扶桑町(ふそうちょう)は、愛知県の北西部に位置し、丹羽郡に属する町。
ふそうちょう 扶桑町 | |
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国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 丹羽郡 |
市町村コード | 23362-5 |
法人番号 | 4000020233625 |
面積 | 11.19km2 |
総人口 | 34,207人 ([編集]) (推計人口、2023年4月1日) |
人口密度 | 3,057人/km2 |
隣接自治体 | 犬山市、江南市、丹羽郡大口町 岐阜県各務原市 |
町の木 | カシ |
町の花 | ヒマワリ |
扶桑町役場 | |
町長 | 鯖瀬武 |
所在地 | 〒480-0102 愛知県丹羽郡扶桑町大字高雄字天道330 北緯35度21分33秒 東経136度54分48秒 / 北緯35.35908度 東経136.91322度座標: 北緯35度21分33秒 東経136度54分48秒 / 北緯35.35908度 東経136.91322度 扶桑町役場庁舎 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキプロジェクト |
概要
町の現況
愛知県の北西部に位置し、中部圏の中心である名古屋市から北に約20㎞の距離にある。扶桑駅から名鉄名古屋駅まで約30分、扶桑町役場から名古屋高速11号小牧線を経由して名古屋市都心部まで約30分という利便性の高い位置にあり、名古屋市のベッドタウンとして発展を続けている。
町名の由来
「扶桑」の名は、扶桑村が誕生した際の丹羽郡長が「本村は桑園多し、ゆえに扶桑と命名したならば」と述べたのを受けて名付けたとされる[1]。
地理
位置
日本のほぼ中央部、愛知県の北西部にあたり、濃尾平野の北部を占める扶桑町は、木曽川の流れによってできた犬山扇状地の扇頂近くの町である。御嶽山麓で生まれた木曽川が、木曽山脈・美濃三河高原の山中を、飛騨木曽川国定公園の美観を作りつつ流れ、ようやく山地を抜け、平野部へ出たところに位置している。
地形
町域は概ね平坦な地形で、木曽川が本町の北端を東から西に流れており、川沿いにはまとまった自然環境が残っている。
河川
- 一級河川
- その他の河川
地域
扶桑町は以下の地区(大字)で構成されている。
町内の区は、柏森区、斎藤区、高雄区、高木区、山那区の5つの区が編成されている。
人口
1906年(明治39年)4ヶ村を合併し、扶桑村となった頃は、人口およそ7~800人余、戸数1400戸余の自治体であった。1952年(昭和27年)町制施行当時の人口は1万319人で、しばらく人口の変動は少なかった。1958年(昭和33年)の中島住宅以降、相次いで住宅団地が建設され、人口・世帯数ともに急増していった。1970年(昭和45年)1月に2万人、1974年(昭和49年)9月に2万5千人、1993年(平成5年)に3万人を突破。人口減少に悩む自治体が多い中、名鉄犬山線で名古屋に出やすく、のどかな住環境が受けて微増を続け、町制70年の節目に当たる2022年(令和4年)には3万5000人に達した[2]。愛知54市町村中44位。ただし、国立社会保障・人口問題研究所の推計では、2020年から2025年に町の人口は減少局面に入るとみられている。
- 平均年齢 44.9歳(2015年国勢調査[3])
扶桑町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 扶桑町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |
■紫色 ― 扶桑町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |
扶桑町(に相当する地域)の人口の推移 | ||
総務省統計局 国勢調査より |
隣接する自治体
周辺の市町は東は犬山市(木津・上野新町・上野・橋爪・五郎丸)南は大口町(河北・上小口・中小口・余野)西は江南市(中般若・下般若・和田勝佐・山尻・江森・前野)と隣接し、北は木曽川を隔てて、岐阜県各務原市に相対している。
歴史
近代
現代
自治体の変遷
行政
町長
鯖瀬武(さばせ たけし、1期目)[4][5] - 元・扶桑町役場総務部長。2020年(令和2年)4月26日に行われた町長選挙で初当選[6][7]。
歴代町長
町政が実施された1959年(昭和34年)1月28日に就任した初代、亀井定一から2020年(令和2年)4月26日に初当選した鯖瀬武まで、20代11人の町長がいる。
