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新御三家(しんごさんけ)は、1970年代にトップ男性アイドル歌手として歌謡界を席巻した、郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎[注 1]の3人を指す総称である。それ以前に橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦が『御三家』と呼ばれていたことに倣った呼称である。
新御三家となった経緯に関して野口は「僕がデビューし、翌年に郷と西城がデビューしたが西城がいくぶん出遅れた。西城の事務所で西城と他の2人で新御三家というキャッチフレーズでデビューしたが、西城のマネージャーが別事務所の郷と僕を合体させて新御三家にした。事務所も違うので番組などでぶつけ合ってファン獲得をした」[1]と語っている。
あまりの大活躍ぶりに1975年の芸能誌で小西良太郎は「旧御三家の噂は途絶えがちだし、新御三家から"新"を取って、こちらが御三家でいいんじゃないか」と評している[2]。
概要
代表曲
初のオリコン週間シングル・ベスト20入り曲
西城秀樹
- 恋の約束(1972年)
初のオリコン週間シングル・ベストテン入り曲
郷ひろみ
- 男の子女の子(1972年)
- 〜以降34曲がベストテン入り
野口五郎
- オレンジの雨(1973年)
- 〜以降21曲がベストテン入り
オリコン週間シングル・第1位獲得曲
ベストヒット10曲(1970年代 - 1980年代)
郷ひろみ
西城秀樹
- YOUNG MAN(1979年)
- 激しい恋(1974年)
- ちぎれた愛(1973年)
- ホップ・ステップ・ジャンプ(1979年)
- 愛の十字架(1973年)
- 恋の暴走(1975年)
- 傷だらけのローラ(1974年)
- 君よ抱かれて熱くなれ(1976年)
- 薔薇の鎖(1974年)
- 勇気があれば(1979年)
野口五郎
(※以上はオリコンチャートの調査による。)
受賞経歴(日本レコード大賞、日本歌謡大賞、日本有線大賞)
- 1972年
- 郷ひろみ:レコード大賞・新人賞「男の子女の子」
- 1973年
- 1974年
- 西城秀樹:レコード大賞・歌唱賞、歌謡大賞・放送音楽賞「傷だらけのローラ」、有線大賞・大衆賞「激しい恋」
- 1975年
- 野口五郎:レコード大賞・歌唱賞、歌謡大賞・放送音楽賞、有線大賞・大賞「私鉄沿線」
- 1976年
- 郷ひろみ:レコード大賞・大衆賞「あなたがいたから僕がいた」
- 西城秀樹:レコード大賞・歌唱賞「若き獅子たち」
- 野口五郎:レコード大賞・歌唱賞、歌謡大賞・放送音楽賞「針葉樹」、有線大賞・有線功労賞「むさし野詩人」
- 1977年
- 野口五郎:歌謡大賞・放送音楽賞「風の駅」
- 1978年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞、歌謡大賞・放送音楽賞「ブルースカイ ブルー」
- 野口五郎:レコード大賞・金賞、歌謡大賞・放送音楽賞「グッド・ラック」
- 1979年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞「勇気があれば」、歌謡大賞・大賞、有線大賞・有線音楽賞「YOUNG MAN」
- 野口五郎:歌謡大賞・放送音楽賞「青春の一冊」
- 1980年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞、歌謡大賞・放送音楽賞「サンタマリアの祈り」
- 1981年
- 郷ひろみ:有線大賞・有線音楽賞「お嫁サンバ」
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞、歌謡大賞・放送音楽賞「センチメンタルガール」
- 1982年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞「聖・少女」
- 1983年
- 西城秀樹:レコード大賞・金賞「ギャランドゥ」
- 1994年
- 郷ひろみ:有線大賞・有線音楽優秀賞「言えないよ」
- 1995年
- 郷ひろみ:有線大賞・有線音楽優秀賞「逢いたくてしかたない」
- 1999年
- 郷ひろみ:レコード大賞・最優秀歌唱賞、有線大賞・有線音楽優秀賞「GOLDFINGER '99」
