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ジャニー喜多川

ジャニー 喜多川(ジャニー きたがわ、Johnny Kitagawa、1931年10月23日 - 2019年7月9日[4])は、ジャニーズ事務所創業者[4][5]。日本名は喜多川 擴(きたがわ ひろむ)[4]。英語名はジョン・ヒロム・キタガワ(John Hiromu Kitagawa)[6]

ジャニー きたがわ
ジャニー 喜多川
生誕日本名:喜多川 擴(きたがわ ひろむ)
英語名:ジョン・ヒロム・キタガワ(John Hiromu Kitagawa)

(1931-10-23) 1931年10月23日
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス市
死没 (2019-07-09) 2019年7月9日(87歳没)
日本 東京都渋谷区[1]
死因解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血
住居 日本
国籍 日本[2]
出身校
職業
活動期間1962年 - 2019年
(芸能プロモーターとして)
著名な実績ギネス世界記録
「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」
「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」
宗教仏教
父:喜多川諦道
親戚
受賞第28回菊田一夫演劇賞「特別賞」

生涯

出生

アメリカで生活していた事があるが、成長するまでの主な育ちは日本である。父の喜多川諦道は仏教高野山真言宗米国別院の僧侶で、1946年2月から1948年2月までプロ野球チーム「ゴールドスター」のマネージャーだった[2][7][8]。ジャニーは次男。日本と米国の二重国籍を持っていたため、ミドルネームがあった[2][注釈 1]。姉はメリー喜多川、兄はアメリカ航空宇宙局アポロ計画の設計もしていた科学者だったが、1980年代に50代半ばで死去している[2][7]

1933年に喜多川一家は日本へ移住し、大阪府大阪市で生活した[2]。しかし間もなくして母親が死去[9]、やがて太平洋戦争が勃発すると子供達だけで和歌山県東牟婁郡那智勝浦町疎開した[8]。その後満年齢16歳まで日本で育った。

第二次世界大戦終結後、満年齢16歳であった1947年に子供達だけでロサンゼルスへ移動し[7]、現地の高校に入学した。高校時代にはロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」にて、ミュージックメイカーのアシスタントとして、アルバイトを経験している[3][8]

ロサンゼルスの高校を卒業後、姉と同じロサンゼルス・シティー・カレッジ[3][注釈 2]に進学。

1950年美空ひばりが育ての親・川田晴久と共にアメリカ公演を行った[7]。そしてロサンゼルス公演の際、父の勤務先だった真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場となったため、ステージマネージメント全体を担当する[7]

1952年に再来日し、アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児英語を教授するために、日本でわずか11か月で朝鮮語を習得し、すぐ米軍側の板門店に出向き、1年2か月間に亘って子供たちに英語を教授した[9][10]。再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事援助顧問団(MAAG)の職員として勤務[10][11]

ジャニーズ事務所の設立

1960年代初頭、ジャニーは自分の居住していた東京都渋谷区代々木在日米軍宿舎「ワシントンハイツ」にて、近所の少年たち約30名で構成された少年野球チームのコーチを務めていた。そのチーム名は、「オール・ヘターズ」「オール・エラーズ」を経て[12]、「ジャニーズ少年野球団」となった[注釈 3][13]

ある日、雨で野球の練習ができなくなり、このチームのメンバーの中から渋谷区立代々木中学校の生徒4名を選抜し映画館に連れて行く。そして、そこで鑑賞したミュージカル映画『ウェストサイド物語』に一同感動し、エンターテインメント事業を興業することを決意した[2]1962年(昭和37年)4月、自身が結成させた野球チームのメンバーである4名の少年により最初のグループであるジャニーズ(通称・初代ジャニーズ)を結成する[8]

最初は東京都豊島区・池袋西口にある芸能プロダクション「新芸能学院(現:名和プロダクション)」に在籍をしていたが、1962年(昭和37年)6月にジャニーズ事務所を創業[8]、創業当初は渡辺プロダクションと業務提携し渡辺プロを窓口としていたが、1965年(昭和40年)には事務所が正式に構えられる。

