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テクノデリック

テクノデリック』 (TECHNODELIC) は、YMOの6作目のアルバム。1981年11月21日アルファレコードからリリースされた。

テクノデリック
YMOスタジオ・アルバム
リリース
録音 1981年3月21日 - 10月13日
STUDIO "A"
ジャンル エレクトロニック
テクノポップ
ニュー・ウェイヴ
サイケデリック・ミュージック
現代音楽
時間
レーベル アルファレコード
プロデュース 細野晴臣+YMO
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 4位(オリコン、LPチャート)[1]
  • YMO アルバム 年表
    BGM
    1981年
    テクノデリック
    1981年
    YMO ベスト・セレクション
    1982年
    EANコード
    『テクノデリック』収録のシングル
    1. 体操
      リリース: 1982年2月21日
    細野晴臣 年表
    高橋幸宏 年表
    坂本龍一 年表
    (テンプレートを表示)

    作詞は前作に続き細野晴臣高橋幸宏坂本龍一が作詞したものをピーター・バラカンが英訳しており、作曲は細野、高橋、坂本が単独で作曲したものや一部共作のものも含まれている。プロデューサーは今作では細野晴臣+YMOとなっている。

    先行シングルはなく、後に「体操」がシングルカットとしてリリースされた。本作の音楽性に関し、細野は「このアルバムは非常に暗い、トンネルのようなサウンド」と表現した[2]

    アルバムのタイトルは「テクノ+サイケデリック」の造語であり、アルバム全体として、ミニマル・ミュージックが取り入れられているのも特徴である[要出典]が、後年細野晴臣は「YMOの中で唯一、可能性を秘めたまま発展し損ねた音楽のスタイルがミニマル」と『YMO GO HOME!』のライナーノーツで記している。

    オリコンチャートでは最高位4位となり、売り上げ枚数は累計で11.8万枚となった。

    背景

    前作『BGM』(1981年)リリースと同日に、細野が参加した大瀧詠一のアルバム『A LONG VACATION』がリリースされた他、本作『テクノデリック』のレコーディングが開始された[2]。3月28日に高橋はレコーディングのためロンドンに向かい、細野、大村憲司松武秀樹も同行した[2]

    4月2日にはTBS系音楽番組『ザ・ベストテン』(1978年 - 1989年)に矢野顕子の「春咲小紅」がランクインし、同曲のバッキングに高橋と坂本が参加した[2]。4月3日には加藤和彦のレコーディングに参加するため坂本と矢野はパリに向かい、同レコーディングには高橋、細野、大村も参加した[2]。4月7日にはNHK-FMラジオ番組『坂本龍一のサウンドストリート』の放送が開始された[2]。この番組は後にテイ・トウワ槇原敬之がデモ・テープを投稿した事で知られる[2]。また、当時の音楽誌において、坂本は「ワースト・DJ第一位」に選出された[2]。4月21日には前作からのシングルカットとして「キュー」と坂本のソロシングル「フロントライン」がリリースされた[2]

    5月には坂本のソロ曲「ライオット・イン・ラゴス」がイギリスにてシングルとしてリリースされ、5月1日にはメンバー3人が参加した矢野のアルバム『ただいま。』、5月21日には同じくメンバー3人が参加した大貫妙子のアルバム『アヴァンチュール』がリリース、さらに5月24日には高橋のソロアルバム『NEUROMANTIC』がリリースされた[2]。また、高橋はこのアルバム以降に「高橋ユキヒロ」から「高橋幸宏」に名義を変更する事となった[2]。6月5日には松武のソロユニットロジック・システムのファーストアルバム『Logic』がリリースされ、6月22日にはエフエム東京の「セレクテッド・アーティスト'81」で行われた「マイ・セレクテッド・アーティスト」の1位にYMOが選出され、ゲストとして松武が出演した[2]

    7月6日には坂本がソロアルバムのレコーディングを開始、細野と高橋も参加する事となった[2]。7月25日には加藤のアルバム『ベル・エキセントリック』がリリースされた[2]。8月5日には細野が作曲したイモ欽トリオのシングル「ハイスクールララバイ」がリリースされ、オリコンチャートで7週連続1位を獲得、1981年度年間4位を獲得するなど大ヒット曲となった[3]。8月21日には細野がプロデュースしたサンセッツのアルバム『ヒート・スケール』、坂本が参加した清水靖晃のアルバム『IQ 179』がリリースされた[2]

