三 (茂木為二郎) 松末博光
第15回 1948年6月6日 東京 2400m ミハルオー 牡3 2:33 2/5 (新屋幸吉) 上村大治郎 石川了吉
第16回 1949年6月5日 東京 2400m タチカゼ 牡3 2:33 4/5 近藤武夫 伊藤勝吉 熊谷八郎
第17回 1950年6月11日 東京 2400m クモノハナ 牡3 2:44 2/5 橋本輝雄 鈴木勝太郎 北竹清剛
第18回 1951年6月3日 東京 2400m トキノミノル 牡3 2:31 1/5 岩下密政 田中和一郎 永田雅一
第19回 1952年5月25日 東京 2400m クリノハナ 牡3 2:31 4/5 八木沢勝美 尾形藤吉 栗林友二
第20回 1953年5月24日 東京 2400m ボストニアン 牡3 2:34 3/5 蛯名武五郎 増本勇 岡本治一
第21回 1954年5月23日 東京 2400m ゴールデンウエーブ 牡3 2:34 4/5 岩下密政 藤本冨良 川俣欣也
第22回 1955年5月29日 東京 2400m オートキツ 牡3 2:36 3/5 二本柳俊夫 大久保房松 川口鷲太郎
第23回 1956年6月3日 東京 2400m ハクチカラ 牡3 2:36 1/5 保田隆芳 尾形藤吉 (西博)
第24回 1957年5月26日 東京 2400m ヒカルメイジ 牡3 2:31 0/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第25回 1958年5月25日 東京 2400m ダイゴホマレ 牡3 2:31 1/5 伊藤竹男 久保田金造 醍醐幸右衛門
第26回 1959年5月24日 東京 2400m コマツヒカリ 牡3 2:38 1/5 古山良司 大久保房松 小松重雄
第27回 1960年5月29日 東京 2400m コダマ 牡3 2:30.7 栗田勝 武田文吾 (伊藤由五郎)
第28回 1961年5月28日 東京 2400m ハクシヨウ 牡3 2:30.2 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第29回 1962年5月27日 東京 2400m フエアーウイン 牡3 2:31.2 高橋英夫 松山吉三郎 溝本儀三男
第30回 1963年5月26日 東京 2400m メイズイ 牡3 2:28.7 森安重勝 尾形藤吉 千明康
第31回 1964年5月31日 東京 2400m シンザン 牡3 2:28.8 栗田勝 武田文吾 橋元幸吉
第32回 1965年5月30日 東京 2400m キーストン 牡3 2:37.5 山本正司 松田由太郎 伊藤由五郎
第33回 1966年5月29日 東京 2400m テイトオー 牡3 2:31.1 清水久雄 増本勇 北村平三郎
第34回 1967年5月14日 東京 2400m アサデンコウ 牡3 2:30.9 増沢末夫 藤本冨良 手塚栄一
第35回 1968年7月7日 東京 2400m タニノハローモア 牡3 2:31.1 宮本悳 戸山為夫 谷水信夫
第36回 1969年5月25日 東京 2400m ダイシンボルガード 牡3 2:35.1 大崎昭一 柴田寛 高橋金次
第37回 1970年5月24日 東京 2400m タニノムーティエ 牡3 2:30.0 安田伊佐夫 島崎宏 谷水信夫
第38回 1971年6月13日 東京 2400m ヒカルイマイ 牡3 2:31.6 田島良保 谷八郎 鞆岡達雄
第39回 1972年7月9日 東京 2400m ロングエース 牡3 2:28.6 武邦彦 松田由太郎 中井長一
