» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

志帥会

志帥会(しすいかい)は、自由民主党の派閥。通称は二階

志帥会
会長を務める二階俊博
略称

二階派
村上亀井派→
江藤・亀井派→
亀井派→

旧亀井派→
伊吹派→
二階派)
前身 政策科学研究所(旧渡辺派)
設立 1999年(平成11年)3月18日
設立者 村上正邦
亀井静香
種類 自由民主党の派閥
本部 砂防会館
所在地 東京都千代田区平河町
会員数
43人(自由民主党所属国会議員
事務総長 武田良太
会長 二階俊博
関連組織 近未来政治研究会森山派)
予算 139,096,701円[1]
収入(2021年)
3億3599万円[2]
ウェブサイト - ウェイバックマシン(2008年12月31日アーカイブ分)
特記事項
  1. ^ 参照
  2. ^ “二階派が3年連続トップ 2位麻生派、3位岸田派 3年政治資金”. 産経新聞. (2022年11月25日). https://www.sankei.com/article/20221125-MFPF7FHYYZIXNKYH636CJMSAZA/ 2022年12月17日閲覧。 
(テンプレートを表示)

派閥の名称は初代事務総長の平沼赳夫孟子の「志は気の帥なり」を由来として命名した[注釈 1]砂防会館に事務所が置かれている。

沿革

村上・亀井派時代

1998年11月30日政策科学研究所(中曽根派→渡辺派→旧渡辺派)から山崎拓グループが近未来政治研究会(山崎派)を結成して分離独立した。翌12月に同派は村上正邦が新会長に就任して村上派となったが、派閥の弱体化は避けられなかった。実質的な同派のオーナーであった中曽根康弘と領袖の村上は、一方で派内の路線対立により清和会(三塚派)から離脱していた亀井静香グループと合流し、1999年3月18日に志帥会を結成した。

旧渡辺派から山崎派が分離独立する際、旧渡辺派所属の参議院議員については、当時参院幹事長で「参議院の法王」とも呼ばれた村上がまとめあげていたため、山崎派への賛同者は少なかったが、衆議院議員は中堅・若手の大半が山崎派に移行したため、旧渡辺派側は長老・ベテラン議員が多く残り、一方の亀井グループ側は、所属衆議院議員の半数以上を経験不足の当選3回以下の若手が占めていた。このため、共に影響力を削がれた少数派閥として両派は思惑が一致し、分離独立した派閥同士の「対等合併」により志帥会は一気に衆参あわせて60人規模の大派閥となった。

発足当初の構成

村上派(34名)
中曽根康弘(衆議院) 櫻内義雄(衆議院) 村上正邦(参議院) 石渡清元(参議院) 稲垣実男(衆議院)
伊吹文明(衆議院) 衛藤晟一(衆議院) 江藤隆美(衆議院) 越智伊平(衆議院) 加藤紀文(参議院)
木部佳昭(衆議院) 小山孝雄(参議院) 阪上善秀(衆議院) 佐藤孝行(衆議院) 佐藤静雄(衆議院)
島村宜伸(衆議院) 谷洋一(衆議院) 中尾栄一(衆議院) 中曽根弘文(参議院) 中山正暉(衆議院)
西川公也(衆議院) 能勢和子(衆議院) 萩山教嚴(衆議院) 原健三郎(衆議院) 牧野隆守(衆議院)
松永光(衆議院) 武藤嘉文(衆議院) 柳本卓治(衆議院) 矢野哲朗(参議院) 与謝野馨(衆議院)
吉田六左ェ門(衆議院) 依田智治(参議院) 米田建三(衆議院) 渡辺喜美(衆議院)
亀井グループ(11名)
亀井静香(衆議院) 狩野安(参議院) 河村建夫(衆議院) 小林興起(衆議院) 桜井新(衆議院)
中川昭一(衆議院) 平沼赳夫(衆議院) 古屋圭司(衆議院) 松岡利勝(衆議院) 矢上雅義(衆議院)
谷津義男(衆議院)
無派閥(14名)
愛知和男(衆議院) 大野つや子(参議院) 亀井郁夫(参議院) 倉田寛之(参議院) 栗原博久(衆議院)
小島敏男(衆議院) 末広まきこ(参議院) 中川義雄(参議院) 仲道俊哉(参議院) 日出英輔(参議院)
保坂三蔵(参議院) 三浦一水(参議院) 三原朝彦(衆議院) 水野賢一(衆議院)