男性アイドル事務所として成功

1960年代後半~1970年代

日本の芸能プロの草分けともいえる渡辺プロダクション渡辺晋とほぼ同世代であるが、活動の開始は大きく出遅れたこともあり、先行する大手プロダクション群を凌駕し始めたのは1980年代に突入してからである。ジャニーズ事務所の始まりは、事務所黎明期である1967年デビューの「フォーリーブス」、1971年デビューの「郷ひろみ」らに始まる。

郷は1973年には新御三家と呼ばれるなど、一躍トップアイドルの仲間入りを果たす。だが1975年、ジャニー喜多川からの過度な寵愛に反発してジャニーズ事務所を退所し、設立4年目のバーニングプロダクションを選択して移籍した。フォーリーブスは1978年に解散している。

1980年代

1980年代には、「たのきんトリオ」・「シブがき隊」・「少年隊」などの3人組アイドルをデビューさせた。しかし、いづれも人気を得たものの、数年間のアイドル活動後は個人での活動に移行していった。

1987年には、7人組アイドルグループ「光GENJI」をデビューさせた。光GENJIはローラースケートで踊りながらアクロバティックなライブを行うという、これまでにない革新的なアイドルグループとして注目され、非常に大きな成功を収め、現在の男性アイドルグループの基礎となった。しかし活動期間は8年と、現行のアイドルと比較してやや短命に終わった。

光GENJIが短命に終わった理由として、デビュー時期から爆発的に売れたため仕事に奔走しており、トークやお笑いなどのスキルを習得する時間がなく、アイドルブームが去った1990年代の芸能界に適応できなかった事、個々では活動せずに常に7人全員で活動していたためメンバーの人間関係に問題が生じた事、止まる暇もなく全力疾走で駆け抜けてきたため疲弊し切っていた事などが挙げられている[14]

1990年代

1990年代には「ジャニーズらしくないグループ」が目立つようになり、SMAPを個性的なマルチタレント型グループとして売り出した。SMAPは当初は光GENJIのように歌をメインにしたアイドルグループを目指していたが、当時はまだ光GENJIが人気であったこともあり、1991年のCDデビューから1993年頃までは人気が出なかった事から、バラエティー番組と両立するスタイルを模索していった。

SMAPは既存の失敗を踏まえた上で、光GENJIの路線からグループ性を発展させた路線へと展開し、ライブだけでなくバラエティー番組でも活躍できるアイドルとして注目を集め、個性的なメンバー達の掛け合いにスポットを当てることに注力し、かつ短命に終わらない持続性を持ったグループとして大きな成功を勝ち取った。

SMAPのデビュー後にもバンド形式のTOKIO、年齢差のある個性派アイドル集団であるV6、関西系の二人組ユニットであるKinKi Kids、王道的アイドルを目指すが次々にデビューし、SMAPに続くバラエティー番組でも活躍できるアイドルグループとして着実に成功を収めていった。

2000年代

2000年代にはKinki Kidsに続く二人組ユニットである、V6や嵐に続くワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューしたNEWS、関西出身者だけで構成される関ジャニ∞、ジャニーズ異色のワイルドグループであるKAT-TUN、メンバー全員が平成生まれであるHey! Say! JUMPなど、個性的なグループを続々とデビューさせた。

2010年代

2010年代には少年隊以来の3人組ユニットであるNYC[15]、光GENJIを彷彿させるローラースケートを武器にしたKis-My-Ft2、セクシー路線のSexy Zone、ジャニーズ初のDVDデビューとなったA.B.C-Z、関西出身者のみで構成されたジャニーズWEST光GENJI以来となるファンタジー路線を主題にしたなど、原点回帰してこれまでの成功事例を取り入れつつも新たな要素を加え、所属タレントの活躍の場を広げていき、男性アイドルの礎を築いた。

2011年7月に東京都渋谷区内の自宅マンションに見知らぬ男が侵入し、ジャニーを締め出して30分以上に亘って篭城するという事件が起こった[16]。ジャニーは34階建てタワーマンションの最上階に居住していたが、この事件による怪我や室内の物品の破損・盗難などの被害はなかった[17]

死去

2019年(令和元年)6月18日、午前11時30分ごろ、自宅で体調の異変を訴え、救急搬送された[18]。同日、Twitter上にて「ジャニーが緊急搬送され、入院した」という趣旨の書き込みが発信された[19]。情報はすぐに拡散され、6月19日には、東京スポーツがジャニーの緊急搬送について報じていた[19]

