» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

東日本フェリー

東日本フェリー株式会社(ひがしにほんフェリー)は、かつて存在した日本の企業。国内フェリー事業・国際フェリー事業・船舶貸渡業などを営んでいた。本社所在地は、北海道函館市港町3-19-2。

東日本フェリー株式会社
HIGASHI NIHON FERRY CO.,LTD.
種類 株式会社
略称 HFG
本社所在地 日本
041-0821
北海道函館市港町3-19-2
設立 2006年10月2日
業種 (海運業)
事業内容 船舶貸渡業
代表者 古閑 信二(代表取締役社長)
主要株主 ブルーオーシャン
関係する人物 (蔦井政信)
特記事項:2代目法人・2009年11月1日解散
(テンプレートを表示)

東日本フェリー(初代)

東日本フェリー株式会社
HIGASHINIHON-FERRY CO.,LTD
 
札幌本社が存在した蔦井ビル
(札幌市中央区・2005年 現存せず)
種類 株式会社
略称 HFG
本社所在地   日本
064-0804
札幌市中央区南4条西11丁目
蔦井ビル 2F(札幌本社)
本店所在地 041-0821
北海道函館市港町3-19-2
(函館本社)
設立 1965年3月22日
業種 (海運業)
事業内容 一般旅客定期航路事業・貨物運送取扱事業
代表者 蔦井政信(代表取締役社長)
支店舗数 9
特記事項:初代法人・2005年解散
(テンプレートを表示)

東日本フェリーは、大正時代に炭鉱業で栄えた海に面していない赤平市(当時の歌志内村)で陸運業・商業を興し、昭和初期に稚内港利尻礼文間の航路(ハートランドフェリーの前身)を開設させ、その後も北海道内で海運・倉庫業など事業を拡大させた実業家蔦井與三吉(石川県出身 1889年2月10日[1] - 1974年12月8日[2])が、1961年に出資母体となる道南海運の取締役社長に就任したのが源流である[3]

道南海運は1964年に函館港 - 大間航路をカーフェリーで開設したが、同じころに青森の財界が青道フェリーを設立し青函航路への就航を計画。しかし路線免許の獲得が出来ず同社は計画を断念し、道南海運と合弁で東日本フェリーを設立。蔦井與三吉が社長に就任し、会社更生法申請まで蔦井家による同族経営を行った。道南海運は青函航路を東日本フェリーへ集約させ、蔦井グループの親会社として機能した「蔦井本社」と1972年に合併し消滅している[4][5]

その後は室蘭港(北海道)福島港苫小牧港三厩港岩内港八戸港仙台港大洗港直江津港などに進出し、北海道・本州間のフェリー航路を順次開設。さらに陸送子会社や貨物フェリー会社の道南自動車フェリー(後年の一部事業承継会社)、栗子国際スキー場の出資、またバブル期にはケーブルテレビ事業の札幌ケーブルテレビジョン(SCAT)、ハヤシマリンカンパニーとの合弁による九越フェリーも手がけ、蔦井倉庫・(ツタイ商事)を中核とするツタイグループの下で北海道資本では最大手の海運会社「東日本フェリーグループ」を形成するまでに拡大した。

東日本フェリーグループ各社(1994年頃)[3]

  • 東日本フェリー株式会社(函館市)
  • 道南自動車フェリー株式会社(函館市) - 函館-青森間で貨物専用フェリーを運航。
  • 東日本海陸輸送株式会社(上磯郡上磯町) - 単車トラックによる陸上輸送を受け持つ。
  • 東日本輸送株式会社(室蘭市) - トレーラーによる陸上輸送を受け持つ。
  • 東日本物流株式会社(茨城県東茨城郡美野里町) - 「東日本運輸」として創業し1994年に改称、陸上輸送事業の営業部門を受け持つ。
  • 北海道航空株式会社(北海道札幌市)
  • 東日本エンタープライズ株式会社(北海道札幌市) - グループ各社の物資調達・仕入れを担当。
  • 東日本観光サービス株式会社(北海道札幌市) - 旅行代理店等の観光事業や東日本フェリー船内・ターミナルでのレストラン売店営業を行う。
  • 株式会社札幌ケーブルテレビジョン(北海道札幌市)
  • 板谷観光開発株式会社(山形県米沢市) - 栗子国際スキー場を運営。
  • 株式会社ホテル・イーストジャパン(北海道苫小牧市) - 苫小牧市ホテル・ビバリーを買収したうえで「ホテル・イーストジャパン」を経営。
  • 株式会社ツタイ・コンピュータ・サービス - 業務の電算化やフェリー予約システムなどを受け持つ。

1980年代以降は長崎県に本社を置くハヤシマリンカンパニーや船舶整備公団からの貸渡船借受(船のリース)や共同所有による新造船の導入が行われ、このうち「ゆにこん」は日本で初めて定期就航した高速フェリーであった。

九越フェリー

九越フェリー株式会社
種類 株式会社
略称 QEL[6]
本社所在地   日本
812-0031
福岡市博多区沖浜町25-28
設立 1991年9月21日[7]
業種 (海運業)
事業内容 一般旅客定期航路事業
代表者 吾妻武男(代表取締役社長)
主要株主 東日本フェリー
ハヤシマリンカンパニー
特記事項:2005年合併解散
(テンプレートを表示)

1991年に上越 - 博多航路の運航会社として、東日本フェリー「はあきゆり」他3隻を共同保有する長崎県のハヤシマリンカンパニーとの合弁で設立[6][7]。これまで気象・海象の厳しさからフェリー航路が存在しなかった山陰沖を経由した本州-九州間の航路について岩内・室蘭-直江津航路の欠航の少ない安定性を鑑みて就航が可能と判断し[7]、ハヤシマリンの強い後押しと東日本フェリーの運航ノウハウや集客集荷力の結果から計画が具体化した[8]。実務面は東日本フェリーが担当[9]

当初は博多港に寄港する韓国航路の貨物や[8]、ハヤシマリンカンパニーが出資していた上海長崎フェリーとの連絡による中国本土方面からの輸入貨物の受け入れが計画されていた[7]

社名は州・上から一字ずつ選り抜いた。船体のカラーリングや発券業務などは東日本フェリーと同一であった。

航路開設当初から週3便運航による使い勝手の悪さや貨物需要の少なさや不況の影響で北海道方面からの乗り継ぎ荷物を中心として利用率が平均15〜20%程度と伸び悩み[10]、秋冬の繁忙期でも利用は40〜50%程度にとどまり1997年3月の第2船投入によるデイリー運航移行後も目立った貨物の増加はなく苦戦を強いられる状況となった[11]。1998年には東日本フェリー直江津〜室蘭航路に乗り入れ博多〜直江津〜室蘭直通での週3便運航へと移行[12]、直後には北海道-九州間の直行貨物の増加もあり輸送量減少が15%にとどまり便あたりの消席率が60%増加し改善が見られた[13]。また船舶も2001年には簡素化された「ニューれいんぼうらぶ」型に置きかえられた。

2005年8月に東日本フェリーへ窓口運営を移譲し、九越フェリーの支店(博多・直江津)が東日本フェリーの支店となり、2005年の合併で、事業所もリベラの支店となる。

九越フェリーの航路および船舶は、2001年の映画「白い船」の舞台として知られた。

沿革
  • 1991年9月21日:会社設立[7][14]。資本金4億円、東日本フェリーが6割・ハヤシマリンカンパニーが4割を出資[9]
  • 1994年12月:直江津 - 博多航路の開設を九州運輸局に申請[15]
  • 1995年4月19日:直江津 - 博多航路の開設認可[16]
  • 1996年
    • 4月:新造船就航を控え資本金を8億円に増資[7]
    • 4月9日:第一船「れいんぼうべる」就航、週3便体制で運航[17]
  • 1997年3月17日:第二船「れいんぼうらぶ」就航、日曜を除く週6便体制で運航[18]
  • 1998年9月1日:当初の需要見込みを下回ったため「れいんぼうべる」「れいんぼうらぶ」を東日本フェリー室蘭 - 直江津航路に乗り入れて延航、室蘭 - 直江津 - 博多の一貫輸送を週3便体制で開始[12][19]
  • 1999年9月22日:本社を福岡市博多区博多駅前から東区箱崎ふ頭の自社ターミナルビルに移転[20][21]
  • 2001年
    • 7月9日:「れいんぼうらぶ」後継船「ニューれいんぼうらぶ」就航。
    • 8月5日:本社と博多港発着地を箱崎ふ頭から中央ふ頭(現・中央ふ頭クルーズセンター)に移転。その後箱崎埠頭ターミナルビルと敷地は2003年よりスバル福岡納整センターとして使用。
    • 10月5日:「れいんぼうべる」後継船「ニューれいんぼうべる」就航。
  • 2003年6月30日:会社更生法申請[22]
  • 2005年8月1日:リベラに吸収合併され法人格消滅[23]

