東糀谷(ひがしこうじや)は、東京都大田区の町。現行行政地名は東糀谷一丁目から東糀谷六丁目。郵便番号は144-0033[2]。
概要
大田区の南東部に位置する。地域北部は呑川に接し、これを境に大森南に接する。地域東部は海老取川に接し、これを境に羽田空港に接する。地域南東部は羽田旭町に接する。地域南部は環八通りに接し、これを境に羽田に接する。地域西部は産業道路に接し、これを境に西糀谷に接する(地名はいずれも大田区)。
歴史
元々、当地の地名は「糀谷」であったが、東西分割され、東部を東糀谷、西部を西糀谷を改称したことによって誕生した地域および地名である。現在、「糀谷」の名称は「糀谷駅」「(糀谷幼稚園)」「(大田区立糀谷小学校)」「(大田区立糀谷中学校)」「(糀谷商店街)」などにその名残がみられる。なお、北糀谷は「糀谷」から分割された地域ではなく、元から独立していた「北糀谷町」という地名を前身とする地域であり、「糀谷」を前身とする当地および西糀谷との直接の関係は無い。
本町は都の隅に在り、多摩川口の左岸に位し、東は東京灣に面してゐる。 穴守稻荷の存在に依つて古くから知られた漁村であるが最近東洋一の飛行場の設置に依つて共の名は世界的となつた。小田原北條氏の時代には羽田浦又は扇ケ浦と稱し家人行方彈正の所領となり、德川氏入國後は其の直領として代官を置かれた。元祿六年羽田村から羽田獵師町を分ち、同年更に羽田村から萩中村が分村し、文化十二年羽田獵師町から鈴木新田を分つた。天保十四年に幕府は海外の事情(阿片戰爭)に鑑み此地に奉行を置き老中眞田幸貫をして羽田奉行に任じ砲臺を築かしめた。明治元年品川縣に屬し、同年東京府の管下に入り明治二十二年に羽田、羽田獵師町、鈴木新田、糀谷、下袋、濱竹、萩中を合併して羽田村を編成したが同四十年十月町となった。漁業を以て生業としてゐる。本町は蒲田より分岐して居る京濱電車と京濱バスを唯一の交通機関として居る。 敎育施設としては本町は面積廣き爲め、尋常高等小學校二、尋常小學校二を有する。逐年兒童が増加する結果全校二部敎授を施工するの止むなき狀態である。 其他實業補習學校二、靑年訓練所二、尋常夜學校一がある。尚東京府立工藝學校の實習所が設置されてゐる。 町内の社會事業としては方面委員制度の外見るべきものなく、町營以外では府立勞働紹介所出張所が町役場内に設置されてゐる外私設の羽田保育會託兒所がある。
町内の神社佛閣を通じて著名なものは穴守神社だけである。 — 昭和7年刊『市域拡張記念 大東京概観 第六節 蒲田區 羽田町』より
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、東糀谷2-2-22の地点で34万1000円/m2となっている[4]。
世帯数と人口
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
東糀谷一丁目 | 全域 | (大田区立東糀谷小学校) | (大田区立糀谷中学校) |
東糀谷二丁目 | 全域 | ||
東糀谷三丁目 | 1〜6番 | ||
その他 | 大田区立羽田中学校 | ||
東糀谷四丁目 | 全域 | ||
東糀谷五丁目 | 全域 | ||
東糀谷六丁目 | 全域 |
施設
- 大田区立(北前堀緑地)
- 大田区立(南前堀緑地)
- 大田区立(六間堀緑地)(南東の羽田旭町との境界部)
- 東糀谷防災公園
- 東糀谷第一公園
- 東糀谷あおぞら公園
- こうじや生活支援センター(地域活動支援センターI型)
- 高野病院
- 大田区立羽田中学校
- (大田区立東糀谷小学校)
- (大田区立東糀谷児童館)
- トーショー
- 村山鋼材
- THKテクノセンター
- TRC羽田ビル
交通
当地域内に鉄道駅はないが、南にある京急空港線大鳥居駅や穴守稲荷駅のほか、JR蒲田駅からのバス路線がある。地域内のバス停は、東糀谷六丁目・東糀谷小学校・東糀谷二丁目(以上、蒲35系統)・南糀谷(蒲36系統など)・大鳥居(蒲33系統)・仲糀谷(蒲36系統など)がある。
関連項目
脚注
外部リンク
- 大田区