第40回 1973年5月27日 東京 2400m タケホープ 牡3 2:27.8 嶋田功 稲葉幸夫 近藤たけ
第41回 1974年5月26日 東京 2400m コーネルランサー 牡3 2:27.4 中島啓之 (勝又忠) 久保谷唯三
第42回 1975年5月25日 東京 2400m カブラヤオー 牡3 2:28.0 菅原泰夫 茂木為二郎 加藤よし子
第43回 1976年5月30日 東京 2400m クライムカイザー 牡3 2:27.6 加賀武見 佐藤嘉秋 (有)三登
第44回 1977年5月29日 東京 2400m ラッキールーラ 牡3 2:28.7 伊藤正徳 尾形藤吉 吉原貞敏
第45回 1978年5月28日 東京 2400m サクラショウリ 牡3 2:27.8 小島太 (久保田彦之) (株)さくらコマース
第46回 1979年5月27日 東京 2400m カツラノハイセイコ 牡3 2:27.3 松本善登 庄野穂積 (株)桂土地
第47回 1980年5月25日 東京 2400m オペックホース 牡3 2:27.8 郷原洋行 佐藤勇 (株)ホース産業
第48回 1981年5月31日 東京 2400m カツトップエース 牡3 2:28.5 大崎昭一 菊池一雄 勝本正男
第49回 1982年5月30日 東京 2400m バンブーアトラス 牡3 2:26.5 岩元市三 布施正 竹田辰一
第50回 1983年5月29日 東京 2400m ミスターシービー 牡3 2:29.5 吉永正人 松山康久 千明牧場
第51回 1984年5月27日 東京 2400m シンボリルドルフ 牡3 2:29.3 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第52回 1985年5月26日 東京 2400m シリウスシンボリ 牡3 2:31.0 加藤和宏 二本柳俊夫 和田共弘
第53回 1986年5月25日 東京 2400m ダイナガリバー 牡3 2:28.9 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第54回 1987年5月31日 東京 2400m メリーナイス 牡3 2:27.8 根本康広 橋本輝雄 浦房子
第55回 1988年5月29日 東京 2400m サクラチヨノオー 牡3 2:26.3 小島太 境勝太郎 (株)さくらコマース
第56回 1989年5月28日 東京 2400m ウィナーズサークル 牡3 2:28.8 郷原洋行 松山康久 栗山博
第57回 1990年5月27日 東京 2400m アイネスフウジン 牡3 2:25.3 中野栄治 加藤修甫 小林正明
第58回 1991年5月26日 東京 2400m トウカイテイオー 牡3 2:25.9 安田隆行 松元省一 内村正則
第59回 1992年5月31日 東京 2400m ミホノブルボン 牡3 2:27.8 小島貞博 戸山為夫 (有)ミホノインターナショナル
第60回 1993年5月30日 東京 2400m ウイニングチケット 牡3 2:25.5 柴田政人 伊藤雄二 太田美實
第61回 1994年5月29日 東京 2400m ナリタブライアン 牡3 2:25.7 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第62回 1995年5月28日 東京 2400m タヤスツヨシ 牡3 2:27.3 小島貞博 鶴留明雄 横瀬寛一
第63回 1996年6月2日 東京 2400m フサイチコンコルド 牡3 2:26.1 藤田伸二 小林稔 関口房朗
第64回 1997年6月1日 東京 2400m サニーブライアン 牡3 2:25.9 大西直宏 中尾銑治 宮崎守保