首長の代数(歴代)の数え方は何種類もあるが、本節では a, b を添える形で書き分けながら解説する。表示欄では「代a」「代b」という名で2種類を記載した。a は同一人物による連続就任をカウントしない方式に基づく代数であり、b は就任のあるたびにカウントする方式に基づく代数である。扶桑町は a の方式を採っているが(他の例:(京都市)[1]、(大垣市)[2])、b の方式を採る自治体も多いため(例:(八王子市)、(弘前市)[3]、(浜松市)[4]など)、本項では a,b を併記する。
代a | 代b | 肖像 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 主な職歴 | 期数 | 備考 | |||
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昭和時代(昭和天皇在位:1926年12月25日 - 1989年1月7日) | |||||||||||
扶桑村長(公選) | |||||||||||
1947年(昭和22年) | 4月 5日1948年(昭和23年) | 9月13日扶桑町初の(公選)村長 | |||||||||
1948年(昭和23年)10月20日 | 1950年(昭和25年)12月18日 | ||||||||||
1951年(昭和26年) | 1月28日1951年(昭和26年) | 1月27日初代扶桑町長に引き続き就任 | |||||||||
扶桑町長(公選) | |||||||||||
1951年(昭和26年) | 1月28日1955年(昭和30年) | 1月27日扶桑町初の(公選)町長 1期目4年を満了 | |||||||||
1955年(昭和30年) | 1月28日1959年(昭和34年) | 1月27日1期目4年を満了 | |||||||||
1959年(昭和34年) | 1月28日1963年(昭和34年) | 1月27日2期目4年を満了 | |||||||||
1963年(昭和38年) | 1月28日1967年(昭和42年) | 1月27日1期目4年を満了 | |||||||||
1967年(昭和42年) | 1月28日1971年(昭和46年) | 1月27日2期目4年を満了 | |||||||||
1971年(昭和46年) | 1月28日1975年(昭和50年) | 1月27日3期目4年を満了 | |||||||||
1975年(昭和50年) | 1月28日1979年(昭和54年) | 1月27日1期目4年を満了 | |||||||||
1979年(昭和54年) | 1月28日1982年(昭和57年) | 9月28日2期目途中で辞職 | |||||||||
1982年(昭和57年)10月24日 | 1984年(昭和59年) | 4月22日1期目途中で辞職 | |||||||||
1984年(昭和59年) | 5月13日1988年(昭和63年) | 5月12日1期目4年を満了 | |||||||||
1988年(昭和54年) | 5月13日1991年(平成 | 3年) 5月31日2期目途中で辞職[注釈 1] | |||||||||
平成(明仁在位:1989年1月7日 - 2019年4月30日) | |||||||||||
1991年(平成 | 3年) 6月 9日1995年(平成 | 7年) 6月 8日1期目4年を満了 | |||||||||
1995年(平成 | 7年) 6月9日1999年(平成11年) | 2月25日2期目途中で辞職[注釈 2] | |||||||||
1999年(平成11年) | 4月25日2003年(平成15年) | 4月24日1期目4年を満了 | |||||||||
2003年(平成15年) | 4月25日2004年(平成16年) | 8月 1日2期目途中で辞職[注釈 3] | |||||||||
2004年(平成16年) | 8月29日2008年(平成20年) | 8月28日1期目4年を満了 | |||||||||
2008年(平成20年) | 8月29日2012年(平成24年) | 8月28日2期目4年を満了 | |||||||||
2012年(平成24年) | 8月29日2016年(平成28年) | 5月12日3期目途中で辞職[注釈 4] | |||||||||
2016年(平成28年) | 5月13日2020年(令和 | 2年) 5月12日1期目4年を満了 | |||||||||
令和(今上天皇在位:2019年5月1日 - ) | |||||||||||
2020年(令和 | 2年) 5月13日
