来歴
東京都品川区の出身で、実父は警察署長を歴任。児童劇団所属の子役俳優として活動していた[1]小学4年時から2年間にわたって、『はてな劇場』(NHK総合テレビからの生放送による教養番組)で「はてなのおねえさん」(演:黒柳徹子)の弟役を演じた[2]。劇団での先輩に、毒蝮三太夫がいる。
小学校からの卒業を機に子役としての活動を終えると、東京都立雪谷高等学校から慶應義塾大学法学部へ進学。大学卒業後の1971年4月1日付で、フジテレビにアナウンサーとして入社した。同期のアナウンサーは大川和彦、石毛恭子、岩崎真純、三上彩子で、アナウンサー以外の同期局員に沢雄二(前公明党参議院議員)や豊田皓(同社元社長・副会長)がいる。
フジテレビへの入社後は、『3時のあなた』のアシスタントを皮切りに、報道・情報・バラエティ番組を幅広く担当した。1995年4月から1999年9月までニューヨーク支局へ赴任した後に、アナウンス室部長→アナウンス室専任部長→ゼネラルアナウンサーを経て、2007年から役員待遇エグゼクティブアナウンサーに昇進。定年を2年延長した後に、契約期間を満了した2010年2月以降も、同局との嘱託契約でアナウンサー業務を続けていた。
2011年4月からは、フジテレビ報道局の解説委員を兼務。現役のアナウンサーとしてはフジテレビに最も長く在籍していたが、2019年3月31日付で嘱託契約を終了したことを機に、48年間務めた同局を退職した[3]。退職後は、フリーアナウンサーとしてクローバーカンパニーに所属している。
特技は、ゴルフ、水泳、蕎麦打ち。フジテレビのアナウンサー・解説委員時代に出演していた『新報道2001』の終了(2018年4月1日)を機に、趣味にも精を出すことをSNSで明言している[4]。
『3時のあなた』で森光子と共演した縁もあり、一般財団法人森光子芸能文化振興財団(代表理事はアナウンス室の先輩である野間脩平)の評議員も務めている[5]。
エピソード
この節は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2018年9月) |
- 引っ込み思案を克服すべく、東京都品川区立三木小学校の1年時に、地元の知人からの勧めで児童劇団に入団。同校を卒業するまで6年間在籍した。三木小学校では「劇団の活動との兼ね合いで早退や欠席が多かった」とのことだが、フジテレビへ入社してからも、在校生向けの特別授業やPTA向けの講演会を定期的に開いている[1]。
- フジテレビのアナウンサー時代には、報道番組やワイドショーに長く携わっていた関係で、ホテルニュージャパン火災・日本航空350便墜落事故(『3時のあなた』月・火曜アシスタント時代の1982年2月に発生)や日本航空123便墜落事故(『おはよう!ナイスデイ』共同司会時代の1985年8月12日に発生)など、数々の大事件・大事故の現場を取材している[6]。このような経験から、48年間にわたって勤務してきたフジテレビを退職する際には、「テレビの原点はライブ(生放送)で、そこには醍醐味がある一方で、必ず批判が出る。もっとも、批判を受けるのはメディアが生きている証拠で、『やり過ぎ』ぐらいがちょうどいいと思う。『批判をどう受け止めるのか』ということ(が大事)」と語っている[6]。もっとも、『おはよう!ナイスデイ』で携わったロス疑惑報道では、疑惑を掛けられた三浦和義を批判する旨の報道や発言を続けたところ、当の三浦から名指しで非難された。
- アナウンサーとして取材やインタビューに臨む際には、相手の人格を尊重しながら、「相手を知ろう」という謙虚な姿勢で話を聞くことをフジテレビ時代から心掛けている。『新報道2001』などの討論番組で司会を務めた際にも、相手の言い分を真っ向から否定することを戒めていたという[1]。このような姿勢から、関係者には「フジテレビの良心」と呼ばれていた[6]。
- 1991年3月31日、翌日に開局を控えサービス放送中の岩手めんこいテレビで放送された開局記念特別番組「花のザ・めんこい祭」の司会をタレントの榊原郁恵とともに務めた。フジテレビ側からは他に木幡美子がヘリ中継で参加した。
- フジテレビを退職する時点での年齢は71歳で、同局のアナウンス室に在籍した現役のアナウンサーとしては歴代最高齢であった。ただし、ニューヨーク支局赴任中の4年間のみ、アナウンス室から報道局へ異動していた[6]。
- 在職中の50代中盤までは、(普通自動車運転免許)を保有。実際に自家用車(マイカー)を運転していたが、視力や体調に問題がなかったにもかかわらず、アナウンス室専任部長への在任中に免許を自主的に返上した。アナウンサーや管理職としての立場を考慮したことに加えて、「加齢の影響で目が疲れやすくなったことや、身近な人が自動車を運転中に交通事故を起こしたことで運転が怖くなった」とのことである。フジテレビでは(アナウンサーを含めた)局員にマイカー通勤を推奨していないが、当時の須田には部下のアナウンサーにマイカー通勤を禁止させるだけの権限がなかったことから、部下の前で「今後は自分で一切運転しない」とあえて公言。その結果、運転免許を保有していたアナウンサーの一部が須田に追随したという。
