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歌舞伎町

日本 > 東京都 > 新宿区 > 歌舞伎町

歌舞伎町(かぶきちょう)は、東京都新宿区町名[4]。現行の行政地名は歌舞伎町一丁目および歌舞伎町二丁目。全域で住居表示を実施している[5]郵便番号は160-0021[2]

歌舞伎町
夜の歌舞伎町一番街
歌舞伎町
歌舞伎町の位置
北緯35度41分41.2秒 東経139度42分11.4秒 / 北緯35.694778度 東経139.703167度 / 35.694778; 139.703167
日本
都道府県 東京都
特別区 新宿区
地域 四谷地域(一部)
淀橋地域(一部)
人口
2019年(令和元年)12月1日現在)[1]
 • 合計 2,486人
等時帯 (日本標準時)
郵便番号
160-0021[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 練馬

概要・地理

 
靖国通りから見た夜の歌舞伎町
 
新宿東宝ビル(旧コマ劇場)へと繋がるセントラルロード
 
さくら通り
 
区役所通り

歌舞伎町は東京都新宿区に位置する。飲食店・遊技施設・映画館などが集中する日本最大の歓楽街である。札幌すすきの福岡中洲と並んで「日本三大歓楽街」と称される[6]

明治通り(東)、靖国通り(南)、JR中央線(西)、職安通り(北)に囲まれた範囲(ただし花園神社の敷地とその南北の一画は除く)に位置する街である。鉄道の場合、新宿駅(JR他各線)東口、あるいは西武新宿駅が最寄り。都営地下鉄大江戸線の場合は新宿西口駅東新宿駅が近い。歌舞伎町一番街(劇場通り)、中央通り(セントラルロード)、さくら通り、西武新宿通り、東通り、区役所通りなどがある。西武新宿駅で降りれば目の前が歌舞伎町になる。

街の中には漫画喫茶ネットカフェ、飲食店・居酒屋キャバクラホストクラブガールズバーラブホテルパチンコ店などが立ち並んでいる。「眠らない街」と呼ばれ、深夜になってもネオンで明るく人通りや客引きも多い。ドン・キホーテ前、セントラルロードに多いスカウトやホストによるキャッチ、怪しげな客引きポン引きなど、合法、非合法取り混ぜて歌舞伎町独特の猥雑な雰囲気があり、「東洋一の歓楽街」とも呼ばれている。飲み屋街として有名な新宿ゴールデン街や、新宿区役所も歌舞伎町内に位置している。

歌舞伎町には一丁目と二丁目があり、概ね花道通りを境にした南と西武新宿駅周辺の一画が歌舞伎町一丁目、北が歌舞伎町二丁目である。

歌舞伎町一丁目

西寄りに近年まで興行街であった一角がある。東の方へ向かうと新宿区役所があり、区役所通りを渡ると新宿ゴールデン街がある。裏通りには飲食店や性風俗店、アダルトショップなどが密集している。西武新宿駅ビルの複合ショッピング店舗のほか、近年、大手ディスカウントチェーンが進出したが、靖国通りを隔てた新宿三丁目に比べ物販店は少ない。2015年には新宿コマ劇場跡地に実物大のゴジラヘッドが特徴的な新宿東宝ビルTOHOシネマズ新宿)が開業した。新宿東宝ビル横の広場にたむろする少年・少女はトー横キッズと呼ばれ、犯罪の温床になるなど社会問題化している。2017年12月19日SCRAPが運営する常設アミューズメントスポット『東京ミステリーサーカス』がオープンした。2023年には新宿TOKYU MILANO跡地を再開発した東急歌舞伎町タワーが開業した。

歌舞伎町二丁目

西寄りに東京都保健医療公社大久保病院東京都健康プラザハイジア、東側にはラブホテル街が広がり、区役所通り付近はクラブ、ホストクラブなどが多数あるが、一丁目と違い表立って性風俗店は見当たらず、職安通りと明治通り沿いはオフィスビルやマンションが建ち並び、繁華街・歓楽地の様相は全く感じさせない。同じく職安通り沿いには通りの名前になったハローワーク新宿の歌舞伎町庁舎(主に雇用者側の求人などの受付窓口で、雇用保険の失業等給付や求職相談は西新宿庁舎で行う)があるほか、都内有数のコリア・タウンである大久保に接していることもあり、朝鮮料理店や食品小売店などがある。

