1999年の日本シリーズ(1999ねんのにっぽんシリーズ、1999ねんのにほんシリーズ)は、1999年10月23日から10月28日まで行われたセ・リーグ優勝チームの中日ドラゴンズと、パ・リーグ優勝チームの福岡ダイエーホークスによる第50回プロ野球日本選手権シリーズである。
概要
王貞治監督率いる福岡ダイエーホークスと星野仙一監督[1]率いる中日ドラゴンズの対決となった1999年の日本シリーズは、全試合がドーム球場で行われるのは初めてで、関東地方、関西地方の球団がいずれも参戦しない顔合わせは、中日と福岡県を本拠地とした西鉄ライオンズの対戦となった1954年以来45年ぶり史上2度目[2]、関東地方のチームが出場しない日本シリーズも1984年以来15年ぶり史上7度目であった。前評判では中日圧倒的優位だったが[3]、ダイエーが4勝1敗で前身の南海ホークス時代を含めると35年ぶり3度目で、福岡への本拠地移転後では初の日本一[4]である。福岡(および九州地方)を本拠地とする球団としては1958年の西鉄以来41年ぶり、関西地方より西を本拠地とする球団としては1984年の広島以来15年ぶりの日本一である。
ダイエーは、主将の秋山幸二が第1戦と第2戦で本塁打、第3戦で久慈照嘉の右翼ポール付近へのファウル飛球を三角跳びで好捕するなどチームを牽引し、日本シリーズMVPに選出された。秋山は西武時代の1991年にも同賞に選出されており、複数球団での受賞は史上初である。
一方、中日は主砲の山﨑武司をシーズン終盤の負傷で欠き[5]、第一戦先発した工藤公康が中日の1番関川浩一を抑え調子を狂わせたことも大きく[6]、関川は同シリーズ21打数2安打、第一戦から第四戦まで無安打、得点能力が激減し、益田大介・神野純一ら控え選手を先発で使うなどしたが野手層の薄さが露呈し、ルーキーの福留孝介は3戦から5戦まで失策を記録した[7]。井上一樹は13打数ノーヒットだった。野口茂樹は第1戦と第5戦に先発したがいずれも敗戦投手になった。中継ぎの一人だったサムソン・リーが翌年のメジャー挑戦を公に表明してしまい選手登録から外されるなどしていた。なお、中日唯一の勝利試合となった第2戦で好投した川上憲伸が敢闘賞に選ばれている。
この年は史上初めて全試合ドーム球場(福岡ドームとナゴヤドーム)で開催されたシリーズでもあった[8]。また、王監督は監督として初の日本一を経験し、ナゴヤドームで開場以来、レギュラーシーズンおよびポストシーズンを通じて初代胴上げ監督となった。そして巨人生え抜きOBで他球団を日本一に導いたのは三原脩(西鉄、大洋)、水原茂(東映)、広岡達朗(ヤクルト、西武)、森祇晶(西武)に次いで王で5人目となった。
試合結果
この節は(検証可能)な(参考文献や出典)が全く示されていないか、不十分です。(2016年4月) |
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月23日(土) | 第1戦 | 中日ドラゴンズ | 0 - 3 | 福岡ダイエーホークス | 福岡ドーム |
10月24日(日) | 第2戦 | 中日ドラゴンズ | 8 - 2 | 福岡ダイエーホークス | |
10月25日(月) | 移動日 | ||||
10月26日(火) | 第3戦 | 福岡ダイエーホークス | 5 - 0 | 中日ドラゴンズ | ナゴヤドーム |
10月27日(水) | 第4戦 | 福岡ダイエーホークス | 3 - 0 | 中日ドラゴンズ | |
10月28日(木) | 第5戦 | 福岡ダイエーホークス | 6 - 4 | 中日ドラゴンズ | |
優勝:福岡ダイエーホークス(35年ぶり3回目) |
第1戦
10月23日 福岡ドーム 開始18:02(2時間52分) 入場者36,199人
中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
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ダイエー | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | x | 3 |
(ダ)○工藤(1勝)-城島
本塁打
(ダ)秋山1号ソロ(6回野口)
[審判]パ東(球)セ友寄 パ中村 セ谷(塁)パ林 セ井野(外)
ダイエーの先発はこの年に最優秀防御率、最多奪三振の二冠に輝いた工藤。対する中日は19勝をあげた野口という、ともにリーグMVPに選出されたエース左腕の先発であった。
中日は2回に安打と死球で一死一、二塁のチャンスをつかむが井上一樹の中飛で二塁走者の立浪和義が飛び出すボーンヘッドで併殺。チャンスを逃してしまう。対するダイエーは野口の前に3回までパーフェクトに抑えられるなど、5回を終え、1安打で両チームとも0行進が続く。6回、ダイエーは先頭打者の秋山がシリーズ通算14号となる左翼へのソロホームランで均衡を破ると、さらに二つの四球で二死一、二塁として野口をKO。代わった岩瀬に対し、メルビン・ニエベスが右中間を破る2点適時二塁打で3-0とする。逆に工藤は、中日打線からシリーズ記録となる13個の三振を奪い、完封。ダイエーが先勝した。因みにホークスのシリーズ勝利は前回出場の1973年(当時は南海)の第1戦以来の事だった。
