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三笑亭夢之助

三笑亭 夢之助(さんしょうてい ゆめのすけ、1949年6月5日 - )は、元落語家、元タレント。北海道札幌市出身(南富良野町生まれ[3])。本名∶佐藤 信夫。出囃子∶『奴の行列』。

三笑亭さんしょうてい 夢之助ゆめのすけ
本名 佐藤さとう 信夫のぶお
生年月日 (1949-06-05) 1949年6月5日(73歳)
出身地 日本北海道札幌市
師匠 三笑亭夢楽
名跡 1. 三笑亭夢九
(1968年 - 1972年)
2. 三笑亭夢之助
(1972年 - 2019年)
活動期間 1968年 - 2019年
活動内容 古典落語
新作落語
所属 日本芸術協会
落語芸術協会(1968年 - 2019年[1]

マネージメント
(アートプロモーション)(? - 2020年?)
主な作品
テレビ番組
土曜スペシャル
日曜ビッグバラエティ
落語
『寿限たら』
受賞歴
放送演芸大賞ホープ賞(1976年
フジテレビ演芸大賞ホープ賞(1980年
備考
落語芸術協会理事(? - 2015年頃)[2]
身長:174cm、体重:65kg

経歴

1968年に三笑亭夢楽に入門、前座名「夢九」。

1972年、二ツ目昇進し「夢之助」に改名。

1983年に四代目春雨や雷蔵二代目柳亭小痴楽古今亭寿輔桂京丸五代目春風亭柳條三遊亭春馬と共に真打昇進。

タレントとしてはアートプロモーションに所属し[4]、2015年頃までは落語芸術協会の理事も務めていたが[2]、2019年頃に同協会を退会して引退した[1]。若手時代から親交のあった桂米助三遊亭小遊三YouTubeの対談で明かしたところによると、夢之助は肺気腫を患って次第に寄席へ出演しなくなり、講演程度の活動は続けるとしていたものの、最終的に同協会へ名跡返上の手紙を出し、完全に廃業したという[5]

人物

いやっ、どうもどうも!」「はいはいはい」といった底抜けに明るい口調と、機転が利くキャラクター[6]テレビ番組ラジオ番組司会者リポーターとして一躍人気者となる。東京都やその他の地域の局でレギュラーを持ち、主に司会者として活躍した。

一時は本業の落語に精進するためにテレビ・ラジオの仕事を控えると宣言[6]。しかし、完全にマスメディアでの仕事をシャットアウトさせることはなく、2000年代以降も旅番組やグルメ番組でリポーターとして活躍を見せたほか、『ペケ×ポン』(フジテレビ)などのバラエティ番組にも出演した。

一方、本業の落語では新宿末廣亭をはじめとする東京都内の各寄席に出演し、かつては年2回の独演会を国立演芸場で開催していた。主な演目には『蒟蒻問答』『魚根問』『粗忽の釘』『宗論』『寿限たら』『天狗裁き』『弥次郎』などがある。

趣味は園芸、料理作り、世界の小物集め、麻雀。

逸話

  • 出生地は北海道南富良野町で、少年時代まで過ごした[3]。零下40度の酷寒も体験したことあるという[3]。近年は当時を回想した、古典の『手紙無筆』をもじったような新作落語も披露している[3]
  • 父親は東京府の出身で、事情により北海道に移住して理髪店を営んだ。自身が落語の道を志したのは、江戸っ子で芸事を好んだ父親の影響も大きいという[7]
  • 日本テレビ系列の『笑点』に、1977年8月28日から1979年9月2日までの2年間、大喜利メンバーとしてレギュラー出演。番組ではピンク色の色紋付を着用。答えの巧さよりも一発ギャグなどの突発的な面白さを重視し、ウケを狙った毒舌や失言も多く、番組スポンサー(龍角散)絡みで致命的な失敗を犯し、僅か2年で降板となった[6][8]
  • 『笑点』に出演中の1979年4月からは、NHK『おかあさんといっしょ』内のコーナー『どんどんどん』にて、お兄さんとして1年間出演。
  • 1979年頃の芸能人バレーボールの大会で、右手を一回転廻しながら打つ独特なサーブを、実況アナウンサーは「夢之助サーブ」と称した。

その他

2007年9月17日に島根県安来市で行われた同市主催の独演会で、1時間の大ネタ『天災』に臨む際に、舞台上で手話通訳者が待機していたが、事前に告知されていなかった夢之助の「気が散って噺を間違えるとお客さんに失礼なので、後ろに下がってほしい」「気が散るし、落語は話し言葉でするもので手話に変えられるものではない。お客さんがいいと思うなら、かまわないが…」との言をうけて、主催者の担当係は手話通訳者を舞台下の客席へ移動させて通訳させた。当日は聴覚障害を有する観客が3名おり、同市の主要行事は手話通訳が慣例[9][10] であることから、島根県ろうあ連盟は落語芸術協会と同市へ抗議文を送付した。夢之助は直筆の謝罪文を寄せ、市は担当者が当該の聴覚障害者に直接謝罪したが、新聞報道などの騒動から市長が落語芸術協会を訪問して謝罪し、「事前に手話通訳をつけることを伝えていなかったことにより、不適切な発言が起きた」との謝罪文を市のウェブサイトに掲載した[11][12]

芸歴

  • 1968年 - 三笑亭夢楽に入門、前座名「夢九」。
  • 1972年 - 二ツ目昇進、「夢之助」に改名。
  • 1983年 - 真打昇進。
  • 2019年 - 廃業、芸能界を引退。

主な出演

情報・バラエティ番組

NHK

日本テレビ系列

TBS系列

フジテレビ系列

テレビ朝日系列

テレビ東京系列

BS11

  • 快眠情報 夢・楽園

テレビドラマ

舞台

  • 一本刀土俵入

講演

  • 笑いと会話の伝達
  • 健康は笑いから

脚注

  1. ^ a b 落語芸術協会公式ウェブサイトの「真打一覧」のページの には夢之助の名前がある(上から17行目、三遊亭小遊三古今亭寿輔の間)ものの、 には夢之助の名前がない。
  2. ^ a b 落語芸術協会公式ウェブサイトの「役員一覧」のページの には夢之助の名前がある(上から8行目、桂米助と古今亭寿輔の間)ものの、 には夢之助の名前がない。
  3. ^ a b c d スポーツニッポン』2000年5月6日付
  4. ^ かつてはアクターズプロモーションに所属していた。
  5. ^ 落語界の「消えた天才」〜小遊三&米助が憧れた男〜. YouTube 突撃!ヨネスケちゃんねる. (2021年8月28日). 該当時間: 5分38秒-7分20秒. https://www.youtube.com/watch?v=_nyf_ybxGV0&t=5m38s 2021年8月28日閲覧。 
  6. ^ a b c ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』124ページ
  7. ^ 週刊ポスト、1996年5月10日号、131頁
  8. ^ これは龍角散がスポンサーであるにも関わらず「市販の風邪薬は効かない」と、大喜利本編前の挨拶で言ったことが原因とされる。この顛末は『(生放送!おもしろ寄席)』の「ハリセン大喜利」にてしばしばネタとして話していた。
  9. ^ 落語家・夢之助さん:「手話通訳気が散る」島根の敬老会で(毎日新聞 2007年10月31日)
  10. ^ (スポーツ報知 2007年11月1日)
  11. ^ (スポーツ報知 2007年11月2日)
  12. ^ 安来市敬老会「賢人の集い」の落語独演会について(お詫び)(安来市ウェブサイト 2007年11月2日、現在は削除)

関連項目

外部リンク

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