扶桑町長には収入役や助役など三役経験者がエスカレーター式に就任するケースが多く、昭和末期から平成年間にかけて4代連続で収入役、助役出身者が町長を務めた。元陸上自衛官の江戸満以降は、扶桑町議会出身の千田勝隆、扶桑町職員出身の鯖瀬武が就任している。第9代江戸満のみ扶桑町出身者ではない(石川県能美郡川北町出身)。
2022年5月12日に江戸満が死去したため、存命中の町長経験者は千田勝隆のみ。
各種記録
- 最年長の町長
- 江戸満 - 71歳で町長就任。退任時は79歳で、愛知県内の首長の中で最高齢だった。
- 最年少の町長
- 仙田明一 - 51歳で町長就任。扶桑村長の経験もあり、村長には37歳で就任していた。
- 任期の最も長い町長
副町長
北折廣幸 - 元・扶桑町役場政策調整課長[12]。
歴代副町長
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 |
---|---|---|---|
1 | 関芳雄 | 2007年(平成19年) | 4月 1日2015年(平成27年) | 3月31日
2 | 渡辺誠 | 2015年(平成27年) | 4月 1日2019年(平成31年) | 3月31日
3 | 神田龍三 | 2019年(平成31年) | 4月 1日2020年(令和 | 2年) 6月30日
4 | 北折廣幸 | 2021年(令和 | 3年) 4月 1日現職 |
助役
歴代助役
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 |
---|---|---|---|
1 | 橋本正一 | 1949年(昭和24年) | 3月17日1956年(昭和31年) | 3月31日
2 | 間宮透 | 1956年(昭和31年) | 9月19日1963年(昭和38年) | 3月31日
3 | 千田昇蔵 | 1963年(昭和38年) | 5月 4日1968年(昭和43年) | 8月30日
4 | 大藪省次郎 | 1968年(昭和43年)10月 | 1日1971年(昭和46年)12月 | 2日
5 | 三品実 | 1971年(昭和46年) | 5月15日1979年(昭和54年) | 5月14日
6 | 高木正巳 | 1979年(昭和54年) | 5月15日1982年(昭和57年)10月16日 |
7 | 千田英明 | 1982年(昭和57年)12月 | 5日1984年(昭和59年) | 5月 8日
8 | 澤木正巳 | 1984年(昭和59年) | 5月25日1991年(平成 | 3年) 6月15日
9 | 河田幸男 | 1991年(平成 | 3年) 7月 4日1999年(平成11年) | 4月 8日
10 | 亀井政寛 | 1999年(平成11年) | 9月28日2007年(平成19年) | 3月31日
町組織
扶桑町役場 | |
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情報 | |
用途 | 扶桑町行政の中枢施設 |
設計者 | 永井建設株式事務所 |
施工 | 中野建設株式会社 |
建築主 | 扶桑町 |
事業主体 | 扶桑町 |
管理運営 | 扶桑町 |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 | 6,538.830 m2 |
建築面積 | 本館一階:1,266.562 m2 本館二階:1,228.938 m2 |
階数 | 地上2階 |
着工 | 1966年7月7日 |
竣工 | 1967年3月31日 |
改築 | 1980年 |
所在地 | 〒480-0102 愛知県丹羽郡扶桑町高雄天道330 |
2022年(令和4年)12月20日、町議会で組織改編に関する条例の改正案が可決された[13]。「生活安全部」「教育部」を新設するなど全庁的に組織を改編し、2023年(令和5年)4月から新体制で行政運営に取り組む[14][15]。2007年度以来の大きな機構改革で、社会情勢の変化に合わせて業務を集約、効率化するという。教育部には、保育園などを所管する「子ども課」と小中学校を担当する「学校教育課」を入れ、小学校入学後に学校生活になじめない「小一プロブレム」の解消などに連携して取り組む。このほか大半の課が新たな名称になり、担当する業務も変わる。
行政機構図
- 生活安全部
- 税務課
- 奥村洋 - 土木課主幹を経て、2023年(令和5年)4月1日より税務課長[18]。
- 防災安全課
- 地域協働課
