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生きる (映画)

生きる』(いきる)は、1952年に公開された日本映画である。監督黒澤明、主演は志村喬モノクロスタンダード、143分。東宝創立20周年記念映画。無為に日々を過ごしていた市役所の課長が、胃癌で余命幾ばくもないことを知り、己の「生きる」意味を市民公園の整備に注ぐ姿が描かれている。

生きる
監督 黒澤明
脚本 黒澤明
橋本忍
小國英雄
製作 本木莊二郎
出演者 志村喬
小田切みき
藤原釜足
日守新一
金子信雄
音楽 早坂文雄
撮影 中井朝一
編集 岩下広一
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 1952年10月9日
1954年6月 (BIFF)
1956年5月
上映時間 143分
製作国 日本
言語 日本語
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黒澤作品の中でもそのヒューマニズムが頂点に達したと評価される作品で、題名通り「生きる」という普遍的なテーマを描くとともに、お役所仕事に代表される(官僚主義)を批判した。劇中で志村演じる主人公が『ゴンドラの唄』を口ずさみながらブランコをこぐシーンが有名である。国内ではヒットし、第26回キネマ旬報ベスト・テンで1位に選ばれた。海外でも黒澤の代表作の一つとして高く評価されており、第4回ベルリン国際映画祭でベルリン市政府特別賞[注釈 1]を受賞した[注釈 2]

ストーリー

市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去り、毎日書類の山を相手に黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。市役所内部は縄張り意識で縛られ、住民の陳情は市役所や市議会の中でたらい回しにされるなど、形式主義がはびこっていた。

ある日、渡辺は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師から軽い胃潰瘍だと告げられた渡辺は、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った渡辺は、市役所を無断欠勤し、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った小説家の案内でパチンコダンスホールストリップショーなどを巡る。しかし、一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。

その翌日、渡辺は市役所を辞めて玩具会社の工場内作業員に転職していようとしていた部下の小田切とよと偶然に行き合う。何度か食事をともにし、一緒に時間を過ごすうちに渡辺は若い彼女の奔放な生き方、その生命力に惹かれる。自分が胃癌であることを、とよに渡辺が伝えると、とよは自分が工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」といった。その言葉に心を動かされた渡辺は「まだできることがある」と気づき、次の日市役所に復帰する。

それから5か月が経ち、渡辺は死んだ。渡辺の通夜の席で、同僚たちが、役所に復帰したあとの渡辺の様子を語り始める。渡辺は復帰後、頭の固い役所の幹部らを相手に粘り強く働きかけ、ヤクザ者からの脅迫にも屈せず、ついに住民の要望だった公園を完成させ、雪の降る夜、完成した公園のブランコに揺られて息を引き取ったのだった。新公園の周辺に住む住民も焼香に訪れ、渡辺の遺影に泣いて感謝した。いたたまれなくなった助役など幹部たちが退出すると、市役所の同僚たちは実は常日頃から感じていた「お役所仕事」への疑問を吐き出し、口々に渡辺の功績を讃え、これまでの自分たちが行なってきたやり方の批判を始めた。

通夜の翌日。市役所では、通夜の席で渡辺を讃えていた同僚たちが新しい課長の下、相変わらずの「お役所仕事」を続けている。しかし、渡辺の創った新しい公園は、子供たちの笑い声で溢れていた。

キャスト

クレジット順

※以下ノンクレジット出演者

スタッフ

製作

 
脚本担当した小國英雄(1948年)。

脚本は黒澤明橋本忍小國英雄の共同執筆である。物語の骨子は黒澤が決めたが、黒澤は小國に死を宣告された人間がどのように生きるかを、トルストイの小説『イワン・イリッチの死』を元にして描きたいと話したという[6]。黒澤は橋本に「後、75日しか生きられない男」というテーマを提示し、橋本が先行して第1稿を書き上げた[7]1952年1月初旬、黒澤と橋本は箱根仙石原の旅館「仙郷楼」で決定稿の執筆作業を開始し、小國は4日目に遅れて合流した[8]。脚本執筆は黒澤と橋本が同じシーンを書き、それを小國が取捨選択するという方法で進められた[9]。当初のタイトルは『渡辺勘治の生涯』だったが、黒澤の提案で『生きる』に変更した[10]。2月5日に脚本は完成した[11]

