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田代まさし

田代 まさし(たしろ まさし、1956年(昭和31年)8月31日 - )は、日本の元歌手、元タレント、元コメディアン、元司会者、元映画監督、元作詞家、元YouTuber。→のメンバー[2]

たしろ まさし
田代まさし
本名 田代 政(たしろ まさし)
別名義 マーシー
田代 マサシ
生年月日 (1956-08-31) 1956年8月31日(66歳)
出生地 日本 佐賀県唐津市
出身地 日本 東京都新宿区
身長 172 cm
血液型 A型
職業 歌手
タレント
コメディアン
司会者
映画監督
作詞家
YouTuber
ジャンル ドゥーワップ

テレビ番組
テレビドラマ
Vシネマ
活動期間 1980年 - 2001年(地上波)
2002年
2008年 - 2010年
2015年 - 2019年(地上波以外)
配偶者 一般女性(1985年 - 2005年(獄中離婚))
一般女性(2011年 - )[1]
主な作品

バラエティ
志村けんのバカ殿様
志村けんのだいじょうぶだぁ
テレビドラマ
熱っぽいの!
季節はずれの海岸物語
テレビコマーシャル
メガネスーパー
森永製菓
著作
『田代まさしの道徳読本』
『自爆 -THE JUDGEMENT DAY』
映像
『四国やくざ・戦場の主役たち2』
(テンプレートを表示)

来歴

1990年代まで

デビューまで

指定暴力団の住吉会元総裁の西口茂男を母方の叔父(叔母(実母の妹)の夫)に持つ[3][4]。母の故郷である佐賀県に生まれるが、出生後まもなくキャバレーチェーン店を経営していた父親がほかの女性のもとへ走り、両親は離婚。田代は母親に引き取られ、中学時代まで母親のもとで育った。母親は"夜の仕事"をしながら田代を育て、母親が留守の間は大家に預けられていた。ミッション系の幼稚園に入園、その後小学校入学直前に東京都新宿区へ転居。転居先の百人町でも母親との二人暮らしをする。

田代が13歳の時、母親が再婚。その後、間もなく母親の元を離れ、父親や父親の再婚相手である女性と一緒に住むこととなったが、その生活になじめず素行不良が目立つようになり、煙草シンナーに手を染める。また、新宿映画館によく通っていた。

杉並区の中学校への転校を経て、1972年(昭和47年)4月に芝浦工業大学工業高等学校機械科に入学。同年の11月には早くも自動二輪運転免許を取得、オートバイにも乗るようになる。高校入学直後、同校で田代以上の不良だった鈴木雅之と出会う[5]

ソウルミュージック好きだった田代と鈴木はすぐに仲良くなる。父との生活に馴染めなかった田代は鈴木の家によく訪問し、鈴木の母からも家族同然にかわいがられていた。高校生になってからも中学時代からの素行不良は変わらず、ケンカ暴走族ディスコナンパに明け暮れ、傷害事件で警察留置されたこともあった。一方鈴木は、高校在学中に映画『レッツ・ザ・グッド・タイム・ロール』に登場するドゥーワップに刺激され、ドゥーワップグループ結成を決意。その後鈴木は高校を中退、父の工場で働く傍らコーラスダンスの練習を重ね、田代もこれに加わる。当時はまだプロになるという考えはなかった[6]

1975年(昭和50年)3月、高校卒業。この時期から田代は車に凝りだし、サニーグロリアカマロフォードプレリュードベンツなど、次々と車を乗り換える。同年の6月、父と大喧嘩をして家を飛び出す。その後シャネルズのメンバー・久保木博之の誘いで同じガソリンスタンドに就職し、会社の寮で暮らす事になる。この頃に大型自動車免許を取得し、3年後の1978年(昭和53年)にトラックの運転手に転職。デビュー後もしばらく運転手を続けていた。この頃、眠気覚ましという名目で先輩トラック運転手から覚醒剤を勧められたと明かしている[7]

シャネルズ ~ ラッツ&スター

1980年(昭和55年)、鈴木や桑野信義らと共に、ドゥーワップグループの「」の一員としてメジャーデビュー。デビューシングル『ランナウェイ』は110万枚のミリオンセラーとなった[5]。しかし同年7月、メンバー10人のうち5人(久保木・桑野・新保・山崎・須川)が埼玉県青少年保護育成条例違反(わいせつ行為)の疑いで書類送検され、シャネルズは半年間謹慎する。なお、この件に関しては田代は関与していない。