- 兼松孝行 - 産業環境課主幹を経て、2023年(令和5年)4月1日より地域協働課長[18]。
- 環境課
- 健康福祉部
- 戸籍保険課
- 福祉課
- 今枝利暢 - 福祉児童課主幹を経て、2023年(令和5年)4月1日より福祉課長[18]。
- 長寿介護課
- 武富勝史 - 社会福祉協議会を経て、2023年(令和5年)4月1日より長寿介護課長[18]。
- 健康推進課(保健センター内)
- 産業建設部
- 都市政策課
- 土木農政課
- 下水道課
- 長谷川明夫
- 教育部
- 仙田剛宏 - 生涯学習課長を経て、2023年(令和5年)4月1日より教育部長[18]。
- 学校教育課
- 池田聡 - 総合体育館長を経て、2023年(令和5年)4月1日より学校教育課長[18]。
- 生涯学習課
- 子ども課
- 保育長
- 伊藤清乃 - 齋藤保育園長を経て、2023年(令和5年)4月1日より保育長[18]。
- 議会事務局
- 川瀬直彦 - 災害対策室長を経て、2022年(令和2年)4月1日より議会事務局長[16]。
- 監査委員事務局
- 小山勝己 - 住民課長を経て、2021年(令和2年)4月1日より監査委員事務局長[17]。
- 会計課
庁舎
- 扶桑町役場 - 高雄天道330
- 旧庁舎の老朽化に加えて、人口の急激な増加に伴い、従来の役場庁舎では住民サービスを果たすのに支障をきたすようになり、1966年(昭和41年)の扶桑村創立60周年記念事業として、現在地に移転新築が決定された。1966年(昭和41年)7月7日起工。翌年3月31日竣工。新庁舎建設の計画を立てるにあたり、当時県内のモデル的庁舎とされた武豊町や美浜町、三好町(現:みよし市)などを視察した。行政機構の拡充や職員の増大により、1980年(昭和55年)に増改築実施。扶桑町は2021年(令和4年)3月、学校を含む45の公共施設についてそれぞれ整備方針を定めた個別施設計画を策定[20]。役場の庁舎を15年後に建て替えるなど今後の整備方針を明らかにした。
出身者
財政
町章
1966年(昭和41年)7月、扶桑村創立60周年記念、扶桑町役場新庁舎竣工記念として扶桑町のシンボルマークである町章を一般募集し、1967年(昭和42年)4月1日に制定された[23]。
扶桑の「ふ」の字を図案化し、扶桑町が将来に向って発展し続けるよう希望をこめたもの[24]。
広域行政
- 丹羽広域事務組合(扶桑町・大口町)
- 江南丹羽環境管理組合(扶桑町・大口町・江南市)
- 尾張北部環境組合(扶桑町・大口町・江南市・犬山市)
- (愛北広域事務組合)(扶桑町・大口町・江南市・犬山市・岩倉市)
議会
扶桑町議会
愛知県議会
1947年(昭和22年)に戦後、最初の県議会議員選挙が行われた。当時の丹羽郡は定員3名で、現在の犬山、江南、岩倉、扶桑、大口が選挙区であった。1959年(昭和34年)からは犬山市、江南市が独立し、岩倉、扶桑、大口で定員1名となり、1975年(昭和50年)からは岩倉市が独立し、現在は扶桑、大口の両町で定員1名となっている。
- 歴代選出議員
選挙期日 | 当選者名 | 有権者数 | 投票者数 | 投票率 |
---|---|---|---|---|
1947年4月30日 | 松浦浅吉 | 62,990 | 56,580 | 89.82 |
安藤信太郎 | ||||
武馬繫三郎 | ||||
1951年4月30日 | 石田千太郎 | 61,359 | 55,470 | 90.40 |
松浦浅吉 | ||||
安藤信太郎 | ||||
1955年4月23日 | 石田千太郎 | 64,912 | 51,144 | 78.79 |
松浦浅吉 | ||||
安藤信太郎 | ||||
<犬山、江南単独区に> | ||||
1959年4月23日 | 伊藤辰次郎 | 無投票 | ||
<岩倉単独区に> | ||||
1963年4月17日 | 社本鋭郎 | 7,685 | 6,086 | 79.19 |
1967年4月15日 | 無投票 | |||
1971年4月11日 | ||||
1975年4月13日 | 仙田明一 | 無投票 | ||
1979年4月8日 | ||||
1983年4月17日 | 大竹喜久雄 | 18,235 | 8,616 | 47.25 |
1987年4月12日 | 無投票 | |||
1991年4月7日 | ||||
1995年4月9日 | ||||
1999年4月11日 | 藤川政人 | |||
2003年4月13日 | 無投票 | |||
2007年4月8日 | 42,106 | 20,013 | 47.53 | |