会社更生法申請

2003年6月に、2003年3月期決算で(特別損失)80億円・約85億円の債務超過となり監査法人が(意見不表明)とした事が北海道新聞などで報じられ、6月29日に東日本フェリーと子会社の九越フェリー・東日本海陸輸送・東日本輸送・東日本観光サービスは東京地裁会社更生法を申請し、倒産する[22]。グループ5社の負債総額は約907億円[22](東日本フェリー単体約580億円[22]、九越フェリー単体約190億円)に上り、約80億円の債務超過状態であった。本業において近海郵船商船三井など海運他社のRO-RO船津軽海峡線日本海縦貫線など鉄道路線との競合による売上の減少に加え、九越フェリーの新造船の導入費用、山形県内の栗子国際スキー場など関連会社の過大な設備投資による債務負担が重荷となり自主再建を断念した[22]。なお、苫小牧市街地に擁したホテル・イーストジャパン(旧:ホテルビバリー・トム)は同年1月に廃業し、同年中に建物が取り壊されている。

北海道関連企業では、アルファリゾート・トマムの開発を手がけた関兵精麦が同月16日に民事再生法を申請した時の負債総額(674億円)を上回る大型倒産であり、従業員の雇用や事業継続について懸念された。この他船舶を貸し付けていたハヤシマリンカンパニーは同年7月に整理回収機構民事再生法申請を申し立てられ、東日本フェリー向け債権の焦げ付きによる連鎖倒産のように見られたが、実際には前年からホテル・不動産事業の不振により私的整理方式で自主再建を銀行団と模索していた。

再建に当たり、当初は神原汽船甲子園運輸倉庫(現:ツネイシホールディングス)・鈴与が再建スポンサーに名乗りを上げたが2004年に辞退し、会社更生計画案の提出が延期される。また、鉄道建設・運輸施設整備支援機構の共同所有船舶の債権放棄にあたり資産の計上方法をめぐる一悶着があり、会社更生計画の提出を再延期する一因となった。

その後、呉市リベラ旭川市の(北興グループ)(東日本海陸輸送のみ)がスポンサーとして支援する運びとなり、2005年6月にグループ5社は100%減資を実施した後スポンサーの出資を受ける形で更生計画を完了し、この時点で蔦井倉庫・蔦井家・東日本海フェリーとの資本関係が無くなった。その後、海陸輸送以外を継承したリベラは2006年に4社を自社へ吸収合併。東日本フェリー・九越フェリーの法人格が消滅し、フェリー事業の拠点もリベラの事業所となる。

かつての出資会社である(ツタイ商事)は、バブル期の株式投資で巨額損失を計上し経営再建を図っていたが、本業である建築資材販売と石油販売の収益低下に加え、東日本観光サービス向けの債権3億円が焦げ付いたため東日本フェリーの設立母体である蔦井本社を合併させて資本増強を図ったが、2005年3月に民事再生法を申請しクワザワが土木関連事業を譲受した[24]。この結果、蔦井倉庫はかつて傘下に組み入れられた日本通運の完全子会社となり、蔦井家が直接経営に関わるのはハートランドフェリーやアイビー・システム[25](子会社の旧ツタイ・コンピュータ・サービスを含む[26])などごくわずかとなっている。なお、東日本フェリーとの資本関係の名残として、東日本フェリーを吸収合併したリベラはツタイ・コンピュータ・サービスの株主であった。

東日本フェリー(2代)

リベラによる吸収合併後は事業名称として東日本フェリーの名称が使われていたが、2006年に新たに出資のうえ(新)「東日本フェリー株式会社」を設立した。前項のリベラが吸収合併した初代東日本フェリーの事業を2007年に譲渡させ、事業分割を行った。

リベラは、共同運航の航路を共同運航先へ譲渡させるなど航路を集約し、青函航路に高速フェリー「ナッチャンRera」「ナッチャンWorld」の導入や、函館・青森の両ターミナルの新築、国際航路への進出など新施策も行われ、合理化による収益強化を見据えていたようである。

海運事業撤退と会社の解散

2008年9月8日、北海道と青森を結ぶ3航路について、(燃料費の高騰)や利用客の伸び悩みなどから今年度およそ50億円の赤字が見込まれるため、同年11月末で撤退することを発表した。

主力事業である函館 - 青森航路の2隻の在来船については、親会社のリベラホールディングス傘下の道南自動車フェリーが引き継ぎ、同年12月以降も運航を継続。残りの室蘭 - 青森と函館 - 大間の航路についても、自治体の支援次第で道南自動車フェリーに引き継ぎ、運航を継続する可能性が残された[27]。しかし、前者は支援を得られず廃止が決まった[28]。後者は同年12月の1か月は道南自動車フェリーが支援を受けずに、2009年1月から1年間は暫定的に大間町青森県の支援を受けて運航[29]、2010年6月に大間町・青森県との協議で大間町の支援により2011年以降も航路は存続する見通しとなった[30]

2008年10月28日、金沢-釜山航路について、急激なウォン安や韓国経済の低迷などによる集荷集客の低迷や原油の高騰を理由に同年10月29日の金沢出港便をもって休止することを発表した。これで東日本フェリーがすべての航路の運航から撤退することが確定した。

その後はナッチャンRera・Worldなどの船舶を引き続き保有し、船舶貸渡業を営む会社として存続していたが、2009年11月1日付けで関連会社の東日本シップマネージメントと共に道南自動車フェリーに吸収合併(同時に津軽海峡フェリーに社名変更)され、名実ともに姿を消し、45年の歴史に幕を下ろした[31]

沿革

前史

  • 1929年6月:函館 - 大間間の定期航路船が別会社にて就航、しかしこの航路は戦前に廃止となっている[32]
  • 1956年7月:函館・大間間連絡航路促進連合会が設立され、1960年代前半まで航路開設運動が展開される[32]
  • 1962年:道南海運の蔦井與三吉が渡欧、ドーバー海峡のカーフェリーとホバークラフトを視察しカーフェリー構想の足がかりとなる。この内ホバークラフトは津軽海峡の波の荒さに対応できないとして断念している[2]
  • 1964年
    • 6月:青森フェリーが、青森 - 室蘭・青森 - 函館航路に貨物船型自動車運搬船を就航[2][33]
    • 函館 - 大間間に道南海運が日本初の外洋フェリーボートとなる航路を開設、大函丸が就航(所要1時間40分)。
      (なお就航日は、6月15日とする記述と[33] 、7月2日とする記述がある[3][32][34]。 )

