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野球やソフトボールにおける得点(とくてん、英:Run)とは、走者が正規に一塁、二塁、三塁、本塁の順に進塁し、本塁に触れる時に記録される点数のことである。また、個人記録としての「本塁へ生還した回数(アウトになることなく本塁に触れ、チームとしての得点が認められた回数)」も意味する。
概要
攻撃側の選手3人がアウトになって攻撃が終了するまでに、走者が正規に一塁、二塁、三塁、本塁の順に進塁し、本塁に触れると得点が記録される。[1] このとき、本塁に触れた走者に、個人記録の「得点」(本塁に触れ、チームとしての得点が認められた回数)が記録される。走者が代走の選手と交代して得点を挙げた場合には、代走として出場した選手に得点が記録される。ただし、第3アウトが次に該当する場合は、そのアウトにいたるプレイ中に走者が正規に本塁に触れても、得点は記録されない。
- 打者走者が一塁に達する前にアウトになった場合。
- 自分よりも前にいた走者が塁を正規に踏んでいなかった(空過)によるアピールアウトの場合(アウトになった走者より後位の走者の得点が記録されない)。
なお、打者の個人記録である打点とは異なる。
野球やソフトボールでは、最終回が終了したときに総得点の多かったチームの勝利となる。そのため、最終回の先攻側の攻撃が終了した時点で後攻側の得点が先攻側を上回っている場合は、最終回の裏を行う必要がなくなるので、その時点で試合が終了する。また、最終回または延長回の裏(以下、最終回裏という)の攻撃中に、後攻側が先攻側の得点を上回った場合は、それ以上の攻撃を行う必要がなくなるので、その時点で直ちに試合終了となる(これをサヨナラゲームという)。
日本プロ野球
個人通算記録
- 記録は2022年シーズン終了時点[2]。
シーズン記録
個人
順位 | 選手名 | 所属球団 | 得点 | 記録年 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 小鶴誠 | 松竹ロビンス | 143 | 1950年 | セ・リーグ記録 |
2 | T.ローズ | 大阪近鉄バファローズ | 137 | 2001年 | パ・リーグ記録 |
3 | 藤村富美男 | 大阪タイガース | 130 | 1950年 | |
山田哲人 | 東京ヤクルトスワローズ | 2018年 | |||
5 | 別当薫 | 大阪タイガース | 129 | 1949年 | |
6 | 小笠原道大 | 日本ハムファイターズ | 126 | 2000年 | |
7 | 千葉茂 | 読売ジャイアンツ | 121 | 1949年 | |
岩本義行 | 松竹ロビンス | 1950年 | |||
西岡剛 | 千葉ロッテマリーンズ | 2010年 | |||
10 | 金本知憲 | 阪神タイガース | 120 | 2005年 |
- 記録は2022年シーズン終了時点[3]。
チーム
球団名 | 得点 | 記録年 |
---|---|---|
松竹ロビンス | 908 | 1950年 |
個人連続試合記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 試合数 | 開始日 | 終了日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 小笠原道大 | 日本ハムファイターズ | 17 | 2001年8月5日 | 2001年8月27日 | パ・リーグ記録 |
2 | 呉昌征 | 毎日オリオンズ | 16 | 1950年5月15日 | 1950年6月21日 | |
3 | 河埜敬幸 | 南海ホークス | 15 | 1982年4月23日 | 1982年5月13日 | |
脇谷亮太 | 読売ジャイアンツ | 2010年7月16日 | 2010年8月5日 | セ・リーグ記録 | ||
5 | 景浦將 | 大阪タイガース | 14 | 1938年7月9日 | 1938年9月9日 | |
佐藤孝夫 | 国鉄スワローズ | 1952年9月7日 | 1952年10月3日 |
1試合記録
個人
選手名 | 所属球団 | 得点 | 記録日 | 対戦相手 |
---|---|---|---|---|
千葉茂 | 読売ジャイアンツ | 6 | 1948年10月16日 | 大陽ロビンス |
塚本博睦 | 東急フライヤーズ | 1949年11月19日 | 大陽ロビンス | |