その後フランスの高級ブランドシャネルから物言いがついたことで(化粧品会社のCMソングを担当することになり、シャネルズというグループ名を使うことが不適切になったためという説あり)、1983年(昭和58年)に同グループが「」と改称された。その後も多数のヒット曲に関わり、『ザ・ベストテン』などの歌謡番組を通じ日本のお茶の間のお馴染みの顔となる。また、ソロデビューとしてシングル『新島の伝説』をリリースし[8]作詞家としても小泉今日子の楽曲を手がけるなどの活動を行う。1985年(昭和60年)4月、一般女性と結婚した。

ダジャレの帝王

その後、志村けんにそのお笑いセンスを見出され、1986年(昭和61年)頃からタレントコメディアンとしても活動開始(当初は本名の「田代政」名義だったが、程なくして「まさし」に改名)。その独自のお笑いセンスから「ダジャレの帝王」、「ギャグの王様」、「小道具の天才」と呼ばれ、レギュラー番組を何本も持ち、大企業テレビCMに何本も出演するなど人気を博した[5]

さらに、自伝やダジャレ語録などの著作本出版や、自らの名を冠したファミコンゲームソフト田代まさしのプリンセスがいっぱい』の発売、原宿竹下通りの「マーシーズ」や清里高原へのタレントショップの開店、また映画監督としてVシネマの撮影を行うなど多彩に活躍。しかし順風満帆な人生とは裏腹に、田代自身は仕事に対し、日々プレッシャーを感じ精神を摩り減らしていたという[7]

2000年代

2000年の迷惑防止条例違反

2000年(平成12年)9月24日東急東横線都立大学駅構内において帽子、サングラス、マスクという姿で、女性の下着盗撮しようとしている様子を目撃者から通報され、不審人物として警察が任意同行事情聴取東京都迷惑防止条例違反で書類送検された[5]。この事件に触れるメディアが全くないことを疑問に思った通報者が各媒体に連絡を入れ徐々に公になる。田代によると、当初はこの時にはまだ覚醒剤を使用していなかったとインタビューで語っているが[9]、著書『審判』では1991年(平成3年)に家族旅行でハワイに行った際に覚醒剤を購入し、その時に初めて使用したと語っている。また、2019年に開設した自身のYouTube公式チャンネルでは、多忙な番組出演で疲れていた田代に某テレビ局のプロデューサーが疲れが取れる良い物があると言い覚醒剤を勧められ入手したと語っている[10]。同年10月4日に事件が発覚、テレビリポーターに盗撮した理由を聞かれ「『ミニタコができる』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた」と苦しい弁明をしてバッシングされた[5]。「胼胝(たこ)ができる」という慣用表現とかけたシャレで、この時、事務所から「ギャグにしよう」と言われて考えたら、かえってバッシングを受け裏目に出たと後に語っている[9]。なお、田代自身は事務所からこの提案をされた際は決して乗り気では無かったという[11]。同年12月14日東京簡裁から「罰金5万円」の(略式命令)が下り、一時芸能活動を休止した。

その後、志村らが田代の芸能活動復帰を働きかけ、翌年2001年(平成13年)6月頃に『ダウンタウンDX』、『めちゃ×2イケてるッ!』、『ぐるぐるナインティナイン』、『明石家マンション物語』、『志村けんのバカ殿様』などのテレビ番組に出演し、復帰を果たす[12]。また『HAMADA COMPANY 弾丸ヒーローズ』では、番組レギュラーを目指し出発点の東京から沖縄まで目撃されずにゴールするという企画に挑戦。結果的には滞在先の京都にて写真100枚を撮られ失敗に終わったが、その後も連続してゴールデンタイムの番組に度々登場するようになった。

2001年の逮捕

HAMADA COMPANY』の最後の出演から間もない2001年(平成13年)12月9日、田代は近所の男性宅風呂を覗いたとして、軽犯罪法違反で(現行犯逮捕)された[5]。さらに自宅から覚醒剤が発見され、覚せい剤取締法違反容疑(使用・所持)で12月11日、再逮捕された[5]。これを受け、当時の所属事務所のエムティエムプロダクション(現:ジャパン・ミュージックエンターテインメント)は、同年12月11日付で田代を契約解除した。

これを受け、芸能界復帰に手助けした志村や桑野は、「あいつは最低な事をしたのだから芸能界から消えてもらいたい」と田代を突き放すコメントをした。2002年(平成14年)1月に放送された『新春かくし芸大会』や『志村けんのバカ殿様』の収録にも参加していたが、逮捕後の放送のため田代の収録分は全てカットされお蔵入りとなった。フジテレビ側も「今後の彼の出演は考えられない」と語った。また、これらの不祥事2ちゃんねるで話題となり、一時的にアメリカの『タイム』誌のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選ばれる「田代祭」と呼ばれる騒動も起きた(最終的には、田代はパーソン・オブ・ザ・イヤーの対象外となっている)。