第65回 1998年6月7日 東京 2400m スペシャルウィーク 牡3 2:25.8 武豊 白井寿昭 臼田浩義
第66回 1999年6月6日 東京 2400m アドマイヤベガ 牡3 2:25.3 武豊 橋田満 近藤利一
第67回 2000年5月28日 東京 2400m アグネスフライト 牡3 2:26.2 河内洋 長浜博之 渡辺孝男
第68回 2001年5月27日 東京 2400m ジャングルポケット 牡3 2:27.0 角田晃一 渡辺栄 齊藤四方司
第69回 2002年5月26日 東京 2400m タニノギムレット 牡3 2:26.2 武豊 松田国英 谷水雄三
第70回 2003年6月1日 東京 2400m ネオユニヴァース 牡3 2:28.5 M.デムーロ 瀬戸口勉 (有)社台レースホース
第71回 2004年5月30日 東京 2400m キングカメハメハ 牡3 2:23.3 安藤勝己 松田国英 金子真人
第72回 2005年5月29日 東京 2400m ディープインパクト 牡3 2:23.3 武豊 池江泰郎 金子真人
第73回 2006年5月28日 東京 2400m メイショウサムソン 牡3 2:27.9 石橋守 瀬戸口勉 松本好雄
第74回 2007年5月27日 東京 2400m ウオッカ 牝3 2:24.5 四位洋文 角居勝彦 谷水雄三
第75回 2008年6月1日 東京 2400m ディープスカイ 牡3 2:26.7 四位洋文 昆貢 深見敏男
第76回 2009年5月31日 東京 2400m ロジユニヴァース 牡3 2:33.7 横山典弘 萩原清 久米田正明
第77回 2010年5月30日 東京 2400m エイシンフラッシュ 牡3 2:26.9 内田博幸 藤原英昭 平井豊光
第78回 2011年5月29日 東京 2400m オルフェーヴル 牡3 2:30.5 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第79回 2012年5月27日 東京 2400m ディープブリランテ 牡3 2:23.8 岩田康誠 矢作芳人 (有)サンデーレーシング
第80回 2013年5月26日 東京 2400m キズナ 牡3 2:24.3 武豊 佐々木晶三 前田晋二
第81回 2014年6月1日 東京 2400m ワンアンドオンリー 牡3 2:24.6 横山典弘 橋口弘次郎 前田幸治
第82回 2015年5月31日 東京 2400m ドゥラメンテ 牡3 2:23.2 M.デムーロ 堀宣行 (有)サンデーレーシング
第83回 2016年5月29日 東京 2400m マカヒキ 牡3 2:24.0 川田将雅 友道康夫 (株)金子真人ホールディングス
第84回 2017年5月28日 東京 2400m レイデオロ 牡3 2:26.9 C.ルメール 藤沢和雄 (有)キャロットファーム
第85回 2018年5月27日 東京 2400m ワグネリアン 牡3 2:23.6 福永祐一 友道康夫 (株)金子真人ホールディングス
第86回 2019年5月26日 東京 2400m ロジャーバローズ 牡3 2:22.6 浜中俊 角居勝彦 猪熊広次
第87回 2020年5月31日 東京 2400m コントレイル 牡3 2:24.1 福永祐一 矢作芳人 前田晋二
第88回 2021年5月30日 東京 2400m シャフリヤール 牡3 2:22.5 福永祐一 藤原英昭 (有)サンデーレーシング
第89回 2022年5月29日 東京 2400m ドウデュース 牡3 2:21.9 武豊 友道康夫 (株)キーファーズ