フジテレビ退職後の主な出演番組
フジテレビ時代の出演番組
報道・情報番組
期間 | 月・火曜日 | 水 - 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | |
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1971.10 | 1973.4 | 3時のあなた1 | (なし) | ||
1974.5 | 1982.3.30 | ||||
1982.4.1 | 1987.3.27 | おはよう!ナイスデイ1 | (なし) | ||
1987.3.30 | 1987.9.30 | 美味しんぼ倶楽部2 | |||
1987.4.1 | FNNニュースレポート11:303 | ||||
1987.10.1 | 1988.3.31 | 美味しんぼ倶楽部2 FNNスピーク3 | |||
1988.4.4 | 1990.4.8 | タイム31 | |||
1990.4.9 | 1990.6.24 | (なし) | 日曜TOP情報4 | ||
1990.6.25 | 1990.12.9 | (なし) | |||
1990.12.10 | 1991.1.13 | (なし) | 日曜TOP情報4 | ||
1991.1.14 | 1993.9.30 | (なし) | |||
1993.10.1 | 1994.9.30 | タイムアングル1 | |||
1994.10.3 | 1995.3.31 | FNNニュース2:005 | |||
1995.4.3 | 1999.9 | めざましテレビ6 | |||
2000.4.3 | 2008.9.26 | FNNスーパーニュース3 | |||
2008.9.29 | 2011.3.27 | FNNスーパーニュース3 | (なし) | 新報道20011 | |
2011.4.3 | 2018.4.1 | (なし) | |||
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バラエティ・特別番組
- ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!
- ビートたけしのつくり方(1993年10月14日 - 1994年3月17日) - バラエティーコーナー
- クイズ!超選択(1992年4月15日 - 9月23日) - 司会
- 平成教育委員会(1993年) - 代理学級委員長
- おめでとう郷ひろみ・二谷友里恵結婚披露宴(1987年6月12日) - 放送進行司会
- FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(1990年) - 河野景子と共に第4代総合司会
- 27時間テレビ みんなのうた(2002年・2003年) - 新人アナ披露の立会人
- FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビ やっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!(2005年) - キャスター
- FNS27時間テレビ みんな なまか だっ! ウッキー!ハッピー!西遊記! - 参議院選挙中継
- (松本清張生誕100年記念作品・駅路)(2009年4月11日)
- 金曜プレミアム・緊急スペシャル 教祖麻原ら7人死刑執行 日本が震えたオウム事件の〝真実〟(2018年7月6日) - 司会
著書
- 『とっておきのニューヨーク―もうひとつの素顔が見えてくる』(光文社、1998.7)
脚注
- ^ a b c 『ふれあい』(出身地の東京都品川区で定期的に発行されているミニコミ誌)2017年春号でのインタビューを参照。
- ^ “須田哲夫アナ 半世紀以上の時を経て“姉”の黒柳徹子に直接謝罪も…「それ?覚えていません」”. スポーツニッポン. (2021年2月25日) 2021年2月25日閲覧。
- ^ “フジの“良心”須田哲夫アナ・現役最年長 今月いっぱいで卒業”. 産経ニュース
- ^ “フジ「新報道2001」終了…須田哲夫キャスター、最終回でサーフィンに初挑戦「勇気がわいてきました」”. スポーツ報知. (2018年4月1日) 2018年6月3日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2020年12月14日). “森光子さん「百歳の放浪記展」に1万人超!『生誕100年プロジェクト』ついに千秋楽”. サンスポ. 2021年12月16日閲覧。
- ^ a b c d フジの“良心”須田哲夫アナ・現役最年長 今月いっぱいで卒業(『産経新聞』2019年3月29日付記事)
- ^ 元フジアナ・須田哲夫、子役時代に黒柳の弟役を演じていた!60年以上経っての"謝罪"(『テレ朝POST』2021年2月24日付記事)
関連項目
外部リンク
- 須田哲夫 (@tetsuo_suda_) - Twitter