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若松市

若松市(わかまつし)は、福岡県北東部にかつてあった市。市域は響灘洞海湾に囲まれた若松半島のほぼ全域に相当し、筑豊炭田で産出された石炭の積み出し港として栄えた。1963年(昭和38年)2月10日小倉市門司市戸畑市八幡市と合併して北九州市となり、消滅した[2]

わかまつし
若松市
若松市章
1918年4月5日制定
廃止日 1963年2月10日
廃止理由 新設合併
若松市八幡市戸畑市小倉市門司市北九州市
現在の自治体 北九州市、芦屋町
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 福岡県
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 66,976
(『角川日本地名大辞典[1]、1931年)
隣接自治体 八幡市、遠賀郡水巻町芦屋町
若松市役所
所在地 福岡県若松市
座標 北緯33度54分20秒 東経130度48分40秒 / 北緯33.90544度 東経130.81122度 / 33.90544; 130.81122座標: 北緯33度54分20秒 東経130度48分40秒 / 北緯33.90544度 東経130.81122度 / 33.90544; 130.81122
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北九州市が1963年(昭和38年)4月1日政令指定都市に昇格した際、旧若松市域は行政区の一つである若松区となった。後に一部が八幡西区遠賀郡芦屋町に割譲された。

福岡県若松市は1914年(大正3年)に遠賀郡若松町の市制施行により誕生した。この15年前の1899年(明治32年)には福島県若松町が「若松市」として市制施行していたため、しばらく福島県と福岡県に同名の「若松市」が併存することになった。1955年(昭和30年)に福島県若松市が周辺7村を編入合併した際に市名に地域名である「会津」を冠して「会津若松市」に改称したため、併存状態は解消した。1963年(昭和38年)に北九州市の成立により福岡県若松市は消滅したことから、「若松市」は地図上から姿を消した。

歴史

市域は律令制下では筑前国に属する。廃藩置県によって福岡県に属した。1891年(明治24年)、筑豊興業鉄道により若松駅-直方駅間の鉄道路線が開業し、筑豊炭田で産出された石炭が若松駅まで運ばれ、若松港で船に積み替えられて日本全国に輸送された。この石炭の積出によって若松には多くの船舶や港湾労働者が集まり、港湾都市として発展を遂げた。

年表

市域の変遷

  • 1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、若松村が単独村制施行して遠賀郡若松村が成立。同時に遠賀郡に以下の3村が発足。
    • 石峰村 ← 修多羅村・小石村・二島村の一部
    • 江川村 ← 蜑住村・有毛村・乙丸村・大鳥居村・小敷村・高須村・払川村・塩屋村・浅川村
    • 洞北村 ← 畠田村・頓田村・小竹村・安屋村・竹並村・二島村の残部
  • 1891年2月1日 - 若松村が町制施行して若松町となる。
  • 1898年 - 若松町が石峰村大字修多羅を編入。
  • 1906年10月1日 - 若松町が石峰村と合併して若松町となる。
  • 1908年2月15日 - 江川村洞北村が合併して島郷村となる。
  • 1914年4月1日 - 若松町が市制施行して若松市となる。
  • 1931年8月1日 - 島郷村を編入。
  • 1963年2月10日 - 八幡市戸畑市小倉市門司市と合併して北九州市となり消滅。
  • 1963年4月1日 - 北九州市の政令指定都市昇格に伴い旧市域が若松区となる。
  • 1974年4月1日 - 若松区大字小敷の一部と浅川の全部が八幡区の西半分とともに八幡西区へ移行。
  • 1986年1月1日 - 若松区大字高須の一部が遠賀郡芦屋町へ編入。

人口の変遷

  • 1920年  49,336
  • 1925年  49,930
  • 1930年  57,320
  • 1935年  73,345
  • 1940年  88,901
  • 1945年  68,199
  • 1947年  78,694
  • 1950年  89,574
  • 1955年  97,310
  • 1960年 106,975

行政

市政

歴代市長

歴代市長[4]
氏名 就任日 退任日 備考
官選
1 石井良一 1914年(大正3年)4月1日 1922年(大正11年)7月24日
2 小栗盛太郎 1922年(大正11年)12月22日 1927年(昭和2年)11月21日
3 福田虎亀 1927年(昭和2年)12月21日 1929年(昭和4年)10月20日
4 (大町美種) 1929年(昭和4年)12月2日 1933年(昭和8年)12月1日
5 田中無事生 1934年(昭和9年)5月5日 1938年(昭和13年)5月4日
6 柳川精四郎 1938年(昭和13年)9月12日 1942年(昭和17年)
7 1942年(昭和17年) 1946年(昭和21年)3月14日
8 (井上安五郎) 1946年(昭和21年)6月24日 1947年(昭和22年)
公選
9 井上安五郎 1947年(昭和22年)4月 1951年(昭和26年)4月4日
10 吉田敬太郎 1951年(昭和26年)4月23日 1955年(昭和30年)4月
11 1955年(昭和30年)4月 1959年(昭和34年)4月
12 1959年(昭和34年)4月 1963年(昭和38年)2月9日

国の機関

1962年[5]

主な医療機関

  • 市立若松病院[6]

出身・関係著名人

脚注

注釈

  1. ^ 「複数市が同一名となる事は宜しくないので控えること」と定められたのは1970年3月12日の自治事務次官通知「地方自治法の一部を改正する法律の施行について」[3]から。

出典

  1. ^ 角川日本地名大辞典 1988, p. 1465, 第40巻「福岡県」.
  2. ^ “若松区のあゆみ 歴史(北九州市発足前)”. 北九州市若松区. 2014年3月24日閲覧。
  3. ^ 『基本行政通達』 1974, p. p.281-, (昭和四五自治振三二).
  4. ^ 『北九州市史 近代・現代 行政社会』, p. 1068, 第5章 厚生と福祉§第2節 合併協議の成立.
  5. ^ 『北九州市史 近代・現代 行政社会』 1987, p. 809-810, 第2章 戦後市政の展開 §第3節 消防・警察と国・県などの行政機関.
  6. ^ 『北九州市史 近代・現代 行政社会』 1987, p. 998, 第5 章 厚生と福祉§第1節 戦後の公衆衛生.

参考文献

本文の典拠、主な執筆者、編纂者もしくは全集の題名順。

  • 『福岡県』 40巻、角川書店〈角川日本地名大辞典〉、1988年、1465頁。 ISBN (4040014006), (9784040014005)。
  • 『北九州市史 近代・現代 行政社会』北九州市史編さん委員会、北九州市、1987年、p.736- (コマ番号0405.jp2-)、p.980- (コマ番号0527.jp2-)、p.1049- (コマ番号0561.jp2-)頁。doi:10.11501/9776138。(全国書誌番号):(88019482)。 国立国会図書館/図書館送信参加館内公開。
  • 「§第1章 地方自治通則 §§昭和四五自治振三二」『基本行政通達』 4巻(地方自治)、高辻正己(編集顧問)、基本行政通達編集委員会(編)、帝国地方行政学会、東京、1974年-[2000年]、加除式、281-頁。(全国書誌番号):(77050169)https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001315648-002021年5月20日閲覧 別題『基本行政通知処理基準』。

関連項目

関連資料

  • 竹内理三、「角川日本地名大辞典」編纂委員会『日本地名総覧』角川書店〈角川日本地名大辞典〉別巻2、1990年、ISBN (4040014901)、NCID BN05649586。『角川日本地名大辞典』都道府県別47巻総索引。
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