1998年の日本シリーズ(1998ねんのにっぽんシリーズ、1998ねんのにほんシリーズ)は、1998年10月18日から10月26日まで行われたセ・リーグ優勝チームの横浜ベイスターズと、パ・リーグ優勝チームの西武ライオンズによるプロ野球日本選手権シリーズ試合である。
概要
パ・リーグは東尾修監督率いる西武ライオンズ、セ・リーグは権藤博監督率いる横浜ベイスターズの対戦で、下馬評は西武有利と予想されたが[1]、横浜が4勝2敗で勝利し、大洋ホエールズ時代の1960年以来38年ぶりの2度目の日本一となった。「マシンガン打線」と呼ばれる攻撃陣と、「中継ぎローテーション」と呼ばれた中継ぎ陣、そして「ハマの大魔神」こと佐々木主浩が最後に控える投手陣、機動力で西武をリードした横浜が圧倒。西武は横浜の勢いを止めることができなかった[2]。本シリーズでは、いずれの試合も先制点をあげたチームの勝利となり、試合途中の逆転もなく、淡白な試合が多かったとも言える[3]。
試合結果
この節は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2016年3月) |
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月17日(土) | 第1戦 | 雨天中止 | 横浜スタジアム | ||
10月18日(日) | 西武ライオンズ | 4 - 9 | 横浜ベイスターズ | ||
10月19日(月) | 第2戦 | 西武ライオンズ | 0 - 4 | 横浜ベイスターズ | |
10月20日(火) | 移動日 | ||||
10月21日(水) | 第3戦 | 雨天中止 | 西武ドーム | ||
10月22日(木) | 横浜ベイスターズ | 2 - 7 | 西武ライオンズ | ||
10月23日(金) | 第4戦 | 横浜ベイスターズ | 2 - 4 | 西武ライオンズ | |
10月24日(土) | 第5戦 | 横浜ベイスターズ | 17 - 5 | 西武ライオンズ | |
10月25日(日) | 移動日 | ||||
10月26日(月) | 第6戦 | 西武ライオンズ | 1 - 2 | 横浜ベイスターズ | 横浜スタジアム |
優勝:横浜ベイスターズ(38年ぶり2回目) |
第1戦
第1戦は10月17日(土)開催の予定だったが、雨で1日順延された。
10月18日(日) 横浜スタジアム(試合開始 18:40~) 入場者29,025人
横浜の一番打者石井琢朗の試合開始直後のセーフティバントと2盗塁が特にあげられる。石井は、第1打席で出塁して次打者の波留敏夫の3球目に二盗を成功させ、鈴木尚典の安打で先制のホームを踏んだ[7][3]。さらに横浜は3回、石井琢が四球で出塁、二盗すると、波留、鈴木尚、ロバート・ローズの3連続適時打などで3点を追加した。4回には無死1・3塁から波留が適時打、さらに西武に失策、暴投といったミスが重なってさらに3点を追加した。西武も髙木大の2点本塁打などで4点を返すものの、横浜が1勝した。
なお、横浜の佐々木は、この試合、8回二死から登板し、1回1/3を無失点に抑えたが、シリーズ直前に高熱を出し、シリーズ期間中本調子に戻らなかったという[9]。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第2戦
10月19日(月) 横浜スタジアム(試合開始 18:40~) 入場者29,076人
横浜が斎藤隆、西武が豊田清、ともに後年リリーフとして実績を残すこととなる両投手の先発。横浜は初回、安打で出塁した石井琢が二盗し、鈴木尚の適時打で先制という第1戦と同じパターン。5回には石井琢の本塁打、ローズの適時二塁打で3対0とし、7回には再び鈴木尚の適時打で4対0とした。斎藤隆は初回に無死1・3塁のピンチを迎えたが、松井稼頭央を遊飛、鈴木健を三ゴロ併殺打に仕留め、結局3安打完封勝利を飾った。日本シリーズ初登板完封勝利は1990年第3戦の渡辺智男以来8年ぶり、史上9人目[10]。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第3戦
10月22日(木) 西武ドーム(試合開始 18:20~) 入場者31,599人