初代東日本フェリー

  • 1965年
    • 3月22日:青森側で海峡フェリー参入をめざし設立した青道フェリーと航路権を持つ道南海運が競合、最終的に北海道と青森県の両知事の斡旋をうけ会社一本化[33] され、(旧)東日本フェリー(本社:函館市仲浜町)を設立[3]
    • 4月:青森商船が、三厩 - 福島間にフェリー就航[33]
    • 4月27日:青森フェリーが道南海運に営業権を譲渡[3]
    • 6月15日:道南海運から大間 - 函館間一般旅客定期航路事業とフェリー「大函丸」を譲受、認可を得て営業開始[2]
  • 1967年
    • 4月28日:陸奥湾内で旅客航路を運営していた[35]、青森商船を買収[2]
    • 5月1日:青森商船から三厩 - 福島間の一般旅客定期航路事業とフェリー「まつまえ」、貨客船「第二八千代丸」を譲受[3]
    • 5月20日:道南海運、室蘭 - 青森航路を開設[2][36]
    • 6月:国鉄青函連絡船による自動車航送計画の発表に対抗し東日本フェリー、道南海運、青森商船のフェリー三社が計画中止の嘆願書を提出[2]
    • 12月:国鉄の青函連絡船自動車航送計画に東日本フェリー・道南海運・青森商船が同意。翌年6月1日より、津軽丸型客貨船にて自動車航送を開始した[2][33]
  • 1968年
    • 4月1日:道南海運から青函丸・青蘭丸・せいらん丸・さっぽろ丸・第三歓栄丸を譲受、函館 - 青森・室蘭 - 青森航路の事業を継承。津軽海峡のフェリー航路の一本化を完了[2][3]
    • 6月20日:函館市末広町に本社ビル・旅客ターミナルビルが完成。フェリーの発着が末広町岸壁になる[3][33]
  • 1969年
    • 4月30日:函館 - 野辺地航路が認可。7月に野辺地ターミナルが完成し就航[3][37]
    • 7月20日:野辺地港ターミナル完成[3]
    • 7月30日:函館 - 野辺地航路運航開始[3]
  • 1970年
    • 室蘭 - 大間航路を開設[36]
    • 6月30日:函館市港町に七重浜ターミナル施設と岸壁が竣工し[3]、函館 - 青森航路および函館 - 野辺地航路の発着ターミナルとする。
      のち、同所に本社移転し函館 - 大間航路の発着も集約[37]
  • 1971年
    • 4月:函館商船[38] が函館 - 野辺地航路を開設。北浜埠頭(現:北埠頭)と野辺地にそれぞれターミナルを建設し、1,500総トンのフェリー2隻を就航[37]
    • 7月1日:戸井 - 大間航路運航開始[39]
  • 1972年
    • 1月14日:中長距離航路化に対応する関連会社として[3]、札幌市に「新東日本フェリー株式会社」を設立、資本金1億円[1]。苫小牧 - 仙台・苫小牧 - 鹿島航路を計画[3]
    • 2月23日:トラック航送に対応する関連会社「道南自動車フェリー」を設立[3]
    • 7月5日:シルバーフェリーと苫小牧 - 八戸航路の共同運航協定を締結[2]
    • 12月:フェリー事業への集中のため内航貨物輸送部門を廃止[3]
  • 1973年12月16日:新東日本フェリーが、苫小牧 - 仙台航路を開設。隔日にて運航開始[3][40]
    新東日本フェリー発足後、東日本フェリー航路の愛称を7つの航路数から「レインボーライン」、新東日本フェリー航路の愛称を仙台七夕祭りや北海道・航海が星に縁が深いことから「スターライン」とした[2]
  • 1975年
    • 3月20日:札幌市に営業本部を設置、営業中枢機構を移転[3]
    • 8月11日:苫小牧 - 八戸航路開設[3]
  • 1976年
    • 5月18日:オイルショック後の需要減により経営難に陥った函館商船は、函館 - 野辺地航路を(旧)東日本フェリーに譲渡[3][37]
    • 6月2日 函館に自社船との無線連絡用に民間企業では初のVHF専用波の基地局を設置。[2]
    • 10月21日:函館本社を七重浜ターミナルに移転[2]
  • 1977年3月20日:管理部門を札幌本社に集約[3]
  • 1978年
    • 3月27日:函館本社新築を含む函館七重浜ターミナルの増築竣工[2]
    • 10月1日:室蘭港フェリーターミナルを入江地区に移転[41]
  • 1979年10月3日:室蘭 - 八戸航路を開設[3][36]
  • 1981年5月25日:札幌市に蔦井グループ各社が入居する9階建てビル「蔦井ビル」竣工、同ビルに本社移転[3]
  • 1983年:函館港フェリーターミナル施設を拡張、トラック200台・乗用車300台分の駐車場や5,000トン級船舶対応岸壁4バース等を整備[42]
  • 1984年10月26日:新東日本フェリーの苫小牧 - 仙台航路を譲受[3]、同社を解散し航路運営を一元化[43]
  • 1985年3月16日:室蘭 - 大洗航路を開設[3][36]
  • 1990年
    • 4月1日:CI・シンボルマーク制定、東日本の「H」をモチーフとしてメインカラーにインテリジェンス・ブルーとサブカラーに宇宙の神秘をイメージした深青の配色とした[3]
    • 7月19日:岩内 - 直江津 - 室蘭の日本海航路を開設[36][44][3]
    • 10月14日 - 函館港ジェットフォイルターミナル完成[3]
    • 11月13日 - 函館 - 青森航路にジェットフォイル「ゆにこん」就航[3]
  • 1991年
    • 9月21日:ハヤシマリンカンパニーとの合弁で直江津-博多航路に対応する関連会社「九越フェリー」を設立[7]
    • 11月:室蘭 - 大間航路を休止[36]
    • 12月12日:室蘭 - 大畑航路開設[3]
  • 1994年
    • 4月6日:函館 - 野辺地航路を休止[3]
    • 4月19日:室蘭港新フェリーターミナルが完成[45]
  • 1998年
    • 4月:室蘭 - 大畑航路を休止[36]
    • 9月:室蘭 - 直江津航路を博多に延航[36]
  • 2000年
    • 1月18日:岩内 - 直江津航路を休止[46]。(運航自体は1999年11月20日より冬季休止[47]
    • 4月1日:苫小牧 - 仙台航路を休止[40][46]
  • 2001年
    • 1月1日:燃料油価格変動調整金を導入[48]
    • 9月1日:燃料油価格変動調整金を廃止[49]
  • 2002年
    • 3月4日:大洗 - 苫小牧航路での共同運航を視野に商船三井フェリーと提携検討を合意[50]
    • 6月3日:室蘭 - 大洗航路を休止し、商船三井フェリーとの共同運航航路として苫小牧 - 大洗航路を開設[36][51][52]
      「ばるな」が商船三井フェリーへ裸傭船され[53]、商船三井フェリー75%・東日本フェリー25%の運航分担とする。

