清水 哲男(しみず てつお、1938年〈昭和13年〉2月15日[1] - 2022年〈令和4年〉3月7日[2])は、日本の詩人。
経歴・人物
東京府東京市中野区(現在の東京都中野区)鷺宮出身[3]。花火研究者の清水武夫は父、詩人の清水昶は弟。
東京都立立川高等学校から、各2年の浪人と留年を経て京都大学文学部哲学科卒業。
京大在学中、(大野新)らとともに、詩誌『ノッポとチビ』に参加。大学卒業後は、(芸術生活社)、河出書房、ダイヤモンド社などで編集者として活躍する。
H氏賞を受賞した『水甕座の水』に収録されていた4篇から発展して成立した『スピーチ・バルーン』は、タイトルがすべて「チャーリー・ブラウン」、「ミッキー・マウス」などマンガのキャラクターという当時としては異色の詩集で話題になった。この詩集を含め、彼の詩は決して難解ではないが、切れ味鋭く、深い味わいがある。特に、最後に残る苦味は格別のものがある。1980年頃よりワープロ、パソコンを導入し、IT方面でも詩壇では先駆的である。
俳句にも造詣が深く、インターネットサイト清水哲男の『増殖する俳句歳時記』を運営。同サイトでは、第1期として1997年7月から2006年6月の10年間、最初の一時期を除き、毎日1句ずつ俳句の鑑賞を書き続けた。2006年8月からは第2期として今井聖、(今井肖子)、松下育男、(土肥あき子)、八木忠栄、(三宅やよい)、中岡毅雄、(小笠原高志)、(藤嶋務)らとともに各人が曜日を担当する形で2016年8月8日まで続いた。2007年より2年間、文學の森社発行の俳句雑誌「俳句界」の編集長も務めた。
また、1979年から12年間に渡りエフエム東京 (TOKYO FM) にて「FMモーニング東京」などの早朝の情報番組パーソナリティを担当した他、コミュニティFMむさしのFMでもパーソナリティを務めた。
1950年代の頃から巨人ファン[4]。野球チームの監督をオーナー兼任で務めたことがある[4]。そして初めて書いたスポーツ評も巨人軍についてのことだった[4]。
2022年3月7日、腎不全のため東京都新宿区の病院で死去[5]。84歳没。
一周忌で誕生日でもある2023年2月15日には武蔵野市で「清水哲男さんを偲ぶ会」が東京都内で開かれ、文学やラジオ番組の関係者ら約80人が集まった。3月25日には二女の(清水みぎわ)の語りを中心に、長女の(清水あかね)(イラストレーター)・鳥越俊太郎・ねじめ正一など生前ゆかりのある人の語りや生前の音源、玉置玲央による詩の朗読で構成された特別番組「TOKYO FM 特別番組 清水哲男を偲んで~父の名は詩人」(TOKYO FM)が放送された[6]。
受賞歴
著作・出演
詩集
- 『喝采』(1963年、(文童社))
- 『水の上衣』(1970年、(赤ポスト))
- 『喝采 水の上衣』(1974年、(深夜叢書社))
- 『水甕座の水』(1974年、紫陽社)
- 『スピーチ・バルーン』(1975年、思潮社)
- 『清水哲男詩集』(現代詩文庫68・1976年、思潮社)
- 『野に、球。』(1977年、紫陽社)
- 『雨の日の鳥』(1978年、(アディン書房))
- 『甘い声』(1979年、アディン書房)
- 『掌のなかの映画』(1980年、河出書房新社)
- 『地図を往く雲』(1983年、紫陽社)
- 『東京』(1985年、書肆山田)
- 『夕陽に赤い帆』(1994年、思潮社)
- 『続・清水哲男詩集』(現代詩文庫148・1997年、思潮社)
- 『緑の小函』(1997年、書肆山田)
- 『黄燐と投げ縄』(2005年、書肆山田)
- 『換気扇の下の小さな椅子で』書肆山田, 2018.12
句集
- 『匙洗う人』(1991年、思潮社)
- 『打つや太鼓』(2003年、書肆山田)
評論・エッセイ
- 『現代詩つれづれ草』(1993年、新潮社)
- 『蒐集週々集』(1994年、書肆山田)
- 『詩に踏まれた猫』(1998年、出窓社)
- 『さらば、東京巨人軍。』(2001年、潮社)
- 『増殖する俳句歳時記』(2002年、ナナコーポレートコミュニケーション)
- 『「家族の俳句」歳時記』(2003年、主婦の友社)
ラジオ番組
- FMモーニング東京 (TOKYO FM) - パーソナリティ
- おはようTOKYOITE (TOKYO FM) - パーソナリティ
- JET STREAM(1995年 - 2000年担当、TOKYO FM) - スクリプト
- 珈琲 - 湯気の向こう側の世界(声のエッセイ5、ラジオデイズ) - 構成・解説
- 酒 - 神のやさしい液体(声のエッセイ6、ラジオデイズ) - 構成・解説
- むさしの情報バイキング(むさしのFM)
脚注
外部リンク
- 清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』
- スピーチバルーン