歴史

 
1960年頃の歌舞伎町

大部分は新宿区発足前には旧淀橋区に属した地域(三光町は旧四谷区)である。元々は「大久保」の名の由来となる窪地の湿地帯と元大村藩主大村氏邸があったところで、明治以降は鴨場となっていた。当初は角筈村1889年からは淀橋町に属した。当時の地名は字十人町、字矢場。

1893年淀橋浄水場建設に伴い、残土で鴨場の池が埋め立てられ、造成される。1920年には東京府立第五女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校)がこの地に開校。学校を取り巻く周囲は閑静な山の手住宅街として大臣軍人の邸宅もあり発展していった。1932年東京市淀橋区に編入され、市街化が進んだ。

1945年東京大空襲で一面焼け野原となったが、第二次大戦後、石川栄耀や(鈴木喜兵衛)らによって「(現在の歌舞伎町一番街付近に)歌舞伎の演舞場を建設し、これを中核として芸能施設を集め、新東京の最も健全な家庭センターを建設する」という復興事業案がまとめられ、この都市計画から、計画担当者の石川栄耀の提案により、新しい町は歌舞伎町と名付けられた。結局、財政の面などからこの構想は実現せず、新宿コマ劇場が建設されるにとどまった。

1950年4月から6月にかけて、歌舞伎町で東京文化産業博覧会が開催された。博覧会は吉田茂首相を名誉総裁に担ぎ上げるも大失敗に終わり、借入金5400万円と税金900万円の赤字が残された。建物は公売にかけられて[7] 所有権は四散したが、今の劇場街の原型が作られた。

1952年には西武新宿駅が開業。西武新宿線新宿駅東口に乗り入れる計画だったため床が板張りの仮駅であった。1960年代も半ばになると各種飲食店映画館ボウリング場、サウナバッティングセンターに加えラブホテルトルコ風呂といった施設が目立ち始めるようになっていった。

1960年代後半には、新宿全体で学生運動や社会運動に関連したデモなどが行われるようになり、1968年10月21日には国際反戦デーを契機として新宿駅東口一帯で新宿騒乱事件も発生した。また、翌年1969年10月21日にも国際反戦デーのデモ隊の一部が暴徒化。三光町(現在の一丁目)付近では、暴徒が駐車中の自動車を横転させ、放火するなど一帯が騒然となる出来事もあった[8]

1976年から翌年2月にかけて火曜日の放火魔事件が発生。歌舞伎町の飲食店店舗なども標的となり、放火により焼失する店もあった[9]

1977年には現在の西武新宿駅ビルが完成し、新宿プリンスホテルと西武新宿ペペが営業を開始した。西武新宿線はバブル期に新宿駅東口乗り入れ計画が再び浮上したものの、歌舞伎町商店街振興組合や新宿サブナード(新宿地下駐車場株式会社)等の反対やバブル崩壊などの影響もあり結局実現しなかった。現在西武新宿駅は一日約18万5,000人の乗降客があるターミナル駅として機能している。

1978年6月24日、親睦会を開いていた拓殖大学国士舘大学の学生が偶発的に衝突。学ラン姿で乱闘を繰り広げ、噴水周辺で双方がなり声をあげるなどの騒ぎとなった。国士舘側に負傷者が出たことで、後日、拓殖大学の学生の多くが退学処分を受けることとなり[10]、以後、右派系、左派系らの学生による騒ぎは縮小・分散傾向となった。

1978年8月25日、警視庁新宿警察署四谷警察署と合同で「新宿地区環境浄化本部」を設置。歌舞伎町を含む新宿一帯の取締りを強化した。薬物を扱う暴力団員の摘発のほかディスコの無許可営業など風俗営業法違反の取締りが年末にかけて行われた[11]。また、同年9月には歌舞伎町を根城とする台湾人グループの対立、抗争が激化し、殺人未遂などの容疑で未成年が検挙されている[12]

1981年新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件1982年新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件など凶悪事件が相次ぎ発生。

2002年頃から石原東京都知事の意向から歌舞伎町の締め付けが厳しくなった。同年には歌舞伎町に監視カメラが設置され始めたが、暴力団幹部が中国人に射殺されるなど物騒な事件が発生した。2003年4月からは1000人余りの警察官を動員して風俗店や暴力団を対象に一斉取り締り「歌舞伎町浄化作戦」が行われた。度重なる摘発の結果、2005年までに200店舗近い風俗店が廃業に追い込まれ、外国人も1000人以上が検挙された[13]。さらに客引きなどを禁じる東京都迷惑防止条例ぼったくり防止条例が改正され、悪質な店舗が減少し、客層が変わる転機となった。