この事件の公判裁判長から職業を質問された際に「元タレント」と答えたことから、その後「元タレント」とテレビなどで表記される様になった。また、シャネルズ・ラッツ&スター時代も含めた田代の過去のVTRや写真が地上波で放送・公開が不可能になり、田代のVTRや写真などがテレビで放送される際は田代の音声が薄らかであるか全体を修正されたり、顔を隠されたり、身体の一部しか映らない程度の映像になることが多くなった[注釈 1]。またCSの有料チャンネルなどでは、過去の出演作品がそのまま放送されていたが、これらも終了となっている[注釈 2]。なお田代は後日、お蔵入りになった番組など8,000万円の損害賠償請求をされ、7年経過した2009年(平成21年)になっても返済していることを公表した[13]。後年になって田代は、この8,000万円という賠償額に関して「事務所との折半でこの金額だった」と語っている[14]

2002年(平成14年)3月、裁判懲役2年・執行猶予3年の判決を受けた。その後はVシネマ監督として復帰し『鯨道』シリーズなどを手がける。また2003年(平成15年)正月には『サンデージャポン』にVTR出演。2004年(平成16年)春頃にはテレビ界復帰も検討されたが、同年6月16日深夜午前1時頃、杉並区梅里を運転中に青梅街道の「転回禁止」の場所でUターンしてオートバイに乗った男子学生に衝突し大ケガをさせる人身事故を起こし、業務上過失傷害道路交通法違反容疑で書類送検された[15]。これにより復帰が白紙に戻る。なお、この件で鈴木が田代の代わりに謝罪している。

2004年の逮捕

上記の執行猶予中の2004年(平成16年)9月20日夜に中野区新井の路上で車を駐車中、再び覚醒剤及び刃渡り8cmバタフライナイフを所持していたとして、銃砲刀剣類所持等取締法違反と覚せい剤取締法違反(2度目)で現行犯逮捕された[5][16]野方警察署留置された田代は取り調べの時、何度も嘔吐気絶を繰り返し、病院へ担架で運ばれ点滴を打つという事態にまで至る[17]。本気で自殺を考えた田代だったが、夢枕に立った母親に止められたという[17]鈴木邦男によれば、田代に薬を打たれたとされる交際女性は「いやだったけど、でも嫌われたくなくて」と涙ながらに証言したという[18]

本人は「芸能活動において日頃かなりのプレッシャーを感じていた故に犯行に及んだ[9]」「盗撮事件後、家族関係が悪くなりヤケになってしまった[19]」と弁明。また裁判所の法廷で裁判官から「(もともと)タレントに向いてないのでは?」との問いかけに「そう思います」と小さく答えた。なお、テレビ出演時に眼鏡やサングラスをしていることが多かったが、実際は伊達眼鏡で眼鏡なしではテレビに出演できないほどのあがり症だと『徹子の部屋』で話したことがある[注釈 3]

2005年(平成17年)2月7日、東京地方裁判所で開かれた判決公判で懲役3年6か月の実刑判決が下され[5]、同年3月16日付で東京高等裁判所への控訴を取り下げ刑が確定[20]。精神的に不安定なため、服役中に睡眠薬精神安定剤を服用していた。収監中、田代は障害者老人、元政治家などが作業する工場で刑務作業に従事していたが、周りに障害者が多かったため与えられた作業が単純なものになってしまい辛かったと語っている[21]

自らも大麻で2度の逮捕歴がある美川憲一は「(刑務所から)出てきたら私のところに来てちょうだい。付き人でも何でもさせて一から叩き直してやるわよ」と述べた後、「立ち直って欲しいの、お願いだから…」と泣き崩れていた。収監前から既に妻子とは別居状態にあったが、服役中に正式に離婚[22]

栃木県黒羽刑務所に収監されていた田代は、刑期から未決勾留日数が引かれ、2008年(平成20年)6月26日に満期出所した[22][23]仮釈放がつかなかったのは、身元引受人がいなかったためという[22]。7月16日、阿佐ヶ谷ロフトAにて、雑誌『篠田博之編集長主催のトークイベントに出演した[24]。その場の記者会見では一部ろれつが回らないなど、心身ともに衰弱している様子が見受けられ、田代自身、不眠で医師の処方を受けていることを打ち明けている。この出所以降、公の場に出る際は常に帽子を着用するようになった。

活動再開

2008年(平成20年)10月に公式サイトおよび公式ブログを開始。トップページの画像には「神降臨」の文字が記載される[25]。インターネットにおいて話題となり、100万を超えるアクセス数を記録した。

