ハリギリ(針桐[5]、学名: Kalopanax septemlobus)は、ウコギ科の落葉高木で広葉樹。別名、センノキ(栓の木)、ミヤコダラ、テングウチワ、ヤマギリなどがある。肥沃な土地に自生することから、開拓時代は農地開墾の適地の目印とした[5]。材はケヤキに似た年輪模様が美しく、建築材や家具材としても貴重である。若芽は山菜としての利用もある。
名称
和名「ハリギリ」は、若い枝に大型の鋭いトゲがあることに由来し、「針のある桐」の意味である[6][7]。
ハリギリにはいくつか別名があり、センノキ[1]、ミヤコダラ[1]でもよばれる。ニセゲヤキという別名があり、ハリギリとケヤキは板にしたときに年輪模様が似ているため名付けられたとされる[5]。また芽が山菜として有名なタラノキに似ていることから、ハリギリの別名には「タラ」がついたものが多く、アクダラ、オオダラ、アホダラなどの異名もある[5]。山菜としての地方名にオオバラ(中部地方)などがある。
アイヌ語では「アユㇱニ(ayusni)」と呼ばれる[8][9]。これは「アイウㇱニ(ay-us-ni)」(とげ・多くある・木)という意でついた名である[9]。
分布・生育地
日本、朝鮮半島、中国の原産[10]。日本全土(特には北海道)、千島列島、朝鮮半島・中国の山地に分布する[5]。平地から山地(深山、高山)まで分布し[11]、雑木林や[7]、肥沃な土地に自生する[5]。
形態・生態
落葉広葉樹の大高木で、幹は直立し、高さ10 - 20メートル (m) 、大きいものは30 mになる[11]。幹は直径1メートル (m) にも達する[11][5]。若木は、枝や樹幹に太くて鋭いとげがあるが[5]、老木になるに従い鋭さを失いトゲはなくなる[6]。幹の樹皮は褐色で[11]、深く縦に入った筋(裂け目)がこの樹木を特徴づける[7]。枝は灰色を帯びる[11]。
葉は互生し、枝先に集まってつく[5]。葉柄は長さ7 - 30センチメートル (cm) 、葉身は円形で掌状で5 - 9裂し、カエデのような姿で径10 - 30 cmと大きく[11]、天狗の団扇のような形をしている。そこから「テングウチワ」と呼ばれることもある。葉の切れ込みは浅いものからヤツデのように深いものまで変化がある[6]。秋には黄褐色に黄葉する[5]。
花期は7 - 8月[5]。枝の先に花柄が傘状に伸びて球状の花序をつくり、黄緑色の小花が球状に集まったものが傘状につく[11][7]。果期は10月で、直径5ミリメートル (mm) ほどの丸い果実を結び、藍黒色に熟す[5]。
枝の頂につく冬芽は大きく、側芽はあまり大きくない[6]。
2008年5月下旬
東京大学小石川植物園老木の樹皮
展開した葉
利用
若芽は食用、根や樹皮は漢方薬になる[5]。材は木目が美しく、建築材や家具材などに利用される。
食用
春に芽吹いたばかりの新芽は、同じウコギ科のタラノキやコシアブラ、ウドなどと同様に山菜として食用にされる[10]。採取時期はふつう5 - 6月ごろ、暖地が4月ごろ、平地では3月ごろから、高地では5月、高山では7月ごろまでが適期とされ、若芽をつけ根からもぎ取って採取し、食べるときははかまを取り去る[11][7]。林内のものは樹高が高く、採取がむずかしい[11]。
見た目は「たらの芽」としてよく知られる近縁のタラノキの芽やコシアブラに良く似るが、苦味やえぐみとして感じられるあくがやや強く、灰汁抜きを必要とする[5][10]。そのためタラの芽と区別して食用にしない地方もあり、たとえば長崎方言では「イヌダラ」と呼んでタラノキと区別される。アクが強い山菜であるが、揚げると気にならなくなる[12]。かつてはタラの芽の代用のように扱われていたが、脚光を浴びてタラの芽とは別の風合いがあるとして好まれているという[6]。また、採取する時期によってアクの強弱はかなり異なる[12]。
灰汁抜きは、熱湯に塩を入れて茹であげてから水にさらす[10]。灰汁抜き後は調理するが、強いクセのため、ごま・クルミ・酢味噌の和え物など味の濃いものに合い、汁の実などにして食べられる[5][10]。生のまま、天ぷらや煮付けにしても食べられる[10]。天ぷらにすると、タラノキほどではないがタラの芽に似たほどよい香りとアクがあり、遜色がない味があるとも評されている[6][7]。
山菜として食用にされるハリギリの展開した芽
枝は芽よりか細い印象があるため、林の中ではその大きな芽がかなり目立つ。
完全な対ではないが、ほぼ等間隔に脇芽が出る。先端の芽を摘まない場合は2~3個が出るが、先端を摘むと2番目以降の芽の元の大半が芽吹く。トゲの間隔はタラノキよりも広く太く長い。
木材利用
