郵政省(ゆうせいしょう、Ministry of Posts and Telecommunications, MPT[1]。ただし設置当初の英称はMinistry of Postal Services[2][注 1])は、かつて存在した日本の行政機関である。国家行政組織法と郵政省設置法に基づき[3]、郵便事業・郵便貯金事業・簡易保険事業ならびに電気通信・電波・放送に関する行政を取扱っていた[4][5][6]。長は郵政大臣[7]。2001年(平成13年)1月6日に行われた中央省庁再編によって総務省と郵政事業庁となった。
郵政省 | |
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旧郵政省本庁舎 | |
役職 | |
大臣 | 小沢佐重喜(初代) 片山虎之助(最後) |
組織 | |
内部部局 | 大臣官房 郵務局 貯金局 簡易保険局 通信政策局 電気通信局 放送行政局 |
概要 | |
所在地 | 東京都港区飯倉町(現麻布台)→ 東京都千代田区霞が関一丁目3番2号 北緯35度40分16.8秒 東経139度45分2.8秒 / 北緯35.671333度 東経139.750778度座標: 北緯35度40分16.8秒 東経139度45分2.8秒 / 北緯35.671333度 東経139.750778度 |
定員 | 30万3,911人 うち内部部局:2,591人 施設等機関:3,538人 地方支分部局:297,782人 1999年(平成11年)3月末時点 |
年間予算 | 一般会計 881億4,300万円 1998年度(平成10年度) |
設置 | 1949年(昭和24年) - 2001年(平成13年) |
前身 | 逓信省 |
後身 | 総務省・郵政事業庁 |
ウェブサイト | |
閉鎖 |
来歴
旧本庁舎(飯倉ビル)と沿革
設置当初は、港区飯倉町(現在の麻布台)に所在した1930年(昭和5年)竣工の逓信省貯金局庁舎を、引き続き郵政本省庁舎として使用した。なお、設置以前の1945年(昭和20年)、東京大空襲で被災した麻布郵便局がこの庁舎に仮住まいの後、正式に入居している。
俗称については、外苑東通りを介した反対側の駐日ロシア帝国大使館一帯の地名である「
しかし、後に内閣総理大臣にまで上り詰めた田中角栄が郵政大臣に就任したことを契機として、本省は1969年(昭和44年)7月に霞が関(日本郵政ビルを経て現・環境省庁舎)へ移転した。1984年(昭和59年)7月、電気通信政策局・電波監理局の二つだった政策担当局を、情報化社会の到来とともに、通信政策局・電気通信局・放送行政局のテレコム三局に拡充させ、電気通信・電波放送行政を担う省庁として、「現業官庁」から「政策官庁」への脱皮として注目されるようになった。これにより、産業の育成を目的とする通商産業省と、情報通信分野における主導権争いを演じた。
本省が霞が関へ移転した後も、飯倉の旧本省庁舎は、長きに渡り「飯倉分館」として本省(後の郵政事業庁、日本郵政公社)の一部部局、地方支分部局(関東郵政監察局)及び施設等機関(郵政研究所)の執務場所として使用され続けたほか、一時は国土庁(当時)や総務省関東総合通信局の一部部局が入居していた時期もあった。
しかし、東京都千代田区大手町にあった日本郵政公社東京支社(旧東京郵政局)が2005年(平成17年)5月に飯倉分館に移転、この建物を東京支社社屋として使用することとなったため、「飯倉分館」としての役目は終えたが、建物自体は民営化された後2019年(平成31年)まで、「日本郵政グループ飯倉ビル」として大部分を日本郵便株式会社東京支社として使用され続けていた。
その後、日本郵政グループ・森ビル等で構成する虎ノ門・麻布台地区市街地再開発組合が当地を含む一帯を再開発する 「虎ノ門・麻布台地区第一種市街地再開発事業(麻布台ヒルズ)」の開始に伴い、2018年(平成30年)11月19日にビル内の麻布郵便局が麻布台1-7-3に移転した[9]のを肇めに、日本郵便東京支社が赤坂1-14-14の第35興和ビルに(専用郵便番号も〒106-8797から、赤坂局管内に移転した為〒107-8797に変更)、東京共通事務集約センターは中野区の落合郵便局内(専用郵便番号は〒161-8797)にそれぞれ移転した。
