この記事は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2020年11月) |
テゲバジャーロ宮崎(テゲバジャーロみやざき、西: Tegevajaro Miyazaki)は、日本の宮崎県宮崎市、新富町、西都市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
テゲバジャーロ宮崎 | |||
---|---|---|---|
原語表記 | テゲバジャーロ宮崎 | ||
呼称 | テゲバジャーロ宮崎 | ||
愛称 | テゲバジャーロ、テゲバ | ||
クラブカラー | ホワイト[1] ピンク[1] | ||
創設年 | 1965年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J3リーグ | ||
クラブライセンス | J3 | ||
ホームタウン | 宮崎県宮崎市、新富町、西都市[1] | ||
ホームスタジアム | ユニリーバスタジアム新富[1] | ||
収容人数 | 5,354[1] | ||
運営法人 | 株式会社テゲバジャーロ宮崎[1] | ||
代表者 | 二村恵太 | ||
監督 | 松田浩 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
| |||
(■)テンプレート((■)ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 | 日本 〒880-0902 宮崎県宮崎市大淀4-6-28 宮交シティ3F[1] |
設立 | 2015年3月 |
業種 | (サービス業) |
法人番号 | 9350001013305 |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 | 小林稔(代表取締役会長) 二村恵太(代表取締役社長) |
資本金 | 1億6,800万円 (2021年1月期)[2] |
売上高 | 1億8,900万円 (2021年1月期)[2] |
営業利益 | 900万円 (2021年1月期)[2] |
経常利益 | 1,000万円 (2021年1月期)[2] |
純利益 | 400万円 (2021年1月期)[2] |
純資産 | 2億4,100万円 (2021年1月期)[2] |
総資産 | 2億6,400万円 (2021年1月期)[2] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 | エモテント |
外部リンク | https://www.tegevajaro.com/ |
概要
1965年に創設された「門川クラブ」が前身[3]。2004年に「Andiamo門川1965」へ、2007年に「MSU FC」(Miyazaki Sportsman Unitedの略[注釈 1])へチーム名を各々変更した[4][5]。
2015年、クラブ名を現在の「テゲバジャーロ宮崎」に変更[3][6]。チーム名の「テゲバジャーロ」は宮崎弁で「すごい」という意味の「てげ」、スペイン語のvaca(牛の意味)、およびpájaro(鳥の意味)を組み合わせた造語である[1][3]。エンブレムには「宮崎牛」(左上)「輝く太陽と勾玉」(右上)「宮崎神宮の鳥居」(左下)「みやざき地頭鶏」(右下)が描かれる。
クラブスローガンは「真摯」
歴史
前史
元々は日向地区リーグに所属するサッカー少年団のOBチームであったが、1999年、プロフェソール宮崎FCのクラブ運営に疑問を覚え退団した[7] 柳田和洋が小学生時代の指導者であった当時の代表から運営を受け継ぎ選手兼監督に就任[8]。プロフェソールからも柳田と行動を共にした選手7~8名が加入した。
2003年に宮崎県サッカーリーグへ昇格。2005年から、当時柳田がコーチを務めていた宮崎産業経営大学サッカー部(産経大)のOBが入団し始める[4]。