6月22日まとめサイトが「ジャニー喜多川が死去した」という内容の記事を配信した[19]。同記事には、「ジャニーが死去した」と断定できる情報源について記載されておらず、死去に関する情報についても曖昧な内容であった[19]。これ以降、ジャニーの容体に関する情報がインターネット上でさらに拡散された[19]

7月1日、ジャニーズ事務所はジャニーが解離性脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血で倒れ、入院し治療を受けていることを発表[20]

7月9日午後4時47分、東京都渋谷区日本赤十字社医療センター[1]でクモ膜下出血により死去した[1][21]

7月12日、子会社・ジャニーズアイランドの渋谷区に所在する稽古場において「家族葬」が行われ、司会を務めた国分太一 (TOKIO)・井ノ原快彦 (20th Century) はじめ「子供達」と称する事務所タレント150名に見送られた[22]

9月4日東京ドームに於いてジャニーのお別れの会が開かれた。二部制で開催され、午前の関係者の部では約3500人の芸能関係者が、午後の一般の部では約8万8000人の一般人が参列した[23][24]

性加害報道と裁判

一部出版社による報道

ジャニーが事務所に所属する男性タレントに対して猥褻な行為を行っているという噂は1960年代からあり、日本の一部の出版社で報じられていた。

  • 週刊サンケイ(1965年3月29日号・産経新聞出版局)「“ジャニーズ”売り出しのかげに」[25]
  • 女性自身(1967年9月25日号・光文社)「ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判 東京地裁法廷で暴露された4人のプライバシー」[25]
  • 週刊現代(1981年4月30日・講談社)「たのきんトリオで大当たり 喜多川姉弟の異能」[25]

など、事務所に所属したタレントらにより事務所の内情を取り上げたいわゆる「暴露本」が出版された。1988年(昭和63年) - 1989年(昭和64年/平成元年)に『噂の眞相』がこの問題を数回取り上げた。

週刊文春への民事訴訟

1999年(平成11年)、『週刊文春』がジャニーズ事務所に関する特集記事、「ホモセクハラ追及キャンペーン」を掲載し、喜多川が所属タレントに対して性的虐待を行い、事務所では未成年所属タレントの喫煙などがあると報道した[27]。これらの記事は衆議院特別委員会でも取り上げられ[27][29]自民党所属の衆議院議員だった阪上善秀2000年(平成12年)に、この問題を衆議院の「第147回国会青少年問題に関する特別委員会」で取り上げた[30][31]。これに対し、ジャニーとジャニーズ事務所側は記事が名誉毀損であるとして、文春に対し1億円あまりの損害賠償を要求する民事訴訟を起こした[28]

2002年(平成14年)3月27日の一審判決では記事で証言した少年2人も出廷したものの東京地裁は、文春側に880万円の損害賠償を命じた。そのため、文春側はこれを不服として東京高裁に控訴した[32]。地裁は少年らの供述の信用性を認めず、週刊文春が一審で敗訴した際には、日本のテレビや新聞などメディアは大きく取り上げた[28]

2003年(平成15年)7月15日の二審判決では、「ジャニーが少年らに対しセクハラ行為をしたとの証人少年A、同少年Bの各証言(一審と共に法廷で証言)はこれを信用することができ、これらの証拠によりジャニーが、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという(抗拒不能)な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの本件記事は、その重要な部分について真実であることの証明があったものというべきである[32]」としてジャニーによる所属タレントへの性的虐待認定した[26]。このため、性的虐待部分の勝訴は取り消され、損害賠償額は一審の850万円から120万円に大幅に減額された。今度は、ジャニー側が損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年(平成16年)2月24日に最高裁から棄却された[28](藤田宙靖裁判長)。最終的に120万円の損害賠償・ジャニーによる所属タレントへの性的虐待は事実であるとの認定が確定した。

2005年に『ニューヨーク・タイムズ』、『オブザーバー』などの世界各国のメディアでも週刊文春との裁判結果取り上げられ、ジャニーの性加害問題をタブー視して、一切報道しない日本のテレビや新聞の姿勢を指摘した[33]