趣味の格闘技観戦を重ね、昔の伝でお笑いライブの司会を務めたり、2009年(平成21年)3月からは動画共有サイトzoomeで冠番組『田代まさしのお久しブリーフ』を持ったり、またニコニコ生放送において長時間のトークを行うなど[26]テレビや音楽活動といったかつての表舞台ではないものの「リハビリ」として段階的に芸能活動を再開させた。また旧知の仲でラッツ&スターのリーダーの鈴木も田代の復帰手助けを自身のイベント内で約束するなどの支援を行っていった。

2009年(平成21年)3月18日にインターネット配信された『田代まさしのお久しブリーフ』第1回では、過去の事件について頭を下げて謝罪するとともに、「ありがたいことに色々なところからお仕事を頂いたり、ブブカゲームラボの連載を頂いたり、ちょくちょくライブなどに顔を出したりしている。芸能界的なお仕事もそうだが、ちゃんとした仕事もしていきたい」と近況や自身の今後についての胸の内を明かした。

2009年(平成21年)6月に発売されたニポポのアルバムには、そのうちの2曲に田代がボーカルとして関わり、そのうちの1曲は作曲まで行うことも報じられている[27]。さらに同年7月からは、ケーブルテレビCS放送のチャンネルであるMONDO21(現:MONDO TV)にて、活動再開後初のテレビ番組である『田代まさしのいらっしゃいマーシー』が放送された[28]

2009年(平成21年)9月24日、公式ブログ上で、冠番組『田代まさしのお久しブリーフ』の放送終了を報告とともに「リハビリ完了」を宣言した。同年11月2日、志村けんが自身のブログ上にて楽屋に田代が訪れて土下座された事を報告し、同エントリーに田代へのエールを綴った。更に同5日の田代のブログには志村とツーショットの写真がアップロードされ、両エントリーには500件以上のコメントが寄せられた。この頃、テレビの取材などで、薬物検査を受けて結果が陰性だったことを公表したり、記者から「もう薬をやりたいとは思わない?」と質問された際には「全然思わない。目の前に出されてもすぐ捨てられる」と語るなど、完全に薬物から決別したように見えた。

2010年代

2010年8月14日、同人音楽サークル「FRONTIER CREATE」のCD、「ウルトラ☆テング」に出演。コミックマーケット78にて配布開始。その後同人ショップでも販売が開始された[29]

2010年の逮捕

2010年(平成22年)9月16日午前2時10分頃、神奈川県横浜市中区新港1丁目赤レンガパーク駐車場の身体障害者専用スペースに止めていた車両をアジア太平洋経済協力会議(APEC)国際会議の応援警備に当たっていた福岡県警察警察官が発見。そこで職務質問を受けた際、コカインをポリ袋に入れて所持していたことが発覚し、直ちに麻薬及び向精神薬取締法違反で神奈川県横浜水上警察署に現行犯逮捕(違法薬物での逮捕は3回目)された[5]。また、この際一緒にいた美容室経営者の女性も覚醒剤を所持していたため、覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕された[5][30]。さらに、女性のポーチや女性の自宅に覚醒剤、コカイン、大麻を隠し持っていたとして、同年10月14日に覚せい剤取締法違反(共同所持)の容疑などで2人とも(再逮捕)された[5][31]

逮捕までの経緯

田代はこの逮捕前の2010年(平成22年)5月に胆石の手術を行った頃から急激に痩せ、夏頃には頬がこけるまで激痩せしていた。田代は出版プロデューサーの高須基仁からこの事について問われると「体力をつけて仕事を頑張るためにジムに通ってダイエットしている」と答えたが、2010年(平成22年)8月に札幌で行われた地下格闘技大会でMCを務めた時には、ろれつが回らない上に手の震えも止まらず、選手の名前を忘れたりと明らかに集中力を欠いていた。これらの事を不審に思った高須から「まだ薬物をやっているのか?」とその場で問い詰められたが「やってません」と否定。しかし高須曰く「視線は定まらず顔も赤かった」という[32]

またこの頃から、出演するラジオ番組にも「(田代が)何を喋っているのか全然わからない」とリスナーからの苦情が相次いでいた[32]。逮捕前日にはテリー伊藤からも数々の挙動不審を問い質され「まだ薬をやっているの?」と聞かれ否定こそしたものの、高須から薬物使用の事を問い詰められた時と同じく、テリーに視線を合わせようとしなかった[33]。一部の関係者からは逮捕前から薬物再使用の疑いを持たれていた。8月12日にインタビューを受けた際、薬物をやっていないことを証明するため薬物検査報告書をインタビュアーに見せたが実際には5月に受けたものであった。この逮捕の際のげっそりとやつれた姿が大きく報道され世間に衝撃を与えた[5]

