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隅田川花火大会

隅田川花火大会(すみだがわはなびたいかい)は、東京都隅田川沿い(台東区浅草(右岸)・墨田区向島(左岸)周辺)の河川敷において毎年7月最終土曜日に行われる花火大会。毎年8月に開催される江戸川区花火大会とともに(東京二大花火大会)の一つに数えられる。

隅田川花火大会
Sumidagawa Fireworks Festival
概要
開催時期 7月最終土曜日
初回開催 1978年
会場・場所 隅田川近辺(浅草向島周辺)
1.桜橋下流 - 言問橋上流
2.駒形橋下流 - 厩橋上流
打ち上げ数 20,000 - 22,000発
主催 隅田川花火大会実行委員会
協賛 アサヒビール
協力 テレビ東京
人出 959,000人(2019年)
外部リンク 公式サイト
備考
当日中止の場合は翌日に順延(翌日が国政選挙の投票日の場合は順延せずに中止)。
(テンプレートを表示)
広重「名所江戸百景」に描かれた両国花火

概要

隅田川花火大会は、江戸時代、隅田川での船遊びが許された納涼花火解禁期間の開始日に、花火師の鍵屋・玉屋が、自身の花火を宣伝する目的で大々的に花火を打ち上げたことに由来する[1]

創られた「伝承」

この大会の起源として、これまで広く流布していた言説に次のようなものがある。

隅田川花火大会は、大飢饉コレラの流行によって江戸で多くの死者が出た1732年、8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した「川施餓鬼」(死者の霊を弔う法会)に遡る。1733年7月9日享保18年5月28日)、幕府は前年にならって川施餓鬼とあわせ、慰霊悪病退散を祈願する目的で、両国の(川開き)の日に水神祭を実施。その際に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツとされる。

この半ば定説化していた「伝承」は、明治時代中期から昭和初期(1890年代~1930年代)にかけて徐々に創られていったものであり、歴史的事実とはかけ離れている[2]。例えば、コレラの日本国内での流行は、1822(文政5)年に西日本一帯で起きたのが最初であり[3]、1732年に流行したというのは事実に反する[4]

下に引用した清水晴風の文章は、この「伝承」が形成される途上の1907(明治40)年に書かれたものである。江戸時代の文献[5]には一切登場しない「享保18年」や「死者供養の花火打ち上げ」などといった情報[6]が記載されている一方、大正時代に突如登場する「水神祭」というワード[7]は、まだ見られない。

両国の夏の納涼花火」 隅田川の夏の風物詩として知られる隅田川花火大会の歴史は、享保18年(1733)5月28日の両国川開きにまで溯る。大飢饉や疫病による死者供養と災厄除去を祈願して、花火師、6代目鍵屋弥兵衛が、花火を打ち上げたのが始まりだった。明治期には11代目鍵屋弥兵衛が、外国から輸入された新しい薬剤を使って赤、青などの発色花火の打ち上げに成功し、また、マニラから持ち帰ったスターマインを、初めて両国川開きで打ち上げた。明治30年(1897)8月には、見物客の重みで木橋の両国橋の欄干が落ち、多くの死傷者が出る大惨事が起きた。この事故を契機に両国橋は旧橋より上流に鉄橋で架けられた。打ち上げ花火、冠菊(しだれ柳)と両国橋(鉄橋)の絵あり。「昔両国の川開きは五月廿八日に限りたるも今は一定の日はなし花火を打上る前警察署の認可を得て後に執行と虽とも此納涼今に至るも東京名物の一なりと定む」と記載あり。50丁表に「江戸一流元祖南京 龍田〇〇ち 男山〇〇〇 むさしの〇〇 安部野らんきく 宮城野乃萩横山町壱丁目 花火せん香かきや弥兵衛」と記載がある花火師、鍵屋弥兵衛の広告あり。 — 清水晴風『東京名物百人一首』1907年8月「両国の夏の納涼花火」より抜粋[8]

萌芽(明治20年代)

時間をかけて少しずつ形作られた、この「伝承」の萌芽は、明治20年代に現れる[9]。1891(明治24)年の新聞記事では、多数の仕掛け花火の打ち上げが始まったのは「凡百六七十余年前」とあり[10]、これに基づけば、1731(享保16)年頃以前に始まったことになる。「伝承」にあるような、1733(享保18)年という具体的な年は、この記事にはなく、また、死者供養と災厄除去を祈願する話も一切なく、隅田川で販売する花火の売り出し広告として川開き花火を始めたと書かれている[11]