2019年3月、清水建設が解体作業に着手、同年8月5日に再開発事業が着工し[10]、2023年秋を目処に森JPタワーが完成の予定である。
組織
幹部
内部部局
- 大臣官房 - 秘書課、総務課、主計課、企画課、人事部、財務部、施設部、国際部、首席監察官
- 人事部 - 管理課、人事課、要員給与課
- 財務部 - 企画課、資材課、情報システム課
- 施設部 - 管理課、建築企画課、建築業務課、設備課
- 国際部 - 国際政策課、国際経済課、国際協力課
- 郵務局 - 総務課、企画課、経営計画課、営業課、国際課、輸送企画課、機械情報システム課、集配業務課
- 貯金局 - 総務課、経営企画課、経営計画課、業務課、営業課、資金運用課、電子計算計画課
- 簡易保険局 - 総務課、企画業務課、経営計画課、営業計画課、資金運用課、経営数理課、加入者福祉企画課、電子計算システム課
- 通信政策局 - 総務課、政策課、通信事業振興課、地域通信振興課、技術政策課、通信規格課、技術開発推進課、情報企画課、宇宙通信政策課
- 電気通信局 - 総務課、電気通信事業部、電波部
- 電気通信事業部 - 事業政策課、業務課、データ通信課、電気通信技術システム課、高度通信網振興課
- 電波部 - 計画課、電波利用企画課、基幹通信課、移動通信課、衛星移動通信課、電波環境課
- 放送行政局 - 総務課、放送政策課、放送技術政策課、地上放送課、衛星放送課、国際・特別地上放送課、有線放送課
審議会等
- 郵政審議会
- 簡易生命保険審議会
- 電気通信審議会
- 電波監理審議会
- 電気通信技術審議会
施設等機関
- 郵政研究所 - 2003年(平成15年)4月1日に郵政事業の調査研究機能は公社の郵政総合研究所、情報通信政策の調査研究機能は情報通信政策研究所へ引き継がれた)
- 病院及び診療所
- 職員訓練所(郵政研修所、郵政大学校、電気通信研修所)
- 通信総合研究所(旧・逓信省電気試験所→郵政省電波研究所、現在の独立行政法人情報通信研究機構)
地方支分部局
- 地方郵政監察局
- 地方郵政局
- 貯金事務センター(旧・地方貯金局)
- 簡易保険事務センター(旧・地方簡易保険局)
- 地方電気通信監理局
- 沖縄郵政管理事務所
- 郵便局
郵政事務次官
氏名 | 在任期間 | 前職 | 退任後の役職 |
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大野勝三 | 1949(昭和24).6.1 - 1954(昭和29).2.1 | 国際電信電話社長 エフエム東京社長 | |
中村俊一 | 1954(昭和29).2.1 - 1955(昭和30).8.9 | 経理局長 | |
(宮本武夫) | 1955(昭和30).8.9 - 1956(昭和31).9.21 | 大臣官房人事部長 | |
小野吉郎 | 1956(昭和31).9.21 - 1959(昭和34).4.24 | 簡易保険局長 | NHK会長 |
(加藤桂一) | 1959(昭和34).4.24 - 1961(昭和36).6.16 | 貯金局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 |
大塚茂 | 1961(昭和36).6.16 - 1962(昭和37).5.15 | 貯金局長 | 新東京国際空港公団総裁 |
西村尚治 | 1962(昭和37).5.15 - 1964(昭和39).6.26 | 郵務局長 | 参議院議員 総理府総務長官・沖縄開発庁長官 |
佐方信博 | 1964(昭和39).6.26 - 1965(昭和40).6.1 | 郵務局長 | 富士重工業副社長 |
(田中鎮雄) | 1965(昭和40).6.1 - 1966(昭和41).7.1 | 簡易保険局長 | |
長田裕二 | 1966(昭和41).7.1 - 1967(昭和42).7.28 | 郵務局長 | 参議院議員 科学技術庁長官、参議院議長 |
浅野賢澄 | 1967(昭和42).7.28 - 1969(昭和44).11.21 | 電波監理局長 | フジテレビ社長、会長 |
(曾山克巳) | 1969(昭和44).11.21 - 1971(昭和46).7.2 | 郵務局長 | NEC副社長 エフエムジャパン社長 |
