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大森剛

大森 剛 (おおもり たけし、1967年8月4日 - )は、奈良県奈良市出身の元プロ野球選手一塁手外野手)。

大森 剛
基本情報
国籍 日本
出身地 奈良県奈良市
生年月日 (1967-08-04) 1967年8月4日(55歳)
身長
体重
188 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1989年 ドラフト1位
初出場 1990年4月7日
最終出場 1998年6月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
オリンピック
男子 野球
1988 野球

ソウルオリンピック野球の銀メダリスト。

長女はAKB48大森美優[1]

来歴・人物

アマチュア時代

中学時代は香川県高松市の硬式野球チームに所属。中学3年生の時に父親の転勤により、関西へ引っ越した。中学3年の10月にはPL学園(大阪)に入学予定の生徒達による練習会に参加している。背が高く、足が速く、バッティングもすごい大森を見て、同じく中学3年で参加していた桑田は彼のことを清原と勘違いしたという[2]

天理高校(奈良)からの誘いを断り、高松商業高校(香川)に入学。高松商業高校では1年生の時に1983年夏の全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦(初戦)で宇都宮南高に敗れる。同年の秋季四国大会は、1回戦で松山商業酒井光次郎に抑えられ、敗退。

高校卒業後は慶應義塾大学商学部に進学。東京六大学野球リーグでは、2年生の1987年春季リーグから四番打者、一塁手として活躍する。投の二本柱である志村亮鈴木哲を擁し、同季の優勝に貢献。直後の全日本大学選手権では、決勝でエース上岡良一がいた東北福祉大を破り、優勝。同年から3年連続で日米大学野球選手権日本代表に選出された。1988年春季リーグでは、打率.500、6本塁打、16打点でリーグ史上6人目の三冠王を獲得。同年のワールドカップ日本代表、ソウルオリンピック野球日本代表として出場。オリンピック選手19人のうち大学生は野村謙二郎笘篠賢治、大森の3名だった。オリンピックでは5番打者として起用され、20打数7安打4打点、プエルトリコ戦では本塁打を放つ。リーグ通算88試合に出場し、312打数111安打、17本塁打、78打点、打率.356。ベストナイン3回選出(一塁手2回、外野手1回)。

1989年、大森と上宮高校元木大介巨人入りを希望していたドラフト会議では、元木が同年の春の選抜高等学校野球大会、夏の全国高等学校野球選手権大会に連続出場を果たして自身も春夏通算6本塁打を放つなどして評価を上げた[3]のとは対照的に大森は同年の東京六大学リーグにおいて春季、秋季ともに不振に陥り評価を下げた事から[4]、巨人は元木を1位指名し、大森は2位指名するものと予想されたが、その事を知ると大森は「高校生より下の指名なんて受けない」「1位指名でなければ巨人にも行かない」「2位指名はもちろん、外れ1位でも行かない」「希望通りにならなければ東京ガスへ入社し、2年後の次のドラフト指名を待つのもやめる」と宣言し[3]、さらには元木に対して「巨人以外に指名されたら日本石油かアメリカに留学するって言ってるが、僕もその前に巨人以外に指名されたなら東京ガスに行くと言っている。高校生のくせに同じ事を言いやがって」と挑発し[5]、あくまで「(元木よりも)俺の方が上」[6]「一番強い球団(同年巨人は日本シリーズ制覇)に一番高い評価で」という姿勢を貫いた結果[3]、大森は希望通り巨人から1位指名を受ける事となった。そこまでして巨人の1位指名に固執した理由について大森は「巨人としては僕と元木、2人とも欲しかったと思うが、どちらも1位で指名しないと他球団に指名されてしまう可能性が大きく、ドラフト1位へのこだわりを表明しておかないと、自分が他球団に指名されてしまう可能性があった」と語っているが[3]、実際は東京六大学野球リーグにおいて三冠王を獲得した大学3年生時に巨人はすでに大森の1位指名を確約しており[4]、元木側にもドラフト会議前に大森を1位指名する旨を連絡していた[7]。大森は2位指名でも獲得できたという意見もある中で[4]1位指名をした結果、元木は野茂英雄の抽選を外した福岡ダイエーホークスからの1位指名を拒否し、アメリカ・ハワイ州へ野球留学することとなった。また、当時はバブル景気の真っ只中で野球部の同期たちが空前絶後とも言われた売り手市場の就職活動の中で次々と一流企業への就職内定をもらう中[5]、大森自身も「プロに行きたいのではなく、巨人というところで仕事がしたい」[8]「一流企業へ就職して安定した生活を送りたいと考えた。それをどこか一つに決めるなら、一番人気があって、注目される巨人で」[5]と、巨人の1位指名を「就職」に例える発言もしている。