    9月5日には前作からの2作目のシングルカットとして「マス」がリリースされ、9月9日には来日中であったクラフトワークと坂本、高橋が対談し、その内容が音楽誌『ミュージック・ライフ』の1981年11月号に掲載された[2]。9月21には高橋がプロデュースし、細野も参加したスーザンのアルバム『The Girl Can’t Hep It - 恋せよおとめ』がリリースされた[2]。10月5日には坂本のソロアルバム『左うでの夢』がリリースされ、10月21日には高橋、坂本が参加したスネークマンショーのアルバム『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』がリリースされた[2]

    11月4日には坂本の「B-2 UNITバンド」のライブが川崎産業文化会館にて行われ、11月9日の京都会館別館にて開催された「アーバン・シンクロニティ」にも「B-2 UNITバンド」として参加した[2]

    録音

    レコーディングは前作『BGM』のリリース日である1981年3月21日から開始され、10月13日まで長期間行われている。細野がこだわっていたプロデュースのクレジット名「produced by 細野晴臣」が、今作では「細野晴臣+YMO」となった[2]。これは、高橋が「3人以外に"YMO"というメンバーがいるようだ」と発言しており、それを受けての変更であった[2]

    録音に関しては『BGM』ではデジタル録音を導入したが、デジタル特有のエラーノイズの問題や編集効率の問題から「体操」を除きアナログ録音に戻した[4]

    他のYMOのアルバム同様、当アルバムのマルチトラックマスターも消却・破棄されたと考えられていたが、後年、高橋が編集盤『ONE MORE YMO』を監修していた際に、各所に散らばったマスターテープを発掘していたところ、マスターテープのメーカーが『テクノデリック』のマルチトラックマスターを保管していた事が分かったが、『体操』のみ見つからなかったという。

    使用機材はプロフェット5、アープ・オデッセイ、LMD-649、ローランドMC-4、ローランドTR-808が挙げられる。

    前作『BGM』作成中に心身不調だった坂本龍一韓国旅行をきっかけに元気になった[5]。そのときインスパイアされた内容が「京城音楽」で表現されている[5]しかし逆に細野が不調に陥り、その状態が「灰色の段階」という曲名で表現されている[要検証]

    リリース

    1981年11月21日アルファレコードからLPレコードカセットテープの2形態でリリースされた。

    アルバム・ジャケットは二種類存在し、通常盤と再発CDで使われているのはコルホーズで働く女性の肖像[6]。その後、レコード会社からの「メンバーの顔が入っていない」という理由でメンバー三人の写真があしらわれたものが作り直され、これが初回盤のジャケットとなる。又、初回プレスのみカスタムレーベル仕様。

    1984年7月25日に初CD化され、その後も再リリースとして1987年3月25日1992年3月21日1994年6月29日とCDのみ再リリースされ、1998年1月15日には紙ジャケット仕様として再リリースされた。

    1999年9月22日には細野監修によるリマスタリングが施され、ライナーノーツを松武秀樹と飯尾芳史が担当する形で東芝EMIより再リリースされた。

    2003年1月22日には坂本監修により紙ジャケット仕様にてソニー・ミュージックハウスより再リリース、音源は1999年の細野監修によるものが採用された。

    2010年9月29日にはブルースペックCDとして再リリースされ[7][8][9][10]2019年5月29日にはSACDハイブリッドとして再リリースされた[11]

    アートワーク

    アルバム・ジャケットはアートディレクター奥村靫正によるデザイン。初回盤の撮影とメーキャップも奥村靫正が手掛けている。

    ツアー

    本作を受けてのコンサートツアーは日本国内ツアーとなり、「ウィンター・ライヴ1981」の名称で11月24日の宮城県民会館から始まり、12月27日のツバキハウスまで9都市全13公演が開催された。選曲はほとんどがアルバム『BGM』と本作からとなっており、アンコールの「テクノポリス」では坂本がメガホンでライブ実施地の都市名を叫ぶというパフォーマンスが行われた[2]。12月22日から24日にかけて開催された新宿コマ劇場の公演では奥村による円状のステージとなっており、2回目の「体操」の演奏時には運動着姿のダンサーが曲に合わせて体操をするというパフォーマンスが行われた[2]。また、この時の模様は後にビデオ『ウィンター・ライヴ'81』(1983年)としてリリースされた[2]