(竹下一記) | 1971(昭和46).7.2 - 1973(昭和48).7.13 | 郵務局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 熊本県民テレビ社長、会長 |
(溝呂木繁) | 1973(昭和48).7.13 - 1975(昭和50).7.15 | 郵務局長 | 日本衛星放送社長 |
石井多加三 | 1975(昭和50).7.15 - 1977(昭和52).7.19 | 郵務局長 | 郵便貯金振興会理事長 国際電信電話社長 |
(廣瀬弘) | 1977(昭和52).7.19 - 1978(昭和53).7.1 | 郵務局長 | 日本郵便逓送社長 通信・放送衛星機構理事長 |
(神山文男) | 1978(昭和53).7.1 - 1980(昭和55).4.8 | 郵務局長 | 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 テレビユー福島社長 |
(淺尾宏) | 1980(昭和55).4.8 - 1982(昭和57).7.7 | 簡易保険局長 | 郵便貯金振興会理事長 簡易保険郵便年金福祉事業団理事長 |
守住有信 | 1982(昭和57).7.7 - 1984(昭和59).8.21 | 電気通信政策局長 | 郵便貯金振興会理事長 参議院議員 |
(小山森也) | 1984(昭和59).8.21 - 1986(昭和61).6.17 | 電気通信局長 | 通信・放送機構理事長 |
澤田茂生 | 1986(昭和61).6.17 - 1988(昭和63).6.3 | 電気通信局長 | 日本電信電話会長 |
奥山雄材 | 1988(昭和63).6.3 - 1989(平成元).6.30 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 第二電電会長兼社長、ディーディーアイ社長 KDDI社長、電気通信事業者協会会長 |
(塩谷稔) | 1989(平成元).6.30 - 1990(平成2).6.29 | 電気通信局長 | (財)日本データ通信協会理事長 |
(中村泰三) | 1990(平成2).6.29 - 1992(平成4).6.23 | 通信政策局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 国際電信電話会長 |
森本哲夫 | 1992(平成4).6.23 - 1993(平成5).7.1 | 電気通信局長 | 通信・放送機構理事長 |
(白井太) | 1993(平成5).7.1 - 1994(平成6).7.1 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 通信・放送機構理事長 |
松野春樹 | 1994(平成6).7.1 - 1996(平成8).7.1 | 電気通信局長 | (財)日本データ通信協会理事長 日本電信電話副社長 |
五十嵐三津雄 | 1996(平成8).7.1 - 1998(平成10).6.19 | 電気通信局長 | 簡易保険福祉事業団理事長 KDDI代表取締役会長 |
谷公士 | 1998(平成10).6.19 - 2001(平成13).1.5 | 電気通信局長 | 人事院総裁 |
郵政審議官
氏名 | 在任期間 | 前職 | 退任後の役職 |
---|---|---|---|
(山口憲美) | 1996(平成8).7.1 - 1997(平成9).7.4 | 通信政策局長 | 宇宙通信副社長 日本電子総合サービス社長 |
(楠田修司) | 1997(平成9).7.4 - 1998(平成10).6.19 | 放送行政局長 | J-WAVE社長、会長 |
長谷川憲正 | 1998(平成10).6.19 - 1999(平成11).7.6 | 郵務局長 | 駐フィンランド兼エストニア特命全権大使 参議院議員、総務大臣政務官 |
品川萬里 | 1999(平成11).7.6 - 2000(平成12).6.27 | 放送行政局長 | NTTデータ副社長 郡山市長 |
濱田弘二 | 2000.(平成12)6.27 - 2001(平成13).1.5 | 郵務局長 | (総務審議官(国際担当)) |
中央省庁再編後の組織の変遷
郵政行政
- 総務省の内部部局「郵政企画管理局」