3月14日に撮影開始した[12]。6月2日にお盆用映画にスタジオを明け渡し、6月16日まで撮影を一時中止にした[12]。9月中旬に撮影終了した[12]。主なロケ地は東京都内で、野球場が新宿の東京生命球場、プラットホームが両国駅、アイススケート場が後楽園、遊園地が豊島園である[12][13]。歓楽街は東宝スタジオにある銀座街のオープンセットを利用して撮影された[13]キャバレーのシーンでは、スタジオ内に新橋のキャバレー「ショウボート」を参考にしたセットを作り、本物のホステス250人を自前の衣装で出演させた[14][15]

主演の志村喬は、撮影に入る前に盲腸の手術をして痩せていたが、黒澤に役柄としてそれくらい痩せていた方がよいから太らないように求められたため、志村はサウナに行って減量したという[16][17]。志村が『ゴンドラの唄』を歌うシーンでは、黒澤から「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」と注文され、早坂文雄のピアノでレッスンを重ねた[18][19]

公開

1952年10月9日に日本国内で劇場公開された[11]1954年6月には第4回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門で上映された[20]米国では、1956年5月にカリフォルニア州の劇場で『Doomed』というタイトルで短期間上映されたあと、1960年2月に初めて正式上映された[21][22]。配給会社のブランドン・フィルムズが「日本映画シーズン」企画の一環として公開したが、宣伝ポスターには志村ではなく、劇中に登場するストリッパーのラサ・サヤが描かれ、「今行こう! あとで後悔しないために!」という惹句を付ける悪趣味な方法で宣伝された[21]

評価

映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには42件のレビューがあり、批評家支持率は100%、平均点は8.79/10となっている[23]。 米国の『ロサンゼルス・タイムズ』紙は「『生きる』は、生と死と、最後にその両方に意味を持たせようとする必死の努力を、深く追求した感動的な物語だ」と評した[24]。米誌『タイム』は「黒澤は厳しい現実を、優れた人間性を、人として生きることの崇高さを、明らかにしている」と評し[24]2005年発表の「史上最高の映画100本」に選出した[25]。米国の映画批評家ロジャー・イーバートは本作に最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている[26]

受賞とノミネートの一覧

部門 対象 結果 出典
ベルリン国際映画祭 金熊賞 黒澤明 ノミネート [20]
ベルリン市政府特別賞 受賞 [21]
英国アカデミー賞 外国男優賞 志村喬 ノミネート [27]
キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・テン 1位 [28]
毎日映画コンクール 日本映画大賞 受賞 [29]
脚本賞 黒澤明
小國英雄
橋本忍
受賞
録音賞 矢野口文雄 受賞
日本映画技術賞 撮影 中井朝一 受賞 [30]
録音 三縄一郎
東宝音響技術課
受賞
芸術祭 芸術祭賞 (映画部門) 受賞 [31]

ランキング入り

媒体・団体 部門 順位 出典
1959年 キネマ旬報 日本映画60年を代表する最高作品ベスト・テン 7位 [32]
1979年 日本映画史上ベスト・テン 2位
1989年 日本映画史上ベスト・テン 3位
1995年 日本映画オールタイム・ベストテン 8位
世界映画オールタイム・ベストテン 34位
1999年 オールタイム・ベスト100 日本映画編 11位 [33]
2009年 オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇 13位 [34]
1962年 英国映画協会 Sight&Sound 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン 20位 [35]
1972年 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン 12位 [36]
1982年 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン 21位
1992年 批評家が選ぶ史上最高の映画ベストテン 43位
1989年 文藝春秋 大アンケートによる日本映画ベスト150 3位
2010年 エンパイア 史上最高の外国語映画100本 44位 [37]
2018年 BBC 史上最高の外国語映画ベスト100 72位 [38]
N/A TSPDT 最高の映画1000本 112位 [39]
N/A IMDb IMDbユーザーが選ぶ最高の映画ベスト250 110位 [40]