    批評

    専門評論家によるレビュー
    レビュー・スコア
    出典評価
    オールミュージック     [12]
    コンパクトYMO肯定的[13]
    CDジャーナル肯定的[14][15][16]
    • 音楽本『コンパクトYMO』にてライターの田山三樹は、「ある意味ではYMOの最終完成形といえるアルバム」と本作を位置付け、「坂本色が最も顕著に出た一枚」とも指摘した[13]。また、本作より導入されたサンプラーの制約により使用方法がパーカッシブになっている事に触れ、「それが結果的にこのアルバムに独特のモノトーンな雰囲気を持たせ、ストイックな傑作として仕上げている」と肯定的に評価した[13]。さらにビートルズ風のコーラスからケチャ現代音楽ジャズミニマル・ミュージックファンククラシック音楽など音楽性の幅広さや3人のプレイヤーとしての楽器演奏とテクノの手法を融合させた事を指摘した上で「YMOというユニットの持つ可能性を極限まで突き詰めた一枚」と称賛した[13]
    • 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「“ポップ”な部分がすっかりなくなって、前作よりもさらにシリアスに。ヴォーカル曲も増えてたりするが、全体的に空気が重い[14]」、「ミニマルを意識し、ループや抽象的なメロディを重視した雰囲気は重い[15]」、「スピーディーでハードコアなカッコ良さは時代を進み過ぎていた感も[15]」と音楽性の変化に対して否定的な指摘をしているが、「史上初のサンプリング使用にして最高のポテンシャルを引き出し、あらゆる音楽の“ソウル”を飲み込んだ音楽[16]」、「サンプラーを駆使した先鋭的な音作りが刺激的な1枚[16]」と革新性や音楽の多様性に関して肯定的に評価している。

    チャート成績

    オリコンチャートではLPで最高位4位、CTで最高位13位を獲得、LPは登場回数14回、CTは登場回数15回となり、売り上げ枚数はLPで7.6万枚、CTで4.2万枚、累計では11.8万枚となった。

    収録曲

    A面
    全編曲: YMO。
    #タイトル作詞作曲時間
    1.ジャム(PURE JAM)高橋幸宏ピーター・バラカン高橋幸宏
    2.新舞踊(NEUE TANZ)細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏
    3.階段(STAIRS)高橋幸宏、ピーター・バラカン高橋幸宏
    4.京城音楽(SEOUL MUSIC)坂本龍一、ピーター・バラカン坂本龍一、高橋幸宏
    5.あかり(LIGHT IN DARKNESS) 坂本龍一、高橋幸宏
    B面
    #タイトル作詞作曲時間
    6.体操(TAISO)坂本龍一坂本龍一、YMO
    7.灰色グレイの段階(GRADATED GREY)細野晴臣、ピーター・バラカン細野晴臣
    8.手掛かり(KEY)細野晴臣、ピーター・バラカン細野晴臣、高橋幸宏
    9.前奏(PROLOGUE) 坂本龍一
    10.後奏(EPILOGUE) 坂本龍一
    合計時間:

    曲解説

    A面

    1. ジャム PURE JAM
      この曲はアルバムでは最初に収録されているが、録音は最後に行われた(トラックシートではM-8)。イントロの高橋のコーラスに関して細野はサイケデリックであるとコメントしている。曲の最後では逆回転で録音したモチーフが使われている。作曲は高橋名義ではあるが、サウンドの大部分は細野が担当している。シンセサイザーが「うねうね」しているのはそのためである。細野と高橋のユニットであるスケッチ・ショウのレパートリーとしても大幅なアレンジを加えて演奏されている。
      タイトルと歌詞の内容は、当時アルファレコードの1階にあった喫茶店「BAN」から出前してもらった、銀紙に包まれた日本特有の厚焼きのトーストジャムがセットになっているメニューの話である。メンバーと同席していたピーター・バラカンが、銀紙を開けて「こんな醜いトーストは生まれて初めて見た」といったことを高橋が面白がり、そのまま歌詞になった。細野や坂本によれば、欧米のミュージシャン達はこの他愛もない歌詞を深読みして「何か意味深なことを語っているのではないか」とよく質問したそうであるが、バラカンによれば「ジャム」はイギリスのスラングで「まぐれ」という意味がある[17]
      「ジャムデショ」「ソレジャムデショドーゾ」の声は、ピーター・バラカンが実際にスタジオ内でトランシーバーを使って喋っている[17]。これは「完璧じゃない日本語」が欲しかったため[18]ただし声質をよく聞くと高橋や細野の声にも聞こえ、おそらくピーター・バラカンの声は同曲のライブバージョン(『ONE MORE YMO』に収録)のことであり、メンバーの記憶違いの可能性もある。[要出典]
    2. 新舞踊 NEUE TANZ
      インドネシアケチャをモチーフにしている。そのため、仮タイトルは「ケチャ」だった。ピアノはプリペアド・ピアノが使われており、坂本のみならず、高橋も演奏している。
    3. 階段 STAIRS
      重々しいピアノとベースが特徴的。レコーディングが開始しても誰も作業しなかったため、高橋が仕方なく作り始めた曲[19]。(トラックシートではM-1)。途中で聞こえてくるピアノは坂本がE-muのエミュレーター(サンプラー)で演奏したもので、コンサート・ツアー「YMO-WINTER-LIVE-1981」でも、坂本がエミュレーターを使ってピアノを演奏しているのが確認できる。
      クイズ番組『カルトQ』YMO編で優勝した当時電気グルーヴのメンバーだったまりん(砂原良徳)が「YMOで最も好きな曲」として挙げている。
    4. 京城音楽 SEOUL MUSIC
      ガムランと声(パーッ、フク、チキ)によるパーカッションが印象的な曲。アルバムの3番目に録音された(トラックシートではM-2)。途中のヴォイスはトランシーバーの声を録音したもの。プリペアド・ピアノが使われている部分もある。タイトルはソウルミュージックに掛けており、京城日本統治時代の朝鮮におけるソウル(正確には京城府)の日本語表記。坂本が韓国取材をした際の印象を元にしたもので、軍政下の韓国の事情をうかがわせる。
      YMO解散後の1985年に行われた「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」でサディスティック・ユーミン・バンド(高橋と坂本が参加)によってカバーされた。
    5. あかり LIGHT IN DARKNESS
      細野のベースは、坂本と高橋の「チャック・レイニーみたいなベースを」とのリクエストに応えて弾かれたもの[19]。大豆油の缶をたたいている音がサンプリングされている。またハイハットは人の声(おそらく高橋の声と思われる)をサンプリングしたものである。1982年西ドイツ映画『セカンドフェイス』にて使用された。