2010年8月1日[注釈 5] | 鈴木喜博 | 44,292 | 17,189 | 38.81 |
2011年4月11日 | 無投票 | |||
2015年4月12日 | ||||
2019年4月7日 | ||||
2023年4月9日 |
過去の選挙
- 2010年愛知県議会丹羽郡選出議員補欠選挙
衆議院
施設
警察
消防
- 丹羽消防署扶桑出張所(南山名仲畑119)
医療・福祉
町内に拠点となる総合病院はない。町から近い病院としては江南厚生病院(江南市)や(さくら総合病院)(大口町)、総合犬山中央病院(犬山市)などがある。
郵便
- 扶桑郵便局
- 扶桑駅前郵便局
- 扶桑高雄郵便局
- 柏森駅前郵便局
文化施設
- 扶桑文化会館 - 1995年(平成7年)開館。(第3回愛知まちなみ建築賞)受賞[28]。
- 扶桑町図書館 - 1987年(昭和62年)開館。1992年(平成4年)、第78回全国図書館大会で優秀図書館として表彰[29]。
交流施設
社会体育施設
総合体育館を始め総合グラウンド、町民テニスコート、緑地公園グラウンド、北部グラウンドがあり、広く町民に利用されている。
- (扶桑町総合グラウンド) - 1972年(昭和47年)10月1日開設。
- 扶桑町町民プール - 1974年(昭和49年)6月15日開設。2021年(令和3年)3月31日廃止。
- (木曽川扶桑緑地公園グラウンド) - 1979年(昭和54年)12月15日開設。
- (扶桑町町民テニスコート) 1982年(昭和57年)3月30日開設。
- 扶桑町総合体育館 - 1983年(昭和58年)3月15日開館。
- 扶桑町北部グラウンド - 1993年(平成5年)4月14日開設。
公園
市街化区域内を中心に、街区公園(6ヶ所、1.41ha)と都市緑地(3ヶ所、13.05ha)が指定されている。なお、市街化区域の一部には都市公園のない地区があり、児童遊園はあるものの、公園的機能は少ない傾向にある。
扶桑町では、以下の8ヶ所の都市公園が整備されている[30]。
- 柏森駅前公園
- 柏森北公園
- 柏森長畑公園
- 高雄公園
- 高雄南公園
- 斉藤公園
- 木曽川扶桑緑地公園
- 柏森東山緑地公園
- 普通公園
- 木津用水公園
- ふる里の森
対外関係
姉妹都市・提携都市
扶桑町には2021年現在、姉妹都市・提携都市は存在しない。
海外
- フレンドシップ相手国
2005年に開催された2005年日本国際博覧会(愛知万博)では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われ、名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をそれぞれとしてフレンドシップ相手国として迎え入れた[31]。
経済
農業
- 特産品
- 守口大根 - 通常より細長く、長いものは180cm以上になる大根。現在市場に流通する守口大根は扶桑町と岐阜県岐阜市の2地域のみで生産されており、扶桑町が全国総生産の7割を占める[32]。生産者は少なく、扶桑町に5軒、岐阜県に4軒しかない[33]。
工業
- 扶桑町創業の企業
- 町内に本社を置く企業
- 町内に工場を置く企業
企業名 | 事業所名 | 竣工 | 所在地 |
---|---|---|---|
村田機械 | 犬山事業所 | 1962年4月 | 高雄北郷[注釈 7] |
キッコーナ | 扶桑工場 | 1963年4月 | 南山名西ノ山50 |
CKD | 犬山工場 | 1963年12月 | 高雄字南郷356 |
旭有機材 | 愛知工場 | 1968年5月 | 南山名西ノ山新津26-4 |
東洋水産 | 中部物流センター | 2009年1月 | 高雄突田65-3 |
商業
- 主な商業施設
- イオンモール扶桑 - 総合スーパーのイオンと100の専門店が入居するモール型ショッピングセンター。
- アクロスプラザ扶桑 - 核店舗のマックスバリュをはじめ、ゲオ、サイゼリヤなどの店舗を集めた複合商業施設。
- 平和堂扶桑店
- タチヤ扶桑店
金融機関
教育
高等学校
- 県立
- 愛知県立丹羽高等学校(1974年創立)※当町と大口町との境界に所在
- 私立
- 学校法人 愛知江南学園立誠信高等学校(1972年創立)
中学校
- 町立
- 扶桑町立扶桑中学校(1947年創立、南部学区・東部学区)
※南部学区の高木西、東部学区の福塚の学生は扶桑中と扶桑北中のどちらに進学するか選択することができる。 - 扶桑町立扶桑北中学校(1982年創立、西部学区・北部学区)
小学校
- 町立
- 扶桑町立高雄小学校(1872年創立、西部学区)