旧新宿コマ劇場付近は中心の広場を複数の映画館が囲む形になっていたが、2008年以降閉鎖する映画館が相次ぎ、2014年12月31日新宿東急文化会館内の映画館・新宿ミラノ座が閉館したため、町内の映画館が一旦全て無くなったが、2015年4月17日、新宿コマ劇場跡地にシネマコンプレックスのTOHOシネマズ新宿が開業した。

「東洋一の歓楽街」と呼ばれてきたが、2010年代には様相はさらに変容し、3,000軒を数えるバーキャバレーラブホテルなどが密集し、「欲望の迷宮都市」「外国人労働者の新租界」等とも評されている。歌舞伎町は世界でも有数の夜の盛り場に数えられていて、2010年代後半にはインバウンド観光客[14]、特に中国韓国からの観光ツアー客も多く、昼間はよくツアーコンダクターが導く姿が見かけられる。

2012年、東京都は歌舞伎町一丁目、二丁目を迷惑防止条例に基づき、客引きスカウト、それらを行うために待機する行為などを禁止する区域に指定した[15]

2019年10月1日、東京都は歌舞伎町を含む新宿の繁華街に(暴力団排除特別強化地域)を設定[16]暴力団風俗営業、飲食店等との間で、みかじめ料のやりとりや便宜供与などが禁止された。違反者は支払った側であっても懲役1年以下または罰金50万円以下の罰則が科される[17]

2020年4月1日、区は区内で3月下旬から新型コロナウイルス感染者が急増と発表。深夜から早朝の接客業関係者が数人新型コロナウイルス感染が確認された。感染者に感染経路や濃厚接触者を聞いているが協力が得られなかった[18]。同年4月10日、東京都は感染拡大を阻止するために都内の多くの店舗に休業要請を実施。対象にはナイトクラブなどの接待を伴う遊興施設が含まれたため歌舞伎町の人通りは激減した[19]。同年5月に緊急事態宣言が解除された後も、小池百合子知事は感染源の多くが「夜の町」であることを繰り返し指摘。同年6月に入ると、休業要請解除のタイミングでPCR検査に同意する店が現れ[20]ホストクラブなどで集団感染が確認されるようになった[21]。また同年6月頃からは、歌舞伎町の一部を縄張りとする暴力団と女性飲食店従業員をスカウトするグループが対立。多数のスカウトらが襲撃を受けて同年8月頃まで姿を消す出来事もあった[22]

2018年頃からは新宿東宝ビル(TOHOシネマズ新宿)の周辺、中でも同ビル東側の路地やシネシティ広場(旧コマ劇場前広場)を「トー横」(意味はTOHOシネマズ、あるいは東宝ビルの横)と称して、自然発生的に若者達がたむろする場になっている。中には不登校ネグレクトなどの問題を抱えた10代の少年少女も集うようになり、こうした若者を「トー横キッズ」と称するようになっているほか、インフルエンサーによってSNSなどで発信されて以降認知度が上がると、「#トー横界隈」というハッシュタグで発信されるようになっている[23][24]。警視庁が2021年に補導した数は約180人。2022年にも監視強化が続けられ、同年7月18日[25]や12月11日には100人以上の私服警察官が動員され、それぞれ二十数人が補導された[26]

沿革

歌舞伎町は、第二次世界大戦の戦災復興の時期に誕生した。

  • 1948年4月1日 - 新宿区に、歌舞伎町(現在のように丁目はなく番地と号数のみのいわゆる一町画)として起立[27]
角筈一丁目の北東部とその周辺、百人町一丁目・東大久保三丁目・三光町の境界付近を区画整備し、当時の歌舞伎町の範囲は、おおむね現在の歌舞伎町一丁目(西側の鉄道敷設部分とその沿線および区役所通りより東をそれぞれ除く)に相当する。

町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名の一部)
歌舞伎町一丁目 1978年7月1日 歌舞伎町(全域)、三光町、百人町一丁目、東大久保三丁目、角筈一丁目(全域)、角筈二丁目(全域)、柏木一丁目(全域)、新宿三丁目(道路のみ)
歌舞伎町二丁目 西大久保一丁目、東大久保三丁目

世帯数と人口

2019年(令和元年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
歌舞伎町一丁目 179世帯 203人
歌舞伎町二丁目 1,910世帯 2,283人
2,089世帯 2,486人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[34]