    B面

    1. 体操 TAISO
      シングルカットされた曲。詳細は「体操」を参照。アルバムの中では最初に録音された。
    2. 灰色グレイの段階 GRADATED GREY
      細野がリズムをループ仕立てにして作った曲。また細野は歌い方を工夫し「ジョージ・ハリスン的な発声法をしてみた」と語っている。ベルギーのテクノポップバンドテレックスからこの曲を賞賛するファンレターが届き、後のコシミハル「ラムール・トゥジュール」共同制作のきっかけとなった。
    3. 手掛かり KEY
      細野と高橋はこの曲について「CUEの続編」と語っている。坂本によると「YMO版ハイスクールララバイ」。シングル「体操」のB面にも収録されている。スネアは石油缶を叩いた音をサンプリングしたもの。途中に入る「What Do You See?」などのボイスはハーモナイザーをフィードバックさせたもので、左チャンネルは坂本、右チャンネルは細野の声といわれる。このアルバムではシンセサイザーはほとんどプロフェット5を用いているが、この曲のみアープ・オデッセイをベースとして使っている。
    4. 前奏 PROLOGUE
      3/4拍子のミニマル・ミュージック。また右と左とでカノンの形式が取られている。バックで流れる機械の音はエンジニアの飯尾芳史が録音してきた工場の音[20]。録音したスタジオAは東京の芝浦にあり、すぐそばに工場があったため簡単に音を録ることができた。このノイズは次の「後奏」にまで続く。仮タイトルは「青函連絡船」。また、ゲームメーカーであるタイトーのビデオゲーム『Gダライアス』にこのノイズが使われた。
    5. 後奏 EPILOGUE
      機械の音の上に、鉄工所の音のサンプリングが重なった後、分厚いストリングスが重なる。仮タイトルは「おやすみミュージック」。録音は前曲「前奏」と同時に行われている(トラックシートではM-6)。坂本龍一のライブ(B2-UNITなど)ではピアノで演奏されたこともある。

    スタッフ・クレジット

    参加ミュージシャン

    スタッフ

    • 細野晴臣 AND YMO - プロデューサー
    • 小池光夫 - レコーディング、ミックス・エンジニア
    • 飯尾芳史 - アシスタント・エンジニア
    • YMO - ミックス・エンジニア
    • 湯浅ヒロシ(JVCカッティング・センター) - マスタリング・エンジニア
    • 藤井丈司 - エキプメント
    • 山添昭彦 - エキプメント
    • 伊藤洋一 - マネージメント
    • 大蔵博 - マネージメント
    • PLAN・NET-WERK - クリエイティブ・サービス
    • 奥村靱正 - 写真撮影、アート・ディレクション
    • 小尾一介 - A & Rコーディネーター
    • 川添象郎 - エグゼクティブ・プロデューサー