会社更生法申請後

  • 2003年
  • 2004年
    • 5月:鉄道建設・運輸施設整備支援機構の保有債務に関する合意が得られず更生計画案の提出を延期[55]
    • 7月29日:鉄道建設・運輸施設整備支援機構との債務減免が合意に至らず、更生計画案の提出が再延期され事業家管財人が辞任するとともに常石造船グループがスポンサーを辞退[56]
    • 10月8日:リベラ、旧・東日本フェリーに対する支援表明[57]
  • 2005年
    • 3月14日:蔦井グループ中核の「ツタイ商事」が民事再生法を申請、クワザワの支援で再建を行う[24]
    • 8月1日:リベラを存続会社とし、(旧)東日本フェリーほかグループ会社3社(九越フェリー、東日本観光サービス、東日本輸送)を合併。東日本フェリーの名前は事業名称として使用を継続[23]
  • 2006年
    • 3月15日:室蘭-八戸航路を休止[36][58]
    • 4月1日:インターネット予約サービスを開始、函館・青森・室蘭・大間港にフェリー業界初のインターネット予約用自動発券機を導入[59][60]
    • 9月2日・3日:日本海沿岸での需要創出を目指し国土交通省や寄港地自治体等との連携で室蘭 - 直江津 - 博多航路を金沢港境港に試験寄港[61][62]
    • 10月2日:リベラよりフェリー事業を分割・事業継承する目的で、100%出資子会社の(新)東日本フェリーを設立[23][63]
    • 10月17日:苫小牧 - 大洗航路の運営を2007年から商船三井フェリーへ集約化を決定[64]
    • 12月1日
      • 苫小牧 - 八戸航路の同社運航便を川崎近海汽船(シルバーフェリー)へ移管し八戸港から撤退[65]。同航路に就航していた「べにりあ」「べが」を用船するとともに、川崎近海汽船との共有船「フェリーはちのへ」の持分を川崎近海汽船へ譲渡。
      • 旧東日本輸送が手掛けていた陸上輸送事業を分社化しリベラ・三協運輸(現・三協)の共同出資で「ネクスト」を設立[66][67]
    • 12月25日:室蘭 - 直江津 - 博多航路を休止[68]
    • 12月31日:苫小牧 - 大洗航路を休止[64]
  • 2007年
    「へすていあ」を商船三井フェリーに用船[69]
    • 1月:室蘭 - 直江津 - 博多航路「ニューれいんぼうべる」「ニューれいんぼうらぶ」を商船三井フェリー「さんふらわあみと」「さんふらわあつくば」と交換[70]
    この時点では貨物重視から旅客重視の船型に転換し、さんふらわあ2船を改装の上同航路に就航の予定であったが同月26日「さんふらわあみと」をパンスターライン(韓国・ソウル)に用船、「パンスター・サニー」と改称され、釜山-大阪航路に就航した。また「さんふらわあつくば」はドック入りし4月に「フェリーつくば」に改称、その後7月にギリシャに売却された[71][72][73]
    • 1月25日:函館 - 大間・函館 - 青森・室蘭 - 青森航路の(新)東日本フェリーへの譲渡、休止中の苫小牧 - 大洗・苫小牧 - 仙台・室蘭 - 八戸・室蘭 - 大畑・岩内 - 直江津 - 室蘭・直江津 - 博多・室蘭 - 大洗・苫小牧 - 八戸航路の廃止を北海道運輸局に業務申請[74]
    • 3月1日:リベラ、フェリー事業を分割し(新)東日本フェリーへ事業を譲渡[23]
    • 7月11日:室蘭 - 直江津 - 博多航路の再開見送りを表明[75]
    • 9月1日:函館 - 青森航路に、高速フェリー「ナッチャンRera」が就航[76]。一部の在来船が転配および引退。また、函館港新フェリーターミナルも竣工。
    • 9月30日:「ナッチャンRera」が機関故障のため、長時間にわたり陸奥湾内で立ち往生する[77]
    • 10月13日:「最善の注意を払い、繊細なメンテナンスを行い続けるには現在の短い待機時間の中では少々時間が不足している」との理由により、高速フェリーの夜間運航を当分の間休止[76]
    • 10月26日:冬季の厳しい海象が予想される中でのサービス維持を理由に、高速フェリーの冬期航海時間を1時間45分から2時間15分に変更とする[78]
    • 11月1日:函館 - 青森航路の在来フェリー配船を一部変更。「びいな」に代わり、引退した「ばにあ」が復活[79]
  • 2008年
    • 5月2日:函館 - 青森航路に2隻目の高速フェリー「ナッチャンWorld」が就航、高速船の所要時間を2時間から2時間5分とする[80]。本船就航に合わせ青森港高速船ターミナル(現・青森港津軽海峡フェリーターミナル)が竣工。
    • 6月1日:QRコードを使用した新乗船システム「スマートチェックイン」システム開始。
    • 6月16日:金沢 - 釜山航路を開設[81][82]
    • 10月:リベラホールディングスが新たにフェリー部門の持株会社として「ブルーオーシャン株式会社」を設立し、同社の傘下となる[83][84]
    • 10月29日:金沢 - 釜山航路を休止[85]
    • 11月1日:高速フェリー「ナッチャンRera」「ナッチャンWorld」の運航を休止[86]
    • 12月1日:函館 - 青森航路、函館 - 大間航路および室蘭 - 青森航路を廃止。前者2航路およびフェリー4隻を道南自動車フェリーへ承継[85]
    函館 - 大間航路は暫定的な運航継続。
  • 2009年11月1日:道南自動車フェリーに吸収合併され、解散[31]

航路

譲渡航路(道南自動車フェリーに譲渡)

  • 函館港 - 大間港国道279号国道338号海上区間。)(1964年 - )
    • 2008年11月30日の運航をもって廃止。同年12月は自治体の支援なしで運航し、2009年1月から自治体の支援で1年間の暫定運航を行った。
  • 函館港 - 青森港(1967年 - )
    • 高速フェリーは2008年10月31日、在来フェリーは同年11月30日の運航をもって廃止。高速フェリーも夏期繁忙期限定で運航(2009 - 2012年)。

廃止航路

リベラ継承後

  • 室蘭港 - 青森港(1967年 - 2008年11月30日)
    • 2008年11月30日の運航をもって廃止。
  • 苫小牧港 - 八戸港(1979年 - 2006年11月30日)
  • 室蘭港 - 直江津港(1990年7月 - 2006年12月25日)
  • 直江津港 - 博多港(九越フェリー)(1996年4月9日 - 2006年12月25日)
    • 1998年より室蘭 - 直江津航路と合わせ一貫輸送化。
    • 2006年12月より当分の間就航船舶の入れ替えのため休止。2007年春からの再開や金沢港への追加寄港を計画していたものの[74][87]、7月に再開見送りを表明[75]
  • 苫小牧港 - 大洗港(2002年6月3日 - 2006年12月31日)
  • 金沢港 - 釜山港 (国際航路)(2008年6月16日 - 10月30日)
    • 韓国パンスターラインドットコムに委託して運航。2008年10月29日の金沢出港便をもって休止。

(旧)東日本フェリー

  • 岩内港 - 直江津港(1990年 - 1999年)
  • 室蘭港 - 大洗港(1985年 - 2002年)
  • 苫小牧港 - 仙台港(1973年 - 2000年)
  • 室蘭港 - 八戸港(1979年 - 2006年)
  • 室蘭港 - 大間港(1970年 - 1991年)
  • 室蘭港 - 大畑港(1975年 - 1976年・1991年 - 1998年)
  • 函館港 - 野辺地港(1969年 - 1993年)
  • 函館港 - 大間港 - 佐井港(1960年代後半)
  • 函館港・末広地区(現・マルカツ興産遊覧船「ブルームーン」乗り場) - 青森港・本港地区「青森港旅客船ターミナル」(1990年 - 1996年 ジェットフォイル航路)
  • 戸井港 - 大間港(1971年 - 1975年・1977年 - 1980年)[3]
  • 福島港 - 三厩港(1965年 - 1983年・1987年・1989年 - 1992年[3]・1998年)

構想航路

カッコ内は検討された時期。

船舶

譲渡船舶(道南自動車フェリーに譲渡)

 
びるご - 青森湾
 
びなす
 
ばにあ
 
ナッチャンWorld - 青森港
6,706総トン。全長134.6 m、航海速力20ノット。
旅客定員600名。車両積載数:トラック96台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
船名の由来は、和名おとめ座にあたる名称(諸説あるが、東日本フェリー公式サイトによると「王ゼウスと女神テミスの間に生まれた清純な女神の名前」となっている)。2007年9月以前は室蘭 - 青森航路に就航していたがのちに青函航路に復帰。道南自動車フェリー譲渡後、2014年まで運航。
7,198総トン。全長136.6 m、航海速力20ノット。
旅客定員800名。車両積載数:トラック95台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
船名の由来は、ギリシャ神話のアプロディーテー(美の女神、名称はローマ神話由来のウェヌス)より。2007年9月、高速フェリー「ナッチャンRera」就航にともない青函航路から室蘭 - 青森航路へ転配。道南自動車フェリー譲渡後は再び青函航路に転配され2017年まで運航。
1,529総トン。全長83.4 m、航海速力16.3ノット。
旅客定員470名。車両積載数:トラック23台または乗用車58台。内海造船瀬戸田工場建造。
船名の由来は、インド神話のヴァーユ(風の神)より。道南自動車フェリー譲渡後、2013年まで運航。
5,193総トン。全長126.2 m、航海速力20.9ノット。
旅客定員520名。車両積載数:トラック98台、乗用車15台。内海造船瀬戸田工場建造。
船名の由来は、北欧神話のヴァン神族(豊穣と平和をつかさどる神)より。2007年9月、高速フェリー「ナッチャンRera」就航にともない一旦は係船されたが、同年11月より青函航路に復帰。道南自動車フェリー譲渡後も5日間だけ運航していたが、青蘭航路から転属した「びなす」と入れ替わる形で引退。
10,715トン。全長112.6 m、幅30.5 m、出力36,000kW、航海速力36ノット(最大速力40ノット級)。
旅客定員772名。車両積載数:トラック56台、乗用車178台。インキャット社(オーストラリア)建造。
船名の由来は「ナッチャンRera」に引き続き「ナッチャン」の呼び名が引き継がれ、世界中から集まった仲間たちがパレードするという船体イラストイメージから、「World」(ワールド)を合わせたもの。2008年5月に就航したが、同年10月31日の運航をもって休止ののち2009年から2012年に夏季繁忙期に臨時運航。また2011年からは防衛省の輸送船としても用いられ青函航路での運航終了後は防衛省のPFI事業船となり、2018年からは観光チャーターにも使用。