翌年以降も似たような記事が新聞に掲載されるが、始期についての記述はまちまちで、1892(明治25)年の記事では「凡そ二百年前[12]、1893(明治26)年の記事では「百数十年前[13]、1896(明治29)年の記事では「明暦〔1655~58年〕以前[14]と一定していなかった。このように明治20年代の段階では、始期について、享保年間を含む約100年の「誤差」があり、「享保18年」というピンポイントの「設定」はまだ誕生していなかったのである[15]

「享保18年」の特定(明治30年代)

「享保18年」という具体的な年が現れるのは、明治30年代になってからである。その嚆矢が1903(明治36)年の新聞記事であり、そこには「享保十八年五月旧幕府の免許を得て始めて挙行せし」と記されている[16]。しかし、この記事には、「享保18年」に始まったことを裏付ける根拠は一切示されていない。それにもかかわらず、これ以降、「享保18年」という数字がその真偽を検証されることなく、独り歩きしていく。

ただし、すぐに享保18年説が確固たる地位を得たわけではない。1932(昭和7)年の新聞記事では、「天和二年〔1682年〕川開が始まつてから二百五十年」とあり[17]、主催者がそれを記念して川開きを大々的に催すことにしたと書かれている。主催者が天和2年説を喧伝していることから、1932年の段階では、まだ享保18年説は十分に定着していなかったことが分かる[7]

「飢饉」への言及(明治40年代)

明治40年代には、上で引用した清水晴風『東京名物百人一首』などのように、「飢饉」との関連性を指摘する記述が登場する。

しかし、「飢饉→死者→慰霊→花火」というストーリーはまだ一般化していなかった。例えば、1911(明治44)年に出版された若月紫蘭『東京年中行事 下巻』には次のように書かれている。

享保十八年、八代将軍吉宗の時である。前年大飢饉の余勢をうけて米価しきりに騰貴し、山陽・西海・四国尤も甚しく、民の餓死するもの九十六万余人に及んだと言うにもかかわらず、漸く太平に慣れ、奢侈の風これより盛んならんとしたる江戸に於ては、この年五月二十八日を以て、今猶江戸名物の名残の一として数えられつつある、隅田川は両国の川開が初めて催されたのである。 — 若月紫蘭『東京年中行事 下巻』(春陽堂、1911年)より抜粋

若月は、飢饉について述べてはいるが、それが川開き(花火打ち上げ)のきっかけになったという書き方はしていない。それどころか、川開きは「奢侈の風」の象徴のように描かれており、慰霊や悪病退散とは正反対のイメージである[18]

また、若月は、対象地域や死者数等を具体的に示して享保の大飢饉を説明している。これらの内容は『徳川実紀』と完全に一致しており、そこから引用したものと考えられる[18]。若月の文章において、「飢饉」は当時の世相を説明する一要因に過ぎず、「飢饉」と「川開き」との間に直接の結びつきは示されていない。しかし、この『徳川実紀』から引かれた詳細な飢饉状況の描写が、のちに「慰霊目的」説に取り込まれ、結果として「伝承」の強化・完成に寄与することとなった。

「水神祭」の登場(大正時代)

1923(大正12)年、その年の川開きを報じる新聞記事[19]において、「水神祭」という語が初めて登場する[7]

享保時代水神の祭に旧五月廿八日の夜を涼みがてらの余興として鍵屋弥兵衛が一発ポーンと揚げ〔た。〕 — 読売新聞1923(大正12)年より抜粋

この記事では、飢饉による死者の慰霊のために云々という「慰霊目的」説は登場せず、花火は水神祭の「余興」という位置づけになっている。大正時代になっても、まだ「伝承」は完成していなかったのである。

「伝承」の確定(昭和初期)

あやふやだった花火大会の起源に関する「伝承」が確定し、流布していく画期が、1934(昭和9)年に訪れる。この年に刊行された公式プログラム『両国川開大花火番組』に「川開きと花火の沿革」という論考が掲載されたのである。

顧みますれば、今から二百余年前、享保十七年、八代将軍吉宗の時、前年の豊作に引かへて大飢饉が襲来し、米価頻りに騰貴して、山陽、西海、四国が尤も甚だしく、民の餓死するものが九十六万余人に達したといはれ、且つ江戸においてはコロリ病(現今のコレラ)が流行し、死者は路傍に打棄てられる有様であつたので、時の政府は、その慰霊且つ悪疫退散のため、両国川下に水神祭を催して死者の追善供養を行ひました。翌十八年、前年の水神祭、川施餓鬼に因んで、矢張り五月二十八日に川開きを行ひ、八月二十八日に至る三ケ月の間は、数限りもない屋形船、屋根船、伝馬、猪牙船などの納涼船が山谷、橋場、遠くは白鬚、水神のあたりから、一方深川辰巳花街から大川尻まで『吹けよ川風上れよ簾』とゆるゆると涼を追ふて明け易い夏の夜を、更くるまで水に親しみ、東都歳時記にも『今夜より花火をともす』とあるのを見ますから、五月二十八日の川開き以後、毎夜のやうに色々な趣向を凝らして大小の花火や仕掛花火を打あげたものであります。 — (三宅狐軒)「川開きと花火の沿革」より抜粋

