この(存命人物の記事)には(検証可能)な(出典)が不足しています。(2023年4月) |
小野 浩慈(おの こうじ、1955年(昭和30年)5月3日 - )は、フリーアナウンサー。元フジテレビ・元ニッポン放送アナウンサー。独身。
経歴
- 大分県出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て千葉大学卒業。1979年、ニッポン放送入社。
- 2006年3月までニッポン放送スポーツ部所属であったが、ニッポン放送再編のため2006年4月3日付でフジテレビの編成制作局アナウンス室へ移籍。転籍した多くのアナウンサーは2006年9月までで担当を降板していたが、小野は引き続きニッポン放送の番組も担当(ニッポン放送の番組担当時は出向扱い)。
- プロ野球では、主に東京ヤクルトスワローズ戦の実況・リポートを、また読売ジャイアンツ戦のロードゲームのリポートも担当した。
- Jリーグ草創期には、ほぼサッカー実況(ニッポン放送では「サッカーパーソナリティ」と呼称)専任になっていたこともある。Jリーグ人気が落ち着き中継頻度が減ると、再び野球中継も担当するようになったが、サッカー中継の経験はその後も生かされている(後述)。
- 作曲が趣味で、日曜競馬ニッポンのBGMなどを手がけたことがある。『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』では、松本ひでおアナウンサー率いるフォークグループ「ディープパープリン」の再結成のために曲を提供した。
- サッカー中継では2002年6月30日の2002 FIFAワールドカップ決勝『ブラジル×ドイツ』戦の民放代表の実況、2005年6月8日の2006 FIFAワールドカップアジア最終予選『北朝鮮×日本』戦の実況(後者は東海ラジオ等一部のNRN局もネット)を担当。
- 2009年3月29日をもって日曜競馬ニッポンを降板。ニッポン放送の番組から撤退することとなり、以後はフジテレビの番組に専念した。
- 2015年5月31日付でフジテレビを定年退職。以後、フジテレビ子会社である東京フイルム・メート所属となり、フリーアナウンサーとして活動。
主な出演番組
- BASEBALL L!VE(2006年8月9日)
- 日曜競馬ニッポン(司会・実況担当)
- ニッポン放送ショウアップナイター
- Jリーグ RADIO
- みんなのケイバ→みんなのKEIBA 実況担当(2009年4月26日~2010年)
- SWALLOWS BASEBALL L!VE
- プロ野球ニュース (2019年8月17日放送から8年振りに復帰出演)
- Jリーグカップ中継
- ブンデスリーガ
競馬GI実況歴
確認できる範囲なので、下記の年以外にも多数担当している。
- ニッポン放送時代
- フェブラリーステークス(2001年、2003年、2006年~2008年)
- 高松宮記念(2000年)
- 桜花賞(2000年~2001年、2007年~2008年)
- 皐月賞(1998年~2002年、2006年~2008年)
- 天皇賞・春(2002年、2007年~2008年)
- NHKマイルカップ(1999年、2008年)
- ヴィクトリアマイル(2008年)
- 優駿牝馬(1998年~1999年)
- 東京優駿(1998年~2002年、2006年~2008年)
- 安田記念(1998年~2001年、2008年)
- 宝塚記念(2000年、2006年)
- スプリンターズステークス(1998年~2001年、2006年~2007年)
- 秋華賞(1998年、2006年~2007年)
- 菊花賞(1998年、2001年、2006年)
- 天皇賞(秋)(1997年~1998年、2000年、2002年、2006年~2007年)
- エリザベス女王杯(2002年)
- ジャパンカップ(1997年~2001年、2006年~2007年)
- 朝日杯3歳ステークス(1998年~1999年)
- 有馬記念(1998年~2002年、2006年~2007年)
関連項目
外部リンク
- » 小野 浩慈 - 東京フイルム・メート