- オーダー
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第2戦
10月24日 福岡ドーム 開始18:15(3時間30分) 入場者36,305人
中日 | 2 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 8 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ダイエー | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 |
(中)○川上(1勝)、落合-中村
(ダ)●若田部(1敗)、佐久本、吉田、藤井、ヒデカズ、山田-城島
本塁打
(ダ)秋山2号ソロ(1回川上)
[審判]セ井野(球)パ林 セ友寄 パ中村(塁)セ橘高 パ小寺(外)
第2戦の先発はダイエーが5年ぶりの二桁勝利をあげた若田部、中日が前年新人王に輝きながら不調で8勝に終わった川上。試合はいきなり初回からダイエー若田部が制球を乱し、3つの四球で一死満塁とすると立浪が中前に2点タイムリーを放ち中日が先制。ダイエーもその裏秋山の先頭打者ホームランですぐに1点を返すが、若田部が立ち直る気配を見せずレオ・ゴメスにフェンス直撃の2点タイムリーを浴び、2回途中でKO。中日は5、6回にも2点ずつ加え、8-2と圧勝。先発の川上は8回を2失点の好投だった。
- オーダー
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公式記録関係(日本野球機構ページ)
第3戦
10月26日 ナゴヤドーム 開始18:20(3時間12分) 入場者37,832人
ダイエー | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 5 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
(中)●山本昌(1敗)、正津、落合、岩瀬、鶴田、前田、中山-中村、鈴木
本塁打
(ダ)城島1号2ラン(4回山本昌)
[審判]パ小寺(球)セ橘高 パ林 セ友寄(塁)パ東 セ谷(外)
第3戦は中日がベテランの山本昌、ダイエーが2年目で二桁勝利をあげた永井が先発。中日は第2戦に続き、初回に二つの四球でチャンスを迎えるが、立浪が三振に倒れ、チャンスを逸してしまう。4回、ここまで無安打のダイエー4番小久保裕紀が中前安打で出塁すると、5番城島健司が左翼への本塁打でダイエーが2点を先取。中日は、6回に先頭の益田大介が四球で出塁すると、一死後に2番久慈照嘉があわや本塁打かという右翼への大飛球を放ったが、右翼手の秋山がフェンスを駆け上りダイレクトキャッチ。飛び出した一塁走者の益田は戻れずダブルプレーで中日の反撃の糸が断たれてしまう。ダイエーは7回には福留孝介の手痛いタイムリーエラー、8回は松中信彦、柴原洋の適時打で5-0として、最後はストッパーのロドニー・ペドラザが締め、完勝した。7回表、無安打に抑えていた永井に代打を送ってまで篠原貴行、ペドラザの勝利の方程式にこだわった王監督の執念も話題となった。日本シリーズで先発投手が被安打0のまま降板するのは史上初。
- オーダー
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第4戦
10月27日 ナゴヤドーム 開始18:20(3時間8分) 入場者37,898人
ダイエー | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 |
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中日 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
(ダ)○星野(1勝)、篠原、Sペドラザ(1S)-城島
本塁打
(ダ)小久保1号ソロ(6回武田)
[審判]セ谷(球)パ東 セ橘高 パ林(塁)セ井野 パ中村(外)
第4戦は中日が前年までダイエーに在籍していた武田、ダイエーは前日の永井とドラフト同期でともに2年目で二桁勝利を挙げた星野の両サイドスロー投手の両先発。ダイエーは3回、ヒットと送りバントで一死二塁とすると、秋山が三塁線を破る適時二塁打を放つ。さらに二死後、4番小久保がライト前への適時打でこの回2点を先制する。小久保は6回にもシリーズ第1号となるソロホームランをレフトスタンドに運び、3-0。この3点を星野の後、篠原-ペドラザの必勝リレーで守りきり、2試合連続の完封勝ち。35年ぶりの日本一に王手をかけた。
- オーダー
公式記録関係(日本野球機構ページ)
第5戦
10月28日 ナゴヤドーム 開始18:20(3時間20分) 入場者38,011人