三宅は、先に引用した若月紫蘭の『東京年中行事』の記述を下敷きにしつつ、(1)コレラの流行、(2)慰霊と悪疫退散という目的、(3)時の政府(江戸幕府)による実施、(4)水神祭と川施餓鬼という4点を付け加えた。これまでばらばらだった断片がまとめあげられ、ここに「伝承」が完成したのである。

三宅は、日本料理に関する著書を何冊も出し、俳句も嗜む文化人であった。そのような人物が、主催者の公式プログラムに、享保の大飢饉の説得的な根拠を示して花火大会の起源を論じたため、これが「定説」として定着していく。木村荘八(画家、風俗史家)、朝倉治彦(江戸研究者)、『墨田区史』などがこれに追随し、流布されていったのである[4]

この言説は、「民を慈愛する名君、徳川吉宗」というイメージと、「死者の魂を鎮め、災厄を川に流す」という民俗的な死生観などが合わさって、「民俗学的によく出来た」話になっていたことから、受容が進んだと考えられる[20]


以上のように、隅田川花火大会の起源については、1891(明治24)年から1934(昭和9)年までの40年ほどの間に、花火業者の広告目的から慰霊と悪病退散のためへと趣旨がすり替わり、かつ、明暦以前開始説や天和2年開始説もあった中で、享保18年開始説が根拠もなく採用され、広まっていった。こうして、「伝承」という名の作り話が定着したのである[21]

鍵屋と玉屋

打ち上げは最初期は(鍵屋)が担当した。歴史は鍵屋のほうが古く、江戸での創業は1659年。7代目鍵屋の番頭(玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が暖簾分けで、1808年玉屋を創業し、2業者体制となり、双方が腕を競いあっていた。

鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、良いと感じた業者の名を呼んだ。これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれる。当時評判がよかったのは玉屋のほうで、「玉やだと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるように、玉屋の掛け声ばかりで鍵屋の名を呼ぶものがいない、といわれた時代もある。ただし、玉屋は幕末期(1843年)に失火事故を起こし、半丁ほどの町並みを焼失させた罪で、江戸処払い(追放)を命じられ、1代限りで断絶した。ただし、その後も江戸のすぐ近くで細々と営業していたという説もある。一方の鍵屋は、日本最古の花火会社「株式会社宗家花火鍵屋」として現存している。因みに、それまで難しい技術とされていた、同心円状に飛散する花火を明治期に及させたのが鍵屋である。

花火の起源

日本で最初に花火を観賞した人物は、一般的には徳川家康と言われている。江戸時代に書かれた「駿府政事録」などに、1613年、イギリス国王使節ジョン・セーリスが駿府城を訪れた際、中国人を使って、家康に花火を見せたという記述が残されている。この時の花火は現在の打ち上げ花火とは異なり、竹筒から火の粉が噴き出す単純なものであった。これを機に家康が三河の砲術隊に命じて、観賞用の花火を作らせるようになったのが、日本における花火の起源とされる[22]

中断、復活、その後

両国川開きの花火は、明治維新第二次世界大戦などにより数度中断した。1961年から1977年まで、交通事情の悪化や、隅田川の水質汚濁による臭害等により中断するが、1978年に現在の「隅田川花火大会」に名称を変えて復活し、以後毎年続けられている。

毎年100万人近い人出が見込まれるこの大会は、桜橋下流から言問橋上流までの第1会場と、駒形橋下流から厩橋上流の第2会場合計で2万発以上の花火が打ち上がり、同時に、花火コンクールが行われる。

なお、3年に一度7月に参議院議員選挙が行われるため、その年の開催日(土曜日)の翌日が選挙投票日にあたる場合、開催日が雨天や強風の場合の順延はなし(事実上中止)となる。東京都知事選挙が実施された2016年も同様である[23]。これは投票所が花火大会会場内にあるため、安全上の理由によるものである。

2000年(第23回大会)は、九州・沖縄サミットが開催された影響により、8月開催に延期された。なお、浅草サンバカーニバルは同年9月9日に開催された。

2011年(第34回大会)は東日本大震災の影響で都内の花火大会が次々と中止を決める中、東京都副知事猪瀬直樹8月27日に日程を変更して開催することを表明した[24]。この開催延期の影響に伴い、浅草サンバカーニバルの開催が中止となる事態が発生した[25]