木材としては「栓(せん)」と呼ばれる[6]。木肌が深く裂け、黒ずんだ褐色の木から取れる「オニセン(鬼栓)」と、木肌がなめらかな木から取れる「ヌカセン(糠栓)」に分かれる。鬼栓は加工には向かず、(沈木)に用いられる。一方、糠栓の材は軽く軟らかく加工がしやすいため、建築、家具[6]、楽器(エレキギター材や和太鼓材)、仏壇、下駄、賽銭箱に広く使われる。耐朽性はやや低い。環孔材で肌目は粗いが(板目)面の光沢と年輪が美しく海外でも人気がある。材の色は白く、ホワイトアッシュに似ていることからジャパニーズ・アッシュという名称で呼ばれることもある。材の白さを活かして、薄く削って合板の表面材としても使われる[5]。
ケヤキに似た木目を持つことから欅の代用品としても使用される。この場合は着色した上で(新欅)・(欅調)と表記されることもある。年輪に沿って大きな道管が円形に並ぶ典型的な環孔材であり、ハリギリは道管の直径が170 - 350マイクロメートル (μm)とケヤキやヤマザクラのそれよりも直径が一際大きく、1列に並んで年輪がはっきりと出るのが特徴である[5]。材の美しさから、木彫りの伝統工芸品に利用されることも多い[5]。
北海道には大きな木が多く、明治末には下駄材として本州に出荷された。現在でも国内産の栓の9割は北海道産である。
アイヌの文化においても、カツラなどとともに丸木舟制作の主要な材のひとつとして北海道全域で用いられ[8]、このほか木鉢や臼、杵、箕が作られた[9]。
伝承
北海道日高地方沙流川流域のアイヌの口頭伝承で、ハリギリの丸木舟(アユㇱニチㇷ゚)に関する禁忌を扱ったものがある[13][8]。話の内容は採録された時代などにより差異があるが、以下に概要を示すものは、1996年(平成8年)3月25日に平取町のアイヌ、上田トシから聞き取り採録された「カツラの舟とハリギリの舟のけんか」と題された昔話である[13]。概要は以下の通り。
ある男がランコチㇷ゚(カツラの丸木舟)とアユㇱニチㇷ゚を作ったものの、いつしか軽く扱いやすいランコチㇷ゚ばかりを使っていた。いつしか夜に川の方で物音がするようになった。ある晩、男はランコチㇷ゚とアユㇱニチㇷ゚が人間のように立ち上がり跳ね上がる様子を目撃する。その後、夢にランコチㇷ゚の女のカムイ(神)が現れ、ランコチㇷ゚のカムイに嫉妬したアユㇱニチㇷ゚の男のカムイが、夜になるとランコチㇷ゚のカムイを虐める旨、アユㇱニチㇷ゚のカムイが悪い心を持っている旨を話し、故にアユㇱニは舟から倒木、木片に至るまで燃やさなければ村に危害を与える、と伝えた。
しかししばらく経ち、男は禁忌を破り別の男と漁に出た。すると、舟のようなものにたくさん棘が出た姿の化け物が現れた[13]。男らはタコのカムイ(神)と海波のカムイに助けを求め、村まで帰ることこそできたが、髪や髭が抜け落ち、全身が腫れ上がり肉も腐り、化け物のような姿となってしまった[13]。その後、村を通りかかった男が化け物のような姿になった男に訪ねたところ、ことの顛末とアユㇱニで舟をつくらないほうがよいことを話した[13]。
男はそれを父親に伝えたところ父親は「チㇷ゚を燃やせ」と言ったため、男はアユㇱニのチㇷ゚や木片を残らず燃やした。その後父親は「その煙がどこへ向かったかを見ておくように」と言った。煙は海へ向かったことから、父親は「決して海で漁をしないように」と忠告した[13]。
しかし本田(1998)は、実際には道内各地でハリギリ製の丸木舟が出土、あるいは現存していることを踏まえ、かつては丸木舟の用材を特定の樹種に限定するようなことは行われておらず、むしろスギなどが自生しない北海道内における丸木舟制作においては主要な材としての地位を占めていたと考察している[8]。
加えて、本田(1998)では物語自体の変容についても考察している。上田のほか1936年(昭和11年)、1963年(昭和38年)の記録を確認したところ、1936年の記録では女神は「作った以上、わたしと同じ程度に、そちらも使ってやったらよかったのに」と述べたうえで「センノキほど憑き神(カシ・カムイ)の悪い木はない」としていたが、その後の記録では、悪いのはハリギリの憑き神ではなくハリギリそれ自体、とされ強調されていった[8]。また、1936年の記録ではハリギリの舟を作ることを禁忌する内容はない[8]。
以上より本田(1998)では、本来この物語は「人間が道具としてなにかを作った以上は、その道具が役割を全うできるようにきちんと使わねばならない」ということが主題であり、カツラと対立させる樹木はハリギリ以外でも良かったのであるが[注釈 1]、ハリギリの鋭利な刺、それで傷を作ってしまうと時として体中がはれ上がってしまうことが強く意識されるようになった結果、ハリギリの舟を禁忌とする物語に置き換り、沙流川流域のアイヌの生活、ひいては近年の情報の流れの中で他地域のアイヌの生活にも影響を与えるようになったと推察している[8]。また、本田の私見として、本来各地で用途や河川の様相によって見合った樹種が決められていた丸木舟についての伝承が変容し、ハリギリの舟のタブー視、他の樹種の神聖視が進んでいることを指摘している[8]。