備考

  • 街並みのシーンにあるペニシリン軟膏の広告は当時の労働環境の悪化、生活条件の悪さを象徴している。
  • 作中に引用された『(トウ・ヤング)(英語版)』『カモナ・マイ・ハウス』など、アメリカのポップス著作権をめぐってトラブルが起こり、1974年までリバイバル上映が出来なかった[要出典]
  • 広島市平和大橋は、欄干をデザインしたイサム・ノグチが「生きる」と命名した橋であるが、橋完成後に本作が公開されたことで、意味を誤解されないよう名称を「つくる」に変更したという[41]

リメイク

テレビドラマ

映画

このほかハリウッドでは、ドリームワークスがリメイク権を獲得しており、2000年代前半に監督ジム・シェリダン、主演トム・ハンクスなどのキャストでリメイクが行われると何度か報道されたことがあったが[44][45][46]、その後の続報はない。

ミュージカル

ミュージカル『生きる』は、黒澤明没後20年記念作品として2018年10月8日から10月28日までTBS赤坂ACTシアターで上演された。主催はホリプロTBS東宝WOWOW[47]。主演は市村正親鹿賀丈史のダブルキャスト[48]、演出は宮本亜門、脚本と歌詞は高橋知伽江、作曲・編曲はジェイソン・ハウランド。

2019年には市村・鹿賀両バージョンがWOWOWで有料放送され、音声を収録したライブ盤CDが発売された。

2020年には再演が決定。日生劇場での公演に加え、全国4都市での地方公演も行われる[49]

キャスト

脚注

注釈

  1. ^ Sonderpreis des Senats von Berlin: Special Prize of the Senate of Berlin)。特別賞の名にある Senats von Berlin は、ベルリン市(州と同格の連邦構成主体である)の行政機関である[1]((ベルリン#政治)、ドイツの地方行政区分も参照)。この機関の日本語訳には「ベルリン市参事会」「ベルリン参事会」「ベルリン州政府」等があり、この賞の名称の日本語訳にも揺れがある。
  2. ^ 日本では「銀熊賞」を受賞したとされることがあるが誤り[2]