丁目 番地 小学校 中学校
歌舞伎町一丁目 1番2~19号 新宿区立花園小学校 新宿区立四谷中学校
その他 (新宿区立大久保小学校) 新宿区立新宿中学校
歌舞伎町二丁目 全域

交通

 
東京都新宿区歌舞伎町の航空写真(2009年4月27日撮影)

鉄道

路線バス

最寄りのバス停留所は靖国通りの「歌舞伎町」「新宿五丁目」停留所、 明治通りの「日清食品前」「東新宿駅前」停留所である。靖国通りに並行する新宿通りを経由する路線では「新宿駅東口」「新宿追分」停留所が最寄りになる。都営バス池86系統を除くすべての路線が新宿駅西口を発着する。

東急歌舞伎町タワーからは空港連絡バスが発着する。

道路

  • 東京都道4号東京所沢線 - 靖国通り
  • 東京都道305号芝新宿王子線 - 明治通り
  • 東京都道302号新宿両国線 - 靖国通り(本線:都道4号東京所沢線と重複)・職安通り(支線)
  • 東京都市計画道路幹線街路補助線街路第72号線 - 西武新宿駅前通り
    靖国通りの新宿大ガード東交差点から西武新宿線・JR山手線に沿って南北に走る都市計画道路。花道通りに接する東急歌舞伎町タワーから南は靖国通り方面への一方通行である。職安通りから北はつつじ通りと街路名を改め、新大久保駅(大久保通り)と高田馬場駅(早稲田通り)を経て新目白通りに通じている。
  • 区役所通り
    歌舞伎町内を南北に走る新宿区の区道。全長約500メートルの片側1車線の通りである。北で職安通り、南で靖国通りと面する。その名の通り、区役所通り沿いには新宿区役所があるほか、風俗店飲食店が多く並んでいることで知られている。沿道には他に新宿バッティングセンター稲荷鬼王神社がある。この通りはになると暗くなり治安が悪くなるイメージをもたれていたが、これを改善すべく2006年より新宿区や地元の商店会などによって冬季の期間限定で街路樹イルミネーションが実施されるようになった。また1996年までは日中の時間帯は都営バス宿74系統(往路のみ)もこの通りを走っていた(現在は廃止)。当通りには新宿区役所前、同愛病院前(1982年までに廃止)、鬼王神社前のバス停があった。
  • 花道通り
    歌舞伎町内を東西に走り、1丁目と2丁目を分かつ新宿区の区道。東京都健康プラザハイジアの南と東急歌舞伎町タワーおよび新宿東宝ビルの北を通り、西は西武新宿駅前通り、東は明治通りに面する。新宿区役所通り交差点から歌舞伎町交番までは西武新宿駅前通り方面への一方通行である。明治通りから東は文化センター通りと街路名を改める。

治安

 
昼間の歌舞伎町一番街の入り口。昼間でも当地所在のオフィスや映画館などで人も多い。

2000年代に入ってからは生活安全条例の制定や、パトロールの強化など、取締りも厳しくなっている。2002年2月には50台の防犯カメラが設置され、その後犯罪がかなり減少し、効果が見られたとされている。

2001年9月1日に起こった歌舞伎町ビル火災は、死者44人を出し、防災人権などの問題とともに、マスコミ世論を賑わせた。

裏社会では指定暴力団住吉会幸平一家加藤連合会の縄張りとなっており、山口組や、稲川会極東会松葉会等の在京組織の傘下団体も拠点を置いている[35]。2004年時点で、約120箇所[36]暴力団事務所があり、推定で1,000人[36] の構成員が居るといわれている。

1980年代から1990年代にかけて、台湾中国黒社会による窃盗賭博および抗争が取り沙汰される[37] など、歌舞伎町における不法滞在外国人組織犯罪も多かったが、これは2003年東京入国管理局の出張所を歌舞伎町に置くことにより不法滞在者の摘発が進み、大幅に減少した(それ以前、不法滞在摘発者は主に中国・韓国タイロシアが75.6%を占め、13か国に上った[38])。さらに、西アフリカ出身のナイジェリア人グループらが大掛かりで、泥酔客からぼったくりを行う問題も見られる[39]