死後の報道

日本

2019年7月25日号の『週刊文春』は、「本誌しか書けない稀代のプロデューサーの光と影 ジャニー喜多川審美眼と『性的虐待』」と題し新証言を報じている。嵐のメンバーと同年代の元ジャニーズJr.が、ジャニー喜多川の誘いに抵抗したらステージの隅に追いやられたこと、ファーストキスはジャニーだったことなどをインタビューで答えている[34]

2023年3月23日号の『週刊文春』は、BBC報道(後述)とは別に新たな元ジャニーズJr.の性被害を報じた。文春によると当時13歳だった少年がジャニーに性被害にあったという。先輩達からは「そういうもんだから拒否しちゃダメ、仕事なくなるよ」と忠告されたとも話した[35]。週刊文春はBBCに取材協力しており、BBCの全世界版「BBCワールドニュース」で放送されるのを機に文春が過去に報じたジャニーの性加害の記事を再公開した[36]

2023年3月30日号の『週刊文春』は、新たな元ジャニーズJr.の性被害を報じた。90年代にジャニーズJr.だった30代男性が文春の取材に協力。ジャニーズ内ではジャニーに性被害に遭うという噂がすでに広まっており、先輩たちから「ベルトを3本して寝た方がいい。ズボンを下ろしにくくすればあきらめる。蹴ってもいいよ怒られないから」等と、被害を回避する方法を教わっていたという。先輩たちのアドバイスで回避していたが、14歳頃にジャニーに襲われたという。コンサート終わりにジャニーが滞在するホテルへ泊まった際にベッドで寝ていて目が覚めるとジャニーの顔が近くにあり、戸惑っていると突然ディープキスをされたという。嫌だったため歯を食いしばり拒否をした。この件についてジャニーズ事務所は事実確認の回答を拒否した[37]

2023年4月3日、大手広告代理店である博報堂は同社が発行する雑誌『広告』の記事でジャニーの問題をいったん取り上げたが、博報堂広報室長がジャニーズ事務所はビジネスパートナーという理由で一部の表現を削除をした[38][39]

2023年4月6日号の『週刊文春』は、元ジュニアで6人目の被害告白が掲載。また合宿所の引き出しにローションなどが入っていたことや、ジャニーの性行為により尻から血が出ていた元ジュニアを目撃した話も掲載[40]

2023年4月13日号の『週刊文春』は、元ジャニーズJr.の(岡本カウアン)が実名顔出しで登場。中学生の頃、東京での仕事が終わり複数のJr.メンバーとジャニーの家に泊まることになった。食事を済ませた後にジャニーが近づいてきて肩を揉まれ「カウアン早く寝なよ」と言われた。この「〇〇早く寝なよ」は今日のターゲットという意味であり、他のJr.にも聞かされていた話だという。言われた側はジャニーの寝室等、近くで寝ないと翌日機嫌が悪くなるという。そしてカウアンが寝る部屋には3つのベッドがあり他のメンバーも寝ていた中、カウアンは性被害を受けた。翌日は何事もなかったかのように挨拶され一緒に仕事先へ向かうことになりエレベーター内で1万円を渡された。また性被害は計15回もあったとして動画の証拠も持っているという[41]

2023年4月12日、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト(26歳、当時は岡本カウアン)が日本外国特派員協会で記者会見し、ジャニーから性被害を受けたことを告白した。日本外国特派員協会で記者会見した理由は、『週刊文春』の取材を受けた際に「日本のメディアでは取り上げないが、外国のメディアならば取り上げてくれるのでは?」と言われたためである。今回の会見ではそれまで公開されていなかった、現場の動画も公開された[42]。日本メディアでも会見当日夕方に共同通信社が同会見の模様を配信したほか[43]東京名古屋の一部民放ラジオ局も同通信社の配信記事を引用する形で伝えた。文化放送ではNRN向けの全国ニュース番組『ニュース・パレード』にて、会見の様子を録音で報じた[44]

2023年4月13日、毎日新聞日本経済新聞産経新聞は共同通信に加盟していることから、前述の配信記事を引用する形で、朝日新聞読売新聞も同日付朝刊とウェブサイトにて掲載した[44]