    リリース履歴

    No. 日付 国名 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
    1 1981年11月21日 日本 アルファレコード LPCT ALR-28030 (LP)・ALC-28029 (CT) 4位
    2 1981年 ヨーロッパ LP ALF 85621 -
    3 1982年 オーストラリア CBS Records Australia AAF 28030 -
    4 1982年 スペイン CBSレコード ALF 85261 -
    5 1984年7月25日 日本 アルファレコード CD 38XA-17 -
    6 1985年 オランダ Pick Up Records LP LPU 0021 -
    7 1987年3月25日 日本 アルファレコード CD 32XA-142 -
    8 1992年3月21日 ALCA-292 -
    9 1992年7月 アメリカ合衆国 Restless Records 7 72704-2 -
    10 1992年 ヨーロッパ Roadrunner Records、Restless Records LS 9153 2 -
    11 1994年6月29日 日本 アルファミュージック ALCA-9044 -
    12 1998年1月15日 ALCA-5221 -
    13 1999年9月22日 東芝EMI TOCT-24239 - 細野晴臣監修、リマスタリング盤、ライナーノーツ:松武秀樹×飯尾芳史
    14 2003年1月22日 ソニー・ミュージックハウス MHCL 209 56位 坂本龍一監修、紙ジャケット仕様
    15 2004年 カナダ、ヨーロッパ エピック・レコード EK 91844 (CA)・513450 2 (EU) -
    16 2010年9月29日 日本 ソニー・ミュージックダイレクト ブルースペックCD MHCL-20107 185位 1999年リマスタリング音源、紙ジャケット仕様、スーパーピクチャーCD
    17 2019年5月29日 SACDハイブリッド MHCL-10113 - Bob Ludwigリマスタリング音源

    脚注

    1. ^ 『オリコン・チャートブック LP編 昭和45年 - 平成1年』オリジナル・コンフィデンス、1990年、74頁。(ISBN 4871310256)。
    2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 「YMOクロニクル」『コンパクト YMO』徳間書店、1998年4月20日、63 - 110頁。ISBN (9784198608316)。 
    3. ^ TVガイド編集部編『テレビ40年in TVガイド』東京ニュース社、1991年、210頁。(初出は『週刊TVガイド』1981年12月18日号)
    4. ^ サウンド&レコーディング・マガジン 1999年11月号
    5. ^ a b 『イエロー・マジック・オーケストラ』、72頁。
    6. ^ 田山三樹 『YMO GLOBAL YMOから広がるディスクガイド』 シンコーミュージック、2007年、81頁。
    7. ^ “YMOの名作10タイトルがBlu-spec CD化” (日本語). TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2010年9月28日). 2019年6月1日閲覧。
    8. ^ “YMOオリジナル10作品が高品質Blu-spec CDで一挙復刻”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2010年7月29日). 2019年6月1日閲覧。
    9. ^ “YMOの名作10タイトルがBlu-spec CD+紙ジャケ化”. CDジャーナル. 音楽出版 (2010年8月5日). 2019年6月1日閲覧。
    10. ^ “YMOのオリジナル・アルバム10タイトルが高品質CDで復活”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク (2010年7月30日). 2019年6月1日閲覧。
    11. ^ “YMO結成40周年記念リマスタリング再発第3弾!『BGM』『Technodelic』5月29日発売” (日本語). TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード (2019年2月25日). 2019年6月23日閲覧。
    12. ^ a b “Technodelic - Yellow Magic Orchestra”. オールミュージック. All Media Network. 2019年6月24日閲覧。
    13. ^ a b c d 田山三樹「コンプリート・ディスコグラフィー オリジナル・アルバム」『コンパクト YMO』徳間書店、1998年4月20日、116 - 126頁。ISBN (9784198608316)。 
    14. ^ a b “YMO / テクノデリック [紙ジャケット仕様][限定][廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年6月24日閲覧。
    15. ^ a b c “YMO / テクノデリック [再発][廃盤]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年6月24日閲覧。
    16. ^ a b c “YMO / TECHNODELIC [紙ジャケット仕様][再発]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年6月24日閲覧。
    17. ^ a b “YMOハイレゾ第4弾インタヴュー! ブロードキャスター、ピーター・バラカンが語るYMOの歌詞作り”. ONKYO. 2022年11月22日閲覧。
    18. ^ 2009年6月5日TOKYO FM『Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM』で放送されたピーター・バラカンと高橋幸宏との対談より。
    19. ^ a b 『イエロー・マジック・オーケストラ』、275頁。
    20. ^ 『イエロー・マジック・オーケストラ』、276頁。

    参考文献

    • 田中雄二 『電子音楽 in JAPAN』アスペクト、2001年
    • 『イエロー・マジック・オーケストラ』アスペクト、2007年

    外部リンク

    • Technodelic - Discogs (発売一覧)
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