 
東京スカイツリー開業後初となる2012年(第35回)の隅田川花火大会の様子。

2013年(第36回大会)は、雨天および強風により大雨・洪水警報と雷注意報が発表され、開始30分足らずの19時40分に大会中止が発表され、途中打ち切りとなりコンクールも競技不成立となったが順延は行われなかった。1997年(第20回大会)に雨天による延期という例があったが、完全に中止となったのは2013年が初めてである。なお、翌年の2014年(第37回大会)は、雨は降らず予定通り開催され無事に終了した。

2018年(第41回大会)は、当初7月28日に予定されていたが台風12号の接近に伴い、7月29日に延期[26][27]して開催された。なお、同日は2020年東京オリンピックパラリンピックを見据えて、本大会の警備に人工知能(AI)が初めて導入された[28][29]

2020年(第43回大会)は東京オリンピックの当初日程(7月24日 - 8月9日)と重なることから調整が行われ、例年より2週間前倒しした7月11日に開催予定であったが[30]新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行拡大の影響を受け、同年4月10日に中止が決定した[31][32]。また、2021年(第44回大会)についても延期後の東京オリンピックの日程(7月23日 - 8月8日)を避け、例年より3か月遅れの10月23日に開催予定であったが、同年6月18日、前年同様中止が決定した[33]

2022年(第45回大会)もCOVID-19の流行収束が見通せないことから同年4月8日に中止が発表され、3年続けての開催中止となった[34]

地域への影響

本大会の花火の眺望を期待して周辺のマンションを購入する動きも見られる。

2006年には、マンション分譲業者が花火の眺望を売りにして販売したにも関わらず、数年と経たない内に隣接地に別のマンションを建設して花火が見られなくなったとして、住人が業者を提訴した事例もある。東京地裁は、花火の眺望を「いかなる場合にも法的に保護すべき利益とまではいえない」としながらも、「信義則上の配慮義務がある売り主の会社自身が眺望を妨げた特殊な事案」であるとして、業者側に慰謝料の支払いを命じる判決を出している[35]

主な開催記録

花火コンクール

両国ゆかりの花火業者7社と、全国花火競技大会などで優秀な成績をおさめた3社の合計10社が、花火の美しさと技を競う。なお、表彰式はコンクール終了後に行われる[要出典]

交通など

当日は会場周辺に大規模な交通規制が敷かれる。首都高速6号向島線は夕方から21時ごろまで会場付近の区間(両国JCT - 堤通入口堀切JCT間)が全面通行止めになり、周辺道路も許可車以外通行止め等の措置が取られる。

東京メトロ銀座線東武スカイツリーライン等は臨時列車が運行され、都営浅草線は臨時増発の他、京成押上線方面のエアポート快特東日本橋駅で京成押上線内の種別に変更する(東日本橋駅 - 押上駅間は各駅停車、浅草橋駅蔵前駅本所吾妻橋駅にも停車)。

なお、歩行者が会場周辺の隅田川の橋を渡る際は、混雑防止の観点から橋上は立ち止まり禁止かつ一方通行の措置がとられる。

2002年頃には、大会当日の夜間(21時頃)の常磐線中距離列車(中電・普通列車)が、当時は通過していた三河島駅南千住駅に臨時停車したこともあった。

モラル

近年、観覧モラルの低下が著しく、観覧会場及びその周辺道路には場所取りと称して粘着テープを貼り付ける行為が多く見受けられる。この行為は、交通規制前の大通り(水戸街道清澄通りなど)でも堂々と行われており、許可なき道路の占有や汚損を禁じた道路交通法に違反する行為であると同時に、交通事故の原因となる危険な行為である。

両国花火資料館

隅田川花火大会と前身の両国川開きを中心とする花火大会に関する資料や、花火の模型などが展示されている。一般社団法人墨田区観光協会による運営。

所在地・アクセス・開館時間

テレビ放送

アサヒビールスペシャル
独占生中継 隅田川花火大会
ジャンル 特別番組
演出 田中晋也(総合演出)
出演者 高橋英樹
ほか
製作
プロデューサー 水野亮太
小平英希 (CP)
内田久善(制作統括)
制作 テレビ東京
放送
音声形式ステレオ放送
放送国・地域  日本
放送期間1978年7月31日 - (年1回)
放送時間開催日 18:30 - 20:54
放送分144分
回数42
テレビ東京

特記事項:
放送時間・回数は2019年までの時点
(テンプレートを表示)