2003年、東京都知事であった石原慎太郎は「この状況を今日まで放置していたことは、日本の首都として国際的に恥ずかしい」として、広島県警本部長であった竹花豊を治安担当副知事に招聘して歌舞伎町の治安回復に着手した。これに応じて自由民主党は同年に「治安回復マニュフェスト」を掲げ、日本国政府も「犯罪対策閣僚会議」を設置してバックアップした。2004年暮れに竹花豊の主導により「歌舞伎町浄化作戦」が実施され、防犯カメラの増設、人員の増強、「割れ窓理論」に基づく軽犯罪の徹底取締、店舗の摘発などが積極的に行われた[40]。この際に性風俗店・アダルトショップなどが閉店を余儀なくされ、2005年に竹花が出向解除により警察庁へ復帰して以降も、警視庁の威信をかけた重点摘発が続けられている。

また水面下では以前から討議されていたものの、2004年後半には大規模再開発と暴力団追放等を目的とした「歌舞伎町ルネッサンス」計画の第1回会議が公開の場で開かれた。翌2005年1月に「歌舞伎町ルネッサンス推進協議会」が発足し[40]、同年4月には都条例の改正(通称・客引き禁止条例)が施行され、「歌舞伎町ルネッサンス」計画開始を宣言するイベントも行われた。

それでもなお、歌舞伎町には違法な客引きが横行している。性風俗店の客引き自体が都条例で2005年4月以降禁止されており、それを無視して行うのはぼったくり・恫喝で金品を要求する悪質な店舗であり、絶対に付いていってはいけないという啓発も、歌舞伎町商店街振興組合によって行われている。

2019年辺りから、新宿東宝ビルTOHOシネマズ)周辺にたむろする若者を「トー横キッズ」と呼ぶようになり、中学受験を経験した10代が非行に走ったり犯罪に巻き込まれる事例が発生している。2022年にはトー横の王を自称する男性が性犯罪の加害者として逮捕された[41]。大阪の「グリ下」、名古屋の「ドン横」など、他地域にトー横の派生概念が誕生して問題となっている。

歌舞伎町を舞台にした作品

ノンフィクション

  • 李小牧『歌舞伎町案内人』角川書店2004年、(ISBN 978-4043733019)
  • 『歌舞伎町シノギの人々』主婦と生活社 2004年、 宝島sugoi文庫
  • 李小牧『歌舞伎町の住人たち』河出書房新社2005年、(ISBN 978-4309017280)
  • 影野臣直『歌舞伎町ネゴシエーター』河出書房新社、2005年、(ISBN 978-4309017082)
  • 久保博司『新宿歌舞伎町交番』講談社2006年、(ISBN 978-4062753425)
  • 武内晃一『歌舞伎町午前零時/女衒の夜』河出書房新社、2006年、(ISBN 978-4309017426)
  • 久保博司『歌舞伎町と死闘した男 続・新宿歌舞伎町交番』講談社、2007年、(ISBN 978-4062758871)
  • miho『ネバー・ギブ・アップ』日本文芸社2007年、(ISBN 978-4537254877)
  • 武内晃一『わたしはいくら?』早稲田出版、2008年、(ISBN 978-4898273500)
  • 稲葉佳子、青池憲司『台湾人の歌舞伎町』紀伊国屋書店、2017年9月29日 (ISBN 4314011513)