東京優駿の記録

  • レースレコードタイム - ドウデュース(第89回、2分21秒9)[48][49]
  • 最多勝利調教師 - 8勝
    • 尾形藤吉(第3回・第5回・第12回・第19回・第23回・第28回・第30回・第44回)[50]
    ※同一調教師の連覇は2022年現在未達成である。
  • 最多勝利騎手 - 6勝
    • 武豊(第65回・第66回・第69回・第72回・第80回・第89回)
  • 同一騎手の最多連覇記録 - 2連覇(過去3名)
  • 最多勝利種牡馬 - 7勝
  • 最年少勝利騎手 - 前田長吉(第12回・20歳3カ月17日)
  • 最年長勝利騎手 - 武豊(第89回・53歳2ヶ月15日)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ a b ダービー開催をできる限り東京競馬場で開催できるようにするため、大規模な改築・改修工事が行われても、開催時期をずらすなどの処置を取っているためで、2002年から2003年の長期にわたる走路改修を伴う大規模改修工事は東京優駿の開催時期を避けて実施されている。また同様の工事が行われた1968年、並びに馬インフルエンザの全国的な伝播を理由に、1972年の開催も7月に変更されているが、この時も本来のこの時期の開催地・福島競馬場ではなく、東京競馬場で行われたため、開催地の変更には至っていない。なお、これは戦後、東京競馬場での開催に移された後の優駿牝馬も同様である。また同様にグレード制導入以前より開催地が一度も変わらずに行われているG1競走は当レースと有馬記念のみである。
  2. ^ 1961年(昭和36年)の主要大レースの1着賞金は東京優駿が700万円、天皇賞・有馬記念・菊花賞が500万円、皐月賞優駿牝馬が400万円、桜花賞中山大障害が300万円、宝塚記念が200万円、安田記念が150万円。その他の重賞は100万円前後であった。
  3. ^ 公式な名称には付されていないものの1932年(昭和7年)の設立当初より「日本ダービー」と呼ばれ、後述のラジオ中継でも終始「日本ダービー」と称されている。
  4. ^ ただしこの評はもともとイギリスのダービーステークスに対して言われていたものである
  5. ^ 3歳馬限定の競走に限れば、国内最高額の賞金である。
  6. ^ 時期によって異なるが日本国外で種付され日本国内で出産された馬(持ち込み馬)、日本国外で生産された馬(外国産馬)、日本国外で調教された馬(外国馬)が制限の対象となってきた。
  7. ^ 国内グレードとしては引き続き最高格を維持した。
  8. ^ ただし年度により開始時期が6月の中旬の函館あるいは札幌で先行的に始め、福島以西の本州の競馬場での開催は新潟・小倉が開幕する7月以後になってからであったり、6月中旬の福島以西のローカル開催時期に始めたりと時期は流動的だった時代もある。
  9. ^ 年間レースレーティングは、個々のレースにおける上位4頭のレーティングを年度末のランキング会議で決定した数値に置き換え算出した平均値。なお、牝馬限定競走以外のレースで、対象馬が牝馬の場合はアローワンスが加算される (日本の場合+4ポンド)。
  10. ^ 当初ダービーが予定された5月28日には中山競馬場で皐月賞が行われた。
  11. ^ 両者は0勝馬のことでもあるが、0勝馬のうち『競馬番組一般事項 I 定義 4.出走条件(3)収得賞金 イ 獲得賞金(二) - (六)』に該当する馬は、0勝馬でも未出走馬および未勝利馬とはならない[20]
  12. ^ 未出走馬および未勝利馬がダービーに出走したことはある。ただし、その馬は“地方競馬から移籍した中央競馬で未出走馬および未勝利馬”であり、1984年(昭和59年)のグレード制導入(トライアルの青葉賞がOP特別として創設された年)後以降では2頭が該当、1989年(平成元年)アオミキャップ[21][22]および1998年(平成10年)ミヤシロブルボン[23][24]である。なお、地方から中央への移籍馬は、『競馬番組一般事項 I 定義 4.出走条件(3)収得賞金 イ 獲得賞金(三)』に該当していれば、その馬は未出走馬および未勝利馬とはならない(前者は地方で6戦6勝後に移籍、その後毎日杯2着で獲得賞金を加算している[21][22]。後者は8戦6勝で中央に移籍、中央初出走がダービーだった[23][24])。
  13. ^ 青葉賞は創設(創設時はOP特別。1994年にGIIIに格上げ)から2009年までは3着以内(一時期2着以内の時期あり)、1996年に創設されたプリンシパルステークスも同年まで2着以内に優先出走権が与えられていたが[26]、未出走馬および未勝利馬は青葉賞2着以内、プリンシパルステークス1着と規定されている[26]
  14. ^ 地方競馬で施行する競走では、JBCクラシック (JpnI)、東京大賞典 (GI)の1着賞金1億円が最高額である[28][29]
  15. ^ 2020年、2021年はコロナ禍のため取り止め。
  16. ^ 安田は明治の競馬創設期より日本ダービー開催の構想を抱いており1923年(大正12年)の競馬法発布の頃から本競走の開催を企図したが、当時は国内の有力な競走馬生産牧場が宮内省の下総御料牧場と三菱財閥の小岩井農場に限られており他の民間の有力牧場が育つまで時期を待っていた。
  17. ^ 「新馬」と「古馬」の区別は馬齢ではなく出走経験の有無に拠っていた。
  18. ^ 当時の格付表記は、JRAの独自グレード。
  19. ^ 優勝時の年齢が20歳3ヶ月で、2014年時点では最年少の優勝騎手である[47]