出典

  1. ^ “欧州諸都市の国際業務と執行体制等について” (pdf). 自治体国際化協会ロンドン事務所 (2014年2月). 2019年12月29日閲覧。
  2. ^ 山本英司「徒然映画日記 考えるネコ」第61回「生きる」
  3. ^ a b c d 黒澤デジタルアーカイブ
  4. ^ 都築政昭『黒澤明と『生きる』 ドキュメント・心に響く人間の尊厳』朝日ソノラマ、2003年2月、211-213頁。ISBN (9784257036708)。 
  5. ^ 藤川黎一『黒澤明vs.本木荘二郎 それは春の日の花と輝く』論創社、2012年4月、240頁。ISBN (9784846011321)。 
  6. ^ 研究会 2004, p. 36.
  7. ^ 橋本 2006, p. 81.
  8. ^ 橋本 2006, pp. 90–91.
  9. ^ 浜野保樹「解説・世界のクロサワと挫折―『生きる』」(大系2 2009, pp. 674–677)
  10. ^ 橋本 2006, p. 101.
  11. ^ a b 浜野保樹「黒澤明 関連年表」『大系黒澤明』第4巻、講談社、2009年4月、812頁、ISBN (9784062155786)。 
  12. ^ a b c d 「製作メモランダ」『全集黒澤明』第3巻、岩波書店、1988年1月、370頁、ISBN (9784000913232)。 
  13. ^ a b 丹野 1998, pp. 50–51.
  14. ^ 丹野 1998, p. 47.
  15. ^ 堀川 2000, p. 156.
  16. ^ 都築政昭『日本映画の黄金時代』小学館、1995年7月、498頁。ISBN (9784093871396)。 
  17. ^ 野上照代『天気待ち 監督・黒澤明とともに』文春文庫、2004年3月、56頁。ISBN (9784167679019)。 
  18. ^ 堀川 2000, pp. 60–62.
  19. ^ 研究会 2004, pp. 15–16.
  20. ^ a b “PROGRAMME 1954” (ドイツ語). berlinale. 2020年8月20日閲覧。
  21. ^ a b c ガルブレイス4世 2015, pp. 216–217.
  22. ^ Scott, McGee. “IKIRU” (英語). Turner Classic Movies. 2020年8月20日閲覧。
  23. ^ “IKIRU (1952)”. Rotten Tomatoes. 2020年8月20日閲覧。
  24. ^ a b ガルブレイス4世 2015, pp. 219–220.
  25. ^ “All-Time 100 Best Movies by Time Magazine” (英語). Filmsite.org. 2020年3月2日閲覧。
  26. ^ “Review:Ikiru (1952)”. rogerebert.com. 2020年8月20日閲覧。
  27. ^ “Film in 1960” (英語). BAFTA Awards. 2020年8月20日閲覧。
  28. ^ 85回史 2012, p. 96.
  29. ^ “毎日映画コンクール 第7回(1952年)”. 毎日新聞. 2020年8月20日閲覧。
  30. ^ “日本映画技術賞 受賞一覧”. 日本映画テレビ技術協会. 2015年5月31日閲覧。
  31. ^ “文化庁芸術祭賞受賞一覧 昭和22年度(第2回)~昭和30年度(第10回)” (PDF). 文化庁. 2020年8月21日閲覧。
  32. ^ “キネマ旬報日本映画60年を代表する最高作品ベストテン”. 2020年8月21日閲覧。
  33. ^ 85回史 2012, p. 588.
  34. ^ “”. キネマ旬報映画データベース. 2009年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月2日閲覧。
  35. ^ “The Greatest Films of All Time… in 1962” (英語). BFI. 2020年8月21日閲覧。
  36. ^ “” (英語). 2009年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月21日閲覧。
  37. ^ “英エンパイア誌の「史上最高の外国語映画100本」 第1位に「七人の侍」”. 映画.com. 2020年3月2日閲覧。
  38. ^ “英BBCが選ぶ史上最高の外国語映画1位に「七人の侍」”. 映画.com. 2020年3月2日閲覧。
  39. ^ “THE 1,000 GREATEST FILMS (FULL LIST)” (英語). TSPDT. 2020年8月21日閲覧。
  40. ^ “Top Rated Movies” (英語). IMDb. 2020年8月21日閲覧。
  41. ^ “平和大橋・西平和大橋の欄干について”. 広島市. 2020年8月21日閲覧。
  42. ^ 黒沢「生きる」リメイク上映 カズオ・イシグロ脚本 ベネチア映画祭『読売新聞』朝刊2022年9月2日(社会面)
  43. ^ Living 2022 インターネット・ムービー・データベース(2022年9月4日閲覧)
  44. ^ シネマトゥデイ (2003年3月27日). “T・ハンクス、ハリウッドリメイク『生きる』へ出演?”. 2009年7月23日閲覧。
  45. ^ シネマトゥデイ (2004年9月15日). “ジム・シェリダン、『生きる』リメイクへ”. 2009年7月23日閲覧。
  46. ^ ZAKZAK (2004年9月13日). “黒澤「生きる」ハリウッド版リメーク”. 2009年7月23日閲覧。
  47. ^ 黒澤明 没後20年記念作品 ダイワハウス presents ミュージカル「生きる」 TBS赤坂ACTシアター
  48. ^ 黒澤映画「生きる」ミュージカル化、市村正親・鹿賀丈史がWキャスト主演 ステージ・ナタリー
  49. ^ 市村正親、鹿賀丈史主演ミュージカル『生きる』再演が開幕!今だからこそ響く“どんな時でも生き抜く力” エンタ・ステージ(2020年10月12日)

参考文献

  • スチュアート・ガルブレイス4世『黒澤明と三船敏郎』亜紀書房、2015年10月。ISBN (9784750514581)。 
  • 黒澤明研究会 編『黒澤明を語る人々』朝日ソノラマ、2004年9月。ISBN (9784257037033)。 
  • 丹野達弥 編『村木与四郎の映画美術「聞き書き」黒澤映画のデザイン』フィルムアート社、1998年10月。ISBN (4845998858)。 
  • 橋本忍『複眼の映像 私と黒澤明』文藝春秋、2006年6月。ISBN (9784163675008)。 
  • 浜野保樹 編『大系黒澤明 第2巻』講談社、2009年12月。ISBN (9784062155762)。 
  • 堀川弘通『評伝 黒澤明』毎日新聞社、2000年10月。ISBN (9784620314709)。 
  • 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012年5月。ISBN (978-4873767550)。 

外部リンク

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