なお、現在では再びハリギリを用いた丸木舟の復元も行われている。例えば2020年(令和2年)4月に白老町にオープンする国立アイヌ民族博物館・国立民族共生公園(ウポポイ)での丸木舟と板綴舟(イタオマチㇷ゚)制作・展示にあたっては、東京大学附属北海道演習林から、ハリギリが提供されている[14]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Kalopanax septemlobus (Thunb.) Koidz. ハリギリ(標準)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年5月7日閲覧。
- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Kalopanax pictus (Thunb.) Nakai, excl. typo ハリギリ(シノニム)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年5月7日閲覧。
- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Kalopanax pictus (Thunb.) Nakai var. lutchuensis auct. non (Nakai) Nemoto ハリギリ(シノニム)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年5月7日閲覧。
- ^ 米倉浩司・梶田忠 (2003-). “Eleutherococcus septemlobus (Thunb.) Mabb. ハリギリ(シノニム)”. BG Plants 和名−学名インデックス(YList). 2023年5月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 田中潔 2011, p. 51.
- ^ a b c d e f g h 吉村衞 2007, p. 80.
- ^ a b c d e f 篠原準八 2008, p. 80.
- ^ a b c d e f g h i 本田優子 (1998-03). “ハリギリの丸木舟 民族誌資料/考古資料/口承文芸資料にもとづく一考察” (PDF). 北海道立アイヌ民族文化研究センター研究紀要 (4): pp.15-27. doi:10.11501/4428327. ISSN 1341-2558 2019年5月1日閲覧。.
- ^ a b c “”. アイヌ民族文化財団. 2022年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月20日閲覧。
- ^ a b c d e f 猪股慶子監修 成美堂出版編集部編 2012, p. 155.
- ^ a b c d e f g h i 高橋秀男監修 2003, p. 164.
- ^ a b 篠原準八 2008, p. 81.
- ^ a b c d e f 一般財団法人 アイヌ民族博物館 編(PDF)『アイヌ民族博物館 民話ライブラリ2 上田トシの民話 2』一般財団法人 アイヌ民族博物館、2015年2月28日、101-130頁 。
- ^ 東京大学大学院農学生命科学研究科附属演習林: “” (PDF). 東京大学 (2019年3月10日). 2019年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月1日閲覧。
参考文献
- 猪股慶子監修 成美堂出版編集部編『かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典』成美堂出版、2012年7月10日、155頁。ISBN (978-4-415-30997-2)。
- 篠原準八『食べごろ 摘み草図鑑:採取時期・採取部位・調理方法がわかる』講談社、2008年10月8日、80 - 81頁。ISBN (978-4-06-214355-4)。
- 高橋秀男監修 田中つとむ・松原渓著『日本の山菜』学習研究社〈フィールドベスト図鑑13〉、2003年4月1日、164頁。ISBN (4-05-401881-5)。
- 田中潔『知っておきたい100の木:日本の暮らしを支える樹木たち』主婦の友社〈主婦の友ベストBOOKS〉、2011年7月31日、51頁。ISBN (978-4-07-278497-6)。
- 吉村衞『おいしく食べる山野草』主婦と生活社、2007年4月23日、80頁。ISBN (978-4-391-13415-5)。
は列挙するだけでなく、(脚注)などを用いてしてください。 |
- 佐竹義輔他編『日本の野生植物 木本Ⅱ』(1989)平凡社
関連項目
- ケヤキ…木目が類似。