東久邇宮(ひがしくにのみや)は、日本の皇室における宮家の一つ。
概要 1906年(明治39年)11月3日、久邇宮朝彦親王の第九王子である稔彦王を初代として創設された[1]。本来、宮家を継ぐ第一王子以外の男子は、爵位を賜って臣籍降下(皇籍離脱)することが多かったが、当時は明治天皇の直系の男系子孫が少なかったことから、将来的に皇位を継ぐ可能性をもっていた伏見宮系の宮家との血縁関係を近める意図で、明治天皇の第九皇女である聡子内親王を王妃に迎え、新たに宮家を立てた。更に、継嗣の盛厚王も、昭和天皇の第一皇女である成子内親王を王妃に迎えた。
1947年(昭和22年)10月14日、皇籍離脱。現在の旧宮家の祭祀継承者は、稔彦王の曾孫にあたる3代・征彦。
上記のように、二代にわたり皇女を王妃に迎えたことから、現在の皇室の直系との血縁は深く、平成中期以降の皇位継承問題に関しては、東久邇家の構成員の皇籍復帰の可能性が取りざたされている。
系図脚注 [脚注の使い方]
注釈
- ^ 多羅間家の養子となる。
- ^ 1946年生。大村和敏夫人、次いで高木代々吉夫人。
- ^ 壬生家の養子となる。
- ^ 1953年2月1日生。
- ^ 東作興夫人。
- ^ 寺尾家の養子となる。
- ^ 1967年6月13日生。
- ^ 1979年5月11日生。[3]
- ^ 1980年11月13日生。[3]
- ^ 2010年生。[4]
- ^ 2004年生。[5]
- ^ 他資料の通り、2012年1月の時点では父は独身のため。
- ^ 2012年以降生。[5][4][注釈 12][6]
出典
- ^ 明治39年宮内省告示第12号(『官報』号外、明治39年11月3日)((NDLJP):2950348)
- ^ a b 男系による皇位の安定的継承を
- ^ a b 旧宮家系図
- ^ a b 2019年6月18日(火) 日本維新の会政調会 役員会並びに憲法改正調査会 勉強会(「皇位の安定的継承」について)開催のお知らせ
- ^ 「愛子天皇」待望論と20代以下の「男系男子」のいる「4つの旧宮家」復帰シナリオの実現度
参考文献 - 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上』吉川弘文館、1996年。ISBN (978-4642036702)。
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