- 郵政事業における制度の企画立案、経営の基本的事項等に関することを所掌。
- 2003年(平成15年)4月1日の日本郵政公社設立とともに名称を「郵政行政局」と改め、併せて規模が縮小された。
- 総務省の外局「郵政事業庁」
- 郵政事業の実施に関することを所掌。
- 2003年(平成15年)4月1日に国が設置する特殊法人「日本郵政公社」として総務省より独立し、2007年(平成19年)10月1日には日本郵政グループとして民営化された。
- 総務省「郵政公社統括官」
- 郵政事業庁を日本郵政公社へと円滑に移行するため、公社設立までの時限で局長級の郵政公社統括官が置かれた。
- 総務省の内部部局 「郵政行政部」
- 情報流通行政局の下部組織として発足
電気通信・放送行政
関連施設
かつて郵政省の管轄だったが現在は下記の関連病院となっている。
日本郵政(JP)
現存
廃止
- 札幌(南)逓信病院 - 2017年(平成29年)に事業譲渡し、現晴生会さっぽろ南病院
- 仙台逓信病院 - 2015年(平成27年)に事業譲渡し、現イムス明理会仙台総合病院
- 横浜逓信病院 - 2017年(平成29年)に事業譲渡し、現済生会東神奈川リハビリテーション病院
- 新潟逓信病院 - 2015年(平成27年)に事業譲渡し、現新潟万代病院
- 富山逓信病院 - 2019年(平成31年)に事業譲渡し、現富山市立富山まちなか病院
- 名古屋逓信病院 - 2019年(平成31年)に事業譲渡し、現AOI名古屋病院
- 京都逓信病院 - 2022年(令和4年)に事業譲渡し、現京都新町病院
- 大阪北逓信病院 - 2016年(平成28年)に閉鎖
- 神戸逓信病院 - 2015年(平成27年)に事業譲渡し、現神戸平成病院
- 徳島逓信病院 - 2017年(平成29年)に事業譲渡し、現徳島平成病院
- 広島逓信病院 - 2022年(令和4年)に事業譲渡し、現広島はくしま病院
- 福岡逓信病院 - 2019年(平成31年)に事業譲渡し、現福岡中央病院
- 鹿児島逓信病院 2017年(平成29年)に国立病院機構鹿児島医療センターと機能統合して閉鎖
郵政省以外の逓信病院
- 札幌逓信病院(現・NTT東日本札幌病院)
- 東北逓信病院(現・東北医科薬科大学若林病院)
- 関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)
- 長野逓信病院(現・朝日ながの病院)
- 伊豆逓信病院(現・NTT東日本伊豆病院)
- 東海逓信病院(現・大須病院)
- 金沢逓信病院(現・恵寿金沢病院)
- 大阪逓信病院(現・第二大阪警察病院)
- 京都南逓信病院(現・洛和会東寺南病院)
- 高松逓信病院(現・オリーブ高松メディカルクリニック)
- 松山逓信病院(現・松山まどんな病院)
- 長崎逓信病院(現・長崎あじさい病院)
- 熊本逓信病院(現・くまもと森都総合病院)
札幌逓信病院は、旧逓信省が逓信診療所として設置し後に病院へ昇格、電気通信省(後の日本電信電話公社)発足時に移管された。その後民営化により、NTT札幌病院を経てNTT東日本札幌病院となる。郵政省が設置した札幌(南)逓信病院とは別の病院である。
東北逓信病院は、日本電信電話公社発足後に同公社が設立したものであり、逓信省および郵政省に属したことがない。その後、NTT東北逓信病院、NTT東日本東北病院を経て、(学校法人東北医科薬科大学)発足(医学部開設と同時に、学校法人東北薬科大学から改組)と同時に、同法人に事業譲渡され、現在の東北医科薬科大学若林病院に改称、現在に至る。
長野逓信病院は、旧逓信省が逓信診療所として設置し日本電信電話公社発足前に病院へ昇格した。その後民営化により、NTT長野病院、NTT東日本長野病院を経て社会福祉法人ハイネスライフへ事業譲渡され、朝日ながの病院となる。
伊豆逓信病院は、東京第一陸軍共済病院として開設され、第二次世界大戦終結ののちに財団法人共栄会函南病院に改称され、その後施設全体が大蔵省(現・財務省)に移管し財団法人政府職員共済組合連合会函南病院へと改称を経て、逓信省に移管し伊豆逓信病院となる。その後は、電気通信省→日本電信電話公社を経て東日本電信電話株式会社所属となるが、組織整備によって関東逓信病院の分院だった時期もある。のちに関東逓信病院から独立し、NTT再編と共にNTT東日本伊豆病院となる。