- 扶桑町立柏森小学校(1872年創立、南部学区)
- 扶桑町立山名小学校(1873年創立、北部学区)
- 扶桑町立扶桑東小学校(1979年創立、東部学区)
学区
南新田、高雄住宅、南定松、北定松、福塚、平塚、公団住宅 | |
北新田、羽根、羽根西、東川西、東川南、東川北、東川住宅、高雄団地、宮島、伊勢帰、扶桑台 | |
斎藤東、斎藤西、斎藤中、斎藤南、斎藤北、緑ヶ丘、高木東、高木西 柏森東1区、柏森東2区、柏森西、柏森南、柏森北、中島、花立、柏森レインボー | |
山那、小淵、大門、森、前野、野田、西村、寺前、中村住宅、扶桑紡績 |
生涯学習
2002年度より、町立の小中学校に聴講生制度を導入している。希望すれば一般の人が小中学校の授業を受講できる。小中学校に導入したのは扶桑町が全国初。
交通
名鉄犬山線で名古屋市・岐阜市へは30分前後、犬山市・江南市へ10分以内で結ばれ、さらに名古屋市から新幹線を利用すれば東京や大阪も日帰りビジネス圏である。
鉄道
名鉄犬山線が東西に走り、町内に3駅(柏森駅、扶桑駅、木津用水駅)が位置しているが、南北方向を補完する公共交通網はない。名鉄犬山線は1993年(平成5年)に名古屋市営地下鉄鶴舞線と相互直通運転を開始し、2005年(平成17年)の中部国際空港開業時には空港直通の列車も設定されるなど、県内他地域へのアクセス性が向上している。
バス
柏森駅に(大口町コミュニティバス)が乗り入れている。柏森駅とイオンモール扶桑を結ぶ路線バスが一時期運行されていたが、廃止されている。東部では(犬山市コミュニティバス)が町内を通過しているが、停留所は設置されていない。
デマンド型交通
2022年10月3日よりデマンド型交通の「チョイソコふそう」の運行を開始[35]。2020年4月26日に行われた扶桑町長選挙で当選した鯖瀬武はバスの導入を政策の一つとして掲げており、「いわゆる巡回バス、コミュニティバスといったものではなく、新しい公共交通を研究し、導入する」と述べ[36]、その政策を実施したものと言える。
道路
国道41号線(名濃バイパス)、主要地方道一宮犬山線(中央道)をはじめ諸道路が整備され、自動車を使えば一宮市や名古屋空港へは30分程度、名神高速道路小牧インターチェンジ、中央自動車道小牧東インターチェンジには2、30分の距離である。また、犬山橋、ライン大橋、愛岐大橋などにより、岐阜県側との交流がいっそう容易になるという交通上恵まれた位置に立地している。
国道
- 国道41号(名濃バイパス) - 名古屋市から富山県富山市に至る一般国道であり、1975年(昭和50年)に名古屋市から岐阜県美濃加茂市までの間が名濃バイパスとして4車線で整備された。2022年(令和4年)には集中工事が行われ6車線となった。
県道
- 愛知県道64号一宮犬山線(中央道)
その他
- 町内の道路通称名
- 緑道
橋梁
ナンバープレート
扶桑町は、(尾張小牧ナンバー)が割り当てられている。
観光
神社
名称 | 等級 | 社格 |
---|---|---|
楉埜神社 | 八等級 | 郷社 |
前利神社 | ||
山那神社 | 九等級 | 郷社 |
山那神社 | 十等級 | 村社 |
柏森神社 | 十一等級 | 村社 |
託美神社 | 十二等級 | 村社 |
高熊神社 | ||
神明社 | 十三等級 | 村社 |
船塚神社 | 十五等級 | 無格社 |
寺院
- 安穏寺(高雄中郷335)
- 開覚寺(南山名寺前57)
- 観音寺(高雄南郷330-2)
- 地蔵寺(高木976)
- 専修院(柏森乙西屋敷62)
- 仙林寺(高雄伊勢帰289)
- 善光寺(柏森前屋敷131)
- 薬師寺(小淵堤南1391)
古墳
扶桑町内の古墳時代の研究は、鳥居龍蔵が遠藤甚吉の発見した須恵器横瓶を鑑定したのに始まる。1931年(昭和6年)に発刊された『扶桑村誌』には、元亀塚、樫の木塚についての記録がある。1964年(昭和39年)、長泉塚古墳が愛知県指定文化財に登録された。現在、古墳の原形をほぼとどめているのは長泉塚古墳と舟塚古墳の二つ。しかし、他の地区からも古墳時代の遺物である直刀、土師器、須恵器などが出土することから、他にもいくつかの古墳が存在していたと考えられる[39]。
文化
特色
扶桑町にはこれといった特色がない[40]。これは前町長の江戸満も認めており、「町村会会長として全国の会合に出たが、温泉や観光地の首長はそれを盛んにPRした。扶桑町は何もない。だから僕は『扶桑町は人に例えれば平凡だが、素直で誠実な人間だ』と紹介した」という[40]。
孤立した町