MSU FCに改称した2007年から産経大の学生・OBの比率が増し、同サッカー部監督の笛真人が特別アドバイザーに就任するなど関係を深め、事実上のセカンドチームとしての役割を果たすようになる[4]。2008年に宮崎県リーグ1部で初優勝。また、2009年8月3日に運営法人となる特定非営利活動法人MSUが認証された[9]。同年には宮崎県リーグ1部を2年連続で優勝、九州各県リーグ決勝大会で準優勝の成績を収め、2010年から九州サッカーリーグへ昇格した。この大会ではメンバーを大幅に入れ替え、新たに補強した産経大サッカー部の主力選手らを中心に戦った[10][11]。
しかし2009年シーズンを最後に解散したエストレーラ宮崎FC(旧・プロフェソール宮崎FC→サン宮崎FC)のリーグ参加権利が産経大に引き継がれ、新たに社会人チーム「宮崎産業経営大学FC[注釈 2]」が設立されたことから産経大のセカンドチームとしての役割もそちらへ移行、産経大との提携が途切れ体制刷新を余儀なくされたため、九州リーグでの成績は低迷した[12]。
2012年に入れ替え戦で中津クラブに敗れ、宮崎県リーグ1部へ降格。2013年の九州各県リーグ決勝大会で準優勝の成績を収め、2014年から九州リーグへ再昇格した[3]。
2014年 - 2017年(九州リーグ)
2015年1月20日、クラブ名をテゲバジャーロ宮崎に改称。2017年にJ3リーグ参入を目標にすることを発表した[3][6]。また、クラブの運営法人が、2015年3月に設立された『株式会社テゲバジャーロ宮崎』に変更された[13]。
2017年より札幌などで監督を務めた石崎信弘が監督に就任。元日本代表のFW森島康仁、元FC岐阜のDF高地系治が加入した。九州リーグは20戦18勝1PK勝1敗で優勝。全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2017でも準優勝した。12月6日、日本フットボールリーグ理事会にてJFL入会が承認された[14]。同年をもって森島および髙地が契約満了により退団した。
2018年 - 2020年(JFL)
2018年
石崎が監督を続投。神戸から田中英雄が加入した。リーグ戦は13試合を終えて2勝11敗でリーグ最下位に低迷、同年6月に石崎が監督を退任。後任にはヘッドコーチを務めていた倉石圭二が就任した。1stステージは結局3勝12敗で最下位に終わった。2ndステージは6勝5分4敗で9位、年間通算成績は9勝5分16敗で16チーム中12位。
同年11月にJリーグ百年構想クラブの申請書類を提出した[15][16]。
2019年
2月19日、Jリーグ百年構想クラブに認定された[17]。6月20日に行われた取締役会で、福岡市博多区に本社を置き、通信販売業や飲食業を手がける 株式会社エモテント 創業者の小林稔が代表取締役会長に、同社専務の二村恵太が社長に就任する人事が了承された[18](クラブ設立に携わった柳田和洋は取締役GMに異動)。
7月1日、2020年J3リーグ加盟へ向けた(J3リーグライセンス)を申請したが、新スタジアム(ユニリーバスタジアム新富)建設が2020年シーズン開幕までに間に合わないことから、9月5日にJ3ライセンスの申請取り下げた[19]。
2020年
鹿児島からDF神野亮太が育成型期限付き移籍で加入、琉球からFW儀保幸英が期限付き移籍で加入。10月には京都からFW服部航平が育成型期限付き移籍で加入。また、富山からDF代健司、滋賀からDF大杉誠人、福井からGK植田峻佑が新加入。他に大卒ルーキー5人を加えた。
6月30日、2021年のJ3リーグライセンスの申請を行った[20]。9月15日にJリーグからJ3ライセンスが交付された[21]。11月には成績面を除くJ3リーグ入会審査をクリアした[22]。
リーグ戦は開幕から上位をキープし、第29節終了時点でリーグ4位以内を確定させた。11月22日に宮崎県勢初となるJリーグ入会が確定した[23]。リーグ戦は8勝4分3敗の2位。
2021年 - (J3)
