村瀬 継蔵(むらせ けいぞう[1][2]、1933年〈昭和10年〉[2][3]10月5日[1] - )は、怪獣などのぬいぐるみ(着ぐるみ)、造形物製作者。造形美術会社「有限会社ツエニー」会長[4]。北海道出身[1][2][5]。瑞穂町を拠点に活動している[6]。
経歴
23歳で上京し、1957年にアルバイトとして東宝の特殊美術に参加し[7][1]、1958年に東宝へ正式に入社[8][1][2]。同年の『大怪獣バラン』や、1963年の『マタンゴ』などの着ぐるみ造形を助手として手がける[8][1][2]。
1965年には、知人の劇団へ移籍するという形で五社協定を乗り越え[9]、大映初の怪獣映画となる『大怪獣ガメラ』も手がけた[8][2]。この仕事をきっかけに東宝から独立してエキスプロダクションの設立に参加し[8][1]、テレビの『快獣ブースカ』や『キャプテンウルトラ』などを担当した後、1967年には韓国初の怪獣映画『大怪獣ヨンガリ』、1969年には台湾映画『乾坤三決斗』の造形も手がけている。
1970年に開催された日本万国博覧会では、テーマ館「太陽の塔」の内部に建つ「(生命の樹)」に取りつけられた恐竜を、円谷英二の紹介でいくつか手がけている[10]。
1972年にはエキスプロから独立し、造形美術会社「ツエニー」を設立[8][1]。折からの変身怪獣ブームに伴って、『仮面ライダー』『超人バロム・1』『ウルトラマンA』『人造人間キカイダー』『クレクレタコラ』などを手がけることになり、1976年には香港のショウ・ブラザーズに招かれて『蛇王子』の造形を担当。翌年の1977年には『北京原人の逆襲』の造形以外にも、火だるまとなった北京原人が高層ビルのセットから落下する場面のスタントも演じている[2]。その後は『帝都大戦』(1988年)や『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)などのセットや造形を手がけた。
現在は映画、テレビ以外にも、CM映像や劇団四季の舞台造形・美術など幅広い活躍をしている。
子息の「村瀬文継」「村瀬直人」も造形スタッフとしてツエニーで活動し、文継は後に独立して自身の造形会社「株式会社フリース」を設立して活動している[11]。直人はツエニーに残り、継蔵より経営を引き継いで代表取締役として活動している。
エピソード
東宝でアルバイトを務めたきっかけは、東宝で造形を手掛けていた八木康栄・八木勘寿兄弟と村瀬の実兄である「村瀬継雄」が知り合いであり、前任のアルバイトであった鈴木儀雄が学業により参加できなくなったため、八木兄弟から相談を受けた継雄が継蔵を紹介したことからであった[12]。
東宝では八木兄弟に師事し、特に勘寿には世話になったという[7]。東宝当時は安月給のため、朝食はコッペパン1個で昼食は食べず、会社から食事が出る残業の時が唯一の楽しみであったという[7]。ある日、村瀬が昼食を食べていないことに気づいた勘寿にラーメン屋に連れて行かれ、村瀬はその時食べたラーメンの味が後年でも忘れられないと語っている[7]。また、生活の辛さから仕事を辞めようと思っていることを勘寿に告げたところ、勘寿は「この仕事は子供たちに夢と幸せを売る商売だ」と諭され、一生の仕事として続けることを決心したという[7]。後年には勘寿の息子である八木正夫とともにエキスプロダクションを設立したが、村瀬は正夫を手伝ったのは勘寿の遺言のようなかたちであったと述べている[7]。
村瀬は、仕事で一番嬉しく感じたのは、『宇宙大怪獣ドゴラ』でソフトビニールを加工してドゴラの触手を作ることに成功し、円谷英二が喜んだことであったと語っている[7]。
参加作品
映画
公開年 | 作品名 | 制作 | 所属 | 担当キャラクター |
---|---|---|---|---|
1958年 | 美女と液体人間[3] | 東宝 | 東宝 | |
大怪獣バラン | バラン[12][3] | |||
1959年 | 日本誕生 | 八岐大蛇[12] | ||
1961年 | モスラ | |||
1962年 | キングコング対ゴジラ | |||
妖星ゴラス | マグマ[13] | |||
1963年 | マタンゴ | マタンゴ[14] | ||
1964年 | 宇宙大怪獣ドゴラ | ドゴラ[12][15] | ||
モスラ対ゴジラ | モスラ[15] | |||
三大怪獣 地球最大の決戦 | ||||
1965年 | フランケンシュタイン対地底怪獣 | |||
大怪獣ガメラ | 大映 | (東宝) | ガメラ[14] | |
1966年 | 大魔神怒る | エキスプロダクション | 大魔神[16] | |
大魔神逆襲 | ||||
1967年 | 大怪獣ヨンガリ | 極東フィルム | ヨンガリ[16] | |
1969年 | 封神榜 | (台湾映画) | 竜宮兵[16] | |
乾坤三決闘 | ||||
1975年 | メカゴジラの逆襲 | 東宝 | ツエニー | チタノザウルス[5][17] |
1976年 | 蛇王子 | ショウ・ブラザーズ | 大蛇[17] | |
1977年 | 北京原人の逆襲 | 北京原人[17] | ||