再び雨で1日順延(屋根がつき全天候になったのは翌年の1999年から)。舞台を西武ドームに移した第3戦、西武がベテラン潮崎哲也、横浜が三浦大輔の先発。西武は、第1戦、第2戦で横浜の機動力に翻弄された伊東勤に代えて強肩の中嶋聡を捕手に起用した。横浜は先頭の石井琢が四球で3試合連続の第1打席出塁だったが、潮崎が波留を併殺打に仕留め、無失点で切り抜けた。シリーズ前に二段モーションを指摘されていた三浦は神経質になり、3回までに6四球を出す大乱調。三浦は3回1/3を4失点でKOとなった。さらに福盛和男、戸叶尚も合わせて5四球と乱れ、西武打線は5回までに7点を奪い、試合を決めた。横浜の1試合11与四球はシリーズワースト記録。潮崎は初回以外は石井琢を1度も出塁させず、6回まで1失点の好投。7回一死から谷繁元信に本塁打を浴び、続く進藤達哉に安打を許したが、小刻みな継投で西武が逃げ切った。なお、横浜は大洋時代の前回、日本シリーズに出場時には4戦全勝だったので、この試合が日本シリーズで球団史上初の敗戦となった。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第4戦
10月23日(金) 西武ドーム(試合開始 18:20~) 入場者31,685人
西武が石井貴、横浜が野村の先発。西武は2回、中嶋の2点本塁打で先制。しかし横浜も4回に鈴木尚の2点本塁打で同点に追いついた。6回、ヒットで出塁した髙木大を一塁におき、4番マルティネスの2点本塁打で勝ち越し、野村をこの回でKOした。石井は9回途中まで2失点の好投。橋本、西崎幸広とつなぎ、第3戦に続いて西武が逃げ切り、対戦成績を2勝2敗の五分とした。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第5戦
10月24日(土) 西武ドーム(試合開始 18:20~) 入場者31,756人
先発は西武がシリーズ初登板の横田久則[11]、横浜が第2戦で完封勝利の斎藤隆。横浜は初回から4イニング連続得点で7点を奪い、横田を序盤でKO。8回にも3点を追加して10対2とほぼ勝負を決めた。西武も8回に変わった五十嵐英樹から3点を返したが、横浜はさらに9回、代打の荒井幸雄のヒットを皮切りに集中打で7点を追加し、17対5で圧勝した。17点のうち、本塁打による得点は9回ローズの2ランによる2点だけで、あとはすべて連打で奪った得点だった。
横浜の1試合20安打、12長打、9二塁打はシリーズ新記録に[3]、2三塁打、17打点はタイ記録になった。
個人記録では佐伯の4長打がシリーズ新記録[3]、鈴木尚の4得点がシリーズタイ記録だった。
一方8、9回に集中打を浴びた西武の新谷博は、失点を重ねながら続投となり、1試合10失点[3]、10自責点、9回の1イニング7失点、7自責点、6被安打というシリーズワースト記録(但しイニング被安打はタイ記録)を作る破目になってしまった。また、試合時間4時間15分は9イニングの試合としてシリーズ史上最長だった。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第6戦
10月26日(月) 横浜スタジアム(試合開始 18:40~) 入場者29,289人
王手をかけた横浜の先発はこの年シーズン開幕投手だったが後半戦1勝もできなかった川村、崖っぷちの西武先発は病み上がりのエース西口。両チーム無得点で迎えた8回、横浜は、四球と二塁手高木浩之の野選で迎えた好機に、駒田徳広の2点適時2塁打で先制した。
9回表の西武の攻撃に対して、横浜はシーズン定石どおり佐々木をマウンドへ送り、佐々木は、大塚の打球をレフトが拙守で3塁打とされ、中嶋の三塁ゴロは野選となり大塚が生還して1点差。続く一死一・二塁の場面で代打金村義明を二ゴロ併殺打に打ち取り日本一を決めた[12]。8回途中に2番手で登板した阿波野が近鉄バファローズ時代の1989年第1戦以来の勝利投手で[14]、日本シリーズ史上2人目の両リーグ勝利投手となった。また権藤は現役時代、中日の生え抜きだったため、今回の日本一により中日生え抜き初の日本一監督となった。
なお、横浜スタジアムでの日本一の胴上げが行なわれたのはこの年が唯一である(2022年現在)[15]。
公式記録関係(日本野球機構ページ)
表彰選手
- 最高殊勲選手賞
- 鈴木尚典(横浜)