石井琢朗 | 横浜ベイスターズ | 1999年7月22日 | ヤクルトスワローズ | |
中村紀洋 | 大阪近鉄バファローズ | 2000年9月5日 | オリックス・ブルーウェーブ |
チーム
1イニング記録
個人
- 2 - 記録多数
チーム
球団名 | 得点 | 記録日 | 対戦相手 | イニング | 球場 |
---|---|---|---|---|---|
千葉ロッテマリーンズ | 15 | 2009年6月11日 | 広島東洋カープ | 6回裏 | 千葉マリンスタジアム |
メジャーリーグベースボール
個人通算記録
順位 | 選手名 | 得点 |
---|---|---|
1 | リッキー・ヘンダーソン | 2295 |
2 | タイ・カッブ | 2246 |
3 | バリー・ボンズ | 2227 |
4 | ベーブ・ルース | 2174 |
ハンク・アーロン | ||
6 | ピート・ローズ | 2165 |
7 | ウィリー・メイズ | 2062 |
8 | アレックス・ロドリゲス | 2021 |
9 | キャップ・アンソン | 1999 |
10 | スタン・ミュージアル | 1949 |
順位 | 選手名 | 得点 |
---|---|---|
11 | デレク・ジーター | 1923 |
12 | アルバート・プホルス | 1914 |
13 | ルー・ゲーリッグ | 1888 |
14 | トリス・スピーカー | 1882 |
15 | メル・オット | 1859 |
16 | クレイグ・ビジオ | 1844 |
17 | フランク・ロビンソン | 1829 |
18 | エディ・コリンズ | 1821 |
19 | カール・ヤストレムスキー | 1816 |
20 | テッド・ウィリアムズ | 1798 |
- 記録は2022年シーズン終了時点[4]。
個人シーズン記録
順位 | 選手名 | 所属球団 | 得点 | 記録年 |
---|---|---|---|---|
1 | ビリー・ハミルトン | フィラデルフィア・フィリーズ | 198 | 1894年 |
2 | (トム・ブラウン) | ボストン・レッズ | 177 | 1891年 |
ベーブ・ルース | ニューヨーク・ヤンキース | 1921年 | ||
4 | ティップ・オニール | セントルイス・ブラウンズ | 167 | 1887年 |
ルー・ゲーリッグ | ニューヨーク・ヤンキース | 1936年 | ||
6 | ビリー・ハミルトン | フィラデルフィア・フィリーズ | 166 | 1895年 |
7 | ウィリー・キーラー | ボルチモア・オリオールズ | 165 | 1894年 |
ジョー・ケリー | ||||
9 | (アーリー・レイサム) | セントルイス・ブラウンズ | 163 | 1887年 |
ベーブ・ルース | ニューヨーク・ヤンキース | 1928年 | ||
ルー・ゲーリッグ | 1931年 |
- 記録は2022年シーズン終了時点[5]。
2リーグ制後 | |||||
---|---|---|---|---|---|
順位 | 選手名 | 所属球団 | 得点 | 記録年 | 備考 |
1 | ベーブ・ルース | ニューヨーク・ヤンキース | 177 | 1921年 | ア・リーグ記録 |
2 | ルー・ゲーリッグ | 167 | 1936年 | ||
3 | ベーブ・ルース | 163 | 1928年 | ||
ルー・ゲーリッグ | 1931年 | ||||
5 | ベーブ・ルース | 158 | 1920年 | ||
1927年 | |||||
チャック・クライン | フィラデルフィア・フィリーズ | 1930年 | ナ・リーグ記録 | ||
8 | ロジャース・ホーンスビー | シカゴ・カブス | 156 | 1929年 | |
9 | カイカイ・カイラー | 155 | 1930年 | ||
10 | レフティ・オドール | フィラデルフィア・フィリーズ | 152 | 1929年 | |
アル・シモンズ | フィラデルフィア・アスレチックス | 1930年 | |||
ウッディ・イングリッシュ | シカゴ・カブス | ||||
チャック・クライン | フィラデルフィア・フィリーズ | 1932年 | |||
ジェフ・バグウェル | ヒューストン・アストロズ | 2000年 | |||
2022年シーズン終了時[6] |