出典

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  5. ^ “ダービー開催の東京競馬場が開門 直後に「開門ダッシュ」も 入場者数は最大7万人の見込み”. 日刊スポーツ (2022年5月29日). 2022年5月29日閲覧。
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  11. ^ 東京日日新聞昭和7年4月25日3面、読売新聞データベースヨミダス、朝日新聞データベース聞蔵IIなど
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  13. ^ ダービー 2023年2月3日閲覧
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各回競走結果の出典

  • 中央競馬全重賞成績集【GI編】』 第1回 - 第62回
  • JRA年度別全成績
    • (2022年)“第2回 東京競馬 第12日” (PDF). 日本中央競馬会. p. 6. 2022年5月30日閲覧。 (索引番号: 11143)
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    • (2017年)“第2回 東京競馬 第12日” (PDF). 日本中央競馬会. p. 5. 2017年5月29日閲覧。 (索引番号: 12142)
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    • (2005年)“第3回 東京競馬成績集計表” (PDF). 日本中央競馬会. pp. 1595-1596. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)
    • (2004年)“第3回 東京競馬成績集計表” (PDF). 日本中央競馬会. pp. 1595-1596. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)
    • (2003年)“第2回 東京競馬成績集計表” (PDF). 日本中央競馬会. pp. 1583-1584. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 14046)
    • (2002年)“第4回 東京競馬成績集計表” (PDF). 日本中央競馬会. pp. 1437-1438. 2016年5月16日閲覧。 (索引番号: 13046)
  • 『優駿』2001年6月号 (日本中央競馬会) - 第1回〜第67回
  • 日本ダービー70年史
  • 日本ダービー80年史
  • netkeiba.com
    • 1990年、1991年、1992年、1993年、1994年、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2000年、2001年、2002年、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年、2008年、2009年、2010年、2011年、2012年、2013年、2014年、2015年、2016年、2017年、2018年、2019年、2020年、2021年、2022年
  • JRAデータファイル 東京優駿 (日本ダービー)
    • 第82回、第83回、第84回

参考文献

  • 山本武志 (2017年5月28日). “【あの時・ウオッカのダービー制覇】(1)牝馬64年ぶりの栄冠”. スポーツ報知. http://www.hochi.co.jp/horserace/20170527-OHT1T50132.html 2018年3月5日閲覧。 
  • 芹沢邦雄 山本正範 編『蔵出しMagazine 丸ごと日本ダービー』 2001年6月5日号、発行人 渡辺秀茂、産業経済新聞社〈競馬エイト創刊30周年記念シリーズ〉、2001年5月7日、各頁頁。 
  • 福本雅保 編『日本ダービー80年史』 2013年7月3日号、発行人 渡辺秀茂 編集長 鈴木学、産業経済新聞社〈Gallop臨時増刊〉、2013年6月3日、各頁頁。 
  • 「東京優駿 (日本ダービー)」『中央競馬全重賞成績集【GI編】』日本中央競馬会、1996年、7-117頁。 


関連項目

外部リンク

  • データ分析:東京優駿 (日本ダービー) 今週の注目レース - 日本中央競馬会
  • 第1回 日本ダービー - NHK名作選 (動画・静止画) NHKアーカイブス
  • 「駿馬とともに -第26回ダービー-」(昭和34年5月公開) - 中日ニュース280号(動画)・中日映画社
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