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東京都立世田谷泉高等学校(とうきょうとりつ せたがやいずみこうとうがっこう、英語: Tokyo Metropolitan Setagaya Izumi High School)は、東京都世田谷区北烏山九丁目に所在する東京都立高等学校である。
東京都立世田谷泉高等学校 | |
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校門から見たA棟およびB棟とその渡り廊下 | |
北緯35度40分23.1秒 東経139度35分26.6秒 / 北緯35.673083度 東経139.590722度座標: 北緯35度40分23.1秒 東経139度35分26.6秒 / 北緯35.673083度 東経139.590722度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 東京都 |
併合学校 | 東京都立代々木高等学校 東京都立烏山工業高等学校 東京都立明正高等学校定時制課程 |
校訓 | であう・みがく・いきる Challenge Spirit |
設立年月日 | 2001年4月 |
開校記念日 | 10月13日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | (定時制課程)(昼夜間・三部制) |
二部以上の授業 | (Ⅰ部 Ⅱ部) (Ⅲ部(夜間)) |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 総合学科 |
学科内専門コース | 3年制(三修制) 4年制 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | D113299902110 |
高校コード | 13313C |
所在地 | 〒157-0061 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
(ウィキポータル 教育) ウィキプロジェクト 学校 |
概要
世田谷区烏山地域の北西部、杉並区および三鷹市、調布市付近に位置しており、かつて烏山が「泉沢」と呼ばれていたことが校名の由来となっている[要出典]。
昼夜間(定時制)・単位制・総合学科の高等学校。定時制課程総合学科に(昼間部)2部と(夜間部)を併設する三部制である。
三修制(単位制)のため、修業年限は3年制と4年制の両方から選択できる。昼間部(Ⅰ・Ⅱ部)の生徒の多くは3年制で卒業する[要出典]。
総合学科で、家庭、福祉、工業など幅広い[要出典]複数の専門科目を設置している。
自由な校風[要出典]で、校則は最低限の道徳的なものやマナーのみ[1]となっており規則は特に制定されていない[要出典]。標準服(制服)はあるが着用義務はなく服装は自由[要出典]。頭髪やメイク、アクセサリー類に対する規則も一切存在しない[要出典]が、安全に関わるため体育系科目や工業系科目では授業中のみ一時的な規則がある。
中古の車椅子をメンテナンス・修理し、アジアやアフリカ、南アメリカなどへ寄付するボランティア活動「(空飛ぶ車いす)」を実施している[1]。
支援教育を行う普通学校の一つ、(チャレンジスクール)に指定されており、中学校まで不登校であったり高校を中退した生徒なども想定し、入学時の学習水準では「過去は問わない」としている。そのため、入学者の約半数以上が不登校経験者[要出典]であり、そうした生徒への支援教育として、通常の高校の指導要領から学習を進める授業のほか、主要科目においては習熟度別授業や義務教育の学習内容から学び直す科目も開講されている。
授業時間帯
授業は昼間は1〜8限、夕休みを挟んで夜間の9〜12限まである。
部自体の授業は各部午前・午後・夜間に分かれたそれぞれ1日4限分のみだが、三修制のため実際には4〜8限分の授業を履修できる。
履修が可能な科目数は1週間で最大29限分(年間29単位)であり、主に1日4〜6限分となる。
I部
午前を中心とする(昼間部)である。それぞれの選択に応じて午前8:45~午後4:25(1~8限)の授業を受ける。
部活動を含めた最終下校時間は午後7:15となっている。
II部
午後を中心とする(昼間部)である。昼間部であるが選択すれば一部夜間の授業も履修可能。それぞれの選択に応じて午前10:35~午後4:25(3限~8限)および夜間の午後5:10~午後6:45(9・10限)の授業を受ける。