1999年3月18日、初代会長に村上が、会長代行に亀井がそれぞれ就任。

江藤・亀井派時代

1999年7月、村上が自民党の参議院議員会長に選出されたことを受けて派閥を離れることになり、亀井が後任会長の候補に挙がるが、旧渡辺派から入ってきた山中貞則中山正暉のような頑固者の重鎮が多く、そんなベテラン達を束ねる力がないと思った亀井は江藤隆美に会長を打診したが、「俺は金がない、だから引き受けられない」と一旦は断られる。そこで亀井は、「金は私が出します」と言って江藤を説得した結果、江藤が第二代会長に就任した(亀井は会長代行のまま、実務担当[1])。2000年6月25日に行われた第42回衆議院議員総選挙では櫻内義雄原健三郎が引退し、前通産相の与謝野馨、政調会長代理の桜井新ら中軸メンバー、大物議員(中尾栄一木部佳昭佐藤孝行松永光島村宜伸など)の落選が相次ぎ、11人の大幅減となり、政調会長の亀井は「人数より中身が痛い」と漏らした[2]。選挙後の発足した第2次森内閣では亀井が政調会長に留任し、谷洋一農林水産大臣平沼赳夫が通商産業大臣に就任した。2001年自由民主党総裁選挙には亀井が立候補したが小泉純一郎に敗れた。

派閥結成当初より、党内でも守旧派であったが、村上・小山孝雄KSD事件で受託収賄容疑で逮捕され、参議院議員辞職したため、柳川覚治繰り上げ当選2001年の小泉政権誕生以降は、江藤と亀井は、改革派の小泉の言ういわゆる「抵抗勢力」の代表格として、小泉改革を批判する急先鋒となった。

亀井派時代

江藤の政界引退表明を受け、2003年10月10日に亀井が3代目会長に就任したが、亀井が会長に就任してから間もなく、同年の第43回衆議院議員総選挙における公認問題をめぐり、同派の最高顧問だった中曽根が小泉純一郎総裁により総選挙不出馬、引退に追い込まれた。

長年の持論であった郵政民営化を強力に推進する小泉に対し、亀井や参院亀井派会長の中曽根弘文らは強硬に反対。しかし、亀井の姿勢は小泉改革に賛同する水野賢一らの離反を引き起こした(亀井が「反小泉」の旗幟を鮮明にするにつれ、亀井派を離脱する議員もいたが、亀井は退会の意思を示した議員を引き止めず、「(亀井のトレードマークである)亀のバッジをつけていると、選挙に不利だから、亀のバッジをはずしてやってくれ」と逆に自派の議員たちを思いやったという)。

衆院での郵政民営化法案は、亀井のほか、元衆議院議長綿貫民輔、前総務会長堀内光雄、元郵政大臣野田聖子ら、亀井派以外の派閥からも造反者が相次いだが、5票差で可決される。しかし、参議院では中曽根弘文らの造反により、法案は否決された。これを受け、小泉はただちに衆議院を解散する。解散後、亀井は志帥会会長を辞任し、自民党を離党。綿貫や元国土庁長官亀井久興らと共に国民新党を結党した。なお亀井派所属の農林水産大臣島村宜伸が、閣議衆議院解散に反対し辞表を提出したが、小泉に罷免された。

旧亀井派時代

亀井が志帥会会長を辞任した後、一時的に元経済産業大臣平沼赳夫が後任の会長に就任したが、衆議院での採決で反対票を投じた平沼も自民党から公認されず、無所属での出馬を余儀なくされたため、会長を辞任。これにより、伊吹文明が後任の会長に選出されるまで、志帥会会長のポストは空席となった。

伊吹派時代

2005年9月15日、郵政民営化法案に賛成した会長代行の伊吹が派閥の次期代表に内定したが、派内に反発の声があり、正式就任は見送られた。同年12月14日に反対していた島村を名誉会長に棚上げすることで、伊吹の正式な会長就任の運びとなった。伊吹らは「亀井派」のイメージを払拭するため、平沼が命名した「志帥会」の名称を変更することも検討したが、派内の反発もあり断念した。