関係者の反応

鈴木は「本当に何と言っていいか言葉になりません。あれだけ多くの人に迷惑をかけたのだから、そのことを肝に銘じて生きてほしかったです。本当にあいつは大馬鹿です」と落胆と無念の思いを込めたコメントを発表している[34]。桑野は「先輩、初めて呼び捨てにします」とだけコメントし、土下座された志村は一切言及することはなかった[35]

また、田代の芸能界復帰を積極的に支援してきた南部虎弾は「心が痛い」「仲間が復帰を支援する事より、薬の方が魅力的だったんでしょうか」と悲痛な面持ちを浮かべ「(今回の逮捕で)残念ですけど終わりですね。復帰なんてもうない」と突き放し[36]、逮捕の前日に会っていたテリーも「本当に、本当に、本当に、頭にきちゃう」とコメントを残している。なお、2度目の逮捕を知って涙ながらに叱咤激励のコメントを述べていた美川も「(前回は泣いたが)今なんて涙も出ないわよ」「同情はもうできない」とコメントし、田代を完全に見限っている[37]。他にも様々な芸能人が落胆と無念のコメントを残している[33]。また、南部の呼びかけで始めた「田代 中村 南部 アクアちゃん[注釈 4]」(レインボータウンFM)も田代の逮捕を受けて同月終了した。なおこの番組は田代の芸能界復帰支援を目的に開始されたため、番組終了まで出演者は全員ギャラ無しだった。

裁判

2011年(平成23年)7月1日横浜地方裁判所で開かれた判決公判で薬物の常習性が顕著であることなどをおもな理由とし、懲役3年6か月の実刑判決が下され、同年7月15日付で東京高裁への控訴を取り下げたため刑が確定し府中刑務所に収容された[5][38]。公判では、シャネルズのデビュー30周年記念イベントの出演依頼があったもののレコード会社より前科を理由に出演を断られたことによるショックと、2010年(平成22年)3月の握手会で薬物の密売人から連絡先のメモを渡された時期が重なったことから、交際相手の被告人を通じ密売人から入手していたことを語っている[39]2014年(平成26年)7月2日に仮釈放され[40]2015年(平成27年)2月20日、4年6ヶ月ぶりに自身のブログを更新して、民間の薬物依存リハビリ施設「ダルク」のプログラムを受けていることを報告、謝罪の言葉を書き込むと共に「また、みなさんの前に姿をあらわす機会もあるかと思いますがよろしくお願い致します!」と心境を綴った[41]

2015年(平成27年)3月18日には阿佐ヶ谷ロフトAで会見を開き、更には6年ぶりの著書『マーシーの薬物リハビリ日記』の発売イベントも行った。逮捕前に見られた激やせ姿から健康的な姿になり、「ダルク」での活動を詳細に語ったが、「回復したら復帰というのはない」「本意ではない」と芸能界復帰は否定している。「ダルク」ではスタッフとして勤務し「芸能人専用のダルクを作りたい」と語っている。また、同じく覚せい剤取締法違反などで有罪判決を受けたASKAに会っていたことも明かした[42]

薬物中毒者への復帰支援活動

芸能人でなくDARCスタッフとして社会的な活動を再開。薬物中毒者への講演を主体とした活動に移行した。以前と変わって心理的な余裕も生まれ、田代の名を無断使用した盗撮ビデオメーカーに対し「やかましいわ!一回俺にお伺いを立てろ!」と切り返す度量を見せた[43]。依然芸能活動については難しいとの見方を崩していないが、ラッツ&スターにだけは何年かかっても復帰したい旨を強く述べている[44]。2015年(平成27年)5月3日、バイカーイベント「九州魂」に出席し、チャリティーに協力。7月1日には「社会を明るくする運動中央推進委員会」が主催の「立ち直りフォーラム」に出席。薬物依存の怖さやDARCの活動などを話す。同年7月3日からDARC職員として東北方面に出張し、薬物中毒者向けの講演を精力的にこなす。

2015年の迷惑防止条例違反

2015年7月6日、東急田園都市線二子玉川駅のホームで女性のスカートの中を盗撮しようとしたとして、東京都迷惑防止条例容疑で書類送検され活動が途切れる[45][46]。『ラッツ&スター』の再結成構想があったが、この事件で計画はご破算になった[47]。東京簡裁から罰金30万円の略式命令を受け罰金を支払った[48]。同年9月から活動を再開し、いまだ「自らが立ち直り途上の身にある」としつつもDARCスタッフとしての邁進を誓った[49]