夜間の授業や部活動等がない場合の下校時間は午後5:00で、部活動を含めた最終下校時間は午後7:15となっている。
III部(夜間部)
夜間を中心とする(夜間部)である。夜間部であるが選択すれば一部昼間の授業も履修可能。それぞれの選択に応じて昼間の午後1:00~午後4:25(5限~8限)および夜間の午後5:10~午後8:50(9~12限)の授業を受ける。
最終下校時間は午後8:55となっており、部活動は昼間が中心となっている。
夜間定時制と同様に学校給食がある。チャレンジスクールのため、夜間部であるIII部も15~18歳の一般的な高校生[誰?]および4年次がほとんどである[要出典]。
学校生活
各部の生徒はそれぞれⅠ部生、Ⅱ部生、Ⅲ部生と呼ばれる[誰によって?]。
クラスは各部1学年2クラスの計6クラス。Ⅰ部がA・B組、Ⅱ部がC・D組、Ⅲ部(夜間部)がE・F組である。例えばクラス名が3年C組ならば、Ⅱ部3年次のクラスである。
昼間部(Ⅰ・Ⅱ部)の生徒の多くは3年制で卒業する[要出典]ため、4年次は人数が少なく1クラスである。
教員の勤務時間は昼間(午前・午後)のA勤務と、午後・夜間のB勤務に分かれている[要出典]。ただし、事務を取り扱う経営企画室は昼間のみである[要出典]。
定期考査はトライアルウィークと呼ばれ[誰によって?]、試験はその科目の授業時間内に行われる。実技科目では製作物提出や実演、工業科目ではレポートが、ペーパーテストの代わりに課されることが多い[要出典]。
体育祭は、3つの部の対抗で行われる[要出典]。
教育課程
- (定時制課程)
- 総合学科
- I部
- 生活・福祉系列
- 製作・技術系列
- 創作・表現系列
- II
- 生活・福祉系列
- 製作・技術系列
- 創作・表現系列
- III部
- 生活・福祉系列
- 製作・技術系列
- 創作・表現系列
- I部
- 総合学科
なお、他の総合学科高校と同様に系列は専門科目を大きく分類する時の呼称であって、生徒がいずれかの系列に属したり、系列ごとに最低履修単位数が定められているわけではない。どの系列の科目も選択履修することが可能である。
沿革
歴史
旧烏山工業高等学校
1959年、都立高校では(戦後)初の職業高等学校(現:専門高等学校)として開校。のちの工業高校増設に先立ち、当時理想的と考えられた施設・設備を備えたモデル工業高校であった[2]。
その後、徐々に入学者の質が悪化、入学試験の数学では極端に低い点数の生徒が60人も出る年もあった。1970年代に入ると生徒の非行や暴力事件も多発し手に負えない状況となったため、1974年、学校側の決断により、同年の入学者310人からは約1/3が退学処分を受けた。のちに日本教職員組合(日教組)からは批判などもあったが、結果的に生徒の質は向上していった[3]。
旧代々木高等学校
東京都立第一新制商業高等学校(現:第一商業高等学校)の代々木分校として渋谷区代々木に開校。1956年、上原に移転し、翌年の1957年に独立した。
統合・開校
2001年4月、「都立高校改革推進計画」の一環として、烏山工業高校、代々木高校に、明正高校の定時制課程を加えた3校を統合し、支援教育を行うチャレンジスクールとして開校。チャレンジスクールとしては昨年開校の東京都立桐ケ丘高等学校に続いて2校目であった。
校舎は烏山工業高校のものを増改築して使用。初代校長も当時の烏山工業高等学校長が着任した。
開校当時は私服校であった。2016年より標準服(制服)を導入した。
在学生のほとんどが男子生徒であった烏山工業高校時代からは一変し、現在は女子生徒が大半を占める高校となった。
年表
- 1997年9月:世田谷地区チャレンジスクール(仮称)を設置する
- 1999年4月:世田谷地区チャレンジスクール開設準備室を旧烏山工業高校内に設置
- 2000年10月13日:東京都立世田谷泉高等学校 設置
- 2001年
- 2002年3月:東京都立烏山工業高等学校および東京都立明正高等学校定時制課程 閉校
- 2003年3月:C棟・F棟改修工事等終了
- 2004年3月:東京都立代々木高等学校 閉校
- 2005年:ボランティア活動「空飛ぶ車いす」へ参加を開始
- 2010年10月9日:10周年記念式典
- 2016年4月:標準服(制服)を導入
- 2020年4月7日:新型コロナウイルス感染症(COVID-19)流行のため第20回入学式を中止
校長
- 大澤 充二 (2001.4 - 2004.3)
- 矢作 洋 (2004.4 - 2007.3)
- 安田 健 (2007.04 - 2010.3)
- 林 秀吉 (2010.4 - 2012.3)
- 橋本 昇 (2012.4 - 2015.3)
