地理
中野区の北部寄りに位置する。東部は上高田に、南部は早稲田通りを境に中野と接する。北部は妙正寺川を境に沼袋、西武新宿線を境に松が丘、西部は野方に接している。主に住宅地として利用されている。早稲田通り沿いは中野駅から徒歩10分程度で利用可能。西部の新井三丁目、四丁目方面は隣の沼袋駅のほうが近い。また、北西部には平和の森公園(旧中野刑務所)が設置されている。
地価
住宅地の地価は、2017年(平成29年)の公示地価によれば、新井2-8-10 の地点で56万2000円/m2となっている[5]。
歴史
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地名の由来
新井の名は戦国時代に新たに井戸が掘られたことに由来する[6]。中野区最大で、都内でも有数の著名寺院である新井薬師(梅照院)がある。この寺院が名称の由来となった西武新宿線の新井薬師前駅は、駅前の通り一つ隔てて隣の上高田にあり、町域外である。
経済
産業
- 商工業
- 窪寺國三郎(辰美野、料理業)[7][8] - 料理業を営む。また中野区会議員を務める[7][9]。
- 窪寺傳吉(萬屋、料理業)[7] - 料理業[7]、精米業[8]を営む。また東京府会議員を務める[7][9]。
- 窪寺ふく(煎餅商)[8]
- 店・企業
地主
新井の地主には「窪寺奥太郎、窪寺金蔵[7][9]、窪寺庄太郎[9]、窪寺鈴太郎、窪寺忠次郎、窪寺寅吉、窪寺政太郎、窪寺平蔵、窪寺増太郎、窪寺彌五郎」などがいた[8]。
世帯数と人口
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[10]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
新井一丁目 | 1番 2番1〜17号 2番25号(私道の南側) 2番26〜28号 3番 | 中野区立桃園第二小学校 | 中野区立中野中学校 |
その他 | 中野区立令和小学校 | (中野区立第五中学校) | |
新井二丁目 | 1番〜8番 20〜51番 | 中野区立平和の森小学校 | 中野区立中野中学校 |
その他 | (中野区立緑野中学校) | ||
新井三丁目 | 9〜38番 | ||
その他 | 中野区立令和小学校 | (中野区立第五中学校) | |
新井四丁目 | 全域 | ||
新井五丁目 | 全域 |
施設
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脚注
- ^ “中野区統計書”. 中野区 (2017年4月6日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ a b “世帯と人口”. 中野区 (2017年12月5日). 2018年1月4日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月4日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月4日閲覧。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ “なかの物語 其の三 いつから中野と呼ばれたのか?”. 中野区 (20142-11-27). 2019年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第13版 上』ク40頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月6日閲覧。
- ^ a b c d 『日本紳士録 第42版』東京クの部193頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月6日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第11版 上』ク56頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月6日閲覧。
- ^ “通学区域(学校別・住所別)”. 中野区 (2012年2月6日). 2018年1月4日閲覧。
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
- 交詢社編『日本紳士録 第42版』交詢社、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
関連項目
外部リンク
- 中野区