1978年の第1回より毎年テレビ東京が独占中継している。1983年は両国川開き250周年を記念してテレビ大阪とテレビ愛知にも同時ネットされ、この年はゲストとして内海桂子・好江をはじめ原田知世は自身の映画初主演となる『時をかける少女』の宣伝も兼ねて出演した。遅くとも「土曜スペシャル」の放送開始以降はローカル枠で、原則関東ローカルでの放送(TXN系列各局は別編成[注 2])であることも珍しくないが、2012年以降はテレビ愛知へもネットされることがある[注 3]また、稀に東海・近畿地区の独立局(岐阜放送びわ湖放送奈良テレビテレビ和歌山)へもネットされることがある。ハイビジョン制作。

テレビ東京は大会の再開へ積極的に協力した経緯から、現在に至るまでテレビ東京の独占中継が認められている[37]。放送開始当初にはNHK首都圏放送センターが「都の半公共的行事を一放送局が独占するのはおかしい」と実行委員会に抗議を申し入れたという[37]

メイン司会は第1回は宮田輝。その後、関口宏みのもんた梅宮辰夫などが担当。1990年代後半は小倉智昭が担当し、近年は俳優高橋英樹とテレビ東京の女性アナウンサーが担当している。ほか、会場各所にゲストが出演、さらにレポーターとして審査会場、ヘリ等に3名ほど配置している。また、テレビ東京の人気番組とのタイアップも兼ねている。会場周辺に本社があるアサヒビールがメインスポンサーとなっており、「アサヒビール スペシャル」として放送される。

近年の放送

(肩書は放送当時。氏名横に○印が付いている者はテレビ東京アナウンサー)

2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
  • 司会:高橋英樹、繁田美貴○
  • 出演者:貴乃花親方浅野ゆう子、東貴博、吉木りさJOY[](第2会場のレポート担当)、(坂井裕美)(2012年アサヒビールキャンペーンガール)、相内優香○、白石小百合○
  • 2年連続で同時ネットしていた奈良テレビを含めて今回は独立局での同時ネットは行わない一方、系列局のテレビ愛知が開局当初(1980年代)以来となる同時ネットを行った。
2013年
  • 司会:高橋英樹、繁田美貴○
  • 出演者:樹木希林中村獅童田丸麻紀潮田玲子高橋真麻(浅草中継ポイント)、舞の海秀平(第2会場)、堀口ひかる(2013年アサヒビールキャンペーンガール)、白石小百合○、鷲見玲奈
  • この年は同時ネット局はなく、関東ローカルのみの放送となり、テレビ東京では珍しくリアルタイム字幕放送が実施された。また、前述の通り大会は中止となり、その後は、中止になるまでに打ち上がった花火の様子をVTRで放送したあと、前年のダイジェストなどを放送した[注 5][38]
  • この年から、高橋英樹の愛娘・真麻(元フジテレビアナウンサー)が中継に参加、父娘共演が実現した。また大会中止後、VTRの合間に樹木希林が自作の俳句を披露した。
  • 史上初めて、BSジャパン(現:BSテレ東)で8月8日(18時 - 20時)に再放送された[38]
2014年
  • 司会:高橋英樹、繁田美貴○
  • 出演者:泉谷しげる原田美枝子、中村獅童、尾木直樹平愛梨太川陽介蛭子能収岡愛恵(2014年アサヒビールキャンペーンガール)(屋形船ゲスト)、高橋真麻(ザ・ゲートホテル雷門)、狩野恵里○(観覧席中継)、白石小百合○(審査会場)、紺野あさ美○(ヘリコプター中継)
2015年
2016年
2017年
2018年
  • 司会:高橋英樹、繁田美貴○
  • 出演者:仲村トオル榊原郁恵片桐仁生田絵梨花乃木坂46)・秋元真夏(乃木坂46)・稲村亜美(第1会場)、石原良純(第2会場ゲスト)、片渕茜○(第2会場)、いとうせいこう・みうらじゅん(副音声解説)、団長安田ホリ朝香りほ(2018年アサヒビールキャンペーンガール)(東京スカイツリー中継[注 7])、高橋真麻(グラウンド中継)、竹﨑由佳○(審査会場)、角谷暁子○(ヘリコプター中継)
  • 大会中継当日に台風12号が本州を直撃し、関東地方を通過するとの予報が出たことにより、本中継番組そのものへの影響も心配された[43]が、29日に順延となったため[27]、28日・29日両日はテレビ東京で18時30分-20時54分に放送予定の番組を交換し、28日には29日に系列全局で放送予定だった『(世界を救え!サムライバスターズ2〜最恐生物一斉討伐SP!〜)』(テレビ東京制作)を関東ローカルで、1日繰り上げて放送した(他のTXN系列局では繰り上げがなく、結果的に遅れネットとなった)[44][注 8]
  • 当初、テレビ愛知でも同時ネットする予定となっていた[注 9]が、順延により取り止めた。そのため関東ローカルでの放送となった[注 10]
2019年
  • 司会:高橋英樹、角谷暁子○
  • 出演者:武田鉄矢高島礼子ビビる大木磯村勇斗大原櫻子福原遥[注 11](第1会場)、東貴博・鈴木望(2019年アサヒビールキャンペーンガール)(第2会場ゲスト)、片渕茜○(第2会場)、いとうせいこう・BOSE(スチャダラパー)(副音声)、横澤夏子池谷実悠○(市民観覧席)、庄司智春品川庄司)・竹﨑由佳○(移動中継)、田中瞳○(審査会場)、森香澄○(ヘリコプター中継)
  • 前年まで6年連続で出演した高橋真麻が今回は出演しないため、父娘共演が途絶える形となった。また、前年まで司会を務めた繁田が第一子妊娠[45]に伴いこの年は司会を離れ、前年ヘリコプター中継を担当した角谷が司会に昇格。
  • テレビ愛知でも同時ネットで放送した。
2020年
2021年
  • 司会:高橋英樹、角谷暁子○
  • 出演者:川井梨紗子川井友香子(放送ブース)、マヂカルラブリー野田クリスタル村上)・冨田有紀○(リポーター)
  • 前年同様、COVID-19の影響で大会開催が中止になったが、9月18日、『ありがとう&がんばろう日本2021 隅田川花火大会 特別編』と題して、特別編を18:30 - 19:54に放送。今回は西武園ゆうえんち敷地内から全編生放送され、代替打ち上げ花火も全発同所にて行われた[47]
  • テレビせとうち、岐阜放送、びわ湖放送、奈良テレビでも同時ネットで放送した。
2022年
  • 司会:高橋英樹、角谷暁子○
  • 東貴博・知念侑李有岡大貴朝日奈央(放送ブース)、冨田有紀○・中原みなみ○・藤井由依○(リポーター)
  • 前年までと同様、COVID-19の影響で大会開催が中止になったが、8月6日、『隅田川花火大会 特別編2022』と題して、特別編を18:30 - 19:54に放送。