メディアへの出演

2016年(平成28年)2月、清原和博が覚せい剤取締法違反で逮捕されたことを受け、NHK『ニュースウオッチ9』や民放テレビの報道番組に久しぶりに出演。自身が回復途上であることを前置きした上で、止めたいと思う心と相反する身体の快楽欲求との闘いの日々の体験を激白し、薬物依存の恐ろしさと更生の困難さについて語った[50][51]。「芸能人専用のDARCを作りたい」という意欲も示しているが、一方で「オレみたいに『クスリを目の前に出されたら、断る自信がない』って正直に言えなくて、みんな『大丈夫』って言うじゃないか。それが一番危ないんだよ。あと、売人も集まってくるから、日本じゃできないかもね」などと現実的に設立するには厳しい状況である事も吐露している[14]。本人によると、2018年時点での月収は「約13~14万」であり、「8時に起床、9時にDARCに出勤、20時には帰宅・就寝」という生活を送っていた[14]

2016年3月、田代まさし名義でiTunes Storeから「リハビリマーシー(feat. D.O, 漢 a.k.a. GAMI, RYKEY)」が配信された。楽曲に参加している漢が代表を務める(9sari group)のYouTube公式チャンネルに、リハビリマーシーのミュージックビデオを含む映像「9SARI HEAD LINE #番外編VOL.4『田代まさしが心配して9sari スタジオに来た!』」が公開された[52]。映像に登場する田代はB系ファッションで、楽曲は覚せい剤についてラップをするフィーチャリングのラッパー達の問いに対し、田代が志村のギャグとしても知られる「だいじょうぶだぁ」と連呼し返答する内容となっている。

2018年(平成30年)4月、2015年に亡くなった電撃ネットワークの三五十五(享年52)を偲ぶライブ『電撃クレイジーナイトスペシャルライブ!三五十五ゆかりの芸人達大集合』で南部の呼びかけによりステージに立った[注釈 5][53]

2018年6月28日、地下アイドルグループ・THE BANANA MONKEYSの「今を生きろ。」のMVにゲスト出演し、その模様がTHE BANANA MONKEYSのYouTube公式チャンネル上にて公開された[54]。更に同年7月21日には田代自身が「やらかし先生」(テレビ朝日のバラエティ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」のパロディ。当時は放送休止中だった)となって、THE BANANA MONKEYSのメンバーに対して「失敗を次に活かすための授業」を行う模様も同じくYouTube公式チャンネル上にて公開された[55][56]。この出演について、田代は自身のTwitterにて「ご縁がありまして、この度地下アイドルグループのTHE BANANA MONKEYSのMVに出ました。少し早いかなとも思いましたが、真剣に薬物の怖さを受け止めたいと言う情熱が彼女たちにもスタッフ達にも感じられたので引き受けました。」と経緯を説明している[57]

2018年7月27日、田代が1980年代に展開していたブランド「マーシーズ」の復刻が決定し、同日からTシャツ通販サイト「TOD」において予約受付が開始される[58][59]。Tシャツはホワイト、ナチュラル、グレー、ブラックの4種類制作され、各カラー100枚限定で完全受注生産となる。

2018年10月29日、「スピードワゴンの月曜The NIGHT」(AbemaTV)にゲストで出演。報道番組ではない純粋なトーク(バラエティ)番組への出演は約10年ぶりだった。番組内では世間を騒がせた事件の真相や薬物の怖さ、過去の年収や現在の月収から気になる今後の展望について告白した他、小道具を使った小ネタや、バラエティ番組で活躍していた当時のギャグも披露していた。また小沢一敬から「今、目の前に薬物があったらどうする?」と質問された際に「完全に治っているわけじゃない。出されても大丈夫って言えるまで時間がかかるから。やらないですって今まで言わされていたんだよ。本当はやめられるかどうか自信なかった。でも、言わざるを得なかったのがひずみになっていく」と率直な思いを打ち明ける場面もあった[14]

2019年(令和元年)7月4日・11日放送の『バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』(NHK Eテレ)の「薬物依存症」をテーマとした回に出演し「マーシー先生」として実体験を語る[60]

Twitterで近況を発信する傍ら、2019年6月にYouTubeチャンネルを開設し、親交のあるミュージシャンである佐藤秀光クールスのリーダー)とともに出演していた[61]