2007年3月15日、名誉会長だった島村が派閥を退会。これは、亀井の離脱以来、派内における主導権争いにおいて島村が伊吹と対立していたことや、島村が郵政解散に反対していた経緯から、「刺客」として選挙を戦った同派の西川京子鍵田忠兵衛との間に確執が生じていたことなどが原因と見られている。

同年9月の自民党総裁選において、伊吹派は古賀派や町村派と連携して麻生派を除く八派閥で福田康夫支持を固め、「麻生包囲網」を敷いた。しかし、伊吹派からは麻生太郎の総裁候補推薦人を5人も出したため、伊吹派は福田支持で固まっていない派閥と見られた(伊吹派の所属議員で、麻生支持を明確にした議員は28人中20人もいた)。

9月24日、新総裁・福田の下で伊吹は幹事長に就任。志帥会からの幹事長輩出は派閥創設以来初で、中曽根派・渡辺派・旧渡辺派時代を含めても3人目である。幹事長就任に伴い、伊吹が形式的に派閥を離脱したため、中川昭一が会長代行に就任した。

伊吹は福田康夫改造内閣では財務大臣に就任したが、わずか1ヶ月余で福田は首相を辞任。5人が立候補した2008年自民党総裁選では、伊吹派は幹事長・麻生太郎の支持を派閥単位で決定。麻生の盟友であった中川がいち早く麻生支持を表明し、同年9月4日の伊吹派役員会でその旨が確認された。麻生内閣の発足に伴い、河村建夫内閣官房長官に、伊吹に代わり中川昭一が財務大臣に就任した(後に辞任)。

2009年第45回衆議院議員総選挙では次期会長候補の筆頭だった中川ら派閥メンバーの落選が相次ぎ、派閥領袖が苦戦する中、会長である伊吹も京都1区で敗れ、比例近畿ブロックで復活当選することとなった。選挙後、北海道7区で初当選した伊東良孝が加入した。

総選挙での惨敗を受け、派閥の勢力は大幅に縮小され、さらに中川が同年10月に急逝。こうした状勢の変化を受け、2009年の総選挙での当選者が会長の二階俊博1人だった保守新党の流れを組む二階派との合併が模索された結果、11月5日を以て二階派の二階俊博、泉信也鶴保庸介の3人が伊吹派へ合流した。2010年1月、古屋圭司が議員グループのぞみへの参加を表明して休会し、事実上伊吹派を離脱した。2010年第22回参議院議員通常選挙に泉が出馬せず、政界を引退。新たに2009年の総選挙で落選し、参議院に鞍替えして出馬した片山さつきが当選後、加入した。同年8月には中曽根弘文が自民党参議院議員会長選挙への出馬を表明。「脱派閥」を掲げての出馬であるため、中曽根は伊吹派を離脱した(後に復帰)。

2011年5月12日無所属中村喜四郎が無所属のまま特別会員として入会したものの、自民党入党は見送られた(中村はその後、2020年9月立憲民主党に入党)。

二階派時代

2012年12月26日に会長の伊吹文明が衆議院議長に選出され、慣例により同派を離脱したことに伴い、翌12月27日に二階俊博が後任会長となり、二階派に移行。事務総長の河村建夫も党四役ポストに格上げされた選挙対策委員長就任に伴い、同派を離脱。後任の事務総長は西川公也となった。

2014年9月の党役員人事で会長の二階が総務会長に就任したため、慣例として派閥を退会。会長職は空席とし、選対委員長を退任した河村が会長代行に就任した。なお、対外的な呼称(通称)は引き続き二階派のままである。同年12月に伊吹が衆議院議長を退任し復帰。2015年石原派との合流論が浮上[3]2016年8月に二階が幹事長に就任したことで幹事長派閥となり、二階は自民党総裁任期を「連続2期6年」から「連続3期9年」に延長する党則改正を主導した[4]