- 岡﨑 俊彦 (2015.4 - 2019.3)
- 石崎 規生 (2019.4 - 2021.3)
- 沖山 栄一 (2021.4 - )
校歌
「世田谷泉高校校歌」
作曲:田村徹(文教大学名誉教授、元学校法人文教大学学園理事長)
施設・設備
緑が多く都内の高校でも有数の広い敷地[要出典]内には、多くの施設・設備がある。
地上2〜4階建ての校舎は、A棟、B棟、C棟、体育館棟、武道場棟(格技棟)、F棟、G棟、工業棟(工場棟、実習棟、Q棟)、倉庫棟の9つの小規模な建築物で構成されている。
体育館棟と武道場棟、F棟以外の校舎は全て渡り廊下で繋がっており、車椅子等に対応している。
A棟には、職員室や経営企画室(事務室)などが置かれ、学校経営の中心となる[要出典]。
B棟には、4階にⅠ部の教室、3階にⅡ部の教室、2階にⅢ部(夜間部)の教室がそれぞれ置かれる。また、1階には4年次の教室や、Ⅲ部の給食を提供する食堂なども入る。
総合学科のため、多くの実習室がある。
生活福祉系列で使用される施設は、被服室、調理室、生活実習室、保育実習室、福祉実習室、介護実習室がある。
製作技術系列で使用される施設は、造形室、美術室、音楽室、演奏室、写真講義室、スタジオ、暗室、デザイン室、陶芸実習室、工芸室、金属工芸実習室、CG室、多目的ホールがある。
創作表現系列で使用される施設は、メカトロ室、パソコン室、CAD室、管理室、電気実習室、工業基礎実習室、制御技術実習室、陶芸実習室、原動機実習室、リサイクル実習室、工芸室、金属工芸実習室、粘性加工実習室、木工実習室、溶接室、機械加工実習室がある。
武道場棟には、剣道場、柔道場、トレーニング室、屋上にはプールがある。
部活動
部活動は7 - 10限や夕休み、土日を利用して活動している。
多くの部活が精力的[要出典]に活動をしており、中には定時制・通信制の全国大会で優勝する部もあるなど、数々の大会[要出典]で入賞している。夜間部も設置する昼夜間定時制のため競技によるが多くは全日制の大会(インターハイなど)に出場できない。
入学試験
入学者選抜は、昼間部(Ⅰ・Ⅱ部)を設置する昼夜間定時制のため全日制高校と同様に第一次募集で行われる。
入学試験では、チャレンジスクールのため(エンカレッジスクール)と同様に学力試験は行っておらず、志願申告書を150点、作文を500点、面接を600点の計1250点満点で行われる。
Ⅰ部・Ⅱ部・Ⅲ部で試験は同じである。出願時に第1志望および併願する第2・3志望の部を記載する。
夜間部(Ⅲ部)は定員に満たない年が多く第二~四次募集まで行うことがある。
開校当初は分割募集を行っており、初の入学者選抜である平成13年度の受検(受験)倍率では、夜間部含めて分割前期が2.77倍、分割後期が4.63倍と高い倍率[要出典]を保っていた[4]。
学校行事
華泉祭
『華泉祭』(かせんさい)は世田谷泉高等学校の文化祭である。10月末に2日かけて行われている。
所在地・アクセス
周辺地域
周辺には日本女子体育大学とその周辺にある複数の女子学生寮や、給田小学校、烏山病院、烏山寺町などの宗教関連施設などがある。
アクセス
著名な出身者
前身となる高校の一つに旧・代々木高等学校があり、多くの芸能人が在籍していた。
脚注
- ^ https://www.metro.ed.jp/setagayaizumi-he/guide/qanda.html
- ^ 依田 有弘 - 『東京都における高校職業教育の展開1956年から1970年まで』(英語: The Development of Vocational Education in Metropolitan Municipal High Schools from 1956 to 1970)、千葉大学教育学部。“CURATOR | 千葉大学学術成果リポジトリ”. CURATOR | 千葉大学学術成果リポジトリ. 2023年2月24日閲覧。
- ^ 職業高校 ある決断 やる気のないものは去れ 三年間で百人退学『朝日新聞』1978年(昭和53年)1月29日朝刊 13版、23面
- ^ “東京都における定時制教育”. 東京都教育委員会. 2022年7月30日閲覧。
関連項目
- 高等学校
- (定時制の課程)
- (昼間定時制)
- (定時制)
- 東京都高等学校一覧
- 日本の定時制高等学校一覧
- 日本の総合学科設置高等学校一覧
- 支援教育を行う普通学校
- (チャレンジスクール)
- 東京都立代々木高等学校
- 東京都立烏山工業高等学校
- 東京都立明正高等学校
外部リンク
- 東京都立世田谷泉高等学校
- 世田谷泉広報PAGE