巨人時代

1年目の1990年は開幕戦のヤクルトスワローズ戦では同点の9回裏一死一・二塁の場面で代打に起用され、内藤尚行から左中間に飛球を放つも前進守備だった左翼手栗山英樹がダイビングキャッチし、サヨナラヒットとはならなかった。駒田徳広のような中距離打者を理想としていたがホームランバッターとしての起用を想定していた大学の先輩である藤田元司監督の期待に応えようとするうちに本来の打撃スタイルを見失い、結果を残すことができずにいた。同年は右翼手として6試合に先発出場した。

1992年イースタン・リーグ本塁打王打点王の二冠王を獲得。27本塁打はイースタン・リーグの新記録であったが、2001年にコーリー・ポールがタイ記録、2009年に中田翔が30本塁打で記録を更新している。イースタンでは1993年にも本塁打王を獲得し、1995年に25本塁打を放っている。

1994年はプロになってから初めて一軍での出場機会がなかった。

1995年、一軍でテリー・ブロス完全試合を阻止する死球を記録した。

1996年、イースタンで再び本塁打と打点の二冠王を獲得した。シーズン終盤の9月に一軍へ昇格。怪我で離脱した落合博満の代役など、14試合に先発出場。セ・リーグ優勝を決めた中日ドラゴンズ戦で、門倉健から本塁打を放つ。オリックス・ブルーウェーブとの日本シリーズでは、巨人は1勝4敗で日本一を逃したものの第1戦では9回裏に代打同点本塁打、第4戦では6回表にソロ本塁打を放ち、2試合に指名打者として先発し、シリーズ通算でも9打数3安打3打点2本塁打と活躍する。

1997年、ヤクルトとの開幕戦で右翼手として先発起用(開幕スタメンは自身初)されるが無安打に終わり、スタメンは僅か4試合と結果が残せず、期待されていたものの[9]消化不良の一年となった。

1998年、前年の1月頃から続いていた右肩痛が治まらず、オフに手術を受け、リハビリ調整していた5月に南真一郎背尾伊洋との1対2の交換トレードで近鉄バファローズへ移籍。

近鉄時代

移籍後は先にトレードで巨人から近鉄へ移籍していた吉岡雄二とのポジション争いに敗れ、同年は6試合に一塁手として先発出場。「イースタンの本塁打王が蘇る」と予想もされていたが、右肩痛が再発し、一カ月程度で二軍落ちした[10]

1999年は前記の右肩痛の影響もあり、一軍出場がないままシーズン終了後に戦力外通告を受け、現役を引退。

二軍では本塁打王3回を記録し、中田翔に更新されるまでイースタン・リーグの通算最多本塁打の記録を保持していた。そのことから「二軍の帝王」の異名を取っていた[11]

引退後

2000年からは巨人の東北・関東地区担当スカウトとなり、2007年からは北海道・東北担当スカウトを務めた。第一印象を重視し、「三球一振(投手の三球、打者の一振りで力量が分からなければならない)」できるスカウトを目指しているという。

光星学院坂本勇人を高校2年生のころから密着マーク、2006年の高校生ドラフト1位候補として積極的に球団に推薦していた。しかし編成のトップである球団代表の清武英利、現場のトップである球団監督の原辰徳らは、甲子園で活躍した愛工大名電堂上直倫を指名する結論を固めていた。それでも「進退をかけて(大森本人談)」大森は坂本を猛プッシュし、「ハズレ1位なら坂本を指名」という条件が固まった。結果、巨人は堂上の交渉権を外し、ハズレ1位で坂本を獲得する[12]。坂本は2年目から遊撃手のレギュラーに定着し、巨人の中心選手として活躍している。

2012年より育成部ディレクター、2016年からは国際部課長を務めた。

2016年のシーズンオフにドミニカ共和国の首都、サントドミンゴで実施した球団のトライアウトでC.C.メルセデスホルヘ・マルティネスを獲得した[13]

2012年から2015年まで、台湾で行われたアジアウインターベースボールリーグにてNPB派遣チームの監督を務めた[14][15][16]