1986年 | セブンス・カース | (香港映画) | ゾンビ[17] | |
1991年 | ゴジラvsキングギドラ | 東宝 | ||
1992年 | ゴジラvsモスラ | モスラ(幼虫、成虫)[5][18] | ||
2019年 | 狭霧の國 | LosGatos Works | ネブラ | |
2022年 | 神の筆 | ヤマタノオロチ |
テレビ
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h 東宝ゴジラ会 2010, p. 66, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW4 村瀬継蔵」
- ^ a b c d e f g モスラ映画大全 2011, pp. 30–35, 聞き手・中村哲 友井健人「インタビュー 造型 村瀬継蔵」
- ^ a b c 村瀬継蔵 2015, pp. 258–259, 「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」
- ^ “会社概要”. ツエニー. 2021年5月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 東宝チャンピオンまつりパーフェクション 2014, p. 109, 「東宝チャンピオンまつり 造形メイキング」
- ^ . 首都圏のニュース (NHK). (2019年8月2日). オリジナルの2019年8月2日時点におけるアーカイブ。 2021年5月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g 大ゴジラ図鑑 1995, pp. 74–75, 村瀬継蔵「[特別寄稿]特美時代の思い出」
- ^ a b c d e “平成25年度メディア芸術情報拠点・コンソーシアム構築事業 日本特撮に関する調査” (pdf). 森ビル. p. 45 (2014年3月). 2021年5月31日閲覧。
- ^ “「ガメラ」特殊造形スタッフが47年前の衝撃撮影エピソードを告白”. 映画.com (エイガ・ドット・コム). (2012年11月25日)2021年5月31日閲覧。
- ^ “怪獣造形のレジェンド 村瀬継蔵が挑む最初で最後の監督作 劇場用特撮映画『神の筆』制作支援プロジェクト”. MotionGallery. 2021年10月23日閲覧。
- ^ [1]「株式会社フリース」facebook内2021年5月5日分記事
- ^ a b c d e f 東宝ゴジラ会 2010, pp. 67–73, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW4 村瀬継蔵」
- ^ a b c d 村瀬継蔵 2015, pp. 260–261, 「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」
- ^ a b c d 村瀬継蔵 2015, pp. 264–265, 「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」
- ^ a b c d 村瀬継蔵 2015, pp. 262–263, 「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」
- ^ a b c d e f g h i 村瀬継蔵 2015, pp. 266–267, 「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」
- ^ a b c d e f g h i j 村瀬継蔵 2015, pp. 268–269, 「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」
- ^ a b c 村瀬継蔵 2015, pp. 270–271, 「村瀬継蔵インタビュー 村瀬継蔵 造形人生」
参考文献
- 『幻想映画美術体系 大ゴジラ図鑑』[監修] 西村祐次、[構成] ヤマダマサミ、ホビージャパン、1995年1月27日。ISBN (4-89425-059-4)。
- 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN (978-4-86248-622-6)。
- 『別冊映画秘宝 モスラ映画大全』洋泉社〈洋泉社MOOK〉、2011年8月11日。ISBN (978-4-86248-761-2)。
- 電撃ホビーマガジン編集部 編『ゴジラ 東宝チャンピオンまつり パーフェクション』KADOKAWA(アスキー・メディアワークス)〈DENGEKI HOBBY BOOKS〉、2014年11月29日。ISBN (978-4-04-866999-3)。
- 村瀬継蔵『怪獣秘蔵写真集 造形師村瀬継蔵』監修 西村祐次/若狭新一、洋泉社、2015年9月24日。ISBN (978-4-8003-0756-9)。
- DVD『北京原人の逆襲』付属ブックレット 発売元:キングレコード