2021年
2021年2月28日取締役 柳田和洋が退任。
前年まで監督を務めた倉石圭二がS級コーチライセンスを保有してないためヘッドコーチに退き、モンテディオ山形などでコーチを務めた内藤就行が後任の監督に就任した[24]。
第3節ホーム富山戦でJリーグ初勝利を挙げるとそのまま3連勝、前半戦はもう一度3連勝を記録し、前半戦終了時には首位と勝点差2の5位。後半戦に入り第19節から5連勝で一気に2位浮上、第27節ホーム岐阜戦の勝利で遂にJ3首位に浮上、続く第28節アウェー富山戦に敗れ2位となるも第29節熊本戦に勝利し暫定首位で全日程を終える。しかし宮崎の試合のない第30節に熊本が勝利、岩手が引き分けたことで最終順位は3位となり、J3優勝は逃した。16勝と44得点はいずれも同年のJ3全チーム最多だった。
この年は天皇杯県予選決勝でホンダロックSCにPK戦で敗れ本戦出場を逃した。
2022年
監督の内藤就行が退任しアカデミー真摯コーディネーターへ就任。ヘッドコーチの倉石圭二が退任し横浜FCトップチームコーチへ就任。新潟医療福祉大学サッカー部コーチを勤めていた髙﨑康嗣が新たに監督に就任。
前年チーム得点王の藤岡浩介が岐阜へ、同2位の梅田魁人、ボランチとしてチームを支えたMF前田椋介がJ2水戸へ、MF渡邊龍が八戸、DFの大畑隆也が富山、同じくDFの井原伸太郎が鹿児島へ移籍。DF黒瀬純哉、石田皓大が現役引退。GK伊東倖希(後日JFL滋賀へ移籍)、DF宮城雅史(同北海道サッカーリーグBTOPサンクくりやまへ移籍)、MF三島勇太(同モンゴル1部ハーン・フンス・エルチムFCへ移籍)、FWサミュエル(同九州リーグヴェロスクロノス都農へ移籍)、儀保幸英(同九州リーグ沖縄SVへ移籍)が契約満了と大量13人がチームを去った。
一方で元日本代表FW工藤壮人が新加入、北九州から宮崎県出身のFW佐藤颯汰、熊本から同じく宮崎県出身のFW北村知也、鹿児島からFW薗田卓馬、秋田からMF下澤悠太、水戸からDF瀧澤修平(前年山形へレンタル移籍)、町田からFW岡田優希が完全移籍加入。また、鹿児島から2シーズン期限付き移籍していたDF神野亮太が完全移籍という形で加入。金沢からMF西田恵、山口からDF新保海鈴、徳島からDF奥田雄大が期限付き移籍で加入。 大卒では大阪体育大学からFW髙橋一輝、福岡大学からMF田中純平、阪南大学からMF江口稜馬、順天堂大学から川崎アカデミー出身のDF小川真輝、日本文理大学から大分アカデミー出身のGK清水羅偉を獲得した。
2年連続でのホーム戦となった開幕戦では八戸に勝利しJ参入後初の開幕戦勝利を飾るも、2節北九州戦から5節松本戦まで3分1敗と足踏み。6節沼津戦ではATに薗田が勝ち越し弾を決め勝利、8節Y.S.C.C.横浜戦では岡田のハットトリック(クラブJ参入後初)などで大勝を収めるも、11節長野戦での勝利以降J参入後初の連敗(7連敗)、その後2試合引き分けるも21節ホーム鳥取戦で敗れこちらもJ参入後初のシーズンダブルを許してしまう。
9月16日、J昇格後初となる高卒選手(金川羅彌)の加入内定を発表した。
9月27日、2023年度のJ2ライセンス申請を断念したことが、宮崎日日新聞が同クラブ社長・二村恵太へ取材して明らかになった。本拠地のスタジアムの基準をクリアできるめどが立たなかったのが理由とされている[25]。
10月3日、クラブ初のユースTOP昇格となる新城暖基の昇格内定を発表した。
10月21日、同月初旬に水頭症と診断されて入院、治療を受けていた工藤壮人が死去した[26]。
リーグ戦は10月9日アウェイ鹿児島戦の勝利以降勢いに乗り、藤枝に引き分け、いわき、松本に勝利するなど奮闘し8節負け無し、4連勝で9位に滑り込み一桁順位でシーズンを終えた。
天皇杯は県予選決勝でホンダロックSCに2年連続でPK負けを喫し本戦出場とはならなかった。
2023年
監督の髙﨑康嗣が契約満了により退任。JFL時代から在籍したコンディショニングコーチの義村秀一が退任(FC岐阜のコンディショニングコーチに就任)。新監督に前・ガンバ大阪監督である松田浩が就任した。