- 打率.480(25打数12安打)。第1戦・第2戦での先制適時打を含み8打点を記録。
- 敢闘選手賞
- 大塚光二(西武)
- シリーズ新の6打席連続安打。打率.643(14打数9安打)。
- 優秀選手賞
- 駒田徳広(横浜)
- 日本一を決めた第6戦で決勝適時二塁打。
- 斎藤隆(横浜)
- 第2戦で完封、第5戦で7回2失点と好投し2勝0敗。防御率1.33。
- 石井琢朗(横浜)
- 打率.364(22打数8安打)、3盗塁で日本一に貢献。
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
- 第1戦:10月18日(日)
- フジテレビ≪フジテレビ系列(26局ネット)≫
- 第2戦:10月19日(月)
- TBSテレビ≪TBS系列(28局ネット)≫
- 第3戦:10月22日(木)
- テレビ朝日≪テレビ朝日系列(24局ネット)≫
- 第4戦:10月23日(金)
- TBSテレビ≪TBS系列(28局ネット)≫
- 第5戦:10月24日(土)
- テレビ朝日≪テレビ朝日系列(24局ネット)≫
- 第6戦:10月26日(月)
- フジテレビ≪フジテレビ系列(26局ネット)≫
※第7戦はTBSテレビが中継する予定だった。
- このシリーズを通してNHK(総合テレビ及び衛星第1テレビ)のテレビ中継(録画も含めて)がなかった。これはNHKにとって1953年の日本シリーズテレビ中継開始以後、初めてのことだった。
- この年はTBSテレビ制作分では「制作協力」、テレビ朝日制作分では「協力」として、日本野球機構(NPB)がクレジットされていた。
※関東地区での視聴率は(ビデオリサーチ調べ)、第1戦(フジテレビ系)は27.9%。第2戦(TBS系)は25.9%。 第3戦(テレビ朝日系)は20.9%。 第4戦(TBS系)は21.4%。 第5戦(テレビ朝日系)は24.7%。 第6戦(フジテレビ系)は29.9%だった。
ラジオ放送
- 第1戦:10月18日(日)
- 第2戦:10月19日(月)
- 第3戦:10月22日(木)
- 第4戦:10月23日(金)
- 第5戦:10月24日(土)
- 第6戦:10月26日(月)
脚注
- ^ ベースボールマガジン2009年3月号、91頁
- ^ a b “マシンガン打線と大魔神”. 2016年3月18日閲覧。
- ^ a b c d e 『プロ野球70年史』p.p.678~679
- ^ “過去にもあった予告先発 権藤監督の仕掛けに乗った東尾監督”. 2016年3月18日閲覧。
- ^ 次の日本シリーズ連覇は2000年から2002年までのセ・リーグの3連覇であり、そのうちの2001年では世紀を跨いでのセ・リーグの日本シリーズ連覇となっている。
- ^ パ・リーグでの20世紀の最後の日本シリーズ連覇は1990年から1992年までが最後であり、いずれも西武の3連覇。
- ^ 【10月18日】1998年(平10) 勝負は2球目で決まった 石井琢朗の三塁バントヒット
- ^ スポーツ・グラフィック・ナンバー編 (2008). 私のベストゲーム. 文藝春秋. ISBN (9784167713263)p.220
- ^ 古田(2016年)p.p.94~99。なお、佐々木自身は、リーグ優勝祝いのビールかけで風邪をひいたとしている[8]。
- ^ “98年日本シリーズ 第2戦”. 朝日新聞社. 2016年5月8日閲覧。
- ^ 本来は西口が登板予定だったが、西口が風邪による発熱と腰痛の影響で急遽先発を回避し、横田が先発となった。
- ^ 【10月26日】1998年(平10)10年ひと昔…横浜、駒田徳広の一撃で38年ぶりの日本一
- ^ Sports Graphic Number790. 文藝春秋. (2011)p.p.58~59
- ^ 1989年当時に阿波野が所属していた近鉄は、権藤が投手コーチであり、また西武と激しい優勝争いを繰り広げた。阿波野は後に「すべてが10.19からつながってるんですよ」と振り返っている[13]。阿波野秀幸参照
- ^ 2017年にもソフトバンクが横浜スタジアムでの日本一達成の可能性があったが、2敗したため横浜スタジアムでの日本一の胴上げを逃している。
参考文献
関連項目
外部リンク
- 1998年度日本シリーズ - NPB.jp 日本野球機構