小説

漫画

その他書籍

映画

テレビ番組

音楽

ドラマ

アニメ

ゲーム

ギャラリー

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b “住民基本台帳人口 町丁別世帯数及び男女別人口”. 新宿区 (2019年12月1日). 2019年12月2日閲覧。
  2. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月22日閲覧。
  3. ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月22日閲覧。
  4. ^ 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店1991年再版、P873
  5. ^ 新宿区
  6. ^ “九州最大、西日本一の歓楽街を有する「中洲川端」エリア。飲食店出店のポイントは? 飲食店.COM 店舗物件探し”. 飲食店.COM. 2021年2月17日閲覧。
  7. ^ 「東京産業博を公売処分」『日本経済新聞』昭和25年11月17日2面
  8. ^ 10.21反戦デー 逮捕者の中に中学生 新宿での騒乱に加わる『朝日新聞』昭和44年(1969年)10月25日朝刊、12版、15面
  9. ^ さらに三件を自供『朝日新聞』1977年(昭和52年)2月8日夕刊、3版、9面
  10. ^ 拓大、29人を退学に 国士舘大生との新宿衝突事件 「学ラン姿、反省なし」『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月11日、13版、23面
  11. ^ 道でトルエン密売 新宿で組員ら67人摘発『朝日新聞』1978年(昭和53年)10月9日夕刊、3版、11面
  12. ^ 新宿のグループ抗争事件 台湾人少年に懲役刑『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月3日夕刊 3版 9面
  13. ^ “ぼったくり店を増やしただけだった「歌舞伎町浄化作戦」”. 日刊ゲンダイ (2016年10月26日). 2022年1月7日閲覧。
  14. ^ “インバウンドの”聖地”新宿・歌舞伎町の処方箋”. 日経ビジネス (2018年8月10日). 2021年6月1日閲覧。
  15. ^ “客引き等の相手方となるべき者を待つ行為を規制する区域の指定について”. 警視庁ホームページ (2016年3月11日). 2022年8月27日閲覧。
  16. ^ “暴力団排除特別強化地域”. 警視庁 (2019年). 2022年8月22日閲覧。
  17. ^ “東京都暴力団排除条例”. 東京都ホームページ (2019年). 2022年8月22日閲覧。
  18. ^ “歌舞伎町で十数人感染 キャバクラの女性従業員・風俗店関係者ら 実数はさらに多い?”. 読売新聞 (2020年4月1日). 2020年4月1日閲覧。
  19. ^ “休業要請初日の人出 歌舞伎町72%減、大阪駅周辺93%減”. 日本経済新聞 (2020年4月11日). 2020年6月15日閲覧。
  20. ^ “コロナ12人集団感染の「歌舞伎町ホストクラブ」がSNSで謝罪したワケ”. デイリー新潮 (2020年6月11日). 2020年6月15日閲覧。
  21. ^ “東京都で新たに47人感染 「夜の街」の同じ店で18人”. 朝日新聞 (2020年6月14日). 2020年6月15日閲覧。
  22. ^ “「違います!僕はホストです!」歌舞伎町の男たちが次々と“武闘派ヤクザ”にボコボコにされていた〈終わらない「スカウト狩り」〉”. 文春オンライン (2020年11月22日). 2020年11月22日閲覧。
  23. ^ 集う10代「ここで初めて友達ができたという子も」…大学生ライターが見た、“居場所”としての歌舞伎町「トー横」,ABEMA TIMES,2021年10月1日
  24. ^ 歌舞伎町「トー横」界隈にたむろする若者達の実像 | 災害・事件・裁判,東洋経済オンライン,2021年10月6日
  25. ^ “「まさに“援交バブル”状態ですよ」トー横が警察の“25人一斉補導”で壊滅、元キッズの中には大久保公園で“立ちんぼ”になる女の子も…”. 文春オンライン (2022年7月22日). 2022年7月22日閲覧。
  26. ^ “歌舞伎町「トー横」で中高生ら20人一斉補導、警視庁が私服警官ら100人投入”. 読売新聞 (2022年12月12日). 2022年12月13日閲覧。
  27. ^ 昭和23(1948)年 – 新宿区史年表
  28. ^ 同年2月17日郵政省告示第38号
  29. ^ 同日、首都建設委員会公告第2号
  30. ^ 同日、東京都条例第103号「風俗営業等取締法施行条例の一部を改正する条例」
  31. ^ 同年10月4日自治省告示第174号
  32. ^ 同年4月18日、郵政省告示第253号
  33. ^ 1989年12月5日、郵政省告示第782号
  34. ^ “通学区域”. 新宿区 (2017年9月19日). 2017年12月22日閲覧。
  35. ^ 2010年の歌舞伎町商店街振興組合と歌舞伎町住人との定例懇談会
  36. ^ a b 2004年1月19日の竹花東京都副知事発言・歌舞伎町住民との懇談会
  37. ^ 中国マフィア抗争「青龍刀事件」
  38. ^ 2002年の入管特別集中摘発資料
  39. ^ “【衝撃事件の核心】「不夜城」に巣くうナイジェリア人グループ 強引な客引きで泥酔客から10億円をぼったくり”. 産経新聞. (2012年1月2日). http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130102/crm13010212010000-n1.htm 2013年1月4日閲覧。 
  40. ^ a b 軍師・佐々淳行. 文藝春秋. (2007-10-10). pp. 176-182 
  41. ^ ““トー横の王”女子中学生にみだらな行為か”. www.tv-sdt.co.jp. 2022年6月12日閲覧。
  42. ^ “クローズアップ現代+”. 日本放送協会 (2022年). 2022年7月12日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • 新宿区
  • 歌舞伎町商店街振興組合
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