近隣市町は都市間交流に熱心だが、2021年現在、扶桑町には姉妹都市や提携都市が一つもない。2017年(平成29年)12月には、扶桑町議会定例会にて、兼松伸行町議が「どこでもいい。何かないもんだろうか」と提携先の模索を促し、町が「交流はしていない」「スポーツ交流、文化交流、いずれも行っておりません」と寂しい現状を説明する一幕もあった[40]。当時の町長、千田勝隆は「提携先がないのは個人的には寂しい。人間だって友だちがいて交流した方がいいでしょ」と語ったが、扶桑町には歴史的な特徴もなく、町政策調整課の北折広幸課長は「お隣の大口町は戦国武将の堀尾吉晴の縁で松江市と姉妹都市になった。だが扶桑町にはそうした歴史的つながりがない」と述べている[40]。
名産品
- 守口大根 - 生産量が全国で6割以上を占める。2013年(平成25年)11月23日、扶桑町で作られた守口大根が世界一長い大根としてギネス世界記録に認定された(191.7cm)[41]。
- (儀典用端折長柄傘) - 約400年、14代にわたり山那地区の尾関家で製作が続けられており、1993年(平成5年)、第14代尾関浩一が扶桑町指定無形文化財の指定を受けた。
文化財
- 国の(登録有形文化財)
画像 | 登録名称 | 時代 | 所有者名 | 登録年月日 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
覚王寺本堂 | 1814年(文化11年) | 宗教法人覚王寺 | 2005年 | 7月12日高雄南屋敷135 | |
覚王寺庫裏 | 1840年(天保11年) | ||||
覚王寺大日堂 | 1794年(寛政6年) | ||||
覚王寺鐘楼 | 1034年(昭和9年) | ||||
覚王寺山門 | 1902年(明治35年) | ||||
川田家住宅主屋 | 1891年(明治24年)頃 | 個人 | 2018年11月 | 2日南山名字前ノ前49 |
- (愛知県指定有形文化財)
画像 | 登録名称 | 時代 | 所有者名 | 登録年月日 | 所在地 |
---|---|---|---|---|---|
長泉塚古墳 | 古墳時代後期 | 長船塚保存会 | 1964年(昭和39年) | 高雄字中屋敷37-1 | |
鋳造誕生仏立像 | 平安時代 | 顕宝寺 | 1979年(昭和54年) | 扶桑町南山名寺前28 |
- 町指定文化財
画像 | 名称 | 時代 | 指定年月日 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
舟塚古墳 | 古墳時代後期 | 1974年(昭和49年)10月22日 | 高雄定松郷135-1 | |
小淵の渡し跡 | 江戸時代 | 1974年(昭和49年)8月 | 小淵字小淵新開1185・1186合併地 | |
旧岩手村の塚 | 1600年頃 | 1982年(昭和57年)1月 | 小淵中島1567 | |
般若用水元杁跡 | 1634年 | 1988年(昭和63年)1月25日 | 小淵南堀場1415-3~4 |
- 史跡
- 恵心庵(高木字白山前772)
- 悟渓屋敷(南山名字本郷94-2)
- 旧岩手村跡の塚(小淵字中島1567)
- 般若用水元杁跡(小渕字南堀場1415-3〜4)
- 小淵の渡し跡 (小淵字小淵新開1185・1186合併地)
- 建造物
- 専修院東門(柏森字乙西屋敷62-1)
- 彫刻
- 聖観音像(高木字白山前772)
- 正覚寺の十二神将像(斎藤字県タ21-1)
- 考古資料
- 頭椎直刀(高木字稲葉63)
- 天然記念物
- 山那神社のケヤキ(南山名字森1)
- 無形文化財
- 儀典用端折長柄傘(山那屋敷地611-1)
- おんからかみ(小渕字本郷1231)
- 書跡
- 大般若経(斎藤字県タ21)
- 切支丹関係古文書
- 前利神社掛軸(斎藤字宮添1)
出身者
歴史上の人物
政界
財界
官吏
スポーツ選手
音楽家
- 近藤名奈(シンガーソングライター)
- TSURU(STANCE PUNKSのボーカル)
- 高瀬統也(シンガーソングライター)
芸能人
名誉町民
扶桑町では1981年(昭和56年)3月28日、扶桑町名誉町民条例が制定されている。町民もしくは町に深いゆかりを持つ者で、政治・経済・文化等を通じ、社会の発展のため大きな功績を残すとともに、人格、識見が優れ、町民の尊敬を受ける者に贈られる称号である。しかし、現在まで名誉町民には一人も推挙されていない[42]。
キャラクター
観光大使
- 1日観光大使
脚注
- ^ 『扶桑町史(下)』P.377
- ^ 『中日新聞』2022年3月2日付朝刊近郊版14頁、「扶桑町人口3万5000人に」