第3次安倍第2次改造内閣では今村雅弘を、第4次安倍改造内閣では吉川貴盛桜田義孝を入閣させ、他派閥からの移籍組を閣僚に押し上げる手腕を見せた[5]が、今村・桜田は後に失言で辞任している[6][7]

2022年11月25日、宏池会と並び党内派閥4位の43名(当時)ながら2019年から2021年の3年連続で政治資金収支報告書記載の政治資金収入が党内派閥トップ(3億3599万円)であったことが明らかになった[8]

二階派の拡大路線

二階は郵政造反組復党問題で自民党を離党した議員や、民主党などの他党出身者を積極的に自派に引き入れた。無所属議員を特別会員(以前は客員会員)として受け入れ、自民党入党後に派閥の正会員とする[9]

郵政問題を巡っては、自民系無所属の長崎幸太郎が2013年に、小泉龍司が2014年に二階派特別会員となり[9]、2017年10月に正会員となって復党した[10]。また、自民党を除名されていた綿貫民輔の復党を二階派主導で党に働きかけ、復党を実現させた[11]

他党出身者では、民主党を離党した山口壯2013年12月に客員会員として入会し2015年1月に入党した。2016年夏には平野達男復興大臣が、2017年9月には元みんなの党代表の浅尾慶一郎がそれぞれ自民党入党と二階派入り(浅尾は2022年の第26回参議院議員通常選挙で当選後に麻生派に入会)を果たしている[12][13](もちろん、他党出身者でも長尾敬細田派)、松本剛明麻生派)、鈴木貴子竹下派)のように二階派以外に所属する例もある)。

2019年1月31日、元環境大臣で旧民主党・希望の党出身の細野豪志が無所属のまま特別会員として入会したものの、その時点での自民党入党は見送られた[14]2021年10月31日に実施された第49回衆議院議員選挙の5日後である11月5日に入党)。同年の第25回参議院議員通常選挙では、民主党を離党した熊田篤嗣尾立源幸の擁立を主導した[15]。同年9月5日鷲尾英一郎が入会した[16]。また、同時期に無所属元職の桜内文城も入会している[17]2020年7月には長島昭久が入会した[18]

党内での公認争いも厭わない二階派の拡大路線については、他派の一部からは強い反発がある[9]が、二階は「自民党が謙虚に受け入れるだけの雅量がなきゃダメだ」「仲間がそろってこそ、大きな力になる。それが政治だ。派閥政治のどこが悪いのか」と牽制した[19][20]

安倍晋三首相辞任に伴い、2020年9月14日に行われる自民党総裁選挙では二階派の拡大路線を引き継いで内閣官房長官菅義偉の出馬に道筋を付け、細田麻生竹下の主要3派が菅支持に雪崩を打つきっかけをつくった[21]。二階が菅政権誕生を主導し、政権や党の人事で二階派議員が厚遇されたため、反発を生む[22]

2021年9月に行われた総裁選では当初菅の再選を支持する方向であった[23]。しかし出馬を表明していた岸田文雄が党役員の任期制限を公約に掲げ事実上の「二階外し」を訴え支持拡大を図ると、菅も党役員人事を行い二階を幹事長から退任させる意向を示したが、結果的に新役員人事を決めることができずに総裁選出馬を撤回した[24][25][26]。この流れに対し、二階は岸田の案に不快感を示し[27]、会長代行の河村建夫は菅が二階を交代させようとして「自ら墓穴を掘った」と話した[28]。総裁選には自主投票の方針で臨み、岸田以外の全候補に推薦人を貸した[29]。二階自身は支持候補を明らかにしなかったが、会長代行の河村、中曽根は高市の支持を表明した[30][31]岸田内閣では山口壯小林鷹之の2人が入閣した。

第49回衆議院議員総選挙では引退者や落選者が相次ぎ、衆議院解散時に47名であった会員数は総選挙を経て37名となったものの[32]、新人議員の加入や元職の復帰などによって同年11月末の時点では40名代前半に回復した[33]。また、総選挙の直後である同年11月5日細野豪志の入党が認められ、特別会員から正式な会員となった。また、自民党現職を破り初当選した三反園訓が、2022年3月10日に無所属ながら特別会員として志帥会への入会が了承された[34]