運航していた船舶

リベラ継承後

 
へすていあ - 大洗港
 
ニューれいんぼうべる - 大洗港
 
ほるす - 青森港
 
ナッチャンRera - 函館港
 
ファンネルマーク
6,658総トン。全長134.6 m、最大速力20.0ノット
旅客定員450名。車両積載数:トラック96台、乗用車14台。三菱重工業下関造船所建造。
苫小牧 - 八戸航路(川崎近海汽船と共同運航)に就航し、2006年11月のリベラ撤退後も川崎近海汽船が用船し、2021年まで同航路に就航していた。
6,698総トン。全長134.6 m、最大速力20.0ノット。
旅客定員600名。車両積載数:トラック96台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
苫小牧 - 八戸航路(川崎近海汽船と共同運航)に就航し、2006年11月のリベラ撤退後も川崎近海汽船が用船し、2013年まで同航路に就航していた。
5,603総トン。全長126.6 m、最大速力21.5ノット。
旅客定員520名。車両積載数:トラック57台、乗用車93台。内海造船瀬戸田工場建造。
苫小牧 - 八戸航路(川崎近海汽船と共同運航)に就航し、2006年11月のリベラ撤退時に川崎近海汽船がリベラの共同持ち分を譲り受け、2012年まで就航していた。
1993年1月竣工、同年11月就航。13,539総トン。全長192 m、幅27 m、出力35,600馬力、航海速力24ノット。
旅客定員705名。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
大洗 - 室蘭航路に就航。2002年5月の航路休止後は大洗 - 苫小牧航路に配転され、2007年のリベラ撤退後に商船三井フェリーが用船し改称ののち2017年まで運航。
2001年9月竣工。11,401総トン。全長190 m、幅26.4 m、出力39,600馬力、航海速力24.9ノット。
旅客定員154名。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
日本海航路休止後、商船三井フェリーの「さんふらわあ みと」「さんふらわあ つくば」と等価交換され「さんふらわあ しれとこ」に改名し大洗 - 苫小牧航路の深夜便に就航中。
  • (ニューれいんぼうらぶ)(New RAINBOW LOVE)
2001年6月竣工。11,410総トン。全長190m、幅26.4 m、出力39,600馬力、航海速力24.9ノット。
旅客定員154名。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
日本海航路休止後、2007年に商船三井フェリーの「さんふらわあ みと」「さんふらわあ つくば」と等価交換され「さんふらわあ だいせつ」に改名し大洗 - 苫小牧航路の深夜便に就航中。
1994年6月竣工、同年7月就航。7,192総トン。全長136.6 m、幅21 m、航海速力20ノット。
旅客定員600名。車両積載数:トラック95台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
室蘭 - 青森、苫小牧 - 仙台、函館 - 青森航路に就航していたが2007年9月、高速フェリー「ナッチャンRera」就航にともない引退。室蘭港に係船後、2008年韓国・パンスターラインに用船し「パンスター・ハニー」として運航、その後津軽海峡フェリーにて2010年より2016年まで「ブルードルフィン」、2017年より2020年まで「ブルードルフィン2」として再び函館 - 青森航路に就航した。
  • パンスター・ハニー(PANSTAR HONEY)
7,182トン。旅客定員514名。
韓国サンスターラインへ用船され2008年6月16日に釜山 - 金沢間に就航したが、同年10月29日の金沢出港便をもって航路休止。
6,687総トン。全長134.6 m、航海速力20ノット。
旅客定員800名。車両積載数:トラック96台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
1991年就航、室蘭 - 青森航路、苫小牧 - 八戸航路等に就航していたが2006年4月、韓国へ売却。現在はHan Il Express(韓一高速)で、「Hanil Carferry No.1(韓一カーフェリーNo.1)」と改名のうえ、莞島 - 済州島航路に就航。
2,290総トン 全長:98.63 m 航海速力:18.65ノット。
輸送人員:456名 輸送車輌:トラック35台(または乗用車100台) 内海造船瀬戸田工場製造。
1987年就航、函館 - 青森航路に就航。2007年11月引退。
10,712トン。全長112.6 m、幅30.5 m、出力36,000kW、航海速力36ノット(最大速力40ノット級)。
旅客定員774名。車両積載数:トラック56台、乗用車178台。インキャット社(en:Incat)(オーストラリア)建造。
船名の由来は、船体塗装のイラストをデザインした小学生の愛称「ナッチャン」と、アイヌ語で風という意味の「Rera」(レラ)を合わせたもの。2007年9月に就航したが、2008年10月31日をもって運航休止。室蘭港や青森港で係船ののち2012年10月に台湾企業に売却。