- ^ “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年3月23日閲覧。
- ^ 愛知県 市町村長等名簿
- ^ 全国町村会
- ^ 扶桑町長選挙開票状況および開票結果 | 扶桑町
- ^ “扶桑町長選 鯖瀬氏初当選 /愛知”. 毎日新聞. (2020年4月27日)
- ^ 『中日新聞』1991年5月11日付朝刊県内版18頁、「千田・扶桑町長が退職届 病気療養理由に」
- ^ 『中日新聞』1999年2月26日付朝刊近郊版20頁、「沢田・扶桑町長きょう退職 県議選出馬で」
- ^ 『中日新聞』2004年7月13日付夕刊10頁、「扶桑町長が辞職願 合併不調で引責」
- ^ “江戸町長、辞職を申し出 町議選と同日実施 /愛知”. 毎日新聞. (2016年3月8日)2016年5月1日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2021年3月2日付朝刊近郊版14頁、「元政策調整課長の北折氏が副町長に」
- ^ 『中日新聞』2022年12月21日朝刊近郊版14頁、「扶桑町 4月から新体制 機構改革 教育部など設置へ」
- ^ “行政機構図”. 2023年3月5日閲覧。
- ^ 令和5年4月1日からの組織体制 (PDF)
- ^ a b c d e f g “広報ふそう2022年5月号”. 2023年1月14日閲覧。
- ^ a b c d 扶桑町職員人事異動 (PDF)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『中日新聞』2023年3月5日朝刊近郊版18頁、「生活安全部と教育部を新設 扶桑町人事」
- ^ a b c d 扶桑町職員人事異動 (PDF)
- ^ 『中日新聞』2021年09月08日朝刊近郊版12頁、「扶桑町役場を15年後建て替え 町、議会で方針明かす」
- ^ プロフィール藤川政人ホームページ
- ^ 扶桑町 町長の部屋 プロフィール
- ^ 『扶桑町史(下)』P.59
- ^ 町章・町民憲章 - 扶桑町
- ^ a b “愛知県議会丹羽郡選出議員補欠選挙(平成22年8月1日執行) 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2010年8月1日). 2010年8月1日閲覧。
- ^ “第49回衆議院議員総選挙(小選挙区) 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2021年10月31日). 2021年11月1日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2023年4月2日付朝刊近郊版14頁、「遊びも学びもここで 扶桑町児童センター開館」
- ^ 第3回愛知まちなみ建築賞 愛知県
- ^ 扶桑町教育委員会 & 扶桑町史編集委員会 1998, p. 414.
- ^ 都市公園と都市計画について
- ^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
- ^ 『中日新聞』2021年07月29日付朝刊近郊版12頁、「ゆるキャラ「守口大根さん」奮闘中 扶桑町 長〜く愛して 町長と「鯖大根」コンビ結成」
- ^ 『中日新聞』2022年01月31日付朝刊尾近知総合9頁、「食リポ 扶桑の守口大根・守口漬 長~く育ち、味まろやか」
- ^ https://www.megane-akafudado.com/
- ^ チョイソコふそう(扶桑町)
- ^ さばせ武 政策コメント
- ^ 一般県道扶桑各務原線(新愛岐道路)再評価調書「愛知県」
- ^ 「地域高規格道路岐阜南部横断ハイウェイ一般県道扶桑各務原線新愛岐道路」再評価結果(平成28年度事業継続箇所)「岐阜県」
- ^ 『扶桑町史(下)』p.208
- ^ a b c d 『中日新聞』2019年12月28日付朝刊近郊版16頁、「扶桑新聞 わが街探偵団 友好都市結ばないの? 交流したいけど、縁が…」
- ^ “守口大根を世界最長とギネス認定/愛知・扶桑町、191・7センチ”. 四国新聞社. (2013年11月23日)
- ^ 『扶桑町史(下)』p.61
- ^ a b 『中日新聞』2021年07月29日付朝刊近郊版12頁、「ゆるキャラ「守口大根さん」奮闘中 扶桑町 長〜く愛して 町長と「鯖大根」コンビ結成」
- ^ “アンガールズ山根、細長い大根の収穫を体験”. お笑いナタリー. (2022年1月24日)2022年1月27日閲覧。