所属議員の不祥事

2019年から2020年に掛けて秋元司河井案里が相次ぎ逮捕・起訴された[22]

田畑毅による知人女性への準強制性交盗撮も発覚し、2019年3月に議員辞職した。

吉川貴盛にはアキタフーズからの現金を受け取った鶏卵汚職事件が発覚し、2020年12月22日に議員辞職し[22]、その後在宅起訴された[35]

政策

中曽根康弘亀井静香二階俊博三巨頭が二度に亘り結集した派閥である。村上正邦の影響によりタカ派色があり、親米保守色がある清和政策研究会ハト派色がある宏池会などとは一線を画していた。ただし、旗揚げ時は中曽根を擁しており、現在では清和研分裂組は派内にほとんど残っていない。また、二階の勧誘により入会するケースがあるのも特徴であり[36][37]、他党出身者も多く在籍する(二階自身も自民党の出戻り組である)。二階曰く来る者は拒まず、去る者は追わず[38]。二階の後輩議員の面倒見のよさは政界では有名な話であると日本経済新聞は報じている[39]

歴代会長

会長 派閥呼称 期間
1 村上正邦 村上・亀井派 1999年
2 江藤隆美 江藤・亀井派 1999年 - 2003年
3 亀井静香 亀井派 2003年 - 2005年
- 平沼赳夫 旧亀井派 2005年
- 空席※1 2005年
4 伊吹文明 伊吹派 2005年 - 2007年
- 空席※2 2007年 - 2008年
4 伊吹文明 2008年 - 2012年
5 二階俊博 二階派 2012年 - 2014年
- 空席※3 2014年 - 2021年
5 二階俊博 2021年 -

※1 平沼の会長辞任後の混乱による
※2 伊吹の幹事長就任による
※3 二階の総務会長・幹事長就任による

現在閣僚の二階派の議員

現在の構成

役員

会長 会長代行 副会長 事務総長 政策委員長 最高顧問
二階俊博 中曽根弘文
林幹雄
鶴保庸介
江﨑鐵磨
武田良太 細野豪志 伊吹文明

衆議院議員

二階俊博
(13回、和歌山3区
林幹雄
(10回、千葉10区
今村雅弘
(9回、比例九州
平沢勝栄
(9回、東京17区
江﨑鐵磨
(8回、愛知10区
桜田義孝
(8回、比例南関東千葉8区
細野豪志
(8回、静岡5区
小泉龍司
(7回、埼玉11区
武田良太
(7回、福岡11区
谷公一
(7回、兵庫5区
長島昭久
(7回、比例東京東京18区
山口壯
(7回、兵庫12区
鷲尾英一郎
(6回、比例北陸信越
金田勝年
(5回・参院2回、比例東北秋田2区
伊藤忠彦
(5回、愛知8区
伊東良孝
(5回、北海道7区
松本洋平
(5回、比例東京・東京19区
大岡敏孝
(4回、滋賀1区
小倉將信
(4回、東京23区
勝俣孝明
(4回、静岡6区
小林鷹之
(4回、千葉2区
武部新
(4回、北海道12区
宮内秀樹
(4回、福岡4区
小林茂樹
(3回、比例近畿奈良1区
高木宏壽
(3回、北海道3区
鳩山二郎
(3回、福岡6区
小寺裕雄
(2回、滋賀4区
中曽根康隆
(2回、群馬1区
尾﨑正直
(1回、高知2区
国定勇人
(1回、比例北陸信越・新潟4区
中野英幸
(1回、埼玉7区
平沼正二郎
(1回、岡山3区
三反園訓[注釈 2]
(1回、鹿児島2区

(計41名)

参議院議員

中曽根弘文
(7回、群馬県
鶴保庸介
(5回、和歌山県
自見英子
(2回、比例区
進藤金日子
(2回、比例区)
岩本剛人
(1回、北海道
梶原大介
(1回、比例区)
清水真人
(1回、群馬県
宮崎雅夫
(1回、比例区)
若林洋平
(1回、静岡県

(計9名)

かつて所属していた人物

その他国政選挙落選・引退者

※は、国政選挙落選者、◆は、政界を引退した者、●は、現職国会議員のまま死去した者。括弧内は、議員でなくなった時点での議会所属。

脚注

[脚注の使い方]