東海逓信病院は、日本電信電話公社発足後に同公社が設立したものであり、逓信省および郵政省に属したことがない。その後、NTT東海総合病院、NTT西日本東海病院を経て医療法人桂名会に事業譲渡され、大須病院となる。
金沢逓信病院は、旧逓信省が逓信診療所として設置し後に病院へ昇格、電気通信省(後の日本電信電話公社)発足に伴い移管。その後民営化により、NTT金沢病院→NTT西日本金沢病院を経て社会医療法人財団董仙会へ事業譲渡され、恵寿金沢病院となる。
大阪逓信病院は、旧逓信省が設置した後、電気通信省(後の日本電信電話公社)発足に伴い、同省に移管された。その後民営化により、NTT大阪病院→NTT西日本大阪病院を経て、医療法人警和会へ事業譲渡され、第二大阪警察病院となる。郵政省が設置しかつて存在した大阪北逓信病院とは別の病院である。
京都南逓信病院は、旧逓信省が設置した後、電気通信省(後の日本電信電話公社)発足に伴い、同省に移管された。その後民営化により、NTT京都病院→NTT西日本京都病院を経て医療法人社団洛和会(洛和会ヘルスケアシステム)へ事業譲渡され、洛和会東寺南病院となる。同じく旧逓信省が設置し、のちに郵政省に属した京都逓信病院とは別の病院である。
高松逓信病院は、日本電信電話公社発足前に開設された。その後民営化により、NTT高松病院、NTT西日本高松診療所を経て医療法人如水会へ事業譲渡され、オリーブ高松メディカルクリニックとなる。[12]
松山逓信病院は、旧逓信省が設置した後、日本電信電話公社に移管。その後民営化により、NTT松山病院→NTT西日本松山病院を経て社会医療法人真泉会へ事業譲渡され、松山まどんな病院となる。
長崎逓信病院は、旧逓信省時代に熊本逓信病院の支所として設置。のちに熊本逓信病院から独立し長崎逓信診療所を経て病院へ昇格。その後、医療法人昭和会へ事業譲渡され、長崎あじさい病院となる。
熊本逓信病院は、旧逓信省が逓信診療所として設置し後に病院へ昇格、電気通信省(後の日本電信電話公社)発足に伴い移管された。その後民営化により、NTT九州病院→NTT西日本九州病院を経て医療法人創起会へ事業譲渡され、くまもと森都総合病院となる。建物老朽化によって2017年4月に別の場所に移転後に解体され、跡地にはそれまで別の場所にあった(熊本整形外科病院)が新築移転して来ている。
関東逓信病院(現・NTT東日本関東病院)は、日本電信電話公社発足後に同公社が設立したものであり、逓信省および郵政省に属したことがない。
ただし、13病院とも、電電公社およびNTTグループの職域病院の時代から、郵政省職員の利用が可能であった。
脚注
注釈
出典
- ^ “2001 WHITE PAPER Information and Communications in Japan” (PDF). 総務省. p. 63. 2020年9月30日閲覧。
- ^ “The Ministry of Postal Services Establishment Law”. OFFICIAL GAZETTE (大蔵省印刷局) (EXTRA No. 45): 1. (1948-12-15).
- ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 コトバンク. 2019年2月23日閲覧。
- ^ デジタル大辞泉 コトバンク. 2019年2月23日閲覧。
- ^ 大辞林 第三版 コトバンク. 2019年2月23日閲覧。
- ^ 精選版 日本国語大辞典 コトバンク. 2019年2月23日閲覧。
- ^ ゆうせい‐だいじん イウセイ‥【郵政大臣】 - 精選版 日本国語大辞典 コトバンク. 2019年2月23日閲覧。
- ^ 同年3月31日法律第6号「郵政省設置法の一部を改正する法律」
- ^ 移転:麻布郵便局(東京都)・日本郵便(株)開局情報
- ^ 「虎ノ門・麻布台プロジェクト」始動 - 森ビル・ニュースリリース(2019年8月22日)
- ^ 平成8年(1996年)4月17日法律第30号「郵政省設置法の一部を改正する法律」
- ^ https://www.olive.clinic/about/history オリーブ高松メディカルクリニック
関連項目
外部リンク
- - ウェイバックマシン(1997年7月6日アーカイブ分)