(旧)東日本フェリー、九越フェリー

  • ばるな(VARUNA、3代目)(→さんふらわあ さっぽろ(2代目))
1998年8月竣工、同年10月就航。13,654総トン、全長192 m、幅27 m、出力35,600馬力、航海速力24ノット。
旅客定員630名。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
直江津 - 岩内、大洗 - 室蘭航路に就航。2002年5月の大洗 - 室蘭航路休止後は商船三井フェリーが用船し、大洗 - 苫小牧航路に就航。2005年1月に改称および船内を改装し2017年まで同航路の夕方便に就航。
1983年竣工、1998年7月就航。1,581総トン、全長71.6 m。林兼造船建造。
旅客定員220名。車両積載数:トラック18台。
1998年7・8月の三厩 - 福島航路夏季限定運航時に淡路フェリーボートから傭船。限定運航後は長崎港での係船の後インドネシアへ売却。
1990年就航。163総トン、全長30.3 m、幅8.5 m、出力15,200馬力。最大速力45.6ノット(航海速力43ノット)。
旅客定員233名。川崎重工業神戸造船所建造。
函館 - 青森間を1時間40分で運航していたが、自動車の航送ができなかったほか、燃費が悪く、また冬季の欠航多発で採算にあわず1996年に廃止。その後、九州商船に譲渡され、「ぺがさす2」として長崎 - 下五島 - 上五島航路に就航。
  • ゆにこん(unicorn、2代目) - 高速カーフェリー
1997年6月就航。1,498総トン。全長101.0 m、幅14.9 m、出力35,360馬力。最大速力42.4ノット(航海速力35ノット)。
旅客定員423名。車両積載数:大型バス5台、乗用車106台。三菱重工業下関造船所建造。
函館 - 青森間を2時間00分で運航する高速カーフェリー。燃費が悪く、また冬季の欠航多発で採算にあわず2000年11月に廃止。廃止後は三菱重工業で係船ののち、台湾に売却され2006年から2013年頃まで「今日之星」として台南安平港 - 澎湖馬公港間を2時間で夏季運航された。
九越フェリーの直江津 - 博多航路に就航。「ニューれいんぼうべる」就航後、宮崎カーフェリーに売却され「フェリーひむか」に改称。同社の貝塚 - 宮崎航路の廃止にともない売却され「FERRY HIMUKA」に改名。係船後、ギリシャ(HellenicSeaways社)へ売却。九越フェリー時代は「れいんぼうらぶ」とともに映画「白い船」のモデルとなったほか、宮崎カーフェリー時代は映画「LIMIT OF LOVE 海猿」の撮影にも使われるなど、映画と縁の深い船であった。
13,621総トン。全長196 m、航海速力24ノット。
旅客定員450名。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。
九越フェリーの直江津 - 博多航路に就航。映画「白い船」のモデルとなり、映画にはおもに本船が登場した。現在は韓国の威東航運の「New Golden BriageⅤ(ニュー・ゴールデン・ブリッジⅤ:新金橋Ⅴ)」と名前を変え、仁川 - 青島航路に就航している。
  • はあきゆり(HERCULES)
  • 13,403総トン。全長192 m、幅27.0 m。
旅客定員703人。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
直江津 - 岩内、大洗 - 室蘭航路に就航。1992年竣工、2000年ギリシャへ売却。
船名の由来は、ヘラクレス座ならびにギリシャ神話の救世主「ヘーラクレース」より。
13,384総トン。全長192 m、幅27.0 m。
旅客定員700人。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
直江津 - 岩内・室蘭航路に就航、同航路第一船。1990年就航、1999年ギリシャへ売却。
船名の由来は、ギリシャ神話に登場する富と幸運の神で、商業・旅人の守護神「ヘルメース」より。
17,113総トン。全長187 m、幅27.0 m。
旅客定員680人。車両積載数:トラック177台、乗用車116台。三菱重工業下関造船所建造。
大洗 - 室蘭航路に就航。1989年就航、1998年イタリアへ売却。
船名の由来は、ギリシャ神話の勝利の女神「ウィクトーリア」より。
537総トン。全長50.8 m。航海速力13.4ノット。
1970年竣工、元東日本海フェリー・北海商船「第一宗谷丸」。
旅客定員217人。車両積載数:乗用車17台。中村造船鉄工所建造。
福島 - 三厩航路に就航。1989年就航、1992年引退。
6,327総トン。全長134.6 m、幅21 m。
旅客定員600名。車両積載数:トラック96台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
函館 - 青森航路に就航。1988年就航、1995年韓国へ売却。
16,725総トン。全長187.13 m、幅27.0 m。
旅客定員680人。車両積載数:トラック135台、乗用車90台。三菱重工業下関造船所建造。
大洗 - 室蘭航路、仙台 - 苫小牧航路に就航。1987年就航、1999年イタリアへ売却。
2,290総トン。全長98.6 m、幅17.2 m。航海速力18.7ノット。
旅客定員456人。車両積載数:トラック35台。内海造船瀬戸田工場建造。
函館 - 青森航路に就航。1986年竣工、1999年九四フェリーボートへ売却され「九州」として就航。
船名の由来はインド神話の全ての神々の総称より。
5,087総トン。全長126 m、幅20.0 m。航海速力20.9ノット。
旅客定員520人。車両積載数:乗用車15台、トラック98台。内海造船瀬戸田工場建造。
函館 - 青森航路に就航。1986年8月就航、2000年韓国へ売却。
船名の由来は、インド神話の天・空・地の三界に配置された神の総称「ヴェーダ」より。
15,404総トン。全長188 m、幅24.0 m。
旅客定員607人。車両積載数:トラック156台、乗用車100台。内海造船瀬戸田工場建造。
太平洋フェリー「だいせつ」。大洗 - 室蘭航路に就航、同航路第一船。1985年就航、1987年ギリシャへ売却。
5,100総トン。全長126.2 m、幅20.0 m。
旅客定員520人。車両積載数:トラック88台、乗用車15台。内海造船瀬戸田工場建造。
室蘭 - 八戸、苫小牧 - 八戸、函館 - 青森航路に就航。1983年竣工。
船名の由来はアルゴ座のそばを泳ぐように見えるところから命名された「とびうお座」より。
1979年10月竣工。3,774総トン、全長114 m、全幅19.0 m、出力12000馬力、最大速力21ノット。
旅客定員520名。車両積載数:トラック40台、乗用車50台。今治造船今治工場建造。
シルバーフェリーとの共有船。1988年引退。その後Han Il Express(韓一高速)で、「Hanil Carferry No.2(韓一カーフェリーNo.2)」と改名のうえ、莞島~済州島航路に就航。
3,664総トン。全長120 m、幅17.8 m。航海速力20.0ノット。
旅客定員500名。車両積載数:トラック81台、乗用車18台内海造船瀬戸田工場建造。
室蘭 - 青森、函館 - 青森、室蘭 - 大畑航路に就航。車両積載数:トラック82台、乗用車19台。
1979年9月竣工、2001年10月引退。
船名の由来はアルゴ座を四分割したうちの一つである帆座より。
3,664総トン。全長120.5 m、幅17.8 m。航海速力20.0ノット。
旅客定員500名。車両積載数:トラック82台、乗用車19台。内海造船瀬戸田工場建造。
室蘭 - 青森、函館 - 青森航路に就航。1979年竣工、1996年引退。
船名の由来はギリシャ神話で天の神クロノスと地の女神レアーの間に生まれた3人娘の1人で炉辺の女神「ウェスタ」より。
3,472総トン。全長120.78 m、幅17.2 m。航海速力20.0ノット。
旅客定員387名。車両積載数:8tトラック45台、乗用車40台。内海造船田熊工場建造。
大畑 - 室蘭、八戸 - 苫小牧、青森 - 函館航路に就航。1975年竣工、1994年フィリピンへ売却。
6,709総トン。全長136.58 m、幅21.0 m。
旅客定員712名。車両積載数:トラック104台。内海造船瀬戸田工場建造。
仙台 - 苫小牧航路に就航。1974年竣工、1989年売却。
6,702総トン。全長136.58 m、幅21.0 m。
旅客定員:617名。車両積載数:トラック104台。内海造船瀬戸田工場建造。