出典

  1. ^ 週刊現代2019年3月2日号、連載亀井静香の政界交差点/第16回、江藤隆美-「下から目線」で筋を通した人格者、66頁
  2. ^ (6/26)議席減、自民内力学に波紋 - Nikkei net
  3. ^ [1][]
  4. ^ 【図解・政治】「ポスト安倍」の顔触れ(2019年2月) - 時事通信
  5. ^ “【内閣改造】閣僚になりたければ二階派へ!? 「移籍組」も入閣…二階幹事長の手腕に羨望の声も”. 産経新聞. (2018年10月9日). https://www.sankei.com/article/20181009-K52CFBQ2WBLZBGMFJLECWWF7BQ/ 2019年11月19日閲覧。 
  6. ^ 今村復興相辞任 実際は首相の更迭「かばうことできない」 - 毎日新聞、2017年4月26日
  7. ^ 安倍首相、桜田五輪相を更迭=「復興以上に議員大事」と失言-後任に鈴木氏 - 時事通信、2019年04月10日
  8. ^ “二階派が3年連続トップ 2位麻生派、3位岸田派 3年政治資金”. 産経新聞. (2022年11月25日). https://www.sankei.com/article/20221125-MFPF7FHYYZIXNKYH636CJMSAZA/ 2022年12月17日閲覧。 
  9. ^ a b c “「うろうろ迷惑だ」 二階派・細野氏、自民の火種に?”. 朝日新聞. (2019年1月31日). https://www.asahi.com/articles/ASM104H1SM10UTFK009.html 2019年11月19日閲覧。 
  10. ^ “【衆院選】自民・二階派、第4派閥に 小泉龍司、長崎幸太郎両氏が入会”. 産経新聞. (2017年10月5日). https://www.sankei.com/politics/news/171005/plt1710050176-n1.html 2019年11月19日閲覧。 
  11. ^ “綿貫民輔氏「全て水に流したい」 自民復党が正式決定”. 朝日新聞. (2016年11月2日). https://www.asahi.com/articles/ASJC25D1BJC2UTFK014.html 2019年11月19日閲覧。 
  12. ^ “自民二階派に平野氏入会”. 日本経済新聞. (2016年8月4日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS04H4D_U6A800C1000000/ 2019年11月19日閲覧。 
  13. ^ “浅尾氏が自民入党”. 東京新聞. (2017年10月1日). https://www.tokyo-np.co.jp/article/senkyo/shuin2017/zen/CK2017100102000117.html 2019年11月19日閲覧。 
  14. ^ 細野氏が二階派入り=入党視野、岸田派と対立懸念-自民 - 時事ドットコム 2019年1月31日
  15. ^ “【政界徒然草】二階派、参院選で特別会員4人擁立…元民主2人も公認”. 産経新聞. (2018年12月12日). https://www.sankei.com/article/20181212-WQ3EWMEW3BLCZGCHP6UVYDPXBQ/ 2019年11月19日閲覧。 
  16. ^ “鷲尾氏が二階派入り、岸田派と同数に”. 産経新聞. (2019年9月5日). https://www.sankei.com/article/20190905-DT2XPCHQ5BNWLOEZSQFJZU2VP4/ 2019年12月30日閲覧。 
  17. ^ “衆院愛媛4区 自民・山本公氏後継選び 保守系県議ら党介入を警戒”. 愛媛新聞. (2019年10月28日). https://www.ehime-np.co.jp/article/news201910290022 2019年12月30日閲覧。 
  18. ^ “長島氏が二階派入り 自民”. 時事ドットコム. (2020年7月16日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2020071600732 2020年9月3日閲覧。 
  19. ^ “二階氏が細野氏の自民入党意向を歓迎 党内に摩擦も”. 毎日新聞. (2019年2月5日). https://mainichi.jp/articles/20190205/k00/00m/010/178000c 2019年11月19日閲覧。 
  20. ^ “二階派研修会 拡大路線で再び波紋 幹事長留任で影響力衰えないものの…”. 産経新聞. (2019年9月8日). https://www.sankei.com/article/20190908-6CWO4WE7UFN6FFSIGIVADXZHRA/ 2019年11月19日閲覧。 