主なスタッフ

2022年時点
  • 技術統括:三浦宏一
  • 照明:小堀雄大(一時離脱→復帰)
  • 美術:仙田拓也
  • 宣伝:石津早也果
  • 技術協力:テクノマックス
  • 美術・照明協力:テレビ東京アート
  • 構成:オオガネクヨシタカ(第40 - 42回 - 、第42回ではオオガネクと表記、一時離脱→復帰)、塩見昌矢
  • 制作進行:千田洸陽、皆呂充俊、大宅優、宮中彩花、赤木智彦、湊慧、渡邉緩也、畦元海帆、岩田直樹
  • AP:渡邊陸、小島千明
  • ディレクター:岩下裕一郎(以前は総合演出)、持山勇太、中込洋輔(PROTX)、丸山恵、松澤啓、髙瀬美緒
  • 総合演出:田中晋也
  • プロデューサー:水野亮太(以前はAP)
  • チーフプロデューサー:小平英希(以前は中継ディレクター→一時離脱→プロデューサー)
  • 制作統括:内田久善(以前はチーフプロデューサー)
  • 製作著作:テレビ東京

以前のスタッフ

  • 音声統括:五十嵐公彦、永久保仁志
  • 照明:古川雅士(一時離脱→復帰)
  • 美術:本橋智子
  • 宣伝:松坂忠光、小山佑介、荒井正和
  • 監修:尾関恩(以前は監修→構成)
  • 構成:辻井宏仁(第41回)、カミヤチョウ(第40 - 42回)、加藤ゆうた(加藤→第42回)、佐々木貴博
  • 副音声演出:祖父江里奈(第40・41回)、渡邊麗(第42回、第41回では中継ディレクター)
  • 制作進行:角田康治、久岡佳樹、加藤正悟、林毅、山田沙祈、大森時生
  • 技術協力:TAMCO千代田ビデオKDDI、サークル、ラリードリーム、バンセイ
  • 制作協力:SPGホールマン、BMC、PROTX、カメレオンフィルム
  • 中継ディレクター:工藤里紗、山田翔太、小比類巻将範(第39回では総合演出)、高橋弘樹上出遼平(上出→第41回)、三宅優樹(三宅→第41 - 42回)、南岡広紀(南岡→第42回)、野口詠介
  • ディレクター:鈴木拓也(鈴木・村田→共に第42回 - 、第42回では中継ディレクター)、朝比奈諒(朝比奈→第41 - 42回まで中継ディレクター)、村田充範、安田太地、溝田和史(溝田→以前は制作進行→一時離脱)、生原敬太
  • 総合演出:矢部宏光、杠政寛(杠→第40回 - )
  • プロデューサー:神山祐人(第39・40回)、小高亮(第40 - 42回)
  • チーフプロデューサー:加藤正敏→髙野学→澤井伸之(澤井→第39 - 42回、以前はプロデューサー)
  • 協力:隅田川花火大会実行委員会