NHK紅白歌合戦出場曲
郷ひろみ
- 男の子女の子(1973年)
- 花とみつばち(1974年)
- 花のように鳥のように(1975年)
- あなたがいたから僕がいた(1976年)
- 悲しきメモリー(1977年)
- バイブレーション(1978年)
- マイレディー(1979年)
- How many いい顔(1980年)
- お嫁サンバ(1981年)
- 哀愁のカサブランカ(1982年)
- 素敵にシンデレラ・コンプレックス(1983年)
- 2億4千万の瞳(1984年)
- Cool(1985年)
- Wブッキング(1990年)
- 言えないよ(1994年)
- 逢いたくてしかたない(1995年)
- 2億4千万の瞳(1996年)
- お嫁サンバ(1997年)
- セクシーユー(1998年)
- GOLDFINGER '99(1999年)
- なかったコトにして(2000年)
- この世界のどこかに(2001年)
- 紅白スペシャルメドレー(2010年)
- Go Smile Japan!!(2011年)
- デンジャラー☆(2012年)
- Bang Bang(2013年)
- 99は終わらない(2014年)
- 2億4千万の瞳(2015年)
- 言えないよ(2016年)
- 2億4千万の瞳(2017年)
西城秀樹
出演番組
- フジテレビ系[注 3]は郷、TBS系[注 4]は西城、日本テレビ系[注 5]は野口・郷と、それぞれのテレビ局を象徴する「看板スター」として支援した。[要出典]そのため新御三家の競争の中には、民放3大テレビ局系列がしのぎを削るという意味合いがあった。それに追従する形で、テレビ朝日系[注 6]は郷、テレビ東京系[注 7]は野口を支持している。[要出典]
夜のヒットスタジオ
- 1970年代後半 - 1980年代前半にかけては、原則として3人のうち最低でも誰か1人が毎週『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)にゲスト出演した。
- この3人の中でもっとも出演回数が多いのは西城の188回(これは五木ひろしの222回、森進一の204回に続き歴代出演歌手全体を通じても3位に位置する多さである)で、次いで郷が175回であり、最も早く初出演した野口は123回となっている。
- 最多マンスリー歌手は郷の3回になっている。
NTV紅白歌のベストテン
- 『NTV紅白歌のベストテン』(日本テレビ系)には同様に3人が毎週交代で出演し、野口が番組の歴代最多回数出演歌手になっている。
ザ・ベストテン
- 『ザ・ベストテン』(TBS系)には第1回から3人が揃って登場し、最初(第10位)の登場歌手は野口だった。
- 西城は「ブーツをぬいで朝食を」以降22曲(154週)登場し、ついで郷が「禁猟区」以降15曲(117週)、野口は「風の駅」以降9曲(41週)登場した。ちなみに同じ期間(1978年1月19日から1989年9月28日まで)のオリコンチャートには、西城は17曲、郷は10曲、野口は3曲がトップ10入りしている。
関連人物
関連項目
脚注
注釈
- ^ 五十音順に列挙
- ^ ポップス歌手に転向して後には「青い木の芽の、はだざわり」に変更する。
- ^ ここでいう「フジテレビ系」とは、FNN・FNSの各テレビ局、及び文化放送、ニッポン放送などのラジオ局のことで、産経新聞、サンケイスポーツなどの新聞社も含む。
- ^ ここでいう「TBS系」とは、JNN・JRNの各テレビ・ラジオ局のことで、毎日新聞、スポーツニッポンなどの新聞社も含む。
- ^ ここでいう「日本テレビ系」とは、NNN・NNSの各テレビ局のことで、読売新聞、スポーツ報知などの新聞社も含む。
- ^ ここでいう「テレビ朝日系」とは、ANNの各テレビ局のことで、朝日新聞、日刊スポーツなどの新聞社も含む。
- ^ ここでいう「テレビ東京系」とは、TXNの各テレビ局のことで、日本経済新聞などの新聞社も含む。
出典
- ^ https://www.youtube.com/watch?v=8Er09sLi_SA&t=73s 『ダウンタウンなう』野口五郎 昭和のトップアイドル 野口五郎 新御三家のヒミツ
- ^ 小西良太郎「歌は世につれ世は歌につれ 歌謡特集(2) 『不況の中の'74年歌謡曲やぶにらみ考』」『スタア』1975年1月号、平凡出版、227–231頁。