ダイエー | 0 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
中日 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 4 |
(ダ)佐久本、藤井、○吉田(1勝)、篠原、Sペドラザ(2S)-城島
(中)●野口(2敗)、落合、岩瀬、川上-中村
本塁打
(中)ゴメス1号ソロ(3回佐久本)、中村 1号ソロ(6回吉田)
[審判]パ中村(球)セ井野 パ東 セ橘高(塁)パ小寺 セ友寄(外)
中日は初戦でKOされた野口、ダイエーは工藤ではなくシーズンわずか3勝の佐久本の両先発。後がない中日はニエベス、佐久本の連続失策で21イニングぶりの得点をあげると、さらに二死満塁と攻め立てるも、このシリーズ無安打の井上が三振に倒れてしまい1点どまり。ダイエーは3回表、一死一、二塁のチャンスを作ると今度は中日が野口、福留と続けての失策で同点。その後城島がレフト線への2点適時二塁打、松中が右越3点適時二塁打とこの回一挙6点を挙げ、先制した後が続かなかった中日とは対照的にビッグイニングを作る。3回にゴメス、6回に中村武志のソロ本塁打、8回に李鍾範のタイムリーで2点差まで中日が詰め寄り、8、9回には川上を投入する執念を見せるが、ダイエーは佐久本が3回途中で降りた後、藤井将雄、吉田修司、篠原、ペドラザとつなぐ勝利の方程式に最後までこだわり、2点差を守りきって6-4で勝利。ダイエーは前身の南海時代以来、35年ぶりの日本一に輝いた。なお、最終打者は李鍾範で、結果は空振り三振だった。また、藤井将雄はこの試合が生前最後の一軍登板であった(本シリーズ終了後に病気療養に入ったが、翌年10月に肺癌にて逝去)。
- オーダー
公式記録関係(日本野球機構ページ)
表彰選手
テレビ・ラジオ中継
テレビ中継
- 第1戦:10月23日
- 第2戦:10月24日
- 第3戦:10月26日
- 第4戦:10月27日
- 第5戦:10月28日
- ※第6戦と第7戦が実施された場合、第6戦はテレビ西日本(FNN系列)が、第7戦は九州朝日放送(ANN系列)が中継する予定だった[9]。
- ※第1戦を中継した福岡放送は、西鉄の優勝時は未開局だったため、1969年の開局以来初の日本シリーズ中継となった。
- ※関東地区での視聴率は(ビデオリサーチ調べ)、第1戦(日本テレビ系)は27.3%。第2戦(フジテレビ系)は18.2%。 第3戦(TBS系)は16.8%。 第4戦(フジテレビ系)は22.3%。 第5戦(TBS系)は25.8%だった。
ラジオ中継
- 第1戦:10月23日
- 第2戦:10月24日
- 第3戦:10月26日
- 第4戦:10月27日
- 第5戦:10月28日
脚注
- ^ 星野監督は阪神タイガース監督時代の2003年の日本シリーズでもダイエー(監督はこの年と同じく王)と対戦したが、同年も3勝4敗で敗れている。
- ^ 中日星野11年ぶり胴上げ試合も逆転勝ちで一気 朝日新聞
- ^ ホークス75年史―南海、ダイエー、ソフトバンクー継承される栄光の歴史ベースボール・マガジン社、2013年、P91、P97(工藤公康も圧倒的中日有利だと言われましたけどと述べている)参考 :Hawks vs. Dragons 99日本シリーズ/旧敵将森氏、両監督を語る◆王監督/選手の輪に入った、星野監督/激情家が我慢した - 日刊スポーツ20170918閲覧、森祇晶は「『絶対に勝つ』と宣言している王監督に焦りを感じてならない。」と述べている
- ^ 熊田明裕「ダイエー、悲願の日本一 4勝1敗 中日降す」『毎日新聞』1999年(平成11年)10月29日付東京本社朝刊1面。
- ^ 9月30日、11年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた対ヤクルトスワローズ26回戦(明治神宮野球場)で一塁守備中、打者走者の真中満と交錯して左手首を骨折、日本シリーズに出場することができなかった。これについて工藤公康(山崎は愛工大名電の後輩にあたる)は「タケシが出ていたら、ホークス投手陣はもっと苦労したと思う。あいつが打線にいなかった分だけ楽をさせてもらった。」と語った[要出典]。
- ^ 「Sports Graphic Number」文藝春秋、2018年11月22日号、p60
- ^ 竜戦士、緊張に勝てず日本シリーズ第5戦 朝日新聞
- ^ 「全試合ドームは初 日本シリーズ」『毎日新聞』1999年(平成11年)10月1日付東京本社朝刊21面。
- ^ 第7戦については、一度はTVQ九州放送(TXN系列)が中継することが決まっていたものの、系列局が少ないことや、衛星放送の普及が進んでいない(当時のBS民放は有料放送のWOWOWのみで、民放キー局系の無料放送を含めたデジタル放送の開局は翌2000年12月1日)ことから、九州朝日放送(ANN)に移譲された経緯があった。
関連項目
- 実況パワフルプロ野球2000
- ※シナリオモードで、本シリーズの第1戦が採用。8回表(工藤公康対福留孝介)からの場面の再現。
- 2011年の日本シリーズ
外部リンク
- NPB公式記録