2019年の逮捕

2019年(令和元年)11月初旬、宮城県塩竈市の宿泊施設並びに東京都杉並区の自宅マンション敷地内に於いてそれぞれ覚醒剤を所持していたとして、2件の覚せい剤取締法違反(3回目)の容疑で再び逮捕された(違法薬物としては4回目の逮捕)[62]。田代は塩竈市での一件については当初「(塩竈は)自分のものではない」と述べて否認していたが[63]、後に認め[64]、尿検査も陽性を示したため、同月27日に覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで再逮捕された[65]。同日、自宅マンション敷地での覚醒剤所持について覚せい剤取締法違反(所持)罪で起訴される[65]。塩竈市での所持については不起訴となった[65]。28日、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで送検[66]。12月6日、自宅での覚醒剤所持について覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで再逮捕された[67]。12月25日、11月6日に自宅で大麻と覚醒剤を所持したとして、覚せい剤取締法違反(所持)の罪と大麻取締法違反の罪で追起訴される[68]。同月、保釈[69]。2020年(令和2年)2月13日、覚せい剤取締法違反(所持、使用)と大麻取締法違反(所持)の罪での初公判が仙台地裁で行われ、田代は起訴内容を認めた[70]。検察側は懲役3年6月を求刑し、即日結審[70]。3月4日の判決公判で、懲役2年6月、うち懲役6月を保護観察付き執行猶予2年とする判決を受けたが[71]、判決を不服として控訴[72]。6月30日に始まった控訴審で、弁護側は一審判決からの減軽を訴え、検察側は控訴棄却を求め、即日結審[73]。7月29日、仙台高裁は、一審仙台地裁判決を支持し、被告側の控訴を棄却した[74]

田代の逮捕を受け、清原和博[75]高知東生[76]からのコメントはあったものの、志村やラッツ&スターのメンバー等からのコメントは一切なかった。一方、逮捕直前まで田代を支援していた佐藤秀光は、今後も田代を見捨てないという姿勢を示している[77][78]

2020年3月29日、タレントとしての田代を見出した志村が逝去。自身のYouTubeチャンネルを通じて「志村さんより僕が逝くべきだった」[79]「笑いに必要なこと、大切なことをたくさん教えていただいてありがとうございました」と追悼した[80]。4月18日より、志村の所属事務所で関連番組の権利を保有しているイザワオフィスより、志村けんのだいじょうぶだぁの編集映像が広告収益を寄付する目的で期間限定でYouTubeにて公開されており、田代の出演シーンも多く含まれている。映像公開に当たり、イザワオフィスは、同作品が「諸事情」で公開できなくなっており、このまま闇に葬られるのに葛藤があったとしており「諸事情」は放送倫理の変化のほか、田代の現状も含まれるとされている[81]

当初は2020年8月6日に刑務所へ収容予定であったが、その2日前に意識を失い東京都内の病院に緊急入院したため収監が延期となった。病院での検査で血糖値が670と異常値(血糖値の正常範囲は70〜100程度)であった事や、疲労が溜まると膝の下が痛みだしたり視力が突然悪くなったりするほど持病の糖尿病が悪化していたため、病状が落ち着いてからの収容になったという[82]。退院後に体調が落ち着いたため再度検察庁に出頭したが、コロナウイルス感染症対策のためPCR検査を受けてから来るように言われ再度収容延期となった。その間、保釈中はダルクとは別の民間リハビリテーション施設に入り薬物依存症だけでなく、アルコール依存症やギャンブル依存症の患者と毎日ディスカッションを行っていたという。その後の再出頭でようやく収監され、同年11月福島刑務所で服役開始となった[83]

2022年10月27日、出所。同年11月8日発売の週刊FLASHの取材に応じ、2011年に府中刑務所収監前に入籍(再婚)していたことを明らかにした[1]

主に出演していた番組

バラエティ

特に記述がない番組はフジテレビ系。

ドラマ

映画出演・映画監督

  • マーシーの不良風 女を口説く方法 あの手この手教えます(1992年)
  • マーシーの禁断! お嬢様学園危機イッパツ(1993年)
監督:南部英夫、脚本:森保鉄志、原案:増田紀雄、撮影:満井坦彦、音楽:渡辺敬之
出演:田代まさし・斉藤慶子野々村真網浜直子相原勇稲川淳二根岸明美高木ブーしのざき美知
原作:伊集院静、監督・脚本:市川準、助監督:永田智春
出演:田代まさし・南果歩堀江奈々渡辺いっけい大久保鷹・向井田彩子・加倉井えり
  • (1999年)[注釈 6]
  • マネーギャング 極楽同盟(2002年)
企画:吉田達、製作:仁平幸男、プロデューサー:服巻泰三・山本芳久
監督:宮坂武志、脚本:岩澤勝己、音楽:松崎裕子、美術:野尻均
出演:田代まさし・濱田のり子TEAH小沢和義山田辰夫桑野信義天宮良
  • 実録やくざ抗争史 LB熊本刑務所 vol.4 刑務所前バス停(2003年、第1回DVシネマ大賞[注釈 7]受賞)
監督:田代まさし、脚本:大学中庸
出演:武蔵拳・嘉門洋子本宮泰風比企理恵神保美喜・松田ケイジ・山本集十勝花子山本昌平
  • 実録・プロジェクト893XX 金嬉老 無期懲役・拘禁52年 3(2004年)
  • 四国やくざ・戦場の主役たち2(2004年)