2020年に国際部課長と兼務で統括スカウトに就任。

2021年は編成副本部長を務めた。

2022年はスカウト部参与だった水野雄仁が同役職に就き、大森は球団フロントから退いている[17]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1990 巨人 38 55 48 4 7 2 1 1 14 6 0 0 0 0 7 0 0 14 0 .146 .255 .292 .547
1991 22 24 24 1 4 0 0 0 4 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .167 .167 .167 .334
1992 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .500 .000 .500
1993 4 10 9 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .000 .100 .000 .100
1995 18 31 29 2 5 1 0 1 9 3 0 0 0 0 0 0 2 4 0 .172 .226 .310 .536
1996 14 45 37 5 7 2 0 2 15 2 0 0 0 0 8 0 0 10 0 .189 .333 .405 .738
1997 25 31 26 2 4 0 0 1 7 4 0 0 0 2 3 0 0 3 0 .154 .226 .269 .495
1998 近鉄 9 23 21 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 1 1 0 0 3 1 .095 .130 .095 .225
通算:8年 132 221 195 17 29 5 1 5 51 16 0 0 0 3 21 0 2 41 1 .149 .235 .262 .497

記録

背番号

代表歴

  • ソウルオリンピック野球日本代表
  • (2012年アジアウインターベースボールリーグ NPB選抜)・監督
  • (2013年アジアウインターベースボールリーグ NPB選抜)・監督
  • (2015年アジアウインターベースボールリーグ NPB選抜)・監督

関連情報

著書

  • 『若い力を伸ばす読売巨人軍の補強と育成力』(2013年12月20日、ワニブックス) (ISBN 978-4-8470-9197-1)

関連書籍

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “父は元巨人ドラ1 大森美優 初ランクイン67位 G党・徳光和夫も笑顔”. スポーツニッポン. (2015年6月7日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/06/07/kiji/K20150607010496080.html 2015年6月20日閲覧。 
  2. ^ Sports Graphic Number 959号. 文藝春秋. (2018年8月30日) 
  3. ^ a b c d “「高校生に負けるの不愉快」と入団拒否の構えも ドラフトの順位に“こだわった”選手たち - AERA dot.”. 2022年10月10日閲覧。
  4. ^ a b c “気がつけば40年(28)8球団競合の野茂を外したダイエーが元木を強行指名した1989年ドラフト - スポニチ Sponichi Annex”. 2023年5月22日閲覧。
  5. ^ a b c “巨人ドラフト事件史「もし桑田真澄が早稲田に進学していたら…」 85年KK騒動と89年大森元木ドラフト - Number Web”. 2023年5月22日閲覧。
  6. ^ “大森剛「90年代のプロ野球で最もツイてなかった男」【プロ野球世紀末ブルース】 - エキサイトニュース”. 2022年10月23日閲覧。
  7. ^ “【ドラ1の知られざる苦悩】巨人・元木大介(2)逆指名批判、ホークス入団拒否の理由 - ベースボールチャンネル”. 2022年10月23日閲覧。
  8. ^ “元木大介と巨人の30年と大森剛。アイドル、クセ者、ヘッドコーチ。 - Number Web”. 2023年5月22日閲覧。
  9. ^ 日刊スポーツ発行98プロ野球選手写真名鑑
  10. ^ 日刊スポーツ発行99プロ野球選手写真名鑑[]
  11. ^ 一軍再昇格「清宮幸太郎」2軍成績ではゴジラ松井を上回る Smart FLASH 2018年7月12日 (2021年11月16日閲覧)
  12. ^ “坂本勇人、山﨑康晃、村上宗隆…外れ1位から大当たりになった名選手たち”. web Sportiva (2020年10月6日). 2022年1月27日閲覧。
  13. ^ “新星・メルセデスと球団をつないだ運命のトライアウト…名スカウト大森剛氏に聞く”. スポーツ報知 (2018年7月11日). 2018年8月2日閲覧。
  14. ^ ““キング”巨人・大田らウインターリーグ参加選手帰国”. Sponichi Annex (2012年12月25日). 2017年7月1日閲覧。
  15. ^ “結成「足軽ジャパン」”. 日刊スポーツ (2013年11月24日). 2017年7月1日閲覧。
  16. ^ “2015年アジアウインターベースボール(AWB)NPB派遣選手”. 日本野球機構 (2015年11月25日). 2017年7月1日閲覧。
  17. ^ 2022スポニチ プロ野球選手名鑑 60頁

関連項目

外部リンク

  • 個人年度別成績 大森剛 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
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