小茂根(こもね)は、東京都板橋区の町名[4][5]。現行行政地名は小茂根一丁目から五丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は173-0037[2]。
地理
板橋区南西端部に位置する。北端で石神井川に接する。北で石神井川を隔てて桜川、東新町および東山町、東で大谷口上町、南東で向原、南で練馬区小竹町、西で練馬区羽沢と隣接する。町域の西辺および南辺をもって板橋区 - 練馬区境を形成する。中央部を東京都道318号環状七号線(環七通り)が通じている。小茂根5丁目は全域が城北中央公園予定地となっている。
地価
住宅地の地価は、2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば、小茂根1-32-22の地点で48万3000円/m2となっている[6]。
歴史
廃藩置県実施前は武蔵国豊島郡上板橋村字小山、字茂呂、字根ノ上。
沿革
- 1871年(明治4年)11月:浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。
- 1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡上板橋村となる。
- 1928年(昭和3年):茂呂町に東京武蔵野病院が開設される。
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区小山町、茂呂町、根ノ上町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。
- 1942年(昭和17年):根ノ上町に整肢療護園(1980年に「むらさき愛育園」と併せて(心身障害児総合医療療育センター)と総称する)開設。
- 1943年(昭和18年):精神医学研究所設立、東京武蔵野病院はその附属病院となる。
- 1958年(昭和33年):根ノ上町に、東京教育大学教育学部附属養護学校(現・筑波大学附属桐が丘特別支援学校)が開設される。
- 1963年(昭和38年):東京都立大山高等学校が大山町から茂呂町に移転する。
- 1964年(昭和39年):東京都道318号環状七号線(環七通り)開通。
- 1965年(昭和40年)5月1日:住居表示実施により、小山町・茂呂町・根ノ上町が小茂根一丁目~五丁目に再編される。
- 1984年(昭和59年)~1986年:小茂根一丁目の都営住宅建て替えにあわせ、根ノ上遺跡の発掘調査が行われる。
地名の由来
旧上板橋村の字名、小山・茂呂・根ノ上の頭文字を採って「小茂根」と命名した。
世帯数と人口
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
小茂根一丁目 | 全域 | (板橋区立上板橋第二小学校) | 板橋区立上板橋第二中学校 |
小茂根二丁目 | 全域 | ||
小茂根三丁目 | 1~6番 10~17番 | ||
7~9番 | (板橋区立桜川小学校) | 板橋区立桜川中学校 | |
小茂根四丁目 | 全域 | 板橋区立上板橋第二小学校 | 板橋区立上板橋第二中学校 |
小茂根五丁目 | 1~7番 | ||
8~19番 | 板橋区立桜川小学校 | 板橋区立桜川中学校 |
交通
鉄道
バス
- 国際興業バス・関東バス(共同運行)
- 都営バス
- 国際興業バス
- 小茂根中央・小茂根三丁目・小茂根五丁目:池55 池袋駅東口行き・小茂根五丁目行き
- かみのね橋:池55 池袋駅東口行き ※小茂根五丁目行きは停車しない。
- 池55系統は、かつては豊玉北まで運行されていた。現在の路線になってからは、小型車両が充てられている。
- 小茂根停留所の西側にはかつて関東バスの折り返し場があり、中40系統:中野駅北口 - 小茂根線を運行していたが、出庫時に環七通り上の右折を伴い、交通の障害となり危険であることから、1997年に廃止された。現在でも小茂根・武蔵野病院の停留所標は関東バスのものであり、小茂根停留所の高円寺駅方向には関東バスが設置した屋根がある。かみのね橋以北は、国際興業バスの停留所標である。
道路・橋梁
- 東京都道318号環状七号線(環七通り)
- 茂呂橋
- 桜橋
- 台橋
- 上の根橋
- 小山橋
施設
- (板橋区立上板橋第二小学校)
- 板橋区立上板橋第二中学校
- 東京都立大山高等学校
- 筑波大学附属桐が丘特別支援学校(旧・東京教育大学教育学部附属養護学校)
- (心身障害児総合医療療育センター):整肢療護園・むらさき愛育園の総称。
- 東京武蔵野病院
- 板橋区立小茂根図書館
- 板橋消防署小茂根出張所
- 城北中央公園(拡張中)
- 小茂根三丁目緑地
- 根ノ上遺跡緑地
- 都営向原団地第二住宅
- 日本肢体不自由児協会職員宿舎
脚注
外部リンク
- 板橋区