インターネット配信

ラジオ

CM

ほか多数

その他

音楽作品

シャネルズ、ラッツ&スター名義でリリースされた作品はを参照のこと。

  • 新島の伝説(1986年8月27日発売)
  • パラディラタンの夜は更けて(1987年9月21日発売、「慎之介&マーシー」名義)
  • ウンジャラゲ(1988年11月2日発売、「志村けん&田代まさしとだいじょうぶだぁファミリー」名義)
  • 熱帯夜(1994年7月1日発売、「マーシー&いずみ」名義)
  • 婆様と爺様のセレナーデ(1993年12月17日発売、「けん&マーシー」名義)
  • 愛が懐かしい(1995年3月8日、「田代まさし&麻木久仁子」名義)
  • 監獄ポップ / 監獄アシッドハウス(2009年11月4日発売、「マーシー☆ポルシェ」名義)
  • お騒がせリズム / 監獄SOUL(2010年2月3日発売、「ニポポ feat. 田代まさし&SSTV DAX LIVE!!」「ニポポ feat. 田代まさし」名義)
  • ウルトラ☆テング / FRONTIER CREATE (2010年8月14日夏コミで頒布された『東方Project』の二次創作同人CD
  • リハビリマーシーfeat. D.O, 漢 a.k.a. GAMI, RYKEY(2016年3月4日発売(配信限定))

著書

  • 田代まさしの道徳読本(1988年5月、講談社、(ISBN 4061031015))
  • マーシーの超法則(1994年4月、マガジンハウス、(ISBN 4838705344))
  • シネマで愛して―映画の数ほど、恋したい(1993年10月、日本文芸社、(ISBN 4537023848))
  • 自爆―THE JUDGEMENT DAY(2002年7月、ケイツー出版販売、(ISBN 4434022520))
  • 審判(2009年5月、創出版、(ISBN 4924718947))
  • マーシーの薬物リハビリ日記(2015年3月、アース・スター エンターテイメント、(ISBN 4803006725))

関連文献

  • 帰ってこいマーシー(2010年7月、リーダーズノート、(ISBN 4903722201))
  • どげせん - 田代をモデルにした漫画。企画の板垣恵介が田代の転落を嘆き、本作の主演俳優として復帰を願ったもの[97]。しかし田代は拘置所から板垣に「漫画の世界では土下座で解決するようであってほしいが、世の中には土下座では決着がつかないこともある」と悲観的な書簡を宛てており、板垣も「そんなこと大人に言うなよって感じでね。確かに、いくら土下座したって今は出られないからね」と諦念を示すなど、合意に至っていない[98]

参考文献

  • 田代まさし; 北村ヂン『マーシーの薬物リハビリ日記』泰文堂・アース・スター エンターテイメント〈ミリオンムック67〉、2015年3月。ISBN (978-4803006728)。 
  • 梁瀬敦 編『日本のタブー――芸能人・有名人が過去に起こした犯罪&事件』ミリオン出版〈ミリオンムック67〉、2012年9月。ISBN (978-4813066675)。 

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 特筆すべき事項として、『水曜日のダウンタウン』(TBS)や『(オールスター後夜祭)』(TBS)においては過去の映像を流す際に田代の映っているシーンを早送りする対応を取っている。
  2. ^ フジテレビ721の『志村けんのだいじょうぶだぁ』など。
  3. ^ 一部ドラマや『志村けんのバカ殿様』でのみ眼鏡なしで出演している。また、眼鏡メーカーのCMや広告に出演したことがある。
  4. ^ 女性タレント。新渡戸稲造の子孫を標榜。
  5. ^ 間接的にではあるが山田邦子キャイ〜ンウド鈴木猫ひろしもステージに立っている。
  6. ^ 2013年に『ウルトラマン列伝』で分割放送された際には出演部分がカットされた。
  7. ^ 暴力団組長画家山本集がプロデュースする映画の賞。DVはデジタルビデオの略。

出典

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  6. ^ 北海道テレビ放送株式会社『』(2008年6月21日時点のアーカイブ
  7. ^ a b リハビリ & 2015-03
  8. ^ 『』作曲:鈴木雅之、作詞:秋元康。同時収録曲は作曲:鈴木雅之、作詞:田代まさし「パシフィック」。(2009年2月15日時点のアーカイブ
  9. ^ a b c 「田代まさし「"人生すべてがギャグ"──きっとそう思われている」」(日刊サイゾー、2008年10月9日)
  10. ^ この番組プロデューサーも田代が覚醒剤取締法違反で逮捕された際、同法違反で逮捕されている
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外部リンク

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