仙台 - 苫小牧、八戸 - 苫小牧航路に就航。1973年竣工、1988年売却。
  • 第六青函丸
3,499総トン。全長120.54 m、幅16.8 m。
旅客定員695名。車両積載数:トラック50台または乗用車126台。下田船渠建造。
函館 - 青森、室蘭 - 青森航路に就航。1973年竣工、1992年売却。
  • 第七青函丸
3,450総トン。全長120.54 m、幅16.8 m。
旅客定員695名。車両積載数:トラック50台または乗用車126台。内海造船田熊工場建造。
函館 - 青森、室蘭 - 青森航路に就航。1973年竣工、1992年売却。
  • 第二室蘭丸
1,215総トン。全長74.7 m、幅14.2 m。航海速力17.4ノット。
旅客定員346名、車両積載数:トラック24台。楢崎造船建造。
室蘭 - 大間、函館 - 野辺地航路に就航。1971年就航、1991年売却。
  • 室蘭丸
1,215総トン。全長74.7 m、幅14.2 m。航海速力17.4ノット。
旅客定員500名、車両積載数:8トントラック23台。楢崎造船建造。
室蘭 - 大間航路に就航。1970年就航、1986年売却。
  • 第一陸奥丸
1,226総トン。全長74.7 m、幅14.2 m。航海速力17.4ノット。
旅客定員500名、車両積載数:8トントラック23台。日立造船田熊工場建造。
函館 - 野辺地航路に就航。1969年就航、1983年売却。
479総トン。全長48.35 m。下田船渠建造。
函館 - 大間航路に就航。1965年就航、1971年東日本海フェリーに売却。
451総トン。全長44.0 m、幅11.2 m。
旅客定員256名。下田船渠建造。
函館 - 大間航路に就航。道南海運時代の1964年就航、1969年貨物船に改造、1972年引退。
日本初の外洋カーフェリー。
  • さっぽろ丸[3]
372.03総トン。全長41.38 m、幅8.20 m、深さ3.75 m、出力450馬力。航海速力11.0ノット。
旅客定員14名。播磨造船建造。内航貨物船。
函館 - 青森航路に就航。1957年建造、1968年就航、1973年売船。
  • 第三歓栄丸[3]
237.69総トン。全長37.80 m、幅8.0 m、深さ3.0 m、出力350馬力。航海速力9.5ノット。
旅客定員5名。函館どつく建造。内航貨物船。
函館 - 青森航路に就航。1962年建造、1968年就航、1972年売船。
  • 第二八千代丸[3]
73.60総トン。全長22.03 m、幅4.64 m、深さ2.21 m、出力180馬力。航海速力9.60ノット。
旅客定員20名。福井造船建造。
函館 - 大間 - 佐井航路に就航。1963年建造、1967年就航、1973年売船。
  • せいらん丸[3]
297.23総トン。全長38.83 m、幅8.00 m、深さ3.10 m、出力630馬力。航海速力10.50ノット[3]
旅客定員12名、函館どつく建造、内航貨客船[3]。車両積載数:小型乗用車約50台[91]
室蘭 - 青森航路に就航。1964年建造、1968年就航、1973年売船。
  • まつまえ[3]
310.04総トン。全長39.74 m、幅10.40 m、深さ4.45 m、出力500馬力。航海速力10.60ノット。
旅客定員87名、車両積載数:トラック8台。東北造船建造。
室蘭 - 青森航路に就航。1964年建造、1968年就航、1973年売船。
990.10総トン。全長69.80 m、幅14.20 m、深さ4.45 m、出力2,660馬力。航海速力15.50ノット。
旅客定員188名、車両積載数:トラック21台。日立造船田熊工場建造。
函館 - 青森航路に就航。1967年建造、1968年就航、1976年売船。
980.02総トン。全長69.80 m、幅14.20 m、深さ4.45 m、出力2,660馬力。航海速力15.50ノット。
旅客定員188名、車両積載数:トラック21台。日立造船田熊工場建造。
青森 - 室蘭航路に就航。1967年建造、1968年就航、1976年売船。
  • 第二青函丸[3]
999.48総トン。全長68.00 m、幅14.20 m、深さ4.45 m、出力2,660馬力。航海速力15.50ノット。
旅客定員240名、車両積載数:トラック22台。日立造船田熊工場建造。
函館 - 大間航路に就航。1968年就航、1981年売船。
  • 第三大函丸[3]
804.11総トン。全長61.00 m、幅12.80 m、深さ3.96 m、出力1,500馬力。航海速力15.50ノット。
旅客定員453名、車両積載数:トラック18台。下田船渠建造。
函館 - 青森航路に就航。1968年就航、1987年売船。
  • 第五青函丸[3]
997.41総トン。全長68.00 m、幅14.20 m、深さ4.40 m、出力2,660馬力。航海速力15.50ノット。
旅客定員240名、車両積載数:トラック22台。日立造船田熊工場建造。
函館 - 青森航路に就航。1968年就航、1981年北海商船に売船[92]
  • 第五大函丸[3]
788.49総トン。全長61.00 m、幅12.80 m、深さ3.96 m、出力1,500馬力。航海速力15.50ノット。
旅客定員452名、車両積載数:トラック18台。楢崎造船建造。
函館 - 大間航路に就航。1969年就航、1988年売船。
  • 第一陸奥丸[3]
1231.80総トン。全長74.70 m、幅14.20 m、深さ4.70 m、出力6,400馬力。航海速力18.50ノット。
旅客定員357名、車両積載数:トラック24台。日立造船田熊工場建造。
函館 - 野辺地航路に就航。1969年就航、1983年売船。
1215.44総トン。全長74.70 m、幅14.20 m、深さ4.70 m、出力6,400馬力。航海速力18.50ノット。
旅客定員346名、車両積載数:トラック24台。楢崎造船建造。
室蘭 - 大間航路に就航。1969年建造、1970年就航、1986年売船。
  • 第二陸奥丸[3]
1231.80総トン。全長74.70 m、幅14.20 m、深さ4.70 m、出力6,400馬力。航海速力18.50ノット。
旅客定員357名、車両積載数:トラック24台。日立造船田熊工場建造。
函館 - 大間航路に就航。1970年就航、1977年売船。
  • 第六大函丸[3]
786.02総トン。全長61.35 m、幅12.80 m、深さ4.00 m、出力2,000馬力。航海速力13.78ノット。
旅客定員618名、車両積載数:トラック18台。楢崎造船建造。
函館 - 大間航路に就航。1970年就航、1977年売船。
  • 第十函館丸[3]
1495.27総トン。全長82.80 m、幅16.20 m、深さ5.10 m、出力5,320馬力。航海速力17.50ノット。
旅客定員279名、車両積載数:トラック33台。楢崎造船建造。
函館 - 野辺地航路に就航。1971年建造、1976年就航、1986年売船。
  • 第十一函館丸[3]
1492.80総トン。全長82.80 m、幅16.20 m、深さ5.10 m、出力5,320馬力。航海速力17.50ノット。
旅客定員285名、車両積載数:トラック33台。楢崎造船建造。
函館 - 野辺地航路に就航。1971年建造、1976年就航、1986年売船。
  • 第七大函丸[3]
794.40総トン。全長56.95 m、幅12.80 m、深さ4.00 m、出力2,000馬力。航海速力13.63ノット。
旅客定員534名、車両積載数:トラック18台。中村造船建造。
戸井 - 大間航路に就航。1971年就航、1991年売船。
  • 第三陸奥丸[3]
1221.91総トン。全長74.70 m、幅14.20 m、深さ4.70 m、出力6,400馬力。航海速力18.50ノット。
旅客定員346名、車両積載数:トラック24台。中村造船建造。
函館 - 青森航路に就航。1971年就航、1991年売船。
  • 第八陸奥丸[3]
1223.61総トン。全長74.70 m、幅14.20 m、深さ4.70 m、出力3,200馬力。航海速力17.40ノット。
旅客定員346名、車両積載数:トラック23台。楢崎造船建造。
函館 - 青森航路に就航。1971年就航、1983年売船。
  • 野辺地丸[3]
1479.13総トン。全長82.90 m、幅16.20 m、深さ5.10 m、出力6,400馬力。航海速力18.00ノット。
旅客定員200名、車両積載数:トラック35台。日魯造船建造。
函館 - 野辺地航路に就航。1973年就航、1987年売船。