脚注

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注釈

  1. ^ この年は翌日第21回参議院議員通常選挙の投票日のため、順延なしによる当日開催のみだった。
  2. ^ TXN系列各局では自社制作の特番(例:天神祭生中継を7月25日に行うテレビ大阪で放送延期となった番組や火曜19時・20時台のローカル枠ならびに『土スペ』や『』の未放送分遅れネット、テレビ北海道TVQ九州放送では地元球団が対戦するプロ野球中継(ホーム・ビジターを問わず)など)に差し替えとなる。
  3. ^ 年度によりネットしない場合もある(他のTXN系列局と同様、プロ野球中継などに差し替え)。
  4. ^ 宮城県はテレビ東京系列局が所在しないため、テレ東が独自で中継車を派遣した。
  5. ^ 18時32分 - 56分頃はあらかじめ収録された『高橋英樹・真麻で中継場所探し&下町激ウマ老舗グルメ』を放送。
  6. ^ 雨天によりヘリコプターを飛ばすことが出来なかったため、番組終盤にヘリコプター格納庫からVTR出演。
  7. ^ 当初予定では、よゐこ濱口優有野晋哉)が出演予定だったが諸事情により安田とホリが代役として出演。
  8. ^ 前回の第1弾は2017年12月24日に放送された。
  9. ^ 同局では3年連続となるはずだった。
  10. ^ これにより、29日中止時の代替番組も関東ローカルで放送する予定だった
  11. ^ 福原は裏番組『もしもツアーズ』(フジテレビ)にレギュラー出演していたため、番組の途中から出演。

