小谷 承靖 (こたに つぐのぶ、1935年12月21日 - 2020年12月13日) は、日本の映画監督・演出家・脚本家。
来歴・人物
東京府東京市杉並区出身で、小学校2年生まで東京で育つ[2]。公職追放になった父の故郷・鳥取県東伯郡西郷村の村長の後釜を引き受けたため[1][2]、1944年3月末、当地に引っ越す[2]。県立倉吉東高校卒業まで鳥取で過ごし、東京に戻りたくて[2]、一浪後東京大学文学部フランス文学科入学を機に東京へ戻る[2]。同時期に大江健三郎・久世光彦が在学していた[2]。この2人は東大在学中から目立つ存在で、次第に落ちこぼれて映画に方向転換した[2]。
大学卒業後、1960年に、暮しの手帖社と東宝の入社試験を受け、東宝に入社[2]。他の映画会社は募集はなく[2]、東宝もコネがないと入りにくかったが[2]、400人近い応募で30~40人程度が採用され[2]、同期は小谷と奈良正博、針生宏、千葉隆司(成瀬巳喜男と千葉早智子の子)、久松正明(久松静児の子)、河崎義祐(宣伝部配属)、橋本幸治(美術課配属)の7人が撮影所入りし[2]、監督になったのは、小谷、河崎、橋本の3人だった。1961年、稲垣浩監督・円谷英二特技監督の『ゲンと不動明王』で初めて(助監督)に就く[2]。
1964年には東宝のヨーロッパロケ企画の準備のために渡欧し、『はなればなれに』撮影中のジャン=リュック・ゴダールの演出を見学[2]。同年のカンヌ映画祭では藤本眞澄、浜美枝とゴダールとの通訳を務め、東京オリンピック開催を機に帰国。
1967年、坂野義光、西村潔らと水中撮影班「東宝フロッグメンパーティ」を結成し[2]、『南太平洋の若大将』の水中撮影に協力。同年、『ドリフターズですよ!前進前進また前進』でチーフ助監督に昇進し、翌年、『クレージーメキシコ大作戦』(坪島孝監督)では劇中のショー場面の演出を担当した[2]。その後、1968年から1969年にかけて、恩地日出夫と共に、大阪万博電力館で上映された(マルチスクリーン)映画『(太陽の狩人)』の助監督、B班監督として世界を巡る。
1970年、映画『俺の空だぜ!若大将』で監督デビュー[2]。主演の加山雄三とはザ・ビートルズ来日時、一緒に赤坂ヒルトンで会うなど親交があり、この作品の前にも加山のコンサートの記録映画『(歌う!若大将)』で監督昇進の話もあったが、「本編じゃないんだろ?そんなもので監督になるな」という恩地のアドヴァイスで見送っている(替わりに引き受けた長野卓は、結局このあと劇場映画を監督する機会を得られずに終わった)[2]。また、この年から団令子主演の連続テレビドラマ『(Oh.カンパク君!)』(関西テレビ)でテレビドラマの監督も務めた[2]。
1973年、ランキン・バス・プロと東宝映像の合作ミュージカル映画で、ゼロ・モステル主演『(Marco)』の共同監督をセイモア・ロビーと共に務める。同年には、石原プロモーション製作、渡哲也主演によるバイオレンス・アクション映画『ゴキブリ刑事』に東宝から監督として参加。
日本国外での仕事はトム・コタニでクレジットされ、他には『極底探険船ポーラーボーラ』、『バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター!』、『(The Ivory Ape)』(未公開、1980年アメリカでテレビ放映)、千葉真一・丹波哲郎・三船敏郎や英米俳優が出演し、幕末をテーマにした作品『武士道ブレード』(1981年)などがある。
1974年、フォーリーブス主演の『(急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS)』を監督。小谷にとって初めてのアイドル映画となった[2]。『ピンク・レディーの活動大写真』ではピンク・レディー、『愛の嵐の中で』で桜田淳子、『ホワイト・ラブ』で山口百恵と三浦友和、『(すっかり…その気で!)』でビートたけし、『(潮騒)』で堀ちえみ、それぞれの主演作品を手がける。 また1975年には、東宝による一般公募で「最も映画化して欲しい外国文学」に選ばれたツルゲーネフ原作『はつ恋』の映画化作品を監督。現在でも根強い人気のある文芸映画となった。
1985年にフリーランスとなり、テレビ映画・ビデオムービーなどのジャンルで活動。2009年より、青春期を過ごした鳥取県を舞台とした谷口ジローの劇画『父の暦』映画化を企画。2011年11月13日には同作品を朗読劇化、自らの演出で鳥取市民会館大ホールで上演された。
監督作品
映画
公開年 | 作品名 | 製作 |
---|---|---|
1970年 | 俺の空だぜ!若大将 | 東京映画 |
1971年 | (夕日くん サラリーマン脱出作戦) | 東宝 |
1973年 | ゴキブリ刑事 | 石原プロ |
(夕日くん サラリーマン仁義) | 東宝 | |
ザ・ゴキブリ | 石原プロ | |
(Marco)(共同監督) | ランキン・バス・プロ / 東宝映像 | |
1974年 | (急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS) | 東宝・ジャニーズ事務所 |
1975年 | がんばれ!若大将 | 東宝 |
はつ恋 | 東宝 | |
1976年 | 激突!若大将 | 東宝 |
1977年 | 極底探険船ポーラーボーラ | ランキン・バス・プロ / 円谷プロ |
1978年 | 愛の嵐の中で | 東京映画・サンミュージック |
バミューダの謎/魔の三角水域に棲む巨大モンスター! | ランキン・バス / 円谷プロ | |
ピンク・レディーの活動大写真 | (T&Cミュージック) | |
1979年 | ホワイト・ラブ | ホリ企画制作 |
1980年 | The Ivory Ape | ランキン・バス・プロ / 円谷プロ |
1981年 | 帰ってきた若大将 | 東宝・(加山プロ) |
武士道ブレード | ランキン・バス・プロ / トライデント | |
(すっかり…その気で!) | (田中プロ) | |
1982年 | (コールガール) | 松竹 |
1984年 | F2グランプリ | 東宝 |
1985年 | (潮騒) | ホリ企画制作 |
テレビドラマ
出演
映画
脚本
映画
- ザ・ゴキブリ(1973年、東宝)
脚注
- ^ a b 倉吉市名誉市民 | 倉吉市行政サイト
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 寺岡ユウジ「小谷承靖インタビュー 『海外の現場で学んだことがアイドル映画で役に立ちました』」『映画論叢』第27巻2011年7月15日発行、国書刊行会、99–124頁。
- ^ "[訃報]小谷承靖さん 映画監督". 沖縄タイムスプラス. 沖縄タイムス社. 19 December 2020. 2020年12月19日閲覧。
- ^ 『呪死霊 外伝』というタイトルでビデオ発売