他社就航後の状況

マスメディア

提供番組
登場作品

脚注

  1. ^ a b 会社紹介 新東日本フェリー株式会社 - 旅客船104号(日本旅客船協会)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「社史 創業より二十年」1986年・東日本フェリー
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg 「東日本フェリー30年史」1995年・東日本フェリー
  4. ^ 北海道大百科事典<下> 「東日本フェリー」 - 北海道新聞社(1981年)
  5. ^ 落成披露やめ300万円を道新福祉基金へ KK蔦井本社 - 北海道新聞1981年6月7日朝刊
  6. ^ a b 直江津〜博多に大型F ハヤシマリン・東日本Fの新会社(内航近海海運速報版 1991年12月12日)
  7. ^ a b c d e f g 船のみどころみせどころ 日本海にヨーロピアンスタイルのフェリーが登場 "れいんぼう べる" 船舶整備公団/九越フェリー(海事総合誌Compass 1996年5月号)
  8. ^ a b タブーの山陰沖(直江津〜博多)に挑戦する東日本Fの計算(内航近海海運1992年2月号)
  9. ^ a b 創業30周年を経て日本最大のフェリー航送内航海運業にのし上がった東日本フェリー株式会社 - はこだて財界1995年9月号(函館財界問題研究所)
  10. ^ 出足絶不調の九越フェリー直江津〜博多 消席率は15〜20%(内航近海海運1996年8月号)
  11. ^ デイリー化後も苦戦続く九越フェリー(内航近海海運1997年6月号)
  12. ^ a b 九越フェリー 来月1日から 室蘭 博多週3便 - 北海道新聞1998年8月26日夕刊2面
  13. ^ 東日本フェリー/運営体制見直しで回復傾向 - 日本海事新聞 1998年10月19日
  14. ^ - Internet Archive
  15. ^ 本道-九州初の日本海航路*九越フェリー開設へ - 1994年12月8日 北海道新聞朝刊8面
  16. ^ 本道-九州間の日本海航路実現*来春から*九越フェリー認可で - 1995年4月20日 北海道新聞朝刊4面
  17. ^ 海路 九州と一直線 - 1996年4月10日 北海道新聞朝刊25面
  18. ^ 九越フェリーあすから毎日運航 室蘭-博多の所要時間 丸1日も短縮 貨物輸送増に期待 - 北海道新聞1997年3月16日朝刊道央版27面
  19. ^ 室蘭-直江津-博多 乗り換えなしで快適 長距離フェリー 室蘭港に初便 - 北海道新聞1998年9月3日朝刊1面
  20. ^ 九越フェリー/博多-直江津航路、週6往復から3往復に減便 - 日本海事新聞 1998年9月7日
  21. ^ 九越フェリー/22日から本社移転 - 日本海事新聞 1999年2月10日
  22. ^ a b c d e f 「東日本フェリー会社更生法申請」『茨城新聞』、2003年6月30日付日刊、A版、1面。
  23. ^ a b c d - 東日本フェリー(Internet Archive)
  24. ^ a b c ツタイ商事再生法申請 負債93億円クワザワ支援へ - 北海道新聞2005年3月15日朝刊
  25. ^ 会社概要 - アイビー・システム
  26. ^ - ツタイ・コンピュータ・サービス(Internet Archive)
  27. ^ 東日本フェリー 道内-青森3航路撤退 11月末までに 高速船売却も[] - 北海道新聞(2008年9月4日)
  28. ^ 室蘭-青森航路の廃止を発表 東日本フェリー[] - 北海道新聞(2008年10月15日)
  29. ^ 函館 - 大間航路 1年継続を正式合意 青森県など支援 1億2千万円上限[] - 北海道新聞(2008年10月15日)
  30. ^ 【プレスリリース】函館〜大間航路の平成22年9月以降のフェリー運航について
  31. ^ a b - 津軽海峡フェリー(Internet Archive)
  32. ^ a b c 市民生活の諸相(コラム)『函館・大間間カーフェリーの就航 「函館市大間町」の出現』(函館市史デジタル版 通説編第4巻第7編 コラム46) - 函館市
  33. ^ a b c d e f 戦後の函館の歩み『フェリーブーム』(函館市史デジタル版 通説編第4巻第6編) - 函館市
  34. ^ 青森県史資料編近現代6 車両の往来ぐんと増 1965年2月1日 東奥日報夕刊 - 青森県史デジタルアーカイブスシステム
  35. ^ 『東日本』が独占へ/本州―北海道フェリー 東奥日報1967年5月12日 - 青森県史デジタルアーカイブスシステム
  36. ^ a b c d e f g h i j 室蘭港の歴史 - 室蘭港
  37. ^ a b c d 戦後の函館の歩み『野辺地航路と七重浜ターミナル基地』(函館市史デジタル版 通説編第4巻第6編) - 函館市
  38. ^ 函館ドックがフェリー航路運営のために設立した子会社。日魯漁業とも提携。
  39. ^ 戸井町史 第七章 交通運輸と通信の沿革 第四節 戸井・大間間のフェリーボート - 函館市地域史料アーカイブ (ADEAC)
  40. ^ a b - 苫小牧民報(1999年12月10日)(Internet Archive)
  41. ^ 新室蘭市史第五巻付 室蘭市年表
  42. ^ 北海道と本州を結ぶ海の動脈東日本フェリーの戦略的投資七重浜埠頭完成 - はこだて財界1983年8月号(函館財界問題研究所)
  43. ^ 大洗開設で子会社を合併 東日本F(内航近海海運速報版 1984年10月30日)
  44. ^ 岩内町 教育委員会:文化:歴史詳細>平成2年(1990)
  45. ^ ユニーク構造自慢 新ターミナル完成*東日本フェリー - 1994年4月19日 北海道新聞夕刊10面
  46. ^ a b (Internet Archive 2000年11月5日付キャッシュ)
  47. ^ 東日本フェリー 岩内-直江津間*運航再開 当面見送り*貨物減で - 1999年12月10日 北海道新聞朝刊11面
  48. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  49. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive 2001年12月12日付キャッシュ)
  50. ^ 商船三井フェリーと東日本フェリー/北海道-北関東航路で提携に向け検討。共同配船など視野。フェリーでも協調の動き - 日本海事新聞2002年3月6日
  51. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive 2002年6月3日付キャッシュ)
  52. ^ 大洗フェリー最後の船出 17年余の歴史に幕 - 室蘭民報 2002年6月2日
  53. ^ - 商船三井フェリー(Internet Archive)
  54. ^ 更生手続き中の東日本フェリー/常石グループが支援 - 日本海事新聞2003年12月4日
  55. ^ 東日本フェリーグループ/大口債権者との調整で更生計画案提出延期 - 日本海事新聞2004年5月25日
  56. ^ 常石グループ/東日本フェリーの支援断念、債権者との債務減免調整つかず - 日本海事新聞2004年7月30日
  57. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  58. ^
  59. ^
  60. ^
  61. ^
  62. ^ リベラ/金沢・境港に試験寄港。日本海航路の需要拡大へ - 日本海事新聞2006年6月14日
  63. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  64. ^ a b c
  65. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  66. ^ ズームアイ ネクスト岩村大樹さん 夢は「世界相手に事業」 - 物流ニッポン 2010年8月26日
  67. ^ ネクスト社長岩村大樹氏 最善尽くし即行動 関西エリア 拠点新設を視野 - 物流ニッポン 2017年1月2日
  68. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  69. ^ - 商船三井フェリー
  70. ^ 沿革 - 商船三井フェリー
  71. ^ “フォト海道「東日本フェリー*「つくば」が室蘭に帰港*航路再開時期は未定」”. 北海道新聞社. 2017年5月15日閲覧。
  72. ^ “フォト海道「室蘭港*日本海航路に4月以降就航*「つくば」停泊」”. 北海道新聞社. 2017年5月15日閲覧。
  73. ^ “フォト海道「<地域の経済>室蘭*唯一残るフェリー青森航路*高速船導入に期待*青函の効果 関係者注目 」”. 北海道新聞社. 2017年5月15日閲覧。
  74. ^ a b - デーリー東北 2007年1月26日(Internet Archive)
  75. ^ a b - 東日本フェリー(Internet Archive)
  76. ^ a b - 東日本フェリー(Internet Archive)
  77. ^ - 東奥日報(Internet Archive)
  78. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  79. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  80. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  81. ^ 金沢-釜山に旅客航路 6月初就航、週1往復 - 環日本海経済研究所
  82. ^ 金沢-釜山定期フェリー就航 観光・物流の基盤拡充 - 日本経済新聞2008年6月18日北陸版
  83. ^
  84. ^ 企業情報 グループ沿革 - リベラグループ
  85. ^ a b - 東日本フェリー(Internet Archive)
  86. ^ - 東日本フェリー(Internet Archive)
  87. ^ a b 日本海航路 金沢にも寄港*東日本フェリー社長が方針*観光需要にプラス*週1へ減便*業者、打撃も - フォト北海道(北海道新聞社 2007年1月26日)
  88. ^ a b カーフェリー長距離時代へ室蘭、苫小牧-鹿島(茨城)に新航路 大型高速船を建造東日本フェリーが申請46年秋運航見込む - 北海道新聞1969年10月2日朝刊
  89. ^ フェリー開設申請続々 ことしは二航路戸井-大間、函館-野辺地 来年は苫小牧-東京も - 北海道新聞1971年2月6日朝刊5面
  90. ^ 室蘭~新潟航路を計画 東日本F - 内航近海海運速報版1986年9月20日号(内航ジャーナル)
  91. ^ 本道と本州を結ぶ初のフェリーボート(自動車専用船)函館ドックで進水 - 北海道新聞1964年1月30日朝刊
  92. ^ 小樽市史第7巻(1993年 小樽市)1106頁

外部リンク

  • 津軽海峡フェリー - 東日本フェリーの吸収合併先
  • 東日本フェリー - 津軽海峡フェリーへのリンクのみ
  • - リベラ傘下時代、2008年3月28日時点
  • - 会社更生法申請前時代、2003年4月26日時点
  • デジタル函館市史 - 通説編第4巻第6編「戦後の函館の歩み フェリーブーム」のページに、旧東日本フェリー草創期の記述あり
  • - 2004年4月2日時点


ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。