2023年4月13日号の『週刊文春』には、元ジュニアで8人目の被害告白が掲載された。被害を告白したのは2000年代後半にジャニーズJr.として活動し現在は退所している20代後半のDで、オーディションでジャニーズに入ったもののバックダンサーしか仕事がなかった。ジャニーの推しになればもっと仕事がもらえ活躍できると思い、近づくためにジャニーのマンションの合鍵を持っているJr.のメンバーの力を借りジャニーのマンションに泊まることができた。その後、2回目にジャニー宅に泊まった際に岡本カウアンの性被害の告発と同じようなことをされ、同じく1万円を渡されたという[45]

2023年4月13日16時、NHKは総合テレビの『NHK NEWS』で前日のカウアンの記者会見を中心に「ジャニー喜多川さんから性的行為」として報道した。KAI-YOU.net編集長の恩田雄多によると、この時点では民放のテレビ局各社は一切報じておらず、日本国内ではNHKのみが報じている[46]。なお、NHK総合テレビでの報道は当日の他の時間には伝えられず、一度だけの扱いであった。

2023年4月14日、民放のテレビ局でもテレビ東京日本テレビがそれぞれのウェブニュースサイトで記者会見の模様を報じた[47]

2023年4月16日には日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』でも取り上げられた[48]

2023年4月27日号(同年4月19日発信)の『週刊文春』には元ジュニアで9人目の被害告白が掲載。20代のEは中学一年生の時にジャニーズに入り、ミュージックステーションやNHK紅白歌合戦にも出演経験がある人物。高校一年生の時、ジャニーズをやめるつもりで思い出作りとしてジャニーの家に出入りできる友人に頼み込んでジャニーの家に泊まった際に起きた。家には7人(のちにデビューした者もいた)いた。寝る時間となりジャニーが指定した場所で寝ることとなった。友人はすでに性被害にあっており経験があったため、ジャニーと2人で個室に入って行った子は「今、やられてるよ」と教えてくれたという。その後ベッドで寝ているとジャニーが近づいてきて足のマッサージを始めそこから下半身へ手が伸びていき下着の中に手が入ってきた。事前に万が一襲われたの時の為に友人に助けを依頼していたため助けを求め、起き上がってくれた結果、ジャニーがいなくなり事なきを得た。未遂のためお金は受け取ってないという。Eはその後ジャニーの家に行きたくなくなったので行ったのは1回のみだという[49]

2023年4月21日『朝日新聞』、『東京新聞』のスクープによってジャニーズ事務所が社員や所属タレントを対象にジャニーによる性被害の聞き取り調査を行った結果などを、現社長である藤島ジュリー景子名義の文書で取引先企業に報告したことが明らかになった。社内ヒアリングのため十分ではないとしつつ、この時点で問題点は確認されていないとしている。ジャニーが故人であることから事実確認は困難だとしつつ「問題がなかったなどと考えているわけではございません」「メディアでの報道、告発等については真摯に受け止めております」と釈明した。また、すでに退所した元タレント向けの相談窓口を設ける考えも文書で示した[50]。東京新聞には文書全文が載っており、文書の最後に伝えたいこととして「弊社タレントは皆、それぞれが日々の並々ならぬ努力や研鑽によってのみ輝いているものと存じます。そのことだけは、どうかご理解いただき、引き続きお力添え賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。」とした[51]。同日の『しんぶん赤旗』では、相次ぐ被害の告発について触れ、ジャニーズ事務所は性加害の疑惑に口をつぐむべきではないと批判した[52]。2023年4月24日、これまで地上波でジャニーの性加害問題の報道を取り上げてこなかった民放テレビ局が、朝日新聞などが報じたジャニーズ事務所が取引先に報告した文書を中心に短く報じた[47]

