大月駅列車衝突事故(おおつきえきれっしゃしょうとつじこ)は、1997年(平成9年)10月12日に東日本旅客鉄道 (JR東日本) 中央本線の大月駅で発生した列車衝突事故である。
事故の概況
1997年10月12日20時2分頃、大月駅下り本線を約2分遅れて約105 km/hで通過中の特急スーパーあずさ13号[4](新宿駅発松本駅行き、E351系12両編成)の右側面に、入換中[5]の車両(201系6両[6])が約 25km/hで衝突。特急列車は前から4両目(9号車)から8両目(5号車)にかけて脱線、8号車は横転した。回送車両も先頭車と2両目が脱線した。この事故で、松本市の21歳の女性が脳挫傷で重傷を負うなど[7]、回送電車の運転士を含む78名が重軽傷を負ったとされる[1][2]。この影響で、中央本線は四方津駅 - 甲斐大和駅間が[7]14日の朝7時頃まで不通となり[8]、上下合わせて158本が運休、54,000人に影響が出た[9]。運休期間中に動員された代替バスは、72台にのぼった[7]。
また、事故後、大月駅構内には警察によって押収された形となった事故車両の一部が残され、その撤去は1998年2月まで着手されなかった[10]。
なお、運転士が業務上過失傷害などに問われた裁判の甲府地裁判決では、乗客62人の負傷が認定された[11]。
原因
回送車両は、通常作業では東京駅から10両編成の中央特快として大月駅4番線に到着後、富士急行線河口湖駅行きの後部4両を切り離し、スーパーあずさ13号の通過(定刻では20時ちょうど)の後、20時8分に下り本線に移動することになっていた(なお、通常この取り扱いでは、入換信号での入換作業となるが、下記のように信号の誤認が直接の起因となっている)。
当日は特急列車が遅れており、回送車両の運転士は下り本線の特急に対する進行現示を自車両に対してのものと誤認し、停止現示を見落としていた。なお、ATS(ATS-SN型)に故障などは見られず、回送車両の運転士がATSを切っていたとされる[11]。
対策
この事故の後、東日本旅客鉄道は、ATSを切る必要がある入換作業を全廃するとともに、ブレーキを掛けた状態にしない限りATSを切ることができないよう車両を改修した[12]。
脚注
- ^ a b “鉄軌道輸送の安全にかかわる情報(平成18年度)の訂正について” (PDF). 国土交通省. p. 2 (2009年10月). 2014年10月27日閲覧。
- ^ a b “真相追い8年「やった」 信楽高原鉄道事故判決”. 朝日新聞・夕刊: p. 19. (1999年3月29日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 裁判において認定された負傷者は62人であり、この数を負傷者数とする資料もある:例えば、“鉄道事故の事例” (PDF). 札幌市. p. 32. 2014年10月27日閲覧。。
- ^ 2022年現在の運行ダイヤでは、あずさ49号が同時刻に運転されている
- ^ 回送と報道されていたが、実際には駅構内の引き上げ線に移動のため正確には回送ではなく「構内運転」である。
- ^ 後に導入されたE233系のH編成は、大月・河口湖方から4両+6両の編成となっており、事故当時運用されていた201系とは逆である
- ^ a b c “怒り抑え代替バスへ 朝の足奪われ混乱 大月の列車衝突事故”. 朝日新聞・朝刊・山梨. (1997年10月14日). "JR東日本は十三日の始発から、甲府 - 塩山、塩山 - 甲斐大和、四方津 - 高尾間でそれぞれ折り返し運転した。塩山 - 四方津間は七十二台の代替バスを走らせたが、..." - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧:負傷者の詳細についても記載がある。
- ^ “全線復旧に安ど広がる JRの対策本部も解散 大月の列車事故”. 朝日新聞・朝刊・山梨. (1997年10月15日). "不通となっていた中央線が十四日朝、三十五時間ぶりに全線復旧した。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “ATS、地上側は正常 捜査本部が稼働確認 JR大月駅列車衝突事故”. 朝日新聞・夕刊: p. 15. (1997年10月14日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “「あずさ」撤去作業、鉄くずに 大月駅事故から3ヵ月半ぶり”. 朝日新聞・朝刊・山梨. (1998年2月6日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ a b “被告側「控訴せず」 JR大月駅のあずさ事故”. 朝日新聞・朝刊・山梨. (1999年2月7日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 災害情報センター・日外アソシエーツ 編『鉄道・航空機事故全史』日外アソシエーツ、2007年、10頁。ISBN (978-4-8169-2043-1)。