出典

  1. ^ 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)186、193頁。
  2. ^ 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)186、192-193頁。
  3. ^ 国史大辞典 第6巻』(吉川弘文館、1985年)、コレラの項。
  4. ^ a b 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)192頁。
  5. ^ 徳川実紀』や、斎藤月岑『武江年表 正編』(1850年)を初め、浅井了意江戸名所記』(1662年)、(近行遠通)撰『江戸雀』(1677年)、戸田茂睡紫のひともと』(1683年成)、(藤田理兵衛)『江戸惣鹿子名所大全』(1687年)、藤田理兵衛『増補江戸惣鹿子名所大全』(1690年)、菊岡沾涼『正・続 江戸砂子』(1732年、1735年)、(奥村玉華子)『再訂増補江戸惣鹿子名所大全』(1751年)、再校(丹治恒足軒)『再校江戸砂子』(1772年)、(三島政行)『葛西志』(1821年成)、寺門静軒『江戸繁盛記』(1832年)、斎藤月岑『東都歳時記』(1838年)、喜田川守貞守貞謾稿』(1853年成)といった江戸時代の地誌等。
  6. ^ 福澤徹三「江戸時代の隅田川花火―川開花火の開始時期を中心に―」台東区教育委員会生涯学習課編『台東区の祭礼と行事』(台東区教育委員会、2018年)73-78頁。
  7. ^ a b c 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)191頁。
  8. ^ 清水晴風『東京名物百人一首』1907年8月「両国の夏の納涼花火」国立国会図書館蔵書、2018年2月19日閲覧
  9. ^ 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)187-88頁。
  10. ^ 読売新聞1891(明治24)年8月12日。
  11. ^ 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)188頁。
  12. ^ 読売新聞1892(明治25)年8月13日。
  13. ^ 読売新聞1893(明治26)年6月30日。
  14. ^ 読売新聞1896(明治29)年7月17日。
  15. ^ 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)188-189頁。
  16. ^ 朝日新聞1903(明治36)年8月7日。
  17. ^ 朝日新聞1932(昭和7)年7月23日夕刊。
  18. ^ a b 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)190頁。
  19. ^ 読売新聞1923(大正12)年7月21日。
  20. ^ 丸山泰明「鎮魂の花火の民俗学」日本学報35巻(2016年)31頁。
  21. ^ 福澤徹三「享保一八年隅田川川開開始説の形成過程」すみだ郷土文化資料館編『隅田川花火の三九〇年』(すみだ郷土文化資料館、2018年)193頁。
  22. ^ 『匠の国日本:職人は国の宝、国の礎』 北康利 PHP研究所、2008
  23. ^ “隅田川花火大会、荒天なら中止=都知事選考慮、順延なし”. 時事通信. (2016年6月22日). http://www.jiji.com/jc/article?k=2016062200467 2016年6月22日閲覧。 []
  24. ^ 猪瀬直樹東京都副知事がTwitterで隅田川花火大会の開催を報告(RBB TODAY、2011年5月19日
  25. ^ 震災余波…浅草サンバカーニバルが中止に 日テレNEWS24 2011年6月13日配信 2013年6月27日閲覧
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  27. ^ a b テレビ東京「独占生中継 隅田川花火大会」(2018年7月27日)
  28. ^ “雑踏AI予測…隅田川花火でデータ、五輪に活用”. 読売新聞. (2018年7月30日). https://www.yomiuri.co.jp/national/20180730-OYT1T50060.html 2018年8月6日閲覧。 
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  30. ^ “”. 東京都生活文化局. 2020年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月11日閲覧。
  31. ^ “第43回 隅田川花火大会 中止のお知らせ”. 隅田川花火大会 公式HP (2020年4月10日). 2020年4月10日閲覧。
  32. ^ “第43回 隅田川花火大会 中止のお知らせ”. 隅田川花火大会 公式Twitter (2020年4月10日). 2020年4月10日閲覧。
  33. ^ “隅田川花火大会、2年連続の中止決定”. 日本経済新聞. (2021年6月18日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC181WY0Y1A610C2000000/ 2021年6月18日閲覧。 
  34. ^ “「隅田川花火大会」今年も中止決定 3年連続 新型コロナ収束見通せず「健康と安全確保を第一」”. スポニチアネックス. (2022年4月8日). https://www.sponichi.co.jp/society/news/2022/04/08/kiji/20220408s00042000327000c.html 2022年4月12日閲覧。 
  35. ^ 制作:国土交通省 運営:不動産適正取引推進機構 不動産トラブル事例データベース『裁判事例花火の観望と近隣で別のマンションを建築した売主の責任』 2010年6月12日閲覧
  36. ^ 夜空に大輪、観客94万人 隅田川花火大会 - 朝日新聞2009年7月26日
  37. ^ a b 『東京12チャンネルの挑戦』(金子明雄著、三一書房1998年)pp.86 - 92
  38. ^ a b 高橋真麻ずぶ濡れ花火大会の再放送決定(デイリースポーツ、2013年8月6日)
  39. ^ 『第40回 隅田川花火大会、ゲストに小池百合子東京都知事の出演が決定!』(プレスリリース)テレビ東京、2017年7月28日https://www.tv-tokyo.co.jp/information/2017/07/28/202900.html 
  40. ^ a b “エレキやつい&いとうせいこう、テレ東の隅田川花火中継で“家みたいに”副音声”. お笑いナタリー. ナタリー. (2017年7月26日). https://natalie.mu/owarai/news/242365 2017年7月28日閲覧。 
  41. ^ [隅田川花火大会 去年の名場面が期間限定でネットで見られます! 『第40回 隅田川花火大会、ゲストに小池百合子東京都知事の出演が決定!』](プレスリリース)テレビ東京、2017年7月27日。隅田川花火大会 去年の名場面が期間限定でネットで見られます!2017年7月28日閲覧 
  42. ^ “テレ東、隅田川花火大会の視聴率10・0% 74万8000人が見物”. 報知新聞社. スポーツ報知. (2017年7月31日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170731-OHT1T50114.html 2017年7月31日閲覧。 
  43. ^ “高橋英樹&真麻 親子で台風予報に絶句 隅田川花火大会中継直撃か「そ、そ、そんな!」”. デイリースポーツ. (2018年7月26日). https://www.daily.co.jp/gossip/2018/07/26/0011481824.shtml 2018年7月27日閲覧。 
  44. ^ 世界を救え!サムライバスターズ2〜最恐生物一斉討伐SP!〜 テレビ東京
  45. ^ “テレビ東京・繁田美貴アナ、第1子妊娠を報告「生まれてくる日を心待ちに過ごしています」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年7月10日). https://hochi.news/articles/20190710-OHT1T50103.html 2019年7月23日閲覧。 
  46. ^ “コロナで中止の「隅田川花火大会」 テレ東は“生放送”決行 今年もテレビで花火が楽しめる”. ORICON NEWS (oricon ME). (2020年7月11日). https://www.oricon.co.jp/news/2166786/full/ 2020年7月11日閲覧。 
  47. ^ 東京五輪の金メダリスト&マヂカルラブリーも参戦!現場から生放送でお届けします!/隅田川花火大会 特別編 〜ありがとう&がんばろう日本 2021〜 テレビ東京、2021年9月18日

関連項目

外部リンク

  • 隅田川花火大会 公式Webサイト
  • 第○回隅田川花火大会 独占生中継 - テレビ東京(○はその年の回数が入る)
  • 隅田川花火大会 (@sumida_river_fw) - Twitter
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