J3アシスト王のMF徳永裕大が藤枝へ、チーム得点王のMF岡田優希が北九州へ、JFL初年度から5年間在籍したMF千布一輝が鹿児島へ完全移籍、DF奥田雄大が期限付き移籍期間満了となりカマタマーレ讃岐へ完全移籍。DF新保海鈴が期限付き移籍期間満了となった(いわてグルージャ盛岡へ期限付き移籍)。DFの瀧澤修平、綿引康(J3・SC相模原へ移籍)、神野亮太(九州サッカーリーグ・ヴェロスクロノス都農へ移籍)、MFの西田恵(J3・奈良クラブへ移籍)、三村真(中国サッカーリーグ・福山シティFCへ移籍)、FWの薗田卓馬(九州リーグ・ジェイリースFCへ移籍)が契約満了と昨年に続き2桁11人が退団した。
一方で愛媛FCから宮崎県出身のDF西岡大志、V・ファーレン長崎からJ1でプレー経験のあるFW山崎亮平をそれぞれ完全移籍で獲得。讃岐からFW青戸翔、岐阜からFW石津大介、熊本からMF東出壮太、福島ユナイテッドFCからDF北村椋太、山口からDF眞鍋旭輝が加入。金沢からFW杉浦力斗、モンテディオ山形からFW松本幹太、G大阪から現役世代別代表の南野遥海がそれぞれ期限付き移籍で加入。また、昨季オフに鹿児島へ完全移籍していたDF井原伸太郎が1年ぶりに復帰した。ユースからはMF新城暖基がトップ昇格、高卒では日章学園高校のMF金川羅彌を、大卒では順天堂大学からアンダー世代で代表経験のあるGK青木心を、福岡大学から(九州大学サッカーリーグ)MVPのFW永田一真を獲得した。
3年連続でホームとなった開幕戦は長野に0-2で敗北。続くFC大阪戦も0-1で敗北し開幕2連敗となり単独最下位となる。しかし3節今季初アウェイとなった福島戦で今シーズン初勝利を挙げ最下位を脱出。
その後もなかなか白星を挙げることが出来ず苦しいシーズンとなっていたが、天皇杯宮崎県予選決勝でミネベアミツミFCに勝利し、J昇格後初の天皇杯本戦出場を決めた。
成績
タイトル
クラブ
- 九州サッカーリーグ:1回
- 宮崎県サッカー選手権大会(兼天皇杯宮崎県予選):3回
- 2018年, 2020年, 2023年
個人
スタジアム・練習場
スタジアム
2020年シーズンまでは(宮崎市生目の杜運動公園陸上競技場)(宮崎市)をはじめ、宮崎県内全域の陸上競技場兼球技場を使用していたが、Jリーグ加盟後の2021年シーズンからは、同年完成のユニリーバスタジアム新富(ユニスタ、新富町)をホームスタジアムとしている[23]。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは(テゲバジャーロ宮崎の年度別成績一覧#年度別入場者数)を参照のこと。
開場時、照明設備は設置されていなかったが、2023年10月より新富町等の支援を受け設置工事に着工。2023年3月完成を目指す。
練習拠点
- 宮崎市清武総合運動公園多目的広場(宮崎市清武町)
- 国際海浜エントランスプラザ多目的広場(宮崎市)
- 富田浜海浜公園(新富町)
- ひなた宮崎県総合運動公園補助球技場(宮崎市)
- 綾人工芝グラウンド(小田爪多目的広場)
スタジアムDJ
後述の公式ラジオのMCも務める。
- 甲斐杏奈 (2018年 - 2022年3月)
- (いちたになな) (2022年4月 - )
下部組織
- U-18
- U-15
- ジュニア(U-12・U-11・U-10)
- スクール
下部組織関係者
- 内藤就行 - 真摯コーディネーター兼U-18監督
下部組織出身者
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
|
クラブカラー
ユニフォームデザイン・コンセプト
- 2017年 : 2017年のスローガン「真摯」を象徴し、県民に親しまれる色として、ホームカラーを白に選び、これまでの赤から変更した。アウェー用は「日本のひなた宮崎県」をイメージし、オレンジ色を基調にした。ゴールキーパー用はホーム用が黄色、アウェー用は青とした[27]。