2023年5月4日・11日号の『週刊文春』では元ジュニアのF(30代)の被害告白を掲載。文春報道では11人目。F氏は中学1年生(13歳)でオーディションを受けてジャニーズに入所した。 3か月後、レッスン終わりにジャニーに「今夜泊まっていきなよ」と誘われた。今後タレントとして良い展開があるかもと期待して喜んだ一方で、先輩からは「食われるぞ」と聞いていたので不安もあったという。ジャニーに誘われたのはFともう一人のジュニアで、ジャニーの車で向かったのは六本木東京全日空ホテル。ツインルームで2つのベッドがありそれぞれのベッドで寝ていた所にジャニーがベッドに入ってきた。マッサージをされた後にディープキスをされ、その後は下半身に手が伸び、1時間のオーラルセックスに。行為が終わるとタオルで体をふいてきたりジャニーは自身の歯を磨いたりした。翌朝は1万円を渡された。一緒にいたジュニアも同じ性被害にあっていたと後で判明した。その後は明らかに待遇もよくなりダンスではセンターの近くのポジションになったり雑誌の撮影が増えたりドラマのレギュラーが貰えたりした。約半年間で10回も性被害にあっておりその度に1~2万をもらっていたが、性被害にあうのが嫌になりジャニーズを退所した。今ではトラウマになっているという[53]

2023年5月18日号の『週刊文春』では元ジュニアの橋田康氏(37)が実名・顔出しで告白した。1999年の地方公演先で事件は起きたという。中学1年生の頃、仕事が終わり事務所の用意したホテルに数十人のジュニアと泊まった。スタッフから2人ずつわり振られた部屋で寝ているとドアを開ける音がし、ジャニー氏が布団の中に入ってきた。マッサージをされた後、口でされたという。行為が終わると同部屋の別のジュニアの布団に移動した。困惑の中、ジャニー氏が部屋から出た後はすぐに風呂場へ駈け込んでシャワーで洗っていた際に自然と涙があふれた。翌朝ジャニー氏が部屋に入ってきて1万円を渡してきた。その後は明らかに待遇がよくなったという[54]

2023年5月12日、ジャニーズファンの有志らが記者会見をし1万6000人の署名が集まった『ジャニーズ事務所で起きた性被害の検証』についてジャニーズ事務所側に郵送で送ったと発表した。TBSではこの会見を地上波のニュース番組『Nスタ』『news23』で報じ、カウアン・オカモトへのインタビューも放送した[55]

2023年5月13日、文春オンラインで、元ジャニーズJr.二本樹顕理氏(39)が実名・顔出しで13歳当時の性被害を告白した。1990年後半に半年から1年ほどの間に10回受けたという。[56]


2023年5月14日、ジャニーズ事務所が動画と文書で性加害問題についての見解を発表し、藤島ジュリー景子社長が謝罪した[57]

日本国外

2019年7月10日、ジャニー喜多川死去報道とともに英国のBBCニュースは過去、事務所に所属していた少年たちから性的虐待(グルーミング)の告発が繰り返されたと掲載。また、日本のテレビ等の大手メディアではタブー視され報じられないことについても掲載[58]。フランスの「AFP」は事務所に集まった少年たちを虐待していたという疑惑も浮上したと報じている[59]。アメリカの「ニューヨーク・タイムズ」では少年たちへの性的虐待を認めた東京高裁判決にも触れている[60]

2021年1月2日には元7 MEN 侍のメンバーだった前田航気が海外向けエンタメニュースサイト「ARAMA!JAPAN」でのインタビューでジャニーが最晩年まで性的行為を続けていたこと、中には自ら望んでジャニーと性交渉するジャニーズJr.メンバーが複数人いたことも明かし、その背景にはジャニーがタレントのデビューに関して強い決定権を持っていた権力構造があると証言した。なお後に前田の希望により、記事の当該部分はカットされた[61][62][63][64]

BBCは、ジャニーによる性加害を題材とした長編ドキュメンタリー『Predator: The Secret Scandal of J-Pop』を制作し、英国時間2023年3月7日21時からBBC Twoで放送[65]。被害者である元Jr.へのインタビューや、ジャニーズ事務所への直接取材が断られる様子などが放映された。日本でも英国での放送後の3月8日の昼頃に、YouTubeのBBC News Japan公式チャンネルで3分37秒間の日本語字幕付きのダイジェスト動画を公開し[動画 1]、3月18日にはBBCワールドニュースで 『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』と題して18時10分から50分間放送された[65][28]

英BBCドキュメンタリー放送後、韓国「朝鮮日報[66]」、英「ガーディアン」紙や米三大ネットワークの一つ「ABC」、ジャニーズ事務所がコンサートを行うことの多い香港台湾などアジアのメディアも報じている[35]