  21. ^ “二階幹事長が通算在職最長 角栄抜き「恐れ多い」―自民”. 時事通信. (2020年9月8日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2020090800652 2020年9月9日閲覧。 
  22. ^ a b c “二階氏に批判集中 求心力急落も 多人数会食主催・GoTo継続主張・派閥不祥事”. 北海道新聞. (2020年12月24日). https://www.hokkaido-np.co.jp/article/495122 2020年12月24日閲覧。 
  23. ^ “二階派、菅氏再選支持へ 首相・幹事長が25日会談―自民総裁選:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年10月10日閲覧。
  24. ^ “岸田氏「二階外し」前面に 党内不満の吸収狙う―自民総裁選:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年10月10日閲覧。
  25. ^ “菅首相、二階幹事長交代で調整 衆院選へ自民刷新アピール:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年10月10日閲覧。
  26. ^ 「菅首相が総裁選不出馬を表明、党役員人事も撤回=二階自民幹事長」『Reuters』、2021年9月3日。2021年10月10日閲覧。
  27. ^ “岸田氏の「任期制限」に不快感―自民・二階幹事長インタビュー:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2021年10月10日閲覧。
  28. ^ “自民・河村建夫氏「首相は墓穴を掘った」 二階氏外しに苦言”. 毎日新聞. 2021年10月10日閲覧。
  29. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年9月16日). “総裁選 二階派は自主投票、決選投票は結束目指す”. 産経ニュース. 2021年10月10日閲覧。
  30. ^ “河村氏は高市氏支持/自民党総裁選 安倍氏から要請”. 山口新聞 電子版. 2021年10月10日閲覧。
  31. ^ . 上毛新聞. (2021年9月18日). オリジナルの2021年9月24日時点におけるアーカイブ。. 2021年10月10日閲覧。 
  32. ^ https://dot.asahi.com/dot/2021110400095.html?page=2
  33. ^ https://www.nishinippon.co.jp/item/n/831169 旧竹下派から幹事長 【自民派閥に明暗】 二階派冷遇、脱退希望も
  34. ^ “無所属の三反園氏が二階派入り”. 産経新聞. (2022年3月10日). https://www.sankei.com/article/20220310-6GTJNNVGIZPLXHL5XIXOWODNIU/ 2022年7月29日閲覧。 
  35. ^ “吉川元農相を収賄罪で在宅起訴 入院中、身柄拘束見送る”. 朝日新聞. (2021年1月5日). https://www.asahi.com/amp/articles/ASP1H4SD2P1FUTIL023.html 2021年1月18日閲覧。 
  36. ^ 【「1強」の足元】存在感増す二階氏「ポスト安倍」仕込み? 自民の「陰の幹事長」に官邸警戒  (1/2ページ)
  37. ^ 【「1強」の足元】存在感増す二階氏「ポスト安倍」仕込み? 自民の「陰の幹事長」に官邸警戒  (2/2ページ)
  38. ^ 文藝春秋2019年5月号、安倍後継は官房長官も十分資格あり、二階俊博、108頁
  39. ^ “二階氏「最後の党人派」、人脈広く”. 日本経済新聞 (2016年8月2日). 2022年1月1日閲覧。
  40. ^ “単刀直言 伊吹文明元衆院議長 政治家は信念に基づく発言を”. 産経新聞. (2021年12月3日). https://www.sankei.com/article/20211203-TSUVBYEEIFPSHK7IL7NPQCQZGY/ 2022年1月3日閲覧。 
  41. ^ “片山さつき氏が念願“安倍派入り”も実は準会員…参院「清風会」に中途半端入会のウラ側”. 日刊ゲンダイ. (2022年6月15日). https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/306761 2023年4月30日閲覧。 

注釈

  1. ^ 当初は村上正邦が「(成蹊)会」を発案していたが、「成蹊大学のOB会のような名前だ」と不評であったため、却下された。
  2. ^ 無所属議員のまま、特別会員として入会。
  3. ^ a b c 落選中に退会。
  4. ^ 第44回衆議院議員総選挙で非公認。民主党→無所属を経て、2016年2月4日に再入会。

関連項目

ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。