- 2018年〜2020年 : Jリーグに向かって、「苦難の道のりは覚悟の上」という意志を表す為、一本線をパンツにまで長く引いたデザインを導入。そして、気持ち(ハート)を大切に、熱く戦って行く!という気持ちを込め、エンブレムを通過する「左胸」に一本線を配置した[28]。
- 2021年 : ホームユニフォームは、昨年までエンブレムの下にラインを通していたが、2021年は袖にラインを入れた。新型コロナウイルスの影響で、試合前など肩を組んでの円陣が出来ない状況でも、肩と肩を組み合いチームとしての繋がりを表現したいという想いから、ラインを袖に変更した。エンブレムを左胸に、そしてホームタウンである「宮崎市/新富町」を右袖に纏い2021シーズンを戦う [29]。
- 2022年 : Jリーグ初年度を終えて、改めてクラブスローガンの真摯を着実に積み上げていく、そして、真摯な姿勢で宮崎からアジアのビッグクラブになる為には、困難もたくさんあると思うが、ブレずにまっすぐ進んでいきたいという想いを込めて、縦ラインのデザインに回帰した[30]。
- 2023年 : ユニフォームデザインには、ユニフォームスポンサーのZOZOも参加[31]。真摯な姿勢でブレずにまっすぐ進んでいく想いを込め、斜めラインをユニフォームにデザイン。斜めラインには、昨シーズンよりも想いがさらに太く力強くなるよう、困難にも立ち向かい、右肩上がりで成長する意味を表現している。また、このラインはタスキをかけ合わせており、クラブ、サポーター、ホームタウン、スポンサーの力と想いを掛けて戦う姿も込めている[31]。
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | 江夏商事ホールディングス | トリから、HAPPYを。 enatsu | 2022年 - | 2022年は「江夏商事HD」表記 |
---|---|---|---|---|
鎖骨 | いちご | いちご | 2022年 - | 左側に表記 2021年はパンツ前面[32] |
宮崎日日新聞社 | 宮崎日日新聞 THE MIYANICHI | 2021年 - | 右側に表記 | |
背中上部 | ZOZO | ZOZO | 2023年 - | クラブビジョン推進パートナー |
背中下部 | 宮崎重量機工 | 有限会社 宮崎重量機工 | 2021年 - | 2019年 - 2020年は袖 |
袖 | 大淀開発 | 大淀開発 | 2021年 - [33] | |
パンツ前面 | 宮交シティ | 宮交CITY | 2022年 - | 2019年 - 2021年は鎖骨左側 2019年は「宮交シティ」表記 |
パンツ背面 | なし | - | - |
ユニフォームサプライヤーの遍歴
歴代ユニフォーム
FP 1st | |||
---|---|---|---|
2018 - 2020 | 2021 | 2022 | 2023 - |
FP 2nd | |||
---|---|---|---|
2018 - 2020 | 2021 | 2022 | 2023 - |
歴代ユニフォームスポンサー表記
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
2012 | magniflex | 解禁前 | - | 解禁前 | - | - | 解禁前 | PENALTY | |
2013 | - | ||||||||
2014 | - / 麺処 村尾 奄美大島 | コインランドリー どるふぃん | |||||||
2015 | BIOMIST for wellbeing JAPAN CO.,LTD. | コインランドリー どるふぃん | 匠家 TAKUMIYA | ジャステック株式会社 | |||||
2016 | - / セントラルシネマ宮崎 | - | 明光社 | 匠家 TAKUMIYA | |||||
2017 | - | エモテント宮崎 | コインランドリー どるふぃん | ||||||