3月17日、英BBCドキュメンタリーの番組制作者が日本外国特派員協会のZoom会見で「SNS上では大きな反響があったが大手メディアの反応は静かだ」と、日本国内の大手メディアがジャニーズ事務所に忖度し報じず、沈黙していることを批判した[67]。ジャーナリストの木村正人も大手メディアが報じないことを問題視している[68]。英「デイリー・テレグラフ(ザ・テレグラフ)」はジャニーを「日本のジミー・サヴィル」(Japan’s Jimmy Savile)と呼んで類似のケースとしてサヴィルやハーヴェイ・ワインスタインに言及し、日本国内の報道がいまだに少ないことを問題視した[69]

人物

芸能界ではあくまでも裏方に徹しており、世間に顔を知られることを極端に嫌っていたため、顔写真は極めて少ない[70]

ジャニーズ事務所では、身長170cm以下の者を優先して採用していた[71]

アメリカ陸軍軍属として朝鮮戦争に赴いたこともあり、その自身の体験を2017年に自身が演出した舞台『ジャニーズ YOU&ME アイランド』で描いた。

1985年8月11日大阪の新歌舞伎座で幕を開けた舞台「森の石松」主演の近藤真彦の応援のために少年隊とともに翌12日日本航空123便に搭乗する予定だったが、初日に近藤が開く記者会見に来てほしいと要請を受けて大阪入りを前倒しにし、少年隊は東京に残った結果(この墜落事故)を避けられた[72]

座右の銘は「Show must go on(ショーは何があろうと続けなければならない)」[73]

2012年5月3日中国への進出を報道陣の前で表明[74]するも結局頓挫した[75]

出演

  • JOHNNYS' World:Top of the J Pops(2013年1月27日、NHKワールドTV[76]
  • 蜷川幸雄のクロスオーバートーク(2015年1月1日、NHKラジオ第1放送) - 番組の記念すべき第1回のゲストとして出演。メディアに登場しないジャニーの肉声が聞けた貴重な番組となった[77]

受賞歴

  • 2003年(平成15年)、第28回菊田一夫演劇賞「特別賞」受賞。授賞式には堂本光一を代理人として参加させた。
  • 2011年(平成23年)、ギネス・ワールド・レコーズが「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」と「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」に認定[78]。ジャニー喜多川はそれまで「自分の写真を決して公開しない人物」として有名であったが、この受賞に際し自身の公開用肖像写真を初めて撮影した[70]。2012年(平成24年)にも「最も多くのチャート1位アーティストを生み出したプロデューサー」としてギネス認定を受けている[79]
  • 2019年(令和元年)、第61回日本レコード大賞「特別音楽文化賞」受賞。没後に追贈される形となり、同年12月30日の発表会の際には愛弟子の近藤真彦が代理で受け取った[80]

製作に関わった映画

関連文献

  • あおきひろし『ボクの夢はキミたちが描く夢〜ジャニー喜多川が語るジャニーズ塾の子供たち』メタモル出版、1999年8月。 (ISBN 978-4895952408)
  • 和泉ヒロシ『ジャニーズ・ファミリー - 裸になった少年たち -』オリオン出版、1976年6月。
  • 江木俊夫『ジャニー喜多川さんを知ってますか』KKベストセラーズ、1997年7月。(ISBN 978-4584183007)
  • 鶴田康文『ジャニーさん―光Genjiへ総集編』データハウス、1990年3月。 (ISBN 978-4924442818)

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 長らく二重国籍を保持していたが、2014年頃に日本国籍のみとなった[2]
  2. ^ ディプロマミルとされる「ロサンゼルス市立大学」(シティユニバーシティロサンゼルス、City University Los Angeles)とは異なる。
  3. ^ 本名のJohnのニックネームの米国式発音による。なお、Johnnyの日本語表記は、通常は英国式発音によって「ジョニー」とされる事が多い。

出典

  1. ^ a b c “ジャニーズ所属タレントがコメント(6)「僕の人生を救ってくれて」”. 産経新聞. (2019年7月10日). https://www.sankei.com/article/20190710-MJAA4ITYIFJOHHTIXO2X6YJAXA/ 2019年7月12日閲覧。 
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動画

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