2018 | - | 明光社 | - / YK 矢野興業 | 日本の ひなた 宮崎県 | |||||
2019 | 宮交シティ | - | - | 有限会社 宮崎重量機工 | |||||
2020 | 宮交CITY | 南宮崎ヤマモト腎泌尿器科 | - | ||||||
2021 | 南宮崎ヤマモト 腎泌尿器科 | 宮崎日日新聞 THE MIYANICHI | 有限会社 宮崎重量機工 | 大淀開発 | いちご | YONEX | |||
2022 | 江夏商事HD | いちご | 宮交CITY | ||||||
2023 | トリから、HAPPYを。 enatsu | ZOZO |
- 2017年 - 2020年の胸部分には、テゲバジャーロのチームロゴ(TEGEVA)を入れていた。
スポンサー
メディア
新聞
- 宮崎日日新聞
- (毎月第2木曜) 「月間テゲバ通信」
- J3テゲバジャーロ特集
テレビ
ラジオ
- 宮崎サンシャインエフエム
- (木曜)20:00「テゲバRADIO~Jでの挑戦~」
- MRTラジオ「GO!GO!ワイド」内コーナー
- (毎月1回月曜)「GO!GO!テゲバタイム」
エピソード
入場曲
JFL時代まではNOBUの「いま、太陽に向かって咲く花」をメインの入場曲としていた。
J参入後はJリーグアンセムをメイン入場曲として使用しているが、開幕戦やホーム最終戦の入場曲またはセレモニーや点灯式等のイベント等、節目の時に使用している。
またNOBU本人がホームゲームに訪れ試合前にライブを行った事もある。
クラブスローガン
『真摯』
- コンセプト
目の前に起こるすべてのことに対し、真摯に向かい合い、取り組むことをチームの文化、スタイルとして確立させ、Jリーグで戦える強さだけではなく、実際にどのような価値を世に届けることが大切であるのかを一人一人が自分事として捉えていく。 その結果、宮崎の方たちに愛されるチーム、世に良い影響を与えることのできるチームとして相応しい存在となることを目指す。
注釈
- ^ 「MSU」は宮崎産業経営大学の英語名称(Miyazaki Sangyo-keiei University)の略称としても用いられている
- ^ 現在のヴェロスクロノス都農の前身に当たるチームであり、現存する同名チーム(宮崎県リーグ1部)とは別チーム。
- ^ 2006年まではFPがPUMA、GKはPENALTYだった。
脚注
- ^ a b c d e f g h “テゲバジャーロ宮崎 (プロフィール欄)”. 日本プロサッカーリーグ. 2020年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Jクラブ個別経営情報開示資料(2020年度)”. 日本プロサッカーリーグ. 2021年7月30日閲覧。
- ^ a b c d e “テゲバジャーロに改称 サッカー九州リーグのMSU”. 読売新聞西部本社. (2015年1月22日) 2015年2月14日閲覧。
- ^ a b c “MSUの挑戦 (前編)”. (照屋)の宮崎スポーツblog(略称:てるスポ). (2009年8月23日)2015年2月14日閲覧。
- ^ “チーム名称変更!!!”. 公式ブログ. (2007年2月6日)2015年2月14日閲覧。
- ^ a b “テゲバジャーロ宮崎に改称 MSU、17年にJ3目指す”. 共同通信. (2015年1月20日) 2015年2月6日閲覧。
- ^ “をかしのカンヅメ Vol.4 お国自慢なら誰にも負けん。宮崎愛で草サッカーチームをJリーグへ導く熱き男 柳田和洋”. をかしな編集部. (2019年9月28日)2020年8月23日閲覧。
- ^ “石崎監督を招へいし、森島、高地を獲得した目的とは?(柳田代表インタビュー/前編)【テゲバジャーロ宮崎の野望】”. J論. (2017年5月10日)2020年8月23日閲覧。
- ^ “MSU”. 宮崎県NPOポータルサイト. 2015年2月14日閲覧。
- ^ “新加入選手13名”. 公式ブログ. (2009年12月18日)2020-8-33閲覧。
- ^ “Kyuリーグ昇格”. (照屋)の宮崎スポーツblog(略称:てるスポ). (2010年1月19日)2020年8月23日閲覧。
- ^ “新生MSU、いざKyuリーグへ”. (照屋)の宮崎スポーツblog(略称:てるスポ). (2010年3月23日)2020年8月23日閲覧。
- ^ a b c “クラブプロフィール”. テゲバジャーロ宮崎. 2015年3月13日閲覧。
- ^ 『お知らせ「第20回日本フットボールリーグ 新入会チーム決定!」』(プレスリリース)日本フットボールリーグ、2017年12月6日2020年12月4日閲覧。 。
- ^ 『百年構想クラブ申請について』(プレスリリース)公式サイト、2018年11月27日2016年12月2日閲覧。 。
- ^ 『テゲバJ3参入へ準備 「百年構想クラブ」申請』(プレスリリース)宮崎日日新聞、2018年11月28日2016年12月2日閲覧。 。
- ^ 『Jリーグ百年構想クラブ 審査結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2019年2月19日2019年2月20日閲覧。 。
- ^ 『株式会社テゲバジャーロ宮崎 新体制のお知らせ』(プレスリリース)テゲバジャーロ宮崎、2019年6月20日2020年12月5日閲覧。 。
- ^ 『その他 2020シーズン J3クラブライセンス 申請取下げのお知らせ』(プレスリリース)テゲバジャーロ宮崎、2019年9月5日2019年9月10日閲覧。 。
- ^ 『2021シーズン J3クラブライセンス申請のお知らせ』(プレスリリース)公式サイト、2020年6月30日2020年7月5日閲覧。 。
- ^ 『2021シーズン J3クラブライセンス 交付決定のお知らせ』(プレスリリース)公式サイト、2020年9月15日2020年10月1日閲覧。 。
- ^ 『Jリーグ入会審査 (J3) 結果について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2020年11月17日2020年11月22日閲覧。 。
- ^ a b 『Jリーグ入会 (J3) について』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2020年11月22日2020年11月22日閲覧。 。
- ^ 『内藤 就行 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)テゲバジャーロ宮崎、2021年1月24日2021年3月13日閲覧。 。
- ^ テゲバJ2申請見送り 来季分 基準クリア見通せず(宮崎日日新聞)
- ^ 元日本代表FW工藤壮人さん死去 32歳 水頭症でICU治療中も 所属のJ3宮崎伝える - 日刊スポーツ 2022年10月21日
- ^ “テゲバジャーロ宮崎、新ユニホーム発表”. 読売新聞. 2017年3月2日閲覧。
- ^ 『2020シーズンユニフォーム』(プレスリリース)公式サイト2020年4月2日閲覧。 。
- ^ 『2021シーズンユニフォーム』(プレスリリース)公式サイト2021年2月2日閲覧。 。
- ^ 『2022シーズンユニフォーム』(プレスリリース)公式サイト2022年2月12日閲覧。 。
- ^ a b 『2023シーズン 公式ユニフォームおよびユニフォームスポンサー決定のお知らせ』(プレスリリース)公式サイト2023年1月29日閲覧。 。
- ^ 『いちご株式会社様とスポンサー契約いたしました。』(プレスリリース)公式サイト2021年2月11日閲覧。 。
- ^ 『大淀開発株式会社様とユニフォームスポンサー契約をいたしました。』(プレスリリース)公式サイト2021年5月6日閲覧。 。
- ^ 『オフィシャルサプライヤー契約締結のお知らせ』(プレスリリース)公式サイト2021年2月8日閲覧。 。